No.479049

IS インフィニット・ストラトス バニシング・トルーパー α 002

こももさん

「IS インフィニット・ストラトス バニシング・トルーパー」のリメイクです。コメントをよろしくお願いします。

2012-09-02 22:09:01 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1379   閲覧ユーザー数:1349

 Stage-002

 

 

 

 

 一月のイギリスは、厚い灰色の雲に空が覆われて曇っている場合が多く、名物の冷たい霧と相俟って、人をややブルーな気分にさせてくれる。

 それはもちろん、両手に荷物を引きずって人波を掻き分けて。駅から出たばかりのクリスも例外ではなかった。

 

 「チッ、たったの三日なのに、なんだってこんなに……」

 灰色の雲を見上げて、クリスは愚痴と共にため息をつく。冷たい空気の中、吐き出した息は白くなって、午前の空へ上がって行く。

 視線を落とすと、特大サイズのキャリーケース二つとバイオリンケースのベルトが目に入る。

 三日間にこれを運ぶのが自分だけだと思うと、駅からずっと自分の後を歩いてきた少女――セシリアに恨めしげな視線を送らずには居られなかった。

 

 「大体さ、この状態はちょっとおかしくないか?」

 「な、何のことです?」

 なぜかチョロチョロしていたセシリアは慌てた声で、そう聞き返した。

 セシリアの荷物を全部引き受けたクリスと対照的に、セシリアが持っているのはバスケット一つだけだった。

 「確かに俺も一緒に来たいとは言ったけどさ……」

 立場と性別を考えると別におかしくはないが、問題はそこじゃない。

 

 「なんで俺とお前以外誰も来ないんだよ! メイドたちはどうした?!」

 不満げな視線でセシリアを睨みながら、クリスは朝からずっと抱えていた疑念を口にした。

 今日が屋敷を離れてこの町に来たのは、セシリア専用に開発したISを受け取るためだった。微調整なども含めて、三日ほどこちらに滞在する予定になっている。

 三日くらいなら、着替えなどはケース一つで十分だろうけど、セシリアみたいなお嬢様となるとそう簡単にはいかない。服とアクセサリーだけでケース二つ、さらに練習もしたいからと言ってバイオリンまで持参してきた。

 

 「み、みんなさんはその……お、大掃除です。そう、この三日間で庭も含めて大掃除をする予定ですから来れません!」

 「なんだその今考えたみたいな返事。昨夜は仕事も来ないでチェルシーさんと何かやってたみたいだし、何か企んでるっぽいな」

 「そそそ、そんなことありません! さあ、行きましょう!!」

 「ちょっと待て」

 何かを誤魔化すように、相手との待ち合わせ場所へ急ごうとするセシリアを、クリスは呼び止めた。

 

 「……何ですの?」

 「ちょっと雑誌を買ってきてくれ」

 「雑誌?」

 「そうだ雑誌だ。『月刊・男のホビー』、ちょっと買って来てくれない」

 顎で十メートル先にある小さな本屋を指して、クリスはセシリアにそう指示した。

 

 「あなた、主を相手に買って来いですって?」

 「いやなら俺が買ってくるから、荷物を持てここで待って」

 なにやら文句ありげに眉を吊り上げるセシリアに、クリスはキャリーケースとバイオリンケースを差し出す。

 いかにも重労働と無縁そうな可愛い美少女がそれらを全部装備したら、さぞシュールな光景になるだろう。

 しかしセシリアは両手が持っているバスケットを見せて、拒絶の意を見せた。

 

 「雑誌なんていつでも買えますでしょう?!」

 「今月のは改造キットがついてるんだから、遅れるとなくなるって! 後で合流したら市区外の研究所へ直行だし、買うなら今しかない! ほらそこの棚に並んでるし、十メートルくらいしか離れてないのに買わないとかどんな拷問だよ!」

 「また模型ですか!はいはい、もう分かりましたわよ! まったく、買ってくればよろしいでしょう!」

 ふんっ、といかにもご機嫌斜めに鼻を大きく鳴らして、セシリアは背を向けた。

 読書もスポーツもそれなりに嗜んでいるが、クリスの趣味らしい趣味といえば模型作りしかない。模型一個の製作に最低でも二、三日がかかるし、この間に余程のことじゃないと、クリスは誰とも話さない。

 個人趣味に口出しはしたくないけど、構ってくれないのは気に入らない。

 従って、模型なんて大嫌いだ。

 

 「ちょっと待て。あんな小さな本屋じゃカードは使えないから、俺の財布を使え」

 さっさと本屋へ向かおうとするセシリアをもう一度呼び止めて、振り返った彼女にクリスは自分の正面を向ける。

 セシリアのことだ。現金なんて絶対持ってない。

 

 「内ポケットにあるから」

 「……えっ」

 荷物で塞がった両手を広げたクリスの顔と彼の胸元を交互して見て、セシリアは目を丸くした。

 クリスの態度は明らかに“コートのチャックを開いてその中に手を入れて財布を取り出せ”、と言っている。

 恋人か家族なら、これくらい簡単にできるだろう。しかしクリスがセシリアにとって、そのどちらでもない。

 オルコット家の使用人はみんな家族という理屈から強いて言えば、クリスは家族に近いかもしれないけれど、そんな風に割り切れないから困る。

 

 「さっさと取れって」

 「わ、分かってますわよ」

 クリスに催促されて、セシリアは生唾を飲み込んで、彼へ一歩近づいた。

 その紺色のコートを睨んだまま少し躊躇った後、何か覚悟を決めたような表情を浮かべた。片手の指でガチガチとした動きで、コートのチャックをゆっくり下ろす。

 

(本当にやるとはね……)

 一方、される側のクリスは少し驚いていた。

 半分はセシリアをからかうつもりで言ってみたものの、まさかセシリアが本当に実行に移すとは、少々意外だった。

 今の二人の身長差は殆どなくて、一緒に立っているとすぐ視線が合ってしまう。しかし端から見れば寄り添っているようなこの距離で見詰め合うのも恥ずかしくて、思わず視線を上へ逸らしてしまった。

 セシリアの髪から漂うほんのりとした香りが、鼻を突いてくる。

 

 「か、固いですわよ、このチャック。仮にもオルコット家の人間なのですから、ちゃんとしたブランド品を買いなさい」

 「別にいいよ、そんなの」

 ぶつぶつと文句をこぼしながら、セシリアはチャックをクリスの胸元まで開き、まるで猛獣の巣に探検でもするような慎重さで、手をクリスの服の中に入れて財布の位置を探る。

 シャツ越しに感じるセシリアの手が、ひんやりとしていて寒気を感じた。

 この間は珍しく暖かかったけど、今日の空気はかなり冷えているから、無理もない。

 

 「手が冷たいぞ。大丈夫か?」

 「だ、大丈夫ですわよ」

 顔を深く伏せて表情を見せないまま、セシリアはどこかぎこちない返事をした。

 セシリアが男の子とこうして触れ合いの経験は、おそらく今までなかったんだろう。そしてクリスにとっても、そんな風に触られても抵抗を感じない相手はセシリアくらいしか居ない。

 胸板に沿って指を這わせて、財布を探ってくるセシリアの顔は、見る見るうちに赤くなっていく。そのソワソワとした様子が妙に可愛くて、両手が塞がっていなければ、今の彼女の頭を撫でてみたい。

 もちろんそんなことは、口が裂けても言わないけど。

 

 「財布までこんな安物を……まったく、本当に仕方ない男ですわね」

 少しだけ探ると、セシリアはすぐにクリスの財布を見つけることができた。指でそれを摘み出してコートのチャックを元に戻すと、彼女はすぐ目を逸らして、顔を隠したままそう言った。

 

 「……で、では買ってきて差し上げますから、ここで待ってなさい」

 「勝手におやつ買ったりするなよ?」

 「買いません!!」

 冗談めいた返事を返しつつ、クリスは少し体を屈めてセシリアの顔を覗き込むと、セシリアはまるで逃げるように身を翻して、振り返らずに本屋へ駆け出した。

 

 「ふっ……」

 長い金髪の揺れるその後姿を眺めて、クリスの表情はすぐ安堵したようなものに変わった。一回だけ深呼吸して、空へ白い息を吐き出す。

 心臓がドキドキしてるのを気付かれてないのが幸いだった。後はセシリアが戻ってくる前に、顔が赤いのをなんとかしないと。

 

 

 

 *

 

 

 

 大量の荷物を引きずって、セシリアと一緒に待ち合わせ場所で向こうが手配した車を待つ。しかし約束時刻から三十分以上が過ぎても、研究所の車両らしきものはどこにも見当たらなかった。

 午前十一時四十分。

 霧が少し濃い今では、少々の遅れは仕方ないかもしれないが、連絡の一つくらいよこさないのがおかしい。そう思った瞬間に、屋敷にいるはずのチェルシーから電話が来た。

 

 「なに? 手違いだと……?!」

 携帯電話の向こうの相手に、クリスは素っ頓狂な声を上げた。

 『はい、そうです。本当に申し訳ありませんが、私が研究所に伝えるべき日程を間違いまして……』

 「何とかできないのか?」

 『先ほど研究所と連絡したのですが、今から運転手と車を手配してはおそらく到着は午後六時、さらに研究所に戻ってはもう深夜になってしまうとのことです』

 「そんな……じゃ俺たちは……」

 眉の間に皺をきつく寄せて、クリスは肩を深く落とした。

 研究所は市区から遠く離れた場所にある。バスなんてないし、この霧ではあそこまで乗せてくれるタクシーもいないだろう。

 いつも完璧なチェルシーにらしからぬミスだったが、今から追及しても問題解決にならない。

 横にいるセシリアを一瞥すると、なぜか彼女はすぐに顔を逸らした。

 

 『本当に申し訳ありません。研究所の方は明日の朝一に車を寄越すと仰ってましたので、今夜は市区のホテルに泊まれば大丈夫かと』

 「えっ?」

 『勝手ながら、すでにオルコット家と契約したホテルの支店にお嬢様の名前で予約を入れておきました。詳細位置はメールでお送り致します』

 「ちょ、ちょっと待て」

 『天気が寒いようですし、くれぐれも風邪を引かないようにしてください』

 クリスの返事を聞かずに、チェルシーはどこか妙に楽しげな声で既定事項のようにことを述べる。

 

 『では、失礼します』

 「待てって! おい!……あっ」

 最後に大声で呼びかけても、切られた電話の向こうからはすでに不通音しか聞こえなくなった。

 

 「チェルシーさんが日程を間違えたから、研究所の車は明日。今夜はこっちに泊まるしかない」

 表示の消えたディスプレイを数秒間虚しく睨めた後、クリスは現状をありのままセシリアに伝えた。

 

 「あ、あら、そうですか」

 「……うんっ?」

 相変わらずバスケットを大事そうに携えて顔がそっぽを向いたまま、セシリアは簡潔に返事をした。しかしこころなしか、声が僅かに裏返っていても、彼女は特に驚く様子はなかった。

 チェルシーだけじゃなく、セシリアの態度までちょっとおかしく思えてきた。

 昨夜チェルシーと二人でこそこそ何かをしてたのも踏まえて、一つの仮説がクリスの脳内に浮かび上がる。

 今日のこの事態を、このふたりはある程度予測していた可能性がある。

 しかしだとしたら、なぜ黙っていた。その理由が思いつかない。

 

 (……考えすぎ、か)

 苦笑して、クリスは自分の疑念を振り払い、通りかかるタクシーを呼び止めたのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 チェルシーが予約したホテルにチェックインすると、二人はホテル上層のスィートルームへ案内された。

 さすがはオルコット家と契約しただけあって、部屋の中はなかなかに広くて、内装もかなり凝っている。寝室は二つもあり、やや狭い方が付き人用になっていて、広くて豪華な方が主人用である。

 

 部屋に入ってドアを閉めた途端、二人の間に妙な沈黙が訪れた。

 クリスは黙って二人のコートをハンガーにかけ、荷物をそれぞれの部屋に運んだ後、電気ポットに水を入れる。

 セシリアはずっと持ってきたバスケットをテーブルに置いて、椅子に腰をかけて外を眺めたまま押し黙った。

 屋敷でも二人の部屋がかなり近かったりするし、いまさら変に意識するようなことはしないつもりだったか、この空気が微妙だ。

 

 「……とりあえず飯だな」

 電気ポットのボタンを入れた後、クリスはリビングのテーブルまで歩いて、注文できるメニューがないかを確かめる。

 今は丁度昼飯の時間、そして午前の重労働のせいでクリスのお腹は強烈な空腹感に襲われている。なんでもいいから、とにかく食べ物が欲しい。

 テーブルの上には、食事のメニューが置いてあった。

 

 「中華とイタリアンの良さそうのがある。セシリアはどっちがいい?」

 一通りメニューを見たあと、クリスは近くに座っているセシリアの意見を求めた。

 食文化の乏しいイギリスでは外国の料理を好むイギリス人が多くて、外国料理のできるコックさんを雇うホテルも少なくない。その中でも中華料理が特に種類豊富で、若者たちの間で人気になっており、クリスもその例外ではない。

 それでも一応レディファーストの精神に則って、選択権をセシリアに委ねる。

 

 「あっ、それでしたら……」

 少々緊張気味な声で、セシリアはそう言った後、ずっと自分が持ってきたバスケットの蓋を開けて、中身をクリスに見せた。

 その中には、美味しそうなサンドイッチがみっしりと詰まってあった。ぎっしり挟んだ肉や野菜の鮮やかな色が、見た人の食欲をそそる。

 

 「サンドイッチを用意してきましたわ。わたくし一人では食べ切れませんし、あなたも手伝いなさい」

 「それはありがたいな。チェルシーさんのサンドイッチは相変わらず美味そうだ」

 「……ふんっ!」

 チェルシーの名前を聞いた途端セシリアはいきなり眉を吊り上げて、サンドイッチを取ろうとするクリスの手を蓋で叩いて、バスケットを閉じた。

 

 「ど、どうしたんだ?!」

 目を丸くして、クリスは睨んでくるセシリアの顔をまじまじと見る。

 それほど力を入れていないため、大した痛みは感じないが、セシリアが急に怒った理由が思い当たらない。

 しばらく睨めっこを続けた後、セシリアは口を開けた。

 

 「……今日のサンドイッチはチェルシーではなく、このわたくしが作ったものです!」

 「はあ~?」

 サンドイッチ。噂ではイギリスのとある分の悪いギャンブルが嫌いではない伯爵がシェフに指示して開発した、トランプを遊びながら食べられる料理。

 軽食ってイメージはあるけど立派な「料理」。

 そして「料理」と「セシリア」が交差するとき、恐ろしい化学反応が始まる。

 危うくまた死ぬところだった。

 手を叩いて止めてくれたセシリアに、感謝を。

 

 「さあ、このわ・た・く・しが作ったということを踏まえた上で、しっかり味わって召し上がりなさい。温かい紅茶もありますから」

 もう一度蓋を開けて、セシリアはドヤ顔でサンドイッチをクリスへ押し出す。

 しかしクリスはまるで爆弾でも見たかのように体を震わせながら一歩下がって、部屋の電話を取っって窓際まで逃げた。

 

 「ももも申し訳ありませんが、今日は中華気分ですので遠慮させていただきます。ありがとうございました。お嬢様は俺なんかに構わず、ご自分でお召し上がりください」

 「そのリアクションはどういうことですか!?」

 「あっ、もしもし、食事を頼みたいのだが……」

 「ちょ、お待ちなさい!! このっ!」

 「あいたたたたたた!!」

 クリスが注文を言う前に、追ってくるセシリアは後ろから彼の手首を掴んで背中に拘束し、電話を奪い取った。

 ISのパイロットとして格闘術の訓練を一通り受けてきたセシリアにとって、これくらいは造作もない。

 

 「あなた、わたくしのサンドイッチがそんなに嫌ですの?」

 「そ、そんな滅相もございません。ただ今日は中華気分でして……」

 「ならせめて一個だけでも食べてみなさい。そしたら好きにして構いませんから」

 「俺に死ねと仰るのですか!」

 「何ですってぇぇえええ!!」

 「なら……お前が……先に食べて、みろよ……そしたら……サンド、でもなんでも……」

 セシリアに首を思いっきり絞め上げられて、クリスの顔が真っ青になっていく。しかし喉の奥から虫の息のように言葉を搾り出すと、セシリアはいきなりクリスの首を解放して、目をキラキラさせて何か期待しているような表情を浮かべた。

 

 「本当に? 本当になんでも言うことを聞いてくれますの?」

 「こほっ、こほっ、はあ……な、何の話?」

 「分かりました。そこまで仰るのなら、受けて立ちましょう」

 優雅に身を180度回転させ、長い金髪を広げる。

 アンティーク風のチェアに腰をかけて、綺麗な両足を組む。

 床に跪いたクリスにを見下すような目で眺めながら、セシリアは自信たっぷりな微笑みを浮かべた。

 

 「勝負です。わたくしがこのサンドイッチを先に食べて見せましたら、あなたにはわたくしの言うことを、何でも聞いていただきます」

 「えっ!? 何だよそれ!?」

 「あら、怖気がつきまして?」

 「……別にいいぞ。本当に飲み込めたら、どんなわがままでも聞いてやるよ」

 なんとか呼吸が回復したクリスはセシリアの向こうの席に腰をかけて、セシリアの目を見てそう言った。

 なぜか妙な話になってきたが、セシリアの料理は基本的に外見が綺麗に見えるだけで、人間……いや、生物が摂取できるものではない。

 いい機会だから、セシリアにも自分の料理才能のなさを知ってもらおう。

 

 「その言葉、忘れないでくださいね!」

 そう言い返して、セシリアはバスケットに詰まった自分の手製サンドイッチを手に取った。

 チキンサンドだった。

 綺麗に焼いた鶏肉、新鮮なキャベツやキュウリ、そしてこのセシリア・オルコットのオリジナルソースは絶妙なバランスで絡み合い、パーフェクト・ハーモニーを奏で出している。

 材料を切ってソースを調製したのは、全能美少女たる自分だ。美味しくないなんてありえない。

 今にこれを美味しく頂いて、この失礼な男を見返してやろう。

 

 「はむっ」

 クリスの注目の中、セシリアは淑女らしく、サンドイッチを控えめに一口噛んだ。

 咀嚼を始める。

 しかしその咀嚼が一回だけ行われた後、セシリアの顔から笑みが消えた。

 眉を顰め、口元をへの字に下げ、顔色が紫になっていく。辛そうな表情して口元を押さえ、セシリアは顔を深く伏せた。

 

 「無理はしないほうがいいぞ」

 妙に得意げなクリスはセシリアにそう言い、彼女の肩にそっと手をかけた。

 セシリアは明らかにサンドイッチの凄まじい不味さを我慢している。一口食べただけでそれでは、一個を完全に食べ切るなんて無理だろう。

 目的も達成したし、セシリアに無理して体を壊して欲しくない。

 しかし意外なことに、セシリアは顔を伏せたまま頭を横に振って、彼の手を振り払って拒絶した。

 

 「うっ、ううん……」

 「おい、無理するなって」

 「う、うぐっ……むっ!!」

 勢いと根性と意地で、セシリアはなんとかその一口だけを飲み込んだ。そして間髪入れずに保温水筒の蓋を開けて、中にある暖かい紅茶を凄い勢いで喉に流し込む。

 しかし飲むのが急ぎすぎて、すぐにむせて咳き込み始めた。

 

 「大丈夫? ……ほら」

 クリスは苦笑を浮かべながら、苦しそうにしているセシリアの背中を優しくさすり、ハンカチを差し出す。

 それを受け取ったセシリアは頭を横へ振りながら、口元と手についた紅茶をふき取った後、その一口しか食べてないサンドイッチをもう一度手に取った。

 

 「おい、待て! 何をする気だ!?」

 「だって、まだ一個を食べ切れていませんもの」

 「落ち着け!」

 一回深呼吸して、セシリアは覚悟を決めた表情でサンドイッチを口元へ持っていくが、その前にクリスは彼女の手首を掴みとめた。

 

 「もう食うな! 不味いってわかったろう!!」

 「……確かに、チェルシーが作るのと差があることは認めます」

 「いや、差があるとかそういうレベルの話じゃないと思うぞ」

 「……ですが勝負に敗北を認めるわけにはいきません。この一個だけは、食べきってみせます!」

 「もう俺の負けっていいから、止せ!」

 セシリアの手からクリスはその毒々しいサンドイッチを強奪し、残りの入ったバスケットと共に彼女から遠ざけた。

 筋金入りの意地っ張りなのは分かっていたが、少々甘く見積もっていたようだ。

 

 「とりあえずお前の分も注文しておくから、中華を食え」

 「……結構です」

 ついてに奪還した電話で注文しようとすると、セシリアはハンカチで口元を押さえたままそう言い、姿勢を正した。

 それでも、その苦々しい表情が収まる様子は見えない。

 

 「わたくしが作ったものですから、わたくしが食べます」

 「またそんな強がりを……俺の前でもやせ我慢したいのなら、好きにしろ」

 そう言いながら、クリスはバスケットをテーブルの上に戻した。しかし彼の少し怒ったような言葉を聞いたセシリアは、サンドイッチに手を伸ばそうとしなかった。

 

 「なら、言うことを聞いてくれます?」

 「なんでだよ。一個食ってないじゃん」

 「……やっぱり食べます」

 「ああもうわかった、わかったから!」

 本気で残りを食べようとするセシリアの前で、クリスは妥協するしかなかった。大きなため息を吐いて、呆れたような目で彼女を見ながら電話を耳に当てた。

 

 「一個だけなら、飯の後で聞いてやる」

 「よしなに」

 降参したクリスの背中を見て、セシリアは満足の笑顔を浮かべたのだった。

 しかしその笑顔は、三十分後にこの部屋に運び込まれた中華料理によって、消されることになった。

 クリスが美味しそうに食べている、鶏肉の揚げ物によって。

 

 「辛い! どうしてそんなに辛いですの!!」

 「はい、水をどうぞ」

 涙目になりながら、セシリアは口の中に残る辛さを取り除こうと、ゴクリと水を喉に流し込む。やがてガラスコップ一杯の水を全部飲み込んだあと、ハンカチで口元を押さえて眉を顰めた。

 ただの鶏肉の揚げ物だと思って、その辛さを甘く見ていた。

 

 「やめた方がいいって言ったのに。辣子鶏は中華料理の中、最も辛い四川料理だぞ」

 半分心配、半分面白がってるような表情で、クリスはセシリアのお冷を補充した後、彼女を悶絶させた辣子鶏を一個摘んで、口に放り込んだ。

 額に汗が出るほどの辛さだが、なかなかに美味しい。特に辛党というわけではないが、たまにこの味がすごく欲しくなる。

 

 「だって、あなたが好きって言ってましたから……」

 「何か言った?」

 「なんでもありません!」

 「そう怒るなよ。ほら、セシリアはこっちのを食べてみて。辛くないし美味しいよ」

 「……ふん!」

 もう一度茶碗を持ち直して、セシリアはクリスが薦めたかに玉に箸を伸ばす。

 注文した料理のうち、ほぼ全部はセシリアの習慣に合わせて味付けを薄く抑えていて、激辛風味にしたのはクリスが注文した辣子鶏だけ。

 鳥肉を揚げた後、さらに大量の唐辛子や花椒などと共に炒めたもの。そんな胃に悪そうな料理を美味しそうに食べてるのを見るだけで、舌が麻痺しそうだ。。

 なぜそんなものが食べられて、自分のサンドイッチを食べてくれないのかと、セシリアは不思議に思えてくる。

 

 「にしても中華の食卓は、イギリス式と大分違う様ですわね」

 今の二人は、普段セシリアが使っている書房の机よりも小さなテーブルを囲んで食事をしている。

 オルコット家屋敷の食堂にある長くて大きい食卓とは比べものにならないほどに小さいし、そもそも使用人のクリスがセシリアと同時に食事を取ることが少ないので、こういう50cm もない距離で対向して座って、食事をする機会は今までにあまりなかった。

 

 「中国では、作った料理を一品ごと一つの皿に盛って、それを家族みんなが箸で取って食べるのが習慣らしいよ」

 そう言って、クリスは回鍋肉を白いご飯の上に乗せて、一度に口の中へ運んだ。

 セシリアの前では詳しそうに装ってるが、実は彼もそれほど詳しいわけではない。ただたまに見たカンフー映画でそういう場面を見たことがある程度だ。

 

 「か、家族、ですか」

 箸を咥えたまま、セシリアは何かを思い出したように押し黙った。それを見たクリスはすぐに“しまった”といわんばかりの表情になり、なんとか話題を変えようと考え始めた。

 セシリアの記憶にある家族の食卓というものはよく知らないし、両親のことからもうとっくに立ち直ったように見えるが、彼女はまだ中学を通ってるような女の子だ。内心ではきっとまだいろいろあるだろう。

 

 「しかしあれだな。もうすぐ新学期だな。何か面白いイベントとかある?」

 「そんなに知りたいのでしたら、あなたも学校を通えばよろしいですのに」

 「騒がしいのは嫌いだよ」

 「そんなんだから、あなたはいつまで経っても友たちが出来ませんわよ」

 「ほっといてくれ。ああ、でも可愛い女の子に告白されたり、ラブレターをもらったりはしてみたいな。週に一回くらい」

 「それはあり得ませんから」

 急に冷たくなった目でクリスを睨みながら、セシリアはきっぱりそう断言した。

 客観的に見て、クリスのルックスは悪くない。

 優しい笑顔で誘えば、大体の相手は断らないだろう。しかしマンがじゃあるまいし、週に一度はさすがにあり得ない。

 

 「……ちなみに興味も他意もありませんが、一応聞いておきます。あなた、どんな子に告白されたいですの?」

 「可愛い子」

 「ですから、どんな子が可愛いと思います?」

 「えっと……大人しくて包容力があって、言うことを聞いてくれて、わがままもあまり言わない子」

 「料理や家事とかは別にいいですの?」

 「出来るに越したことはないけど、別にできなくても俺は気にしないな。なに、友達を紹介してくれるの?」

 「お断りします。そのような女性なんて現実に存在しません。もし存在しているだとしたら、それは演技をしているに違いありません」

 「そんなの普通じゃないか。気になる相手の前では、多少演技はするもんだろう? まあセシリアは演技しても、性格の悪さがオーラに出てるから無駄だろうけど」

 意地悪そうな目をして、クリスはセシリアをからかうつもりでそう言った。しかしそれを聞いたセシリアは、顔に不敵な笑みを浮かべる。

 

 「ご心配なく、わたくしはこれでも時々ラブレターを頂いてますもの」

 「えっ、マジで!? 誰から!?」

 余裕そうにしているセシリアの言葉に、クリスは動揺せずにはいられなかった。

 顔が可愛いし、能力も家柄も文句なしのトップクラスだし、黙っていれば性格も分からない。そんなセシリアが男に告白されない方が、不自然だろう。

 けどそれをセシリアの口から直接に聞くと、なぜか心の奥底がモヤモヤして落ち着かない。

 いや、モヤモヤの理由ははっきり自覚しているだろう。

 認めたくないが。

 

 「あら、気になります?」

 「……いや、別に」

 「素直じゃありませんわね」

 会話の主導権を握ったセシリアは得意げな笑みを浮かべて、自分の髪の毛を弄り始めた。

 

 「わたくしにお願いすれば、聞かせて差し上げてもよろしくてよ」

 「するか! 縦ロールのくせに生意気な……! 見てろ、今年に彼女を作ってやる。超可愛いの」

 「寝言は寝てから言いなさい」

 「ああ、そうさせて貰うよ」

 空になった茶碗をテーブルに置き、紙ナプキンで口元を拭いた後、クリスは立ち上がった。

 食事は終わった。

 午後は特にやることないし、雑誌を読んでから軽く昼寝しよう。

 セシリアが厄介なことを思い出す前に自分の部屋に逃げ込むことできれば。

 しかしそんな些細な安らぎすら残酷に奪い去る魔女の声が、クリスが席を立った瞬間と同時に響いた。

 

 「待ちなさい。言うことを聞いてくれる約束、忘れたとは言わせませんわよ」

 「……チッ」

 仕方なく、クリスは自分の席にもう一度腰をかけた。

 

 「んで、なにをして欲しい? マッサージか? それとも髪のブラッシング?」

 「それらはもちろん後でしていただきますが、わたくしの望みとは違います」

 「じゃあ何?」

 「――質問に答えて欲しいです。わたくしの質問に全部、素直に、嘘をつかずに」

 茶碗を置いて口を拭き、セシリアはちょっと意外そうな顔をしているクリスの目を、正面から見据えた。

 さっきまで緩かった彼女の雰囲気が、僅かながら引き締まったように感じる。

 

 「……内容による」

 「簡単なことです」

 微笑みを一瞬だけ薄く浮かべながら、セシリアは真剣な表情で言葉を出す。

 少しばかり真面目な話をするつもりだろうけど、ますます逃げたくなってきた。そう思いながらも、クリスは彼女から目を逸らすことができなかった。

 僅かな間の後、セシリアは唇を動かした。

 

 「どうして、一緒に来てくれましたの?」

 「……なんだ、そんなことか」

 少しほっとしたように、クリスは諦めていたデザートの杏仁豆腐を一口食べる。

 

 「本物のPTが見たかったからだ」

 「嘘ですね。騙されませんよ」

 クリスの返事を聞いた次の瞬間に、セシリアはそれを否定した。

 確かに研究所には警備用のPTが配備されているはずだし、クリスもよくPTのプラモデルを作ってたが、その答えはクリスの本心ではないはず。

 三年程度の付き合いだが、それくらいは確信できる。

 

 「あなたは嘘をつく時に、眉を触る習慣がありますわよ」

 「マジか!?」

 「マジです。さあ、本当の理由を言いなさい。約束を違えるのは、イギリス紳士のすることではありませんよ」

 「……わかったよ。紳士のつもりはないが、約束だからな」

 誤魔化すのを諦めたか、クリスは小さなため息を吐いた。

 

 「理由はいろいろある。PTが見たかったのも嘘じゃあない。でもな、それ以上にお前のことが放っておけないなんだよ」

 「わ、わたくしが? なぜです?」

 「……無自覚か。勉強、仕事、習い事、その上にIS。どれだけ背負い込めば気が済む」

 一旦話を止めて、クリスはスプーンを口に含んだ。

 甘いものを食べているとは思えないような、少々苦々しい表情を浮かべた後、言葉を続けた。

 

 「ISの試合はテレビで見たことがある。死ぬことはないとは言え、あれは戦いだ。撃たれたら痛みを感じるし、殴られたら怪我だってする。セシリアにはそういうのは向いてない。……ISなんかに関わって欲しくなかった」

 

 「……オルコット家のためには、仕方ないことです。もちろん、あなたのことも含めて」

 「自惚れるな。俺はただのアルバイトだ。お前に……オルコット家に頼らなくても、生きていける」

 少しイラついたような声で、クリスはセシリアの言葉を遮った。

 

 いきなり当主を失ったオルコット家の全財産をそのまままだ若いセシリアが受け継ぎ、管理する権利を承認する。その代わりに、セシリアは新型ISに乗ってデータを採集し、実験する。

 それがセシリアと政府の間に行った取引。

 つまりオルコット家が今までのままで居られるのは、セシリアの自己犠牲とも言える選択のおかげだった。

 セシリアにとって、両親が残したものは大事だ。家で働く使用人たちが大事だ。オルコット家の経営に関わるすべての人々が大事だ。彼らが路頭に迷うような事態にならないために、その取引にはすぐに応じた。

 高飛車でワガママに見えても、大事なもののために自己犠牲も厭わない子だから。

 

 「見ていられないよ……オレは」

 「今、なんと?」

 「何でもない。とにかくお前が危なっかしいから、面倒を見てやろうと思っただけだ」

 「また人をバカにして……!」

 わざとらしく眉を吊り上げて、セシリアは唇を尖らせる。そしてすぐに、優しい笑顔へシフトした。

 

 「ですが、なかなか殊勝な心掛けです。主として、ご褒美を差し上げましょう。あなた、誕生日は来月でしたわよね?」

 「覚えてくれてたのか」

 「バレンタインに誕生日というのが珍しかっただけです。それで、何か欲しいものがありまして?」

 「幸せが欲しいです」

 興味無さそうな態度で、クリスは返事する。

 正直、事故にあって病院で目が覚めた時に個人情報を聞かれたが、そもそも長期の放浪生活で自分の実年齢すら覚えていなかったから、名前以外はほぼ全部適当に捏造したものだった。

 

 「し、幸せ? 何ですのそれ」 

 クリスから返ってきた予想外の返事に、セシリアは目を大きく見開く。

 幸せなんて、抽象すぎて分からん。

 

 「俺の幸せは海の見える場所で屋敷を建てて、そこで五人の可愛いお嫁さんと楽しく暮らすことだ」

 「……どんな教育を受けたら、倫理観がそうなるのです!?」

 「何を言っている。ハーレムは男が誰でも心の中で描いている夢だ。そして選ばれた器の大きい男にだけそれが許される」

 「却下です。もっと真面目に考えなさい」

 「じゃあ、チェルシーさんを下さい」

 「だまらっしゃい!」

 誕生日プレゼントにチェルシーが欲しいと言った途端、セシリアは急に怒ったように大声を出した。

 

 「まったく、人の好意を何だと思ってますか! もういいです。プレゼントは勝手に決めさせていただきますから、あなたは下僕らしく有り難がりながら、楽しみにしてなさい! ふん!」

 「……楽しみにさせてもらうよ」

 そっぽを向いて頬を膨らませたセシリアの横顔を眺めながら、クリスは目を細めて、口元に優しい笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 一方この時、クリスたちのいるホテルから遠く離れた道端には、一台の大型トラックが泊まっていた。

 車両の後方には大きなコンテナ一つが積んでおり、表面に中身や所属を示す文字など一切見当たらない。しかしその質感を見た限りではかなりの厚さが推測でき、近づけば、コンテナの中から電機が振動しているような音が微かに聞こえる。

 トラックの操縦席には、成人女性一人が座っていた。

 青いショートヘアに、切れ目長のつり目。その姿を見れば、恐らく誰でもクールビューティという単語を連想するのだろう。

 そして身分の隠すためか、霧がまだ完全に晴れていないこの時間に、彼女はサングラスを着用している。

 まるで、映画の中に登場する女スパイのような人だった。

 車の窓ガラス越しに周囲を眺めながら、彼女は車のアダプタに接続した携帯で電話をしていた。

 

 「急に予定変更させてすまない。状況は?」

 電話のスピーカーから聞こえたのは、一人の男性の落ち着いた声だった。

 

 「問題ないわ。あれの再調整もスゥボータ大尉が間もなく完成する。予定とは少々違うが、十分に間に合う」

 男性と同じくらい落ち着いた口調で女性は返事しつつ、サイドミラーで後のコンテナを一瞥した。

 

 「頼む。先日のアフリカでの作戦で、クライウルブズの量産型ゲシュペンストMK-IIは四機も中破した。標的も撃退したものの、捕獲までには至らなかったそうだ」

 「クライウルブズにしては珍しい失態だな」

 「連中は次々と新型を投入してくる。もはやゲシュペンストMK-IIだけで対抗するのは難しい。戦力増強と新型開発が最優先となった今、彼を遊ばせておくわけにはいかなくなった」

 「しかし、もし彼があなたの言うとおりの存在なら……」

 「だからこそ、引き入れなければならない」

 僅かな迷いを読み取れる女性の言葉を、男性は強気な声で遮った。

 

 「あの男が仕掛けた駒だ。消すことができない。だが上手く使えば、“切り札”にもなり得るだろう」

 「……あたなの決定に従うわ。これより予定通り、現場へ向かう」

 「油断はするな。警告はしたが、イギリス政府はおそらく本気にしていない」

 「分かってるわ」

 ボタンを押して、女性は電話を切った。

 鍵を回して、トラックのエンジンに火を入れる。クラッチペダルを踏む足から力を抜いて、トラックが低いスピードでゆっくり走り出す。

 午前より霧が大分晴れて、視野がかなり明るくなった。

 指でサングラスを押し上げ、女性は少し思い切ったような表情を浮かべたのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 翌日の午前十時、セシリアとクリスはIS開発研究機関「バレトン研究所」の敷地内を歩いていた。

 

 「見てください、お嬢様。本物のPTですよ、PT。陸軍が採用している “スコーピオン”です。まさか本物を拝める日が来ようとは」

 「……」

 少し離れた場所に並んでいるPTの列を眺めて、両手に荷物を携えたクリスは少し興奮気味な声でそう言った。

 さすがは国内屈指の研究機構だけあって、予想通り防衛戦力としてかなりの数のPTが配備されていて、グラウンドにも戦闘ヘリが何機か泊まってあった。

 研究施設にしては些か物々しく思えるが、扱っているものを考えると、それも納得できてしまう。

 

 「拡張性よりも運動性を重視した機種ですが、やっぱりこの辺の地形と気候に合わせて改造されてますね。武装は標準装備と違いますし、高感度センサーまで増設してあります。実は自分もこの間、タ○ヤから発売されたプラモデルを購入しましたけれど、やはり実物は迫力が違いますね。あっ、あちらにあるのは……」

 「ええっ、うるさいわね! 少し静かにしなさい!!」

 機嫌の悪さ丸出しの大声で、セシリアはクリスを黙らせた。

 PT好きにとっては堪らない光景だろうけど、セシリアからすれば、なぜそんな風情のないマシンに夢中なのかまったく理解できない。

 戦闘能力でも、ISの方が圧倒的なのに。

 

 案内の人と共にしばらく歩くと、奥の建物から白衣を着た技術者らしい人間が何人か出てきたのが見えた。事務的な笑顔を浮かべて、まっすぐにこっちへ向かってくる。

 

 「お待ちしておりました、ミス・オルコット」

 「また会えて嬉しいわ、Dr. ウィリアムズ」.

 会話のできる距離まで近づくと、ちょっと太ったリーダー風の男とセシリアが簡単な挨拶を交わした。すでに面識が何回かあったからか、それとも学者気質だからか、合流した人達は時間を無駄にすることなく、セシリアと共にさらに奥へ歩きだす。

 

 「……ビットシステムの搭載したISはですね、世界中でもイギリスにしかありません。立体化戦術を求められえるISにとって、きっと強力な武器となるだろう」

 「わたくしも同感ですわ」

 「代表候補生の中でビットシステムの適性が一番高いあなたが試作一号機を稼動していけば、試作二号機の完成度もきっとさらに高まっていくことでしょう。忙しい時に本当に申し訳ありませんが、この三日間、よろしく頼みますよ」

 「はい。ところで、“試作一号機”というのは、正式の名称でしょうか」

 「ああ、それなんですが、実はうちの連中、ネーミングセンスがなくてね。よろしければ、正式名前はミス・オルコットにお任せします」

 「分かりました。では早速ですが、実機を見せていただけます?」

 「それは……こっちとしては助かりますが」

 一瞬驚いた表情を浮かべた後、Dr. ウィリアムズはその場に立ち止り、薄く笑う。

 

 「到着したばっかりですし、まずは部屋でゆっくりしていただくつもりでしたが」

 「お気遣いには感謝しますが、お互いも時間が惜しいのでしょう」

 自信満々の笑顔で、セシリアはDr. ウィリアムズの視線を真正面から受け止めた。

 華奢な体をしているが、仮にも代表候補生に選ばれる人間。専門の訓練を受けてきたセシリアの身体能力は、その辺の成人男性よりも高い。

 

 「分かりました。ではミス・オルコット、こちらへ。執事のキミには、先に部屋へ案内致しましょう」

 それを思い出したのか、すぐに納得したDr. ウィリアムズは部下に何か言い付けた後、セシリアに実験場の道を示し、後で荷物を携えているクリスに別の案内役をつけた。

 

 「ではお嬢様、先にお部屋へ行きますので、まだ後ほど」

 「勝手に一人で昼食をとってはダメですよ」

 「分かっておりますとも、お嬢様」

 お昼まであと二時間ほど。午前は多分完成したISを装着し、簡単にセッティングするだけで終わるのだろうから、さすがに無理言ってまでついて行くことはない。

 簡単な会話を交わして、クリスは案内役と共にその場を後にしたのだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 「ミサイルポッドにガトリングガンまで、随分と本格的だな」

 愛用のデジタルカメラを近くに並んだPTに向けて、クリスは独り言のように呟きながらシャッターを連続して切った。

 用意した部屋で荷物の整理をしてすぐ暇になったから、せっかくだからPTの見学をと思って、外に出てみた。そして幸運なことに、敷地内で見かけたPTは全機起動中だった。

 今セシリアたちのいるはずのドーム状実験場を包囲する形で配備されて、センサー全開で警備任務を遂行している。その様子だと、実験場内部にも相当の数が配備されているのだろう。

 PTという陸戦兵器は軍に限らず、民間保安会社や一部の警察部署にも採用されており、その殆んどは軍用機のデチューンモデルだが、今ここにあるのは全部標準軍用モデルが火力と索敵能力を強化したタイプ。

 おまけに銃を構えた複数の軍人らしき人物が、周囲に歩き回っている。

 

 「なんか、ぴりぴりしてるな……」

 この光景を見たクリスは、素直な感想を口にした。

 もっとPTの写真を撮りたかったが、さすがに不審者と思われて連行でもされたら面倒だから、さっさと部屋に戻ろう。

 

 「おい! そこで何をしている!」

 「ひぃっ!」

 踵を返した瞬間に、背後から男性の怒鳴り声が響いた。クリスはびっくりして、思わずその場に立ち止る。

 少し痩せ気味の男性軍人一人が、クリスの後から近づいてくる。

 

 「貴様、さっきからコソコソと、一体何者だ!?」

 「と、通りすがりの使用人です、はい」

 「はああ?!」

 クリスの返事を聞いて、軍人はますます不審な目で睨んでくる。

 

 「貴様、そのカメラは何だ。まさか、どこかのスパイじゃあるまいな?」

 「ええっ!?」

 「身分証明を出せ」

 「も、持ってません……」

 「なら一緒に来い!」

 「ちょっ、そんな……!」

 「お待ちなさい」

 軍人に腕を掴まれて、どこかに連行されそうになったクリスに、助け船を出す人物が突如に現れた。

 長いコートを着て、サングラスをかけたショートヘアの女性だった。彼女の顔を見るなり、軍人の顔色が少し変わった。

 来た方向から推測するに、おそらくは実験場の中から出て来たのだろう。

 

 「彼は不審者ではなく、オルコット家の人間。それは私が保証するわ」

 ゆっくりと近づいてきて、女性は軍人にそう言いながらサングラスを外し、その冷静さと鋭さが兼ね備えた瞳で、二人を見る。

 その目は彼女の声と同様、感情は伴わないが、人に服従させる何かを感じさせる。

 

 「……分かりました。では、自分はこれで」

 彼女とクリスの顔を交互して見て、軍人はあっさりとクリスの腕から手を離して、自分の持ち場へ戻っていった。

 

 「大丈夫かしら」

 「あっ、はい。ありがとうございます」

 少し乱れた服の襟を整えて、クリスは女性に正面を向けて、礼を言った。

 軍人の態度から察するにおそらく目上の人間だろうけど、目の前にいるこの女性はとてもあの軍人と同じ人種には見えない。

 

 「礼を言うほどのことじゃないわ。……私の名はヴィレッタ・バディム。ここのセキュリティアドバイザー」

 自分から名乗りを上げたヴィレッタ・バディムは友好的な笑みを浮かべて、握手を求めるように手を差し出した。

 

 「呼ぶときは、ヴィレッタでいいわ」

 「あっ、はい。自分はクリストフ・クレマン。クリスと呼んでください」

 少々どもった声で返事して、クリスはその手を握り、ヴィレッタと握手を交わした。

 セキュリティアドバイザーという肩書きについてはよくわらないけど、こっちのことを知っているのは職務範囲だろうか。

 とりあえず友好的な人間と認識しても、問題はなさそうだ。

 

 「クリスはさっきから、PTの写真を撮っていたわよね」

 「あっ、はい。実物を見るのは今日が始めてで、それでつい写真を。消さないとダメですか?」

 「いいえ。それくらい別に構わないわ。それよりあなた、PTに興味があって?」

 「はい! 雑誌は毎期読んでますし、PTの模型もよく作ります。でもやっぱり実物は違いますね」

 「男の子らしいわね。しかしあれは、兵器よ」

 子供が憧れな目で眺めるほどのものじゃない、といわんばかりの表情を浮かべながら、ヴィレッタはそう言った。

 

 「……それは理解してますが」

 確かにヴィレッタの言うとおり、ISから得た技術は、PTがもっとも多く転用している。その本質は戦争するために、洗練された技術の結晶。

 クリスもあくまでPTの機械としての美が好きなだけで、決してマシンが人を殺す場面が見たいわけではない。

 

 「まあ、その気になれば果物ナイフだって立派な凶器になりますし、要は使いようですね。人の業をものに押し付けてはいけないと思いますよ」

 「それもそうだな。……乗ってみるか?」

 「えっ――!?」

 ヴィレッタの唐突かつ予想外の提案に、クリスは驚きのあまりに言葉を失った。

 陸戦において総合戦力が最強と言われるPT。

 ISに使用されている脳波のフィードバックシステムのエコノミー型を搭載しているため、操縦性が優れており、戦車など他の機動兵器よりもパイロットの養成期間が短いとされている。

 それが戦車の代用品になるまでそう時間は掛からなかった原因のひとつでもある。

 しかしだからといって、完全の素人が容易く乗れるものではない。免許のない人間に車を運転させるのと同じくらい、それはとても危険なことだ。

 セキュリティアドバイザーの権限がどこほどのものかはよく知らないが、ヴィレッタの表情は冗談を言っているようには見えなかった。

 

 「い、いいんですか!? 本当に!?」

 話に乗りたくなるのが本音だった。贅沢は言わないけど、せめて装着して歩いてみたいものだ。

 別のことならそう簡単に釣られないかもしれない。けれどPTは乗ってみたい。凄い乗ってみたい。

 

 「でもその代わり、データを取らせてもらうけれど」

 「はい。自分でよけれ……っ!!」

 データくらい幾らでもどうぞ、といいかけたクリスの言葉は、唐突に鳴り始めた警報音によって遮られた。

 危険を知らせ、人の緊張感を一瞬にして最大値まで引き上げる大きな音だった。

 そして間髪を入れずに、すぐ近くに響いた爆発音。

 ガス爆発でも起きたかと、人に思わせるほどの音だった。

 

 「な、なに……!?」

 爆発音の発生源は実験場の方から来た。今クリスが居る位置からでは具体的な爆発位置を確認できない。

 しかし反射的に目を上げた瞬間、彼はすでに爆発の原因と思われるものを目撃してしまった。

 虫だった。

 先端の割れたツノと、六本の脚。

 白くて長い尻尾の生えたカブト虫の群れが、空からやってくる。

 ただの虫なら、恐れることはないだろう。しかしあのカブト虫、ざっと見てゾウと同じくらいの大きさがあり、全身が金属で出来たように見える。

 あれは虫と言うよりは、虫の形をしたロボットと言うべきだろう。

 

 「何なんだ、あれは……」

 空力を無視した構造で飛んでいる以上、PTである可能性が低い。ISなら、もっとコンパクトなサイズにできるはず。

 ならば、あれは何なんだ?

 

 疑問についてもっと深く考える前に、攻撃が始まった。

 口からレーザービームを撃ちだして、虫ロボットたちは実験場のドーム外壁を攻撃して、それで開いた穴から、中へ侵入していく。

 兵士たちは銃を構えて実験場へ突入し、外に展開したPT部隊はまだ残っている虫ロボットに対して対応を始めた。

 ワイヤーアンカーを発射して壁を登ってドームに上がり、PT部隊は腕に装備したガトリングガンに火を噴かせ、ミサイルポットのパッチを開放する。

 強化ガラスでできたのドーム外壁がすでに破れたが、その奥にはISの光学兵器をも遮断できるエネルギーバリアがあり、ミサイル程度では簡単に破壊されないし、虫だってすぐには侵入できない。それよりも小回りの効くPTで虫ロボットをドームから駆逐する方が急務だと、パイロットたちが判断した結果だろう。

 しかし30mm徹甲弾のシャワーを浴びながらも、虫ロボットは大したダメージを受けていなかった。そして頭部から出るビームで、迫ってくるPT部隊を薙ぎ払う。

 照射を受けて装甲板が溶解されたPTが、次々と爆炎になっていく。

 

 「うわああっ!!」

 呆然とそれらを眺めていたクリスの足元に、爆散したPTの残骸が落ちてきた。それにびっくりして、クリスは大声を上げながら尻餅をつく。

 PTのどの部位なのか分からないほど砕けたその残骸から、肉を焦げた匂いがする。一瞬、胃が強い吐き気に襲われて、思わず口を手で押さえた。

 数分前まで静だった場所が、血と肉が飛び散るバトルフィールドとなった。

 なぜだ。

 そんなの知らないし、どうでもいい。

 それより逃げよう。さっさと何処か遠くまで逃げよう。

 虫ロボットの戦闘力はPTよりも高く見える。生身の自分に何ができる。

 倒すならPTよりも強いもの――そう、ISでもなければ無理だ。

 

 「……セシリアは?!」

 そうだ。実験中のセシリアはまだあの実験場の中にいる。

 この襲撃にはもう気づいているはずだ。

 なら今はどうしている。無事なのか。

 分からない。

 

 「くそっ、くそ!!」

 「待って!!」

 気づけば、自分はすでに走り出していた。

 後ろから聞こえたヴィレッタの呼び声を無視して、実験場の入り口に向けて全力で走り出していた。

 セシリアはISの操縦者。他の人間より遥かに安全のはず。

 もしかしたら、あの虫ロボットたちを倒せるかもしれない。

 冷静に考えてみれば、これくらいの可能性は思いつく。

 しかし今のクリスは冷静ではない。

 この目でセシリアの安全を確認しない限り、安心できない。

 だから、全力でセシリアの元へ向かう。

 それだけだ。

 

 *

 

 「やれやれ。もう少し冷静な人間だと思っていたが」

 去っていったクリスの後姿を見送った後、ヴィレッタはサングラスをもう一度かけて、小さなため息をついた。

 爆発はまだ続いている。

 いつ流れ弾に当たってもおかしくないこの場面でも、彼女の表情は最初のように冷静のままだ。

 耳にかけてあった通信機のボタンを押し、彼女は踵を返す。

 

 「私だ、大尉。対応を頼む。バックアップは私が」

 『……了解』

 通信機の向こうから聞こえたのは、まだ幼い少女の声だった。

 

 *

 

 「退け! 退いてくれ!」

 実験場の内部通路に飛び込んでみると、中は限界まで混乱していた。

 資料を持って外へ逃げ出すスタッフ、怒鳴りながら奥へ突入する兵士。混乱に乗じ、クリスは兵士の後を追って、ドーム中心部に居るはずのセシリアの元へ向かう。

 混乱しているものの、通路は比較的に安全だった。最初に実験場の外壁を破壊した割りに、虫ロボットたちは建物を破壊しようとしていない。

 なぜだ。

 

 (やつらの狙いが、中央の方にあるからか?)

 やつらに知能があることを前提として考えれば、この可能性はある。

 なら、そこに何がある。

 ――答えは決まっている。

 道の前方に、光が見えた。その先から、銃撃と爆発の音が伝わってくる。

 

 「くそっ、だからISなんかには……!」

 そう叫んだ瞬間、クリスはようやく、ドームの中心に辿り着くことができた。

 照明が壊れて薄暗い通路と違って、飛び出したドームの中央部は明るい。

 一瞬、激しい眩しさを感じた後、ドーム内の光景がクリスの目に映しこんだ。

 

 ドーム中の地面には、大量の破片が散らばっていた。

 虫ロボットのビームに貫かれ、悲惨な姿で倒れたPT部隊の残骸だった。歩兵たちは健在のPTに援護しながら、残骸の中からまだ生きているパイロットを救出する作業をしていた。

 こっちの戦果とてゼロではない。PTの残骸の中には倒された虫ロボットが四、五機、地面に転がっている。そしてその虫ロボットの装甲表面にはガトリングガンとミサイルの弾痕以外には、レーザービームに焼かれた痕跡がある。

 量産型のスピーコオンが使えるビーム兵器はない。ならばそれはおそらく、ドームの上方で虫ロボットたちと空中戦を繰り広げているISによるものだろう。

 

 「なんて数……ビットを使いましたらただの的……!!」

 青と黒のカラーリングをしたISを纏い、虫ロボットの攻撃をかわしつつレーザーライフルで反撃しているのは、新型ISを装着したばかりのセシリアだった。

 ミサイルでは迎撃される。ガトリングガンではダメージを与えにくい。でもISのレーザービームでは有効攻撃を効率よく与えられる。

 しかし敵の数が数だけに、セシリアも余裕があると言うわけではない。

 ビームの網を潜り抜けたと思えば、後ろから別の虫ロボットがタックルしてくる。

 そんな波状攻撃の中にチャンスを見つけてライフルで反撃できるのは、彼女の今までの訓練で得た技量のお陰だろう。

 だがそれでも、新品だったはずの青いISの装甲表面にはかなりの損傷が見られた。ISがパイロット及び機体を守るためのエネルギーバリアにも、限界があるということだ。

 

 「くそっ! このままじゃ……!」

 PTの残骸の陰に身を隠しながら、クリスは何かできることはないかと、必死に考える。

 セシリアは善戦しているものの、多勢に無勢。このままエネルギーバリアの限界が来たら、セシリアの身は危険に晒されてしまう。

 目を落とすと、丁度足元にはまだ使用してないバズーカが転がっていた。対戦車ロケット弾一発だけなら、焼け石に水だろうけど、それでも何もしないよりはマシだと思った。

 バズーカには既に装弾されていた。確認した後それを肩に担いで、虫ロボットに照準を合わせる。

 冷静に考えると、今の自分は生身だ。虫ロボットを攻撃するなんて危険すぎる。しかし一パーセントでもセシリアが助かる確率を上げるために出来ることがあるのなら、やっておきたいと思った。

 

 「でないと俺が……傍に居る意味が!!」

 「バカモノ!!」

 引き金は思ったよりも固くて、引くのに二秒もかかった。ロケット弾が炎の尾を引いて発射口から飛び出して、セシリアを囲む虫ロボットの群れへ飛んでいき、同時に耳元に聞き覚えのある怒鳴り声が響く。

 次の瞬間、自分の体は飛び掛ってきた誰かに覆い被さられ、地面に倒れた。

 直後に爆音が近くに轟いて、空気を震わせる。

 ロケット弾の攻撃に気づいた虫ロボットの迎撃が、近くの残骸を誘爆したのだ。

 

 「あなたは……!」

 爆風が髪を激しく揺さぶり、脚に何か小さなものが刺さったような痛みを感じる。それを凌いだ後に目を開けると、自分の上を覆い被さった人物の顔が目に入る。

 さっき外で、クリスを不審者だと疑った軍人さんだった。

 

 「貴様、だぜここに……うぐっ!!」

 苦しそうな表情を浮かべた軍人さんの口から、赤い液体が出た。

 同時に、クリスは自分の手にも同じ赤い液体で濡れたことに気づく。

 軍人さんの血だ。

 間一髪のタイミングで、軍人さんは身を挺してクリスを庇った。そのせいで、彼の背中は大量の金属破片に刺されたのだ。

 何とか上半身だけを起こして、軍人さんは呆然としたクリスの服の襟を捕まって、血まみれの唇から言葉を吐き出す。。

 

 「くそったれが!……早く、避難を……ぐっ!」

 乱暴な言葉を言い終える前に、軍人さんの手が無力に垂れ、そのままクリスの上に倒れて動かなくなった。

 「お、おい!」

 我に返ったクリスは思わず息を飲み込む。慌てて軍人さんの体を揺らしても、反応が返ってくることはなかった。

 

 「そんな……!!」

 無力な自分を庇ったせいで、一つの命がこの世から去った。

 体がまだ温かいのに。死ぬ直前まで、クリスに避難させようとしたのに。

 名も知らぬ彼の人生と引き換えに、自分は生き残ったのだ。

 しかしクリスには、自分の混乱を整理する時間を与えられることはなかった。

 

 「きゃあああ!!」

 虫ロボットの猛烈タックルを食らって、ついに体力と集中力の限界が来たセシリアは、上空から落ちてきた。

 地面に穴が開くような衝突の後、墜落によって巻き上げられた塵が空を舞う。

 

 「セシリア!!」

 セシリアの落ちた場所へ、クリスは反射的に走り出す。

 左足には何枚かの金属破片が刺さって痛むが、それも気にしない。

 ただ墜落したセシリアが心配だ。

 

 「おい、セシリア! 大丈夫か!?」

 塵の中に飛び込むと、ISを纏ったセシリアは地面の凹みの中に倒れていた。クリスはすぐ彼女の傍まで近づいて、心配そうな声で彼女の名を呼ぶ。

 しかしセシリアから返事は返ってこない。

 綺麗な顔が今では埃まみれになっていて、瞼も閉じていて呼んでも反応しない。

 どうやら墜落の衝撃をISが完全に消すことが出来ず、気絶をしたようだ。もしかしたら、軽い脳震盪を起こしたかもしれない。何とか抱き上げようとしても、展開状態のISを纏った人間を相手に、それが上手くできなかった。

 ISというパワードスーツは展開状態ではPTと同じかそれ以上の大きさがあって、無論重量もそれなりにある。通常では反重力デバイスで空を飛んでいるが、それを外側からコントロールすることは出来ない。

 

 「くそ、くそ! 何でそんなに重いんだ……!」

 それでも諦めたくないと、クリスはセシリアを何とかこの場から運ぼうとしても、さすがに無理があった。全力を出しても、せいぜい数十センチしか動かすことが出来なかった。

 

 虫ロボットたちが、地面に降りてくる。

 ほぼ全滅したPTの残骸を踏み潰して、クリスとセシリアの前に群れるように並んだ。金属の羽を収めて、ビームを撃っていた口の砲口を閉じる。

 巨大なドームが、一瞬で静かになった。

 ドームの中にまだ生きている人間は、おそらくもうクリスとセシリアしか残っていない。そしてどういう理由か、虫ロボットたちはビームを撃つのをやめた。胴体に生えた六本の脚で、近寄ってくる。

 その動きが本物のカブトムシとそっくりで、凄い不気味だった。

 

 「……やれやれ」

 こんな状況だからこそか、今のクリスの心境は不思議と落ち着いてきた。

 軍人さんの血で赤く染めた上着を脱ぎ捨て、さらに力を振り絞って、セシリアを虫ロボットから遠ざけようとする。

 虫ロボットたちの狙いはセシリアかISか、それとも両方か。どっちにしても、今の自分が考えることではない。

 今まで結構いろんな経験をしてきて、死の危機と直面するのはこれで二度目だ。

 一度目は列車の事故に巻き込まれたときだった。あの時は最後まで諦めていなかった気がする。

 今回もそのつもりだ。

 

 虫ロボットたちは目と思われる部位が無機質な光を放ち、共鳴をしているように点滅しながら、一斉に近寄ってくる。

 先頭に立つ一機が、その鞭のような尻尾を振り上げた。

 

 「……チッ!」

 この距離ではもう逃げられない。セシリアの体を庇うように抱いて、クリスは背を虫ロボットに向けた。

 PTを巻き上げて投げ捨てるほどの力のある尻尾、生身のまま叩かれたらどうなるか、想像するまでもない。

 目をつぶり、歯を食いしばる。

 けれど、直後に響いたのは尻尾が風を切る音ではなく、鈍い衝撃音と爆発音だった。

 地面が揺れて、熱い爆風が背中を焼く。

 上空から一筋のビームが降り注ぎ、先頭に立つ一機の虫ロボットを貫いて、爆散させたのだ。

 そしてその虫ロボットが爆発した直前に、巨大な箱のようなものが上空からクリスと虫ロボットの間に着陸して、盾となって爆発の炎から彼を守った。

 ビームが更に降ってくる。

 虫ロボットたちをなぎ払うように照射し、駆逐する。

 

 「な、何だ!?」

 ビームがきた方向へ、クリスは顔を向ける。

 そこにあるのは、壊れた外壁からゆっくり降りてくる一機の人型機動兵器だった。

 V字バイザー状の赤いセンサーに、長くてシャープなブレードアンテナ。武骨なフォルムをした全身の青い装甲が、とても頼もしく見えた。

 カラーリングが違うが、あれはアフリカの戦場にも現れていた機体「ゲシュペンストMK-II」だった。

 虫ロボットたちはすぐ新たに登場したゲシュペンストMK-IIを標的と認識した。クリスとセシリアから離れて、ゲシュペンストMK-IIへ急速接近する。

 それに対してゲシュペンストMK-IIは右手に握ったビームライフルで牽制しながら、左手にある三本のプラズマステークをセットした。

 そして正面から突っ込んでくる虫ロボットの頭部目掛けて、思いっきり叩き込む。

 電光が迸り、金属板の砕ける音が響き渡る。虫ロボットは頭部が丸ごと叩き潰されて、司令塔を失った胴体が地面に落ちて、動けなくなった。

 

 「なんてパワー……増援か?」

 ゲシュペンストMK-IIを見上げながら、クリスは驚嘆する。

 空中機動性、ビーム兵器、そしてあのパワー。

 あれは明らかにPTではなくIS。しかもかなり高性能の機種。

 機動性ではセシリアのISに一歩及ばないものの、接近戦能力と防御力ではそれ以上だった。

 だがまだ楽観できる状況ではない。

 この増援も所詮は一機、再開した戦闘はまたすぐ消耗戦になる。

 せめて、もう一機のISがあれば。

 

 そう思った瞬間に、空から落ちって来た箱――いや、コンテナからエアロックが解除される音がした。

 低い音を立てながら、コンテナのドアが開放されていく。その奥に鎮座していたものが、ゆっくりと姿を現す。

 

 「PT……!?」

 中にあるのは、人の形をしたパワードスーツ一機と、それを固定しているハンガーだった。

 やや暗い青色で、ゲシュペンストMK-IIよりスマートなフォルムしているものの、どことなく似ている機体だった。こっちに背を向けて中枢を開放した状態で、そこにいるはずのパイロットが居ない。

 ハンガーのロックが解除され、機体が勝手にコンテナから排出され、クリスの前まで押し出される。

 

 「オレに乗れというのか……なら!」

 その機体を見た瞬間、クリスは動いた。

 虫ロボットはまだ近くにある。このままセシリアを連れて逃げることができない以上、このPTの力を賭けるしかない。

 装着位置に滑り込むと、展開していた装甲がクリスの体を包み込むように閉じた。機体はまるで自我意識があるように彼の体型に合わせて装甲の形状を調整しながら、スリープ状態から機能を回復していく。

 

 「こいつは、PTじゃない……うっ!」

 この機体はPTではない。虫ロボットたちを確実に倒せるマシン――ISだ。

 それに気づいた瞬間、大量の情報が激流のようにクリスの脳内に流れ込む――若しくは、脳内に眠っていた知識が活性化したと言ったほうが正確かもしれない。

 海に溺れたような感覚に体を襲われ、息が詰まって呼吸が出来ないとすら錯覚する。

 

 ――パイロットバイタルサイン安定。エネルギー残量99.8%。機体損傷率0%。シールドバリア展開。フィードバックシステム接続確認。火器管理システムチェック。残弾チェック。

 ――サイコクラッチ接続。T-LINKシステム起動。

 ――ビルトシュバイン、起動完了。

 

 極めて自然な一体感だった。自分が機械を操縦しているとは思えないほど、機体の指先までは自分の思うままに動く。目を瞑っていても、全方位の情報すべてが直接脳へ投影される。

 操縦訓練を受けたこともない自分が今、この機体を自分の手足のように動かせる。

 

 「ビルトシュバイン(Wild Schwein)、か」 

 機体制御補助AIに示された機体の名を、クリスは口にしてみた。

 ドイツ語の「イノシシ」。それが自分の力となった機体の名前だ。

 

 コンテナを越えて、虫ロボットはクリスが起動したビルトシュバインに飛びかかる。

 一歩だけ引いて、クリスは流れるような動きで体を回転し、ビルトシュバインの左腕を振り出す。

 静かに衝突する。

 そして閃光の後、虫ロボットはすでに綺麗な二枚おろしにされて、ただの鉄屑となって地面に落ちた。

 残りの虫ロボットが、ビルトシュバインを包囲するように迫ってくる。

 ゲシュペンストMK-IIが半分ほど引き受けてくれたおかげで、セシリアが一人で戦った時の数はないが、それでも数の差は歴然としている。

 しかし――

 

 「恐れることはない。お前は誰よりもそれを上手く使えるはずだ」

 突然、聞き覚えのない声が、直接脳内に響いたように聞こえた。

 その通り。今の自分は何も恐れていない。

 ビルトシュバインのM13ショットガンを呼び出して、装弾する。

 

 「来い、虫けらとも!」

 地面を蹴って、クリスは放たれた矢の如く突撃したのだった。

 


 
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