No.511715

red fraction 6・完結(spn/2014cd)

2014世界での、CD馴れ初め話。こちらではR18を省いて載せます。私なりの甘甘。バッハ編曲「甘き喜びのうちに」ある一節・あなたはアルファにしてオメガ。とはいえ、本編とは関係ありません。ニュアンス使用

2012-11-24 14:55:17 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1485   閲覧ユーザー数:1484

 ぐったりと、指一本動かすのも億劫な程セックスをしたのは久しぶりだった。

 

 ディーンは散々好き勝手してくれた男を詰る気力さえなく、汗と精液で汚れたシーツでも構わないほどの眠気に襲われる。

 

 輪をかけてムカツクのは、満腹なツラを晒しながらも、こちらの様子をあさっての方向で不安げに伺う所だった。

 

「……ディーン、頼むから、朝までここに居て欲しい」

 

 ディーンは、ここは俺の部屋でベッドだからむしろお前が出て行け、だとか。何でまだ話す元気あるんだよ、とか。人間になったから体力が無いと抜かしてたのは大嘘か詐欺師、など。まだ冴える思考で、あらゆる愚痴を心中で零した。

 

 音にしない非難など、そよ風にもならない。そしてカスティエルなりに、あえて請う理由はあった。

 

 まだ天使であった頃から、ディーンは情事の名残をすぐ消しにシャワーを浴びに行っていた。それだけならまだしも、抜いてスッキリしたなら出て行け、と言われた事もある。

 

 様々な者の眼を掻い潜っての行為だった所為もあるが、やはりもう少し、せめて熱の余韻が残る間は傍に居て欲しい。

 

 女々しくもそんな意味を込めて頼んでみると、あっさり了承された。ただディーンにとっては、不本意な理由でだったが。

 

「……生憎、てめえがしこたま突っ込んでくれた所為で、動く気もおきねえよ」

 

 単純な経験の差から、セックスにおいては常に自分が主導権を握ってきた。故にこいつとのセックスで腰が立たないなんて、と心底悔しいのだ。怪我の所為にしたいが、それは相手も同じ。遣る瀬無さで俯くほどに落ち込んだ。

 

 カスティエルにとっては理解できないプライドなので、「そうか良かった」と胸をなで下ろす。

 

「良かねえ」

 

 ヒッピー気取りで女性を手篭にしているのに、そういう所は思考が働かないようだ。

 

「ったく、お前は昔からそうだったよ。一度許したらキリがねえ、盛りの付いたティーンエイジャーよりタチ悪い」

 

「褒め言葉として貰っておく」

 

「褒めてねえ。全然、これっぽちも褒めてねえ」

 

 体力さえあれば枕を押し付けてやりたい。人間の体なら呼吸困難になるから、少しは大人しくなるだろう。

 

「マジで、どんだけ会話噛み合わねえんだか」

 

 思えば最初から数えて噛み合う機会の方が少なかったので、もはや改善されることは無いと諦めた。

 

「疲れた」

 

 ディーンは半分床に落ちている毛布を拾って、体の上に被せる。暖房器具の無い部屋で裸のままは寒すぎる。そしてカスティエルから背を向けた。

 

「寝るのか」

 

「少しだけだ、すぐに起きてシャワーを浴びる」

 

 いくらなんでもこのまま安眠など出来ない。男の精液を収めたままどころか、油断すれば流れ落ち、腿を汚すのだから気持ちが悪い。

 

 朝から休みなく動き回り、一日の締めがこれなのだから、とりあえずは休みたかった。

 

「なら一緒に入ろう」

 

 名案とばかりの声に、「嫌だ」と即答した。

 

 シャワーブースが狭い上に、精液を掻き出す姿なんぞ見られてたまるかという心境だ。代わりに朝までと期限を設けた奴へ言いつける。

 

「俺が起こすまで、お前は寝とけ」

 

「君が明日を教えてくれるのか、面白いな」

 

 どんな夢をみようと、幻覚へ逃げようとも、目覚めて最初に見るのがディーンであれば、現実が一番素晴らしいものとなるだろう。

 

 なにが面白いのか、さっぱり理解出来ないディーンは、カスティエルを放って眼を閉じた。

 

「おやすみ、ディーン」

 

「ああ」

 

 言葉を交わすものの、沈黙がすなわち眠りの世界へ沈んだ合図とはならない。

 

 ディーンは地獄に堕ちて以来、眠るのを恐れるようになった。酒を煽ることで眠気を誘ってきていた。時折寝るのを放棄し、夜が過ぎるのを待つためにビールの空き瓶を増やしていた事もあった。

 

 今夜がどうかは分からない。

 

 カスティエルは、そっとディーンの髪に触れる。

 

 悪夢を消してやれないまま人へと堕ちた。もう己に出来るのは、こうして愛しさを隠さずに撫で、安らかな吐息となるのを静かに待つだけだ。

 

「よい夢を」

 

 

 

 

 それからの数ヶ月は、彼らにとってのささやかな蜜月とも言えるし、何も変わらない焦燥の日々とも言えた。

二人の立ち位置も第三者から見れば、何一つ変化はなかった。

 

 ディーンもカスティエルも、それぞれの形で女性と関係を持ち続け、お互いに呆れている毎日も恒例の事だった。

 

 あえて言うならば、誰にも見えぬ感情の変化。言葉を多様化する事や、態度に示す事をしない代わりに、セックスをした。

 

 溺れるような行為ではないが、それでも彼らの過去を顧みれば、埋めるに足りる蜜月と言える。

 

 だがディーンが欲して止まなかったコルトを手に入れた時から、事態は急速に進んでいった。

 

 2014年8月2日。

 

 ザカリアの策略により、この世界に飛ばされたディーンが、キャンプ・チタクワに現れたのだ。

 

 久方振りに聞いた、ザカリアという憎たらしい天使の名に、キャンプのリーダーであるディーンは、内心激しく動揺した。

 

 咄嗟に弟は死んだと嘘をついたが、すぐにそれは撤回した。ルシファーを倒しに行く激戦区に連れていくのだから、教えるしかない。そうしてまだ選択の余地がある自分へ、躊躇うなと告げる。

 

 ここと同じ世界を、わざわざ作り上げる必要など無いから。

 

 そして見届けろとも。

 

 夜の内に出発すると言った通り、二人のディーンが家を出る頃には、メンバーの準備は大方整っていた。リーダーとして各自に指示をし、キャンプに残るチャックと少し話をした。

 

 彼は躊躇いながらも「気を付けて」とだけ言った。

 

 カスティエルは先に彼と話はしたが、さして変わらないやり取りを交わしている。ただ同じ感情を共有している者同士、カスティエルとは、とても静かな会話だった。元預言者と元天使は、お互いに戦友のような気分でいた事を、語らずに感じ取っていた。

 

 そしてカスティエルのディーンに対する恋慕に対し、最後まで何も言わなかった。

 

 チャックと別れた後のカスティエルは、5年前のディーンを乗せる為にドアの前で立っていた。だが来たのは、現代のディーンだ。

 

「どうした、何か計画に変更でもあったのか」

 

「無い」

 

 なら、わざわざこちらに来る理由は何なのか。沈黙を保つことで返しを待っていると、一寸の間の後にディーンは口を開いた。 

 

「……どうして、今更俺が来る?」

 

 今更のタイミングの質問に、カスティエルは肩をすくめるしかない。とうに力を失った自分では、天界について答えられることなど、ほとんど無い。

 

「ザカリアは切り紙細工が好きだからな。可能性の残している彼に対し、視覚から攻めたかも」

 

 自分が知っている程度の情報を告げただけなのに、ディーンはあからさまに眉根を寄せた。

 

「……お前、今の笑えない」

 

「ん?」

 

 切り紙細工と言われ、かつてザカリアの力でベジタリアンなホワイトカラーにされた経緯を思い出したのだが、カスティエルはそこまで考えていない。

 

「いや、何にせよ、俺たちのやる事は変わらない」

 

 ザカリアの真意など、今更考えても仕方がない。計画を実行する為に動くのみだ。

 

 そのために気を引き締めなければいけないとし、ディーンはカスティエルに苦言を呈す。

 

「お前、浮かれすぎて足元を取られるなよ」

 

 何を指して浮かれるのか、あっさりバレていたカスティエルは、涼しい顔で聞き流す。

 

「浮かれるのは仕方ないだろ」

 

 バレるのは仕方がない。少し前に彼は堂々と言ってのけたのだ。5年前の君が好きなんだ、と。

 

「いいか……昔の俺に手を出すなよ」

 

「自分に嫉妬か、可愛いな」

 

「違う」

 

 ディーンの苦虫を噛み潰したような顔がおかしくて、思わず吹き出してしまう。これからクローツの棲み家といえる感染地区に出向くというのにだ。

 

「笑うな」

 

「リーダーが笑わせたんだ」

 

 一つ息をつき、ディーンの肩を軽く叩く。

 

「心配しなくても手を出したりしないさ、5年前の僕に嫉妬されたくないし」

 

「おい」

 

「ほら、そろそろ時間だ。行けよリーダー」

 

 揚げ足を取るなと声を荒らげるディーンへ愛想笑いをする。いつもなら逃げていると知りつつも舌打ち一つで別れたというのに、今回に限ってディーンは、中々動こうとはしなかった。

 

「……キャス……」

 

 躊躇いながらも呟かれる名前は、自惚れでもなく意味を持つ物として響いた。そして尚も言いたげな姿に、カスティエルは薄く口角を上げる。

 

「無謀で無頓着な計画に付き合ってやるんだ、ちゃんと終わらせてくれよ」

 

 少しおどけて見せる様は、何かを言いたげなのを知っていて言わせない意図の表れだ。

 

 ディーンはカスティエルの意思に添うべく頷いた。

 

「……ああ」

 

 言いたいこと、言わなければいけないこと、言わずにはいられないこと。

 

 それら全てを互いに飲み込み、言葉にする無意味さを選んだ。声にしてこなかった後悔など、もう散々してきたのだ。そして過ぎ去った。

 

 終を告げる時間が差し迫る今や、何を語る必要があるのか。この息のかかる距離が離れ難く、惜しいと思える愛しさで十分だった。

 

 車で移動中、カスティエルは興奮剤を齧りながら、5年前のディーンに己の現状を説明した。

 

 羽をもがれ、終末と踊る現実を。

 

 過去の彼にとって天使の成れの果ては、それなりに衝撃だったようだ。自身を落ち着けるように、言葉を選んでいる所がそれを証明している。

 

 やはり薬を摂取しなければ、今のカスティエルには眩しすぎる男だった。

 

 聞かれることには答えていったが、やがて会話は途切れた。このまま目的地まで過ごすのも、それはそれで寂しいと思っていた矢先のこと。

 

 助手席に座っている過去のディーンが、ため息をついた。

 

「……お前も、随分と嘘つきになったんだな」

 

「そうだな……」

 

 適当に相槌を打てば、相手は体を半分運転席に向ける。

 

「俺が知っているキャスとは違う。だから俺自身がつく嘘以上に、お前は分かりやすい」

 

 ハッキリした物言いに、思わず懐かしさがこみ上げる。

 

「少ししか会ってないけど分かるぞ、俺に、あのディーンに何を隠している。そんなんで戦いに行って良いのかよ」

 

 なんのてらいもない、真っ直ぐな尋問は、思わず声に出して笑いたくなるものだった。

 

 確かに彼は、昔のディーンで間違いない。かつてミカエルの器にさせるべく軟禁していた場所で、正しいことをしろと告げた彼に相違なかった。

 

 元より分かっていたことだが、ほとほと自分はディーンに甘い。そう聞かれては、答えるしかない気分にさせられる。

 

「……僕は君たちが思っている以上に、酷い奴って事さ」

 

 前方の車とバックミラーに見える車を見てから、最後にチラリと助手席を横目に答える。

 

「どういう意味だ」

 

「そのままさ」

 

 まさか二度も懺悔する羽目になるとは思わなかったな、と他人事のように心中呟く。

 

 数か月前に洗いざらい告白したというのに、まだこうして本心の断片を残している。

 

「僕は今も昔も、君に嘘はついていない。ただそうだな、自覚し始めた時から、それを隠してはいた」

 

 いつ自覚したかは、さすがに覚えてないけど、と付け加える。

 

「君に言うのは気がひけるが、まあ良いさ。……僕は、ディーンの孤独が愛しいんだ、とてもね……」

 

 孤独という言葉に、ぴくりと過去のディーンが反応をする。

 

「安心しろ、5年前の僕は抱いちゃいないから。あくまで2014年の、今の僕だよ」

 

この感情はもはや病気だ。彼の傍に居続けたいが為に自傷行為を繰り返した副作用だと思っている。

 

「ディーンがどれだけ傷つこうと、泣き、叫び、苦しみのたうち回ろうと。罪と後悔の嵐に放り込まれていようとだ。彼がこの地で生きて立っているから、僕は今も幸せでいられる」

 

 ディーンは驚愕で僅かに眼を見開くと、痛ましげに目を細める。

 

「……随分クレイジーな奴になったもんだ」

 

 カスティエルは呑気にも、同一人物とはいえ、やはり過ごした年数の違いを感じ取る。

 

 おそらく同じ事を今のディーンに告げたら、違う表情で言葉を返すだろう。どちらにせよ呆れられるのは目に見えているが。

 

 だからこそ過去の彼には、知って欲しかったのかもしれない。

 

「クレイジーね、愛する者への独占欲なんてそんなもんだと思うけど」

 

「てめえが愛だとか独占欲だとかを平気で口にするんだ、確かにこの世の終わりかもな」

 

「素敵だろ」

 

 締まりのない顔で口角を上げると、ディーンは視線を反らせてしまった。

 

 やれやれと肩を諌めてから、「ディーン、僕からも聞きたい事があるんだ」と今度はカスティエルから声をかけた。

 

 ディーンは無言で運転手に対し、少しだけ首を傾ける。

 

 ザカリアの策略だとしても、彼がここに居る事に意味がある筈だ。

 

「なあ、この世界は本当に、この世の終わりか?」

 

 カスティエルは時折、自分に問いかけてきた。天が見放した、ミカエルが降り立たない世界。けれどルシファーは存在し、絶望の色を濃く染め上げる。

 

 悪魔も天使も知らぬ者は、ただただクロアトアンウイルスに怯え、同じ人類であったクローツを殺し、時に感染者以外からも搾取して生き残ろうと足掻く。

 

 娯楽を失い経済は破綻。明日は我が身かと祈る事すら諦めるような世界。これが世の終わりではないと誰が言える。

だが自問自答してきたカスティエルの答えは、何よりも世界が示していた。

 

 この世界は本当に、この世の終わりか?

 

「僕にとっては、彼を心のままに愛せる世界だ」

 

「キャス……」

 

 幸福な自己満足に酔いしれる笑顔は、過去のディーンにとって全く知らない物だった。

 

「この幸せは僕だけの物だ。確かに地上は苦しみと後悔だらけで象られている。けどここまで堕ちたから得られた、絶対唯一の安らぎだ」

 

 孤独が愛しいと述べた、先ほどの告白より格段にタチが悪い。ディーンは内心愚痴る。

 

 押し黙る相手を一瞥した後、カスティエルは言葉を続ける。

 

「だから見届けて欲しい」

 

「……ミカエルの器になる為にか」

 

 皮肉を込めて聞き返すと、「違う」と否定した。

 

「それは二〇〇九年の君が選ぶことだ、今の僕には関係ない。ザカリアやディーンが何を君に言ったかは知らないけど、僕はそうじゃない。見届けるのは」

 

 そう言いかけて一度口を閉じる。前の車が止まったからだ。続けてカスティエルも車を停止させた。

 

「着いたな」

 

 次々と車から降りる姿を視認し、二人も車から出る。

 

「ディーン、君にはこの世界が、どんな風に見える?」

 

 車の天井部分、ルーフ越しに交わされた視線を、カスティエルは満足げに眺め、今の彼らしい片笑みを浮かべる。

 

「それを見届けて欲しいんだよ」

 

 答えの聞く機会などない事を知っていても、彼は問う。

 

 

 

 

 5年前の世界から飛ばされたディーンは走った。

 

 目的地の途中では、建物内で激しい銃撃戦が行われていた。そこで起きた出来事を目の当たりにし、夢中でディーンは走る。

 

 間に合わないかもしれない。それでも走った。どこを目指せばたどり着くのか分からないまま走るも、間違った場所ではないと、どこかで確信していた。

 

 彼が目指す場所では、サムを器としたルシファーがディーンの体を容赦なく足蹴にし、力なく転がる姿を侮蔑の眼差しで見下ろしていた。

 

「ようやくその醜い存在を永遠に消しされる」

 

 ルシファーを倒す為にと手に入れたコルトは、対峙した早々に、無用の長物と化した。今は無造作に捨てられ、時折ディーンの、視界の片隅に収められる程度だ。

 

 受けた痛みを少しでも緩和しようと背を丸め、短い呼吸をする。ルシファーはその呼吸する音が耳に届くのも忌々しく、ディーンの首を踏みつけて器官を塞ぐ。

 

「ぁ、っが……!」

 

「最後によく見ておけ、貴様が選ばなかった世界をな」

 

 天使にとって過去形ではあるが、この惑星は悪魔を倒し、荒れた地上を楽園に作り替える舞台だった。 

 

 悪魔にとっては現在進行系で広がる理想郷。だがルシファー自身にとっては、ミカエルと相対することが叶わなかった、寂寥の地。

 

 全ては自己犠牲の好きな男が、自分可愛さに選んだ世界。

 

「そう、か……」

 

 気道が狭く、くぐもった声ながらも頷いた。ルシファーの言葉にではない、かつてカスティエルが告解した意味を、今更ながらに知らしめられたからだ。

 

「俺は、選んだぜ……」

 

 確かにとんだ自己満足だ、と自分に笑う。

 

「……たった一人を、選んだ代償だっていう、なら……構わねえよ……」

 

 選んだのは我が身が可愛い己ではなく、地上に堕ちた愚かな盲目者。

 

 手を伸ばしても届かないのなら、手が届く場所まで行けば良い。そんな単純な理念で傍に居続けた。

 

 ディーンは、かつて福音として聞かされた、舞台の脚本を顧みる。

 

 終末を始めた正しきものが、戦を止めて終わらせる。

 

 運命と名ばかりの予言は、ただの呪縛だった。預言者ですら操り人形でしか無い舞台。

 

 しかし誰かの傀儡となる糸であった呪いも、見方を変えれば自分の判断を放棄してきた成れの果てとも取れる。

 

 糸は、本当に他人の手の中なのか。

 

 傀儡師が脚本を仕立て、使役する為の糸としてペンを走らせてきた世界。脚本家が放棄したなら、ペンを持つ手を変えれば良い。

 

 使役は、糸を付けられた者であっても構わないのだ。

 

 正しき者なんて思ってなどいない。だが確かに最初の封印を破り、終末を始めた根源であるのは揺らぎようのない事実。

 

 仕向けられた行為には呪われても、屈した心は自分の意思の弱さでしかないと、かつてディーンは涙を流した。

 

 そうして悔恨の日々を生き抗ってきた自分が、彼らが紡いだ福音を逆手に取るのだ。

 

「始めた、のが、俺なら……」

 

 止めることが、投げ出された脚本の後始末だとしても。

 

「終わらせるのも……俺だ」

 

 要は、誰にとって都合の良い結末にするかという事。

 

 そうだろ?

 

 視線は、ルシファーへ。次に、逸る心そのままに、こちらに向かって地面を蹴っていた音が止んだ、第三者という過去の自分に。

 

 視線が交差した気がしたが、実際にどうかは分からない。けれど彼は全身で伝えていた。

 

 嘘ばかりの人生だったくせに、大事なもの程、嘘が下手になる。

 

 馬鹿だな、お前。

 

 思わず声に乗せそうになるほどの、馬鹿正直な顔を、過去のディーンは晒していた。

 

 嘘を付く自分の顔を散々見てきたっていうのなら、俺も同じだ。分かったよ、だから、そんなバカ正直なツラ晒すんじゃねえよ。おかげで俺の未練はなくなっちまった。

 

 彼の心情を知らないルシファーは、この状況で笑える男を心底忌むべき対象として見下ろす。ディーンの首を踏んでいた足に力を込めるのに、躊躇いなど微塵も無い。

 

 ディーンには本当にひとかけらも、弟の心が無くなったのか、最後まで分からなかった。自分がこの瞬間まで生きるために、一縷の望みを捨てたくなかっただけかもしれない。

 

 少なくとも弟の体に介されて死ぬのなら、これはやはり選択した末路なのだとした。

 

 弟の為に命を捧げる。その事実だけは変わらないが、心情は弟と袂を分かれた時よりも穏やかだった。

 

 彼は、とても不条理で利己的な、ただ一人に愛されるという無条件の幸福の中に居る。

 

 彼の心は誰にも理解出来ない。また、誰にも理解を求めてなどいなかった。

ルシファーは至極冷めた眼差しで、己が望む器という形に成らなかった獣の命を、息を吐く程度の力で奪った。

 

 ゴキッという首の骨が折れた音が、傍観者として呼ばれた、ミカエルの器になる可能性を持った男の耳に響いた。

命が消える瞬間、ディーンは笑っていた。

 

 一つの未来である、ここへ来た男が、それを証明している。

 

 彼は、あの時のカスティエルと同じ笑顔だったと。

 

 

 なあ、この世界は本当に、この世の終わりか?

 

 僕にとっては、彼を心のままに愛せる世界だ。

 

 

 

 

―甘き喜びのうちに。


 
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