No.509833

相良良晴の帰還18話前編

D5ローさん

生存報告&更新です。人事異動で身動きが取れませんでした。待たせてしまって本当に申し訳ありません。

2012-11-18 22:13:01 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:20532   閲覧ユーザー数:17260

 病んだ信奈による長秀と良晴の詰問会の翌朝、後二日程度で接敵する今川軍への対策会議が行われた。

 

 とはいっても、流石に大筋は決めてある。

 

 『桶狭間』という谷に今川軍をおびき寄せ、そこに奇襲をかけるというオーソドックスな奇襲である。

 

 そう、戦闘行為そのもの(・・・・・・・・)は。

 

 織田信奈、相良良晴、斎藤道三、竹中半兵衛。

 希代の策士達が四人も揃っているのに、何も仕掛けない訳がなかった。

 

 まず四人が目をつけたのは、今川軍の下についている松平軍である。

 美濃の領主時代に道三が手にいれた情報と、良晴がここ数日で川並衆を用いて調べた情報により、松平家領主である元康率いる軍勢が、今川軍に使われている―――つまり従属的支配を受けており、尚且つ、あまり仲がよろしくない事は調べがついていた。

 

(良晴は桶狭間を前世で経験しているが、人間関係や配置等が同様だという保証が全くないため、前世での記憶は参考にせず、全て調べ直している。)

 

 そして、信奈に確認した所、かつて尾張にて元康を預かっていたことがあることも調べがついていた。

 

 そこで、まずは松平軍を桶狭間での戦闘前に今川軍から引き離すことにした。

 

 はじめに、良晴が川並衆を用いて、元康の元々の領地である三河で、信奈は道三と同盟を結んでおり、今川軍が来る際には、尾張の兵と共に、美濃の兵も従軍するらしいという噂を流させた。

 

 そして、道三にそのような噂を流した旨を伝え、美濃側からも同様の噂が流れるように仕向けた。

 

 そうすると当然武家の諜報機関である忍び達―――松平家でいうなら服部半蔵達は地元で突如現れたその噂の事実関係を確認すべく動かざるをえないのだが……

 

 当然、川並衆も道三配下の忍びも情報を取らせないよう動く。そう、良晴と道三が頻繁に手紙のやりとりをしている等の、こちらに都合の良い事実(・・・・・・・・・・・)を除いて。

 

 ちなみに、この時点で確信できるレベルで斎藤親子の不和の情報が松平家の手に渡ることはない。(両派閥共に、他国にその情報を渡すメリットが皆無であるため)

 

 そうなると当然、入ってくる情報を全て鵜呑みにはしないものの、元康たちは不安になっていく。

 

 当たり前である、なんせ自分達は、今川軍に使われる立場なのだから。

 

 弱い立場にある松平家家臣達は、尾張との戦だけでもその力関係から矢面に立たされ大きな被害を受けるのが目に見えているのに、ここで美濃の軍勢まで来られたら、確実に壊滅してしまう。

 

 今後、今川家の支配から抜けられたとしても松平家が独立するという芽は無くなってしまうだろう。

 

 どうにかして、その危機から脱出しなければならない。

 

 そこで出てくるのが、面識のある信奈である。

 

 侵略してくる『敵』はあくまでも今川家であり、松平家を悪く思ってはいない。もしそちらもそう思ってくれるなら、今川軍にバレずに被害を出さないで済む方法があると信奈が頃合いを見計らい、元康に手紙を送る。

 

 さながら、地獄に垂らされた蜘蛛の糸のように。 

 

 当然、元康は乗ってくる。そもそも、正直に言えば今川軍が勝とうが負けようが松平家にメリットはほとんど無い戦なのである。お情けのように与えられる褒賞より、味方の犠牲を減らす策に乗る方を選んでも無理は無かった。

 

 そこで信奈は、桶狭間の直前にある砦を八百長で無血開城してあげるから、後方ににらみを利かせる等理由をつけてその砦を攻めるふりをして今川軍から外れるよう指示。これに同意させた。

 

 これで、本来松平軍と交戦した際に出るはずだった被害はゼロになる。

 

 さらに、戦後の混乱期に三河での独立を許す代わりに、同盟を結ぶように命じた。これは勿論、戦後に起こるであろう美濃の内乱に備えてのことである。

 

 このような策が可能なのは、幼少時に知己があり、力関係が上である信奈ならではの策であった。

 

 実際、『了解しました! 吉姉様』と即座に密書で返事が返ってきた。

 

 ……流石信奈である。

 

 信奈に鼻高々に見せられた元康との手紙の詳しい文面は、両者のためにあえて書かないが、力関係が一目でわかる事だけは保証する。

 さて、こうして松平軍は今川軍と分断したが、当然、未だに今川軍の方が圧倒的に数の上では有利である。

 

 そこで、強制的に減ってもらう(・・・・・・・・・・)事にした。

 

 一つ例を挙げると、直近の策として、女装した信澄率いる村娘達が今晩酒を振る舞いに陣地に赴くものがある。

 

 当然、その際に、最初の1、2杯を飲ませた後、返杯を受けることで毒が入っていない事をアピールし、その後で皆に配る『器』の1割程度に川並衆お手製の睡眠薬を塗っておくことで、粗方の者達を酔わせるという手筈である。

 

 さらに策は練りこまれる。

 

 「何か意見はある?」

 

 そう問いかける信奈の声に呼応するかのように……

 

 スッと上座近くから手が上がる。

 

 「ふむ、今川家当主の今川義元の処遇の件なんじゃが、生かしておいた方が良いぞ。」

 

 「……詳しく聞かせて貰える?」

 

 信奈の返答にうむと一つうなずき、道三は内々に調査した内容を明かす。

 

 実はワシの小姓に明智光秀という、才女がおってのう。先日、京都の足利家から要請を受けて貸しとったんじゃが、どうやら足利当代、暗殺されかけて、明に逃げたらしい。

 

 ざわり、と周囲がにわかに騒がしくなる。それも当然、なんせ武力を失ったとはいえ、武家の棟梁としての権威は残っている。

 

 それがよりによって外国へ高飛びという大事件に感心が集まるのは無理なからぬ事であった。

 

 「……デアルカ。で、それが今川義元の存命とどう関わるの?」

 

 眉一つ動かさずに、信奈は先を促した。戦国時代を他者よりシビアに見つめる信奈は、将軍逃亡という大事件にも、たいして問題だと思っていなかった。

 

 むしろ、問題となるのは、その後である。

 

 将軍職を継ぐ正当な血筋が日本に居なくなった今、戦国時代がさらに激化するのは容易に想像できる。そんな中で無駄な動きをしている暇など一切なかった。

 

 そんな中、道三の提案はそこまでの価値はあるのかと暗に示した。

 

 「当然じゃな。」

 

 ニッと笑いながら、道三はその腹案を口にした。

 

 「簡単な話じゃ。京にのぼる際、旗頭があった方が便利じゃろう?」

 

 まるで試すように問いかける道三に対し、信奈は数十秒の黙考の後、笑みと共に頷いた。

 

 「そういうことね。やるじゃない。流石『蝮』ってとこかしら」

 

 後ろでは、同様に良晴、半兵衛、長秀の三人がウンウンと理解を示す頷きを返した。

 

 「……すみません、信奈さま。詳しく教えて頂けませんか」

 

 そんな中、恐る恐る勝家が手を上げた。

 

 横に座る良晴にこっそり聞いても良かったのだが、流石の勝家も、昨日のやりとりで、信奈が良晴に(理由は分からないが)固執していることは感づいていた。

 

 そのため、何でもかんでも良晴に尋ねて良晴に注目がいくような事は避けたかったのである。

 

 信奈も別に謎解きをしている訳ではないため、あっさりと答えを返した。

 

 「簡単よ。我々の野望……天下統一を果たすためには、まずは京へのぼらなければならない。そのためのとりあえずの理由として、『源氏の血を引く名門今川義元を旗頭に、新将軍の下で日本に平和をもたらすために』ってうそぶいておけば、有象無象の者逹からの要らぬちょっかいを回避できるってことよ。」

 

 所々で、『おお、なるほど』と納得の声がする。

 

 どうやら勝家以外にもまだ分かっていなかった者達がおり、今やっと理解したらしい。

 

 だが当の勝家は未だに首を捻っていた。

 

 本当に、戦闘以外は残念な子である。このままでは話が進まないため、ため息一つついて良晴が更に噛み砕いて説明した。

 

 「人様の家に行くときに手土産を持っていった方が喜ばれるだろ。大体そんな感じだ。」

 

 かみ砕き過ぎである。

 

 しかし勝家はようやくこのレベルで分かったらしく、なるほどようやく解ったとうなずき安堵の息をついていた。

 

 「六。」

 

 「ん、何万千代?」

 

 「……後でじぃーっくりと勉学の時間を設けますので、逃げないで下さいね。」

 

 「えぇー、ちょっまっ万千代ぉ〜」

 

 情けない顔で勝家が泣き言を口にするが、長秀は黙殺した。

 

 良晴や柴田家の面々も、流石に返す言葉もなく、涙目で向けられる視線から、さっと目を逸らした。

 

 いくら織田家随一の武芸者とはいえ、限度がある。いくら庇いたくても、ここまでアホだと限度があった。

 

 「六の再教育については万千代と良晴に責任持って指導してもらうとして、何か他に意見はある?」

 

 部将の一人が恐る恐る手を挙げた。

 

 「出来る事なら正々堂々刃を交わしたい所じゃが、相手の数が数じゃ、奇襲や薬物を使った策に文句は言いませぬ。逆に睡眠薬を塗った器というのはもう少し数を増やせませんか?半兵衛殿」

 

 彼らとて武士、非道な策には従わぬし、卑怯な手も避けたい気持ちはあるが、最優先事項が尾張の民の安全と分らぬほど愚かでもなかった。そのため、半兵衛が提案した酒盛りの策は大方の部将から賛同を得ることができた。

 

 だが、それゆえに、『どうせやるなら……』という気持ちもあり、仕掛ける対象が少なすぎると、今意見を述べた家臣を含め多くの者たちが思っていた。

 

 勿論、半兵衛も何も考えずにこの策を提案した訳ではない。

 

 「そ、そのお考えはもっともだと思いますが、一服盛る系統の策は、その対象が多ければ多いほど隠せなくなります。一定数以上の者たちが次々と倒れてゆけば、信澄様率いる囮の部隊が毒を盛ったという嫌疑をかけられ、危険に晒されましょう」

 

 それに、この策で大切なのは眠りこける人たちがいる酒盛り……という状況を作り出すことなのですと半兵衛は続けた。

 

 「眠りこける幾人かを見て、多くの人たちはこう思うはずです、『この状況なら、自分が寝ても大して咎められないんじゃないか』と。そうやってこっそり疲れた体を休めるための『眠れる状況』を作るのがこの作戦のキモなのです」

 

 極端な話をすれば、自分が疲れていて居眠りをしたい場合、全員起きている集団と、見回すとぽつぽつ寝ている人がいる集団、『どちらが寝やすい?』ということである。

 

 それを聞き皆が感嘆の声をあげた。

 

 ちらほらと、ちっこくてめんこい女の子というだけだと思ったが、流石信奈様が他国から引き抜いてきただけある……という賛辞も聞こえてくる。

 

 半兵衛はその言葉にくすぐったそうに身をよじりながら、そっと良晴を横目で見た。

 

 私の策と、良晴さんが行ってくれていた(・・・・・・・・・・・・・)策を合わせれば、たとえ弱兵と呼ばれている尾張兵でも十二分に戦えるはず……

 

 そして議題は、一番重要な現在の今川義元の話に移った。

 

 その事については……と、良晴が手をあげる。

 

 信奈は何も言わず、あごを動かして話を促した。

 

 「それでは簡単に説明させて頂きます。先ほど申し上げた信澄殿率いる酒盛り部隊から気持ちよくお酒を飲んでいただけるように、誘い込む場所として予定している通称『桶狭間』をここで戦の前祝いをすると良いことが起きる、という『いわく』つきの谷にしました。……数日前から」

 

 尾張の武将が集まった会議であるため、信奈に苦笑されながら、良晴はやや固い口調で話した。

 

 「ぷっ、それで今川義元はひっかかちゃったの?」

 

 吹き出しながら言われたその問いに、良晴はややげんなりとした顔で答えた。

 

 他の者達の中にも耐え切れず吹き出す声や背を震わせて笑うのを我慢するものが続出している。

 

 良晴もその気持ちはよく分かる。やや大規模に噂を広めたり、『ここだけの話』等と広め方に気は使ったが、良晴自身もまさかこの策では引っかからんだろう……と思った矢先でのこの結果に、安堵よりも先に、呆れた。

 

 「ええ、こっちとしては手始めのつもりで流した噂だったんですが……総数二万五千という兵力は想像以上に油断を生んでるようです」

 

 配下の者に見張らせていますが、疑うことなく今川義元は順調に谷まで向かっています。

 

 さらに、良晴は兵の配置にまで言及した。

 

 「柴田家を筆頭に、複数の武家に協力頂いた兵力の分断の策が機能し、現在、今川義元の周囲にいる兵は五千ほどに減っています」

 

 これは嫁の実家である柴田家や他の武家の評価を上げるために、先日行った今川軍に供給される『塩』を減らす策に彼らを巻き込み、共同で行ったという形にしてあげた際の嬉しい誤算であった。

 

 地元に根付いた彼らは交渉役として優れており、信奈の威光が通じにくい旧反信奈派の領地の村からも協力を取り付けることに成功。結果として今川軍は、必要物資の供給に難儀することとなった。

 

 それはどのような結果を引き起こすか。

 

 結論としては、最大の強みである大兵力を一塊で運用することが出来なくなる。

 

 遠征軍として塩の備蓄はある程度はしているものの、当然限度はある。

 

 度重なる塩の売りしぶりによる備蓄の消費は、流石に無視できない量になっていた。

 

 だが、無い物ねだりはできないし、塩の全軍供給分が賄えるまで軍を停止させれば、さらにその費用が倍増するだけである。

 

 用意するまでの日数の多寡により、一日当たりの塩の必要量が減ったりはしないのだから当然であった。

 

 そして、無駄に行軍に時間をかけて戦費が増大すれば、たとえ名門今川家といえども、その戦費によりその財政に大きなダメージがいってしまう事も又、明らかであった。

 

 その結果、今川軍は、二つの運用法の、どちらかを選ばざるを得なくなってしまった。

 

 一つは、軍をいくつかの集団にに分け、集合地点まで別々のルートを通ることで塩の需要を賄うという方法。

 

 もう一つは、蛇のように細く長く軍を伸ばし、補給ができたものから順に前に進んでいくという方法である。

 

 そこで今川軍が選んだのは前者であった。

 

 このこと自体は決して間違いではない。分けるとはいってもそこまで広範囲に散らばるわけでもないし、軍の横っ腹を突かれて大きな損害を得る事を防ぐという意味では、後者の方法よりもよほど優れていた。

 

 そう、織田軍の狙いが籠城による長期戦等(・・・・・・・・・)のまっとうな策であれば、問題はなかった。

 

 しかし、織田軍が狙うのは奇襲による短期決戦(・・・・・・・・・)であった。

 

 その認識と実際の誤差がどのような結果をもたらすのか……

 

 そう、少数の兵力しか無い織田軍の勝つ唯一の道、奇襲による今川義元の奪取の格好の機の誕生である。

 

 そう、良晴が話をまとめた後、最後に信奈は勢いよく立ち上がり、そして言った。

 

 人事は尽くした。

 

 後は戦場で運命を切り開くのみ。

 

 その言葉を号令とし、信奈を中心とした尾張軍は、三千の兵を率い、桶狭間(と通称される)谷を見渡せる場所へと歩を進めた。

 

                       ※※※

 

 早々に到着をした織田軍は、監視として残る数名を除き、今川軍の進行方向とは逆の位置へ布陣。今川軍が宴を始めてから一刻ほど待ち、襲撃をすることとなった。

 

 少数だが、布陣として……

 右翼に勝家、犬千代の二名を筆頭に騎馬隊を中心に千人

 

 左翼には道三と半兵衛を中心に千人

 

 中央に良晴と長秀を中心とした残り千人という編成となっている。

 

 信奈については当初自ら切り込む予定となっていたものの、無理をして前線に上がらなくとも、この編成では問題がないと判断。

 

 中央の軍のやや後方に陣取り、後詰めとして待機してもらうこととなった。

 

 なお、それ以外の面子の編成の決め方としては、右翼軍は勝家が単騎で切り込みたがることが多いため、宥められ、尚且つ、随伴の足軽として優秀な犬千代が共に入る形の編成とし……

 

 右翼は半兵衛を生かす為に、その真価が分かる道三を上に置き、下は良晴が金で雇った兵と、こっそり半兵衛が実家から借りてきた兵を据えた。

 

 残った中央は、尾張の軍勢を掌握するために古株の長秀と、ある程度尾張内で実力が知られている良晴を置く形となった。

 

 編成が固まると、後は待つばかりである。

 

 遠目から分かるような行為は控えつつ、各々待機し、後は機を待つばかりとなった。

 

 良晴もとある行為(・・・・・)を行って貰うよう全軍に通達した後は、自身の装備である防具と二振りの刀を万全の状態にするため、整備をし始めた。

 

 そして準備を終えると、少しでもより体を休められる所を探すために視線をさ迷わせた。

 

 すると、視線の先に、雨のためか傾いてしまった地蔵様を見つけた。

 

 そっと歩みより、その小さな地蔵を真っ直ぐに立ててあげていたところ……

 

 足音を立てぬよう気をつけながら、長秀が近づいてきた。

 

 先日の謝罪とこの作戦の最終的な詰めについて話すために近づいた長秀は、良晴が地蔵を丁寧に立たせ、布切れで拭いていることに気付き、不思議に思った。

 

 「意外ですね、姫様の話だと、迷信は信じないという話でしたが」

 

 「ああ、人の命を捧げさせるような悪い神様は嫌いだし、信じねえよ。けどな……」

 

 辛いときに、支えてくれる存在ってもんまで否定はしねえよ。

 

 慈しむように地蔵を磨きながら良晴はそう長秀に言った。

 

 普段の隙のない様子は影を潜め、純朴そうな顔で言う言葉に長秀はきょとんとした。

 

 横目に見えるその様子に苦笑しながら地蔵を綺麗にし終えた良晴は、くるりと長秀の方向へ体をむけた。

 

 「意外か?」

 

 「ええ、それだけの実力をお持ちですので、困難なんて全て自分の力だけで解決していると思ってました。」

 

 頷き、歯に衣着せぬ率直な意見を言う長秀に笑みを浮かべながら、良晴は長秀の過大評価を否定した。

 

 「そんな大層な存在じゃねえよ。人死なせて泣いたり、殺して吐いたりしたことも何十回もあるしな。」

 

 立ち直れないくらい心折れちまったこともある。

 

 調子の良い口調とは裏腹にひどく真面目な顔でそう語る良晴に、長秀はどきりとした。

 

 確かな経験に裏打ちされた言葉……言うなればある種の『深さ』を持った言葉が、長秀の心の琴線をそっと鳴らした。

 

 「それで貴方はどうされたのですか?……やはり、巷ではよくある女性に慰めてもらって立ち直ったとかですか。」

 

 けれども彼女はそれを素直に受け止めない(・・・・・・・・・)

 

 若くして要職につき、様々な折衝を任されてきた長秀は、その多忙な日常の中で、そういった心の動きを抑制する事に秀でてしまった為である。

 

 側室の多さを皮肉ったその問いかけに、良晴は静かに首を振ってこう言った。

 

 いや、お伽噺さ。

 

 そして、良晴は語った。

 

 かつて全てを失った自分に魂を入れてくれたモノ……

 

 一人の僧が教えてくれた、小さな龍の物語を。

 

                     ※※※

 

 かつて、良晴が信奈と光秀を亡くした直後……

 

 敵(かたき)である『鬼』を討ち、中国地方の毛利軍の軍勢を押し返した後、彼は、『生ける屍』と化した。

 

 愛する人であり、敬愛する主君であった信奈と、共に世界という視点でモノを見ることのでき、そして自分のような軟弱者を慕ってくれた光秀を失った彼の心の傷は、彼の心を元の形も分からぬほどに粉々に砕いていたのだ。

 

 さらに不幸にも、そのころ彼を導けるような年配の武将は彼の下にはおらず、彼はただただ、二人の墓参りを毎日行い続けていた。

 

 関東から流れ着いた、隻腕隻眼の僧と出会う前は。

 

 彼と初めて話をしたのは、十数回目の墓参りを終えた時だった。

 

 いつの間にか良晴の背後に現れた彼は、ぼそりと呟くように、良晴に問いかけた。

 

 「坊主、墓参りばかりしとるが、仕事はええんか」

 

 その言葉に、確か自分は、泣き笑いのような表情でこういった……

 

 もういいんだ……と。

 

 その言葉を聞いた彼は、その返答を、叱るのでも憐れむのでもなくこう返した。

 

 「そうか、なら一つ、わしの説法を聞いていかんかね」

 

 いきなりの問いかけに困惑する良晴を尻目に、彼は良晴を寺の中まで案内すると、一つの昔話を披露した。

 

 『その昔、印旛地方で日照りが続き村人は大変苦しんでいた。そこで聖武天皇の命により龍閣寺の釈命上人が印旛沼に船を漕ぎ出し沼の真ん中に出て、命がけで龍神様に雨乞いの祈祷をした。印旛沼には小さな龍が住んでいて、願いを聞いた沼の小龍は龍王に殺されるのを覚悟で天に昇り、暮れゆく空の中に姿を消した。真黒な雲が舞い上り大粒の雨が落ちてきて、だんだんが激しくなり7日7晩降り続き、ひび割れしていた田も枯れ草同様の畑の作物も生き返ったという。

 

 そして、7日目、ものすごい雷光と天も地もふっ飛ぶような雷鳴がとどろき渡り、三つに裂けた龍の姿が村人たち目に入った。心優しい小龍は龍王の言い付けに逆らって村人のために雨を降らせたので、斬られて三つになって落ちたのである。

 

 村人たちは三つに裂かれた龍の体を捜しに出かけた。二本の角のついた頭は栄町安食に、腹は本埜に、尾はどういうわけか、はるか東南の匝瑳市大寺に落ちていたのが見つかった。変わり果てた龍を見つけた村人たちは、龍の冥福を祈りそれぞれの地で供養することにしたそうである。角のついた頭は石の唐櫃に納めて龍閣寺の堂前に埋め、腹は本埜の地蔵堂に納め、尾は大寺の寺に納め、龍角寺、龍腹寺、龍尾寺がそれぞれ寺の名前になったと伝えられている。』

 

≪『印旛沼の竜伝承』の一説より抜粋≫

 

 話を終えると、彼はにっこり笑って良晴にこう問いかけた。

 

 「それではお侍さんに二つほど謎かけをしよう。」

 

 そして、こほんと咳払いを一つはさむと、先ほどとは打って変わって、真剣な面持ちでこう言った。

 

 「問い一、小龍は敗北したか否か?」

 

 その問いに良晴は最初こう答えた。

 

 「負けた……んだろ。体をずたずたに引き裂かれてしまったんだから。」

 

 その問いに彼は大きくかぶりを振った。

 

 そして姿勢を正すと、静かにこう、言った。

 

 「違う。彼は勝ったのだ。何故なら……」

 

 彼は龍王に身を引き裂かれながらも、愛する人々に指一本触れさせなかったのだから。

 

 ……ぽたり 

 

 知らず、涙が溢れた。

 

 高潔なその小龍に対して今の自分はなんて無様なのか。

 

 気づけば初対面である僧に、今までの彼の人生を吐露していた。

 

 彼はこの時代より遥か未来から来たこと。

 

 ひょんな事から織田軍に入り、そして織田信奈という終生の主に出会ったこと。

 

 未来の歴史で、謀反を起こしたと言われている明智光秀と出会い、最初は謀反をさせないため、最後は愛する故に共にその下で働いていたこと。

 

 主君、信奈とも、戦乱のさなかその絆を深め、愛しあったこと。

 

 そして、自らの弱さと愚かさですべて失った事。

 

 荒唐無稽と笑われるのを承知でその全てを吐露し、泣き崩れる良晴に、彼は、ただ一言こう言った。

 

 まだ、負けてはおらぬ……と。

 

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、彼は子供にするように頭を撫でながら、言った。

 

 「『負ける』というのは、運命に屈服しきってしまう(・・・・・・・・・・・・)事を指す。確かに今のお主は、愛する人を奪われ、主という道標を無くしてしまい、どう動いて良いか分からぬやもしれん」

 

 じゃがの……そう言って彼は、良晴の重ねていた両手の上に、自分の手を乗せた。

 

 「お主自身に問おう(・・・・・・・・)。お主の心の中に、一片たりとも、『龍王』という『運命』に抗う気持ちは残っていないのかね(・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 ……じっと手を見た。

 

 そして今まで彼が無様に……けれども一生懸命に生きた人生を思い返す。

 

 ……それは、すべて無駄だった?

 

 ………違う!

 

 今まで入らなかった力が、こもった。

 

 『運命』に潰され、堕ちかけた彼は、再び立ち上がった。

 

                      ※※※

 

 細部をぼかしながらも、その話を終えた良晴は、きびすを返すと、背中越しにこう言った。

 

 「そろそろ時間だ。配置につかなければ」

 

 「待って!」

 

 その肩を長秀は慌てるようにつかんだ。

 

 不思議そうに良晴が振り向く。

 

 「そ、その……」

 

 呼び止めたにもかかわらず、長秀は混乱していた。

 

 (あれなんで私こんな混乱してるんだろ別に元の恋人の話を聞いている今の恋人でもあるまいしというか別に良晴は私のものでも無いし……)

 

 頭の中のごちゃっごちゃがまとまらない中、長秀はとっさにこう尋ねた。

 

 「そ、そのお坊さんのもう一つの問いかけって何なんでしょうか?」

 

 口にした後、速攻後悔した。

 

 相手のトラウマ話をほじくり返すとか、0点以下というかマイナス100点ですと真っ赤になった長秀を尻目に、良晴は答えた。

 

 「『小龍は死んだか否か?』、続きは合戦後にな」

 

 ポカンとする長秀を横目に、今度こそ彼は前線に向かって歩き始めた。

 

(第十八話前編 了)


 
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