No.427894

真説・恋姫†演義 仲帝記 第三十二羽「二兎追うものは一兎をも得ず、手にするは別離と慟哭のみ、のこと(前編)」

狭乃 狼さん

仲帝記、その続編。

今回は次回と合わせての前後編、まずはその前編からです。

袁術と一刀、そして、二人を取り巻く人々の運命。

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2012-05-25 14:13:38 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:7426   閲覧ユーザー数:6060

 

 二者択一。

 

 人の生において、時折訪れるそれは、本人が例え意識しておらずとも、その人生の道筋を大きく変える、変えてしまっていた事が、往々にしてある。

 

 その時、人は必ずこう思う。

 

 あの時、あちらを選んでいたならば。

 

 こちらを選んでいなかったら。

 

 己と、そしてそれに関る人々の運命は、また違った形になっていただろう、と。

 

 袁術と一刀。

 

 それぞれが、その時それぞれに違う選択をしていたのなら、そして、同じ選択肢を選んでいたのなら、その後の二人にとって、いや、二人に関る全ての者達にとって、最悪とも言えるその宿業は生まれなかった……かも知れない。

 

 しかし、二人はそれぞれに、それぞれの選択をしてしまった。それは、最早変えようの無い、歴史上における事実であり、そして、この時の選択があったればこそ、後に仲王朝が成立する事が出来たと。所詮は結果論かもしれない、そう前置きしながらも、後のとある史家は自身の書にそう残している……。

 

 

 

 第三十二羽「二兎追うものは一兎をも得ず、手にするは別離と慟哭のみ、のこと(前編)」

 

 

 

 

 汝南の地に魯粛からの様々な報告が届けられていた、丁度その頃。宛県にて馬超達と会談を行っていた袁術ら一同は、その馬超から要請された件についての協議を、その当人たちも交えて執り行っていた。

 

 「ではもう一度、孟起さんからの要請内容について確認しますが、西涼連合の首長であった孟起さんのお母上である馬寿成さまが、かねてより患っておられた病で急逝。そして、それを待っていたかのように、一部の部族の人たちが一気に反乱の声を挙げた、と」

 「孟起殿達はそれを鎮圧すべく動いたが、韓文約殿を初めとした馬寿成殿の譜代の臣、そのほとんどを討ち取られるという大敗を喫してしまい、お二人はその韓文約殿が開いてくれた血路によって、命からがら此処まで逃げおおせた、と」

 「そして、反乱を起こした連中を何とか討つ、その為の助力を妾達に請いたい……。それで、間違いは無かったかの?」

 「……ああ」

 

 元々、西涼と呼ばれる、漢土でも辺境といって良いかの地では、漢王朝への忠誠という意識はかなり薄く、どちらかといえば、西羌や匈奴など、五湖と呼ばれる異民族との繋がりが強かった。その西涼の諸部族がこれまで漢に臣従し、その政策に一応従って来たのは、多分に部族連合の長であった馬騰が、漢に忠誠篤き人物だったからである。

 更に言えば、その馬騰の武というものがあるからこそ、他の部族の者たちはそれを恐れ、彼女につき従うという体裁を表面上は装っていた、という事もある。

 

 「……厚顔無恥って言われるのは、あたしも蒲公英も承知の上だ。戦で負け、おめおめと生き恥を晒し、その上、他家の力を借りてみんなの仇をとろうとしてるんだからな」

 「お姉様……」

 「けど、そこをあえて承知のうえで、袁公路殿に頼みたい!文約小父(おじ)やみんなの仇、それさえとる事が出来たら、あたしらの事は勿論、西涼のその全てをあんたに、いや、貴女に委ねる!だから」

 「どうかお願いします!蒲公英たちに、力を貸してください!」

 

 恥も誇りも全てをかなぐり捨て、馬超と馬岱はその場に集う袁家の面々に対し、深々とその頭を下げて援けを請う。見れば二人とも、その両の拳からぽたぽたと、赤い雫を床に滴らせていた。

 

 「……思いの程は分かりました。ですが」

 「難しいかや、七乃?」

 「戦力的にも、そして対外的にも、僕達が表立ってお二人を援けるってのは、ちょっと厳しいかもですねえ。美羽嬢は擁州以西に軍を派遣できる、その権限は持っていませんからねえ」

 「今から都の帝に許しを頂く、そういうわけにはいかないのですか、秋水どの」

 「というより、巴ちゃんのいう方法しかないでしょうねえ。馬寿成殿はれっきとした、漢によって任命された涼州牧及び刺史だったわけですから、その後継に息女である孟起殿が正式に皇帝によって認可される、その手筈さえしっかりとれば、僕たちも堂々と動けるようになりますし」

 「……なるほど。確かに、それが道理だよな……よし、そういう事ならすぐにでも都に」

 

 馬超の要請に応え、西涼に軍を派遣するのであれば、まずは堂々と動く事の出来る大義名分を作る事の方が先決だと。諸葛玄のその言を受け、ならばと、馬超はすぐにでも洛陽に赴き、帝に拝謁して亡き母の正式な公認に認めてもらってくると、その場でそう言おうとしたのであるが。

 

 「申し上げます!汝南の留守居、諸葛子瑜様より早馬が送られて来ております!」

 「翡翠から早馬じゃと?一体何があったのじゃ?これ!すぐ此処にその早馬とやらを呼ぶのじゃ!」

 「あ、お嬢様ー?早馬そのものは呼べませんからねー?正確には、早馬に乗って来た使者さんを、ですからね?」

 「う。……ち、ちょっとした言い間違いなのじゃ!ってこらそこ!そんなに笑うでない!あーもう!馬でも何でも良いから、すぐに呼ぶのじゃー!」

 「ああんもう、お嬢さまってばそんなにムキになって誤魔化されて!そのお姿だけで、七乃はご飯三杯は逝けますようっ!」

 

 早馬による急使が来たと言う、そんな緊張感漂う筈のその場において、ちょっとしたミスを誤魔化そうとする袁術の姿にいつも通りな調子の言動を見せる張勲を見て、一刀の傍にいつの間にやら近寄っていた馬岱が一言、こう声をかけていた。

 「……緊迫感、欠片も無いね……いつもこうなの?北郷のお兄さん?」

 「……まあ、その……否定は出来ない……かな」

 

 そういったいつも通りな状態を袁家の面々が演じている頃、孫堅の居城である淮南は寿春の城では、今まさに孫堅を大将とした、荊州は江夏攻めの軍が意気揚々と出陣しようとしていた。

 

 

 

 「お母様、本当にもう出陣なさるのですか?袁公路殿からの返事もまだ、届いておりませんのに」

 「なに、美羽なら間違いなく応えてくれるさ。それに、徳珪殿からの連絡じゃあ、あっちは既に襄陽を出陣したって事だからね。これ以上出陣を遅らせたら、戦に間に合わなくなっちまうよ」

 「それはそうなのですが……」

 

 先般、荊州牧代理である蔡瑁から要請された、江夏太守黄祖の反乱を事前に阻止する、その為の討伐軍に対する援軍として、孫堅はこの日、先に送った袁術への援軍要請の返事が届かないうちに、早々と出陣する事になった。

 すでに、かの地には彼女の長女である孫策が先に出立しており、荊州軍、そして娘の軍と合流したその後、一気呵成に江夏を攻め落とす、そんな腹積もりで孫堅はいる。袁術軍に援軍要請を出したのは、あくまで万が一のための、外れていれば良い自らの勘、それに対する最悪の事態に備えての保険的措置としてのものである。

 

 (ま、あたしのこういう時の勘は外れたことが無いし、手を打っておくに越したことはない。……例え、悪い方の形でそれの結果が出たとしても、ね)

 「……お母様?」

 「ん?ああ、なんでもないよ。いい加減そろそろ、雪蓮にも蓮華にも、良い旦那を見つけないと、って。そう考えていただけさ」

 「だ、旦那だなんて……っ!姉さまはともかく、私はまだ結婚なんて」

 「何言ってんだい。あたしがお前らの歳の頃には、とっくに腹の中には雪蓮が居たんだよ?早くて悪い、って事は全く無いさ。はっはっは!」

 「お母様っ!……もう」

 

 この時代、孫堅に限らず確かに早婚である事が圧倒的に多い、それは間違いの無い事実である。だがそれでも、と、孫権は思う。

 孫家の一員として家の繁栄を考えれば、いつかは自分も結婚し、その相手と子をもうけ、孫家の血を連綿と綴っていかなければいけないだろうが、将としても人間としてもまだまだ未熟な自分には、当分縁遠い世界だと。

 

 (……第一からして、私がそんな、結婚したいと思う男なんて、いや、それ以上に私に求婚してくれるような男なんて居るわけが無いわよね……)

 「伯母上。そろそろ」

 「ああ、悪い。それじゃあ蓮華、留守の事は頼んだよ。……万が一の時は、美羽に助力を願いな。あの娘なら、お前達の事もけして悪いようにはしないだろうからね」

 「そんな万が一なんて、出陣前に不吉な事を」

 「事態はいつでも最悪の事を予測する。それが、主君として人を束ねる者の、最低限の心構えだ。いいね、蓮華?さ、行くよ蕈華(シェンファ)

 「はっ!」

 

 眉間に皺を寄せたまま自分のことを心配そうに見つめる次女の、その頭を撫でながら微笑むと、孫堅は姪の孫皎と供に寿春の地を出立。総勢三万の赤い軍勢は、一路、江夏の地を目指して威風堂々と進んでいく。

 

 「……お母様、どうか、御武運を……」

 

 胸中に去来する一抹の不安。それが、一体何処から来るものかは結局分からないままだが、それが杞憂に終わり、母と姉達が無事、この寿春の城に戻ってくること、それだけをただひたすらに願ってやまない孫権であった。

 

 

 

 「……まさか、洛陽で反乱が起きようとはねえ。しかも、それを起こしたのが」

 「……私の元同僚、李傕と郭汜の二人とはな……」

 「仔燕さん……仔雀さん……」

 「ったく、なに考えてんのよ、あの馬鹿たちは……っ!」

 

 袁術らと馬超、馬岱の階段の最中、突然届けられた三つの急報。うち一つは、洛陽で李傕、郭汜という元董卓軍の将二人が、何を思ったか突如兵を挙げ、皇帝劉協とその側近である李粛の身柄を確保し、洛陽に篭ろうとしたのであるが、早くも謀反人討伐を掲げて洛陽に迫った曹操の軍によって追われ、そのまま長安へと逃亡したと言うもの。

 それを聞いて、一番最初にその顔色を変えたのは、元董卓こと月と、賈駆こと詠、そして華雄という、反乱を起こした張本人たちである李傕と郭汜の、元主君と元同僚の三人であった。

 

 「で、その二人が確保に失敗した帝と李粛さん、それに霞達禁軍の将兵は、洛陽に入った孟徳さんの庇護下に収まった、と?」

 「あまりにも、出来すぎてますけどねー。孟徳さんは最初っから、洛陽で反乱が起こることを知っていた、もしくは」

 「……孟徳殿自身が、裏で反乱を煽ったかも、と?」

 「ま、どっちも推測でしかないですけどねー」

 「……限りなく、黒に近い灰色、ってことかや?」

 

 張勲のその推測が当たっているかどうかは、とりあえずさておき。残る急報二つのうち、いま一つは徐州における劉備軍と陶謙軍の衝突と、その後の劉備による徐州制圧、という内容だった。

 

 「まさか、あの劉玄徳がの~。先の戦で会った時には、自分から他人の領土を獲ろうとする、そんな風な人間には見えんかったが」

 「棗ちゃんの報告によると、なんでも最初は玄徳殿の家臣である関雲長殿、ただお一人でもって徐州側から依頼された賊討伐、それに当たるためにわずか五百の兵でもって雲長殿が徐州入りをしたそうなんですが」

 「賊討伐の依頼、それそのものが何かの姦計だった、と?」

 「どうやらそのようですよ、巴ちゃん。棗ちゃんの報告書には、陶州牧の息子達の一人が、父親亡き後の徐州の実権を得るその為に、対抗する兄弟達の軍を賊として偽り、雲長殿にそれを討たせてしまった。そして、その事実を隠すために雲長殿たちをその場で葬ろうとしたそうなんですが」

 「見事返り討ちにあった、と?」

 「ええ。で、やられた方の息子殿はほうほうの体で父親の元へと逃げ帰り、そうなった経緯を嘘八百で塗り固めて報告した。そして、騙された雲長殿は、国境付近まで様子を見に来ていたご主君殿と合流し、その全てを打ち明けたそうです。そして」

 

 陶謙の誤解を残念ながら解くことの出来なかった劉備と、息子の虚偽の報告を信じた陶謙との間で、戦が勃発。結果的に、陶謙の誤解が全て解けたのは、戦が劉備軍の勝利で終わり、性懲りもなく逃げようとしていた陶謙の息子を関羽が捕縛して父親の前に突き出し、洗いざらいを吐かせて後の事だった。

 

 「息子の嘘を見抜けなかったことと、それによって起こらずとも良かった戦を起こし、出さずとも良かった死人を大勢出したことに、陶州牧は己の不甲斐なさと器量の限界を感じ、徐州と牧の位を玄徳殿に譲った。玄徳殿も最初こそ渋ったものの、周りの声に推される形でそれを承諾したとのことです」

 「……劉玄徳が徐州入り、か……形こそ違え、ほとんど正史通りの流れになってきてるな……」

 「ん?一刀、何か言うたか?」

 「あ、いや、独り言ですよ、独り言。あ、でも、玄徳さんが徐州に移ったら、これまで統治していた平原はどうなるんです?」

 「あー、それなんですが……」

 

 ふと、一刀の口からついて出たその問いに、それまで流暢に魯粛からの報告書を読んでいた諸葛玄が、途端にその言葉を濁らせる。

 

 「……麗羽嬢がその平原を突然急襲し、留守を守っていた玄徳殿の軍師、龐士元率いる軍勢を蹴散らして瞬く間にかの地を併呑したそうです……はあ」

 「なんじゃとおっ?!」

 

 思わず、と言う感じで諸葛玄のその言葉に驚愕の声を挙げ、玉座からその身を思い切り乗り出す袁術。

 

 「……その麗羽嬢ですが、平原を攻め落としたあとは、そのまま軍を北に返し、今は公孫伯珪殿と激しく戦っているそうです」

 「……野心はあっても領土欲は無いのが、あの麗羽様だと思ってましたが……単なる私の思い込みだったのかしら……」

 「袁本初って人は、とにかく、目立ちたがりですからねえー。領地が広ければそれだけ衆人の耳目を集められる上に、広い領地持ちとはそれすなわち優れた統治者である事を示しています、なんて事を吹き込まれでもすれば、後先考えない行動に出ても不思議じゃあないと、私は思いますよ」

 

 にこにこと。いつもの笑顔は一切絶やさないままの表情のまま、淡々と袁紹という人間の本質をしっかり突いた分析を行う張勲であったが、その彼女のすぐ傍らでその彼女の事を見ていた袁術と一刀は、そんな彼女の事を小声でこう評していた。

 

 「……の、のう、一刀?七乃……なにか、目がその……」

 「……ですね。顔は笑ってるけど、目は全然笑ってないよ……コワ」

 「お嬢様-?一刀さんー?陰口はー、人に聞こえないところでしましょうねー?」

 『ご、ごめんなさいっ!』

 

 全力全開。とってもいい笑顔をした張勲に、二人揃って思いっきり謝る袁術と一刀であった。

 

 

 

 「まあ、麗羽嬢に何があったかは、この際置いときましょう。実際、僕らが出来るのは棗ちゃんに河北の様子、その詳細を逐一調べてもらうことぐらいですから」

 「……秋水殿の言われるとおりですね。では翡翠からの最後の報せに関する協議に入りましょう、美羽様。正直な所、我々がすぐさま対処を決めねばならないのは、孟起殿達の件と、その一件でしょう」

 

 河北でというより、袁紹にどんな変化があったにせよ、中原、そして黄河を挟んで遠く離れている袁術たちには、現状ではそちらに直接手を打つ手段も無ければ理由も無い。それよりも、と。紀霊は今は目の前の事柄の方に全力で注視すべきだと、そう袁術に進言した。

 そしてその諸葛瑾から送られて来た報せの最後の一つ、その内容は淮南の孫堅が荊州の蔡瑁の要請に応え、主筋に対して謀反を起こそうとしている黄祖という人物の治める江夏の地へと攻め入る、その更なる後押しのための援軍を袁術に求めてきた、というものであった。

 

 「蓮樹小母様からの援軍要請じゃ、妾に断る道理は無いのじゃ」

 「そうですね、俺も美羽様に賛成です。この宛県、いや、南陽の兵だけでもすぐ、江夏に向けて先発させるべきかと」

 「……珍しいですねえ、一刀君がそんなに積極的な進言をするなんて。……もしかして、“あっち”の」

 「それは……詳細は後で。それより、七乃さん。南陽の兵はどれほど動かせますか?」

 

 普段、一刀はあくまで袁術の近衛、その一隊を率いる将として、また、彼女個人の護衛としての任にその思考の重きを置いており、政や軍事に関しては積極的な進言はほとんどしていない。その最たる理由は、彼の持つ正史の世界の知識による弊害、それを危惧してのものである。

 確かに、一刀は正史におけるこの時代の大まかな流れを知っているし、そしてこの世界も多少の差異こそあれどほぼその流れの通りに動いている。だがだからこそ、一刀は己の持つ歴史に関する知識を危険視し始めても居た。

 あまり正史の歴史をひけらかし、それに頼るばかりになってしまうと、突発的に起こる、起こりかねない事態に上手く対応する事が出来なくなるかも知れない、と。

 とはいえ、そんな一刀も今回ばかりはそうも言ってられなかった。孫堅が江夏の地に攻め入ることと、その地の守将が黄祖であること、この二者が絡むと言うことは、それすなわち、袁術にとっては最悪の事態を生み出す事になる、その切欠が起こってしまうかもしれなかったからだ。

 

 「んー。南陽の戦力自体は三万ほどありますし、そこから二万と、巴さんと一刀さんの近衛、双方合わせて三万は動かせますかね」

 「ならば妾がそれらを率いて小母様の援軍に向かうのじゃ。孟起殿達は」

 「ああ、あたしらの事なら気にしなくて良いよ。どの道、洛陽には行かなきゃいけないけど、今は都も色々混乱してるだろうし、あたしらは(ここ)の城下で暫くの間、色々事が落ち着くのを待つさ。お前もそれでいいだろ、蒲公英」

 「うん」

 

 そうして、動くべき事がすべて決し、袁術達は慌しく出陣の準備に取り掛かり始めた。元々、この地の豪族らを相手の戦を想定し―実際に戦ったのは一刀と紀霊の近衛だけだが―その準備を整えていた事も幸いして、戦支度そのものは一日とかからずに終えられた。

 後はもう南へ、新野県からそのまま東の江夏へ入り、蔡瑁や孫堅らの軍と合流、速やかに事を終わらせる、それだけ。

 ……の、筈だったのであるが。

 

 

 

 「よーし!それでは早速、江夏に向けて出陣するのじゃ!輝里、樹、椛、南陽の守りは任せたのじゃ。何かあったらすぐにでも連絡するのじゃぞ」

 「はい、美羽様。どうか、御武運のほどを」

 「うむ!では皆の者、出じ」

 「っ!美羽さま、少しお待ちを!あれは」

 「っと。なんじゃ、巴。せっかく気分良く号令をかけようとして居ったと言うに……?なんじゃ、また早馬か?」

 「みたいですねー。……でも、なんかあの使者さん、様子がおかしくないですか?」

 

 馬上にて、張勲と揃いの戦装束に身を包んだ袁術が、意気揚々と出陣の号令をかけようとした、まさにその瞬間。

 東の方、つまりは袁術の居城である汝南のある方から、袁術達を目掛けて一目散に、だがどこかふらつきながら走って来る、一騎の騎馬の姿が見て取れたのである。それがその距離を徐々に詰めて来て、全体の姿がはっきりと袁術らの目に捉える事の出来るほどの距離まで来た時、彼女達は驚愕の、声にならない声を上げた。

 その早馬は、人も馬も、全身に突き刺さった矢によって、ハリネズミのような状態だったのである。

 

 「え、袁公路様……!袁公路様は何処に……っ!」

 「君!しっかりしなさい!誰か!すぐに手当てを……!」

 「わ、私のことはもう……っ!そ、それより、か、火急の報せが……っ!じょ、汝南が……」

 「汝南が?!汝南がどうしたと言うのじゃ!」

 

 使者の兵士が乗って来た馬は、袁術達のその直前に着くと同時に既に息絶え、それに乗ってきた兵士の方も既に虫の息だった。にも拘らず、彼は己に与えられた役目を最後まで果たすべく、文字通り必死の思いで、その、最後の言葉を綴った。

 

 「汝南の、街が、現在、激しく、攻め立てられ……このままでは……至急、援軍を……敵は……曹……孟……とく……」

 「なんじゃとおっ!?って、これそなた!しっかりせぬか!」

 「……駄目です……彼はもう……良く、頑張りましたね……ゆっくり、休んでください」

 

 そっと。息絶えた兵士に、諸葛玄がその彼に労わりの言葉をかけながら、見開かれたままのその彼の双眸をその手でそっと閉じる。

 

 「美羽様、すぐに汝南に向けて進発しましょう!この兵士の決死の行動を無駄にしないためにも!」

 「う、うむ。じゃが、それでは小母様の方は」

 「あちらは元から、援軍の必要性そのものがほとんど無かったでしょう。おそらく、蓮樹ちゃんが僕らに援軍を要請したのは、あくまで最後の一押し、それも念の為という腹積もり程度しか、彼女にはない筈です」

 「私も秋水さんに賛成ですねー。だからお嬢様、私達は汝南に、私達のお家を守りに向かうべきだと、七乃も思いますよ?」

 「そ、それはそうかも知れぬが」

 「……でしたら美羽さま。文台公の援軍には、俺と俺の直卒の近衛、それで対応しておきましょう」

 「一刀……」

 

 孫堅への義理は果たしたい。しかし、突如として曹操に攻め込まれた、汝南という自分達の家も守りたい。その二つの天秤にかけ、その間で揺れている袁術に対し、孫堅への援軍は自分が行くので、袁術は汝南の救助に向かって欲しいと告げた一刀。

 

 「戦力的にも、巴さんはそっちから外せませんし、なにより、江夏の方ではおそらく、戦らしい戦にはならないでしょうからね。それに、美羽様には自らの領地を自らの手で、不当な侵略者から守る、その責務と義務がありますから」

 「う~……」

 「……大丈夫。俺はちゃんと、“美羽”の所に帰ってくるから。これからもずっと、俺の居場所は美羽の傍だけだから、さ」

 

 ぽん、と。公務中であるにもかかわらず、一刀はあえてその口調と態度を私的な時のものに崩し、自身の提案にに対して不満の色をその顔に浮かべる袁術の、その頭をなでて、彼女に安心するよう優しく微笑む。

 

 「……わかったのじゃ。一刀、いや、近衛将軍北郷一刀、孫文台公への援軍、袁公路の名においてそなたに命ずるのじゃ。……ちゃんと、帰ってくるのじゃぞ?」

 「はっ!必ず!」

 

 こうして、突如として曹操に攻め込まれた汝南の地を守るため、急遽、袁術は汝南へとその目的地を変えて出立。それと同時に、自身の近衛五千を率いる一刀もまた、副将にと就けてもらった諸葛玄と供に、江夏を攻略中の孫堅らと合流する為、南陽の地を後にしたのだった。

 

 ~後編に続く~

 

  

 


 
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