No.51787

はじまりさえ歌えない

星 倫吾さん

オリジナル妹キャラ・麗音(れのん)のSSです。
本来ならこのSSが初めに来るはずなのですが(苦笑)

2009-01-12 17:34:11 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:703   閲覧ユーザー数:661

今日はいよいよ紫峰女学院の入学試験の日です。

紫峰女学院―――戦前よりの歴史があるカトリック系女子校で、

特に文化・芸術面に優れた生徒を特待生としての門戸を開いているそうです。

また、「全人教育」をモットーに掲げていて、生徒は全て寮に入るという全寮制で、

学科だけではなく、礼儀作法など生活面も厳しく指導されるそうです。

 

丘の上にある学院へと続く長い坂道を、私は兄さんに付き添われるまま歩いていました。

もう二度とこの道を歩くことはないかも知れない、と。

そしてそれが、私の胸の奥底に秘めた願望であること……。

本当は、普通の学校に通いたい。

事情があって、兄さんと私は離れて暮らしていて毎日会うことが出来ないのに、

私の家からも兄さんの家からも遠く離れた、この学院の寮に住むことになれば、

兄さんにお会い出来るのは、年に幾度くらいしか……。

そんな思いが、私の足取りをより重くさせていました。

 

「じゃあ、僕はここで……」

 学院の校門の前で兄さんと別れる私の心は、緊張よりも心細さで震えていました。

ここから先は、例え親族でも男子禁制……。

「麗音……絶対に合格しようなんて考えないで、麗音の持てる力を全て出してきなよ、悔いが残らないように。

 どうあがいたって、合否を決めるのは自分じゃなくて審査の先生方なんだから」

「兄さん……ありがとうございます」

「いいよ、礼なんて。僕は麗音の成功を遠くから見守る事くらいしか出来ないし、

 これくらいしか兄貴らしいこと出来ないしな」

そう言って少しさみしそうにはにかむ兄さん……。

でも、私はそんな兄さんにとても感謝しているんですよ。

もし兄さんに付き添ってもらえなければ、私はここまで歩いてこられなかったかも知れません。

きっと私一人だったら、ここに来るまでに心が潰れてしまい、途中で引き返してしまったかも知れませんから。

ただ、他の子よりも歌がうまく歌える、そして声質が良い。

そんな理由だけで、日本中から声楽家の卵が集まる紫峰女学院の門を叩くなんて、おこがましいですもの。

 

学院の敷地内には、中学高校、そして大学までが入っているとあり、

地元にある学校なんかと違い、まるで都市公園のように広く、

所々に在学生と思われる女生徒が、入試会場への案内が書いてあるプラカードを掲げています。

校門を入ってすぐ、園庭の前の大きな分岐点に立つマリア像に手を合わせあした。

「ごきげんよう。あら、他の子は素通りなのに、あなたはちゃんとマリア様に手を合わせるのね。

 既にこの学院の生徒たる心構えが出来ているのは感心ね。

 あなたみたいな子が我が学院の生徒になると思うと嬉しいわ」

急にシスターに声を掛けられて、私は驚きました。

「ご、ごきげんよう、シスター……」

「試験会場は左手奥の大講堂よ。遅れないように、ゆっくり急いでお行きなさい。では、マリア様のご加護があらんことを」

ゆっくり急いで。

その意味が最初は分かりませんでしたが、試験会場の大講堂までは、

あの場所から石畳の歩道を歩いて五分ほど掛かりました。

なるほど、遊歩道を散歩するペースでゆっくり歩いていたら遅刻してしまうかも知れないし、

石畳の歩道を駆けていたら、つまずいて転んでしまいますし、

試験官の先生方の目にも心証が悪く映ってしまうでしょう。

試験会場の大講堂には、私と同じ受験者と思われる生徒が百人ほど集められていました。

数百人は入るであろう講堂は、とても大きく感じられました。

受験生は一人ずつステージに上がり、課題曲を歌います。

皆さん全国から集まった選りすぐりだけあって、とても上手くて……。

 

いよいよ私の名前が呼ばれました。

ステージに上がり、客席をみると、百人以上の視線が自分に向いているのを感じて……

心臓が胸一杯に拡がり、のどが押しつぶされかのように感じ、

伴奏が始まっているのを分かっているのに、声が出せませんでした。

こんなにたくさん歌が上手な子がいるのに、私なんかが選ばれる訳がない。

「麗音さん、どうしたの? もう歌い出しの部分ですよ。では、最初から」

伴奏のピアノの手が止められ、替わりに耳に入ったのは、客席から漏れ聞こえる失笑。

私は今すぐステージを駆け下りて、そのまま家に帰ってしまいたいと思いました。

でも、そうしなかったのは……。

「麗音の持てる力を全て出してきなよ、悔いが残らないように」という兄さんの言葉と、

「あなたみたいな子が我が学院の生徒になると思うと嬉しいわ」というシスターの言葉でした。

ここから逃げたくて震える足を抑えて、絞り出すように歌った歌は、全ての力を出し切ったとは言えません。

でも、兄さんが側で見ていなくても、私一人でみんなの前で歌いきることが出来た、

それだけでも私は満足でした。

 

そして、合格発表……。

講堂のステージの上に立った先生が、一人ずつ名前を読み上げていきます。

私の前の席に座った子も、私の隣に座った子も、私の後ろに座った子も名前を読み上げられました。

しかし、私の名前が呼ばれる事はありませんでした。

「以上の皆さん、本日は大変お疲れ様でした、帰って頂いて結構です。

 名前を呼ばれなかった残りの方はそのままお残り下さい」

私は驚きで体が動きませんでした。これって……!

「ちょっと納得いかないわよ! なんで私がダメであの子が合格なのよ!

 素人の子なんかより私の方があの子より余程歌えていたわ!」

肩を落として講堂を去る子らに混じって、金切り声が聞こえました。

確かあの子は、私がステージの上で歌えないのを見て失笑を漏らしていた子でした。

「なるほど、あなたはそれなりの経歴もあり、歌唱力は申し分ありません。

 が、これはオーディションではなく、入学試験なのです。

 つまり、現在の実力よりも、将来性を感じされる人、

 そして当学院の生徒として人間的にふさわしいかどうかを見させて頂きました。

 その点、あなたは他者の失敗を嘲笑するなど、

 当学院の生徒としてふさわしくないと思われる行動が見受けられました」

憤りと悔しさに頬を赤らめ、踵を返す彼女は、少しかわいそうに思いました。

こんな些細なことで不合格となってしまったのですから。

「自分よりも実力が劣る者からでも学ぶべき事はあるはずです。

 今後心を入れ替え、それでも当学院への入学を希望されるなら、

 後日行われる一般枠での入学試験を受けにいらっしゃい。私たちはそこであなたを待っています」

講堂を去って行く彼女の背中に諭すように言葉を投げかけ

……そして私の方に向き直ったのは、園庭のマリア像の前で出会ったシスターでした。

「改めて、おめでとう。これも、あなたの思いがマリア様に通じたおかげかも知れませんね」

 

 でも、私はこの喜びを、マリア様よりも早く兄さんに伝えたいと思うのは、罰当たりでしょうか……?


 
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