No.48036

不安な話。

とかげ。さん


ある日思いついた不安を口にすれば妄想とも言えるものでも、不安として心に根付くのは簡単である。

2008-12-22 21:41:45 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:524   閲覧ユーザー数:507

 

 

 

ああ、聞いてますか?

 

私が話している言葉は貴方の心にどう聞こえてますか?

 

夢のような話でしょうか?

 

いや、実際夢の話なんですが。

 

果たして私の示す「夢」と貴方の感じた「夢」が違うとしたら

 

やはりそれは伝わってはいないことの証明になるでしょうね。

 

そう言ってから口の端だけを上げて笑いを作ってみたけれど

 

時すでに遅し、彼の顔は悲しそうに眉を下げていた。

 

 

 

ああ、例えばの話です。

 

私たち、今はどうか知りませんが星に向かって手を伸ばすでしょう。

 

それは届かないから手を伸ばすんだと思いませんか?

 

わからないかもしれませんが、取りあえずはそのまま聞いて欲しいのです。

 

私たちの進化は適応よりも科学という分野に置いてとても発達しましたね。

 

つまり肉体よりも脳が進化しているのではないかと思うのです。

 

動物とは生きるために進化をしますよね、環境に合わせて子孫をより多く残すためです。

 

しかし人間はただ生きるためにとは言えないほどに過ぎた進化を遂げているではないですか。

 

でもね、それもある種生きるための進化なんですよ。

 

私達、何のために生きてるの?と問われた時に

 

結局は「生きるために生きている」というような答えが多くあるような気がするんです。

 

でもね、私達はもう生きるために生きることが出来なくなっているとは思いませんか?

 

死にたくないから生きる。そういう答えもあるでしょう。

 

でもね、ほら遊びが必要でしょう?

 

目的が必要でしょう?

 

希望と同時に絶望があるから生きることが出来ているのでしょう?

 

希望が生きることならば、この脳の進化は必要じゃなかったように思えるんです。

 

つまり遊びが無くなって来たから、人は脳みそを進化させてるんですよ。

 

より難しく、よりたくさんの遊びを見出すために。

 

馬鹿みたいな話なんですけど。

 

例えば私は本が好きで生きがいだとさえ思ってますが

 

それを奪われたら死にたくなるんですよ。

 

生きるための生き方には必要ないと思ったでしょう。

 

だからなんですよ。

 

ああ、そこで話を元に戻しますと。

 

限界はやっぱり見えてきます。

 

あの手を伸ばして楽しんだ星達のどれかにはもうすでに人は到達しているんですよ。

 

つまり、私がもっと楽しむためにはあの星へ行って

 

そして更に遠くの星を見る必要があるんです。

 

なぜここじゃ駄目かと言うのはね、ああだから例えば何ですよ。

 

先を見るってことはそういうことで

 

いずれ限界が来た時に人は滅びると思いませんか?

 

私ね、人類が滅亡するのは何も隕石が地球にぶつかった時でも

 

核が爆発した日でもなくて

 

人類の進化の限界と共に遊びを失った日だと思うんです。

 

夢みたいな話でしょう?

 

でもね、私の脳みそはとうとうそんなことを考えては絶望するようになってしまったんですよ。

 

だから今唯一の生きがいを「生きるためだ」と言われて奪われたら

 

それは死ぬしか無いんですよ。

 

 

 

 

彼は思う

 

どうしてこの目の前にいる人間は本一冊奪われるかどうかでこんなにも口が回るのかと。

 

しかしどうしてかこの話はとても印象強く頭に響く

 

話の中にある矛盾についてこの話に真実味があるかと言えば無いはずなのに

 

妄想だ。それこそ言葉を借りるなら「夢」のような話だと言うのに

 

可哀相にと言うよりも、なぜそんなことを私に言うのかと

 

腹立たしくあった。

 

不安というのはこうも簡単に人の心に根付くのだから。


 
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