No.359533

黄色い目 その2

がいこつさん

続きものではありませんので、単品でお読みいただいても大丈夫です。
でも、できれば前作からお読みいただけますと幸いです。

2012-01-07 00:51:20 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:290   閲覧ユーザー数:290

 Y氏はまたこんな話もしてくれた。

 

 ご存知の通り、今年の秋はいつまでも暑くて、夏の延長戦がずるずると行われているようだったね。おかげで、十一月に入っても、紅葉の話題一つ聞くでもなく、なんとなく間の抜けたみたいな、噛み合わない感覚を持て余していた。

 手持ち無沙汰っていうのを、こういう時に使っていいものかはわからないけど、まあ、そんなところだ。

 だから、それに気づいたのは、チグハグな心持ちがわだかまっていたからだと思う。

 一枚のポスターなんだ。

 浄景寺は知っているかい? まあ、名所旧跡というわけでもないから、他県の人間には縁のない場所だけど、うちの地元だとちょっとした観光スポットなんだ。だから、季節の変わりごとに集客目当てのポスターが、あちこちで見受けられるようになる。

 最寄駅の廊下に貼られていたのもその一枚だった

「秋、紅の季節、浄景寺へ」

 キャッチコピーだろうな。どうして紅色が寺と関係あるんだかさっぱりわからないけど、そいつは考えた人にでも聞いてほしい。わかるだろう、どこにでもありそうなやつさ。お堂を遠景にして、手前を紅葉が彩っている構図でね。そのままだと見過ごされてしまいそうなありふれたしろものだ。なにせいつ貼り出されたか覚えがないんだから。

 けど、たまたま目に留まったのは、逆にその月並みさが原因だったんだ。

 前の年にでもとった写真を使ったんだろう。だって、今年はほとんど紅葉もしないまま、落葉樹は葉を散らしてしまったもの。それがいかにも頓珍漢で、はじめて目にしたときには、ついつい笑ってしまったよ

 以来、そのポスター脇を通るたびに、いいしれぬおかしさがこみあがってきた。

 実際、まあやることなすこと、ピントがずれたポスターなんだ。さっきいったコピーもさることながら、構図に凝ったつもりなのか、お堂は木陰に隠れてほとんど見えないし、かと思えばてき屋の屋台は間近にしっかり写っている。おまけに多分写真のメインにするつもりだったんだろうな、女が一人、一番手前に写されているんだけれど、なんとこれが背を向けているのさ。

 よくぞここまでの四重奏だよ。

 でもね、今度はその女のおかげで、別の意味でポスターから目を離せなくなってしまったんだ。

 はじめに違和感を覚えたのは肩だった。

 なんとなく左右のバランスがおかしいように思ったんだ。といっても、毎日二度、通勤の際にちらりと一瞥するくらいのものだから、単なる見間違いだろうと別に気にも留めなかった。

 それから数日して、横目でチラリとのぞいた時の驚きはいまでも褪せない。

 今度こそ見誤りでもなんでもなくて、肩の左右の高さがはっきりと異なっていたんだ。右から左に向けて傾いでいるんだ。

 それがなにを指すか。考えるまでもなく、写真の中の女が、振り返ろうとしていたのさ。こちらに向かって。

 そこに思い至ってからは、もういけない。とにかくポスターが気になってしかたなくて、それまでなら素通りもできたところが、間に別の利用客が通ってもいちいち確認しないと落ち着かないほどにとらわれてしまった。

 日を追うごとに女の様相は変わっていった。

 後頭部からではわからなかったウエーブのかかったおくれ毛がのぞき、硬そうな耳たぶが下がりだした。耳の奥にぽっかりと開いた穴が見えた次の日には、頬がいよいよこちらを向きはじめた。蒼白の、硬そうな肌だったよ。

 そして、とうとう、ある日の出勤の朝、女の左のまなじりと唇の端が写っていたんだ。

 なにしろ写真だから、まだ画像も荒くて、しみだか汚れだか判別がつかないくらいだったけど、毎日朝晩の行き帰りに見ていた側からすれば一目瞭然だ。

 もちろん、表情なんてわかりっこない。それでも、なんとなく、その写真の中の女が笑っているような気がしてならなかった。

 いったんそんな考えにとらわれると、もういけない。その日は仕事も手につかず、ただまだ見ない写真の女の笑いが頭を渦巻いて離れなかった。

 まだ見ていないというのもよろしくなかった。想像ばかりがたくましくされて、どんどんと頭の中にいやなイメージばかりが広がっていく。何度それを振り払おうとしたかしれない。けど、結果は同じことだ。

 ぽっかりと瞳孔の開いた暗い眼で、口の中は朱色に染めて笑う女の顔が張りついて離れなかった。

 そんなにポスターを見るのがいやだったら、駅を変えるかせめて使う出入口を変えればいいというかもしれないけど、そうはかんたんにもいかないのさ。最寄りの駅はかつて車庫のあった場所でね、上りと下りの線路同士がかなり距離があるんだ。おかげで、向かいのホームにいくにも一度階段を下りて地下道を抜けなくちゃならない。

 だもんで駅舎へのもう一方の出入口は遥か対岸、おまけにそのためにずっと先の踏切を渡って引き返してこないといけないんだ。使っている駐輪場はもちろん現在のサイドにあるし、常に満員で変更するにしても、空きが出るのにどれだけ待たされるかわかったもんじゃない。

 そんなわけでこれまでは通勤の道筋も変えることなく済ませていたのだけれども、この時ほどそれをうらめしく思ったこともなかった。

 おまけにそんな日に限って帰りは終電の午前様で、気分は果てしもしれず沈んでいった。

 長いタイル張りの地下道に、足音が響く。履き慣れた皮靴ではたいした音もたたないはずなのに、たった一人では反響も大きく感じられた。一歩一歩の足取りが重いが、その重さを気取られることのないように、努めて冷静に振る舞う。あからさまに見せかけの素振りなのは自覚があったけど、やめることもできなかった。

 そうしていよいよ地下道の突き当たり、階段下にまでやって来た。問題のポスターは踊り場の壁に掲げられていた。

 進まなくちゃどうにもならない。わかってはいるんだけれども、いざ歩を踏み出そうとすると逡巡があった。

 普通の人でも日常の生活上不意に振り返るには理由がいる。ましてや相手はポスターの中の、動くはずのない人物だった。よほどの理由でもなければ起こり得ない事態だ。もし万一、その理由に関与することがあったら。いったい目的が果たされた後にはどんな結果が待ち構えていることか。

 時間になおせばたいしたものでもないだろうけど、硬直した足がまったく動かない瞬間が確かにあった。

 それを破ったのは、頭上から聞こえてきた人の声だった。女ではなく、しかも複数人による、酔っ払いのものらしき明るい談笑で、階段を下りてくる足音もいっしょに響いてきた。

 絶好の、おそらくは唯一のチャンスだった。

 少し出遅れた感があり、あわてて階段を駆け上がる。だんだんと話声は大きくなり、時折馬鹿笑いが混じる。声の主達と行き合わせたのは、踊り場まであと二、三段といったところだった。

 サラリーマンらしき三人組の中年男性達は、突然階段を駆け上がってきた闖入者にやや驚いた顔を見せたものの、すぐさま身をわきにそらせてくれた。

 おかしなやつと思われただろうが、すぐに背後から笑いの続きが投げ掛けられたから、それに後押しされる形で踊り場に飛び上がってそのままの勢いで、すぐわきにあるポスターに向き直ったのさ。

 驚いたよ。

 ポスターの中には女の姿はなかった。それどころか紅葉も、屋台もお堂もない。ただ「ひったくりに気をつけましょう」という大きな標語と「歳末防犯強化にご協力ください」という一文だけ。

 ポスターは張り替えられてしまっていたんだ。

 考えてみたら初めて目にしてからずいぶんと日数が経っていて、紅葉をどうこういうには、少しばかり間の抜けた季節になっていた。

 まったく拍子抜けがして、すると途端に安堵が無性におかしさを誘った。

 間が抜けているといえば、その時のわが身ぐらい間の抜けた光景もなかったろうね。なにしろポスター一枚にビクビクして、その日一日をつぶしたあげく、当の紙はあっさり取り払われて跡形もなくなってしまっていたんだから。

「あははははっ!」

 自分でも驚くくらいに大きな哄笑が口を割って出るのを抑えることができなかった。

 本当だったらその場で笑い転げてしまいたいぐらいだったけど、さすがにそれは憚られた。それでも日付けの変わった駅では非常識なくらいの声がもれたんだ。背後からいぶかしげなざわめきが伝わってくる。

 先ほどのサラリーマンだろう。無理もないよね、なにしろいきなり走ってきたやつが、今度は突然声をあげて笑いだしたんだからさ。

 いくらなんでもばつがわるくなって、こっそりと背後を振り返ってみたんだ。

 今度こそ息が止まりそうになった。

 先ほどまでの笑いの余韻が漂う足下の階段上り口で、こちらをじっと凝視するサラリーマンは、まったくの無表情だった。ただ見開かれた眼の瞳だけが、黄色い光を爛々と射すくめるように発していた。

 


 
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