No.541895

彼女は如何にして明け方の夢をみるか

紅月玖日さん

小説家になろうでも公開しております。
とある二人の不器用な話。

2013-02-09 02:42:20 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:208   閲覧ユーザー数:208

 
 

 「いってくる」と、まだ誰も起きていないのをわかっていながらつぶやき、家を出る。

 外へ出ると少し肌に痛いくらいの風が容赦の欠片も無く吹きつけ、思わず身を震わせる。

 吐く息は白い靄を残し、ゆっくりと宙に消えていく。僕はそれを見るのが昔から好きで、子供のように息を吐いては靄を眺める。

 だが寒い冬が好きというわけでもなく、季節でいえば夏のほうが好ましい。

 ただ僕は靄が残る程に冷たい空気と明け方の空、人がいない街並みが好きなのだ。

 決して冬が好きなわけではない。これは短くも無い人生の中で確認できた、一つの事実だ。そうに違いない。

 いつもと同じように商店街を抜け、学校を通り過ぎ、川に沿って敷かれたサイクリングロードを歩く。

 ここまで来ると早朝ジョギングをしている人とすれ違うことが増える。そのうち殆どは顔見知りになっているあたり、僕も大概変わり者なのかもしれない。

 しばらく歩くといつもの折り返し地点に差し掛かる。そこは小規模な水門で開放されることは殆どないが、壁を伝って茂る蔦などが雰囲気を出しており、かなり好きな場所の一つだ。

 その水門の上。明け始めた空の下。その人は立っていた。

 短く切りそろえられた髪、月のように白い肌、すらりと伸びた手足は細く、少し触れれば壊れてしまいそうな儚さを纏っている。

 空気が、水が、何もかもがその人に支配されているように感じる。そして、僕も。

「おはようございます」

 声をかけられてから、ようやく意識がはっきりとした。これまでに経験のない陶酔感に翻弄されていたのだろうか。

 それにしたって不可解だ。これまでに貧血とかで眩暈を起こしたことすらない僕が、いきなり前後不覚に陥ろうとは……

「……おはよう。そんなところに登ると危ないよ」

「やっぱりそうかな? でも、なんだかここに登らないといけないような気がしたんだよね」

「それはきっと気のせいだよ。気をつけて降りたほうがいい」

「そうしようかな。ちょっと寒いし」

 恐る恐るといった体でこちらに降りてくるが、何故これであそこに登れたのだろう。

 水門の高さはそれなりにあるし、手すりなども特に見当たらない。

「なんであんなところに?」

「うーん、なんとなく。かな?」

「なんとなくなんだ」

「うん、なんとなく」

「なんとなくなら仕方ないのかな?」

「なんとなくだから仕方ないんだよ」

 そんなやり取りを何度か繰り返した後、僕らは別れた。

 お互いの名前も知らず、ただ話をしただけの関係。

 それなのに、何故か気になるのはどうしてなのだろう。

 

 

 学校というのは全くもって不思議な空間だと思う。趣味嗜好成績運動能力すべてがバラバラな人々に対し、画一的な教材しか与えないとはどういうことか。

 その人の能力に合った問題を、課題を、宿題を出せば、より効率的に成績を伸ばすことができるのではないか。

 まあつまり、僕が何を言いたいかというと。

「この問題は、難しすぎてわからないってことです」

「廊下に立ってろ」

 今時廊下に立ってろとは、なんとも時代錯誤な教師だ。出るところに出れば、これも立派な体罰だというのに。

 でもこれで授業を聞かなくてもいい免罪符が出来た。反抗せず素直に従おう。

 少しだけしょぼくれた顔を作って廊下に出る。教室の扉を閉め、そのまま屋上へと足を向ける。

 座らなければ、どこいったって一緒だよね?

 北風が吹きつける屋上に出ると、そこには寂れたベンチがぽつぽつと配置されている。

 授業中であることを差し引いても、この寒さでは休み時間に屋上に来る人はいないだろう。

 早朝の散歩といい、真冬の屋上といい、僕は人と違うことが好きなのかもしれない。

 そういえば友人たちと一緒にいるときも、その趣味は変だとか散々言われた気がする。

 他人の評価をあまり気にしないからか、それをきっかけに趣味が変わることはなかったけれど、そんなに僕の嗜好は変なのだろうか。

 物心ついたときからの悩みについて、また考える。もちろん結論は出ない。

 だけど今朝であったあの子に対して抱いた感情は、誰からも変と言われることはないだろう。

 一度出会ってしまったら、また会いたくなる。

 まるで麻薬のような中毒性だと考えて、麻薬とは言い得て妙だと笑ってしまった。

 明日もまた会えるだろうか。

 雲ひとつない空を見上げ、僕は目を閉じた。

 教室に戻ると、何故か教師に怒られた。理不尽だ。

 

 

「おはよう、今日も早いんだね」

「うん、日課だから」

 翌日、また同じ場所で会えた。時間もほぼ同じ、そしてシチュエーションも。

「なんで今日も登ってるの?」

「こうしてれば、また君と逢えるかと思って」

 はにかみながら言われ、僕は思わず顔が熱くなってしまった。

 いけない、これではまるで恋をしているようではないか。

 いや、別に構わないのだろうか。否定するのは逆にそうであることを認めているように感じてしまう。

「それじゃあ登ってよかったね。今日もこうして会うことができた」

「うんうん。昨日から君のことが気になっててさ、また会いたいなって」

「そんなこと言われると勘違いしちゃうよ。もう少し言い方があるんじゃない?」

「勘違いされるならそれでもいいかなってね」

 昨日と同じように恐る恐る水門から降りると、僕の前に立つ。

 こうして同じ目線でたってみると、僕のほうが少しだけ身長が低いことがわかる。なんだか悔しい。

「たくさんの人を泣かせそうだね。よくないよ、そういうの」

「やっぱりそうかな? そうだよね、きっと」

 一瞬だけ寂しげな目をして、自分に言い聞かせるように呟くのはどうしてだろう。

 僕は一般論を述べただけだ、別に傷つける要素はなかったと思うけど、謝ったほうがいいのだろうか。

「よくないけど、それがあなたなら仕方がないでしょ。それもひっくるめて、僕もあなたに興味がある」

 先ほどよりも寂しさを濃くして、ありがとう、と言われた。どういうことだろう。

 

 

 それからというもの、僕たちは毎朝水門の前で話をした。

 好きなものや、お互いの学校のこと。家族のことを話したこともあった。

 たまに通りかかる人たちは、なんだか生温かい目で僕たちを見て去っていく。

 そんな視線は流石に気になるけれども、邪魔をしないでくれるのはありがたい。

 それだけで周囲に認められたような気がして、なんだか嬉しくなった。

 僕の日課である早朝の散歩や、真冬の屋上に出ることなどを話したとき、「君らしいね」と言って笑われた。

 でもその後に、「そのおかげで会えたんだから、感謝しないと」なんて言うものだから、また顔が熱くなった。

 こうやって人をからかうことはやめてほしい。僕はあまりこういったスキンシップに慣れていないのだから。

 あまり人から納得されることがない僕の趣味に、初めてまともに理解を示してもらえた。

 それが嬉しくて、またいろいろな話をする。

 それは特に、これまで理解してもらえなかった趣味の話がほとんどだったけれど、そのどれもを理解してくれた。

 言葉だけの理解ならこれまでももらったことはあるけど、この人はちゃんと理解してくれている。

 それが言葉の端々から、何気ない動作から感じられる。

 とても心地よくて、楽しい時間だ。

 だけど時々、この人は寂しそうな顔をすることがある。

 すぐに笑顔に戻るのだけれど、どうしてあんな顔をするのだろう。

 気になるけど、僕に尋ねる勇気はない。

 

 

 そうして一ヶ月も経ったある日、水門で会えなかった。

 遅れたのかと思って待っていたら、結局会えず、学校にも遅刻してしまった。どうしたのだろう。

 僕が何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。それとも体調を崩してしまったのだろうか。

 初めて会った日から毎日、天気を問わず会っていただけに心配だ。

 その日の授業はいつも以上に身が入らず、また廊下に立たされた。

 だけど、屋上に行く気にはなれなかった。

 

 

 会えなくなって一週間。まだ現れない。

 これだけの日にちを待ち続ける僕は、意外と尽くすタイプだったようだ。

 もっとも、別に付き合っていたわけではなかったけれど。

 そう、別に付き合っているわけではないのだから、ここまで気にすることはないはずだ。

 周りの人たちからどう見られていたかは知らないが、少なくとも僕たちは恋人同士ではなかった。

 そう思っていた。

 

 

 それからまた数日。僕は未だに待ち続けている。

「よう美耶子ちゃん! 今日も彼氏はこないのかい?」

「そうですね。一体何をしているのやら」

「美耶子ちゃん綺麗なんだから、もっといい人も現れるってもんだ! 気ぃ落とすんじゃないぞ!」

「なんかすいません、気を遣ってもらって」

「毎日ここで待ってる姿を見せられたら、気も遣うってもんだ」

 朝の散歩仲間であるシゲさんにまで気を遣わせてしまうとは、僕は相当周りが見えなくなっていたのだろう。

 出来ることならば、また彼に会いたい。どうしていなくなってしまったのか、その理由を知りたい。

「俺はな、あいつと話をしてる美耶子ちゃんを見て、よかったと思ったんだ。あんまりまわりに興味を持ってなさそうなのに、あいつと話をしているときには楽しそうだったからね」

 そうだ。僕は彼と話をしていると、楽しかったんだ。家族と話すよりも、友達と話すよりも。

 人と少し違う感性を持っていたから、人と同じことに興味を持てなかった。世界に興味を持てなかった。

 だけど彼と話して、味気なかった世界に少しだけ色がついた。

 

 色をつけれられてしまった。

 

 こんな世界を知ってしまったら、もう戻ることはできない。

 ずるい、こんな世界に、僕一人だけ置いていくなんて。

 こんなことなら、彼の存在が夢で、存在しないものだったらよかった。

 頬を、一筋の涙が流れた。

 この涙は夢なんかじゃない。

 この胸の痛みも夢なんかじゃない。

 彼の存在も夢なんかじゃない。

 だけど夢でもいいから、またあなたに会いたい。

 いつもと同じ、この場所で、明け方の時間に。

 
 

 
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