No.52329

不思議的乙女少女と現実的乙女少女の日常12 『良く晴れた空7』

バグさん

長く続きましたが、『良く晴れた空』はこれで終りです。
この話自体に意味はあまり有りませんが、伏線がそこらに散りばめたお話でした。

2009-01-15 19:09:16 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:422   閲覧ユーザー数:412

 湿気に満ちた生ぬるい夜。しかし、不思議と不快さを感じさせない夜気は、この邸宅を囲む木々の自然故か、はたまた慣れない環境から起こった錯覚か。

 テラスから満天の星空や木々を望んでいると、前者に間違いないと確信してしまう。…………この敷地に入ってから、少し身体が軽い様な気がするのも一因かもしれない。

 リコは、注がれた紅茶に口をつけた。

 

「良い紅茶ね、エリー。ま、あんまり紅茶には詳しく無いんだけどね」

 

「光栄ですわ。…………紅茶を楽しむ最大の条件は、知識では有り得ませんことよ。リコさんの様に、それを楽しむ心意気が重要なのですわ」

 

 今宵の月の様に柔らかな笑みを浮かべて、エリーは手製の紅茶を口にした。その姿はとても様になっており、一朝一夕で身に付く優雅さでは無かった。生まれの良さを差し引いてもだ。長らく紅茶を愛飲しているために、自然と身に付いたのかもしれない。

 

「どうして」

 

 リコは、ふと思いついた疑問を、つい口にしていた。つい、と強調したのは、自分でも迂闊だと思ったからで、その質問は有る意味デリケートなものだったからだ。だが、一度口から離れた言葉は責任だけ残して己の手を離れる。

 

「どうして、エリーはこっちに引っ越してきたの?」

 

 家庭の事情に踏み込むような質問だ。本来は当然、慎重に扱われるべきするべき問題であるのだが、心地の良い夜気に当てられて口が滑ってしまった。

 

先ほど、久遠に両親不在の理由を聞いたばかりだと言うのに。いや、それが頭に残っていたからこそ言ってしまったのかもしれない。

 

だが、エリーは何を気にするでもなく口を開いた。

 

「私、実は身体が弱かったんですのよ」

 

「身体が?」

 

「そう、病弱というやつですの。なにかあるとすぐに熱を出してしまったり」

 

それと引越しになんの関係が? と思ったが、その疑問はすぐに解消された。

 

「一時、かなり酷い状態になって…………ここ、空気が良いでしょう? 山に囲まれて、静養するにはちょうど良かったんですの。だから、父がここ一帯の土地を買い占めてしまって」

 

「と、土地を…………」

 

 元から持っていた土地に家を建てたのでは無く、土地から買ってしまったらしい。

 

「ていうか、病院に行けば良かったんじゃ…………」

 

「一番リラックスできる所でゆっくりする事が良いって、お医者様が仰ったの」

 

「…………それは藪医者とかじゃなくて?」

 

「大学病院の教授でしたから。それは無いかと」

 

 エリーは微笑んだ。その笑みには少し含む所が見えた。もしかしたら、エリーも過去にそれを疑った事があるのかもしれない。

 

「それにしても、土地ごとって」

 

 テラスからはその敷地が見渡せる。地平線の向こうまで続いていそうな感じだ。整備されずに、自然のまま放置されている山も敷地内なのだろうから、相当なものだ。見渡せるとは言っても、ここから見えるだけが敷地というわけでは当然無いので、実際にはこの数倍はあるのだろうが。

 

親ばかでしょう? とエリーは笑ったが、親ばかの次元が違いすぎて何とも言えなかった。それはむしろただの馬鹿なんじゃ無いだろうかとは思ったが。いや、そこに娘への愛があれば、親ばかへとなりうるのだろうか。

 

 しかし、エリーの身体が弱いという事実。それは初耳だった。

 

「あれ? でも、エリーって全然学校休まないよね」

 

 高校に入学してからそれなりの時間を過ごしてきたリコとエリーだったが、エリーが病弱である事をここで初めて知ったのはそのためだろう。病弱であるのなら、もう少し

休みがちになるのではないだろうか。

 

「それが、こちらに引っ越してきたら、どうしてか身体が少し丈夫になったみたいなんですの。今は急に熱を出す事もありませんし、そうそう、小学校や中学校の時は、体育も見学していたのですわよ」

 

「へえ…………?」

 

 身体が丈夫に。まあ、普通くらいの丈夫さになった、とも言えるが。なんとも、妙な事もあるものだ。

 

「でも、良かったじゃない」

 

「そうですわね…………」

 

 ティーカップをソーサーに置いて、エリーは庭に眼を向けた。その広大な庭に。

 

「正直に言いますと、少々ウンザリしてましたもの。小さい頃から、身体を強くするために武道の門を叩いたりしてみましたけど、これがもうさっぱり効果が無くて」

 

 技術は身に付いたようだが、体力の方はさっぱり付かなかったらしい。指一本でヤカと久遠を投げていたが、アレもその賜物なのだろう。恐ろしい技量だ、とリコは今更の様に顔を引きつらせた。エリーが明後日の方向を向いていたために、見咎められる事は

無かったが。

 

「義務教育時代はほんとに退屈でしたわ…………」

 

 昔を思い出しているのだろう、宙に視線を漂わせ、溜め息をついていた。だが、口にするほど嫌なニュアンスがそこに含まれて居ないような気がするのは、リコの気のせいだろうか。

 

 エリーはリコに視線を合わせ、

 

「今はとっても楽しいですけどね」

 

 リコは我知らず頬を染めた。ドキリとする様な事を、そんな無防備な笑顔で言ってくれるな。

 

「そ、そういえば、昼間とかお風呂の時とか、ごめんね」

 

「ヤカさんの事ですか?」

 

「あいつ、ああいう性格だから。エリーに嫌がらせしてるとかじゃなくて、エリーの事

が好きだからやってるんだと思う」

 

 幼馴染として大体の性格は把握しているが、ヤカは『右を見ろ』と言われれば斜め左上の方向を向きながら眼を瞑って心眼で物を見ようとする天邪鬼である。言い出したら聞かない性格であったり、まあ色々と問題はあるのだが、嫌いな人間にわざわざ近付いていく人間では無い。それだけは断言できる。

 

エリーとヤカの付き合いは、リコとヤカのそれに比ぶるべくも無いほど短いため、その辺りの事を誤解して要らぬ軋轢を招きたくなかった。まあ、ヤカは思い切り投げ飛ばされていたので、おあいこかも知れ無いが。それでも、これまでの扱いを受けてエリーが不快な気分にならないとも限らない。

 

しかし、エリーはやはり微笑み、

 

「大丈夫ですわよ」

 

と、紅茶を口につけた。

 

「確かに腹の立つ時はありますが、所詮はじゃれあい。私、ちゃんと楽しませて貰ってますわ」

 

「あ、ああそうなの」

 

 え? どんだけマゾなの? と思いかけたが、どうやらそういう事を言いたいのでは無いらしい。

 

「昔、似たような人が私の近くに居ましたので、少し懐かしいですわ」

 

 リコは、あんなヤツがこの世には何人も居るのか、と愕然とした。幼馴染を思う感想としてはやや酷いものだったが、冗談抜きでそれは疲れそうだった。ヤカだけで十分だ。

 

そんなリコの胸中を察したか、エリーは、

 

「いえ、もちろんヤカさんほど強烈ではありませんし、性格も全然違いますけどね」

 

「だ、だよね。そうだよね…………」

 

 エリーはやや俯いて、

 

「自分勝手で、我が儘で、なのに気遣いが出来てて。全く、嫌になるほどそっくりですわ」

 

「気遣い?」

 

 確かに、ヤカは自由奔放な所はあるが空気の読めない人間では無い。敢えて空気を破壊する人間でもあるが。気遣いというのに無縁な人間でも無い。以前リコが風邪をこじらせた時は、付きっ切りで看病してくれた事もあった。

 

だが、今日までのエリーに対する行動で、それを悟る事が出来るだろうか。

 

「似てるから分かるのですわ」

 

 そう、似てるから…………と、やはり昔を思い出す様な仕草でエリーは呟いた。

 

「転校する事になったから」

 

 彼女がそんな事を言い出したのは、中学校卒業間際、冬の寒さが一段と厳しくなってきた1月の事である。

 

放課後の教室で、2人の他には誰も居ない。

 

「親父の都合でさあ。全く、迷惑な話だよ」

 

 彼女は、何もこんな時期に辞令がこなくてもいいのに、とぼやいた。

 

エリーはそんな彼女の言葉を、ぼんやりと聞いていた。なんとなく、現実味が薄かったからだろうか。目の前の彼女が、やかましく周囲を沸き立たせる彼女が居なくなるなんて、想像も付かなかった。

 

「ま、お嬢様のアンタには想像も付かない話だよな」

 

 意地悪く、彼女は笑った。自分の境遇とエリーの境遇を重ね合わせた皮肉だが、珍しい事では無い。彼女は、よくエリーにこの様なちょっかいをかけていたのだから。

 

「そうですね、貴女の様な下賎な人間の気持ちなんて、私には全然想像つきませんわ」

 

「ふん、嫌な言い方しやがるぜ」

 

「貴女から始めたんでしょう」

 

 そこからは、何時もどおり、売り言葉に買い言葉。それが延々と続くと思われた。

 

だが。

 

「………………」

 

 彼女は視線を逸らして、口をつぐんだ。

 

「………………どうしたんですの?」

 

「お前さ、クラスの奴等からハブられてるだろ。家の事とか、身体の事とかで。それこ

そずっと。こんなくだらねぇ学校なんて辞めちまえば良いのに」

 

 その言葉に、嫌味は含まれていなかった。

 

確かに、クラスの人間からエリーは仲間はずれにされていた。あからさまに嫌がらせ

を受けた事もある。それは、お嬢様学校であるこの学校においても、エリーの家柄が一際輝いている事が最大の原因だろう。

 

「無茶を言いますわね。大体、今更そんな事を聞きますの?」

 

「なんだろな。急に聞きたくなった」

 

 彼女自身も、何故そんな事を言ったのか分からないようだった。首を傾げて、苦笑し

ていた。

 

…………思い返せば、皮肉な事に、エリーに対して嫌味を言ってくる彼女だけだっ

た。マトモにエリーと向き合ってきたのは。それ以外は嫌がらせをしてくれるか、あか

らさまに無視されるか、気まずそうに眼を逸らされるだけだった。

 

「貴女が居たからかもしれませんわね」

 

「は?」

 

「この学校に残っていたのは」

 

「な、何言ってんだよ急に。熱でも出して頭が沸騰したか?」

 

 明らかに動揺して、彼女はそう言った。

 

『貴女が居たからかもしれない』そう言葉を濁したが、エリーはハッキリと自覚していた。

 

この学校になんとか通ってこれたのは、彼女が居たからだという事を。

 

小学校の時も中学校の今も、学校ではほとんど友達が出来なかった。だから、エリーの中では、学校というものはとても詰まらない所だという情報がインプットされてしまっていた。だが、それは家に居ても同じだ。久遠が側に付いていてくれるが、それは変化の無い日常であり、刺激というものが存在しない点では、嫌がらせをしてくる同級生より達が悪いものだった。日常なのだ。感謝はするが、無味乾燥。それは、心を風化させるのに最も適した環境だったのだ。

 

だから、学校の方がまだ少し良い。それだけの理由で学校へは行っていた。嫌がらせなど気にはならない。弱く群れる連中は、一瞥にすら値しない。

 

その点で、眼の前の彼女はエリーにとって大きな存在感を持っていた。そう、彼女と罵りあうのは楽しかったし、そうやって向き合ってくれるのはあり難かった。

 

だが、それを口にするのは正直恥かしいので、少し言葉を曲げてみたのだ。だって、なんか嫌だ。

 

動揺から立ち直ったのか、しかし、彼女はやはり恥かしそうに言った。

 

「なあ。もうすぐで私は転校するんだよ」

 

「それはさっき聞きましたわ」

 

「そんで、何か言う事はないのか?」

 

 言われ、エリーはやや考えた。

 

…………仕様が無い。少し、勇気を出してみるか。

 

「有難う、と言っておきますわ。そ、それに友達ですもの。また会えると良いですわね」

 

「…………そりゃどういう意味だよ」

 

「そ、そのままの意味ですわ。恥かしいからそんなに問い詰めないでください」

 

 そういうと、彼女はぽかんとして口を閉ざした。

 

そして、突然、その頬に涙が流れた。

 

エリーは驚いて思わずその頬に手を伸ばした。

 

「…………どうしたんですの?」

 

「い、いや、なんか…………な、なんだろな。あんまり好かれてないと思ってたから、

なんか、嬉しくて」

 

「はい?」

 

 エリーが口を閉ざす番だった。

 

そして、彼女は転校して行った。

 

しばらくして手紙が届けられて、その手紙を読んでエリーは涙を流した。

 

彼女が頻繁に突っかかって来るのは、少しでもエリーに詰まらない顔をして欲しく無かったからだったと、その手紙には書いてあった。そして、そんな接し方しか出来なくてごめん、とも。

 

それまで、彼女が突っかかって来る事に深い意味を感じていなかった。エリーはそれに感謝していたが、彼女がそれをする意味までは考えていなかった。

 

なるほど、自分は彼女に気遣われていたのだと、その時初めて知った。

「全く、普通に接してくれれば良かったんですわ」

 眼の前に座っている友人の様に。そこに居てお茶を一緒にしてくれるだけで良かった。

「なにか言った? エリー」

「いえ、なんでもありませんわ、リコさん」

 微笑んで空を見上げた。

夜に閉ざされた空は、しかしそれ故に美しく星を瞬かせる。十三夜月が際立っている。

何時か、あの彼女とも、こんな空の下でお茶を飲める時が来るだろうか。

その時は、あの頃出来なかった話を、素直に語ろうと、エリーは思っていた。

 良く晴れた空の下、今を歩く親友と開かれたお茶会で、未来を思い描いていた。


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
0
1

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択