No.406410

真・恋姫無双 季流√ 第43話 袁勢編 問題と回顧と常識破り

雨傘さん

皆さんお久しぶりです。
スイマセンでした。
いやぁ……人間って体壊すのって一瞬ですねー。
見事にぶっ壊してしまいした。
まぁリハビリって事で今話です、楽しんでいただけば(汗)

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2012-04-11 01:01:43 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:9446   閲覧ユーザー数:5601

問題

 

 

 

 

「やぁ。

 ここには久しぶりだけど……みんな元気かい?」

 

「あ、一刀さん!

 え、ぇえ、お2人とも……いつものあの通りで」

 

気疲れたように斗詩が顔を向けると、そこでは麗羽と猪々子が何やら大騒ぎをしているところだった。

 

太陽がやっと昇ろうとするこの早い時間から、騒々しい朝食なことだ。

 

「斗詩……非常に言いにくいんだけどさ」

 

「はい、覚悟……もう出来てます」

 

恥ずかしそうに俯く斗詩に、一刀としても同情を禁じえなかった。

 

実際、斗詩と猪々子はよく働いてくれる。

 

彼女達と七乃がいなければ、実質この魏軍の首が回らなくなるほどに。

 

袁紹と袁術軍を吸収しきり過肥大化した魏軍にとって、彼女達の存在はもはや必要不可欠なのだ。

 

だからといっても”限度”、という言葉がある。

 

一刀達は、はっきりいってしまえば彼女達の財布を握っていた。

 

というよりも、彼女達の資産を把握しているというべきか。

 

元々、彼女達が領主時代に所有していた彼女達の個人資産について、華琳は取り上げるような真似はしていない。

 

それは彼女達のものだと判断し、華琳がそのままにしておくようにと命じていたのだ。

 

だから戦争で多分に消費したとはいえ、その資産の所有権はお嬢様笑いで朝食を囲む彼女……麗羽に多くが帰属する。

 

しかし月一度程度に彼女達の懐具合を調べさせるのだが、それがしっかりと減少していた。

 

猪々子と麗羽……この2人の浪費癖が人一倍激しいのは、知っている人にはとても有名である。

 

そして減少している資産は、斗詩と猪々子のお給金だけで賄える額を超えていた。

 

この少し離れたところから見ている一刀だが、その様子からみても、彼女達はその資産を食い潰して騒いでいるのではなかろうか。

 

しかも減少率がここ最近どんどんと増えてきている。

 

このまま続くと彼女達の資産だっていつかは消滅し、借金になるのではと危惧するほどに。

 

流石に魏の将軍が借金持ちだなんてのは嫌過ぎる。

 

その報告書に目を通し、呆れた表情の華琳は一刀を呼び出して、たった一言だけ伝えた。

 

「貴方があの娘達を”なんとか”してきなさい」

 

__最近ちょっと思うんだが、華琳達は自分のことを便利屋か何かと勘違いしているのではなかろうか?

 

そう一刀には感じられる。

 

しかも何故か上がってきた報告書を何も見せてくれない。

 

誰をどうやってどうしろというのかがヒントすら与えられないのだ。

 

ハァとため息をもらした一刀は詳細を調べに、こうやって自らの足で彼女達の元へと赴いたのだ。

 

使いをやって呼び出さない辺りが、ある意味一刀らしいといえよう。

 

軽く斗詩から話を聞いていくと、彼女も2人を何かと諌めてはいるのだが、どうにも長年の付き合いがあるせいか、お互いに対処の仕方というものがわかってしまうらしい。

 

しかも斗詩の仕事中など見えないところでお金をつかってくるため、完全に止めきれる訳でもないようだ。

 

何かにつけて上手く誤魔化される辺りも、人の良い斗詩の人柄が無関係というわけではないだろう。

 

しかし斗詩自身はと言うと、そろそろ気づかれる、もう限界だ、きっと華琳様達の誰かに注意されるだろう、と薄々だがちゃんと感づいていた。

 

さきほどの覚悟をしています発言……つまり、お叱りを受けることをわかっています、とも言い換えられる。

 

そんな二人の視線の尻目に、楽しそうに笑う猪々子と麗羽。

 

その光景に2人はほぼ同時にハァッと疲れた溜め息をついた。

 

__華琳は俺にどうしろってのかな? 怒る気にもなれんのだが。

 

とりあえず彼女達には一度注意をせねばなるまい。

 

そのためにも、まずは情報が必要か。

 

「なぁ斗詩、麗羽達……っていうか麗羽ってさ、普段何してるんだ?」

 

猪々子は普段、斗詩と七乃の補佐をしているはず。

 

だが麗羽は今ひとつ、何をしているのかを一刀は知らなかった。

 

想像は容易いのだが、それは決め付けであろうと思いたい。

 

「街に行って、買い物して……るのかなと思います。

 すいません、最近私も一緒の時間があまり取れなくて……」

 

__でっすよねー、斗詩さん……ようやく軍制が一息ついたとはいえ激務ですもんねー。

 

「うん……そうか、そうだよねぇ。

 斗詩と七乃がいないと、もう兵の管理ができないくらいだもんなぁ。

 少なくとも、麗羽は城内で仕事はしていないはずなんだが」

 

一刀の微妙な表情に即座に反応して、斗詩が慌ててぺこぺこと頭を下げ始めた。

 

「ぁっ、あの! 2人には私から!

 いえ、もっと私が働きますから! どうか、どうかここは1つ穏便にお願いします!」

 

斗詩の低頭な懇願に、思わず一刀はホロリと涙しかけた。

 

__これはちと、健気過ぎるぞ。

 

一瞬、斗詩はマゾの気質でもあるのかと一刀は疑ってしまったほどだ。

 

「大丈夫だよ斗詩、別に追い出しにきたりした訳じゃないんだから。

 ちょっと話しを聞きにきただけで、そう心配しないでくれ」

 

「……はい」

 

俯く斗詩をよしよしと撫でて、楽しそうに朝食をつつく2人へと一刀は向かった。

 

とぼとぼと力なく斗詩も後ろをついてくる。

 

「お?! 兄貴と斗詩じゃんか! ここに来るなんて珍しいな!」

 

「あら、一刀さんじゃありませんの。

 貴方もこの優雅で華麗なお食事にお呼ばれします?

お~っほっほっほ!」

 

右手の甲を左頬にあてリアルお嬢様ポーズをとる麗羽に、ハハハと乾いた笑みを送った一刀は、勧められた席へと着いた。

 

なるほど。

 

食卓をみれば色とりどりの野菜に、小ぶりだが、美味しそうな肉料理が並んでいる。

 

さて、どこから話しを切り出せばいいかと悩んだ一刀は、とりあえず猪々子が取り分けてくれた皿へと手を伸ばした。

 

渡された箸を使い、口へと野菜炒めを運ぶ。

 

「っ!? 美味い!」

 

一刀が眉をしかめて食事の味を褒める。

 

それに気分を良くしたのか、麗羽の表情は一層ご機嫌なものとなった。

 

「当然でしょう?

 この袁家当主たる、私の舌にかなった料理なのですもの!

おーほっほっほ!」

 

高笑いを続ける麗羽だったが、その背後では斗詩の目の辺りから暗く影がかげり始めていた。

 

それだけの自慢をする料理といえば、一体いくらしたのだろうか?

 

「兄貴! こっちもいけるぜ、食べてみてよ」

 

猪々子が次に渡してきた肉料理を、一刀がとまどいながら箸をつける。

 

「これも……美味い、マジで……うまい」

 

一刀からはただ呆然と、感嘆の声が漏れるだけだ。

 

大声でもなく、ただただ感心する声だった。

 

「おーっほっほっほ!

 何度もいうように、あ・た・り・ま・え・ですわ~!」

 

「流石は姫!

 よ! 大陸一の名家の名は伊達じゃない!」

 

2人が騒ぎながら、楽しそうに笑っている。

 

ここで各人の表情は明暗がはっきりとしていた。

 

麗羽を持ち上げる猪々子は明るいし、当の本人も有頂天といってもいいほど上機嫌だ。

 

それに対し料理を口に含んだまま呆然とする一刀と、顔を暗く俯かせる斗詩。

 

しかし、ついにそれが崩れた。

 

机に両手が叩きつけられる。

 

その破裂音にも似た音に全員の表情が固まった。

 

「いい加減にして! 文ちゃん! 麗羽様!」

 

シンと静まり返った場で唯一動いたのは、斗詩の顔が悔しそうで泣きそうな瞳に変わっただけだ。

 

「姫も文ちゃんも! 皆が大変なこの時期に!

 たしかに私も最近仕事で忙しくて、なかなか2人と話せてなかったけど!

こんな無駄使いをして遊んでいる時じゃないでしょう!」

 

斗詩の涙が入り混じった震える声が、さっきまで気楽に明るかった食卓に響く。

 

堰きとめていた想いであっただけに、一度外れると次々と言葉が流れだして止められない。

 

高まる語気も合わせ、斗詩の感情が珍しく膨れ上がってきていた。

 

「こんなぁんじゃ私ぃ、2人のこときら”ごちそうさま!”っぇ?」

 

一刀の、斗詩に勝るほどの一喝にも似た大声が場を一挙に制した。

 

止まっていた2人も動きだし、一刀へと視線を向ける。

 

一刀は席を黙って立ち上がると、涙に耐える斗詩を半ば強引に掴んで引っ張った。

 

「ちょっ!? 一刀さん!」

 

「もういい。

 変なことになる前にちょっと離れよう」

 

とまどう斗詩の手を掴み、無理矢理に引っ張っていく。

 

「あら、一刀さん。

 斗詩さんをどちらへ?」

 

「斗詩はアタイんだぞ?」

 

2人の顔も見えなく届いた言葉に、一刀は背を向けながら答えた。

 

「ああ、そうだな。

 ……朝食美味かったよ、ご馳走様でした」

 

 

「おそまつさまでした」

 

 

麗羽の静かな言葉が、斗詩と一刀の背中に届いた。

 

「か、一刀さん! 離してください!

 2人ならちゃんと話せばわかってくれます!

気づいていないだけなんです! 私が言わないと!」

 

グイグイと離すように、握られた一刀の右腕を押し返す。

 

だが一刀は斗詩の右手首を握り上げ、痛みを与えるくらいの形で関節を曲げていた。

 

抵抗をすればするほど痛みが伝わってくる。

 

「朝っぱらから、あんないくらするかもわからないような料理を出前するなん”ちがう!”……?」

 

一刀は辺りを見渡し、もういいかと斗詩の腕を離した。

 

少し赤く鬱血した手首を、斗詩は抱きしめるように胸へと運んでさする。

 

周辺に人がいないのを確認した一刀は斗詩へ、ごめん腕大丈夫か? と聞いた。

 

コクリと頷いた斗詩に、一刀も警戒を緩める。

 

そして斗詩の耳へと自分の口を寄せていった。

 

 

「…………え?」

 

斗詩の困惑した声が、事の始まりとなった。

 

 

「あーあ、あの様子じゃあバレちゃうんじゃないですかね? 姫ぇ」

 

背もたれに体重をかけ、椅子の前足を宙に浮かせる猪々子は、暢気に腕を頭で組みながらあっけらかんと晴れ晴れした空を見上げていた。

 

雲ひとつない。

 

きっと今日はいい天気になるだろう、まだ明朝だけれどもそれは良くわかった。

 

優雅にお茶が入った陶器を持ち上げた麗羽は、そっと唇をつける。

 

「でしょうね。

 あの男、見かけによらずなかなか鋭いご様子……腹ただしいこと、この上ないですわ」

 

という割には二ッと口端を上げてお茶の香りを楽しむ麗羽。

 

「ま! 兄貴は流琉なんて一流がいつも傍にいるから、どこかしらでわかっちゃうもんじゃないっすか?」

 

「そうですわね。

 彼女が傍にいるのであれば、仕方がないですわね」

 

「それにしても斗詩ぃ、久々の本気怒りだったー……正直誰よりも恐ーし……やっぱへこむぅ」

 

「まさか! 嫌われたと思っていますの?」

 

微笑む麗羽に、猪々子は空へニヤリと笑う。

 

首が後ろへ折れてしまうかと思えるくらい、反り返っていた。

 

「いんや、ぜーんぜん?」

 

「ですわね。

 ならば心配などせずともよいでしょう。

 どうせ一刀さんも、華琳さん辺りの差し金なのですから」

 

「あ、アタイもそう思いました」

 

もうこれ以上反れないからなのか、同意したからなのかはわからないが、ガタンと椅子を鳴らし、猪々子は揺れながら元に戻った。

 

「まったく、余計なお世話ですのよ。

 昔”と”変わらないようですわね」

 

”と”をやたら強調して笑う麗羽に、猪々子が聞き返した。

 

「昔と、ですか? 昔”から”ではなくて?」

 

「華琳さんのご両親がお亡くなりになる以前は、いつもこのようなお節介焼き屋さんでしたのよ。

 私と華琳さんは、幼い頃に同じ私塾で学んだ腐れ縁ですから」

 

「へぇ~、そりゃまた意外ですね。

 アタイはもっと昔っから手厳しい人なのかと思ってましたよ。

 初めて軍の会合で会ったときなんて、こんなおっかない人がこの世にいるんだって思った位だったし」

 

「そう……では猪々子は、今はどう感じるのかしら?」

 

「今は……そうですねぇ。

 だいぶとっつきやすくなったんじゃないですかね、言い方悪いですけど」

 

「そうですわね。

 昔”は”小生意気だったのですけれど、近年の華琳さんは見ててとても鼻につき気に入りませんでした……でも、これで少しは見直してさしあげてもよろしくてよ!」

 

「いやぁーアタイ等もうとっくに魏の家臣なのにも関わらず、そういう目線で物が言えるってのは、ほんと姫らしいです、はい」

 

「おーっほっほ! もっと褒めても構いませんのよ?」

 

「いや、これは褒めてるんじゃ……まぁいいや。

 じゃあ姫、アタイもそろそろ七乃んところにいかなきゃならないんで。

ごちそうさまでした、美味かったです」

 

「そうですわね、いってらっしゃい。

 私もそろそろ準備を始めましょう……」

 

 

 

「おそまつさまでした」

 

 

「確かに一刀は麗羽の元へ行ったのね?」

 

「はい、今朝がた彼女達の庵へ向かったのが確認されています。

 ですが華琳様? どうしてあの麗羽にあの破廉恥漢なのでしょうか?

あれでもあの精液男……そこそこに忙しいようですが……」

 

「あら桂花。

 妬いているの?」

 

「そ、そんなことはありません!」

 

「そうねぇ。

 斗詩は気立てがいいし、猪々子は一緒にいて楽しいでしょう……もしかしたら一刀は、麗羽のような手のかかる女が好みなのかもしれないし」

 

「華琳様! そんなご冗談を!

 ……ん、あれ? 華琳様は麗羽のことをよくご存知ですよね?

どうしてそれを知ってなお、あの種馬を?」

 

訝しげな桂花に、華琳も苦笑するしかなかった。

 

口元に折った人差し指を当てて、困ったように眉を寄せクスクスと可愛らしく笑う。

 

「それは貴方だってよく知っているでしょう?

 麗羽が稀代の大馬鹿だからよ」

 

華琳の言葉に、桂花はガクッと首を折った。

 

あまり思い出したくはない。

 

「麗羽は馬鹿中の馬鹿なのよ。

 せっかくの才を、あれだけふんだんに無駄にする人間もまた珍しいわ。

だからこそ、橋玄先生に言われたことを、ふいに思い出したんだわ」

 

「は、はあ……一体、なにを?」

 

「”君と麗羽が仲良く手を取り合えば、私は文句なく仕えるのだがなぁ……私の古い知り合いで、とっくに世を捨てた先生方達だって、呼べばきっと一門で駆けつけてくれるだろう。 だが恐らくいつまで経っても、駄目なものは駄目なのだろうなぁ。 君達にその髪型を勧めたのはこの橋玄、誠に失敗であった。 螺旋と螺旋がわずかにズレ、同じ時代で並んでしまったせいか、お互いに徐々に近くなっていくのに、決して交わることが出来なくなってしまったようだよ。 ああ、実に残念だ。 終点は同じ”点”を目指しているというのに、始点がズレただけでこうも見事に合わなくなるものか。 ここまで見事な水と油もそうはないだろう。 ……よく覚えておきなさい華琳。 もし、君達の間を取り持ってくれる。 水と油の仲を取り持ってくれるような奇特な人物が現れたならば、その者を手放さず、そして麗羽を自分の心を世に映す半身と思いなさい。 きっと君はひどく気に入らなくなるだろう、麗羽を視界から追い出したくもなるだろう、しかしそれで良いのだ。 君が自身の心で認められぬものを体現したのが麗羽であり、君自身なのであるから。 残念だが、夏侯姉妹では君の両腕には成り得ても、鏡にはなりはしない。 そうなれば君達ほどこの大陸を統べるに、ふさわしい者はいなくなる。 幸いなことに麗羽は負けず嫌いなだけで、別に主従に拘る気質ではないようだ。 これがいつの日か、吉へ向かうことを私は祈ろう。 願わくば、君がその懐に麗羽1人を納められるくらい、器量の大きな者へとなっておくれ華琳、彼女は良くも悪くも、君の人生に多くの悪運と時折の最高を届けてくれる。 これほど素敵な関係もそうはない。 心赴くままに動ける彼女を、君が認めることができるようになれるならば……」

 

 

__彼女は君にとっての、幸運の御守となるであろうよ。

 

 

「え? ……安物?」

 

「ああ、間違いない。

 味こそ最上といってもいいくらいだったが、材料はそこいらでどこでも売っている物だ」

 

「え? なんでそれを?」

 

「流琉の作ってくれる飯を、いつも食べてるからかな。

 たまに華琳達についてって、高いところでご飯を食べるからわかるんだけど、料理が材料の質からして違うのがわかるようになった。

それでも俺は流琉の飯のほうが断然美味いと思うけどね、贔屓目抜きに」

 

嬉しそうに笑う一刀だったが、それでも斗詩はまだ納得ができなかった。

 

「でも、安物だからといって……」

 

「1つだけ、安い素材で美味しい料理を作る方法がある」

 

「でもそれは!」

 

斗詩にも一刀が言わんとする事はわかるのだが、逆にわからないのだ。

 

「自分で料理を作ることだ」

 

「ありえません! だって姫、今まで料理なんてしたことがないんですよ?!

 文ちゃんだって丸焼きしか出来ないし。

そもそも包丁さえ知っているかどうかさえ!」

 

「だからこそ、きな臭いのさ。

 なにかしらカラクリがあるんだろ?

しかも……あれは……」

 

小難しい表情をした一刀は斗詩の腕を再び握った。

 

先程のように強くもなく、関節でもなく、優しくだ。

 

その行動についていくしかない斗詩は、ゆっくりと歩き出す。

 

__一体誰が料理を? 流琉さん? 秋蘭さん?

 

斗詩はまだ一刀の言葉を信じていない。

 

あり得ないから。

 

__仮に……百歩譲って、姫か文ちゃんが料理をしたとして、一体何のために?

 

理由も、動機も、手段もわからない。

 

ずっと一緒にいた2人であったのに、いつのまにか遠くに置いていかれてしまったかのような錯覚に襲われる。

 

一刀さんのいう事が事実ならば、いやそんなはずは……

 

不安と不信が斗詩の心中で渦巻いていた。

 

 

自分が今、一刀と手を繋いでいるという事さえ忘れてしまうほどに。

 

 

「まだ大分早いが……早速動いたな」

 

「それにしても一刀さん、よくこんなものを持っていますね」

 

斗詩の呆れた声に一刀は苦笑を返した。

 

「斗詩達は知らなかったっけ?

 俺ってこう見えても、こっちが本職なんだけど」

 

「聞いてはいましたけど、普段の一刀さんを見ている限りではなかなか信じられませんよ」

 

一刀達は今、どこからどうみても平民の服装だった。

 

いや、ただの平民とも違う。

 

少しだけ目立つという、中程度を超える存在感のある格好だ。

 

斗詩という美人を隣にし、自分もそこそこの色男の雰囲気を放つ。

 

まさにお似合いのお洒落カップルという様相。

 

あえて平民よりも目立つことでより、より周囲と雰囲気を馴染ませていた。

 

お互いの顔には、化粧や伊達眼鏡などの細工はしてある。

 

それには理由があった。

 

麗羽達が並べていた朝食。

 

あの味付けは、街の大衆食堂や居酒屋が提供する系統ではない味付けだ。

 

高級店に属する、しっかりと出汁をとった深いコクがあり、なおかつしつこさのない上品な味であった。

 

一刀はあの朝食を食べた時、己の舌がだすある信号に気がついていた。

 

野菜炒めの時にはまだ気がつかなかった。

 

だが肉料理を口に運ぶと、味に共通したものがある事に気づけたのだ。

 

__やっぱり、あの味って……

 

一刀達が仲良く腕を組みながら、人ごみを分けて進んでいく。

 

すると1人で歩く麗羽が、とある立派な店構えのお店へと入っていった。

 

「ここって……」

 

「老山龍……やっぱりここか」

 

そう、一刀にとっても覚えのある味、しかも高級店となると洛陽でも限られてくる。

 

陳留の老山龍を支店扱いとし、洛陽へ本店を移転したこのお店。

 

元々あったどこぞの貴族だかの屋敷を回収後、全面改装を施し、本店に相応しい堂々とした店構えを誇っていた。

 

「まじかよ……俺は口利きなんかしていないぞ?

 聞いたこともない」

 

「え? だってここ、一刀さんが運営しているんじゃ」

 

「俺は経営者、店長は流琉なんだ。

 大体俺は家庭料理くらいしかできないから、料理人の人事は流琉任せだぞ」

 

「そうなんですか、じゃあ麗羽様はどうやって……まさか流琉さんが?」

 

その解には眉をしかめる一刀。

 

「俺が言うのもなんだけど、流琉が俺に秘密ってこともそうないような」

 

「それもそうですよねぇ」

 

「話でしか聞いていないが、ここの料理人の審査基準……かなり厳しいらしいぞ」

 

2人が不可解に輪をかけた顔を突き合わせ、もう一度立派な店構えを見遣る。

 

「……入る?」

 

「でもここって、完全予約制と伺っていますけど」

 

「そこはそれ、俺の権限ってやつでさ」

 

「私用での職権乱用はいけませんよ」

 

「でもさ……これは流石に知りたくね?

 それに華琳の命でもあるから、ギリ公的って事で、な?」

 

「…………はい」

 

小さな声ではあったが斗詩もちゃんと合意した。

 

これであとで怒られることがあれば、2人で仲良くというわけだ。

 

運命共同体となった一刀と斗詩は、老山龍の受付へと向かう。

 

「いらっしゃいませ。

 ご予約されたお客様のお名前を、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

丁寧に挨拶する女性店員が、一刀と斗詩の姿を見て穏やかな笑顔を向けてくる。

 

2人は受付へつかつかと近寄ると、グイッと顔を近づけた。

 

しかしそれはここの店員も、ちゃんと訓練された兵士だ。

 

女性らしい優しそうな顔とは裏はらに、危機管理が行き届いている。

 

怪しい素振りを見せる者は、一気に警戒態勢へと入るだけの訓練は受けているのだ。

 

受付が卓の下に備え付けてある非常ボタンを押そうとしたその時、一刀が一言述べた。

 

「大鳥さんがいらっしゃいました」

 

「?! ……わかりました」

 

この非常用の言葉を受けて、ギリギリだがボタンを押すのをとどまった店員。

 

受付が神妙な顔で気を緩めず、誰かと確かめてくる。

 

一刀は深く被った帽子をチラッと上げて、顔を見せた。

 

「あら! ”まねーじゃー”じゃないですか。

 突然近寄ってくるから何事かと思いましたよ。

 それでは特別客室”びっぷるーむ”へご案内いたしましょう」

 

「いや、今回は通常客室を案内してもらえないか?

 なんとか1席分空けて貰いたいんだ、内密でね」

 

「……わかりました。

 何やら理由ありのご様子。

2階に新しく席を設けましょう……ご予約されていた、大鳥さんがご来店されました!」

 

その言葉に、新しい給仕がすぐさまかけつけてきた。

 

「2階の窓際、19番のお席へご案内を」

 

「は! いらっしゃいませ!」

 

受付の女性店員は一刀の隣に不安げで立つ、美しい女性に気づくと、こそっと一刀の耳元へ口を寄せた。

 

「曹操様達にはご内密にしておきますよ」

 

「すまん、恩にきる」

 

「恩だだなんてそんな……あ、いえ。

 それじゃあ今度、私達の飲み会に来ていただけませんか?」

 

「それくらいお安い御用だけど……なんで?」

 

「いえいえ、北郷様が来て下さるとなれば、出席率が跳ね上がりますので」

 

「? わかった、日取りを秘書経由に伝えておいて、だけど俺はお酒少なめで頼むよ」

 

よくわからないと頭を捻る一刀とは対照的に、受付の女性は嬉しそうに手を握って喜んでいた。

 

 

「それでは……ようこそ! 老山龍へ!」

 

 

「あのぅ一刀さん。

 私このようなところでのお食事は、かなり久しぶりで……」

 

斗詩が緊張気味に辺りを見渡している。

 

「麗羽さん達とよく来てたんじゃないの?」

 

「文ちゃん、こういう騒げないお店は苦手ですし、麗羽様はお城に料理人を雇っていたから、お店にくること自体は少なかったんです」

 

「あはは、なるほどね。

 まぁでもそんなに肩肘張らなくても大丈夫だよ。

 ここは高級店とはいっても、一般の人も多いしね。

 斗詩は何か好きな食材はある?」

 

「えっと、大抵のものは食べれます。

 好きなのは……海老ですかね、でも海から遠いここでは」

 

「よし海老だな?

 じゃあ注文を頼もう」

 

一刀が給仕を呼びよせると、傍に控えていた給仕が寄ってきた。

 

自分が経営している店なので、メニューは知り尽くしている。

 

「それにしても麗羽さんは、ここで何をやっているんだろうか?

 見たところ、給仕に混じってはいないみたいだし」

 

店内を歩く人達の顔を確認するが、見当たらない。

 

「わかりません、でも確かにここに入っていきましたよね。

 普段着だったとはいえ、麗羽様の髪型はかなりわかりやすいはずなのに」

 

2階の窓際という、中々の上等の席で2人の男女が顔をしかめている。

 

予約1月待ちなんてざらの高級店にいるのにも関わらず、身なりを整えた男女の表情がこのようにつまらなそうだと、周りからは破局なのかと疑ってしまうだろう。

 

「……よし」

 

「え?」

 

「斗詩さん、ちょっと1人でいてくれるかな?」

 

「一刀さんはどこに?」

 

「裏手に回ってみようと思う。

 すまないがこの店はお偉方御用達の店も兼ねてるから、警備上の関係でこの店の人以外はそう入れられないんだ。

 だからちょっとゴメン、俺は席を外すよ」

 

「あ、わかりました。

 よろしくお願いします」

 

「料理がきたら、冷めるのもあれだから先に食べててよ。

 美味しいからさ」

 

席から立ち上がった一刀が、店員にこっそりと話しかけて、そのまま裏手へと回っていく。

 

その後ろ姿を見送った斗詩は、はぁっと溜め息をついた。

 

__私の知らない麗羽様、かぁ。

 

そう思わざるを得なかった。

 

__そういえば、私と文ちゃんが麗羽様にお声をかけて頂いてから、ずっと一緒だったなぁ。 軍が解体されて、魏の華琳さんの家臣になって……それからだっけ、3人がこうやって1人1人になって動いているの。

 

一抹の寂しさはある。

 

だがそれ以上に感謝もしていた。

 

__華琳様に、それに皆さん……

 

彼女達に敗れていなければ、一体……私達はどうなっていただろうか?

 

張譲達のいいなりになって、姫を大陸の極悪人にしていた?

 

文ちゃんを暗殺されていた?

 

私は彼女達を人質に、体よく使われていた?

 

ブルッと大きく体が震えた。

 

大好きな彼女達が利用され、貪り尽くされて、打ち捨てられる。

 

その悪夢のような光景は斗詩にとって、恐怖以外の何者でもなかった。

 

なのに、敵でしかなかった私達を救ってくれた。

 

私達は彼女に恩返しをしなくてはならない、いや、したいと心から思う。

 

しかも彼女達はこの大陸を救おうと、貧しかった私達北出の騎馬民族も助けたいと、そういうのだ。

 

何を拒む理由があるのか。

 

__お父さん、お母さん、元気かなぁ……勝手に飛び出してきちゃったけど……今年も冬を無事に越せるかな。

 

 

飲食店では当然のように出される温かいお茶へと軽く口をつけ、昔へと思いを馳せる斗詩であった。

 

 

大陸の北は寒い、生き物というあらゆる生物を拒絶するほどに。

 

弱肉強食が極端な形で現れる場所。

 

この手の中にある温かいお茶がどれほど有難いものか、斗詩には人一倍に感じられてしまうのだ。

 

お茶の温かさを手に感じながら、斗詩は少し遠い瞳となった。

 

あれはどれほど前になるだろう?

 

斗詩と猪々子にとって激動とも称すべき年となった時があった。

 

その年は数年に一度の厳冬で、夏の収穫も冴えなかったためか、村自体が深深と降る雪の中で衰弱していくようだった。

 

まさに弱り目に祟り目。

 

薪は備蓄を全て村長の家に集め、昼間を共に過ごしながら消耗を抑えており、飲み水も雪を溶かしたり節水をしていた。

 

だが食料はそうはいかない。

 

日に日に吹雪が強まる中、村の者達はどうやって食料を調達するかと話し合っている。

 

しかしこの猛吹雪とも言える視界の中、下手に外に出られない。

 

とにかく雪が多少でも収まらない限り、結論など出はしないのを皆わかってはいるのだが、それでも子供達のひもじそうな顔を見ると話し合いは止まらなかった。

 

その中で、私は子供をあやしながら文ちゃんを必死に引き止めていた。

 

「文ちゃん! 絶対駄目だよ! こんなに空も荒れているし、そんなに無理をしなくても、まだ……」

 

私はこの先の言葉を続けることができなかった。

 

食料は目に見えて足りていない。

 

それを察してか文ちゃんは愛用している大剣を担ぎ出すと、二カッと笑って返した。

 

「な~に言ってんだか斗詩。

 そんなこと言って、もう一週間も経つじゃんか。

 そろそろアタイも体を動かしたいし、いっちょでかいの狩ってくるわ。

 だから今日こそは絶対に行くかんな!」

 

「でもこんなに吹雪いてるんだよ? いくら文ちゃんでも遭難しちゃうよ!」

 

「平気だって斗詩!

 おい、お前らも村長の家で夜まで待ってろよな!

今晩はご馳走だぜ!」

 

冬の雪が降っていない時に文ちゃんが村の若い男達を連れて、かじかんだ指先を気にせず大剣を振り回し、雪山の中から動物を仕留めにいく。

 

それは例年の光景であったが、流石にその年の猛吹雪の中を出て行こうとする人はいなかった。

 

だけれど文ちゃんだけは行くといってきかない。

 

寒くて、鼻水を垂らして、頬を赤くしていても……視界が真っ白に埋まるような日でさえ、外へ飛び出そうとする。

 

「あ! 文ちゃ……」

 

バタン

 

扉が閉まる音が、私を取り残すように響く。

 

当時の私では、彼女の狩りについていく事は難しかった。

 

村長の大きな家では、村の皆が身を寄せ合って寒さを凌いでいた。

 

 

この冬は特に長く感じる季節となった。

 

 

文ちゃんが外へ飛び出してから、そろそろ半日近くが経つ。

 

子供達は文ちゃんの言葉に期待をもって、厚目の窓の外から白銀の世界を眺めていた。

 

私は暖炉の傍で女の子を抱き寄せ、子供達と歌いながら文ちゃんの帰りをひたすら待っていた。

 

とても息苦しく感じる時間だった。

 

「文醜お姉ちゃん……遅いね」

 

膝元の女の子のぽつりと漏れたわずかな言葉が、私の心をズキリと突き刺す。

 

__文ちゃん……1人で無理をしないでよ。

 

そう祈らずにいられない。

 

しかし時間は無常にも過ぎていく。

 

この豪雪の中では外は暗く、正確な時間など碌にわかりはしないが、お腹の感じからしてそろそろ夕暮れに差し掛かっているのではないだろうか。

 

これは不味いのではと、子供達の親が騒ぎ始めた……そんな時だった。

 

バタン!

 

「た”た”い”ま”!」

 

勢いよく扉を開けたのは、文ちゃんが発した大声なのかとさえ思った。

 

文ちゃんは寒い寒いといいながら、暖炉へと一直線に駆け込んでくる。

 

「うっひゃー! ざみぃ寒ぃ!」

 

手をこすり合わせ、鼻水が凍っている。

 

「文ちゃん、どうだったの?」

 

私はなんて大馬鹿なのだろうかと、その時思った。

 

彼女は愛用の大剣すら手にしないで、村長の家へ転がり込んできたのだ。

 

ガチガチと歯が震え、まともに噛み合っていない。

 

唇は血の巡りが悪くなり紫色であるし、手の指でさえあまり動かせそうになかった。

 

狩りの結果など、目にみえているではないか。

 

「おぃおい斗詩ぃ~。

 もっとこうさあ、新婚の相手を家へ迎え入れるような、あったか~い言葉はかけてくれないの?」

 

ズルズルと鼻水をすする文ちゃん。

 

__そうだ、文ちゃんが無事に帰ってきたんだから、それでいいじゃないか。

 

私は子供を膝から下ろすと、文ちゃんへと近寄る。

 

文ちゃんの体は冷えきっていて、傍に寄るだけで彼女の体から冷気が発せられているかのようだった。

 

私は暖炉の前に座る彼女の隣に座ると、努めて笑ってから顔を覗き込む。

 

「お疲れ様、寒かったでしょう?」

 

「お! いいねいいねぇ。

 そんじゃアタイからは、愛しの斗詩に贈り物をあげよう」

 

「贈り物?」

 

「そ。

 お~い! 野郎共! 外へいってきてくれ!」

 

「ぶ、文醜ちゃん?! この中を外ってのは……」

 

「いいからいいから、ちょっくら見てくりゃいいんだよ」

 

ズズッと鼻を擦った文ちゃんの言葉に従い、村の若い者達が外の様子を見に行く。

 

すると……

 

「で、でっけえ熊だ! 鹿もいるぞ!」

 

男達の驚きの声に、子供達が喜んでいる。

 

「へへっ……嬉しい? 斗詩」

 

赤っ鼻で笑う文ちゃんは、本当に可愛かった。

 

「っうん!」

 

「そっかそっか、じゃあアタイも幸せだな。

 鹿を仕留めようとしたらさ、逃げちゃって……熊の寝てる穴倉へ案内してくれたんだよ。

 おかげで一挙両得だ」

 

にひひと笑う文ちゃんだったけれど、暖炉の炎が彼女の体に映る中に、何か違うものが見えた。

 

私はそっと声をかける、しかし心中ではとまどいを鎮めることはできなかった。

 

「文ちゃん……まさか怪我してるの?」

 

「ちょっとしくじっちゃってな。

 起きた熊に手を引っかかれちまった。

 さっきまでかさぶたみてぇに血が固まってたんだけど、傷口が溶けちゃったか?」

 

皆に気づかれたくないのだろう。

 

照れるように隠し、誤魔化して笑う文ちゃんに、私はそっと寄り添った。

 

隠す手の傷を覆うように、自分の手を重ねる。

 

冷たい……氷のようだ、本当に。

 

だけど私にはとても暖かい。

 

久々のご馳走を前にして集まって騒ぐ皆とは違って、暖炉の前に座る私達は2人だけだったけれど、とても暖かかったのを覚えている。

 

その後、私が淹れた温かいお茶を、文ちゃんはとても嬉しそうに飲んでくれた。

 

__文ちゃん、小さい子供達に自分の分だって分けてたもんね。

 

あの時を思い出すと、今でもクスリと笑ってしまう。

 

「どうして? このお肉は文醜お姉ちゃんのだよ?」

 

「気にすんな! アタイは外で、すでに丸焼き一匹食べてきてんだよ。

 チビ共が遠慮だなんて、生意気なこといってんじゃねえぞ?

アタイの部隊のモットーは食える時に食う、戦う時に戦うんだよ」

 

「文姉ちゃん……野蛮~んじ~ん」

 

「うっせ! ほら、さっさと食え食え!」

 

強気に笑い、子供たちにお肉を分け与える文ちゃん。

 

お腹がぐ~っとなっているのを誤魔化すために、一生懸命に食卓で明るく振る舞い騒いでいる。

 

でも我慢しているものだから、よく2人で隠れて、私の分をわけて食べていた。

 

あの厳冬の年はひとえに、村の皆は彼女の力に救われていたようなものだった。

 

そんな事があった厳冬を無事に越すことはでき、さらに数年が経った。

 

その間、夜盗崩れが村を襲ったり、似たように厳しい気候に晒されたりもしたが、村は乗りきっていた。

 

力なら私の番だと勇んで向かう文ちゃんの姿が、皆の先頭であった。

 

そしてある日、ようやく長い冬があけ、春の兆しが見え始めていた頃。

 

子供達も外ではしゃぎながら、大人達は雪かきをしていた。

 

だけど今考えれば、平和ボケであったのかもしれない。

 

袁紹様が率いる大勢の軍隊が視察にきていたのだ。

 

私達が大量の馬が嘶く声に気づき、村の入り口に駆けつけてみると、立派な栗毛の馬に乗った綺麗な金色の髪をもった人が、銀色の雪の光を浴びて、ある種の神々しさを放っていた。

 

その人は、集まってきた皆の顔を見渡しながら、そばにいる、これもまた美しい女性へと声をかける。

 

「ずいぶんと田舎ですのねぇ……城壁も何もないし、これじゃ出入りし放題ですわ」

 

「田舎ってわりかしそういうも・の・よ。

 麗羽みたいに城をいくつももっていると、わからない感覚なんでしょうけれど。

 でもねぇこれは……私達がここまで近づかないと気づけなかったみたいね、ちょっと間抜け過ぎかも?」

 

金髪の彼女が漢王朝に仕える、由緒正しき大名家である事は知っていた。

 

こんなへんぴな国外れ……いや、正確には蛮族と言われてもおかしくない民族が作る集落に、本人が足を運ぶなんて、よほど自分の軍隊に自信があるのかそれとも世間知らずなのか。

 

しかも王朝のいう区分では、私達は袁紹の領土に属していない、たしか隣の郡に属しているはずだ。

 

==という名の領主はいたが、税という名目で金品を多少持っていくくらいで、実際に何かをしてくれるわけでもない。

 

幸いだったのは、田舎過ぎて私達の生活を脅かす敵がいるわけでもなかったので、守ってもらう必要もなかった。

 

相互不干渉に近い、軽い税を納めるくらいで済んでいた。

 

恐らく、私達の村人のほとんどに羌族の血が流れているから、下手な不満を買わないようにとの==の配慮があったのだろう。

 

なのにどうして、この国外れの村に王朝の有名人が……しかも自分の領地でもないのに……

 

「まぁ田舎だろうとなんだろうと構いませんわ。

 ここにずいぶんと腕の立つ者がいると聞いたのですけれど、一体どこのどなたかしら?

この私が家臣として、召抱えてあげてもよろしくてよ!」

 

誰を指しているのかは、私達にはすぐにわかった。

 

それが目的かと思った時、隣でひれ伏す体をとる文ちゃんへ、私は視線を送った。

 

「文ちゃん……」

 

「大丈夫だ、斗詩。

 アタイがこの村から連れて行かれるわけにはいかない。

今年はもう良くても、来年の冬がまたあん時みたいに荒れた冬になったら、下手すっと村ごと飢えちまう。

 皆も気づいているさ、だから黙っててくれる、だろ?」

 

確かに誰も言わなかった、ひれ伏しているだけで。

 

権力者の言葉を無視、偽証をした場合、気分次第では極刑を命ぜられてもおかしくない。

 

この大勢の軍隊が相手では、袁紹の判断次第では皆殺しだってありえるのだ。

 

袁紹の隣では、目を引くような美人が困ったように頬を掻いている。

 

村の者達は誰もが黙っている……それは袁紹にも伝わったようだ。

 

「誰もいない、と。

 そういうことでよろしいのですのね?

私の言葉の重みは当然、知っているでしょう?」

 

「ちょっと麗羽? 貴方まさか……」

 

袁紹の手があがる、それが降ろされるとき、何かしらの判断が下る。

 

片手を上げる袁紹の隣では、なにやら美人さんが慌てているが、たぶんもう止まらないだろう。

 

文ちゃんが傍に落としている大剣の柄へ、そっと手を伸ばした。

 

__文ちゃん、あんなにいる軍隊を相手に……やる気なの?

 

その姿を見て、私も覚悟を決めた。

 

文ちゃんほどではないとはいえ、自分だって軍人相手でもそれなりにやれるはずだ。

 

一拍ほど、時が停止した。

 

「待って!」

 

後、数瞬わずかに遅れていれば、何かは起きていた。

 

何かは本人に問う必要があるが……

 

とにかく袁紹の腕が振り下ろされる直前、誰かが叫んだのだ。

 

武器を握りかけた2人が声がした方へ反射的に目を移すと、それは1人の子供だった。

 

「文醜お姉ちゃん! それは文醜お姉ちゃんだよ!」

 

「文醜? その人の腕が立つと?」

 

「馬鹿! なにいってんだいこの子は! いつもあんだけ世話になってるのを忘れたのかい?!」

 

母親が子供にかけより、隠すように抱きしめて袁紹に背を向ける。

 

でも子供は、それでも声を上げるのを止めなかった。

 

「だって! だって文醜お姉ちゃんいつも私達のために、ご飯をわけてくれるんだよ?! お姉ちゃんすごい食べるのに! お腹減らしてるのに! いつもお肉我慢してくれるんだよ!?」

 

「っ! 黙りなさい!」

 

「お姉ちゃんなら絶対将軍になれるもん! そうすればお姉ちゃんお腹一杯食べれるもん! 私達のためにお腹すかせなくてすむもん!」

 

ここで母親は何も言えなくなってしまった。

 

しかし子供達は騒ぎ出す。

 

「そうだ! 文醜お姉ちゃんなら、絶対将軍になれる! 熊だって楽勝なんだぜ!

 姉ちゃんは最強なんだ!」

 

「ねえ金ぴかの姉ちゃん! 将軍ってよくわかんないけど、とっても偉いんだろう!?

 だったら文姉ちゃん、お金一杯もらって腹いっぱい食えるじゃん!」

 

村の子供達が袁紹の騎乗する馬へと駆け寄る。

 

4つ脚に子供達が纏わりつき、栗毛の馬はひどく迷惑そうだった。

 

子供達のこの行動は不敬罪まで加わりかねないのだが、袁紹は気にしていなかった。

 

「文醜さん、ね。

 それはどなたなのかしら、自分からさっさと名乗り出なさい」

 

騒ぐ子供達には目もくれず、袁紹はひれ伏す者達へと言った。

 

「っ~~~! アタイだあ!」

 

大剣を握り締めた文ちゃんが立ち上がった。

 

袁紹は大剣を握る文ちゃんの殺気を剥き出しにした形相にも、平然としている。

 

見た感じ、袁紹自身が強いというわけではなさそうだけれど、この距離でどうして文ちゃんの威圧を受けてどうして平然と?

 

そして何故か、あの隣の美人さんはひたいに手を当て、呆れたように頭を振っていた。

 

「そう、貴方が文醜さん。

 貴方のその大剣からみてもかなりの腕前なのでしょう。

……この私に、今日をもって仕えなさい」

 

「っ!」

 

容赦のない命令。

 

文ちゃんがギリッと歯ぎしりを鳴らした。

 

「どうしたのかしら?

 この大陸一の袁家に仕えられるという栄誉、その意味を理解なさっているの?

それともこんな田舎では、それすらもわからないのかしら?」

 

「……アタイはこの村の出だ。

 ==とかいうここの領主がそんな勝手、黙っちゃいないぜ。

袁紹さん、あんたはさっさと自分の領地へ帰れ」

 

「ん? ==?

 ああ、いたわねぇ、どこかにそのような名前の人も。

 ……………………だから?」

 

__駄目だ! 袁紹は弱小領主なんて歯牙にもかけていない!

 

文ちゃんをみれば、大剣を握る片腕がブルブルと震えている。

 

寒さのせいなんかじゃない。

 

文ちゃんがバッと顔を上げた。

 

「うるせえ! 確かにこの村は貧しいさ!

 あんた達から見たら片田舎かもしれねえ!

 でもアタイはこの村が好きだ! 飢えさせてたまっかよ!」

 

「文醜ちゃん! 私達のことはもういい! 止めるんだ! 相手は王室で名を馳せる袁家だぞ!!」

 

「やるんなら、やってやらあ!!!」

 

文ちゃんが大剣の切先を向けた、軍隊へ。

 

これで王朝への反逆理由は明白だ、例えどれほど理不尽な理由であろうとも。

 

なのに袁紹は向けられた切先を冷たい瞳で、馬上から見下ろしながら微動だにしていない。

 

むしろ微笑んでいる気さえした。

 

「そう、それが貴方のお答えですのね?」

 

「後悔はねえ、ざっとみて、たかが二千人程度だろうが!

 どっかの盗賊風情にできることが、アタイにできねえはずはねえ!」

 

「文ちゃん!」

 

私も立ち上がった。

 

「斗詩!? 斗詩は下がってろ!」

 

私は大槌を大地へと叩き付けた。

 

与えた負荷に耐えきれず、固い大地に皹が走る。

 

大槌の起こした衝撃で、袁紹軍の馬達に動揺が走った。

 

どうどうとなだめながら制止して馬を落ち着かせるが、人間の方だって私の槌をみて目を丸くしている。

 

私の大槌は本来戦闘用ではない、これは掘削用だ。

 

この村特産でしか取れない純度の高い鉄鉱石、それを私が夏のわずかに雪が解けた間に採掘する。

 

それを村の者達が鍛えた馬で売りにでて、秋を迎える。

 

そして雪で大地が覆われる冬は、文ちゃんが村の若い者達を引き連れて食料をとってくる。

 

村はそうしてこの厳しい自然環境の中で生きてきたのだ。

 

この村の大地から作られた、私の大槌と文ちゃんの大剣。

 

__何者にも劣りはしない!

 

「……あら、貴方もそのようなずいぶん大きい槌を振り回せるということは、中々見所がありますわね。

 貴方も我が軍へと入りなさい」

 

「いやだ!」

 

「聞き分けがない人達ねぇ。

 いいですわ悠さん、貴方の出番ですわよ!」

 

どこか嬉しそうに片手を自信気に挙げた袁紹が号をかけると、隣の女性は深く長いため息をついていた。

 

「っぁ~~~~、あのねぇ麗羽、本当は丸く収まる話をこんだけややこしくして、後はなんとかしろって?

 私は貴方の便利屋じゃあないのよ?

 殺気立っているあの2人さん……そこそこな腕前じゃない。

 どうして私が貴方のわがままに付き合って、こんな人攫いのような真似をしなくちゃあならないのよ。

 しかもこの後の尻拭いは、さらに桂花にやらせる気なんでしょう?

 貴方、そのうち見捨てられるわよ? っていうか、いつか出てってや・る・わ」

 

「そうしたければご自由に。

 ただし貴方達お2人には”すでに”今月の契約料である俸禄は払ってあるでしょう?

その分は、きっちりと働きなさい」

 

「っわかった、わかったわよ!

この2人をひっ倒して、冀州にまでつれていけばいいんでしょう?

はぁ……ったく、面白くないったらありゃしない。

ねぇちょっと、貴方達」

 

悠と呼ばれた女性は面倒そうに私達へと体を向けると、やれやれと額に手を当てて首を振った。

 

「お気の毒ね、同情もする。

 だけどここは1つ諦めてくれないかしら?

ここで偉そうにしている麗羽だけれど、根は悪い奴じゃないわ。

この村に悪いようにはしないから”黙れ! かかって来いよ!”……でしょうねぇ、はぁ」

 

ビリビリと刺さるような殺気を浴びて、張郃こと悠は溜め息をついた。

 

どうにも面倒なことだ。

 

麗羽も麗羽だ、もっと上手く勧誘の1つくらい出来ないものか?

 

これがこの村のためとはいえ、いくらなんでも面倒だ。

 

色々と桂花に調べまわらせた挙句、事態がこれでは彼女も救われまい。

 

「ま、もう仕方がないか。

 ……さっきのその子、そう、癖っ毛の君よ」

 

突然、悠という女性に指をさされた少年はビクリと震えた。

 

何故自分が指されたのかがわからない。

 

「さっき、彼女のことを”最強”と言っていたわね?」

 

「っ! ああ! 文醜姉ちゃんはちょう強いんだぞ! ちょうだ!

 お前みたいなひょろっちい奴なんか、相手になるもんか!」

 

「そう、じゃあ君は立ち去ったほうがいいわね。

 同じ意見の者達もここが見えないくらいに、早く遠くへと行きなさい。

 ほんの少しだけど……時間を上げるわ」

 

「?」

 

「井の中の蛙でいたって、蛙自身はとても幸せよ。

 外界に接しないその時までわね」

 

「なっ! どういう意味だ?!」

 

「最強の頂きは、そう簡単なものじゃないってことよ」

 

「へぇ~、いってくれるじゃんか!

 アタイや村の皆の心配よりもよ、自分の心配をしやがれ!」

 

文ちゃんが叫ぶ声とともに、ブンっと音を立てて大剣を構える。

 

私も大槌の柄を改めて握りしめた。

 

__せめて、文ちゃんの援護くらい!

 

2人とも、すぐにでも飛びかかれる体勢となった。

 

「貴方も、さっき”どこぞの盗賊”って言ってたわね。

 私は直接やりあった事はないけど……音にきく銀狐と貴方じゃあ、ちょっと比較になりそうにないわ」

 

「うっせぇ! ごたくはいらねえんだよ!」

 

「聞く耳もたず、か。

 ……私は張郃儁乂、まだまだ名の知れないたかだか一将軍を示す固有名称であり……」

 

 

 

「ちょっとだけ、強い女性の名も兼ねているわ」

 

 

「っつ! がぁ!」

 

「文ちゃん!」

 

「そ、そんな馬鹿な……あの2人があんな、手も足もでないのか?」

 

村の若者から力のない言葉が漏れる。

 

鉤爪をつけた悠とかいう女性の速さは、尋常ではなかった。

 

文ちゃんの大剣ではかすりもしない。

 

私の援護も全てが見る間に……いや、ろくに視界に捉えることすらかなわなかった。

 

大地に横たわる文ちゃんを背中から抑えつけるように、片足を上手く重心に乗せて身動きを奪う張郃という女性。

 

冷酷なまでに向けられた鋭い視線は、私の体を捕らえて離さない。

 

鉤爪の先が、下敷きになる文ちゃんへ向けられていて到底動けそうもない。

 

張郃の鉤爪の先からは、文ちゃんと私を斬った血が混ざっている。

 

これは彼女からの警告だと思った。

 

肩に受けた傷口はズキリと傷むが、それはかすり傷程度。

 

しかしさきほどの動きを鑑みれば、もっと深い、致命傷を与えられたはずだ。

 

__勝てない……

 

これが世界。

 

じわっと目が熱くなった。

 

自分の内にも期待はあった。

 

いつも明るくて、突き抜けて元気で、猛獣にも賊にも負けたことのない文ちゃん。

 

私は文ちゃんが負ける姿だなんて、思い浮かべることが出来なかった。

 

村の人達も同じだ。

 

悔しくて、呆然として、何人かは涙が溢れている。

 

「くそお! 離せえ! この足どけろーーー!」

 

まだ溶け始めたばかりの雪の中で、必死に足掻く文ちゃん。

 

大剣はその質量からか雪へと沈み、この光景の意味を示していた。

 

「どけよ! まだだ! まだアタイは負けてねぇ! アタイはまだ……まだだぁ!」

 

文ちゃんの声が震えてきた。

 

大剣の柄を握る手から、握りすぎて血が滲む。

 

敗北。

 

あっという間だった。

 

張郃はやや気疲れたようにまた溜め息をつくと、つまらなそうに首を振った。

 

「これでわかったでしょう。

 生まれた時からこんな寒いとろこで育って、気候に慣れた貴方達とは違い、私はとても寒いし体の動きは鈍いのよ?

 その鈍い私にこの有様……しかも最強だなんて、この私でさえまだはるか遠い頂き。

 それぐらいこの大陸は広いのよ……文醜、貴方の潜在能力は凄いわ、それは認める。

 きちんと鍛えて、経験を積めばいい武人になれるでしょう。

 最強にだって登れるかもしれない。

 でも今の貴方はしょせん狩人どまりなのよ。

 戦い方がまるで武人じゃあない」

 

「っ!? っぐぅ! クゥ!!!」

 

文ちゃんの口から、呻きとは違う声が漏れている。

 

張郃の片足から這い出るようにあがく文ちゃん。

 

しかし張郃の重心を押さえた踏みつけは、文ちゃんを足掻かせるだけで、意味をなしてはいなかった。

 

そして足の下で足掻く文ちゃんを、張郃は思いっきり片足に体重をかけて黙らせた。

 

「んがっはっ!」

 

お腹に衝撃が伝わった文ちゃんが息を無理矢理に吐きだされて、頭がビクンと上がってから雪に埋もれた。

 

抵抗が止んだのを見下ろした張?は、再び視線を上げて私を射抜いた。

 

「……よく、聞きなさい」

 

「え?」

 

「ここからさらに北西へ、40里ほど行ったところにある村を知っているかしら?」

 

「は、はい。

 私達と同規模の小さい村ですよね」

 

交流こそあまりないが、そこも私達と同じように蛮族の混血が多くいる村だったはずだ。

 

「先月、壊滅したわ」

 

「なっ?!」

 

村の人達にも動揺が走る。

 

「ここからもっと北……万里の長城を超え、異世界と呼ばれるほどの、私達が大陸とさえ呼ばない土地。

 雪が一年中解けやしないその土地から、大勢の賊が内陸へと降りてきている。

 その数はとりあえず千と見ているわ」

 

「そんな! じゃあ!」

 

張郃は起きろといわんばかりに、文ちゃんをもう一度踏み込んだ。

 

「自惚れては駄目。

 腕が立つ村人の名が文醜という名で大剣を使うことくらい、初めから麗羽は知っていたわ。

 調べはとうについていた、これでもこちらの文官で優秀なのがいないわけではないの。

 文醜という人が何をやって、この村でどういう事をしているか、ちゃんと知って来ているのよ。 ねぇ……顔良さん?」

 

張郃と呼ばれる彼女が私の名前を呼んだ。

 

__まだ誰も私の名前は言っていないのに。

 

「さて、ここで1つ疑問があるでしょう。

 文醜という人物を知ってなお、軍隊を二千人なんて用意するかしらね?

いっておくけれど、兵糧代って貴方達が考えているよりもはるかに馬鹿にならないのよ。

 ここにいる麗羽の金銭感覚はかなーり狂ってるんだけど、その彼女でさえ、ちょっとは気にする金額ではあるの」

 

「悠さん貴方……減俸に処されたいのかしら?」

 

「いいから黙ってなさいよ麗羽。

 貴方がひねくれてる上に輪をかけたようなわがままだから、私が後始末をしてやってるのよ。

 むしろ昇給なさい。

 もう、めんどくさいったらありゃしないんだから」

 

「ふん」

 

「あー、話が逸れたわね、こっちの話しだから貴方達は気にしないで。

 えっとねつまり、二千人という数の軍隊を動員して、隣の領主が治める土地へと進んだ。

 これは立派な侵略行為なわけなのよ。

 麗羽にどれだけ中央に権力があろうが、王朝が決めた区分を破る……普通は許されない行為となるの。

 桂ふ、じゃなかった。

 こちらの優秀な文官さんが宮中の裏に手を回して、この辺りを治める==とかいう領主から、お金を払うからこの土地を譲るようにと交渉したの」

 

「か、買い取ったって事ですか?! この辺りの土地を!?」

 

「そう、全部よ」

 

「それを==様は受け入れたん……ですか?」

 

「ええ、でないと私達はここにはいないでしょうに。

 でも可笑しな話よねぇ、初めはだいぶ渋っていたわ」

 

それはそうだろう。

 

少なくとも自分の領地が減るということは、それだけ収入源が減るということだ。

 

私達の村だって、規模こそ小さいがそれなりの収入はある。

 

ただ生活を営むには厳しい土地柄なだけで、ここでとれる良質の鉄鉱石はいい資源のはずだ。

 

「でもね、交渉の最後は諸手を擦り合わせて、ゴマでもすってんじゃないかと思うくらい媚びへつらっていたわよ。

 ま、それも当然か。

 見捨てるはずだった村が、予想外の値で売れたんだもの、そりゃあ大喜びよ」

 

「はっ……え?」

 

よく意味がわからなかった。

 

聞き間違いかと、それでなくては彼女の言い間違いなのだとさえ思った。

 

「見捨てるって……どういうことですか?」

 

「だって==の奴、この村を助ける気なんてなかった・も・の」

 

「っ?!」

 

村人の顔が凍りついた。

 

何故という疑問符が、皆の顔に浮かんでいる。

 

「自惚れてはいけない、そういったでしょ。

 この村の人口は何人? 二百人とちょっとくらい?

それを見捨てて、賊を満足させて適当に返しておけば、後に残った鉱山資源だけ後から獲りにくればいいだけだもの。

 連中もいつまでもここにいるわけでもなし、これ以上近寄れば中央官軍も煩くなるから流石に帰るでしょ。

 そして夏の間、兵士を数百人ここに送って、鉱石でもんなんでも根こそぎ掘らせればいいんだから。

 ぼろいくらい簡単でしょう?

 幾らかはそのまま誤魔化して自分の懐に入れるつもりなんだし。

 土着の貴方達がいなくなれば効率は多少落ちるでしょうけれど、その程度の力の代わりになる人間くらい、この世にはごまんといるのよ」

 

私の手から大槌が落ちた。

 

もう、立っていられなかった。

 

「麗羽はね、たしかに剣や槍をふるうような力はないわ。

 でもね三公を輩出した血筋という絶大な権力と、途方もないほど莫大な資金がある。

これは大きな力よ、代えが効かないくらいに。

それとも貴方達がいう最強の力とやらでやってみる?

千人の賊を貴方達が百人も倒す頃には、二百人の村人なんてほとんど皆殺しでしょうけど」

 

「………………」

 

「貴方達、田舎の者だからこそ、今だからこそはっきりと言ってあげるわ……深刻な問題は貴方達の意識なのよ」

 

張郃が集まった村人達へと向き合った。

 

「全員、いますぐに考えを改めなさい。

 今の役人と呼ばれる者のほとんどは当てにならない、かつては繁栄を誇ったその力も理念も無くなっているのよ。

 自分達の身は自分達で守るよう考えなければ、簡単に大切なものを奪われるわよ。

 今回は麗羽が間に合ったからいいとして、その40里離れた村なんて、わずか一夜で地図から消えさったのだから。

 この文醜さんがどんなに強くたって、どうしようもないことがあるの。

 その理不尽さから少しでも逃れたければ、すぐに村人全員で話し合いをなさい。

 緊急時、どうすればいいのかを決めなさい。

 見張りでも置いて、危機に敏感になりなさい。

 本当に大切なものを見極めなさい。

 今回、麗羽がわざわざ引き起こしたこの理不尽さを、決して忘れないようになさい。

 はじめっからちゃんと説明していれば丸く治まった話しを、わざわざこれだけこんがらがせてまで”理不尽の恐さ”を、平和ボケした貴方達に教えてるのよ」

 

「!」

 

「後1つね、言っておかなくちゃいけないんだけどさ。

 お金お金っていうと、私が卑しいみたいで嫌なんだけれど、この村を買ったのだってそんじょそこらの値段じゃないわけよ。

 顔良さん、貴方は自分の寝床より大きい金塊なんて見たことある?

 少なくとも私はあれが初めてだわ」

 

「そ、そんなにしたのですか?!」

 

「いったでしょ?

 金持ちってのは金銭感覚狂ってんの」

 

後にわかったことだが、これは嘘だった。

 

妥当な値段で交渉を始めたのだが、相手が渋ったので麗羽様が有無を言わせない値に引き上げたらしい。

 

とんでもない金額だった。

 

村全体であがる年収、15年分にあたるであろう金額だったのだ。

 

「さぁ、もう大丈夫でしょ、文醜さん。

 この村を麗羽は買ったわ、なのに貴方達から何かを得ないと、こっちは割りに合わないのよ。  別に私らは正義の使者ってわけでもないんだしさ。 

 ……さ、立ちなさい」

 

文ちゃんが項垂れながら立ち上がる。

 

「貴方は最強なんかじゃないわ。

 でも見込みはある方だし、もっと強くならないといけない。

だけど時間はもう無いの。

これから一週間以内には、この村だって例の賊に見つかるでしょう。

もしかしたらもう、すぐそこまで来ているかもしれない。

貴方は貴方の大切なものを守るために、何ができるのか・し・ら?」

 

文ちゃんはフラリと立ち上がると、その場で問いかけた。

 

「……袁紹さん、あんたがここの領主になったんだったら、あんたがこの村を助けてくれんのか?」

 

「さぁ、どうしましょうか。

 私はここの領主ですから、==さんのように見捨てるっていう手もありますわよねぇ、事件を握り潰すのなんて造作もないですし。

 別にこの村から私、税も何も納められていませんもの」

 

「っ!」

 

文ちゃんが悔しそうに下唇をかみながら、上目で袁紹を睨んだ。

 

馬上で微動だにしない袁紹は、ただ文ちゃんを見下ろしている。

 

「アンタには力があるのか?」

 

「ええ、私は三公を輩出した名家たる、袁家の現当主、袁本初。

 この大陸1という自負がありますわ。

信じる信じないは貴方の勝手ですけれど、オーッホッホッホ!」

 

馬鹿みたいな高笑いは、根拠のない独りよがりの自信のようにも見える。

 

だが少なくとも、私達のちっぽけな自信より、はるかに力が在った。

 

文ちゃんもそれがわかったのだろう。

 

落とした大剣を拾い、袁紹へと進む。

 

近衛兵の者が近づけまいと動き出そうとするが、張郃が腕を伸ばして止めた。

 

そのまま文ちゃんは進み、袁紹の馬前へと大剣を雪に突き刺した。

 

集まった者達の視線が集まる中、文ちゃんは雪の中へ頭を突っ込む。

 

あまりの勢いに、春が近づき解けかけていたゆるい雪が飛び散り、まるで大泣きしているようにみえた。

 

「この村には、今! 納められるほどのモノがねぇ!

 売りもんにだした鉄の残りも、去年……領主だった==が税とかいって持っていっちまった。

お金だって保存食買っちまってるし、そんなに残ってねぇ!

 肉だって、先週アタイが捕まえてきた、鹿の肉が2頭分くらいしか残りがねぇ!」

 

「そう、本当に貧しいのねぇ。

 私には到底理解できないわ。

 ……………………それで?」

 

2人のやり取りを見ながら、私はもう前が見えなかった。

 

涙が止まらない。

 

大槌を拾う気力さえでてこない。

 

「っだから!」

 

一際文ちゃんが大声を張り上げた。

 

その気勢は、いつもの強くて逞しい文ちゃんの声に戻っていた。

 

「アタイを、買ってくれ!!!」

 

「……ほう」

 

「給金はいらねえ! 飯は自分でどうにかする! 住むところだって野宿とか慣れてっからなんとかなる! 戦って来いってんなら、命張って戦ってくる! 奴隷扱いでも構わねえ! だから……だから……!」

 

「……………………」

 

土下座をしていた文ちゃんが、頭を上げた。

 

文ちゃんの顔も私と同じだった。

 

「この村を守ってください! お願いします!!!」

 

再び頭を雪へと深く埋めた。

 

シンと静まった村では、今朝ののんびりとした日常が遠く離れていってしまったようだった。

 

昨日までは、何も無い、平凡で刺激のない日々だった。

 

退屈で、毎日が同じような日々の繰り返しで、それでも楽しかった。

 

でも私達が気がつかない日常の裏では、危機が迫りつつあったのだ。

 

ひとたび始まれば、あっという間であったはずなのだ。

 

それがただ、今日訪れただけのこと。

 

救いのある形で。

 

このようなことが、これからいつものように大陸で起こるというか?

 

何の前触れもなく、気づけないで一夜のうちに終るというのか?

 

理不尽に大切なものを奪われる、そのような事が平然と成される時代がくるというのか?

 

今までこの大陸で住んでいた者たちは、ずっと漢王朝という大樹に守られていた。

 

だが気づかぬうちに、どうやらそれは宿木にはなりえなくなっていたようだ。

 

戦争という言葉が、私の頭にちらついた。

 

「文醜さんでしたわね」

 

袁紹の声が発せられる。

 

こうして静かな中で落ち着いて聞いてみると、とても優雅な声に聞こえた。

 

「顔をお上げなさい」

 

「……はい」

 

「今日からは私のことを麗羽、そうお呼びなさい。

 とりあえず、そのぐしゃぐしゃの顔を洗ってきなさいな、みっともない……袁家に属する者が、そのような無様な姿はこの私が許しませんことよ……文醜将軍」

 

「っ!? はい! 麗羽様!」

 

「さて……張郃さん?

 我が家臣の故郷が、賊などという卑しい者どもに襲われる?

冬を越せずに飢え死にする?

 そのような格好の悪い無様なことが、果たして私の領土内であり得たかしら?」

 

「さぁねぇ、とんと聞いた事ないわ」

 

「桂花さん達に賊の根城位さっさと見つけるよう打診なさい。

 後は悠さん、貴方がこの2千の指揮をとって、とっとと蹴散らしておしまいなさい、美しく! 華麗に! 容赦なく!」

 

意味があるのかはわからないけれど、袁紹の高笑いが響いた。

 

「りょ~かい。

 あ~あ、賊退治なんて、それこそ銀狐くらいの大物を相手にしたいわよ。

雑魚相手じゃ張り合いでないわ、ちっとも面白くない」

 

「だったら、早く面白いものを見つけなさい。

 何もすることがないくらい暇だから、将軍をやっているのでしょう」

 

「ま、その通りなんだ・け・ど・さ」

 

よほどつまらないのか、張郃はあくびをしながら近くの兵に指示を出し始めた。

 

「ほら、貴方も手伝ってよ。

 この軍の将軍になるんでしょ?

あのわがまま麗羽に、どれぐらい付き合えるかは知らないけど」

 

「お、おう!」

 

文ちゃんが張郃に呼ばれて立ち上がり、走っていく。

 

その背中が、ちょっとだけ遠くに見えた。

 

「待ってください袁紹様!」

 

別に意識して声を上げたわけではない。

 

気づいたら、袁紹様を呼び止めていただけだ。

 

「……何かしら?」

 

「私を雇って頂けませんか!?」

 

「貴方を、雇う?」

 

「私! 文ちゃんほど強くはないけれど、もっと強くなります! 料理もできます!

 掃除もできます! ちょっとだけですけど、学もあって字も読めます! 使用人でも家政婦でもなんでもします! 私を袁紹様のもとで雇ってください!」

 

「……そう。

 では貴方は何がお望みなのかしら?

この村を守ることは、さきほど文醜将軍のお頼みで済んでいるのですけれど」

 

「お給金を! お金を下さい!」

 

私は頭を下げた。

 

土下座ではなかったが、誰の顔も見えないくらい、とにかく深く頭を下げていた。

 

「別に、お金ならばこの村の鉱石でも掘ればよろしいのではなくて?」

 

この時に……私はこんなに大きな声を出せるんだと、生まれて初めて知った。

 

 

 

「文ちゃんは私の大切な友達なんです!!!!!」

 

 

 

私の大声に、きっと文ちゃんも驚いているのではないのだろうか。

 

「斗詩……」

 

やっぱりだ、文ちゃんの唖然とした声が聞こえた。

 

「文ちゃん、お給金がでないんですよね?

 私のお給金で、一緒に生活します!」

 

「……私は1人分しかだしませんわよ?」

 

「大丈夫です! 必ずやり繰りしてみせます! ご迷惑はおかけしません!」

 

私の願い、それは決して文ちゃんを1人っきりになんてさせないことだ。

 

「悠さん、私の城に抱えている使用人の数は、いくらほどでしたかしら?」

 

「え? そんな急に聞かれても、う~ん桂花じゃないから正確な数は知らないけど~……四百くらい?」

 

この村の人達全員より、はるかに多いんだ。

 

その数に村の皆が息を飲んだのがわかった。

 

大陸1の名家というのは、伊達ではないということだ。

 

「空きは?」

 

袁紹様の問いに張郃さんが苦笑しているのだろう、軽く笑いながら簡単に否定した。

 

「無い無い、むしろ過剰気味なんじゃないの?

 まぁ麗羽の無駄使いは今に始まった訳じゃないけどさ、なによ、使用人雇う気なの?

 あれ以上?

 呆れるわ、1部屋に1人つける気なの?」

 

本当に呆れた声で、張郃さんが問い返した。

 

__四百も部屋があるの? なんて大きさ……

「ふん、まぁそれもいいですけれど、1部屋に1人は無理ですわね。

 そうなると、あと最低でも3倍は募集しないといけませんわ」

 

「そんなに部屋数あったかしら?」

 

「貴方が普段勝手に居ついている部屋は、本城でしょう?

 少なくとも私には離れが後5つはありますわ、おーっほっほっほ!」

 

__話の規模が違い過ぎる。

 

お金ってあるところにはあるんだって、この状況なのに思ってしまった。

 

頭を下げ続けていた私だが、袁紹様から声がかかった。

 

「っというわけですから、そこで頭を下げている貴方。

 私は使用人はいりませんの、家政婦ももちろんいりませんわ」

 

「っ……」

 

「麗羽様!」

 

文ちゃんの声が上がる。

 

だけれど私の力は必要とされていないのだ。

 

「でも、将軍の席ならばたしか空いていたでしょう?」

 

__え?

 

「それならいっくらでも空いているわよ。

 志願者も成り手も誰もいないんだから。

武官なんていったら、2ヶ月前から私しかいないじゃない」

 

「おかしいですわねぇ。

 一体何がご不満なのかしら」

 

「そういうことを本気でシレッと言える貴方が、たまに羨ましくな・る・わ」

 

「おーっほっほっほ!

 あ・た・り・ま・え・ですわ!

 私は大陸1の名家の当主、袁本初ですのよ!」

 

「はぁ、褒めてないんだけど、まぁ無駄か……さっさと武官の募集でも臨時でしたら?

 手が足らないわよ流石に……ほら、まずそこで頭を下げてる良い武官候補がいるじゃない。

荒削りで腕前はまだまだだけれど、将来は有望なんじゃないかしら」

 

「そうですわねぇ。

 それじゃあとりあえずこれで3人の将軍がいるのだから、後はどうにかなるでしょう」

 

「どうにか……なるわけないでしょうが!

 一体全体、自分の軍にどれほどの兵を抱えてると思ってんのよ!」

 

「お1人で4万人くらい指揮すればいいのではなくて?」

 

__じゅ、12万人?! えぇ! すっごい大軍なんじゃ!? っていうか今なんて……え?

 

驚きと戸惑いから、私は頭を勢いよく上げた。

 

私はいったいどんな顔をしていたのだろう?

 

ただ私の視界はとても広かったから、大きく開いていたのではないだろうか。

 

その視界の先では、苦笑をそのまま引きつらせるように、歪んだ笑みを張郃さんが見せていた。

 

「ほー? じゃあ言わせて貰うけれどね麗羽、大将の貴方が残りの10万を指揮するって、そういうことでいいのね?」

 

「それほどいたかしら?」

 

「……麗羽、今度一度、しっかりと話し合おう、ね?

 桂花はお城の内情でわからないことがないわ、彼女は文官でも筆頭だものね、そりゃあ使用人の数くらい知っているでしょうよ。

 そして貴方は城主だわ、部屋の数は貴方が決めたんだから、当然把握しているでしょうねぇ。

 でもね、ほんのついさっきまで唯一の武官兼将軍であったこの私が、兵数に関して間違えるわけがないでしょう。

 いい、麗羽? 貴方の軍は先月で21万6997名よ。

 兵糧の関係でそんなに大人数を一挙に動かせないってだけでね。

 単純に兵数だけでいってこの数に匹敵できるとしたら、洛陽の中央官軍か、この大陸でも貴方の従兄弟である袁術ちゃんくらいなんじゃないの?

 これで少しは、おぉわぁかぁりぃかぁしぃらぁ?」

 

ひたいに恐いものを浮かべ、張郃さんがかなりの嫌味を込めて言い放つが、とうの本人はどうでも良さそうだった。

 

「そうですの、なんだか増えましたわねぇ。

 まあ数が多いという事はいいことですわ、おーっほっほっほ!」

 

「あ、あの!」

 

「あら、どうしたのかしら貴方?

 早く悠さんに従うといいですわ」

 

「わ、私はっが、顔良と申しまし! っ!」

 

自分でも声が引きつっていたと思う。

 

何が言いたいのか、どうなったのか、私はなんなのか、色々なことが頭をグルグルと回り何も言えない。

 

「? 何を言いたいのかわかりませんわね、顔良将軍。

 ああ、私の真名は麗羽ですわ!

 この広い大陸でさえ限られた者しか呼ぶことが許されない、高貴な真名ですのよ!

 よく覚えておきなさい! お~っほっほっほ!」

 

「は、ははっ……ははは」

 

 

どこかズレた答えを返す麗羽様を前に、私は笑うしかできなかった。

 

 

__今思うと、凄い経験だったんだなぁ、あれって。

 

すっかり冷めてしまったお茶に再び口をつけ、ゴクリと飲み干した。

 

「でもまさか、本当に将軍がいないだなんて思わなかったな。

 しかもいない理由が……ねえ」

 

ははっと斗詩は笑うと、がっくりと首を折った。

 

直角といってもいいくらいに曲がった首は、深く深く項垂れていた。

 

”あの、すいません張郃様!”

 

”ん? ああ、顔良さんか。

 私のことは悠でいいわ、同じ将軍になったよしみと、さっきの貴方の真剣な言葉を信じて、貴方に預けてあ・げ・る”

 

”あ、ありがとうございます! あの、私の真名は斗詩です、これからよろしくお願いします!”

 

”猪々子と比べて、貴方は常識がありそうで助かるわ。

 それで? 何が聞きたいの?”

 

”あのぅ、その……お給金についてなんですけど”

 

”ああ、貴方達そういう話だったものね。

 ちょっと耳かしなさい、私のは内緒だけど、とりあえず大体の俸禄でいいわよね?”

 

”はい……………………ぇ? ぇええええええええええ?!!!”

 

”ちょ、ちょっと大丈夫斗詩? まさか腰が抜けちゃったの?”

 

”だ、だだだだだってそんな大金……私や文ちゃんをあわせた年収以上が、1月毎にもらえるんですか?! まず1桁間違えてませんか?!! 数字もおかしいですよ!!”

 

”桁はあっているのは確かね。

 数字には誤差があるでしょうけれど、増えることはあっても減ることはまずないわ、最低限の金額を言ったつもりだもの。

 ……破格でしょ?”

 

”あ、あわ、ああありあり得ないですよ! だってそんなに貰ったら、文ちゃんと一緒に生活するどころか、余裕で村に仕送りができるじゃないですか!!!”

 

”でしょうねぇ、物価がここと違って高めではあるけれど、私もそれくらいなら出来ると思うわよ。

 しかももう少ししたら、もうちょっと上がるかも?”

 

”な、なにゆえに?!”

 

”斗詩貴方、動揺して口調が……まぁいいわ。

 さっきも言ってたと思うけど、武官募集をするからよ。

 先輩の俸禄が下回っていたら、格好がつかないでしょう。

 いっておくけど、これだけの俸禄をだす領主はこの大陸でも麗羽だけよ”

 

”いいい、今だって貰い過ぎもいいとこですよ! なんで皆さん希望しないんですか!”

 

”うーん、一応武人として戦えるかの腕前を見る試験があるっていうのが、表向きな理由。

 試験内容は毎回変わるけど、大体は岩を砕けるか、とかかしら”

 

”う、裏の理由は?”

 

”ああ、まぁ、その、今までのやりとりを見てもらえればわかると思うけれど……麗羽についていけないのよ、誰もね。

 だからせっかく試験を突破した人も、みーんな辞めていっちゃうの。

 先輩でも同期でも後輩でも、残ったのはもう私だけ。

 袁家に仕える古い臣下ならかなりいるけどねぇ、麗羽のわがままに直接付き合わないでいい役職に皆ついているわ。

 麗羽の将軍になるっていうことは、麗羽の傍でひたすら彼女の気分に振り回されるっていうのと同義なの……貴方は24刻中、便利屋になれますか? ってことな・の・よ”

 

”そんなに、凄いんですか?”

 

”あはははは! 貴方のお友達と麗羽は、随分と息が合いそうねぇ……竹馬の友みたいだわ。

 こういえばわかる?”

 

”あ、あは、じゃあつまり、文ちゃんが2人になるってことですか”

 

”さぁ? 掛け算で何倍にもなっちゃうかもよ?

 桂花辺りがまたすごい愚痴るわ、そのうち出て行っちゃうでしょうね”

 

”あのう、それは何故ですか?

 それもついていけないとか、そういう理由ですか?”

 

”袁家ももう古い家柄だからね、麗羽はあの通り適当だし、変な連中も多いのよ。

 財政や兵糧とか財布の紐は桂花がしっかりと握っているから、大きな横領とかはないけれど、細かい不正までは流石に、ね。

 桂花は大陸の行く末を見極めて動ける頭のきれる子だから、そのうち見切りをつけて出て行っちゃうと思うわけな・の・よ。

 でもちゃんと後で挨拶しておきなさいね、常識人同士きっと喜ばれるわ、名前は荀彧文若っていうから城についたら探すといいわよ……良かったわ、貴方達が女で”

 

”女だと何かあるんですか?”

 

”まぁ、ちょっちね”

 

”わかりました、色々と有難うございます!”

 

”…………貴方達なら大丈夫そうね、ふふ、安心した”

 

”何がでしょうか?”

 

”私はね、面白いことに無遠慮に首を突っ込む、これがモットーなのよ、刺激がほしいのね。

 麗羽よりも面白いところが他に見つかったら、私もこの将軍職を辞めちゃうわね、私と麗羽はお金の関係だし。

 でもね、こんなことを宣言してる私が言える義理でも筋でもないんだけれど、貴方達には麗羽のことをよろしく頼みたいのよ……麗羽とはなんだかんだで付き合いが結構長くなっちゃったしねぇ……何やっても適当でさ、捻くれてて、わがままな奴ではあるんだけど。

 今回の事のように根はいい奴なの、それが見えるのはたまにだけどね。

 それに案外ああみえて寂しがり屋だからさ……あ、あと麗羽は超強力な幸運は持っているから、傍にいれば斗詩にもおこぼれあるかもよ? 私達は豪運って呼んでいるわ”

 

”そうなんですか?”

 

”今までもその人並み外れた幸運で袁家の激しい権力闘争の中、生き残れてきたもんだしねぇ。

 今回だって桂花がそろそろ愛想を尽かせて、いなくなりそうかな~って時に、ちょうど貴方達と出会ったでしょ?

 しかも麗羽、貴方達の資料をみた途端に自分も行くって聞かなかったのよ。

 きっと何か惹かれるものがあったんだわ。

 だから貴方達には麗羽のこと守ってあげて欲しいのよ。

 もしこの軍が危なくなったりしたらさ、全部捨てちゃって麗羽抱えて逃げちゃいな。

 だからそれまで、3人がひっそりと暮らせるくらいの”へそくり”は作ってお・く・の・よ?”

 

”っ! はい!”

 

”ん! いい返事! 私の勘も貴方達なら上手くいくっていってるわ!

 麗羽ほどじゃないけど自信はあるのよね……それじゃあそろそろ行きましょうか?

 たかだか千くらいの賊、私達じゃあちょっと楽勝過ぎるわねぇ、相手が気の毒なくらい……ふふ”

 

”はい! いきましょう!”

 

懐かしい記憶だった。

 

あの後、私達は軍を初めて指揮して戦の恐ろしさを身をもって知った。

 

敵の隊と出会ったのは、すぐ傍の鉱山であった。

 

ほんとうに、すぐそこにまで脅威の影はちらついていたのだ。

 

「あの後、色々あって本当に桂花さんは机に辞表を置いてっちゃうし、悠さんは行方不明になったかと思えば華琳様のところにいて……そして私達も助けて貰っちゃって軍も吸収かぁ。

 あはは、結局みんな魏に来たんだ、そう思えば面白いかも」

 

私達は村をその大きな力で救ってくれた麗羽様に感謝をし、喜んで冀州へとついていった。

 

これで私達の村が新たに麗羽様の統括する領土の境界となるので、常駐の兵を見張りのためにおくことになる。

 

村の皆も、見張りの兵達を相手に商売をし、逞しく村を運営しているらしい。

 

まだあれから一度も帰れてはいないが、元気だという報せは届いていた。

 

そして現状へと繋がっていく。

 

私は1つ、魏へきて驚いたことがあった。

 

華琳様達は万里の長城の整備をはじめ、異世界への対応を整える計画をしてくれている。

 

あのうず高く積もった大量の紙……たぶん私が見た計画書は、そのたった1つの事案だったのだろうけれど、それだけでもとても遠大なものであった。

 

どれほどの先を見据えてこの国は動くのか?

 

__私じゃあ、全然わからないや。

 

華琳様がこれだけの人材を集め、欲したのもわかる。

 

もっと必要なくらいなのだろう。

 

斗詩はピタリと湯のみを止めると、あることに気がついた。

 

__一刀さん……遅いなぁ。

 

斗詩がいい加減1人でいるのも飽きたなと感じてきた頃、ようやく一刀が帰ってきた。

 

なんだか顔色が悪いようにも見える、っていうか若干青い。

 

どうしたのだろうか。

 

「ま、待たせた、すまない」

 

「ずいぶんと長かったですね、何かあったのですか?」

 

「何か、か。

 あったというしかないな。

俺は今、夢の中にいるんじゃないかって、そう思うよ」

 

「夢? 大丈夫ですか?」

 

「斗詩、とりあえず海老料理はあとでもいいかな?」

 

「え? ええ。

 ですがどうしてですか?」

 

「ちょっと、すぐにでも見せたいものがあるんだ」

 

「わ、わかりました」

 

一刀と斗詩はお茶だけを飲んだ形で高級料理店、老山龍をでる。

 

周りの客からは奇妙な目線で見られたが、一刀は気にしている場合でもないようだ。

 

一刀は受付に何か話をつけると、そのまま店をでた。

 

そのまま裏路地へとでると、一刀は斗詩の手を引いて身をかがめるように指示した。

 

「あの一刀さん?

 こんなところでどうして……」

 

「シッ! もう少しで出てくるっていっていた」

 

よくわからないが、麗羽様が何かしているのだろうか?

 

斗詩と一刀が物陰から覗いていると、1人の白い服を着た店員がでてきた。

 

ゴミの入った大きい皮袋を持っており、そこから共同ゴミ捨て場へでも捨てにいくのだろう。

 

生モノが多く入っているからか、水を含んでかなり重いに違いない。

 

その人が途中で力尽きて、ふうっと地面に一度皮袋を置くとチラリとだけ横顔が見えた。

 

__麗羽様!?

 

間違いない、あの綺麗な横顔は麗羽様だ。

 

いつも丁寧に巻いている髪を無造作に結んで被り物の中に入れ、いつもの雰囲気がまるで残っていない。

 

でも、なんでゴミだしを?

 

「……ある日さ、随分と綺麗な人が店に乗り込んできたんだって、雇ってくれってさ」

 

「それが麗羽様?」

 

「ああ、もちろん駄目だって言ったんだって。

 料理の”り”の字も知らないし、なにより軍の兵士じゃないと、この店の店員はできないしな。 だけどなんべん言っても聞かなくてさ、ずっと居座ってたんだと」

 

「……スイマセン」

 

「そんでさ、たまたま流琉が店にいたらしいんだけど、この人は軍の関係者だって事だけ伝えて、城へと帰っちゃったんだって」

 

「ええ? じゃあその後、どうしたんですか?」

 

「そうなると残るのは料理の腕次第ってことになるんだけど、麗羽……包丁も持ったことないだろう?」

 

「間違いないですね」

 

「そんなド素人がやりたいってだけで入れるほど、甘い味はここではだしてないからさ。

 当然却下に、なるはずだったん……だ、けど……」

 

「な、何かまだ問題を?」

 

「麗羽がさ、とにかく料理を食べさせろと言ったんだ」

 

「は? 何言って……」

 

「いいから!

 そんでさ、半ば無理矢理に客の残り物だったんだけど、それを一口食べたんだ。

片付けてる給仕から奪うように」

 

「は、はぁ」

 

「そしたらさ………………ぁ、当てちゃったんだよね」

 

「何を?」

 

「食材と調味料の全て……しかも食材に至っては産地まで、ほぼ正解したんだとさ」

 

「ええ?!」

 

「俺もびっくりだ、そんな芸当華琳だって出来やしないよ。

 とにかく麗羽はとんでもない味覚と、食の経験値を持っているんだ。

それを目の前でみた店員がそれだけじゃ信じられなくて、追加で何品か食べさせてみたんだと」

 

「それじゃあ……」

 

「まさにお見事って訳だ。

 見当外れの答えもあったんだけどさ、よくよく業者を問い詰めて調べさせてみると、偽装だったり、手違いであったり、元請けが偽証してたりと、むしろまぁそっち側で問題がでてくる有様でな。

これはいい仕入れの出来る人材だと思って、雑用扱いになるけど雇うことにしたんだって。

 流琉もその話しを聞いて、承知はしていたらしい」

 

「じゃあなんで一刀さんに伝えないのですか?」

 

「どうやら俺は華琳にすっかり嵌められたようだな。

 流琉が俺以外で優先するとすれば、華琳か秋蘭、季衣くらいのもんだろ」

 

それだって一刀にとって不利や不味い事柄ならば、流琉は迷わず一刀へと伝えるはずだ。

 

しかし今回の場合、黙っていたほうがいいと判断して華琳に口止めされてたという所だろう。

 

__あの”なんとかしてこい”ってのは、斗詩をどうにかしろってことか?

 

あの困ったように笑う華琳の真意は、そこであったかと思い至った一刀は、ハァと溜め息を吐いた。

 

 

__じゃあなんとかしてやるさ。

 


 
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