No.495958

竜たちの夢12

反董卓連合編開始です。


偶にはそれなりに優秀な麗羽というのもありかな、とか思ったりしています。
周りが超人過ぎる中で必死に頑張るちょっとだけ優秀なお嬢様というのはポイント高いですよね(何がだ

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2012-10-14 02:13:10 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:5903   閲覧ユーザー数:4805

 

 

 第十二代皇帝、劉宏が死んだ。

 

 時を同じくして、その混乱に乗じて董卓仲穎が何進将軍と十常侍を虐殺、都を占拠したという噂が大陸中に流れ始める。

これにいち早く反応した袁紹本初は、董卓を討つべく反董卓連合の結成を各諸侯に呼びかけた。

 

能力は色々と足りないものの、彼女の漢王朝への忠誠心は本物である。

そんな彼女と志を同じくして名乗りを上げる諸侯と、名を上げたいと言う私欲から参加する諸侯が入り乱れた連合は、たった一ヶ月で十万を超える数に膨れ上がった。

彼女のこの行動は軽率であるように見えるが、どの勢力も洛陽に放った細作が全く帰ってこない為仕方のないことであった。

 

 常に最悪の事態を想定しておくのは、上に立つ者には必要なことだ。

袁紹本初もその必要な資質を持つ一人であり、彼女は董卓が本当に都を占拠している可能性を考慮して連合の結成に踏み入ったのだ。

志を共にしようが、ただの私欲であろうが、最悪の事態に備えて戦力を集める必要が彼女にはあった訳だ。

 

 そんな彼女から、劉備元徳の下に連合に参加して欲しいという檄文が来たのは、孫権の受け入れが終わってから、三ヶ月後のことであった。

 

 

 

「この連合には参加するべきだと思うな。この檄文が本当なら、洛陽の民が苦しんでいることになるから、助けに行かないと」

 

 檄文を見た後皆を集めて最初に劉備が言ったのは、参加するべきという言葉であった。

都で苦しんでいる民達を助ける為だという彼女らしい理由は、実に素晴らしい。

しかし、そんな彼女と意見を異にする者もやはり居る。

はっきりとした声で反対の意を示したのは、太史慈、孫権の二名である。

 

 

「この檄文の通りに、董卓が都で暴政を敷いているという確証はありません。朝廷に弓引く行為ですよ、これは」

 

「私も子義と同じく反対よ。袁本初はやる気はあるみたいだけど、この連合はあまりにも危ういわ。名前を上げるにしても、明らかに得られるものよりも失うものが多いでしょう?」

 

 二人の意見は正しく、この連合は不確かな情報を元に構成されている。

もしも董卓が暴政を敷いていなければ、まさしくこの連合が瓦解し、朝敵として消されてしまう。

せめて確実な情報を得てから参加しなければ、あまりにも危険なのだ。

 

 そのことを理解できない筈が無い愛紗と一刀が、反対派に居ないことが二人は不思議でならなかった。

ここで確実性を得ないまま動けば、もしも駄目だった場合のリスクがあまりにも大きいのだ。

連合に参加するだけで大陸での風評は良いものになるが、もしも噂が嘘であったならば、その後順調に急落下するのは目に見えている。

 

 

「二人の意見も分かる。だが――噂が嘘でも、董卓以外の者が暴政を働いていたら?」

 

「うっ……その場合は、多少の文句は言われるでしょうが、連合に参加した者は名を上げます」

 

「そうだ。董卓本人がそれを行っているのならば、更に名は上がる。ここで参加しない手は無い」

 

「参加しないと評判は落ちるものね……仕方ないことではあるけれど、人の心は謎だわ」

 

「人の心は自分自身ですらも制御できないからな……」

 

 連合に参加するだけでも、得られるものはある。

しかし、それがもしも偽りの噂によって大義を失えば、まさしく烏合の衆だ。

もしも董卓以外が暴政を行っているならば、その時総大将がどう動けるかが命運を分けるだろう。

 

 檄を飛ばした袁紹本初が総大将になるのは目に見えている。

いかに彼女が半端な能力しか持たない人間であっても、諸侯達を動かしたのは彼女なのだ。

檄を飛ばしておいて総大将を他の誰かに譲ってしまえば、まさしく白い眼で見られてしまうだろう。

 

 袁紹本初が不測の事態にどう対応できるかで、この連合の命運は決まると言っても良い。

彼女を信用できるかと言えば、そこは多くの者が首を傾げるであろう。

しかし、一人では信用できないのならば、手を貸してやれば良い。

一刀達は既に裏でいくつかの進言はしてある……後は彼女次第だ。

 

 

「仕方ないわね……今回は袁本初が噂以上に有能であることを信じて参加するしかないか」

 

「不確かな状況でも構わないのならば、私は何も言いません」

 

「……だそうだが、劉備の意見は変わらないか?」

 

「うん。私はこの連合に参加して、洛陽の人達を助けたいの」

 

 一刀はこの連合の掲げるべき大義が間違っていることを既に知っている。

洛陽で賈詡が必死に細作を潰し過ぎてしまったが為に、本当の敵が彼女達に伝わっていないのだ。

今回彼らが相手にすべきなのは、董卓ではなく十常侍だ。

 

既に思春達の潜入で事実を確認した上で、それでも一刀、孔明、士元、愛紗の四人は参加を選んだ。

賈詡による過度な董卓の保護が生み出してしまったこの事態を、彼らは喜んで利用させて貰う。

劉備の名を上げる為に、更には劉備に最大の痛みと僅かな救いを教える為に。

 

 

「もしもこの連合の大義が無ければ、お前は自分の理想に違えたことになる。それでも、参加するか?」

 

「確かに、この連合に大義がなければ私は理想を裏切ることになります。でも――このまま動かなければ、同じことです」

 

「動かない後悔よりも、動く後悔か……良いだろう。ならば、命じろ――主はお前だ」

 

「皆、私の我儘に付き合わせることになってしまうけれど……力を貸してください!!」

 

「「「「「「「応!!」」」」」」」

 

 既に戦力は精鋭五千が仕上がり、食糧も十二分に用意してある。

すぐに連合に参加することが可能だ。

問題は、誰がここに残るかだが……その点については、既に問題を解決してある。

ここには誰も残らないで良い。

 

 元々、近い内に陶謙の下に向かうことは決定しており、引き継ぎの準備も終わっている。

後は一刀達がここを離れ、涿郡は公孫賛に任せれば良い。

涿郡以外の幽州を治めている公孫賛の軍は既にその数を一万五千に増している。

劉備達の抜けた穴を埋めるのは難しいことではないだろう。

 

 

「関羽と張飛、知華は各部隊の準備を急がせろ。呂蒙、孔明、士元は兵糧などの総量、分配を計算し、その結果を関羽達に伝えること。孫権、思春、愛紗は劉備の親衛隊の準備の再確認を」

 

「心得ています。鈴々、子義、行くぞ」

 

「分かりました。雛里ちゃん、亜莎ちゃん、行きましょう」

 

「御意。孫権殿、甘寧殿、行きますよ」

 

 一刀は流れるように皆に指示を出していく。

彼が言わなくとも皆はそれぞれの役割を良く理解しているが、確認の為に言っておくのだ。

孫権、思春、愛紗の三名を劉備の護衛として置き、五千の精鋭の中でも特に防御に特化している百人をその下に親衛隊として設置しているのはかなり過剰な防御だが、これくらい強固にしておけば、一刀が自由に動き回れる。

 

 今回の戦では一刀はかなり単騎で行動することになるに違いない。

彼の戦い方は周りに味方がいるとその実力の半分も出せないのだ。

勿論、それでも彼は鬼のように強いが……今回は涼州で三万の黄巾党を一人で皆殺しにした呂布も居る。

 

 いかに関羽達が大分強くなったとはいえ、本当にそこまでの力を呂布が持つのならば、一刀か愛紗が相手になった方が良い。

勿論彼がぶつかるのが最もが望ましい為、彼は自由に動ける配置である必要があるのだ。

愛紗が単騎で動いても良いが、どちらかと言えば彼女は守る方が上手い。

その為、一刀は、これから先は常に劉備の傍に彼女を置いておくつもりだ。

 

 

「一刀さん、私は?」

 

「劉備は靖王伝家を持っているか確認したら、もう良いぞ」

 

「えっ……そんな~」

 

「殆どの仕事は愛紗達が終わらせてしまうからな。それよりも――覚悟は良いな?」

 

「……はい。覚悟はできています」

 

 劉備に必要なのは準備の手伝いではなく、覚悟だ。

その浅葱色の瞳に決意を見ることができても、強固なものでなければ意味が無い。

一刀のように無理をするのではなく、無理のないように覚悟をできなければ彼女は崩れる。

竜と人間では強さがまるで違う……同じようにしては、人間の心身は持たない。

 

 劉備に関しては、その心配は無用であるのが素晴らしい所だ。

彼女は確かに武も知も曹操のように高くはないが、何度でも不死鳥のように蘇る強さを持つ。

一刀ですらもできないであろう、崩壊からの再生を彼女は可能としているのだ。

だから、今回も彼女は痛みを受け入れ、更に強くなるだろう。

 

 

「どんな結果になっても、私は受け止めます。逃げません。だから――」

 

「ああ、だから俺はお前の弱さの受け皿になってやる。一人で抱え込むのが王ではない。逃げずに抱え込むだけでは王ではない。王は――仲間にそれを打ち明けられる者だ」

 

「――ありがとう」

 

「気にするな……言った筈だ。俺はお前達を導く者だ、と」

 

「それでも、ありがとう」

 

 一刀にとって劉備の心からの感謝は実に嬉しいものだ。

彼は皆を導く者であり、誰もが彼に縋る。まるで指導者に縋る追従者のように、彼に頼る。

それはまるで神に縋るようで、そうやって皆は心を保っているのだ。

しかし、ならば北郷一刀は誰に祈れば良い?誰に縋れば良い?

 

 いかに一刀が竜であっても、彼はまだ完全ではない。

揺れることもあるし、誰かに縋りたくなる時もあって当然なのだ。

失っていく感覚に恐怖を感じてしまうこともある。消えていく人間性を必死に守りたくなることもある。

そんな彼にとって、劉備の笑顔はまさしく救いだ。

 

 劉備玄徳の傍に居るだけで、彼はより優しくなれる。

思春、劉備、愛紗が居なければ、彼はとっくの昔に心が壊れてしまっていただろう。

一刀は、竜がいかなるものかを愛紗から学び、どうやって生きていけば良いかを甘家から学び、どうやって愛せば良いかを劉備から学んだ。

だから、彼は愛し、守る為にその天災に等しい力を揮える。

 

 

「劉備……準備は良いか?」

 

「うん。一刀さんは大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 既に崩れ始めた一刀の感性を繋ぎ止めることも、取り戻すことも“世界”の残光である思春には叶わない。

ただ劉備だけが、この世界に唯一認められた逆鱗だけが、彼の逆鱗であれるのだ。

一刀はまだそれを知らない。『竜の書』もまだ読んでいない彼には、それを知る術は愛紗しかなかった。

 

 一刀が混乱しない為にも、今はまだ愛紗はそれを言うつもりはないということだ。

思春が必死に生み出したまやかしの逆鱗のメッキが剥がれた時、彼女はその事実を言うだろう。

誰よりも彼を愛し、誰よりも求めた彼女は、思春を排除する為に言う―――甘興覇はまやかしだと。

彼の心を守る為に、数十万の外史に決着をつける為に。

 

 

「行くぞ、劉備」

 

「―――はい、一刀さん」

 

 

 そして、その時一刀の逆鱗となるのは劉備―――最初の逆鱗となった劉邦と同じ真名を持つ彼女である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 反董卓連合に集ったのは袁紹、曹操、孫策を筆頭に、劉表、陶謙、袁術、馬騰、劉焉などからなる総勢十五万であった。

それに対する董卓軍は約六万程度であり、かつて一刀が予想した数とほぼ合致する。

ここまで見事に数が予想と一致したことに不気味さはあるものの、彼らは連合の陣地へと入った。

 

「劉玄徳、檄を賜り馳せ参じました。どこに駐屯すれば良いのでしょうか?」

 

「劉玄徳殿ですね……ああ、公孫伯圭殿の隣です。ご案内します」

 

 受付を行っていた遠紹軍の兵は、劉備達を先導していく。

そんな兵を見ながら、一刀は六ヶ月前よりも袁紹軍の練度がかなり上がっていることを理解した。

以前よりもずっと引き締まり、しかし緊張で固まってはいない。

中々に袁本初もできる女性であったようだ。

 

 各勢力の戦力は、袁紹五万、曹操一万、孫策一万五千、公孫賛一万五千、劉表一万、陶謙一万、袁術一万五千、劉焉一万、馬騰一万、劉備五千といった所だ。

袁紹軍に居る有能な将と言えば、文醜、顔良、張郃くらいであろうか?

袁本初本人を含んでも、四人で六万を上手く機能させていることになる。

千人長などを置いていたとしても、それなりの練度が必要になるのは明らかだ。

 

 袁本初が思いの他有能であることに若干の驚きと多大な嬉しさを感じ、一刀は先導する兵に続く。

六ヶ月でここまで整備させたのは実に素晴らしいことだ……一刀ならば数倍の速度で整備が可能だが、彼と比較するのはあまりにも酷である。

現代の知識の有無は平時においてその差を顕著に現すものだ。

 

 

「袁本初殿は、既に本陣に?」

 

「はい。各勢力の代表を集めて軍議を開こうとしています。もうすぐ始まりますので、お急ぎください」

 

「承知した。それにしても、貴公を含め袁本初殿の軍は良く訓練されている」

 

「ああ、それは貴方方の御蔭です。黄巾党の本隊を共同で討伐したあの日、貴方方の練度を目の当たりにした本初様は、それを目指してすぐさま帰還されたのです」

 

「なんと……そうだったのですか。何ともむず痒いですなぁ」

 

 一刀は袁紹の兵と気さくに語り合いながら、あの日の袁本初の突然の帰還の意味を知る。

彼達が訓練した兵士達の練度に注目していたとは、中々どうしてできるではないか……そんな感想が彼の脳裏に浮かんだ。

真紅の瞳を歪めながら、彼は既に各諸侯に自分達が注目されていることを悟る。

どの勢力もかなり練度を上げて参加しているのは、言うまでもないだろう。

 

 相対する董卓軍の練度もまた、かなり上位に属する。

北方で異民族と戦いながら、その厳しい環境を生き抜いた者達は百戦錬磨とも言える程だ。

数が勝っていても、質が劣っていてはかなり苦戦することは必至である。

それも、今回に限っては心配する必要はなさそうだ。

 

 一刀の予想が正しければ、双方の軍の練度はほぼ同等だ。

兵の質が同等であるならば、兵の数、軍師と将の質が上である方が勝つ。

董卓の勢力に居るのは軍師が賈詡、将は張遼、華雄、呂布、高順、徐栄といった所である。

それに対して、連合軍には一刀達を始めとし、軍師ならば孔明、士元、荀彧、周瑜、陸遜、張勲が、将ならば関羽、張飛、太史慈、夏候惇、夏候淵、孫堅、孫策、黄蓋が居る。

 

 もはや質においては呂布を除き、連合軍と董卓軍の間に差は無いのだ。

 

 

「ああ、ここです。後で使いの者を遣りますので、軍議にはその者についていってください」

 

「了解しました。お疲れ様です」

 

「……一刀さんって、こういう時凄く輝いているよね」

 

「そうですね……あちらの方が地なのでしょう」

 

 割り振られた野営地に辿り着いた一刀が気さくに袁紹の兵に別れを告げるその様を見た劉備と関羽は、その様こそが地の彼であることを知っている。

いつもの厳しそうで、鋭く研ぎ澄まされた刃物をイメージさせる彼は仮面でしかない。

本当は、ああやって誰にでも気さくに語り掛け、誰とでも仲良くなれる者なのだ。

それが、どうしてあんな仮面を被っているのかは、二人共理解していた。

 

 北郷一刀は彼女達を導く者だ。

彼は常に厳しく、時に優しく彼女達を天下へと導いていく。

だが、その後は?――――それを何度訪ねても彼は教えてくれない。

彼があんなにも鋭い刃を研ぎ澄ませていたのは、彼が皆にとって不可欠な存在にならない為だ。

能力的には必要であっても、人間的には不必要な存在であろうとしているのだ。

 

 まるでいずれ別れが訪れるのを知っているかのような、その態度が劉備達は内心許せない。

別れなど訪れさせはしないし、いつまでも一緒に天下を目指し、その後も共に世界を平和にしていくのではないか?

その時、今のような本当の彼が必要になる筈だ。

現在の劉備の雛型を生み出したその優しさで、この大陸を愛して欲しい―――そう彼女達は思う。

 

 

「さて……軍議ですが、誰が行きましょうか? 桃香様は確定として、後一人か二人必要です」

 

「そうですね……私と、愛紗さんでどうでしょうか?」

 

「妥当だな。ここは俺達に任せて、孔明と関羽は劉備と共に軍議に出てくれ」

 

「それじゃあ、宜しくね!」

 

「ああ、任せろ」

 

 劉備達は一刀に陣の設置などを任せると、そのまま迎えに来た伝令について本陣へと向かった。

それを見送ると、すぐさま彼は目線で愛紗達に指示を送る。

共同作業に馴れている劉備軍はすぐさま陣を設置し、四刻半もすれば陣は完成した。

ここまで作業効率が高いのは日頃の訓練の賜物である。

 

 

「四半刻程休んだ後、各自決められた仕事を行うように!!」

 

「「「「「「「「応!!」」」」」」」」

 

 陣を設置すると、まず一刀は兵達に一刻の休息を言い渡す。

ここまですれば、後は各部隊の長がそれぞれを纏めるだけであり、今現在ここを離れている関羽の代わりは孫権が担う。

この三ヶ月で大分成長した彼女は、こういった平時に関羽の代わりをこなすくらいは容易にできる程に成長していた。

 

 そもそも、劉備軍は一刀達が訓練した柔軟な部隊である。

こういった時にいちいち各部隊の長が声を高らかにして指示する必要は無い。

各自決められた場所に向かい、互いに準備ができているかを確認して、問題無ければそのまま談笑を始める。

 

 一刀は、この自由だが秩序のある軍を作り出す為に大分苦労した。

彼自身が率いるのならば何の問題も無いが、実際に率いるのは関羽、張飛、知華である。

三者が多くの兵と親しく接して、より自由な雰囲気を作り出すのには一ヶ月を要した。

しかし、その御蔭で今やこの軍は柔軟に形を変えることが可能な“将が必要ない”軍となっていた。

 

 そこに将が加われば、もはや死角は無い。

 

 

「思春、程遠志……他の勢力の隠密が潜んでいないかには注意を払ってくれ」

 

「了解しました」

 

「御意」

 

 堅い表情で応える思春を視界の端で捉えると、一刀は思わず苦笑した。

あの夜から思春は一刀に対して一歩退いた態度を取るようになった……彼女はそこまで気にしているのだ。

彼が去った後に何があったのかは分からないが、兎に角あの後から愛紗と思春の仲は最悪のものになった。

 

 一刀に対して一歩退いた態度をするのは全く問題ないが、彼の腹心である愛紗と仲が険悪なのは困る。

いつもならばそういうものは無視する愛紗も思春が相手の時だけは別なようで、何度も喧嘩になった。

愛紗が思春を排除しようとしているのが分かっているだけに、どうにかせねばならない問題だ。

 

 

「さて……このままだと汜水関で戦闘になるか。士元、敵はどう動くと思う?」

 

「あわわ……間違いなく関に籠って出てこないと思います。数が違い過ぎますから、出てくることはあり得ません」

 

「その通りだ。だから、こちらは敵を外に出さねばならない。汜水関に居る将が誰かで、ほぼ勝敗は決まるな」

 

「飛将軍である呂奉先だった場合は、確実にしかけてくると思います。ですが、他の将だった場合は―――誘き出すしかないでしゅ。あっ……噛んじゃった……」

 

「良くやった。士元の言う通り、呂布以外の場合はこちらから誘き出すしかない。それで、だ。何か良い案は無いか?」

 

 一刀は彼の望んだレベルの予想を咄嗟にしてくれた士元を労うと、それ以外の者に策があるかを尋ねる。

そんな彼に対して、太史慈――知華が手を上げた。

将としては珍しい、氷のような思考を持つ彼女の考えた策に、皆が興味を持つ。

 

 

「本郷様。敵将の牙門旗を火矢で焼き払ってしまえば、敵将は怒り狂って出てくると思いませんか?」

 

「成程……しかし、当てられるのか?」

 

「私を誰だと思っていらっしゃるのですか? 私は貴方の弓矢――太史子義です」

 

「ならば良い。任せるぞ、知華」

 

「御意! ご期待に添えて見せます!」

 

 知華は近距離においては孫策伯符と同等の武を、遠距離においては黄蓋公覆を上回る腕を持つ弓兵である。

その正確無比な射撃ならば、確かに牙門旗を燃やしてしまうことも不可能ではない。

彼女の限界射程距離は約一里……牙門旗程の大きさならば、その距離からでもほぼ確実に当てることが可能だ。

 

 後は、彼女が先鋒に加わることさえできたならば何も問題はないのだが……それが一番難しい。

先鋒は通常数が揃っている部隊が行うものであって、劉備軍は最も数が少ないのだ。

先鋒になるのは少々難しい……最悪、他の部隊に混ぜて貰うことも考えねばならない。

一番良いのは、彼女達が加わらずとも汜水関を落とせることだが、それは恐らくないであろう。

 

 

「良いか、皆。俺達は今注目されている……汜水関で先鋒を任されることになる筈だ。気を引き締めておけ」

 

「「「「「「応!!」」」」」

 

「鈴々はわくわくしてきたのだ。お兄ちゃん、鈴々の出番は?」

 

「将を誘き出すのは知華の役割だが、その将と戦うのは張飛……お前に任せる」

 

「うにゃっ! 了解なのだ!!」

 

 知華の武は確かに遠距離ではほぼ無双に近いが、近距離では孫伯符と同等だ。

仮に関羽と同等の将が出てきて、その接近を許してしまえば彼女は勝てない。

関羽の武はそれ程に抜きん出ており、孫呉では孫文台以外誰一人として勝算は無いだろう。

この連合で彼女に対抗できるのは、恐らく夏候惇くらいではなかろうか。

 

 そんな関羽も、かの呂布の前では敗北を喫することになるだろう。

三万の黄巾党を一人で滅ぼしたのが嘘ではないことは、細作の情報で確定している。

呂布奉先は本物の天才だ……誰も勝てないと思わせる程の天下無双であるのは間違いない。

もしも呂布奉先が居るのならば、その相手は一刀がする。

 

 

「言っておくが、この策は相手が呂奉先でない場合のみ使うぞ。呂奉先が相手ならば、俺が出る。それだけは忘れるな」

 

「分かっているのだ!!」

 

「ならば良い」

 

 張飛はまだ幼いが、後五年もすれば関羽のように成熟するだろう。

既に年齢不相応の精神力を持つ彼女ならば、将来関羽に届くどころか追い越すことも不可能ではない。

史実では関羽の影に隠れがちな張飛であったが、この世界では関羽を食ってしまうかもしれないのだ。

 

 一刀は、この張飛という娘がどこまで成長するかが楽しみでしょうがない。

まだ関羽には技術的な面で劣るものの、その運動量は既に関羽を超えているだろう。

まだ体が出来上がっていない為追いつけていないだけで、五年後は力関係がひっくり返る可能性も十二分にある。

ポテンシャルだけならば、彼女は関羽よりも上なのだ。

 

 

「張飛、体は痛くなったりしていないか?」

 

「それはないのだ! あっ、そういえば最近服がきつくなるのが早くなってきた気がするのだ!!」

 

「そうか……後五年もすれば、関羽と同じくらいには成長するだろう」

 

「愛紗みたいに? でも、愛紗はおっぱいが重くて肩が凝ると言っているのだ。それはちょっと嫌なのだ」

 

「そ、そうか……それは大変だな」

 

 張飛はまだ成長期であり、この数年で大分身長が伸びる筈だ。

そうなれば、彼女は十二分に発達した肉体を得ることができ、その武も数段上に上がるだろう。

しっかりと体が出来た状態ならば、まさしく軍神関羽に匹敵する処か、それを上回る武も夢ではない。

 

 張飛は少しばかり他の者と比べて成長期が来るのが遅かっただけで、すぐに追いつくであろう。

成長期は早ければ十の頃に、遅ければ十七の頃に訪れるものなので、張飛が十年後もこのままであることはない。

後ろで恨めし気に絶壁をペタペタしている士元も、きっと大丈夫だ。

 

 能々考えれば、一刀の周りに居る女性は殆どが体の一部が豊満な者ばかりである。

愛紗、劉備、関羽、知華、孫権は間違いなく豊満な部類に入るし、思春、呂蒙もそれなりに大きい。

絶壁なのは孔明、士元、張飛くらいであろう。

 

 

「お兄ちゃんは大きいのと小さいの、どちらが好きなのだ?」

 

「あ~……まぁ、どちらでも良いんじゃないか?」

 

「お兄ちゃん、節操無しなのだ!!」

 

「否定はしない。それよりも、痛みは本当に無いんだな?」

 

「うにゃ! 無いのだ!!」

 

 一刀は女性の胸の大きさに関してはあまり興味が無いので適当に答えたが、その際に周りの空気がざわついたような気がした。

気がしただけで、気のせいであると彼は思うことにしたが、今なお恨めしそうに絶壁をペタペタと触っている士元が何故か痛々しい。

 

 取りあえず張飛が成長痛に苦しんでいないのならば、今は良い。

成長痛もそうだが、初経、月の日などに関してもある程度考慮しておかねばならない。

女性はそういう制約がある為、かなり注意をしておく必要がある。

しかし、できればそういうケアに関しては女性人に任せておきたい一刀であった。

 

 

「鈴々は本当に北郷に懐いているわね……まるで兄妹みたいだわ」

 

「鈴々はお兄ちゃんの妹なのだ! 一年したらお姉ちゃんも鈴々のお姉ちゃんになるのだ!」

 

「ふふ、そうね……そうなることを祈っているわ」

 

「孫権も見事にここに馴染んだな……」

 

「ええ、御蔭様でね」

 

 孫権は穏やかな笑みを浮かべながら張飛に語り掛け、そんな彼女に張飛も笑顔で答える。

このやりとりは、確かに姉妹のように見えなくもない。

一刀には、彼女が彼を逃がさない為に外堀を埋めているように見えたが、とりあえずそうでないことを祈った。

 

 確かに孫権は彼の婚約者であり、後九ヶ月もすれば結婚することになる。

一刀も彼女のことは魅力的であると思うし、彼女が良ければ不満は無い。

無いのだが……彼は、彼女との間に子をなすつもりはない。

結婚までは良いし、そのまま更に深い関係に進むのも良い。

 

だが、彼は彼女との間に子を生すことは叶わない。

彼は竜であり、彼女は人間だ……その間に生まれるのは必然的に不完全な竜になってしまう。

その先に待っているのは彼にとっても、その子にとっても地獄だ。

そんな彼らを見てしまえば、彼女も幸せでは居られない―――だから、一刀は一歩退かねばならない。

 

 

「呂蒙も、問題は無いな?」

 

「は、はい! わ、わらひも大丈夫です!! 皆さん良くしてくれていひゃす!!」

 

「あわわ……亜莎さん、噛み過ぎです!」

 

「あうう……」

 

「取りあえず、そのすぐに緊張してしまうのを直せば及第点なんだがな」

 

 呂蒙子明は一刀が思っていた以上に賢く、柔軟に考えることができる将だ。

彼女は一応軍師に専念してもらうが、一刀はそれでも鍛錬は続けるつもりでいる。

戦える軍師というのは珍しいもので、彼女のような人材はこれからの呉に不可欠だ。

いつか彼女も成長し、その能力を遺憾なく発揮してくれることを彼は信じている。

 

 史実を考慮すれば、周瑜公瑾は病に侵されている可能性がある。

その周瑜の代わりに陸遜と呂蒙が呉を支えていかねば、呉に未来は無いだろう。

一刀は孫権を堅実だが、慈しみを持てる王として教育しているが、彼女だけでは駄目だ。

彼女を支えてやれる者が居なければ、いずれ重みに耐えきれずに倒れてしまう。

 

 一人で国を動かし続けることなど、それこそ化け物でなければできない。

 

 

「!……もう戻って来たのか」

 

「おや、本当ですね。どうやらすんなりと決まった様子ですが」

 

「お姉ちゃん、愛紗、朱里、どうだったのだ?」

 

 一刀は、劉備達が予想以上に早く戻ってくるのを視界の端に捉えた。

彼の予想では半刻くらいは待つのではないかと思ったが、どうやら予め指針は決まっていたようだ。

そうでなければ、こんなにも早く戻ってくる筈が無い。

 

 やはり、思いのほか袁紹本初は有能であるようだ。

最低限決められることは決めておいて、それ以外を話し合ったのだろう。

劉弁、劉協の二名が無事かどうかを一刻も早く確かめる必要がある彼女は、こうして迅速に動かねばならない。

その状況が彼女の能力を十二分に引き出しているのかもしれない。

 

 

「皆、聞いて。今回の連合の総大将は袁紹さんに、汜水関の先鋒は私達と孫策さん達になりました」

 

「やはり、か。ここまで予想通りだと却って怖いな」

 

「袁紹さんは汜水関を一刻も早く突破したいと言っているの。だから私達に託したい、と」

 

「ふむ……では、その期待に応えよう。汜水関を守っている将の情報は貰ったか?」

 

「うん。汜水関を守っているのは華雄さん、張遼さんだって」

 

 華雄と張遼文遠はかなり勇猛な武将であると聞くが、呂布奉先には遥かに劣る。

汜水関の戦いでは、一刀が出る必要は全くもって皆無であろう。

華雄には張飛を、張遼には関羽を送り込めば何の問題も無い筈だ。

その筈であるが……一刀は奇妙な不安を覚えずにいられない。

 

 汜水関には何かがある……それ故に、一刀は最前線に加わることを選んだ。

いくつかの策が彼の脳裏を駆け巡るが、どれも決定打にはならない。

このまま行けば、恐らく何か良くないことが起こってしまう……そう彼の勘が告げている。

こんなにも彼の胸がざわつくのは初めてであり、それに従わなければ、彼は何かを失う気がした。

 

 

「そうか。今回の編成についてだが……前衛を張飛、関羽の部隊が担い、後衛を知華の部隊が担う。それで良いな?」

 

「私達が張遼、華雄の相手をするのですね。分かりました……しかし、まずは相手を関から出さねば始まりません」

 

「それに関しては私に任せてください。関羽殿と張飛殿は、二人の将を討ち取ることのみに集中してくださって結構です」

 

「成程、子義に策があるのか。では、任せることにしよう」

 

「鈴々も子義に任せるのだ!」

 

 一刀の知る限り、董卓軍において彼が注意すべきは呂布奉先のみだ。

情報が正しければ、その呂布はまだ遥か後方に居る筈だが……彼の勘は汜水関に何かがあることを告げている。

もしも彼の想定する最悪の状況が現実になれば―――彼が最前線に居なければ、阿鼻叫喚の光景が広がってしまう。

 

 最悪の状況でないことを祈るだけだが、祈りは常に報われる訳ではない。

時には最悪の形で、その願いを裏切られることもあるものだが……現実はそういうものだ。

歪みに歪んだ歴史は、詳細の一部一部が一刀の知るものとは異なる。

汜水関に呂布が居る可能性も否定できないのだ。

 

 

「ただし、そこに―――「失礼します!」どうした?」

 

「孫伯符殿、周公瑾殿の二名が会見を望んでおられます。通しますか?」

 

「ほぅ……劉備、どうする? 俺は通した方が良いと思うのだが」

 

「う~ん……通して貰って良いですか?」

 

「御意。すぐにお伝えします!」

 

 知華の部隊の者が天幕に入って来たかと思うと、孫策伯符と周瑜公瑾の来訪を告げた。

一刀はすぐさまその意味を理解し、それとなく通すように劉備に奨める。

それを察してくれた劉備は、少しの間悩む振りをした後に、二名を通すように兵に告げてくれた。

劉備と眼を合わせると、まるでご褒美を強請る子どものような表情になったので、彼は静かに頷いて労うことにした。

 

 恐らく孫策と周瑜の来訪は同盟を結ぶ為のものに違いない。

既にそのことに殆どの者は気付いている……他の勢力からすれば、つくづく恐ろしい勢力であろう。

元々孫堅文台は一刀の力を欲していたし、それが無理だと悟ればすぐさま孫権を差し出すことを選んだ。

孫呉が求めているのは、北郷一刀の力を借りることと、孫権がどうなっているかの確認、更には今回の連合における不可侵の約束をすること、といった所であろう。

 

 

「失礼するわ」

 

「失礼する」

 

「どうも」

 

 天幕に入って来たのは、孫権よりもずっと孫堅文台に似ている女性と、黒髪を後ろで纏めた女性だった。

どちらが孫策伯符で、どちらが周瑜公瑾なのかは一目瞭然である。

断金と言われた程の親友どうしであるそうだが、この世界でもそうなのかは一刀には分からない。

 

 しかし、やはり彼女達が一刀に好意的でないことは十二分に理解できた。

彼の隣に居る孫権が静かに肩に手を乗せるのを感じながら、彼は孫策と周瑜を見据える。

この天幕に居る男性は彼だけであり、彼が北郷一刀であることは容易に分かってしまう。

今回の訪問は彼を見定める目的もあるのだろう。

更に言えば、孫堅文台が娘に課した試練でもある筈だ。

 

 

「私は孫伯符と言うわ。彼女は周公瑾。この度は先鋒を任せられてお互い大変ね」

 

「そうですね。でも、それで洛陽の民達が少しでも早く助かるのなら、私は構いませんよ」

 

「ええ、そうでしょうね。それで、その少しでも早くを、更に早くしてみようとは思わない?」

 

「それは、同盟を組もう、という意味で良いのですか?」

 

「その通りだ。お互い一刻も早く名を上げたい立場に居るのだから、ここは協力しないか?」

 

 流石は既に王として孫呉を纏めているだけのことはあると言うべきか、随分と滑らかに話を進めていく。

それに花を添えるように言葉を重ねていく周瑜も見事と言わざるを得ない。

しかし、一刀にとってこれ程有能な彼女達が孫権を手放したのは信じられなかった。

 

反対の一つもしなかったとは考えられない。

実際一刀に対する二人の視線はあまり好意的ではないし、彼の隣に居る孫権も身を固くしている。

彼女は彼を受け入れようとしない二人を見た一刀がどう思うのかが怖いのだろう。

いかに別の勢力に加わったとはいえ、この二人は彼女にとって家族である筈だ。

 

 そんな二人が、孫権がもうすぐ結婚する相手にこのような視線を向けるのだ。

彼女の心中は決して穏やかではないだろうし、何処か彼が自分を嫌いにならないかという恐れもあるだろう。

彼はそのようなことを気にしないが、それでももしもというものがある。

だから、彼女が身を固くしてしまうのは当然のことだ。

 

 

「同盟の具体的な条件は?」

 

「互いに協力するのは当然として、どちらかが手柄を得そうな時はそれを邪魔しない。後は、先に手柄を立てた方はもう片方の援護をすること。これでどう?」

 

「……要は、先に手柄を得た方はもう片方の援護に注力するんですね?」

 

「そういうこと。悪い条件じゃないと思うんだけど」

 

 確かに悪い条件ではないが――そもそもそんな同盟は必要無い。

劉備軍は十二分に精強であり、孫呉の力を借りる必要など何処にも無いのだ。

孫呉が同盟を望む本当の理由は、この軍のおこぼれに与る為であろう。

それが内心悔しいからこそ、孫策と周瑜の表情は苦いものなのかもしれない。

 

 そうであれば、その原因となった一刀に敵意を抱くのも無理は無い。

一刀が逆の立場であったならば、やはり良い思いはしないし、不安だ。

まさしく暴風の如き存在を常に気にしながら生きるなど、彼ならば御免である。

しかし、実際の立場は逆だ。彼は暴風を恐怖する側ではなく、暴風そのものだ。

 

 決定を己で下して良いか眼で訪ねてくる劉備に眼で肯定を示すと、一刀は皆の眼を見た。

やはり、この同盟にそこまで旨味が無いことに多くの者が気付いている。

ここで同盟を組まなければ、孫呉との関係が悪化すること以外は、拒否した場合のデメリットも無い。

しかし―――やはり組むのが最善だ。

 

 

「分かりました。それでは、同盟を組みましょう」

 

「……こちらから振っておいてなんだけど、皆には確認しなくて良いの?」

 

「もう確認はとりましたから」

 

「そう……なら、これで同盟成立ね。宜しく、劉備」

 

「はい。よろしくお願いします、孫策さん」

 

 笑顔で握手する孫策と劉備の姿を見ながら、一刀は思う。

この同盟は一刀が居なければもっと平和に組まれ、よりお互いに好感を持てた筈だ。

孫堅文台の生存、孫権仲謀の加入……様々な歪みを彼が生み出しているのは明白である。

劉備達に歪みが生じていないのが、せめてもの救いであろう。

 

 

「そうそう、妹とは上手くやっているのかしら?――北郷一刀」

 

「至って円満ですよ、孫伯符殿。なぁ、孫権?」

 

「そうね。本当に―――怖いくらい円満だわ」

 

「なら良いのよ。でも、もしも妹を泣かせるようなことがあったら……許さないわよ」

 

「成程。怖いのは姑ではなく姉の方でしたか」

 

 孫策が、妹である孫権が一刀のものとなるのを止められなかったことを悔やんでいるのはほぼ間違いない。

能力云々を考慮してではなく、姉として離れ離れになるのが嫌だったのだろう。

しかし、本当に姉としての自覚があるのならば、孫権の苦しみを分かってやるべきだった。

 

 一刀にはそのことを責める権利は無いし、そのつもりもない。

孫策伯符と孫堅文台は孫呉の独立に精一杯なのも分からなくはないし、孫権の教育を一時放棄したのも仕方ないことだ。

彼ならばどんなに僅かな時間であっても、少しずつ彼女を教育しただろうが、孫策は一刀ではない。

 

 

「ぷっ……」

 

「ちょっと!? 冥琳、今笑ったでしょう!?」

 

「気のせいだ。気のせい」

 

「絶対に気のせいじゃない!!」

 

「あー……断金漫才なら余所で頼みます」

 

 頭を押さえて溜息を吐く孫権に苦笑しながらも、一刀は孫策達に時と場所を弁えるように頼む。

孫呉は孫家と重臣達が皆家族のような関係であるそうだが、皆こんな関係なのかもしれない。

そうであるならば、孫呉は彼が思っている以上に愉快な場所であるようだ。

 

 

「と、取りあえず同盟は成立したわよ!! 汜水関では宜しく頼むわね!!」

 

「それでは、これで失礼する。また戦場で会おう」

 

「はい、また後で。孫策さん、周瑜さん」

 

 羞恥から顔を真っ赤にしながら帰っていく孫策と、それに苦笑する周瑜の姿は、確かに断金である。

あの関係性を壊すのは、余程のことでなければ無理であろう。

絆を確かめ合うことを、あの二人はしっかりと日常的に行っているに違いない。

強い絆は、確かめ合うことによってのみ生まれ、育まれるのだ。

 

 そういう意味では、一刀は絆を確かめ合うことが殆ど無かったかもしれない。

彼の周りに居る者は、確かに彼が誠実であることも、実は優しいこともある程度理解している。

ただ、彼が多くを打ち明けられる存在は愛紗しか居ないのだ。

最も長い時間を共に過ごした彼女のみが、彼の持つ多くの悩みを受け止めてくれた。

 

 そういったことは元来逆鱗である思春に打ち明けるべきなのだろう。

しかし、十年間の間は離れ離れであり、今も何処か余所余所しい態度を取っている。

あれは彼女なりの覚悟の決め方であろうから、今はそっとしておくべきだと一刀は考えている。

かと言って、劉備や関羽に頼っていては、導き手としての力量を疑われてしまう。

そうなると、やはり彼が迷いを打ち明けられるのは愛紗だけである。

 

 

「北郷、その……ごめんなさい。姉の態度が気に入らなかったのならば、私が謝るわ」

 

「孫権、お前が謝る必要はない。そもそも、孫策が俺を敵意するのも仕方ないことだ。彼女にとってお前は人質にされた状態だからな」

 

「違うの。姉は以前なら貴方のことを――」

 

「……以前?」

 

「え? 私は今何を……? と、とにかく姉のことは嫌わないでいてあげて」

 

「? ああ、分かった」

 

 孫権の言動に疑問を覚えながらも、一刀は頷く。

彼と姉である孫策との仲が悪ければ、彼女はいたたまれない気持ちになってしまうのは分かり切ったことだ。

逆の立場であったならば一刀も同じことを言っていたかもしれない。

できる限り、親しい者達には仲良くいて欲しいものだ。

 

 少しだけ寂しそうに孫策が去って行った方向を見遣る孫権は実に彼女らしい。

姉に何も言えず、こうして一刀に姉を嫌わないでやって欲しいと言うことしかできないのが悔しいのだろう。

彼女と孫策の間にある何かが、一刀への考え方の違いを生み出している。

孫権の様子では孫策もその何かを持っているようだが……しかし、二人の見方はまるで違う。

 

 

「姉は昔から他者よりも家族を優先する傾向にあって、いきなり北郷がそこに入ったのが不安なんだと思うの。北郷もいきなり知らない誰かが家族になったら不安でしょう?」

 

「そうだな。確かに、守るべき家族に他人がいきなり入るのは嫌だろう。しかも、大事な妹を娶るんだ……俺がどんな男かを確認しなければ不安でしょうがないだろうな。悪い男だと困る」

 

「きっとそうなのでしょうね。北郷は悪い虫から一番程遠い男なのに。案外ジェラシーというものなのかもしれないわね」

 

「……今まであまり構ってやれなかった妹と俺の仲が良いから嫉妬している、と?」

 

「ふふ……もしかしたらの話よ。本当にそうだったら困るし」

 

 孫権が使った言葉に一刀は違和感を覚えながらも、言及はしない。

彼が教えていない筈の言葉が時々彼女の口から出て来ることがある……彼女が知らない筈の言葉が、だ。

ジェラシーなどという言葉をこの時代の人間が知り得る筈が無い。

一刀は基本的にそういった言葉は使わないようにしているし、彼女の前でもそうであった筈だ。

 

 一刀はこういったイレギュラーが少しばかり恐ろしい。

かつて孫権が思春を異界の者のようだと言ったが、それはもしかしたら孫権にも当てはまるのかもしれないのだ。

このようなことを考えるのはナンセンスな筈なのに、不安は拭えない。

彼以外が教えることの叶わないことを彼女が知っている―――それはとても恐ろしいことだ。

 

 

「あっ、そうだった。袁紹さんがいくらか兵糧と装備を分けてくれるって言ってたよ?」

 

「劉備……そういうことは最初に言え」

 

「はわわ……既に受け取りの手筈は整えてあるので、後は伝令さんを待つだけですから、言う必要は無いと私が判断したんです」

 

「そうか。なら良い」

 

 劉備の遅れての報告に呆れる一刀であったが、孔明の説明で納得する。

確かに準備が既にできているのならば事後報告でも構わないし、兵装、兵糧を担う部隊にある程度の見直しをして貰うだけだ。

渡される物資の正確な量を向こう側が教えてくれているのならば、それこそ問題は無い。

ただ、あまりにも大量に渡される場合はその部隊が困ってしまうのが、この遅れた報告の問題点であろうか。

 

 事後報告でもある程度の量ならばそこまで問題にはならない。

しかし、例えば今ここにある物資と同程度、もしくはそれ以上の物資を受け取れば、話は別だ。

その確保と運搬に割く人数を増やし、それによって実働部隊の数は減ってしまう。

運搬の時だけ人数を増やしても良いが、物資が増えればそれを守る人数も増やさねばならないものだ。

 

 孔明がそれを考慮していない筈は無いので、今の部隊の数でも十分に遣り繰りできる量なのだろう。

そうでなければ困るし、一刀は孔明が準備万端を好むことも理解している。

油断することを知らない彼女は、十二分な準備を常にしておく傾向にあるのだ。

そんな彼女がこの程度のことを考えていない筈は無い。

 

 

「ああ、そうだ。各諸侯を見た感想は?」

 

「袁紹さんはしっかりしていて、軍議もかなり円滑に進んだよ。袁術さんも、年の割には大分落ち着いていたし、馬騰さんも他の人も、かなり冷静な人ばかりだったかな?」

 

「ふむ……劉表、陶謙、劉焉も居たか?」

 

「うん。もっと血気盛んな人達だと思っていたんだけど……そうでも無かったね」

 

「桃香様の言う通り、各諸侯は随分と落ち着いていました。夏候元譲殿などの例外はいらっしゃいましたが」

 

 劉備の言葉は中々に深い意味を持つ。

この時代の者達は皆血気盛んだが、こうしてここに集った者は皆相当な実力者だ。

ただ血気盛んなだけではなく、冷静に物事を見る能力もそれ以外の者より秀でている訳である。

それでも直ぐに頭に血が上るのは仕方のないことであろう。

 

 誰にだってあまり触れて欲しくないものはある。

一刀も、彼が真名を持たないことに関してはあまり触れて欲しくは無い。

彼がこの世界の住人にはなれないことを示すその事実は、今も尚彼に痛みを齎し得る。

彼がこの世界に馴染みきれない一番の理由はそれだ。

 

 

「よし、顔合わせは終わった訳だ。次は汜水関の攻略だが……先程言った通り、知華の火矢を戦の開始とする。それと――俺も最前線に加わる」

 

「北郷殿が? 我々では華雄と張遼を討てないということですか?」

 

「いや、そういう訳ではない。ただ、今回は相手が何か策をしかけてくる可能性がある。その場合、関羽達には将との戦いに集中して貰いたい」

 

「むぅ……そうですか。では、援護をお願いします」

 

「ああ、任せろ。関羽、張飛、華雄と張遼は任せるぞ」

 

 一刀も最前線に加わることに関羽達は難色を示すものの、彼が策を潰すことを提言すると納得する。

一刀も、関羽と張飛には言葉通り張遼と華雄を倒すことに集中して貰いたい。

その為、彼が感じているこの嫌な予感の原因を潰す必要があるのだ。

 

彼の想定する最悪の事態が訪れた場合、彼が最前線に居なくては関羽も張飛も、果ては知華も死ぬだろう。

それ程までに、今回か一刀が感じている嫌な予感は強い。

彼の気のせいであるのが最善の状況なのだが、想定すべきは最悪の状況である。

 

 

「皆、準備をしておけ……明日は大分荒れるぞ」

 

 

 しかし、彼の予想は外れる―――悪い意味で。

彼が想定する最悪の状況を上回る、想像しうる限り最低の状況が訪れることを彼はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 汜水関は虎牢関の三国時代の呼び名である。

 

 三国志演義では、汜水関と虎牢関は別々の地名として描かれているが、史実では二つは同じ場所に存在する。

一刀の嫌な予感の正体は、これである。

この世界でもまた、虎牢関と汜水関は同じ関を意味するのだ。

 

 汜水関の前で陣形を取りながら、劉備軍は孫策の軍と足並みを揃えて進んでいく。

汜水関から降り注ぐ矢の届かぬ距離で一刀達は、その最前線を止めた。

このまま進めば矢の雨の餌食になるだけである。

それに、この距離からならば―――太史慈の矢は届く。

 

上っている牙門旗はやはり張遼の『張』と、華雄の『華』だけだ。

その片方―――孫策達のお薦めである華雄の旗に太史慈は狙いを定める。

彼女の弓矢は所謂遠距離用のもので、その威力も速度も飛距離も格別だ。

欠点として扱う者には相当な筋力が必要とされるが……その代わりに得られるメリットは大きい。

 

 

「―――っ」

 

 狙いを定めた太史慈――知華の弓から火矢が放たれ、『華』の牙門旗へと飛んでいく。

その通常の倍か、それ以上の速度で飛んでいった矢は、見事に『華』の牙門旗へと突き刺さった。

突き刺さった火矢を始点に燃えていく牙門旗を見た劉備軍は、見事な一矢に歓声を上げる。

 

 少し得意げな笑みを浮かべる知華に、一刀は笑みと共に頷いた。

後で労ってやるのは当然のことであるが、こうしてその度その度に明確に肯定の意を示すのは大切なことだ。

絆は、確認し合わなければ簡単に崩れていく。

 

 だから、一刀は静かに隣に居る関羽に笑いかけた。

その緊張に震える肩に、そっと手を置いて大丈夫だと安心させてやる。

彼女には何の心配も要らないことを、その真紅の瞳で以て語るのだ。

関羽は、そんな彼の姿に柔らかな笑みを一瞬浮かべると、すぐさま凛々しい表情に戻り、声を張り上げた。

 

 

「牙門旗とは、即ち一軍を主から託された誇りの証だ!! それを燃やされても、そうやって関に隠れているつもりか!? 貴様達に誇りがあるのならば、外に出て勝負しろ!!」

 

「そうだ。それで良い」

 

 関羽の凛々しい声が響き渡るのを聞き取りながら、一刀は静かに頷いた。

安堵の表情で確認を取ってくる関羽に笑顔で応えると、彼はその氣を昂ぶらせる。

後は彼の不安要素をどう排除するかだが……彼は、嫌な予感を拭えない気がした。

そもそも不安要素の正体も分からない状態で、それを排除するのは至難の業である。

 

 関の向こう側で上がる怒声と、それに続く城門の錠が解かれる音が、一刀達の緊張を呼び出す。

関の向こうから伝わる熱気は、今から純粋な力のみによる戦闘が開始されることを意味する。

そうなれば、一刀が居る側が勝つのは道理であるが―――それでも彼は不安を拭えない。

 

 

「……蜃気楼?」

 

「北郷殿、どうされましたか?」

 

「いや、蜃気楼が―――何!?」

 

 不意に、蜃気楼が何かに反応した。

 

 一刀はその地獄の業火の如き眼が、驚くべき事実を告げるのを、多くを理解するその真紅の眼で捉えた。

蜃気楼は間違いなく歴史に名を残す名馬である。

その機動力、戦闘力は言わずもがな、更に多くを感じる強い野性を持つ。

 

 その名馬が伝えたものを確かめる為に、一刀は開かれていく関を見据え――それが事実だと理解した。

蜃気楼が伝えてくれなければ、一刀でさえも咄嗟に反応できない奇手である。

だから、彼は叫んだ。

 

 

「全軍下がれ!!」

 

「!? 北郷殿、いったい―――」

 

「お兄ちゃん? どうし―――うにゃ!?」

 

 一刀が叫んだのと同時に、関の向こう側から波のような量の牛の大群が現れた。

 

 それがただの牛であったならば何の問題も無いだろう。

しかし、一刀の感覚はそれがただの牛ではなく、竜の血を飲まされた狂暴な牛であることを彼に知らせる。

これをまともに受けてしまえば、劉備軍・孫策軍は一溜りも無いであろう。

 

 いきなりの事態に驚いて動けない関羽と張飛を置き去りに一刀は蜃気楼を左側に進めた。

そのまま流れるように右手に氣刃を形成すると、一切の容赦なく罪なき牛達を斬り殺す。

まさかこのような伏兵と遭遇することになるとは夢にも思わなかった彼だが、蜃気楼の御蔭で難を逃れた。

 

 

「固まるな!! すぐに敵が来るぞ!!」

 

「! 行くぞ!!」

 

「突撃! 突撃なのだ!!」

 

 切り刻まれた牛達をすぐに意識から離すと、一刀は叫んだ。

彼によって牛の突撃による被害は零となったが、それが齎した混乱はまだ収まっていない。

この空白を狙われては、いかに練度があっても意味が無い。

まさしく全ての思考が無い、何も考えられない無意識の時間は、完全に無防備なのだ。

 

 ましてや、今彼らが相手にしているのは、ただの軍ではない。

一刀が危惧した通り、今まで『張』と『華』の二つしか無かった牙門旗が、その後方に新たな旗を加えた。

彼が危惧していた可能性が、まさしく現実のものとなってしまった。

 

 

「各隊に告ぐ……手柄のことなど忘れて、生き残ることのみ考えろ!!」

 

 もはや兵達に手柄のことなど少しも考えさせてはならない。

今から彼らがすべきことは、ただひたすらに生き残り続けることであり、そのようなことを考える暇は無いのだ。

完全に開かれた関の向こう側から姿を現した、総勢三万を超える董卓軍に加えられた新たな旗は―――

 

 

「呂奉先殿、出陣!!」

 

「華雄隊!! 我々の誇りを嘲笑った奴らを叩き潰せ!!」

 

「張遼隊! 華雄隊を援護することに集中しい!!」

 

 

 『呂』の牙門旗であり、それが示す武人はただ独り――呂布奉先のみである。

 

 涼州における黄巾党三万を一人で皆殺しにした、人中の呂布、馬中の赤兎馬とまで言われる、大陸最強と呼ばれている武人――それが呂布奉先だ。

一刀が知る呂布奉先はそれだけであり、楽しみの為に敢えてその正体を確かめなかった彼は、その判断が正しかったことを理解した。

 

 彼の理性はすぐさま呂布奉先を調べ上げ、その全貌を明らかにしろと言っていた。

愛紗もまた、彼にそうすることを望んでいた。

それでも、彼は楽しみの為に取っておけと言う本能に身を任せた。

彼にとって三国志における一番の楽しみの詳細は、実際に会うまで知らずにおきたかったのだ。

 

 

「そうか―――お前だったのか」

 

「……竜」

 

 だから、一刀はその正体に驚き、だが納得した。

先程の竜の血によって狂暴化した牛達に血を与えたのは、彼女しか有り得ない。

竜は互いの存在を深く感じ、その生死を敏感に感じ取ることができる。

だから、彼は今目の前にある事実に納得し、そして喜んだ。

 

 十年前に彼が本能に従って下した判断は間違いでは無く、確かに彼を楽しませる程の楽しみを今齎した。

彼が待ち望んでいた、同じ領域の存在が今になって漸く現れたのだ。

涼州で黄巾党三万を一人で皆殺しにした呂布奉先はまさしく生きる伝説である。

 

 

 

 

 

そして、その正体はかつて彼が見出した三匹目の竜であり、彼に愛されようと必死だった女の子―――恋だった。

 

 

 

 

 

 

 


 
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