No.434900

恋姫異聞録144  ― 蜂王と小覇王 ―

絶影さん

えー拠点です

蜂王と小覇王と、タイトルのままです
次回も美羽様が活躍
多分、次々回もそんな感じ

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2012-06-09 22:41:55 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:11246   閲覧ユーザー数:8002

 

 

古い記憶を呼び起こされるような光景を目の当たりにし、違った意味での恐怖を刻み込まれた出来事から

落ち着いたのは、すっかり日が落ちて城から秋蘭が戻ってきた頃だった

 

何事も無かったかのように部屋から出てくる昭に皆は怯えていたが

蹲る春蘭を抱きしめて「怖かったか、ゴメンな」と優しい声をかけた瞬間、皆は大きく溜息を吐いて安堵し

春蘭は、ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らして昭の胸に顔を擦り付け服を握りしめていた

 

そんな光景を見た孫策は、なるほどこれが夏侯昭という人間なのかと人となりを理解し

何時か、黄蓋が言っていたように自分には御するどころか、妻となるのも難しそうだと微笑んだ

 

 

 

夏侯邸の一騒動から翌日、宮中の客室に戻った孫策は、城の全ての扉が破壊されて居るのを見て言葉を無くし

部屋に戻って吹き抜ける冷たい風に身を震わせ、布団に包まって夜を明かすはめになっていた

 

お陰であまり良く睡眠が取れず、今は眠気まなこを擦りながら夏侯邸へと足を向けていた

 

夏侯邸に向かう理由は、結局昨日の騒動で自分の要件を華琳に伝える事が出来なかったからである

昨日は、とりあえず無駄だと解っていてもとりあえず華琳の部屋を覗いたのだが

予想通り寝台で布団を被って鼻をすする音が聞こえてきたため、すぐに城へと戻っていたのだ

 

「アレじゃ王の威厳なんてあったものじゃ無いわね、だから此方に逃げたのかしら」

 

王が折檻を受けている姿など、とても他の者には見せることなど出来はしない

逃げるにしても、城内に居る限り彼の眼から逃れる事など出るわけが無いのだから、結局此処に逃げるしか無かったのか

 

「おはよ、お邪魔しても良い?」

 

「孫策殿か?どうぞ上がってくれ」

 

「雪蓮で良いわよ、お邪魔します」

 

玄関に入り、昨日、春蘭から教えられた通りに靴を脱いで下足箱に靴を入れる孫策

この家の決まりを話す春蘭は得意げで、まるで自慢話をする子供のようでとても可愛らしかったと思い出す

 

ふふっ、曹操が春蘭を可愛がり、側に置くのも少しは理解出来るわ

 

早速、真名も交換したのだろう。春蘭の名を呟きながら居間へと向かえば、嗅いだ事のない香ばしい良い匂いと

ふわりと柔らかい、何処か心の落ち着く二つの香りが漂ってくる

 

「良い匂いね、いまから朝食?」

 

「ああ、どうだ一緒に」

 

「良いの?それじゃ、お言葉に甘えちゃおうかな」

 

土間から出てくる昭は、水で湿らせ固く絞った布巾で食卓を綺麗に拭き始め

良い匂いの漂ってくる土間からは、娘の涼風が鼻歌を歌いながら母、秋蘭の料理をする姿を楽しそうに見ていた

 

「おか~さんのりょうりは、まほうのりょうり~♪かなしぃ~かおも~えがおになります~♪」

 

手際よく食材を刻み、流れるように涼風の歌をBGMにして調理を作り上げていく

 

私も、昔はあんなだったような気がするな

 

秋蘭を見る涼風に遠い記憶の自分を重ね見た雪蓮は、懐かしい光景を見るように眼を細めていた

 

「なあ、良かったら華琳を呼んできてくれないか?一馬は夜勤が続いて、今日は寝かせてやりたいんだ」

 

昭の申し出に、春蘭はどうしたの?と問えば、春蘭は怯えて眠る事が出来なくて

先刻、ようやく秋蘭に寝かしつけられた所だとの答えに、孫策は苦笑いを浮かべた

 

よほど彼が怒るのは怖いのね。其れも理解は出来る、昨日のあんな光景を見せられたらねぇ・・・

 

「解ったわ。ねえ、私も貴方の真名を預かっても良い?属国だけど、魏の人間には変わらないし、ダメ?」

 

「ん?ああ、構わないよ。俺の真名は」

 

「知ってる、叢雲って言うんでしょ?春蘭が貴方の真名を教えてくれたわ」

 

貴方を話す春蘭は、とても可愛らしかった。華琳の話をする時は、貴方の時以上に愛らしかった

よほど信頼されているのね。との言葉に昭は微笑み、雪蓮も自分と周瑜の事を重ねたのか柔らかい笑を浮かべていた

 

言われたとおりに、華琳の部屋(本来は春蘭の部屋)に足を向ければ、小さな人影が扉の前で立ち、何かを立て着ける様子

近づいてみればそれは華琳だと理解する

 

「・・・・・・ぐしゅっ」

 

よく見ると鼻を鳴らし、自分で作ったのか所々に美しい華の彫刻がされた戸を嵌め込む姿

目尻から零れそうになる涙を腕でゴシゴシと拭うと、手にもった木槌でコンコンと叩いて形を調節をしていた

 

「えっと・・・おはよう」

 

「・・・おはよう」

 

か細い声で挨拶を返す華琳の姿は、魏を支える強大な王などではなく、ただ親に怒られて気落ちする少女の姿だった

 

彼女からすれば自分で壊した訳ではないが、結局は自分の行為がもたらした結果だと言うのだろう

夜中に木材を何処からか集めてきて、壊された戸を新しく作りなおしていたようだった

 

「朝食だから、呼んできてくれって頼まれたんだけど」

 

「うん・・・これで終わりだから」

 

そう言うと再び昨日の出来事を思い出したのか、手の甲でじわりと滲みだす涙を拭って蝋を敷居へと塗りこんでいた

なんとも言えぬ弱々しい姿に雪蓮は本当に曹操か?と疑ってしまう程だった

 

あれほど自信に満ち溢れ、威厳を保ち、傲慢とも言えるほどの言葉を放つ魏の王と別人にしか見えない姿に

雪蓮は、戸惑っていたが、直ぐに華琳の作業は終わり「いきましょう」と呟き居間へと向かう華琳の後を慌てて追いかけていた

 

「・・・」

 

居間の前で顔を俯かせ少しだけ口を尖らせる華琳。目の前では、食卓を拭き終えて布巾を畳む昭の姿

 

あと一歩で居間に入れると言うのに、入ることが出来ず俯いたままの華琳に、雪蓮は可哀想になってしまい

口添えをしようか迷っていた所で昭が口を開いた

 

「おはよう、終わったのか?」

 

「うん・・・ごめんね」

 

「もう良いさ。戸を直してくれて有難う、今日の朝食は魚の干物だ。食べたかったんだろう?」

 

昭の優しい声を聞いてゆっくり頷き、ようやく足を進めて定位置へと向かうが、相変わらず顔は沈んだまま

雪蓮は、とりあえず気の利いた言葉も思いつかないし、変に声をかけても今の彼女には何の効果も無いどころか

余計に気落ちさせてしまうかもしれないと、用意された華琳の正面へと座るが

 

「・・・座らないの?」

 

「・・・」

 

立ったまま秋蘭が涼風の為に作った熊のぬいぐるみを拾いあげて抱きしめると、耳をふにふにと触りながら

一向に腰を下ろそうとしない華琳。昭の方を見れば、土間へと入ってしまい竈に火箸を突っ込んで何かをしていた

 

「彼も許してくれるようだし、食事も運ばれてくるみたいだから座ったら?」

 

「・・・・・・」

 

雪蓮に促された華琳は、一度ぬいぐるみに顔をうずめて、ゆっくり膝を曲げる

腰を下ろす瞬間、雪蓮には小さく深呼吸する華琳の様子に思い出す。そういえば、昨日しこたま尻を叩かれたはずだと

 

「ヒッ・・・ふぐぅぅ・・・ぐしゅっ・・・」

 

しまったと思った時にはもう遅かった

顔を思い切り顰めてプルプルと身を震わせて苦痛に耐え、大粒の涙をボロボロと零す華琳に雪蓮は、罪悪感で頭を下げていた

 

「ご、ごめんね、すっかり忘れてたわ。戸の修理なんかしていたから」

 

「い・・・いぃ。私が、悪いから」

 

涙目で苦痛に耐えながら座る華琳に、雪蓮はなんとも言えない気まずさを覚えた

 

これからお願い事をしようと思ったんだけど、今の彼女じゃ何でも良いって言いそう

 

余りにもか弱く、守ってやりたくなるような可憐な姿を見てしまい、雪蓮は困ってしまう

相変わらず、膝の上に置いた熊のぬいぐるみの耳をふにふにと動かし、顔を俯かせているのだから

 

さて、どうしたものか。妹たちと同じ対応で良いのか、それとも通常の彼女の性格を考慮した対応が良いのか

悩んでいた所で、土間から昭が桶に水を張って、中に焼けた石を放りこんで浮かぶ灰を捨てて居間へと戻ってきた

 

一体、何をするんだろうと思えば、昭は大人しく座布団に座る華琳に近づいて右の髪留めを外すと

後ろから髪を何度か手櫛で梳き始めた

 

「少し、右の髪にクセがついてるな」

 

「・・・うん」

 

「蜜柑の果汁なんかも、髪を固めるのに良いようだ。今度、試してみるか?」

 

「うん」

 

一目みただけでは解らない僅かなズレが有るのか、何度か手櫛で髪を梳くと戸棚から出した香油を手に付け

優しく手櫛で髪に馴染ませて左右の形を見ながら、今度は水に漬けた石を取り出した

 

石は、細長く棒のような形をしており、昭はまだ熱を持つその石に竹の柄を取り付けると華琳の髪を巻きつけていた

根本付近から石棒の長さを利用して、前方に向かってフォワード巻きにしながら、華琳の特徴的な髪を作り上げていく

 

ぬいぐるみに顔を埋めながら、気持ちよさそうに眼を細める華琳と、優しく髪を整えていく昭の姿に

雪蓮は、仲睦まじい兄妹を見ているような気持ちになってしまう

 

そうか、此処はあの娘の家なのね。だから、此処に逃げた。勿論、私が最初に考えたような事も有るのだろうけど

一番の理由は、彼女にとって家はこの家であり、彼は家族なんだわ

 

帰る場所が家なら、叱るのも慰めるのも家族の役目

何も不思議な光景では無いのだと全てに合点がいった雪蓮は、暖かい眼で二人の姿を見ていた

 

器用に巻きつけた髪を優しく手で抑えながら、逆の巻き髪を左手で触りながら左右の釣り合いを見る

最後に髪を石棒から外して、形が作られた所で髪留めを丁寧に巻いていけば、華琳特有の髪型の出来上がり

 

鏡を手に取り、華琳の前へ差し出せば、華琳は嬉しそうに眼を細めて熊のぬいぐるみを抱きしめていた

 

「お待たせいたしました華琳様。どうぞ、お召し上がり下さい」

 

柔らかい雰囲気の二人に溶け込むようにして、土間から上がってきた秋蘭が料理を配膳する姿

空気を壊さず自然な流れで入り込む秋蘭に、雪蓮は感嘆の溜息を吐いた

 

夏侯淵とはこういう人物なのね、空気を読み調和を乱さず、姉の春蘭とは真逆

 

彼女もまた、自分よりも他を優先してしまう人物。だからこそ、彼は彼女をあれほど愛しているのか

ならば、あの時に王の言葉を飲み込んだ姿も納得が出来る。そして、彼があれほど強く純粋な言葉で

自分達の提案を拒否したのかも

 

「ああやって、ハッキリと口にすることが彼女に対する愛か・・・」

 

昭の秋蘭に対する秋蘭の為だけの愛情表現を理解し、少し羨ましさをにじませながら呟き

ようやくぬいぐるみから手を放して、食事を始める華琳を見ていた

 

 

 

 

 

「ふふっ・・・」

 

一口くちに含んでは至福の笑を見せる華琳に、雪蓮はそれほど美味なのかしらと配膳された料理に視線を移すと

そこには見たことも無い、料理が並んでいた。焼き魚なのだろうが、見たところ少々乾いていた物を焼いた印象を受ける

乾物ならば、水で戻した物なのかと華琳が口に運ぶ様子を見ていたが、どうもそういった水っぽさは見受けられない

 

何方かといえば、水っぽさではなく油の乗った魚の身。更に香ばしい魚の匂いに雪蓮は何時も食べている魚と違うと

首をかしげ、とりあえず考えるよりも食べてみようと、続いて自分に配膳された干物へ箸を入れた

 

「もむっ・・・」

 

身を解し、口へと入れれば広がる塩気と凝縮された魚の油、旨み。今までに味わった事のない深い味わいに驚き

箸は止まらず次から次へと身を口へと運んでしまう。口に入れれば旨みが広がり、舌は何かが足りない何かを入れてくれと騒ぎ立てる

 

「ほら、これだろ?粥じゃない、麦飯だ」

 

挽き割り麦と米を混ぜ込んで炊きあげた麦飯を差し出されれば、雪蓮の口は待っていましたとばかりに麦飯に喰らいつき

干物と交互に口の中に掻き込んでいた

 

「んっ・・・んっ・・・んっ・・・」

 

美味そうに麦飯を頬張り、喉がかわいたとお茶に手を伸ばそうとした瞬間、華琳が味噌汁に手を伸ばした姿が眼に入り

雪蓮は、同じように味噌汁に手を伸ばして少しずつ、具と共に腹に流しこんで行く

 

口の中につるりと入り込み、噛めば溶けるように崩れ落ちる豆腐。噛めば噛むほどに舌に広がる塩漬けの稚海藻の磯の味

アクセントのようにして入れられた、刻みネギの風味が鼻を通り広がる清々しさと心地よさ

 

何処か懐かしく心温まる味噌汁の味に、雪蓮は溜息を一つ吐いて眼を細めた

 

「ふふっ・・・次はこれね・・・うん、美味し・・・」

 

華琳の食べ方を真似ながら胡瓜の浅漬けに箸を伸ばし、ポリポリと歯ごたえを楽しみながら再び麦飯を口へ運ぶ

胡瓜の浅漬けは、昆布と唐辛子と共に漬けられており、取り出す際に一緒に漬けた唐辛子をきざんで乗せてあるため

始めピリッと辛く、噛めば昆布と胡瓜の旨みが口に広がり、これだけでも米が進む

 

何時しか此処に来た目的も忘れ、素朴で心落ち着く暖かい味の虜になっていた

 

「はぁ~、ごちそうさま」

 

朝だと言うのに三度もおかわりをした雪蓮は、お茶を口にして満腹になった腹をさすっていた

 

「ん?」

 

「なんだよ、アタシが此処に居ちゃおかしいか?」

 

何時しか昭の姿は無く、隣に座り味噌汁をすする翠に眼を丸くする雪蓮

翠の隣では、蒲公英が先ほどまでの自分のように麦飯を片手に魚の干物をもしゃもしゃと頬張る姿

 

視線を正面に戻すと、食事を続ける大人しい華琳と膝に娘を乗せて食事をする秋蘭の姿

 

「ふふっ。おかしくないわ、少し驚いただけ。もう何があっても変だと思わないわよ、此処はそういう所だって分かったから」

 

「うん、それはアタシもそう思う。っていうかやっぱり義兄様の所が一番だな」

 

「蒲公英、この浅漬けって言うのが好き。後で作り方を教えて、お義姉様」

 

頷き、良い返事を貰えた蒲公英は喜び、翠は自分で土間へ行って二杯目の麦飯を茶碗へ詰めていた

 

本当に、此処は理想郷だわ。昨日まで敵同士だった者達が、こうして食事を取っているんだから

 

微笑む雪蓮は、食事が終わり少し落ち着いたのか表情が柔らかくなった華琳へ願い事を伝えた

再びぬいぐるみを抱きしめて、今度は耳ではなくモフモフの鼻を指先で撫でていたが、先刻よりはマシだろうと

 

雪蓮の願いとは、自分と周瑜以外に黄蓋をこの地に置いてくれるようにしてもらうこと

自分と周瑜でも問題は無いのだが、まだ躯が回復し切らない周瑜の身の回りの世話をする人物が必要だという事

何かあった時、呉の地に自分が派遣された場合に周瑜の世話をする者が居なければならず

呉の地をよく知る物が魏にいれば、華琳が魏全体の政策を決める時に何かと助言をすることが出来るはず

 

自分よりも古くから呉の地を知り、孫堅から自分へと二代に渡って仕えた賢人が居ることは魏にとって有益だと

 

「・・・秋蘭」

 

「はい」

 

ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめると秋蘭を呼び、秋蘭は華琳を後ろから優しく抱きしめた

雪蓮が小首を傾げると、秋蘭は、今日一日華琳様はこの調子だと、嬉しそうに華琳を抱きしめていた

 

どうやら今日一日は、秋蘭だけの華琳になるようだ

 

それを理解しているから他の者がこの家に居ないのだろう、これほど暖かい家に、他の者が集まらない訳がない

普段はきっと馬超達のように朝からこの屋敷に皆が集まっているはずだと雪蓮は思う

 

食事が終わった蒲公英は、皆の食器を土間へ運び洗い始め

翠は涼風を抱き上げて庭へと下り、蹴鞠を拾い上げて涼風と食後の運動を始めていた

 

「屋敷を用意するわね。宮に近い方が良い?」

 

「何処でも良いわ、贅沢は言わないわよ」

 

「うん、なるべく近くにしてあげる。屋敷も大きく、呉からの訪問者も滞在できるように」

 

少し俯きがちに話す華琳は、願いに好条件で答え

やはりまだ早かったか、幾らなんでも義をねじ曲げ戦いを挑み、負けた自分達が出した願いを二つ返事で許可するのだから

と雪蓮は複雑な心境になっていた。其れが顔にも出てしまっていたのだろうか、秋蘭が雪蓮の顔をみて小さく微笑み

気にするなと首を横に振っていた

 

「何も問題は無いさ、元々華琳さまはそうするおつもりだったのだから」

 

「そうなの?」

 

「ああ。怨みに対し誠実に有ることが後に華琳さまの治める国を支える大きな礎となる」

 

秋蘭の答えに頷く華琳。昭が劉備の前で言った言葉ではあるが、元々は孔子の言葉

華琳自身も十分に理解している。戦が終わったならば、戦で死した者達や残された者達に対し誠実であるべきだ

 

呉との戦は終わったのだ、ならば此処からは力で支配するのではなく与えることで、慈悲で治めるのが道

 

その答えに雪蓮は「敵わないわね、なら私達も誠実で在らねばならない」と顔を俯かせ眉根を寄せていた

 

「他に、してほしい事はある?」

 

「あまり甘えるわけには・・・・・・あっ!」

 

これ以上高望みなど出来無い、図々しすぎると首を振ろうとするが、何かを思い出したのか雪蓮は腕を組んで悩みだす

果たしてこれを願って良いモノか、だが周瑜に頼まれた事でもあるし何より自分もとても興味がある

自分が望もうとしている事は、普通は金を幾ら積み重ねても得られるものではないのだと悩む

 

「出来る事はしてあげる」

 

「う~ん・・・」

 

「言うだけ言ってみれば良い。華琳さまは寛大だ、多少のことではお怒りになどならない」

 

促され、雪蓮は一応言ってみるだけ言ってみるかと控えめに口を開く

 

「冥琳から聞いたんだけど、魏には三人の王が居るらしいじゃない?」

 

「三人の王?」

 

「そう、一人は魏の王の華琳。もう一人は貴方の夫、舞王。最後の一人は虫達を従える蜂王」

 

雪蓮の語るは魏の三王。覇王にして矛を止める武の王、華琳。戦場を舞い踊る修羅達の王、昭

最後の一人は勿論、植物に精通し虫達を愛し、従える蜂の王、美羽である

 

蜂王と言う言葉が雪蓮から出ると、華琳はピクリと反応を示して俯かせたまま瞳を雪蓮へと向けた

 

「蜂王は、植物に精通していて魏の台所を支えているって冥琳が言っていたわ。名は夏侯覇、彼の娘だって」

 

再び視線を戻し、くまのぬいぐるみを撫で始める華琳

表情を硬くする秋蘭だが、華琳の仕草に何かを感じたのか表情を隠して華琳を少しだけ、力を込めて抱き寄せる

 

扁風から流れた情報に入っていなかったのか、それとも周瑜が知っていて孫策に伝えていないのか

だとしても、今更伝えない事に何の利益も見いだせないし、礼を取った蓮華の行為が全て無駄になる

なら、考えられる事は一つだけ。拗れたままにしておけない、昭ならなんとかしてくれると考えただけか

 

孫家と袁術の関係を考慮し、今度はくまの腹を撫でる華琳は小さく頷いた

 

「養蜂場、そこに彼女は居る」

 

「何をするか聞かないの?」

 

「うん、いい」

 

「そう、でも一応言っておくわ。少しだけ知恵を借りたいの、塩害の酷いところは畑が作れないのよ

だから、冥琳が出来れば蜂王から対策を聞いてみてくれって。青洲は海が近くても豊作だって言うし」

 

断りを入れ無ければ、やはり誠実さに欠けると思った雪蓮は目的を言うが、華琳はコクリと頷くだけ

そして躯を秋蘭にもたれかけると、秋蘭の顔を下から見上げていた

 

もう話は終わりだと言うことだろう、随分とお願いをしてしまったし、朝食もごちそうになった

これ以上は迷惑が掛かると、雪蓮は礼を言って夏侯邸を後にした

 

養蜂場とは何なのか、場所は聞かなかったが、王と名が付くほどに有名なのだからそこら辺の人に聞けば良いかと

フラフラと歩きながら目に付いた、道を掃除する老人に尋ねれば直ぐに場所を教えてくれた

 

しかも、老人は蜂王の話を出した瞬間、パアッと華が開いたかのように良い笑顔を見せて

「蜂王さまかい?お嬢さんはお知り合いかい?」と聞いてくる

 

知り合いではない、だけど用があって今から尋ねる所だと言えば

老人は、自宅へ入ると「これを持っていてくだされ」と沢山の饅頭を包んで渡されてしまった

 

老人が言うには、蜂王が栽培した薬草を使った神医の薬は老人の病を治したどころか、妻が長年患っていた病まで治してくれたらしい

幾度礼を言っても足りない、他の土地では、痩せた土で苦しんでいた人々に新たな植物や農耕法を伝えて多くの人を救い

凶作の地に送れるほどの土地に変え、恐ろしい害虫である飛蝗からは、飛蝗を操り田畑を蝗害から守った英雄だ

皆は蜂王さまに感謝してもしきれぬほどの恩が有るとの事

 

老人の話に雪蓮は言葉を無くす。薬草や痩せた土地に新たな農耕法を伝えるなどは理解できるし、植物に精通しているというなら

その程度はやってのけて当然だと思うが、蝗害だけは別だ。飛蝗に襲われれば諦めるしか無い、その土地は死んだも同然

その土地に住む人々も死んだと考える。何故ならば、奴らは全てを奪い去る。人も家も田畑も大地も

 

飛蝗の発生する好条件である、洪水で河があふれて周囲の砂地が湿る条件を満たす呉の地では、度々蝗害に悩まされていた

水が豊富に有るとはいえ、于吉の話や王表の話でも有るように旱魃も度々起こる呉の地。旱魃の起こった所へ急に土地を湿らす

洪水が起きれば大地には草が生い茂るが、それは飛蝗達にとって絶好の餌場と化す

 

新芽の柔らかい草をめぐり大量発生した飛蝗は、空を覆い尽くし太陽を塞ぎ大地を黒く埋め尽くす

何度兵を率いてあの黒い悪魔と対峙した事か。何も出来ず、無残にも命を落としていく人々を何度見たことか

あの時ほど己の無力さを嘆いた事はないと、雪蓮はいつの間にか拳を握り締めていた

 

雪蓮が言葉を無くすのは無理はない、其れほどのモノを退治したわけでも防いだわけでもない、操ったと言うのだ

悪魔という言葉が相応しい、万の兵よりも強大で恐ろしいモノを蜂王は操って見せたと

 

「冥琳が蜂王の知恵を借りたいって言ったのはこういう事か、なら私は頭を地に着けても力を借りなきゃね」

 

友の助言に心の底から納得し、決意を固めると雪蓮は養蜂場へと急いだ

老人に教えられた通り、見張りの兵士に断りを入れて城門を出ると、整備された森の道へと足を向けた

 

呼び名の通り、虫を従える蜂達の王の元へ向かうため

 

 

 

 

 

 

 

森の奥へ奥へと進むたび、周りには一匹、二匹と蜂達が飛び交う

だが、今の彼女の眼に入ることはない。一刻も早く、あの悪魔から皆を救う手立てを手に入れなくては

きっと、妹はあの飛蝗になすすべなく兵を死なせ、多くの民を死なせる事だろう。自分がそうだったようにと

足早に森を抜けると、雪蓮の眼に入る一人の少女の姿

 

その姿は、見たことのある長い黄金色の髪、髪に結わえた紫色の大きなリボン、白衣を羽織っているが

開けた場所から見える薄紫の腰布と、金糸の刺繍

 

ユラリと陽炎のように躯から溢れだす殺気に気づくことの無い雪蓮は叫んでいた

 

「袁術っ!」

 

何故、此処に居るのか解らない。生きている事は知っている。あの時、彼が交渉に来た時に冥琳が生きていると言っていた

自分達を騙すために作り物の生首を持ってきたのを暴いたのも自分だ。だが、例え生きていたとしても何故この場所に

 

何故、養蜂場にいるのだ?まさか、袁術が蜂王で在るなどと、舞王の娘で在るなどと言うわけでは無いだろうな!?

 

獣のような殺気を垂れ流す雪蓮は、瞳を鋭く細めて拳を握りしめた。剣は無い、だがこの拳があれば袁術など殺す事は容易い

自分は言ったはずだ、二度と私の前に姿を見せるなと。約束は破られた、ならば自分はあの時決めた事を実行するまでだ

 

我等が耐え続け、屈辱を受け続け、反董卓連合では我等を盾のように使い、呉の民をゴミクズのように使い捨てた

その貴様が何故のうのうと生きている!?この怒りを抑えこむ事などこれ以上できようかっ!!

 

あの時、見逃したのが最後の慈悲だと拳を手刀に変えて氣を巡らせ踏み込む

 

「妾の方から行くつもりじゃったが、ちと遅かったようじゃの」

 

目の前で怯えることもなく、逃げる素振りさえ見せること無く、美羽はニコリと微笑むとゆっくり地に膝を付け頭を下げた

 

「何のつもり、命乞い?」

 

予想外の行動に足の止まる雪蓮。自分が今まで見てきた袁術はそんな事はしない、怯え、従者の張勲に泣きつき

いかに逃げるかを考えるはずだ。懺悔など口ばかり、兵の命など露程考えることはない、見たままの子供のはずだと

構えた手刀が止まってしまう

 

「命乞いか、妾に仕えた兵達は、このような時でも命乞いなどせんかったのじゃろうな。勿論、呉の兵達も」

 

「馬鹿にしているのかっ!?」

 

貴様が呉の兵を、呉の民を語るなと激昂する雪蓮だが、美羽は身動ぎすること無く頭を地に着ける

 

「しておらん、妾はようやくそのことが理解ったと言うだけじゃ。孫策よ、悪かった。そして、約束じゃ

妾の首を呉に持って帰るがよい」

 

頭を上げ、白衣を脱ぎ、首飾りを外して首元をさらけ出すと真っ直ぐ雪蓮の眼を見つめる美羽

潔い姿、美しい姿勢、済んだ瞳、あまりにも違う雪蓮の記憶に在る袁術の姿

 

首を取れとの言葉も嘘などではない、それどころか殺されると言うのに怯えた様子など微塵も無いのだ

 

「どうした、約束をお主が違えるのかえ?孫呉の民を思うならば、妾の首をとるがよい」

 

「・・・何故、そんなに簡単に言えるの?殺されるのよ?」

 

理解の出来無い雪蓮は、手刀を構えたまま鋭い眼をぶつけるが、美羽は変わらず

それどころか、優しく柔らかい瞳で怒りに燃える雪蓮を見つめ返していた

 

「怨みに対し誠実さで報いる。妾は、怨まれ命を奪われても当然の事をしてきた。ならば誠実に、約束を守る事こそが

妾に出来る唯一の償いであろう」

 

首を取ることで満足がゆかぬならば、五体を引き裂く事でも構わない、長く苦しませ殺すこととも受け入れると言う美羽に

雪蓮は困惑していた。目の前に居る人物は誰だ?袁術ではないのか?と逆に、雪蓮の手が震えだしていた

 

怒りからではない、怨みからではない、それは直ぐ理解できた。答えは目の前にある

目の前の袁術から見えるのは、魏王華琳の前で雄々しく立つ昭の姿

 

背に背負う魏の一文字、昨日見たばかりの姿、褒美の剣を受け取る美しい姿と済んだ瞳そのままなのだ

手が震えるのは、あの姿をあの姿勢を、あの強く清らかな心を再びぶつけられたからだ

 

顔を歪める雪蓮は、まるで苦痛に耐えるような表情になり、眼を伏せる美羽に手刀を振り下ろす事が出来ずに居た

そして、軽く溜息混じりで微笑み「ダメね」と呟いた瞬間、美羽の前に飛び出す一人の姿

 

「くっ!」

 

反応するように、手刀を振り下ろせば雪蓮の手に肉が切り裂かれる感触。そして、暖かい血液が腕を伝う

 

「七乃っ!!」

 

名を呼ぶ美羽。そう、目の前に飛び出したのは美羽に常に付き従う七乃であった

異変を感じ、小屋から飛び出した七乃は直ぐに二人の様子をみて、状況を把握し間に飛び込んでいた

 

脇腹に刺さる手刀を素手で抑え、捕まえる手からも血を流す張勲は美羽に安心させるよう笑ってみせる

 

「何も心配は要りませんよ~お嬢様。孫策さん、お嬢様のお命の代わりに、私の首を差し上げます」

 

「七乃っ!下がれ、七乃が死ぬ必要など無い、妾ひとりで十分じゃっ!!」

 

突き刺さった手刀を外し、間合いを取る雪蓮。七乃の腹から流れ落ちる血を見て、美羽は立ち上がり

崩れ落ちる七乃を支えるように抱きしめる

 

「命を賭けてまで仕える価値の在る人間なの?あれほど、人をゴミのように扱って来た人間だというのに」

 

淡々と呉の民や袁術に仕えて居た兵士達の事を出すが、七乃は脂汗を流しながら躊躇い無く頷く

この方こそ、自分の一生をかけて仕えるべき人物であると

 

「はい、お嬢様は過ちに気付き、償いの道を歩み始めました。きっと、多くの人を救う方になる

私一人の命など、後に救われる人々を思えば安いものですよ」

 

「・・・何処にそんな保証が在るの?証明できるものなど無いでしょう?」

 

「此処で落とす私の命が証明となります。安い命かもしれませんが、未練たっぷりの私の命は

きっと貴女に取って大きい保証となりますよ」

 

もう喋るなと泣き叫びながら、七乃の首に抱きつく美羽を優しく抱き返しながら、七乃は雪蓮を強い瞳で見つめ

雪蓮は、未練とは何だと問えば

 

「これからのお嬢様の成長を見れないことです。お兄さんには感謝しています。此れほどご立派になられたのですから」

 

そう言って微笑む七乃に、美羽は涙を流し傷跡を必死に手で抑えていた。だが、血は止まらず無情にも地面を紅く染める

雪蓮は、思い切り唇を噛み締めて、それは十分な保証になると手刀を振り上げた

 

これ以上は自分の心が持たない、手を出してしまったのは私。だから、終わらせなければ

 

「もう良い、そこまでだ」

 

後ろから振り上げた腕を捕まれ、振り向けばそこには昭の姿

 

「父様っ!七乃がっ、七乃がっ!!」

 

「大丈夫だ、傷は浅い。直ぐに診療所に連れて行ってやる」

 

安心させるように美羽の頭を撫でて、腕に巻いた包帯を外して傷だらけの腕をさらけ出すと

腹の傷の周りの衣服を剣で切り取り、子供たちの作った薬を塗りこんで丁寧に止血していく

 

「七乃は大丈夫なのか?助かるのか父様っ!!」

 

「大丈夫だ、殺す気なんか無いんだから。傷だって浅い」

 

父の言葉に驚き、雪蓮を見れば顔を俯かせていた。視線を逸らし、居心地悪く自分を抱きしめるように腕を組む雪蓮

 

「七乃が飛び出したから手が出た、そうだろう?」

 

「貴方が止めなければ殺してたわ、傷つけてしまったらもう退けないもの」

 

そう、溜息混じりで微笑み「ダメね」と呟いたのは、もう目の前の美羽が自分の記憶の袁術とは別人だと理解して出た言葉

自分達、呉の怨みを晴らすべき袁術ではなく、舞王の娘、夏侯覇なのだと認めてしまったのだ

 

だから、ダメだと呟いた。もう自分達の怨みを晴らせる相手は居ない、もう袁術は死んだのだと

 

「袁術ちゃんは死んだのね、私の前に居るのは貴方の娘、夏侯覇」

 

「そうだ、自慢の娘だよ」

 

「ずっと見ていたんでしょう?私とその娘のやり取り」

 

七乃を抱え、頷く横顔に娘に対する誇りを見た雪蓮は大きく溜息を吐いた。姿が無かったのは、もう一人の娘の様子を見に行ったから

そこで娘が自分と話すのを見て、必ず一人で乗り越えられると信じていたのだろう。朝の華琳の様子と合わせて考えれば

全ては華琳の思い通りに動いていたのだと、少し不満気に雪蓮は髪を掻きあげていた

 

「まったく。もし、私がその娘を殺していたらどうしたの?」

 

「鏖だ」

 

「へ?」

 

「聞こえなかったか?呉の人間は鏖だ」

 

呆れ気味に昭に問えば、返ってくるのは薄ら笑いと酷く冷たい瞳。一気にその場の空気が冷たいと言うよりも、完全に冷気に変わり

ズシリと重いモノが肩に伸し掛かる感覚を受けた雪蓮は後ろに二歩後ずさる

 

本気だ、本気で呉の人間を鏖にするつもりだ、蜀との戦など関係がない。この人は自分の娘に手を出されたら何も眼に入らない部類だ

と今更ながら殺す気は無かったとはいえ、手を振り上げた事を後悔し顔を青くしていた

 

「そ、そうよね。貴方は王にすら手を上げるんだから、やりかねないわ」

 

「そういう事だ、さて行こうか七乃」

 

「はい、お兄さん。ごめんなさい、ご迷惑をおかけして」

 

「なに、ちょっと前に比べたら迷惑だなんてことはない。七乃のお陰で美羽も成長できた」

 

背におぶられ、昭に感謝の言葉を向けられると頬を染めて喜んでいた。自分もお嬢様の成長に力を添えることが出来ていたのだと

 

美羽の頭を撫で、安心させて雪蓮を指さす昭は、七乃を背負ったまま診療所へと向かい、その場を後にする

 

もう一度、雪蓮と話せとの事なのだろう。美羽は、心配げに城へと向かう昭と七乃の姿を見送り

再び地に膝を着けて雪蓮を真っ直ぐ見つめた

 

無かった事になど出来無い、名を変え夏侯昭の娘になったとは言え、袁術とは自分なのだ

だから向きあわねばならない、逃げることなど出来はしないと、最上の礼を取り頭を下げた

 

「もう良いわ、私も貴方のお父様に沢山助けられた。お父様のご友人にもよ。大事な人も救うことが出来た

それに、もう袁術ちゃんじゃ無いんでしょう?」

 

「いいや、それでは唯、父に甘えておるだけじゃ。それに、袁術とは妾じゃ。それを変える事は出来ぬ」

 

変えることは出来ない、その言葉に雪蓮は涙を流す。全てが詰まっているのだ、変えることが出来ないと言う言葉に

 

袁術と言う名で死なせて来た人間が居るからこそ、今の自分がある。多くの人間を苦しめてきたからこそ今の自分がある

名を捨て、あれは完全な過ちで全て無かった事だとしてしまえば、今まで自分に仕え戦い、命を落としてきた者達は何だったのだ?

それまで全てを無かった事にするのか?呉の民に対して、圧政を強いてきた事まで無かった事にするのか?そんな都合の良いことが

 

怨みに対して誠実で在ると言えるのだろうか?言えるはずなど無い、忘れるなどという事は、怨みを持つ者が言える言葉なのだ

 

「全てを否定し、何事も無かったように等出来ぬ。償いとは、自分の行いを忘れず、常に頭に置き、死した者達が

妾に命を賭けた者達が、報われるよう在らねばならぬ。じゃからっ!」

 

「だから?」

 

「命を取ると言うならば、妾は甘んじて受けよう。真名を辱める事も受けよう。じゃが、生きろというのならば」

 

己が命が続く限り、全ての者が幸福で在れるように我が知、我が躯の全てを捧げようと言い放つ

王にではなく、民に仕えると言う美羽の言葉に雪蓮は再び昭の面影を美羽に見出していた

 

この娘は、完全にあの人の娘なのだと

 

「じゃあ、生きて頂戴。私との約束は、そっちに変えるわ。皆が幸福になれるように」

 

「約束しよう、妾の真名と父様の名に賭けて」

 

頭を上げ、再び礼を取る美羽。その礼は何度も見たことのある最上の礼の形ではあるが、余りにも美しく高貴な人間特有の出せる雰囲気

が漂い、雪蓮は背筋を伸ばして礼を返し、口約束などではない契約としての約束を結び美羽は雪蓮から差し出された手を握り返していた

 

「良いお父さんが出来て良かったわね」

 

「うむ、自慢の父じゃ。じゃがの・・・」

 

「ん?」

 

「妾の父も、自慢の父じゃ。この礼の仕方は、妾の記憶に唯一残る礼の仕方じゃ」

 

そう、雪蓮が美しいと感じたのは三公の一つ司空であった袁逢の礼。幼い美羽が見たことのある礼の形

袁術も自分であり、夏侯覇も自分である。二つを併せ持つのが自分である。だからこそ今の父も、亡き父も

自分にとっては誇りある父の姿なのだと語る美羽に、雪蓮は亡き母の姿を思い出し瞳を閉じた

 

振り返りもしないで走り続けたけど、母さまは今の自分を見てどう思うかしら、よくやったと褒めてくれるかな?

そんな事はないか、きっと敵に囚われ、友の命おしさに頭を下げた私を怒っているかもしれない

 

この子に比べたら、今の自分は何なのだろう。いつの間にか、器が小さくなっていたように感じるわ、母さま

 

ボロボロと涙をこぼし、唇を噛み締める雪蓮は、いつしか小さく母の名を呟いていた

 

 


 
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