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垂水百済はマイナスである ――172回目の【僕】――  BOX―16 狂気 凶器 狂喜

第十六話

2012-07-06 00:17:03 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1964   閲覧ユーザー数:1907

 正義の味方。

 

 救世主。

 

 ヒーロー。

 

 この世に悪がいなければ、そんな連中に何の意味がある。

 

 ――19回目の≪僕≫――

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 鬼瀬針音は悩んでいた。

 とある男の事で悩んでいた。

 彼のことを考える度に胸がチクリと痛み、もやもやとした気持ちになる。授業の内容も頭に入らないし、委員会の仕事にも身が入らない。食欲が減退してしまっているおかげで数少ない友人である委員会の同僚達からはダイエットしているのかと勘繰られ、挙句の果てには一目惚れだ片想いだと黄色い悲鳴を上げられる始末。

 

(そんなわけないでしょう……)

 

 溜め息を吐く。

 いっそ、本当に恋愛感情であったならどんなに楽か。

 彼のことが好きかと問われれば、否定は容易い。

 校則規定に真正面から喧嘩を売っているような服装だし、性格だっていい加減で気まぐれで嘘つきで、後輩を甘やかして子ども扱いする。自分の対極にいるような男だ。

 しかし、だからと言って、嫌いかと問い直されればそれも否定できる。

 周囲から白い目で見られていた自分にも、彼は他の子と同様に、拒むでも蔑むでもなく平等に接してくれた。頭を優しく撫でられた時の感覚は今でも覚えている。

 だからこそ、鬼瀬は苦悩していた。

 彼女の心を占めるのは紛れもない恋心――などではなく罪悪感。

 途方もない自己嫌悪。

 思い出されるのは、生徒会室で暴れた己の姿。

 

 

 

 あの時、蔑ろにされた自分は、我が侭を聞き入れてもらえずに駄々をこねる小さな子供のように、湧き上がる怒りにまかせて当たり散らした。壁を殴り、机を砕き、あらゆる物を弾き飛ばした。

 生徒会連中の何もかもが不愉快で、関わる全てが許せなくて、支持されて――認められていることが悔しかった。

 冷静でありながら我を忘れるという矛盾した感情の発露。

 殴り、砕き、打ち、潰し、弾き、払い、破り、滅し、割り、絶ち――

 規律と治安を守るため、正義という名の免罪符を掲げて徹底的に破壊した。

 楽しくなかった、と言えば嘘になる。

 ああ、また自分は悪を一つ退治して成敗して粛清して矯正して更生させたのだと、仄暗い愉悦が心を満たす。

 とても、とてもとても満ち足りていた。

 

 グチャリ

 

 という濡れた布の塊を殴ったような音と、生暖かい感触が手に伝わってくるまでは。

 

「……気ぃ済んだか?」

 

 頭上から降りかかる声に、急激に頭が冷めていく。

 喜界島の盾になるように立ちはだかった不和の脇腹に、自分の拳が手首の辺りまでめり込んでいるのが見えた。

 

「あ……ぁあっ」

 

 校則違反者を殴ることに躊躇いはない。

 けれど、他人を庇っている人間を殴るのはこれが初めてだった。

 不和はゆっくりと、周りに気付かれないよう隠しながら拳を引き抜く。

 

「とりあえず落ち着け。僕とめだかちゃん以外は今は違反(・・・・)なんてしてねぇ(・・・・・・・)だろ? お前がお前の正義に誇りをもってんなら、この物騒なもんを向ける相手を間違えるんじゃあねぇよ」

 

 そうだ。その通りだ。

 不和の言葉が猛毒のように鬼瀬を蝕み、苦しませる。

 人吉善吉も阿久根高貴も喜界島もがなも、この場限りかもしれないが自分の忠告を聞き入れてくれた。ならば校則を遵守している彼らは今、自分が守るべき対象であるはずだ。

 己が規則に基づいて正義を行使する者であるという絶対的な自信が、ガラガラと音を立てて崩壊していくのを鬼瀬は確かに感じ取った。

 

「――――っ!!」

 

 この場にいることが物凄い罪であるような気がして。

 目の前の男の視線に耐え切れなくなって。

 鬼瀬針音は逃げ出した。

 

 

 

 逃げ出さずに、すぐに謝ることができていれば、こうして延々と悩むこともなかったのだろう。

 だが、謝罪することすらできなかった。

 謝る前に、気にするなと言われてしまった。

 その言葉を聞いたとき、鬼瀬の中で二つの怒りが湧き上がった。

 一つは、自分から謝る機会すら奪うのかという、不和に対しての理不尽なもの。

 そしてもう一つは、気にするなと言われたとき、謝らなくて(・・・・・)もいいのだと(・・・・・・)安堵した(・・・・)自分がいること(・・・・・・・)に対しての怒り。

 

「…………ああもうっ! どうしてこんなに悩まなきゃならないんですか!!」

 

 道を譲るように遠ざかっていく生徒達がビクリと肩を震わせる。

 見慣れてしまった光景に、嫌でも自分は短気なのかと考えさせられる。もう少し落ち着きのある性格で、相手の立場や心情も理解できるような人間だったなら、学園生活も変わっていたのだろうか。

 あの生徒会長はあんなにも大胆不敵で我が道を行く性格なのに、それでも生徒達に慕われている。それは彼女が他人を思いやっているからだと鬼瀬は思う。

 

「……まあ、今更どうしようもないですけどね」

 

「何がどうしようもないのだ? 鬼瀬同級生」

 

「うひゃあ!?」

 

 突然の声に飛び上がる。

 

「ふ、二人とも! 驚かさないでくださいよまったく!」

 

「あひゃひゃ♪ 驚き過ぎだって鬼瀬」

 

 黒神めだかと、不知火半袖が立っていた。

 めだかは明らかに露出過多な鼓笛隊と思しき衣装を身に纏い、不知火は棒付きキャンディーをバリガリと咀嚼している。

 

「ふむ、それはすまなかったな。ところで貴様はどこへ行こうとしていたのだ?」

 

「そーそー、タオルなんか抱えちゃってさー」

 

 相も変わらず校則違反している二人に、やはり分かり合えないと思いつつも説明する。

 

「私はその、委員長に届け物があって音楽室に行くところですけど……」

 

「「……音楽室?」」

 

 首を傾げる二人に、鬼瀬も首を傾げるしかなかった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「あの……お手伝いさせちゃってスイマセン」

 

 倉庫として使われている空き教室で、風紀委員の少女は口を開いた。鬼瀬と同じくらいの背丈で、髪を腰のあたりまで伸ばしている。オドオドと気弱そうな口調こそ装ってはいるが、その目が獲物を狙う肉食獣のようにギラギラと輝いていることに背を向けた不和は気付かない。

 

「別にいいけどよ。風紀委員のお前が何だって部屋の整理なんか押し付けられてんだ?」

 

 書類や雑貨が詰まったダンボール箱を部屋の隅に足で押しやり、二段に重ねた机を運びながら不和は尋ねる。

 

「そ、それはですね、近々この教室を風紀委員会の支部にしようかなーなんて話が持ち上がってまして。ほら、うちって結構大所帯ですから会議なんか開くと中に入り切れなくて廊下に溢れちゃったりしちゃうんですよ」

 

「ふーん……」

 

 自分から聞いておきながら、不和は興味がなさそうに生返事をする。両手は塞がり、背を向けたその姿は無防備そのもので、

 

(なーんだ。どんな危険人物かと思ったらただの人の良い先輩じゃないですかー。噂なんてやっぱり当てになりませんねー)

 

 ずるり、と。

 少女が背負った刀を引き抜くような動作で制服の中から取り出したのは、自身の腕の長さを優に超える巨大なモンキーレンチだった。工具と呼べる範疇ではない。打ち砕き、叩き壊すために用いる処刑道具だ。

 彼女はこれで数えきれないほどの悪人(・・)を粛清してきた。数をこなせばこなすほど――壊せば壊すほど、委員長や副委員長から褒めてもらえた。

 だから、この男も壊す。精神も身体も完膚なきまでに分解して解体する。

 

(鬼瀬ちゃんも世話になったようですしぃ、友達の仇もついでに取っちゃいますよぉ!)

 

 レンチを大きく振りかぶり、少女は不和に向かって音もなく跳躍した。

 

「ぶっ壊れちゃってくださいぃ!!」

 

 銀色に光る凶器が殺人的な勢いをもって、不和の後頭部に襲い掛かった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 第二音楽室は屍山血河の様相を呈していた。

 立っているのは、返り血をゴシゴシとタオルで拭う十歳前後と思しき少年ただ一人。

 

「……ったくダメだな俺はよー。返り血塗れになるなんていつものことなのに。呼子が気ぃ利かせてくれなきゃ大変なことになるとこだったぜ」

 

 雲仙冥利。十歳。

 二年十三組所属。

 風紀委員会現委員長。

 昨年、若干九歳で十三組に選抜された異常者(アブノーマル)

 人呼んでモンスターチャイルド。

 正義と規則の番人。

 

「ケケケ、何か言いたそうなツラだな黒神めだか」

 

 めだかは目を背けたくなるような光景を前にしてもその毅然とした態度を崩さず、腰に手を当てて雲仙を見据えていた。

 

「……そうだな、ならば言わせてもらおう。雲仙二年生、もっと他に方法があったのではないか?」

 

「あー、そうだなそうだよ、生温いテメーならそう言うだろーよ。そのフザケた格好見りゃわかるぜ。大方平和的話し合いとか事情を聞くとか目論んでたんだろ?」

 

 そこまで言って雲仙はにやけた表情を豹変させて、残骸と化した楽譜立てを蹴り飛ばした。

 たかが楽譜立てとはいえ、子どもの脚力で宙を舞うほど軽い代物ではない。ましてや二メートル以上も上空に飛ばすなど成人男性でも不可能に等しいだろう。

 

「甘ぇんだよ! 何でもかんでもお手々つないで仲良しこよしで解決できると思ったら大間違いだ!! ルールを破った奴は罰を受ける! それがこの世界で何よりも優先させる根本的なルールだろーが! 違反した奴に必要なのは理解じゃねぇ! 徹底的な制裁と絶対的な粛清――この二つだけだ!!」

 

 狂気とすら呼べる正義への執念と信念。

 鬼瀬を含め、雲仙のポリシーに共感して風紀委員会に入った者は決して少なくない。

 誰でも、悪の怪人より正義の味方に憧れるものだ。

 自分が正しいことを行っているという陶酔。他者を一方的に弾圧するという優越感。

 それらは麻薬のように心に染み渡る。

 雲仙冥利の支配の下で、風紀委員会は一個の巨大な集合体として蠢いていた。

 この場に不和が居合わせていれば、手頃なエサを食い散らかす駄犬の群れだな、と大笑いするか呆れるかしただろう。

 

「まあ俺は先輩だし? 今までは後輩のテメーの意思を尊重して我慢してたんだぜ? けどここで会ったが百年目だ。甘ったるい考えの後輩を教育するのも先輩の役目だからなぁ。先輩として、風紀委員長として、そして俺として! テメーと、テメー率いる生徒会と敵対してやるよ!!」

 

 瞬間、雲仙の右手がブレた。

 それとほぼ同時に、めだかの頭を衝撃が襲った。被っていた帽子は弾き飛ばされ、ガクンと首が傾ぐ。

 隣で見ていた鬼瀬にも、雲仙が何らかの武器を用いてめだかを攻撃したということまでしか分からなかった。

 おそらく同じ方法で破壊の限りを尽くされた音楽室の備品の残骸を見れば、ピアノからホルン、チェロ、果てはアンプに至るまで、そのいずれにも五百円玉程度の大きさの穴が無数に開いているが、それだけでは攻撃方法も武器も特定できない。

 そして一番不可解なのが、攻撃がめだかの頭上から来たということだ。

 雲仙とめだかの身長差で、一体どんな武器を使えば上から不意を打つことができるのというのか。

 改めて鬼瀬は、この小さな少年が自分とは別次元にいる存在(バケモノ)なのだと思い知らされた。

 しかし、だからと言って、目の前で振るわれる理不尽な暴力(・・・・・・)を見過ごすわけにはいかなかった。

 

「やめてください委員長! 黒神さんが何をしたって言うんですか! 今生徒会と争う理由なんてないでしょう!?」

 

「おいおい鬼瀬ちゃん、理由ならあるじゃねーか。いつの時代だって聖者と正義は相容れねぇ。主義主張が食い違ったら相手を潰すしかねーんだよ。上から目線性善説? それがどーした。だったら俺は見下し性悪説だ! 余計な芽は摘み取るのが俺のスタイルなんだよ!!」

 

「…………貴様の主義はよくわかった。確かに私の主義とは違うらしい」

 

 めだかが静かに言う。

 

「だがそれは話し合いで解決できるレベルであろう? 鬼瀬同級生の言う通り、私と貴様が敵対する理由はないぞ」

 

「ケケケ♪ どこまでも上から目線かよ黒神ぃ。けどなぁ、とっくの昔にそんなレベルで済むような話じゃなくなってるんだよ。なんせ――」

 

 俺は既に、生徒会潰しのために刺客を四人放っちまってるんだからなぁ。

 

 最初、その言葉の意味を鬼瀬は理解できなかった。いや、したくなかった、と言った方が正しいか。

 

「……雲仙二年生。貴様は今、『四人』と言ったな?」

 

 鬼瀬ははっとする。

 雲仙冥利本人がこの場にいる以上、新たな刺客がめだかの前に現れるとは考えにくい。四名の刺客のうち三名は、善吉、阿久根、喜界島のところに向かったのならば、残るあと一名は一体誰を標的に定めたというのか。

 たった一人だけ、心当たりがある。

 

「委員長、まさか不和さんにも刺客を差し向けたんですか!?」

 

 雲仙は答えず、ただにやりと笑うだけだ。

 

「どうしてですか! 不和さんは生徒会役員でもなければ私達風紀委員を敵だと思っているわけでもないでしょう!? 学園の治安を――ひいては生徒達の平穏を守るのが私たちの使命じゃなかったんですか!?」

 

「俺相手に随分な言い様だけどなあ鬼瀬ちゃん。忘れてねーか? あいつだって立派な服装違反者だろーが。それも一度や二度じゃねぇ、あいつ、この学園の転校してきてからずっとあのカッコだぜ? それだけで風紀委員会と――この俺と敵対する意思アリとみなすには十分だ!」 

 

 鬼瀬にはもう打つ手がなかった。

 今から助けに行ったところで間に合う訳もないし、雲仙が見逃してくれるとも思えない。

 藁にもすがる気持ちでめだかの方を見ると、彼女は怒るでも慌てるでもなく、

 

「……愚かなことを」

 

 腕を組んだまま、静かに一言呟くだけだった。

 

「雲仙二年生、すぐに刺客を下がらせた方がよいぞ。大事な部下を失いたくなければな」

 

「……あぁ?」

 

 雲仙は訝しむように顔をしかめる。

 

「言ってる意味がぜんっぜんわかんねーぞ黒神ぃ。部下を失いそーになってのはテメーの方だろーが!」

 

「……もう一度言うぞ雲仙二年生。今すぐに、お兄ちゃんに差し向けた刺客を撤退させろ。これは忠告なんかじゃない。私ではもう間に合わん(・・・・・・・・・)から貴様に(・・・・・)頼んでおるのだ(・・・・・・・)

 

 めだかが諭すように言った、その時だった。

 唐突に、携帯の着信音が音楽室に鳴り響いた。

 音は雲仙の制服の中から聞こえてくる。

 アイフォンを取り出した雲仙は、画面に映る名前を見て笑みを浮かべた。

 

「噂をすればだぜ黒神。不和のヤローを潰しに言った奴からだ。なんだよなんだよ、予想以上に仕事が早(はえ)ーじゃねーか♪」

 

 雲仙はめだか達にも聞かせるため、スピーカーホンに切り替えた。

 だが、ここで雲仙の予想は大きく裏切られ、めだかが危惧していたことが現実となる。

 

『……ようクソガキ。素敵な宣戦布告をどうもありがとう』

 

「なっ!?」

 

『おいおい、なぁに驚いてやがんだクソガキちゃん? 僕がお前に電話したことがそんなにオカシイか? それとも――この嬢ちゃんの携帯から掛けていることに驚いてやがるのか?』

 

 嘲笑交じりに語る不和に、雲仙はギリッと歯を鳴らす。

 

「テメーあいつに何しやがった!?」

 

『喚くなよクソガキ。んなこたぁ今はどーだっていいだろーが。大事なのはお前が喧嘩を売って、僕がそれを買ったっつーことだ。訊きゃあ生徒会を潰すために僕以外にも手下を差し向けたらしいな。まったくメンドクセーことしてくれるぜお前はよぉ。そっちから僕に(・・)手出ししてこねぇ限り、知人が何人くたばろうが無関心不干渉を決め込むつもりでいたんだぜ?』

 

 不和の声が、だんだんと怒りの色を帯びていく。

 

『ガキの悪戯と片付けるにゃあちょっとばかしやり過ぎだ。正義も聖者もお前らの主義主張も知ったことか。僕は僕として僕のための確固たる意志と超個人的な苛立ちをもって、明確な戦意と殺意と悪意と敵意と害意と蔑意をもって、雲仙冥利、お前を徹底的に潰してやるとしよう。つーわけで、めだかちゃん、半袖、あとついでに針音ちゃん。あんま巻き込みたくねーから――』

 

 不和の声が止まったかと思うと、ほんの一呼吸の間をおいて、

 

伏せろ(・・・)

 

 同時に、音楽室の壁が轟音と共に弾け飛んだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 数分前。

 

 空き教室の中央で、不和はボロ雑巾のごとく打ち捨てられていた。

 彼の身体は歪な形にずれており、肘、膝、肩、手首、足首、指の一本一本に至るまで、全身のあらゆる関節を分解されて身動き一つ取れずにいた。

 

「それじゃあ、次いきますよぉ」

 

 狂気じみた空間にはおよそ似つかわしくない朗らかな口調で、風紀委員の少女は巨大レンチを両手で握りしめる。不和の左肩を先端に挟み込み、レバーでも倒すような全身を使った動きで――

 

「よ……っと」

 

 ゴグン

 

 鈍く、くぐもった音がして、左肩の『解体』が完了した。

 灼熱にも似た激痛が全身を掛け値なく奔り回る。

 首から下を失ってしまったかのように、不和は自身の身体の所有権を放棄させられていた。

 けれど、不和の脳と眼球は自分でも驚くほど冷静に、冷徹に、冷酷に、観察と考察と推察を繰り返す。

 

「恨まないでくださいよぉ? 私だってお仕事で仕方なーくやってるんですからぁ。…………ごめんなさい嘘ですぅ。雲仙委員長や呼子副委員長に褒められたくて褒められたくて褒められたくてぇ、私とっても張り切っちゃってますぅ。気付いてましたかぁ? 貴方の関節を一つ一つ壊していくたびにぃ、嬉しくて笑っちゃいそうになるのを頑張って我慢してたんですよぉ?」

 

 痛みよりも、不意打ちされたことよりも、侮られていることよりも、目の前でくるくるとレンチを操りながら回るこの女の話し方が不快だった。

 くるくるクルクル繰々(くるくる)狂々(くるくる)――

 

「悲鳴を上げなかったのは流石だと思いますぅ。私は経験ないから分からないんですけどぉ、ソレとっても痛いはずですよねぇ? 今までの人達だと『ウギャアアア』とかそんな感じに喚いてくれちゃってぇ、私ウルサイの嫌いだから腕とか足とよりもぉ、まず先に顎の関節から外すことにしてたんですよぉ。いい機会ですからぁ、お話ができるうちにぃ、貴重なご意見とか聞いてみたいんですけどぉ」

 

 回るのを止めた少女はしゃがみ込んで、フードの陰に隠れた不和の顔を覗き込み――嫌悪感を露にした。

 粛清を受けた連中の大半は怯えや怒り、憎しみの表情を浮かべるのだが、どれとも異なる薄気味の悪いものだった。

 仮面のような無表情――というわけではない。

 むしろ自然体。

 コンビニで雑誌でも流し読みしているかのような、退屈を含んだ平凡な表情。もう飽きたとでも言わんばかりの――少女からしてみれば怒りを通り越して殺意すら湧くほど挑戦的な顔をしていた。

 

「何です――」

 

 ――かその顔、と少女が怒鳴ろうとしたところで。

 沈黙を貫いていた不和は、口をパカッと大きく開き、吸血鬼じみた牙を見せて、

 

「か――かは、かははははははははあはははははははっ!!!」

 

 壊れた人形のように笑い始めた。

 あまりの変貌ぶりに恐怖を覚えた少女は思わず後ずさり、身を守るように巨大レンチを抱きしめる。

 

「や、やっぱり壊れちゃってたんですかぁ?」

 

 怯える少女に構わず、不和はゲラゲラと笑い続ける。

 笑う、嗤う、哂う!

 文字通り手も足も出せないこの状況で、ただ嗤うだけ。

 力も武器も必要ない。

 今この時この場において、空間を支配しているのは紛れもなく不和の方であった。

 

「黙ってぇ、黙って……くださいぃ、黙ってくださいよぉ!!」

 

 少女は耐え切れなくなって悲鳴を上げた。

 笑い続ける不和を黙らせるためにレンチを振り上げようとした。

 しかし。

 

「えぇ……あれぇ?」

 

 何故かレンチを握ることができない。どころか、手首から先の感覚がない。

 それは、彼女にとって見慣れた光景ではあったのだろう。

 彼女自身の右手の――五本ある指の関節が全て『分解』されていたのだ。

 歪に折れ曲がっている指を見ても、少女は呆けた声を上げるだけだった。

 

「お前さっき、経験がないっつったよな。なら喜べ。記念すべき初体験だ」

 

 そんな彼女の意識を、微かに聞こえた不和の言葉が現実に引き摺り戻し――奈落の底に叩き落とす。

 

 ゴギンッ!

 

 先刻、少女が不和の左肩を外した時のものより大きな――聞いた者に痛みを連想させる音が木霊する。

 

「あ…………ああ、あぁあああぁぁぁ! 痛い(・・)! 痛いよぅ!! 痛いいたいイタイイダイ痛いぃいいいいいいいいぃぃぃぃいいぃぃっ!!」

 

 一瞬のうちに、少女の両腕は完膚なきまでに『解体』された。

 見えない糸で操られた傀儡人形(マリオネット)のように、ゴキ、コキ、と少女の身体は勝手に動き、着々と『分解』が進んでいく。

 どさりと床に崩れ落ちる。

 両足の関節も外されてしまったため、立っていられなくなったのだ。

 

「なんでぇ!? どうしてぇ!? どうして私がこんな目に――――」

 

 顎関節が外れ、少女は続きを言うことすら出来なくなった。

 その代わりとばかりに――

 

 コキ

 

 と。

 関節が嵌(は)め直される音が、やけに大きく聞こえた。

 

 コキ ゴキ ペキ グキ

 

 音はまるで処刑時刻を告げる秒針のように、少女の恐怖心を掻きたてる。

 有り得ない、と心の中で必死に否定するが、それを嘲笑うかのように音は続く。

 少女が倒れ伏した位置からは、首を巡らせても、眼球を限界まで動かしても、不和の姿を確認することができない。

 見えない。分からない。

 言い表せないほどの不安が襲う。

 

 ゴリ パキ ミシ メリ

 

(に……逃げなきゃ……逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ!!)

 

 けれど、動けない。足掻くことすら許されない。

 明確な死のイメージが、ゆっくりと這い寄る。

 

 やがて。

 

 コキ………………

 

 音が止み、静寂が訪れた。

 耳が痛くなるほどの無音。

『何か』が立ち上がり、レンチを拾う気配。

 首を、ひんやりと冷たいレンチの先端がスッポリ包み込む。まるで罪人に嵌める首枷のように。

 

「これはお前の武器で、これから僕がやろうとしていることはお前の流儀に則ったものだ」

 

 泥よりも濁り、淀み切った目をした『何か』が、罪状でも読み上げるかのように簡潔に述べる。

 その目を見てしまった少女は、一瞬で全てを諦めた。

 心の内で喚くことも、必死に逃れようと考えることも、生きようと抗うことさえも。

 全てが無駄だと、諦めてしまった。

 

「だから敢えて僕はこう言おう」

 

 両手でレンチをしっかりと握りしめ、レバーでも倒すような動作で。

 

「ぶっ壊れちゃってください」

 

 ゴキリ

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 数分後。

 

 廊下側から室内へ、壁の残骸に混じって飛び込んできたのは、何十種もの工具の嵐だった。

 金槌やノコギリ、ドライバーやペンチやハンマーといった基本的なものから、果ては専門職に就く人間にしか分からないような特殊な形状のものまで多種多様、ありとあらゆる工具がまるで弾丸の如く、持ち主(・・・)の言葉に忠実に従い――戦意と殺意と悪意と敵意と害意と蔑意をたっぷりと伴って雲仙冥利に襲い掛かった。

 

「う――おぉぉぉおおおおおっ!?」

 

 驚きの声と共に、雲仙は不可視の攻撃でいくつかの工具を弾き落としていく。

 しかしそれでも多勢に無勢、隙間を縫うようにして迫った工具が身体に叩きこまれた。

 ゴスッ、と硬質ゴム製のハンマーが頭部に当たり、思わず視界が揺らぐ。

 

「おーおー、クソガキのくせに無駄にしぶてぇ」

 

 かろうじて倒れずにその場に踏み止まった雲仙に声が掛かる。

 

「単純に打たれ強ぇのか、それともそのクソ重そーな服に仕掛けでもしてあんのか。まあどっちにしても剥き出しのアタマ狙っちまえば済む話だけどな」

 

 足元に転がった瓦礫を打ち砕き、のんびりゆっくりゆらぁりゆらりと――幽鬼を思わせる歩調で。

 巨大なレンチを金棒のように肩に担ぎ、鋭い牙の並んだ口を大きく歪ませて。

 

「それじゃあ始めるとしようぜ雲仙冥利。お前と僕の、素敵で愉快で面白くもくだらないガキの戯れみてぇな迷惑極まりない戦争(つぶしあい)をなあ!!」

 

 安心院不和は、高らかに宣言した。


 
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