No.401999

レッド・メモリアル Ep#.20「黎明」-1

母を失ってしまったアリエル。しかしながら、戦いはまだ終わっていないのでした。計画の最終段階を進めるベロボグ達―。

2012-04-03 08:01:45 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:554   閲覧ユーザー数:540

 

        1

 

 《ボルベルブイリ》における激しい首都攻撃が行われてから一か月後。

 『WNUA軍』は『ジュール連邦』に対してその勢力を拡大し、すでに首都のほぼ全てを手中に収めていた。『ジュール連邦』の国会議事堂が破壊されたことによって、『WNUA』は、『ジュール連邦』の政治の中心を支配する事に成功して、その国土に影響力を及ぼしていた。

 現在、『ジュール連邦』には、西側諸国と通じた新大統領が配置されており、社会主義制度を廃止する事で動いていた。

 さらに『WNUA軍』は、『ジュール連邦』が影響を及ぼしていた、周辺諸国に対しても、その勢力を拡大しており、すでに『ジュール連邦』傘下にあった、数か国を影響下に収める事に成功していた。

 すでに静戦は終了し、世界の東側にあった脅威は排除されたものと、『タレス公国』のカリスト大統領は発表していた。実際、旧『ジュール連邦』の政治体制は崩壊しており、その残党狩りも行われている所だったのである。

 もはや、『ジュール連邦』という国は存在していないも同然。新政権の樹立も間近に迫ってきていた。

 そんな中にあっても、カリスト大統領の懸念は尽きなかった。『ジュール連邦』内で暗躍していた男、ベロボグ・チェルノは死亡したものと報告されていたものの、彼の組織の残党の勢力が身を隠しており、まだどこかで活動を続けているという、諜報員からの報告が相次いだ。

 一方で『タレス公国』に対して、鉄槌を振り下ろしたような、ベロボグ・チェルノの自信は、忽然と姿を消してしまった。

 そして、《イースト・ボルベルブイリ・シティ》での抗争は依然として続いており、静戦は完全に終わったとは言い難かった。

 例のロボット兵らが、この《イースト・ボルベルブイリ・シティ》を守るかのように配備されており、『WNUA軍』はこのロボット兵ら相手に苦戦を強いられてしまっていた。ロボット兵は、一体一体が戦車のようなものであり、また用意周到であり、暗躍をした。

 《イースト・ボルベルブイリ・シティ》における軍事侵攻は思うように進まなかった。『WNUA』側としても、この地だけは何としても収めたかった。何しろ『ジュール連邦』の中で最大の経済都市でもあったのだから、ここを手中に収めることで、経済的にも東側諸国に優位に立てるのだ。

 これも、ベロボグ・チェルノの行った計画だ。彼らはこの《イースト・ボルベルブイリ・シティ》を守る何かの理由があるのだろうか。

 静戦はまだ終わっていない。あのベロボグ・チェルノの勢力を完全に破壊するまでは、戦争は終わることは無いのだ。

『ジュール連邦』『WNUA軍』駐屯地

γ0080年5月11日

 

 『ジュール連邦』の首都、《ボルベルブイリ》の中心からそれほど遠くない、元政府官舎を利用して、『WNUA軍』の情報部の臨時施設が設置されていた。この地を利用して、『WNUA軍』はよりこの東側の世界の支配を完璧なものとしようとして、活動していた。

 アリエル・アルンツェンはこの地に、ベロボグ・チェルノの組織に関する重要参考人として、拘留されていた。

 拘留されていたと言っても、依然としてこの『ジュール連邦』内に残る急進派テロリストのような扱いとは違う。それほど広くはないが、宿直室のような場所に拘留されているだけであった。

 アリエルは、ベロボグの娘という事、そして、ベロボグ・チェルノに関する情報をもっともよく知る人物として、重要参考人として、保護されているという扱いが正しい。彼女は秘密裡に行われているという拷問をされることもない。ただ、長時間における事情聴取が行われる事はあった。

 しかし軍側も、彼女が精神に深いダメージを負ってしまっているという事が分かると、事情聴取はあまりする事はなく、彼女を拘留、というよりもむしろ保護するという形になっていた。

「今日も、ほとんど何も食べていないのですか?」

「ええ、最近ではほとんど口をきくことも無くなってしまいましてね」

 部屋の外から聞こえてくる声がある。アリエルは狭い部屋、そうは言っても刑務所のような牢獄ではなく、ワンルームアパートの一室のような部屋であったが、そんな部屋にいたまま、まるで虚像の中で過ごしているかのような一か月を過ごしていた。

 全てが、一か月前の一週間ほどの時間で変わってしまった。実の父親、そして母親との再会。しかしながらそれはアリエルにとってみれば、全てが悲劇となってしまう出来事であったのだ。

 その一週間は一体何であったのか。今のアリエルにとっては、それは現実味を持たない空虚な存在であるかのように思えた。

 本当に、実の父親や、母親などいたのだろうか。シャーリや、レーシーという子が姉妹であったのは、本当の事だったのだろうか。今では、父も母も、そしてシャーリ達もアリエルの前に姿を現さなくなってしまった。だからそれを確かめることなどできないのだ。

 アリエルは全てを失ってしまった。この『ジュール連邦』という巨大な大木が折れると共に、アリエルも何も失ってしまったのだ。

 今では空虚のような存在。中身の何もない、ただのからっぽの箱ともいえる存在として、ただ、やはり箱のような部屋に押し込められ、生きているだけに過ぎない。

「アリエルさん」

 そのように言って、部屋に入ってきたのは、アリエルもすでに顔なじみになっている、西側の世界からやって来た、心理カウンセラーの女性だった。年頃は40代といったところだろうか。『WNUA軍』に所属しているカウンセラーであるらしく、この戦争で、心理的にダメージを受けた、軍の兵士のみならず、『ジュール連邦』で戦火に巻き込まれた子供や、大人のカウンセリングを行っているのだという。

 そして、アリエルもその対象の一人だった。

「今日は、何の用事でしょうか?」

 アリエルは、何ともそっけない声でそのように言っていた。

「今日は、あなたに大切な話を持ってきたの」

 カウンセラーはそのようにジュール語で言ってきて、狭い部屋の中へと入ってきた。

 扉が閉じられると、そこは、プライベートな空間となる。刑務所とは違って、外から誰にものぞかれる事は無い。ただ、窓は開かないようになっており、アリエルをここから出さないように保護されている。

「私に、大切な事なんて一体何が?」

 その言葉通りだった。アリエルにとってみれば、もはやすべての出来事が意味を成さなくなってしまっている。戦争の事も、世界の事ももはやどうでも良い事だった。

「いいえ、大切な事だわ。あなたは、自分の出生の事を知らないままにしておいてよいの?」

 と、尋ねてくる。だが、それさえも、今のアリエルにとってはよもやどうでも良い事だったのだ。出生の事を、今更知ったところで、一体何が起こるというのだろう。もはや何も起こることは無い。ただ、空虚のような毎日が続いていくだけだ。

「もう、大分分かっている事です。これ以上知らなくたって構いませんよ」

 アリエルは、またしても空虚な声でそう答えるだけだった。

「そう。でも私は、きちんとこの事をあなたに話すように言われて、ここにやって来ているの。だから、話すだけは話しておくことにしておくわ。それに、これをきちんと受け取ってもらわないといけない」

 そう言って、カウンセラーは少し大きな紙袋を持っていた。デパートの大きな袋ほどはあって、中には様々なものが入っているらしく、それが音を立てていた。

「それは何ですか?」

 奇妙なものを持ってきたカウンセラーに、さすがにアリエルも興味を惹かれた。彼女が持ってくるものと言えば、たいてい、簡単な書類程度でしかなかったのに、そのような大きな入れ物を持ってくるなど、あまりにも珍しかった。

「これは、あなたの本当のお母さんの方の遺品よ。きちんと、あなたの弁護士にも許可を取って持って来ている」

 弁護士、とはアリエルも数回しか会っていない人物だった。一応、西側世界の法律上、軍が拘留するからには、専属の弁護士が付かないといけない決まりになっているらしい。だが、今のアリエルにとっては、このカウンセラーの方が、よほど弁護士らしい存在だった。

「遺品…」

 アリエルは思わずそう言っていた。彼女は紙袋を受け取るが、それは結構重いものだった。

「ええ、セリア・ルーウェンスさんの所持品よ。彼女は遺言も何も残していなかった。だから、それを受け取るのは、実の娘であるあなたという事になる」

 アリエルはその紙袋を床に置いて尋ねた。

「という事は、もう判定は出たという事なんですか?」

「正確に言うと、あなたの血液検査と、セリアさんの軍での検査結果を照合するだけで良いのよ。だから、あなたとセリアさんが、実の親子だという事はすでに証明できていたわ。だた、話す機会が無かったの。この遺品が纏まって、あなたと会う時が一番良いと思っていたのよね」

 遺品。母が残したというもの。生前に持っていたものとしては、この紙袋一つではあまりにも少なすぎるかもしれない。

 自分の方がよほど沢山のものを持っている。これではあまりにも少なすぎてしまう。

 母はどんな人だったのだろう。アリエルは考えた。実の母に直接会ったのはほんのわずかな時間でしかなく、しかも交わした言葉さえ、母国語のものではなかったのだ。実の母がどのような存在なのかという事さえ、アリエルにはほとんど知りようも無かった。

 だが、この遺品さえ見れば、母の事が何か分かるかもしれない。彼女の残したわずかな遺品から、それを知ることができるのかもしれないのだ。

「ああ、あと、それからね」

 カウンセラーは、アリエルにさらに付け加えてきた。

「やっと、あなたの育ての方のお母さんと会えるように手配できたわよ。突然すぎて申し訳ないけれども、もうこの施設に来ているわ」

 その言葉に、アリエルははっとした。

「私のお母さんが?」

「ええ、育ての方のお母さんよ。彼女も事情聴取で何度かこの施設に来ていたんだけれども、あなたに会わせる許可が下りなかったのよ」

 カウンセラーのその言葉に、アリエルは、何かを注ぎ込まれたかのようだった。それは生命の力なのか、それとも何なのか。ただ、とにかく今まで完全に無気力の底へと落ちていたアリエルを突き動かすには十分なものだった。

「すぐにお母さんに会わせてください」

 アリエルは思わず立ち上がってそのように言った。

 母と対面できるのは、施設内に設けられた部屋の一つだった。これでアリエルが放免になるかと言ったらそうでもないらしく、まだ、完全に事情聴取が終わるまで、そしてアリエルの保護という意味で、しばらくはこの施設にいなければならないらしい。

 それはアリエルの育ての親である、ミッシェル・ロックハートも同様だった。

 ベロボグの組織は壊滅したと見込まれているが、まだその残党が活動している可能性があるという。『ジュール連邦』が、ベロボグ・チェルノもろとも完全に『WNUA軍』によって制圧されるまでは、アリエルもミッシェルも保護される必要がある。それは彼女らの自由にできない事だった。

 だから、アリエルとミッシェルが一か月ぶりに対面する事になる部屋も、決して居心地の良いような部屋ではなかった。

 そこはあたかも、刑務所の面会室のような所であり、『WNUA軍』の見張りらしき者に見張られたままでの面会だった。

 アリエルはそこで、一か月ぶりに養母と再会した。彼女は自分で立っており、一か月前、ベロボグ達の手によって、脳の移植手術をさせられた時よりも、ずっと元気になっているようだった。頭の包帯も取れており、元気そのものと言えた。

 母と対面したときに、まずアリエルがした事は、彼女との抱擁だった。ただ、自分の本能がそうするがままに、アリエルは母と抱擁を交わした。

 黙ったままの行為だった。しばらく、アリエルは無言のままに母との抱擁を交わし続けた。

 そしてやがて言葉が出てくる。

「お母さん…」

 涙ぐんでいたのか、何かの感情が現れていたのか、アリエルには分からなかった。だた、彼女はすでに感情に身を任せる事しかできないでいた。

「私、私は…」

 アリエルはそのように言いかけている。だがそれを、養母は制止するかのように言ってきた。

「いい。いいのよアリエル。あなたはもう十分に頑張った。だから、あなたはもうこれ以上頑張らなくていいのよ」

 ミッシェルはそのように言って、アリエルをぐっと抱きしめた。もう彼女を手放さない。そう言わんがばかりに、アリエルは養母に抱きしめられていた。

 

        2

 

 その頃、リー・トルーマン、そしてワタナベ・タカフミは、アリエル達が保護されている施設へと二人でやって来ていた。もうその身分を隠すことも無く、ただ二人は堂々とその施設へと姿を現したのである。

 リーは堂々とした姿でその場に現れていたが、タカフミは戸惑い気味だった。そもそも彼らは『WNUA軍』に属している者ではない。ましてリーに至っては、そんな『WNUA軍』を裏切って独断行動さえしている。ここで逮捕されてしまってもおかしくはないのだ。

 だが、リー達は堂々とこの施設へとやって来る事ができた。

 正面玄関にいる者達も、リー達が持っているパスを見るなり、少ししかめ顔をしたものの、車を中に通してくれた。

「やれやれ。この判断が正しいとは思えないがな」

 タカフミは施設の中に足を踏み入れるなり、そのようにリーに向かって言うのだった。

「我々の組織の長。そして、『WNUA』側の判断だ。間違った行為とは思わない事だ。何にせよ、ベロボグに近づくためには必要な事なんだ」

 リーはそう言いながら、自分がタカフミを先導するかのようにして、施設の中へと入っていく。

 施設の中に入ると、そこでは即席で作られたボディチェックと、金属探知機が用意されていた。

 リーとタカフミは携帯していた銃と携帯端末を差し出し、『WNUA軍』の者たちがそれを受け取る。

「まさか、我々の組織が、公に国の大統領たちと交渉を交わすとは、思っていなかったさ。こんな事は、100年近い歴史の中でも初めてだ」

 タカフミは銃を差し出しながらそう言った。

「ああ、初めてだ。そして、最初で最後になる」

 リーも自分の銃をその場で差し出す。これで彼らは『能力者』とはいえ、無防備になってしまうのだった。

 しかしそれでも抵抗は無い。何しろ、非常に硬く、誓いは守られているのだからだ。

「組織が歴史の表舞台に出るという事は即ち、その場で組織自体が解体する事になる。もはや組織の意味を成さなくなるからだ」

 そのようにリーは言った。それは自虐的な言葉だったが、彼はそのような表情を一切見せなかった。まるで、この状況が正しい事であるかのように、固い決意に守られていた。

 一方で、同じ施設内にいる、アリエルとミッシェルは長い抱擁を交わした後、ようやく落ち着いて会話をする事ができるようになっていた。

 その場ではお茶が出され、あたかも刑務所の面会室のように無機質なところではあったけれども、とりあえず、落ち着くことはできていた。

「あなたの本当のお母さんの遺品、ね。わたしも、あなたの本当のお母さんについては全く知らなかったけれども、それは、あなたのお父さんが隠していたからよ」

 テーブルの上にはアリエルの本当の母、セリア・ルーウェンスの遺品が丁寧に並べられていた。そこには、日々使われていたらしい化粧品などもあったし、簡単な文房具類、そして、軍で得たのだろう、勲章もあった他、身分証明書として健康保険証があった。

「あなたの本当のお母さん。セリア・ルーウェンスさんについては聞いている?」

 ミッシェルは、タレス語で書かれている健康保険証を手に取り、それをしばらく眺めていた。その健康保険証が何を意味しているのだろうか。

「実際に会ったというだけ。あと、軍隊にいる人だっていう事は聞いているけれども」

 アリエルはそう言った。それだけだ。実際に会ったのもほんの1時間程度の時間だけ、その他の事については何も聞かされていないのだ。

「この人、退役軍人の健康保険証を使っている。それに軍のIDも持っていない。この人は、退役軍人よ。こんなに若いっていうのにね。きちんと名誉除隊をしている。でも、もう軍と何の関係も無いも同然という人のはず。なのに、なんでこんなところまでやって来たのか分からないわ。

 現住所も、『タレス公国』の首都からは遠い所になっている。身寄りもいないようだし、孤独だったようね。遺品がこれだけというので、よくわかるわ」

 養母ミッシェルはそのように言った。彼女は自分よりも、そしてセリアよりもずっと大人だから分かるのだろう。

「今も、まだ実感がわかないでいる。本当の母親を失ってしまって、そのことで私は悲しいのか、それとも、どうなのか。それさえも分からない。私は一体何者で、これから一体どのようにしていけば良いのか。何もかもが目まぐるしく私の周りを通り過ぎて行った。だから、私はどのように感情を示したら良いのか、それさえも分からないでいる」

 アリエルは自分の思うがままに、言葉を述べるのだった。

 母は今度はアリエルの手を握ってくる。

「そうね。まだ若いあなたには、あまりにも辛すぎたかもしれない。でも、もう頑張る必要は無いわ。あまりにも一瞬の事過ぎて、それでも、あなたは頑張りすぎてしまった。あのベロボグ・チェルノに言われるがままに、自分を追いつめてしまったの。でも、もう関わる事は無い。あなたはあまりにも頑張りすぎてしまったのだわ」

 その養母の言葉は、アリエルにとっては、今まで何度もカウンセラーと会い、自分の心の内を明かしてきた事よりも、ずっと心が休まる事となった。

 だが、やはりまだ気になってしまう事がある。『WNUA』の人々からは、父はあの《イースト・ボルベルブイリ・シティ》のビルで死亡したと聞かされている。だが、本当はどうなのだろうか。

 アリエルはまだ安心する事ができなかった。もしかして、自分と養母をここに置いて、軟禁状態としている事は、父、ベロボグ・チェルノは生きていて、やはり自分を狙っているのではないのか。そして『WNUA』は、父に自分が渡る事を恐れている。だからこそこの行動をしているのではないか。そう思った。

「お母さんは、私の父が生きていると思う?」

 アリエルは突然、そのように尋ねた。

「あなたは、あのベロボグ・チェルノは本当に自分の父親だと思っているの? もしかしたら、そのように騙されてしまったのではないのかと、そう思ったりはしないの?」

 ミッシェルはそう言ってきた。だが、アリエルの脳裏にはしっかりと残っているものがある。それは記憶だった。自分の頭の中に閉鎖されて残されていた記憶。

 アリエルは父の施設の中で、その記憶を呼び起こされていたのだ。そして、養母も、自分さえも忘れている記憶を呼び起こされる事となった。その記憶が偽物で作られたものとはとても思えない。あれは確かにアリエルの中にあった記憶であり、父はそれを呼び起こさせようとしたのだ。

 アリエルは、だからこそ父親についていこうとした。父が正しい事をしているからこそ、彼についていこうとしたのだ。

「私は、本当に父が、悪い事をしていたのか、分からない。もしかしたら、やっぱり父についていくべきだったんじゃあないかと、そう思っている」

 アリエルは、呟くかのように言葉を述べた。

 ミッシェルはアリエルから手を離さないままに答えてくる。

「ベロボグ・チェルノの事は、もういいの。あの人が、本当の父親であったのか、それとも本当の父親でなかったという事なんて、もう忘れていいの。あの男はテロリスト。もう、あなたは関わらなくていい。もうこれ以上、危険な事に足を踏み入れなくていいの。

 確かに戦争は起こってしまって、『ジュール連邦』に住んでいた人達の暮らしも変わってしまったわ。でも、あなたがそれに関わる必要なんてないの。また、学校に行って、大学にでも行きなさい。あなたの人生が、なぜ、一人の男に決められなければならないの?それが父親だってそうだわ」

 ミッシェルはそのようにはっきりと言った。養母は温厚な性格をしているが、時として厳しい態度を取る時がある。ちょうど、今の母がそうだった。

 彼女はアリエルに対して、はっきりとした口調で、言葉を告げてくる。それは迷わないかのような意志であり、はっきりとした意志がアリエルにも伝わってきた。

 養母の言葉は、あの父の言葉よりも確かにアリエルに伝わってくる。もし話がこの段階で終わっていたならば、アリエルも養母の言葉をそのまま受け入れただろう。

 しかしながら、そうはさせられなかった。

 面会室の扉が開かれて、そこに軍服を着た男が現れた。何の断りも無く、突然、面会室の扉は開かれていた。

「お話の途中で申し訳ありませんが」

 そのように軍人はジュール語で言ってきた。

「一体、何の用事なの。勝手に入ってきて」

 ミッシェルは少し苛立ったかのようにそう言う。

「あなた方に会いたいという人が訪れています」

「一体、それは何者?」

 ミッシェルが変わらぬ口調でそのように言うと、軍服姿の男は即座に答えてきた。

「リー・トルーマン氏と、タカフミ・ワタナベ氏です。『WNUA』からの依頼でこちらに来たとおっしゃっています」

 その言葉を聞いて、ミッシェルは顔色を変えるのだった。

「帰ってもらって頂戴。あの人達は、私の娘を散々に振り回したのよ。もう、そうっとしておいて欲しいって言ってね」

 ミッシェルはそのように言って、軍服の男を突き放そうとするのだが、彼はさらに一歩部屋の中へと足を踏み入れてきた。

「ですが、会っていただきます。『タレス公国』の大統領命令で彼らはここに来ていますので」

 彼はそう言って来るものの、ミッシェルは頑として譲ろうとはしなかった。

「得体のしれない組織の連中が、何で、大統領命令なんかでここに来れるのよ!あんた達は、彼らを逮捕したってよいはずよ」

 養母が感情的になっている。だが、それは自分を守るためだという事は、アリエルにもはっきりと分かっていた。彼女は自分をこれ以上何かに巻き込まないために、必死になって守ろうとしている。

 だがアリエルは、本当にこのまま皆に守られ続けなければならないのか。本当に自分はこのままで良いのかという感情を抱いていた。

「その人たちに会わせて」

 アリエルは思わずそう言っていた。それは本当に自分の口から出た言葉だったのだろうか。

「アリエル。あなたは黙っていなさい」

 そのように養母は言って来るのだが、アリエルはすでに椅子から立ち上がっていた。

「いえ、お母さん。私は自分で決めたいの。自分が進むべき道というものを自分で決めたい。私には本当のお母さんがいて、そして父は危険な事に手を出している。それはもう受け入れた。この一か月、じっくりと考えて、私はそれらを、自分に与えられた運命として認めることができたの。

 私はその運命から逃げるつもりはない。これから、私は生きていくために、それらの運命を認めて、先へと進みたい。そのためには、あの人達と会わなければならない。そして、本当の事を知りたいの」

 それはアリエルの本心だった。包み隠すことも何もない。この一か月間、あたかも魂が抜けたかのような存在だったアリエルだったが、それはこの答えを出すために必要な事だったのだ。

 いつまでも、自分の運命から逃げているわけにはいかなかったのだ。今まではそれを受け入れることができないでいた。だが、今は違う。その全貌を見ることはできないでいるが、どのような事でも受け入れる事ができる準備はできている。

「アリエル。あなたは、もういいのよ」

 ミッシェルはそのように言って来るが、

「じゃあ、お母さん。私の脳だかに埋まっている、デバイスというものはどうなるの?これが、とてつもないものだというものは聞かされた。だから、私の父や、その周りの人たちはこれを狙ってきている。

 この脳に埋め込まれたものは、一生取ることができないって聞かされた。だから私は一生、この宿命から逃れることができない。決着をつけるまではね」

 その言葉を堂々と言う事ができたアリエル。養母はそれを、唖然としているかのような顔で見てくる。

 そして彼女はため息をつくのだった。

「ふう、やれやれ。あなたという子は。あなたが、いつまでもくよくよするような子じゃあないっていう事くらいはわたしも知っている。だけれどもね、これは親としての忠告よ。話は聞くだけ。あなたはそれ以上何も行動をしない。それで良いわね。嫌とは言わせないわ」

 母はそう言ったのだが、アリエルは納得しなかった。

 ただ話を聞くだけで終わろうはずがない。アリエルはそのような事くらいすでに分かっていた。

 

        3

 

 組織が、『タレス公国』ら『WNUA』と同盟を組む事で、協定にも似たものが結ばれたのは二週間ほど前になる。

 そもそも組織という存在自体、外部に知られないものであったが、セリア・ルーウェンスらと接触した組織は、『WNUA』軍にその存在を知られるようになってしまった。それが一か月前の話だ。

 組織に属する人間は皆口が堅い。彼らは自分達が水面下で行動している、多国籍諜報団体であるという事を外部の人間に、特に『WNUA』に明かすことは無かった。しかしながら、ベロボグ・チェルノの存在を追っていると言う事では、理念が一致していた。

 組織はその正体を長年、それこそ100年以上もどの国の政府にも、捜査機関にも、企業にさえも知られる事は無く活動を続けてきた。活動を続けられる理由は、各国の政府の中、例えば、議員などに内通しており、そこから資金提供をされてきたためである。

 目的は諜報活動、そして、世界のバランスを保つ事を大きな目的としていた。それは静戦という形で硬直状態にあったはずである。

 組織は、様々に背後から根回しをすることによって、その静戦でのバランスを保とうとしていた。どちらかが攻撃を仕掛けることが無ければ、世界のバランスは保たれる。世界が二分していれば、細分化されてしまっている世界よりも、ずっと操作がしやすい。

 そして組織の予想では、『ジュール連邦』が広めている社会主義体制は、いずれ自然消滅するものと見られていた。『ジュール連邦』の内面を見てもそれは明らかであり、いずれ経済崩壊を起こし、西側諸国のような資本主義体制へと移る事は、そう遠くない未来にやってくると思われていた。

 しかし、その予想を覆す事態が起こる。それが、ベロボグ・チェルノの存在だった。

 彼は突如としてこの世界に登場し、巨大な鉄槌を振り下ろし、静戦を本物の戦争にしてしまった。彼の行いは、組織としても予想がし切れない事であったのだ。

 ただのテロ攻撃ならば、戦争に発展する前にそれを食い止める力が組織にはある。だが、今回の攻撃は決定的過ぎた。

 そして何より、ベロボグ・チェルノ自身が、元組織のメンバーでもあったのだ。

 彼が組織を離れ、独自の財団である、チェルノ財団を立てた後も、組織は彼の事をマークし続けてきたが、その影響力は世界規模のものとなっており、もはや、組織の理解を超えるほどのものとなっていた。

 だが、ベロボグ・チェルノが、元組織のメンバーであると言う事が幸いした。『タレス公国』のカリスト大統領は、組織のその時のベロボグ・チェルノの情報の引き出しと共に恩赦を出した。

 組織の今までの行いも認められ、メンバーが検挙される事は無かったし、今後、ベロボグ・チェルノの逮捕、彼の組織の解体までは全面協力をするという条件で合意した。

 しかしながらそれは、影で暗躍してきた組織の存在が明るみに出るという事である。まして、一国の大統領に存在を知られ、『WNUA』と協力をするともなれば、この組織の隠蔽を続けることはできない。

 恩赦を受けるという事は、同時に組織の解体をも意味していた。

 リー・トルーマンと、タカフミ・ワタナベの二人が、堂々と『WNUA』の占領施設にやって来られるのもそうした理由からである。

 『タレス公国軍』の対外諜報本部で、潜入任務にあたっていたリーも、軍に様々な事を隠匿してきた罪に関しては不問となった。だが、これからは包み隠さず、全てを『WNUA』に報告していかなければならない。

 このアリエル・アルンツェンとの面会もその一つだった。

 約一月ぶりに会ったアリエルの顔は、リーが思っていたよりも普通のものだった。血のつながった母親の死を目の当たりにし、父の様々な陰謀を目の当たりにしてきたばかり、そして自分が住み慣れた街は、世界の反対側の国によって占領されている。そのような状況下にある、18歳の少女の気持ちはどんなものなのだろうか。普通だったら耐えることができないだろう。

 だが、アリエルは思ったよりもはっきりと、物事に受け答えをする事ができていた。

 もちろん、そんな彼女が簡単に組織側に協力してくれるはずもなかったが。

「父の事は私は何も知りません。ただ、出会って、彼に色々と言われて、それだけです」

 面会室で出会ったアリエルから帰ってくる言葉は、そのようなものだった。しかしながら、組織としても、『WNUA』としても、アリエルはベロボグ・チェルノと繋がる唯一の手がかりでもあるのだ。

「だが、君の父はまた何かの攻撃を我々に仕掛けてくる可能性がある。《プロタゴラス空軍基地》では、民間への被害は幸いにも無かったが、軍施設を攻撃してきて、2000人以上が犠牲になった。それを君の父は、世界の反対側にいながらにしてやってのけたんだ」

 リーはアリエルにはなるべく刺激を与えないように努めていた。だから、惨劇の写真などは一切持って来ていない。

 そして、アリエルがベロボグから何も知らされていないというのは、当然の事であることも分かっていた。彼はたとえ自分の娘であっても、話していない事が多くあるはずだ。何しろ、自分の娘さえも、手駒として扱うような人間だ。

「あなた達。そんな何度も質問してきているような事を、またしに来たわけではないでしょう?要件をきちんと言いなさい」

 手ごわいのは、アリエルの養母であるミッシェルの存在だった。彼女は何としてもアリエルを、これ以上危険な道へと踏み込まさんとしている。

 彼女は元『ユリウス帝国軍』の将校だったような人間だ。そう簡単には協力させる事はできないだろう。いくら、遠回しに話そうとしても、読み切られてしまうのだ。

「ええ、その通りです」

 そう言って、リーは相手の歩調に合わせるようにした。

「駄目ね。どんな状況にしろ、私の娘をこれ以上危険な事に巻き込まないで頂戴。そもそもわたし達はもう、俗世の事とは関わらないようにしているの」

 ミッシェルはそのように言って来るが、

「私は、あなたに話をしているのではありません。彼女に話をしている。これは、あなた達にも関わってくる問題です」

 と言うリー。もしベロボグの残党が彼女らを襲撃してくれば、恐らく再び、彼女らにとって関わりたくない事に巻き込まれてしまうだろう。そんな事は、アリエルもミッシェルもしたくないはずだ。

「だから、あなた達は、さっさと、あのベロボグ・チェルノが生きているのかどうなのかを突き止めて、残党がいるならば、そいつらも全て排除してしまえばいいでしょう?」

 ミッシェルの言葉が攻撃的なものとなった。彼女達が関わりたくないという事は分かるが、リー達もそう簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

「あなたも、軍にいた人間ならば分かるはずだ。そう簡単に物事がいかないという事を」

 そう言ったのはタカフミだった。アリエル達を協力させなければ、自分達の組織の解体の意味がなくなる。彼にも確固とした目的がある。

 ミッシェルは少し自分を落ち着かせるかのようにその場をうろうろとした。

「お母さん…」

 アリエルが心配したかのように、ミッシェルに言うが、

「わたしは、頭に施術を施されて、ベロボグに脳の一部を奪われたわ。そして、アリエルはベロボグに洗脳されて、テロリストに引き入れられてしまうところだった。どれだけそれが恐ろしい事だったか分かる?」

 それはリーにも分かる。だから彼はアリエルを救おうとした。ベロボグは正義論を唱えているが、結局のところ、彼はテロリストに変わりは無い。

「ベロボグは、結局のところ、生きているの?あなた達ならば分かるでしょう?もし少しでも生きている可能性があるならば、どこにいようと安心する事はできないわ」

 ミッシェルの言葉にリーはどう答えようかと考える。だが、結局のところ、彼女相手には正直に答えるしか方法がないだろう。

「我々は生きていると踏んでいます。そして、今でも奴は何かの策をこらしている。彼はただ、『レッド・メモリアル』というデバイスを手に入れたいだけだったのか?それだけのために戦争を?いいえ違うでしょう。もっと大きな目的があるはずです」

 その頃、ベロボグの娘であるシャーリ・ジェーホフは、父が建設したある施設にいた。

 その施設では今だ残っている、父を慕う者達が集結し、計画を最終段階へと導いていこうとしていた。

 《イースト・ボルベルブイリ・シティ》の攻撃は凄まじいものだったが、何とか生き延びる事ができた。あの都市を拠点とした活動は、止む無く中止をせざるを得なかったが、まだ父の目的は残っているのだ。

 その目的こそ、父が目指した、より崇高な世界へと導いてくれるものに違いない。シャーリはそう信じて疑わなかった。

 鉄骨やパイプがむき出しの通路を歩き、シャーリは施設の奥深くへと入っていく。ところどころで、蒸気やスチームが上がっており、空気がとても暑い。ここは極寒の地にあるというのに、まるでストーブの中にいるかのようだった。

 計画の最終段階はこの地で動いている。シャーリは通路を進んでいき、施設の中核となる部分へとやって来ていた。

 重々しい音を立てて扉が開いていく。そこにシャーリは足を踏み入れた。

 鉄骨や打ちっぱなしの壁はとても無機質だったが、そこはコントロールルームとなって整備がされていた。

 数多くのコンピュータ光学画面があり、そこの前には父の部下達がおり、この施設全体の制御を行っている。

 そしてその部屋の中央に父はいた。シャーリは、ゆっくりと一歩一歩を進めて、父の傍へと近づいていく。そこには妹であるレーシーもいた。

「お父様、ご容態はいかがですか?」

 シャーリがそう尋ねると、父、ベロボグ・チェルノはこちらを振り向いてきた。その顔は半分が崩れかかっており、その崩れかかっている部分からは、金属がむき出しとなっていた。あたかも、サイボーグか何かになってしまったかのようだが、そうではない。

 父は、過度に他者の『能力』を吸収しすぎたために、肉体の崩壊が始まってしまっていたのだ。あの《イースト・ボルベルブイリ・シティ》でのビルへの爆撃から、身を呈して自分達をかばってくれたのは父だった。その時に彼は重傷を負ってしまい、ミッシェル・ロックハートから吸収した治癒能力を使ってそれを治療しようとした。

 だがその傷は治療できたものの、同時に、父の体は崩れ出していた。あたかも物が融解するかのように壊れていってしまったのである。

 シャーリは父の事を心配していた。そして、できる事ならばそれをかっわってやりたいとも思う。今、重要な存在なのは、自分ではなく父なのだ。

「私の事を心配してくれているのかね?シャーリ?」

 そのように片手を上げつつ、父はシャーリに言ってきた。彼の片手も、すでに崩れかかってしまってきている。

「ええ、心配ですわ。とても心配。お父様が目的を果たせず、このままどうなってしまわれるのか。私はとても心配なのです。

 だが父はその醜くなってしまっている顔を微笑させて言ってきた。

「案ずるな、シャーリよ。この計画において必要になってくるものは私ではない。私もやはり、駒の一つに過ぎないという事だ。この鉱脈を掘り当てることを見届けられるか、それさえもまだ分からない。だが、わたしはお前たちが…」

 ベロボグはそこまで言いかけるのだが、

「止めてくださいお父様!それから先に、あなたが何を言いたいのかという事くらい、シャーリにはすでに分かっています!」

 そのように言って、彼女はベロボグの言葉を制止するのだった。

「ねえ?シャーリ?一体どうしたのよ?お父様なら大丈夫だよ。何て言ったって、あたし達のお父様は無敵なんだから。ねえ」

 そのように言葉を発したのはレーシーだった。こんな子供だから何も分かっていないだろう。お父様の体はどんどん崩れていってしまっているのだという事を。

「ふふ。ほれ、レーシーはこのように言っておるぞ。お前の心配には及ばんという事だよ、シャーリ」

「ですが…」

 とにかくシャーリにとっては、お父様の事が、心配で心配でしょうがないのだ。お父様を失いかけた事は何度もある。だが、その度にシャーリは自分の命さえも削り取られそうな思いをさせられる。

「案ずるなシャーリよ。大義のためには犠牲さえもやむを得ないという事を、お前には何度も教えてきたはずだ。そして新しい王国のためには、私のように老いぼれた存在よりも、お前のように若々しい存在の方が不可欠なのだ」

 父は、アリエルとは言わず、自分の名を呼んでくれている。それだけでもシャーリは少しほっとできる。一か月前の、ほんの短い期間。父は自分の事ではなく、アリエルの事ばかり気にかけているかのような時期があった。

 だが今は違う。お父様は自分の事だけを見ていてくれるのだ。

「してシャーリよ。鉱脈さがしの方は順調か?」

 それが今のすべての目的だ。そのためだけにこの組織は動いている。全勢力がこの地に集結をしているのだ。

「順調ですわ、お父様。この地こそが、かの地であるのは明白です。お父様は、未だかつて誰も見つけることの無かった、鉱脈を発見なさったのです。そのためには、あと『レッド・メモリアル』が必要になります」

 シャーリはそのように言った。これでも父を励まそうと最大限の努力をしている。

 すると父は頷く。

「そうか。それでは、この地が、新しい国の始まりの地になるのも、そう遠い事ではないようだな」


 
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