No.349183

司馬日記5

hujisaiさん

その後の、とある文官の日記です。

2011-12-18 21:33:03 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:23314   閲覧ユーザー数:15741

7月26日

自分など死んでしまえと思うのは二度目だ。

折角の一刀様のお誘いなのに、御供に着ていけるような服を何一つ持っていないことに今朝箪笥を開けて漸く気がついた。

 

下着のまま箪笥の前で打ちひしがれていたら伯達姉様が淡い桃色の、可愛らしい刺繍のついた衣装を貸してくれた。

姉様の御年としてはやや可愛らし過ぎる服なようにも思ったが、本能的にそれは言ってはいけない気がしたので御礼のみ申し上げていざ着ようとしたら姉様から

『まさかその下着の上に着るつもりなの!?』

と驚かれたことに驚いた。

特別に露出の高い服ではなく、みっともなく下着が見えてしまう訳ではない事は確認していたのでそうですがと申し上げると深く深く溜息をついて叔達と季達を呼び、かくかくしかじかと経緯を説明した上で

『というように仲達が間違っているのは判るわね?』と二人へ問うた。

すると二人の妹は呆れた様に当然です、と答え、あまつさえ姉様からは仲達みたいになっちゃだめよ、と念押しをされるとともに私は叔達から下着を借りて着用するよう厳命された。

 

非常に釈然としなかったが、後ろがつかえてるんですしあんまり司馬の娘の恥を晒さないで下さいねなどと叔達に小言を言われながら下着を受け取って着用してみた。

ところが、非常にその、何なものであったので

『叔達はこのような下着を着て何処へ行く心算だ!』

と怒鳴ってしまったが、しれっと

『一刀様のお召しがあれば着ていくはずだったものですよ、尤ももうそれは着ませんが』

と返された。

 

そこでようやくはたと気がついた。

下着の趣味はあまりに扇情的で褒められたものではないと思ったが、一刀様に初御目見えの際には喩え見えぬ下着とても全て新品の衣で参じたいとの叔達の心根は見上げたものだ。

私が誤っていた、今後心がけを改めると誓うとこの出来た妹もようやく仲達姉様も判ってくれたんですね、頑張ってきて下さいと励ましてくれた。

 

尚下着は伯達姉様から借りなかったのは体型が一部合わなかった為だ。

私は女性としては平均以上の抑揚を持っている筈で、伯達姉様と淑達が非凡過ぎるだけだ。

 

7月27日

目が覚めたら自室で、昨晩どのようにして帰宅したか記憶が無く青ざめた。

必死に記憶を辿ってみたが、酒店の席で既に待たれていた一刀様に緊張のまま御挨拶し、しばらく私の家族のことや仕事のお話をしていたあたりまでは覚えていたがその後がどうしても思い出せない。

酒に弱い方ではないと思うし今まで酒で前後不覚になった事は滅多に無い、しかし緊張のあまり酒盃に何度も手を伸ばした記憶があるのでおそらく酔い潰れてしまったのではないかと思った。

 

恐らく姉様なら何かご存知なのではと思い二日酔いで痛む頭を押さえてお部屋に伺うと、笑顔で開口一番

『あら、一刀様をほったらかして勝手に酔い潰れた駄目な娘はもう起きたのね?』

と死刑宣告を受けて床に崩折れた。

 

姉様のお話によると、月が沖天に昇るころ私をおぶった一刀様が来訪された。

一刀様いわく、疲れているようで飲んでる最中に私が寝てしまったとのこと。

姉様が『そのような駄目な妹は引き取れません、お持ち帰り頂き目を覚ましたらおかけした御迷惑をその体でねっちりと償わせて下さい』とお願いしたが固辞された為止むを得ず引き取った。

 

引き取る間際に、『よく見てみると私の口から一刀様の背中にかけて粗相の跡があったので一刀様の御遠慮もさもありなんと思った』との姉様の言葉を聞いて失神した。

 

主人の御厚意で酒席を設けて頂きながら先に寝こける無礼。

それを自宅までお運び頂きながらも背中から吐瀉を浴びせかける等、臣として、なにより女として有り得ない所業だ。

 

退官を決意した。

司馬の名も捨てよう。

その後、自決するかゆっくり考えよう。

姉様、妹達、あまりにも不出来な私を許

 

7月28日

涙を流すと吹っ切れるものだ。

一刀様にまずはお詫び申し上げよう。

そしてもう既に遅いかもしれないがお汚しした御料衣を洗わせて頂けないかお願い申し上げ、それが済んだ後に辞職することとした。

自決はしないことにした。一刀様の御性格では私如きであってもお心を痛められる可能性がある。

一刀様の御目につかない地で、おかけした御迷惑と賜った御恩を生涯忘れず、ほそぼそと一刀様の御世の為に尽くして暮らすこそ私に与えられた罰と贖罪と思うことにした。

 

7月29日

一刀様の御元に伏して昨晩前後不覚となってお運び頂いたご迷惑のお詫びと感謝を申し上げると、気にしないでいい、連日の残業で疲れていただろうに無理に誘ってしまったようで悪かったと寧ろ詫びられるような御言葉を頂き、改めて御寛仁の広さ、そしてもうこの御心に直接触れることは出来ないのだと思うと涙が溢れそうになった。

 

また平伏をやめるよう御言葉を頂いたが、これから申し上げることを思うととても面を上げることは出来ない。

そして恐る恐る、私の吐瀉物で汚してしまった御料衣を洗わせて頂けないかお願い申し上げたところ、ぽかんとされた。

 

いわく、何のことかわからない、そんな覚えはないし跡もないけれどもと仰りながら御料衣の背中の部分をお見せ頂いた。

確かに無い、手に取らせて戴いて匂いを嗅いでみてもそれらしい臭いがしない。

呆然としていると、一刀様が『ひょっとして、涎でもちょこっとついたかな?』と仰られるので

よく目を凝らしてみてみると、一分(3mm)程の水が乾いたらしき跡が見つかった。

慌てて清掃させて頂くと『これで解決かな?』と一刀様が仰ったが、女としての最低限の矜持が保たれた(のか?)だけであり御迷惑をおかけした事には変わりなく、やはり退官を申し出た。

一刀様は驚かれた御様子でお引止めの言葉を戴いたが、後日事務整理に参りますとのみ申し上げて逃げるように退出してきてしまった。

 

…引き際さえ全う出来ない私は、やはり最低だ。

 

7月30日

寝台より起き上がる気力が沸かない。

公達様へ辞職致したい旨を士季に連絡させた。

 

…このままでは姉様や妹達に迷惑がかかる。

せめて早く出て行かねば。

 

7月31日

昼頃突然妹達が全員外出し、午後には士季に無理やり湯浴みさせられ寝所の換えと厨房仕事をすると

士季も子丹お嬢様の元へ出かけていった。

 

その後一刀様が食事を持って私の寝室にいらした時は、ああ私は床に就いたままもう死んでしまっていたのかとまず思い、そして死者の夢にさえも一刀様がいらして下さったと涙した。

その後のことは色々なお話をした筈だが覚えていない部分が多い。

一刀様が、『私に戻ってきてほしい』と仰って、私の頬に(以下黒塗り)

 

今夜は眠れる気がしないが、明朝一番で公達様に辞職願の撤回のお願いに行こう。

もし既に首であっても、一から試験を受けていこう。魏で仕官出来なければ蜀、呉でも一刀様のお役に立つことは出来るかもしれない。

 

8月1日

公達様の下へ伺ったところ、『ああ休暇願いね?預かってるけど出勤が一日早いわね』と言われた。

士季の機転だろう。主命に反するのは良くはないが礼を言わねばならない。

 


 
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