No.50668

営業三課・秋山悠輔のとある災難【その3】

秋山の前に現れたパンダ。そして、なぞの男。秋山は過酷な選択を迫られる。

2009-01-06 22:56:42 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:501   閲覧ユーザー数:488

 再び目が覚めたとき、そこにパンダはいなかった。

 少女の姿も消えていた。

 そのかわり、人間の男が顔を覗き込んでいた。

 男の顔が、ちらちらとまだらに見えるのは、すぐそばで焚き火を炊いているせいだった。 時刻は、昼から夜へと移っていたのである。

「おお、気が付いたか。よく気を失う御仁だ」

 男は、おおらかな口調でいった。

 ということは、言葉が通じる、ということである。――さっきのパンダと、同じだ、と秋山はぼんやりと理解した。

 相手は見るからに偉丈夫で、大柄な男のように見えた。ぼさぼさ頭にいかつい容貌だが、目つきはなんとも優しい。しかし、その片方の目――あのパンダと同じ――左目には十文字の傷がある。

「あ、あんたは、誰だ?」

 秋山は起き上がると、かろうじて、それだけを声に出すことが出来た。

 日本語で言ったのか、中国語で訊いたのか、それすらもはっきりとしないまま、とにかく秋山は見知らぬ男とコミュニケーションをとろうと、必死になった。

「私の名は、ガルダン。ボゴラスの息子、ガルダンだ。ハイラカンの生まれだが、バルルクの傭兵をやっていた」

 聞いたこともない土地の名前と、耳慣れない人の名前が連なった。

 しかも、「傭兵」とか、言わなかったか?

この辺りで、内乱でもやっている地域があるのだろうか。そんな危険な地域に、連れて来られた、ということか?

 よく見ると、その男のいでたちは、なんとも奇妙なものだった。

 木綿のシャツのような半袖の胴衣の上に、革の胴鎧をつけ、腕には手甲、手には皮手袋、長いズボンの裾は、革の長靴の中に納められていていかにも機動的だった。

 そして、もちろん、これがなければ話にならないという感じの、首から背中にかけて大きな体を覆っている、大地の色をしたマント。その上から、背中に背負った革製の鞘に納まった、幅の広い大きな剣。

 ははは、ゲームか漫画で見たファンタジーもののヒーローみたいなかっこうだな。

 そしてもうひとつ、とても特徴的な持ち物を手に抱えていた。少女の姿をした人形である。しかもそれは、二度目に気を失う前に見た、パンダと一緒にいたあの少女をかたどったものように見えた。

 大男と、少女人形。

 なんとも、奇妙な組み合わせである。まあ、日本の都会でなら、そういう趣味のやつもいないではないが。

ところが、そういうのとは何か違うような気がした。理由はないのだが、パンダと少女、大男と人形という組み合わせが、奇妙な符号として頭の中でリンクしたのだ。

 そんなことを考えているあいだ、秋山はぽかんと口を開けて〈ガルダン〉と名乗ったその男の顔をしばらく見つめていたらしい。

「おい、大丈夫か?あんた」

 男が秋山の肩をゆすった。

 ごつごつした太い指に掴まれて、秋山ははっと我に帰った。

「あ、いや、どうも」

 あまりにも現実離れした光景に、秋山の意識はなんとか整合性を保とうとしているのだが、口から出た言葉は、あまりにも間が抜けていた。

「ここは、どこなんですか」

 まず、自分の居場所を確かめなければ。日本に帰れるんだろうな、航空券は、明日の便をすでに予約してあるんだから。

 秋山は、最重要課題をそのことと位置づけた。

「ここは、アヴァールと、バルルクの国境付近だな」

「は?」

 秋山は唖然とした。

「そこは、どこなんですか」

 聞いたこともない、おそらく「国」の名前なのだろうが、もちろんアヴァールもバルルクも初めて聞く名前である。

「ああ、あんたの住んでいた世界と、違う世界だからな、ここは」

 男は、割り切ったような口調で答えた。

「あんたは、私たちと一緒に来てしまったらしいのだ、こっちの世界へ」

 なんだって?と秋山は、我が耳を疑った。

「こっちの世界」とか「あんたの住んでいた世界」って、一体なんなんだ。

 こっち、ってなんなんだ。こっちがあるということは、あっちがあるということか。

「どういうことなんだ、教えろ!私は明日日本に帰らなきゃならないんだ。仕事なんだよ、私は仕事でこっちへ――じゃない、あの国へ来ていたんだ。こんな世界に用はない。さっさと元の世界に戻してくれ!」

 秋山は、大男に掴みかからんばかりに、怒鳴り散らした。

「まあ、そう大声を出すな」

 男は落ち着いた態度で、ぐい、と秋山を大きな掌で押し返した。

 秋山は男の威圧感に、気圧された。

「私たちだって、正直、困っているのだ」

 男は、苦笑いしながら言った。

 秋山は、「おや?」と、思った。

いま、「私たち」と、男は言わなかったか?

 いや、そんなこと、今はどうでもいい。

「…困っているのは、お互い様かどうか知らないが、私には仕事がある。どうしても明日、帰らなければいけないんだ。飛行機の予約だって入れてあるし…、ああ、搭乗1時間前には手続きをとらなきゃ、キャンセルになる!」

 秋山は頭を抱えた。

 このままだと、日本に帰れない。

 可奈恵とはあれっきりメールすら交わしていないし、会社には報告しなければならないことが山ほどある。

 一体どうすればいいんだよ、こんなわけのわからないことになってしまって!

「何とかしてくれ」

 こうなったら、目の前にいる男にすがり付くほかなかった。さいわいなことに男は、秋山に同情的な態度を示してくれている。

「すまないと思っている、こんなことになってしまって」

 男は、心底申し訳なさそうな顔をした。

「こういうことははじめてなので、どうしていいかわからないのが本当のところなのだ。いや、何とかして、あんたを元の世界に戻してやるよ。時間は掛かるかもしれないがな」

 え、と秋山の頭の中は、真っ白になった。ということは、どの道、明日は日本には帰れないということだ。

 秋山はがっくりと、肩を落とした。

 見るからに意気消沈した秋山を見て、男が話しかけた。

「あんたの名前を聞いてなかったな」

「あ?ああ」

 秋山は、面倒くさそうに、返事をした。何もかもおしまいだという顔をしているのが、自分でもわかる。

「秋山悠輔だ。日本人だ…、といっても通じないだろうな。ここはあっちではないんだから」

 投げやりな答えを気にするでもなく、男は秋山の名前を復唱した。

「アキヤマユースケ、不思議な響きだな。二ホンという国から来たのか。で、父親の名は?」

「父親の名?」

 秋山は聞き返した。

「父親の名前なんて、聞いてどうする」

「我々の国では、父親の名前を名乗って始めてきちんとした名乗りと看做されるのだ。私もそう、名乗ったはずだが?」

 男がそういうと、ガルダンと言う名を聞いたとき、たしかに「ボゴラスの息子」とか何とか言っていたのを、秋山は思い出した。

「浩一郎だが」

「では、コーイチローの息子、アキヤマユースケなのだな。よろしく、アキヤマユースケ」

 ガルダンは秋山の手を握ってきた。

 意外にも、柔らかな掌だった。しかも、温かい。

 男の秋山の手が、すっぽりと包み込まれるほどの大きな手に、秋山は少し驚いた。

 しかし「アキヤマユースケ」と、姓名を一くくりにして呼ばれるのは、なんだか変な感じがした。どうやら、「アキヤマユースケ」というのが、ひとつの名前だと、思われてしまったらしい。

「いや、ユースケでいいよ。アキヤマというのは家族全体に共通する名前だ。…なので、ユースケ」

「では、ユースケ」

 ガルダンは秋山の手をいっそう強く握りなおした。反射的に秋山も握り返す。 

「さて、ここがどこか知らないが、こんなところにじっとしてても埒が開かないんじゃないか?」

 挨拶の儀式が済んで、秋山はおもむろに本題に話を戻した。

「確かにそうだな。しかし、腹が減っては戦は出来ん、というぞ?」

 ガルダンは、唇の端でにやりと笑った。

「あんた、腹は空かんのかね?」

 言われて秋山は、すっかり忘れていた空腹という感覚が、猛烈な勢いで戻ってくるのを感じた。

 

「食い物なら、いくらかある。口に合うかどうかは、わからんがな」

 ガルダンが、すぐそばの木の根元に置いてあったつづらの中から、いくつかの小さな袋を取り出して、地面の上に広げた敷き布の上に並べた。 

 手に抱いていた女の子の人形は、その敷き布の上にちょこんと座らせるような形で、丁寧に置かれてある。背もたれも何もないのに、人形は微妙なバランスを保って、足を投げ出した姿勢で座らされていた。

 袋の中から出てきたものは、干し肉や固く焼いたパンのような保存食というか携帯食料に見えた。皮袋に入った水で、男は流し込むようにそれらを食べた。

 秋山にはとても食べられそうにない代物に思われたが、口に入れてみると思いのほか食べやすく、水にはほのかな香りがして、さわやかに口を潤した。

 不思議と元気の出てくる食料を腹の中に納めると、ガルダンは広げていたものを手際よく片付けた。

「ひとつ訊きたいことがあるんだが」

 人心地ついたところで、秋山はずっと気になっていたことを訊ねてみることにした。

「さっき、その、私が二度目に気を失う前なんだが、そのときに見たパンダとあんたは、どういう関係があるんだ?」

 パンダとガルダン、どちらも左目に傷を負っている。

 まさか、とは思うが、確かめずにはおられない。

「ああ、そのことか」

 ガルダンは、落ち着き払って受け止めた。じっと秋山を見つめ返してこう答えた。

「あれは、私だ」

拍子抜けするくらいあっさりと返されて、秋山はかえって戸惑った。「じゃあ、その人形は」 パンダと一緒にいた、少女なのか?と勢いで訊き返す。

「いかにも、この人形は昼間私の傍らにいた、アミンターラ姫だ」

「アミンターラ姫?」

「ああ。本来は、このアヴァール国の王女なのだがな」

 ガルダンは、遠い目をしてひっそりと笑った。

「まあ、いろいろあってな。われわれは昼と夜、姿を変えながら旅をしている。あんたは、たまたまそれに巻き込まれたということだ。まあ、あんたにしちゃあ迷惑な話だろうが、こっちとしてもそんなつもりはなかったのだ」

 ガルダンは胡坐をかいた膝に手をついて、頭を下げた。

 いや、ここで謝られても、と秋山は苦笑する。

 とにかく、昼間はパンダと少女、夜はむくつけき男と少女人形という、世にも奇妙な取り合わせのカップル(?)が、訳ありでないはずはない、と秋山は妙に納得したが、納得したところで元の世界に戻れるというわけではない。

「で、これからどうするんだ」

 秋山は再度訊ねた。ここでじっとしていられても困る。

「いつもなら、しばらく休んで明け方に出発するのだが、あんたはずっと休んでたからな。今日はこれからすぐに移動をして、あんたが戻れる方法を探す」

「探すったって、心当たりはあるのか?」

「ないわけではない…」

 と、ガルダンは顎に手をやって語尾を濁した。

「今はまだ、はっきりしたことはいえないが、ただ、じっとしているわけにはいかんのだ」

 ガルダンの目が、森の暗闇に鋭い一瞥をくれた。

「あんたを巻き添えにはしたくないが、元の世界に戻りたかったら、じっとしていろ」

 ガルダンはそういうが早いか人形を抱きかかえると、焚き火の日を足でもみ消して暗闇の中に躍り出ていった。

 遠くなるほど深くなる、夜の森の闇の中にその姿を溶け込ませてしまうと、静寂と、木や草が擦れ合う音が交互に聞こえ、やがて、刃物の触れ合うような金属音がして、それから再び、静寂が戻った。

 秋山はその様子を暗闇の中で、半ば固まりながら感じていた。血生臭いことは、学生時代から大の苦手だったので、本当に心の底から、こんな連中とは関わりたくなかったと思った。

 戻ってきたガルダンは、何事もなかったような顔をしていたが、その顔には返り血のような赤いものがついていた。

 秋山は、何があったのかは、聞くまいと思った。

「いろいろ、大変らしいな」

 生唾を飲み込みながら、秋山はどうにか話しかけた。

「これも、訳あり、のうちか」

「そういうことだ…。我らは、常に追われている。しかも、二つの追っ手からだ」

 ガルダンは、もう笑うしかない、と言った。

「我らと一緒にいることで、実はあんたの命も危険に曝されているということになるが、さりとて、我らと離れては、元の世界には戻れまい…。これも因果と思って、我らについてこられるほか、ないだろうな」

「命は、守ってくれるんだろうな」

 自分でもおかしくなるくらい、秋山の声は震えていた。こんなところで、訳のわからない連中の巻き添えを食って命を落とすなんて、真っ平ごめんだ。まだまだ、俺にはやることがある。日本に帰ったら、まず、可奈恵に逢って。

「全力をあげてな」

 秋山の思考をさえぎるように、ガルダンはさも、当たり前のように答えた。そのあまりにもあっけない答えに、なにか、秋山は肩の力が抜けるのを感じた。この男、恐ろしく頼もしい。男の自分から見ても畏怖を感じるほど、ガルダンという男は一本筋が通っている。

 この男についていくしかないのを、秋山は本能で察した。

「ただし」

 と、カルダンは若干声のトーンを落とした。ただし、なに?何があるというのだ?

「それは、私が人間の姿をしている夜の間だけだ。残念ながら、昼間あんたを守ってくれるものはいない。私はあの通り獣の姿に戻ってしまうし、アミンターラ姫はあんたがさっき見た通り幼い。できればあんたに守ってほしいくらいだ」

 ガルダンは腕に抱えたアミンターラの人形を、いとしげに見つめた。

「ええっ」

 ちょっとそれは…、と言いかけたところで、カルダンは腰を上げた。

「さて、出発するぞ」

 荷物を手早くまとめると、ひょいと背中に担ぎ上げる。ガルダンの巨躯が暗闇にそそり立った。

 選択の余地はない。

 慣れない山道を、背広と革靴でキャスターを引きずりながらこの男に付いて行く以外に、生き残る術はないと、秋山は悟った。

 

 夜の山道を、どれほど歩いただろうか。

 とにかく、足がパンパンに腫れ上がるくらい歩いた。いや、歩かされた。靴底が平らな革靴はこんなところを歩くために作られてはいないから、途中何度足を滑らせて、ひっくり返りかけたことか。

 屈強で健脚なガルダンは黙々と歩いていく。その手に持った小さなランプが、ちらちらと足元を照らし、ガルダンの大きな背中がいっそう黒々とした影となって前を行くのを見失わないように、秋山は付いて行くのが精一杯である。ここで敵の襲撃に遭えば、おそらくおしまいである。

 脚の痛みは限界を超えていた。おそらく、爪が割れているのだ。これ以上進むことは出来ない。ガルダンとの距離が見る見る離れていく。ここで声を出さなければ、呼び止めることも出来ない。

「待ってくれ!」

 秋山は力なく叫んだ。

「頼む、少し休ませてくれ」

 ガルダンは数歩進んだところで立ち止まった。振り向いて、秋山の様子を見るようにしばらくその場から動かなかったが、やがて「仕方がない」 と言って、秋山のもとに引き返してきた。

 

「その足では確かにもう無理だな。しばらく休むか」

 靴底のはがれかけた秋山の革靴を見て、ガルダンは決断を下したようだ。

「すまない。足手纏いになって」

「気にするな」

ガルダンは軽く笑いながら背中にしょっていた荷物の中から敷き布を出してきて、地面の上に広げた。

「この上に横になって」

「ありがとう」

 秋山は靴を脱いで敷き布の上に這い上がり、足を投げ出した。

「どれ、見せてみろ」

「うわっ」

 ガルダンは少々乱暴な手つきで秋山の足を掴んだ。左足の爪先が割れて、靴下に血が滲んでいる。

「こりゃひどい」

「ぐ」

靴下を引き剥がすように脱がせると、ガルダンは懐から小さな壷のような容れものを取り出し、油紙の覆いを外して中に指を差し入れた。

「ちょっとばかり痛い思いをするが、我慢してくれ」

 ガルダンの太い人差し指が、秋山の足の親指の爪に触れた。

「うおっ」

 生爪を剥がされる痛み、というものを秋山は初めて経験した。ガルダンの指は親指の爪の間に、強い匂いのする膏薬を摺り込んでいた。目も眩むような激痛が、足の先から背骨を通って頭のてっぺんまで秋山を貫いたが、やがてそれは軽い痺れに変わり、次第に痛みそのものも消えて行くとともに、腫れと出血も引いていった。

「もう、大丈夫だろう」

 いや…。

――ここは、私なんかが生きていくには、過酷過ぎる…。

 そう答えたつもりだったが、 荒療治が済むと同時に疲労が秋山の全身を襲い、前後不覚に陥った。

 

 

 

 

 


 
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