No.459677

千年樹

健忘真実さん

千年の時を生きてきた大クヌギ。その時々の情景を切り取る。

2012-07-26 12:12:10 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:456   閲覧ユーザー数:456

                  夏

 

 シャーシャーシャーシャーシャーシャー、

 シャーシャーシャーシャーシャーシャー、

 ジッ ジッ   ジッ、

 

「ほら、あそこ」

「よっしゃ、黙っとけよ」

 秀人はそっと近づき、網を振りかぶった。

 ジッ、

「あ~ぁ、兄ちゃんのへたくそ! やっぱ父ちゃんの出番やで」

 

 秀人・吉人兄弟は、父の会社の盆休みに家族で、父の郷里である福井県大野市に来て

いた。

 

「秀人、吉人、こっちに来い、いいもん見せてやるぞ」

 

 ふたりは父のところへ駆けていくと、あんぐりと大きく口を開けたまま、見上げた。

「わぁ~ァ、でっかい木ィ」

 ふたりで手をつないでも抱えきれない太さがある。高さは15mあろうか。

 

「このクヌギの木はな、1000年以上も生きてるんや。ほら、この(うろ)にいろんな虫が

集まってるやろ、樹液を求めて来てるんやで。スズメバチも来るから気をつけろよ」

「すっげェ、カブトもクワガタもいるぜ」

 

 町はずれの山の麓にある鳥居をくぐって石段を上がっていくと、“姥負い神社” が

あり、その境内に立つ樹齢1000年の大クヌギ。見上げるほどに首が痛くなる。青々

とした枝葉は大きく張り出し、樹皮は固くとげとげしくもあり、めくれ上がっていると

ころもある。黒い樹液をためた洞には、いろいろな種類の虫が集まってきて、命の糧を

得ている。

 

 目を輝かせて、クワガタムシとカブトムシを虫かごに捕らえた秀人と吉人。

「父ちゃんが子供の時はな、カブトどうしで相撲を取らせてたんやぞ」

 それを聞いて、早く帰ろ、と。

 相撲を取らせたくて、うずうずしている子供たちだった。

 

 

 

                  春

 

 土に刻まれた段を上がっていくと、広い境内がある。ふたりは黙ったまま、並んでゆ

っくりとした歩みで上がってきた。所々には雪が残っている。吹く風には、冬の名残り

が感じられた。

 

「慎太郎さまは、いつまでいられるのですか?」

「明朝、ここをたちます」

「そんなに早く・・・今日、戻られたばかりではございませんか」

「律さん、もう時間がないんだ。あなたのお返事が聞きたくて戻ってきたんです。まも

なく私は、舞鶴から出港します。その前に・・・」

 

「このクヌギの木、覚えていますか? 私たちここに来て、よく遊びましたね。この洞

の中に宝物を隠したりして・・・」

 律はクヌギの木を見上げた。花がいくつも垂れ下がっている。そして、洞のふちに手

を当てた。

「書状をここに入れて、交換したりもしていましたわ」

 慎太郎は、背後から律の手に自分の手を重ねた。

「ロシアとの戦いが終われば・・・祝言を上げること、了承していただけますね」

 

 律は小さくうなずいて振り返った。遠くには、海が見えた。

「ロシアは、どちらの方向にあるのですか?」

 慎太郎は、腕を上げて指し示した。

「山に隠れていますが、あちらの方角になります。旅順はこちらの方角です。朝鮮のず

っと向こうになります」

 

 

 1904年、開戦から3カ月後の5月15日、第一艦隊第一戦隊所属の『初瀬』はロ

シアの機雷を受け、2回目の触雷により後部火薬庫が大爆発、旅順港沖に沈んだ。

 

“姥負い神社” の境内にあるクヌギの木の根元で、胸に短剣を突き立てた律が見つか

ったのは、雨がそぼ降る日であった。

 

 

 

                  秋

 

 平安時代、貴族は、農民の納める税で暮らしていた。しかし、貴族の数は増えるばか

りで、次第に税の負担が重くなり、土地を捨てて逃げ出す農民は後を絶たず、盗賊とな

る者もいた。

 一方、荘園や土地を守るために農民たちは武芸を仕込まれ、武力集団を形成していっ

た。そのひとつ平氏が、貴族の藤原氏を倒し、政治の舞台に立った。

 その頃のこと・・・。

 

 盗賊の頭・猪喰は騎馬団を作り、村々を襲っては食糧などを奪って、山の中を転々と

して暮らしていた。磐城や岩代にまで、足を伸ばすこともあった。

 そんな時、ひとりの少女を拾ったのである。

 磐城の守護代の屋敷に買われ、奴婢としてひどい仕打ちを受け、逃げ出してきたとい

うイト。イトは猪喰の妹に似ていた。奴婢は財産とみられており、屋敷の者たちがイト

の行方を捜し回っていた。

 猪喰はイトを伴って、故郷の大野を目指した。

 追っては、あきらめて引き返していった。

 

 イトと旅を続ける間に情がわき、イトは身ごもった。

 女に現を抜かす頭に部下たちは見切りをつけ、新しい頭を立て去っていった。

 猪喰はイトを守りたい、安心して子を産んでほしいと、家族の元に戻った。家族は新

しい領主のもとで土地をあづかり、困らない暮らしを送っていた。

 

 イトは快く受け入れられたが、猪喰はならず者である。地頭の武士団に追われて、矢

を射られた。

 深い傷を負いながらも山に逃げ入り、“姥負い神社” の社の中に隠れた。

 ガサッ、という音が聞こえるたびに外をのぞき見、人影がないことを確認しては、ほ

っと溜息をついていたのである。

 ふっ、と目を奥にやると、木彫りの像が祀られている。荒削りの像は、老婆を背負った

男の姿である。

 おっかぁ、というつぶやきが、自然について出た。

 

 人を殺すこともあり、散々悪事を働いてきた猪喰ではあったが、ひたすらにイトの幸

せを願う己に戸惑いもあった。しかしその願いは気持ちを穏やかにし、頬笑みさえ浮か

べて、息を引き取っていった。

 

 外では、クヌギのドングリを集めるリスの姿があった。

 

 

 

                  冬

 

 (ふと)は母を背負い、雪の山道を登っていた。それは、獣の通る道である。

 母を背負った時のあまりの軽さに、邪険に扱ってきた母に対し、心の中でわびていた。

 その道は峠に至り、左右の道は越前と美濃へと通じている。古来より、戦のたびに使

われてきていたために、広く開けた場所があり、日が当っているところがあった。

「おっかぁ、ここでちょっくら、休むべ」

と言いながら母を下ろし、枯れ草を集めてその上に坐らせた。

 

「粟飯ひとつ持ってきたで、食いな」

「おめぇ、これ、どないしたんだべ」

「おらさ分をちょっと握っておいたんだべ。おっかぁは、食べなかったんだべさよって

のう」

「いらね。おめさ、まんだおらを負って行かねばなんべだし、けえって行かねばなんね。

とっとけ」

「んだば、こんなもんしかねっけ」

 ドングリをひとつ取りだして、差し出した。

「こんだばもん、食えねっし」

 

 母はドングリを骨ばった掌の中で転がしながら、

「そこらへんに穴ばあけてくんれ、これさ埋めてくべ」

 

 太は雪を掻き分け、地に穴をあけると母がそのドングリを落とした。

「ぬくうなりゃ芽が出るで、おっきな木に育って、たんとの実ができりゃ、おめさたち

の腹を満たせるべ」

 太は横を向いて、そっと涙をぬぐった。

 

「そろそろ行くべか」

 太は再び母を背負い、山の奥のほうを目指して歩いた。

 

 

 雪が解け暖かくなると、芽が伸びクヌギの木が育っていった。誰もその木を切ること

はなく、数年後には秋になると、多くの実を落とすようになった。

 太の家族たち村人は、それらを拾い粉にして食べた。特に、飢饉の時には有難がられた。

 

 そばには木像を祀った祠が建てられ、『姥負いの祠』と呼ばれるようになったのである。


 
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