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少女の航跡 短編集12「天国の門」-1

とある海岸へと打ち上げられていた、生まれたままの姿の女、その正体は―?

2012-03-17 09:41:25 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:597   閲覧ユーザー数:570

 人気のない海岸に打ち上げられていたその女は、一糸纏わぬ姿をしており、彼女の外見が

大人でなければ、正に生まれたばかりの子供であるかのようにさえ見えただろう。

 

 真っ白な肌と、傷も染みもない体を持つ純粋な姿をした彼女は、波が打ち寄せる浜辺に、た

だ横たわっていた。

 

 やがて朝日も登ってくる頃になって、ようやく彼女はその目を開いた。

 

 自分が何者なのか、そして今、自分がどこにいるのかという事さえ分からない様子で彼女は

周囲を見回し、ようやくその身を起こすのだった。

 

 彼女は長い眠りから覚めたかのような、そして、何の邪魔もされずに熟睡した後に目覚めた

時の様な、何とも解放的な気持ちにさせられていた。

 

 しばらく、茫然とその場にいて朝日と共に打ち寄せる波の姿を見ていた彼女だったが、やが

て自分の存在を思い出したかのように、自分の両手を開いてみた。

 

 彼女は気がつきはじめていた。自分は生まれたばかりの新しい存在であると言う事を。

 

 やがて彼女はその場から立ち上がって歩き出す。誰もいない浜辺を、どこに行くあてもないま

ま歩き出すのだった。

 

 砂の感触を裸足の足で感じながら、海から寄せてくる海風を感じながら、そして、海の匂い、

朝日の明かりを感じながらただ歩いていく。

 

 ここはとても静かだった。人の気配はおろか、動物の気配さえも感じる事はない。だから彼女

は全てのしがらみから解放された、とても解放的な気持ちにさせられていた。

 

 朦朧とした意識が続く。あたかも夢見心地にいるかのような感覚だ。しかしながらそれは夢で

はない。彼女は確かに自分がここに存在しているのだと言う事を、両足で感じる砂の感触か

ら、そして、感じる風の感触から、自分がここにいるという事を確かに感じる。これは夢うつつで

はなく、現実なのだと言う事を確かに感じていく。

 

 そして、自分が生きているのだという事も、彼女ははっきりと感じた。

 

 誰もいない浜辺を彼女は歩いていく。

 その日は何も起こらなかった。やがて日が落ちて、この世界の果てに取り残されてしまった

かのような浜辺は静かな雰囲気を保ったままだった。

 

 夕日が落ち、辺りが寒くなって来ても、不思議と彼女はその寒さを感じる事は無かった。ただ

彼女は自分自身がほのかな暖かさに包まれている事を知った。

 

 そして、誰も見ていない浜辺で彼女は横になり、再び眠りについた。だが、その眠りはまた目

覚める事があるという確信のある眠りであり、彼女が目覚めた時のものとはまた異なるものだ

った。

 

 実際、翌日になって彼女は目を覚ました。

 

 再び意識が自分にはっきりとあり、ここに自分が実在しているのだという事を、彼女はゆっく

りと確かめていく。

 

 時間だけはたっぷりとあった。浜辺に打ち寄せる波の音を聞きながら、彼女は自分の存在を

確認し、そして自分の生を確信した。

 

 しかし彼女はここに来てようやく、行くあての無い自分に気がついた。果たして自分はこれか

ら何をすればよいのだろうか。どこに行くべきなのだろうか。そして自分はどこにいるのだろう

か。それを知る事ができなかった。

 

 浜辺は延々と地平線の彼方まで伸びており、そこには人の気配はおろか、動物の気配さえ

感じる事はできない。

 

 これから私は何をすればいいのか?

 

 それが分からなかった。目的を失った彼女は、ただ流浪するだけの存在になろうとしていた。

 

 再び日が沈んで来ようとしていた。一日が短い間にすぐ過ぎてしまっていくように感じられる。

 

 打ち寄せる浜辺に身を向けながら、彼女は沈みゆく夕陽を見つめていた。このまま再び闇に

覆われるのか。

 

 だが明日が来ようと、彼女にする事は無かった。

 

 浜辺に打ち寄せる波の音を聞きながら、もう少しで夕日が沈もうとする時、彼女は足音を聞

いた。

 

 その足音は海を見つめる彼女の背後からやって来ていた。

 

 何者かの足音。しかし彼女は警戒する事は無かった。なぜならば、彼女はその足音の主を

知っていたからだ。知っていたからこそ、警戒する必要はなく、ただその足音が自分の近くまで

やってくるのを待っていた。

 

 その足音の主は、一糸まとわぬ姿をしている彼女に、黙って上に羽織るものを渡してくれた。

それだけではなく、着るものも用意してくれたらしい。

 

 彼女は黙って、背後から渡された衣類を羽織るなり、足音の主の方に向き直るのだった。

 

「どれぐらいの時間が経った?」

 

 彼女は目の前にいる、長身でつばの広い帽子を被った男にそう尋ねた。

 

「それほどは経っていない。一カ月ほどしか経っていないが、君の存在を見つけるのには少し

手間取ってしまった」

 

 長身の男は落ちついた様子でそう言って来た。

 

「ああそう。それはよかった。てっきり、もっと時間が経っているものかと」

 

 彼女はほっとした様子でそう答えるのだった。

 

「私は君を迎えに来た。君がこうして生きている以上、してもらいたい事が沢山ある」

 

 男は言った。その言葉はどことなく押しつけがましいような様子であったが、目的を失ってい

た彼女としては、それはむしろ歓迎すべき事だった。

 

「では服を着てくれ。そして、君に一体何が起きたのか、調べてみる必要があるな」

 

 男は落ちついてそう言って来たので、彼女はその場で服を着ていくのだった。

 かつてカテリーナ・フォルトゥーナと呼ばれていた女は、ロベルトと呼んでいた男と共に浜辺を

後にした。

 

 全てが生まれたままの姿でいた彼女だったが、今では服を着て、文明人としての姿を取り戻

していた。そうした服を着て文明のある世界に戻ろうとすると、自分が今まで解放的な姿にあっ

たとはいえ、恥ずべき姿をさらしていたのだという事を、改めて思い知らされるのだった。

 

 ロベルトは自分が先導してカテリーナを浜辺から後にさせた。浜辺の奥地にある森へと分け

入っていく。すでに夕日は彼方へと沈んでおり、夜の闇が覆って来ていた。

 

 森の中に入ってしまうと灯りは全くなかったが、ロベルトも、カテリーナも恐れる事は無く、た

だ森の中を進んでいく。

 

 彼らに恐れるものは無かった。ただ森の中を進んでいき、ロベルトには確かに目指すべき場

所があるようだった。

 

 ロベルトは、草木を分け入っていく。彼はカテリーナには何も話しかけなかったし、彼女がき

ちんとついてきているかどうかという事の確認さえもしなかった。だがもちろんカテリーナはロベ

ルトについていく。それしか彼女にとってする事はなかったのだ。

 

 ロベルトと共に小一時間ほど森の中を進んでいった頃だろうか。カテリーナ達はようやく森の

中の空き地に出た。

 

 そして空き地の中に見えてくる建物は、カテリーナが知っている建物だった。

 

「またこの場所に戻ってくるとは、と思っているのではないか?」

 

 ロベルトがカテリーナのすぐ横に立ち、彼女に向かってそのように言ったが、カテリーナは別

にどうともない様子だった。

 

「いいや、そんな事はないさ。あんた達の居所と言ったら、どうせここしかないんだろう?」

 

 そのようにカテリーナは言って、自分から歩みを進めるのだった。

 

「それは誤解だが、この地方で住み、移動をするにはこの屋敷はとても便利なのでね」

 

 ロベルトが後からついて行き、カテリーナよりも先に屋敷の扉を開くのだった。

 

 森の中にある屋敷はひっそりとしていたが、きちんと蝋燭の明かりも灯されており、清潔に保

たれている。誰かが住んでいるという気配も感じ、しっかりとした管理がされている事が分かる

屋敷だ。

 

 しかしながら、カテリーナはまだ若干この屋敷の中に足を踏み入れる事には抵抗があった。

この屋敷は以前、カテリーナが監禁されていた屋敷だったからだ。

 

 カテリーナが屋敷の入り口で入る事を戸惑っているような様子を見せていると、ロベルトが言

って来た。

 

「やはりここに入る事には抵抗があるか?」

 

 するとカテリーナは、

 

「前に来た時は、私はこの屋敷から脱出するために、自分の手を切り落とすという事までしたも

のでさ」

 

 そう言ってカテリーナは屋敷の外観を眺めていた。彼女の心の中には戸惑いがあったが、そ

れは今の彼女の中では些細なものでしかない。

 

 ただ彼女は以前自分がここで感じた思いを、ロベルトに伝えておく必要はあると思っていた。

 

「では、この屋敷に入る事には抵抗があるか?今回は何も君を監禁するためにここによこした

のではない。ここに来たのも君自身の意志を尊重して連れてきた。だから、来いとは言わなか

った」

 

 ロベルトがそう言ってくる。カテリーナはまず先に自分の足を進めてその屋敷の中に足を踏

み入れた。

 

「いいよ、その事は。もう私にとって恐れるものなど何も無いから」

 

 そのように言ったカテリーナは屋敷の中に入るのだった。

 

「皆が君を待っているが。その姿ではまだ何かと不都合だろう。それに今晩はもう遅い。君をこ

こに連れて来れたと言う事は、仲間達にも伝えておくが、君は今日はもう休んでおくといいだろ

う」

 

 そのようにロベルトから言われ、カテリーナはどうして良いのか、またしても分からなくなってし

まっていた。

 

 今の彼女には不思議な事に、疲れと言うものを全く感じないようになっている。だからこれ以

上休むように言われても、彼女にとってはとまどってしまう事だった。

 

 しかも彼女が望んでいるのはそのような事では無い。

 

 そもそも彼女は、今、自分がおかれている状況をまだ完全には理解していなかった。何故、

自分がここにいるのかという事、そして、何故自分がこうして、全くの無傷で生きているのかと

いう事。それを理解する事ができないのだった。

 

 彼女はその回答を早くもらいたい気持ちだった。

 ロベルトによってカテリーナに与えられた部屋は、南向きにある簡素な作りの部屋だった。豪

華過ぎないようになっており、ひっそりとした姿、そして夜の闇の中ではあるが、森の中を見渡

す事ができるようになっている。

 

 カテリーナはその部屋にいて、置かれている服を手にした。

 

 だがそれを着ようとする前に、彼女は自分の体をくまなく、確かめるかのように再度確認し

た。この部屋で灯っているのは蝋燭の明かりであり、あの浜辺にいた時の方がじっくりと体を

観察する事ができたが、この薄暗い部屋の中でも、改めて自分の体を確認しようとする。

 

 自分の体には傷一つなく、まったくもって純粋無垢な姿をしている事に気がついていた。あく

まで大人の体をしてはいたけれども、生まれたばかりの子供そのものの姿と言ってしまえば、

そう言えたかもしれない。傷一つなく、汚れさえもない。

 

 二十年近くも生きていれば、体のところどころに、荒れや染みなども目立ってくるはずなのだ

が、今のカテリーナにはそれさえも無かった。

 

 自分は、本当に以前までの自分なのだろうか。カテリーナはそれを疑問に思った。

 

 この体は、まるで自分の肉体では無いような気がする。いや、確かに自分自身の肉体として

動かす事ができる。しかしながら、それは自分の魂だけが乗り移った、別人の体であるかのよ

うだった。

 

 一体、何故このような体になっているのか。カテリーナにとっては見当もつかなかった。

 

 あの、《シレーナ・フォート》を巻き込んだ激しい戦いが、まだ記憶の中に残っている。あの

時、カテリーナは死を覚悟し、自分の持てる力のすべてを発揮し、立ちふさがる敵を打ち倒し

た。

 

 強大な存在、ゼウスと名乗る存在を打ち倒したところまでは覚えている。その後、カテリーナ

は自分の全ての力を使いはたし、傷だらけの体のまま果てたはずだった。

 

 その後、どうなってしまったか分からない。何故、自分があの海岸線に辿りついていたのかと

いう事も分からない。

 

 もしや、自分は天国かどこかにいるのではないだろうか?しかしそれにしては、ロベルトなど

知っている人物が出てくるのも不自然だった。彼は死んだ存在では無い。確かな存在感を持っ

て、カテリーナの目の前に姿を現した。

 

 だからここは天国などでは無い、確かに実在する世界であり、カテリーナはそこに戻って来て

いたのだ。

 

 カテリーナは自分が確かにここに存在するという事をしっかりと確かめ、ロベルトか誰かが用

意してくれた服を身に着けた。

 

 それは、用意してくれた者達が意識していたのか、どことなく、『リキテインブルグ』の騎士の

礼服に似ているような格好の様な気がした。だが、青緑色のような鮮やかな色をしているので

はなく、黒く落ちついた服であった。

 

 どこかの国の民族衣装なのだろうか。カテリーナの知らないような姿だった。

 

 そして彼女は誰も入って来ない部屋の中で、再び眠りにつこうとしていた。

 

 しかしそれはとても浅い眠りであるようだった。ここ数日、浜辺で、ただその日その日を、眠

り、起きを繰り返し、原始的な生活をしていた彼女は特に眠気の欲求も無かったからだ。

 

 だが、今のカテリーナは何も恐れる事は無く、眠りにつく事が出来ていた。

 

 眠りは浅い。ゆえにカテリーナは妙な夢を見ていた。

 

 世界にただ一人、荒野のような場所に取り残されていたカテリーナ。そこは浜辺でも何でも無

く、ただ、荒れ果ててひび割れた土地だった。どこか世界の果ての見知らぬ場所が、そのよう

な光景になっていると、子供の頃に本で読んだ事がある。

 

 そのように荒れ果てた大地にカテリーナはだた一人でいた。

 

 どこからか、彼女に向かって助けを呼ぶような声が聞こえてくる。その声はどこかで良く知っ

ているような声も聞こえてきたような気がした。だが、周囲を見回してもそこには荒野しかなく、

誰も人の姿を見る事はできなかった。

 

 助けてという悲痛な声がどこからともなく聞こえてくる。やがてその声はどんどん膨れ上がっ

ていき、カテリーナの良く知る声が響き渡った。

 

「カテリーナ、助けて!」

 

 その良く知る声にカテリーナは思わず、眠っていたベッドから跳ね起きた。

 

 まだ薄暗い。完全に朝にはなりきっていない時間だった。カテリーナは、昨日与えられた服の

まま眠りについていた。

 

 しばらくベッドの上にいながら、カテリーナは自分を落ちつかせた。まず、今いるこちら側の世

界が自分がいる世界であると言う事を認識させる。

 

 体はまだ、自分自身のものでないかのような気がしているが、それをはっきりと、自分のもの

であるというように思わせるようにする。

 

 ロベルトに連れられて来た屋敷にいる自分を、カテリーナは思い出していた。ここは彼によっ

て連れて来られた。そして休むように言われたからこうして休んだのだ。

 

 体の不調は無い。眠りは浅かったが、体調の方は万全だ。むしろ、今見た夢によって突き動

かされて、カテリーナは少しでもいいから体を動かしたい気分だった。

 

 ベッドから立ち上がったカテリーナは、部屋の中に剣が二振り飾られている事に気がつい

た。飾り物の剣などではない。きちんとした鋭い刃をもっている。

 

 このようなものを、部屋に置いておくからには、ロベルト達は自分をここに監禁させておくつも

りはないようだ。以前にここに囚われていた時とは明らかに待遇が違う。

 

 カテリーナは飾られている剣の内、大きいほうの剣を手に取った。

 

 今まで自分が使っていた剣、トール・フォルツィーラに比べればいく分も軽い剣だったが、ま

ず問題は無いだろう。

 

 カテリーナはその剣を持って、屋敷の外に出た。

 

 

 

 どこかへと逃げるつもりはない。夢の中でこの世の中にいる人々から助けを求められている

かのような気がしたが、今はカテリーナは自分がどこにいるのかという事さえも知らないのだ。

 

 そのような状況でどこかに誰かを助けに行こうとする事など、あまりにも無謀な事だろう。

 

 カテリーナは仕方なく、騎士の自分を思い出し、剣を振るっていた。誰もいない空き地が屋敷

の前には広がっており、剣を大きく振るい、目に見えない相手と対峙をするには十分な環境だ

った。

 

 カテリーナにとって剣の素ぶりとはただの素ぶりではない。彼女は目に見えない空を斬ってい

るかのように見えるが、いつもそこには明確な敵というものが存在していた。

 

 カテリーナはこれを素振りなどとは思っておらず、明確な敵の存在する模擬戦、いやむしろ実

戦の一つだと思っている。

 

 今まで持っていた彼女の剣よりも、今カテリーナが握りしめている剣は幾分も軽いものだっ

た。そのせいもあってか、いつもより素振りの動きが大胆になる。

 

 そしてここは彼女自身もしらない場所。いつもならば、《シレーナ・フォート》の王宮の中庭で、

自分の能力を過信せず、鍛錬に励んでいた彼女だが、その環境も変わってしまっていた。

 

 更に眼に見えない相手と対峙する彼女は、何か、今までとは明確に違うものを感じていた。

その明確に違うものは、敵対する相手だった。

 

 今までは、彼女に敵と言うものが存在しており、それは、素振りをする彼女の目の前にいた

けれども、それを今、カテリーナは感じる事ができないでいた。

 

 意味も無くただ剣を振り回しているだけ。そのようにしか、カテリーナにとっては感じる事がで

きないのである。

 

 カテリーナはいつもより軽い剣を握りながら、更に奇妙な事に気がついていた。

 

 振るっていたのは、今までのものよりもずっと軽く、細い剣ではあったのだが、まるで手ごた

えが感じられない。これは一種の鍛錬であって、ある程度、朝の鍛錬を終えると体に疲労感を

感じる事ができるものだったのだが、今のカテリーナにはその疲労感を少しも感じる事が無

い。

 

 彼女は小一時間ほど、そのどことなく喪失感を感じてしまうような剣の素ぶりを繰り返してい

たが、やがて止めた。

 

 もう、これ以上剣を振っていたとしても意味が無い。その意味の無さに、カテリーナはもう呆

れてしまっていた。

 

「よう。どうやら終わったようだな。もう近づいても大丈夫だろう?」

 

 そう言いながら、屋敷の方から歩いてくる男の姿があった。知っている男だ、名前はカイロ

ス。あのロベルトと行動を共にしていた男。

 

 彼が素振りの途中からこの場にいる事をカテリーナは知っていたが、あえて放っておいたの

だ。

 

 例えいつも扱っている剣よりも細く、軽いもので素振りをしているとはいえ、そんなカテリーナ

に近づく事は、そのまま斬り捨てられることを意味する。カイロスは、その程度の事くらいは分

かっていたようだ。

 

「ああ、構わないよ」

 

 そう言うなり、カテリーナは部屋から持ってきた剣をその鞘の中に収めるのだった。

 

「どうだ、調子は?」

 

 カイロスがそう尋ねてくる。するとカテリーナは彼の方を向いて答えた。

 

「全く問題は無いよ。むしろ絶好調と言えるほどさ」

 

 手振りをして見せつつ、カイロスにそのように答えるカテリーナ。確かに体は好調だ。全く、ど

こにも疲労感を感じる事など無い。ただ、気にかかっている事は幾つもある。

 

「それは良かった。何しろ、新しい体って奴は、そう簡単になじむものじゃあないからな」

 

 カイロスはそう言った。彼の言葉は奇妙なものであったが、カテリーナは不思議と彼の言った

言葉を受け入れる事ができた。

 

「その事も含めて、全てを説明してくれるんだろう?一体、私に何が起こったのかという事を、

全て」

 

「そうだな、全て理解するのには時間がかかるかもしれないが、これで、あんたも俺達と同等に

話ができるようになったのは確かだな」

 

 カイロスは意味ありげにそう言った。だが、カテリーナはそれを追求するつもりはなかった。

 

「朝食の用意ができているぜ。皆、揃っている。食事の後にでもゆっくりと話をすればいい。何

しろ、時間に関してはたっぷりと残っているんだからな」

 

 カイロスはそう言って、カテリーナを再び屋敷の中へと促してくる。だがカテリーナは答えた。

 

「私達の時間は確かに残されている。だが、それ以外の者達にとっては時間が残されていない

事は、お前も分かっているはずだ」

 

 ただそう答え、カテリーナはカイロスと共に屋敷の中に入った。

 カテリーナの前に用意された朝食というものは、不思議な事に『リキテインブルグ』の、それも

南方地方式のものだった。

 

 何故、わざわざこのような朝食を出すのか。それも、『リキテインブルグ』の南海岸でしか捕る

事もできない魚を使った、贅沢な貴族の朝食だ。カテリーナも地位のある騎士ではあったが、

毎朝このような朝食を食べられると言うものではない。

 

 悪い気分ではなかったが、どこか余所余所しい。まるで、わざとカテリーナの機嫌を取るため

にこのような朝食が用意されているかのようである。

 

 そしてその朝食の場には、今までカテリーナにとって敵でしかなかった人物達もいた。

 

 ハデス、アフロディーテ。彼らもこの場所にいた。ロベルトとカイロスが屋敷にいる事を知って

いたが、彼らまでいるとは。

 

 しかし何故、ハデス達もこの場所にいるのか。その理由をすでにカテリーナは知っていた。

 

「どうした、口に合わなかったか?」

 

 円卓上のテーブルについている5人。広々とした食堂。カテリーナの隣の席に座っているカイ

ロスがそう尋ねてくる。

 

 カテリーナはフォークで焼かれた魚の肉を取りながら、カイロスにそう尋ねた。間違いない。こ

れは『リキテインブルグ』の南の海でしか得る事ができない魚である。

 

「アンジェロの者達も、こうしたものを食べるのか?」

 

 そのように尋ねたカテリーナ。もう、カテリーナにとって疑いは無くなって来ていた。彼らはアン

ジェロの一員だ。

 

 そのアンジェロとは、この世界においては文明を創造したほどの者達であり、天使、そして神

とも取られる者達。

 

 だが彼らが本当に天使や神と言うほどの人物たちかどうかは、まだ疑わしい。

 

「我らがわざわざお前を招くために、この食事を用意してやったのだぞ。遠慮をすることは失礼

になるだろう」

 

 そう言ったのはハデスだった。彼はあの艶のある服と、とかしあげた髪を相変わらずしていな

がら、カテリーナに上から見下ろしてくるかのような声で言ってくる。

 

「ふふ、遠慮しているんじゃあない、戸惑っているのよ」

 

 そのように言ったのは、アフロディーテだった。彼女の姿も相変わらずだ。

 

「ここのところ、数年間、敵同士であったわたし達に招かれている事がね」

 

 そう言って水の入っているグラスを傾けながら、アフロディーテはカテリーナを指してきた。

 

 だが、カテリーナは平気な顔をしたまま食事を続ける。

 

 するとロベルトが間に入り、カテリーナに言って来た。

 

「カテリーナ。戸惑う事は無い。私達は君に対して敵意を持っていない。だからこそこうして迎え

た。この食事も君のための物だ」

 

 ロベルトがそう言ってくるが、カテリーナは遠慮をしなかった。

 

「もちろん、遠慮なんかするつもりはないさ」

 

 そう言ってカテリーナは食事を続けていく。そう、遠慮をするつもりはなかった。

 

 カテリーナも、敵と呼ばれる人々と共に食事をした事が初めてではない。むしろ、あからさま

な敵意を見せてくるような相手と共に食事をする事もあった。

 

 『ベスティア』の連中はカテリーナに対して敵意を見せてくる事もあったが、彼らと共に会食を

する事もあった。それと同じようなものだ。

 

 カテリーナ達が食べていた食事は、何やら黒いフードを眼深く被った者が現れ、次々と下げ

ていった。その黒いフードの者は、執事の姿をしているようではあったが、黒いフードを被って

いるから不気味に見える。

 

 何も話さず、ただ黙って食器を片づけていくのだった。

 

 食事が終わった後、飲み物が出され、カテリーナ達、一同に会した5人は、緊張したかのよう

な、それでいて落ち着いているかのような状況にされた。

 

 そしてカテリーナは気がつく。この円卓のテーブルには5つ分の椅子だけでなく、更にもう一

つ、椅子が用意されている。

 

「まだ、誰かいるのか?」

 

 カテリーナがそのように尋ねると、

 

「ああ、いるとも。だが、彼はまだ来ていないんだよ。君を見つけた事をまず知らせておいて、

それから迎えにいってやらなければならない。この屋敷ごと移動させてね。

 

 しかし、それは簡単な事じゃあない。今すぐにでも迎えにいって彼を連れてくるというのは無

理な話だ」

 

 ハデスが、何かカテリーナをからかうかのような声でそのように言って来た。

 

「あんた達に仲間がいても、それはもう不思議でも何ともないな」

 

 だがカテリーナはあくまでハデスと同じ立場にいるかのような口調で、彼に向かって堂々と言

ってみせた。

 

 すると、ハデスは彼女が生意気な事を言ったのだと思ったように、鼻で笑うのだった。

 

「カテリーナ・フォルトゥーナよ。君は確かにこの場の客人であるかもしれない。だが、客人だか

らと言っても、礼儀をわきまえるべきなのではないかね?」

 

 カテリーナはすぐにハデスに言葉を返す。

 

「礼儀はわきまえているつもりさ」

 

 そう言って用意されていた飲み物をカテリーナは一気に飲み干す。

 

「いいか。我々は君の敵では無いと言っているのだぞ。今までは、君は一方的に私達の事を敵

だと思っていたようだが、もはやそのような関係では無い。もっと友好的に振る舞ってもらおう」

 

 カテリーナはただ目線をそらす。

 

「ピュリアーナ女王陛下は、相変わらずお前達の事を指名手配しているだろう。王都に襲いか

かった危機については、お前達は良く知っているだろうからな。そして、女王陛下の騎士である

私は、お前達を捕らえるという任務もある」

 

 するとハデスはせせら笑った。

 

「では、ここで我々を捕らえようとでも言うのかね?」

 

 カテリーナが捕らえるという事をちらつかせても、ハデス達は警戒する素振りさえも見せようと

しなかった。

 

「今は、私一人しかここにいない。だが、仲間達が現れれば、お前達を捕らえる準備はできて

いるはずだ。そして聴かせてもらう。お前達が一体何者であり、何をしようとしていたのかという

事についてをな」

 

 カテリーナは堂々とそう言ったが、ハデスの横にいた、アフロディーテが彼に向かって言っ

た。

 

「この子は、ゼウス様から、私達の事を知らされたんではありませんの?何故、今更こんな事

を言っているのかしら?この子は、まだ気がついていないの?自分の使命も、今、自分が置か

れている立場も気がついていないの?」

 

 アフロディーテはそう尋ねる。しかしハデスは、

 

「まだ気がついていなかったとはな?そして、君の騎士道や、女王陛下に仕えるという精神は

大したものだ」

 

 ハデスのその言葉はほめ言葉と言うよりもむしろ皮肉だった。カテリーナとハデスの間で攻

撃的な会話が交わされる中、その間にロベルトが割り入った。

 

「ハデスよ。カテリーナはまだ、目覚めたばかりでしか無い。使命についてもゼウスから一度聴

かされたにすぎないし、カテリーナには彼女自身が歩んできた道もある。それを突然、我々の

方向に目覚めさせようとしても、それは無理な話だ」

 

 ロベルトのその言葉にもカテリーナは反応した。

 

「我々の方向に?あんたは一体何を言っているんだ?」

 

 するとロベルトはカテリーナの方をしかと見て彼女に向かって口を開く。

 

「カテリーナ。君は何故、自分が目覚めたのか、まだ分かっていないと思う」

 

 一体この男は何を言っているのか、カテリーナは戸惑う。

 

「カテリーナよ。君はあの海岸で目覚めた。それは我々もすでに想定していた事なのだが、君

にとっては理解できない事だっただろう。実際のところ、我々にとってもはじめての出来事だっ

たので、まだ上手く説明する事はできないのだが」

 

 ロベルトの並べてくる言葉。カテリーナは自分にとっても珍しく、動揺していた。

 

「一体、あんたは何を言っているんだ?」

 

 するとロベルトはそこで人呼吸を置く。そして口を開いた。

 

「カテリーナ。君はゼウスとの戦いで死んだんだ。君の肉体は滅び、もはや失われた。今、ここ

にいる君は全く新しい君なんだ」

 

 その言葉は、静かにロベルトの口から発せられたものであったが、巨大なものとしてカテリー

ナに向かって降り注ぐ。

 

「私が、死んだ?」

 

 そのように言われても実感が湧かない。カテリーナは確かにここに自分の確かな存在を感じ

ていたし、確かに生きている。

 

 だが彼女自身、海岸で目覚めた時から、自分自身の存在が不安定になっている事を感じて

いた。

 

 もしかしたら生きていないのかもしれない。ロベルトに言われてカテリーナは、自分の存在が

揺るがされる。

 

「今の君は、転生と呼ばれるものをした姿だ。君の肉体は滅んだが、精神は残す事ができた。

だからこうして君は新しい体を再構築する事ができたのだ」

 

 ロベルトにそう言われてしまっても、カテリーナは彼の言った言葉を理解する事ができないで

いた。


 
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