No.337125

幻覚(spn/cd)

5年後if設定より。キャスの堕落ぷりを見た後、元の世界に戻ったディーンの、キャスへの反応がたまらないです。こっちが腐に落ちる瞬間です。

2011-11-20 18:12:58 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:3762   閲覧ユーザー数:3762

 容赦のない身体中の痛みで、意識の深淵から無理やり引きずり上げられた。瞼が重くて開けられないが、微かに誰かの声が聞こえる。

「キャスなら、もう大丈夫だよ」チャックだ。

「ああ、分かっている」ディーンだな。

 二人共、声がやけに憔悴している。特にディーンは語尾が震えて、様子がおかしそうだ。

 何があったのかと思考を蘇らせる前に、我が身が教えていた。そうだ、私は街に下りた先で彼を庇い、撃たれた後に襲われたのだった。汚染された奴からなら、私はとうに感染者として処分されている。違う、相手は、ただの人間だった。ただの、猜疑心と生存本能が生んだ、無用な争い。

 人類が滅亡に向かっている、こんな切迫した時でも互いに搾取し、己の利を確立しようとする。

チャックの「じゃあ」という声の後、パタン、と簡素な扉が閉まる音がした。けれど、まだ人の気配がする。

 誰が残って居るなんて、確かめる必要など無い。

「……ディーン……」

 首を少し向けるだけで、激しい痛みに襲われる。彼は思っていたより近くに居た。

 私の声に反応し、ゆっくりと振り向く。その瞳が濡れているのに、幾分驚いた。涙は枯らせたと言い張る彼の、その眼球には、確かに水分を含んでいた。

 泣いてはいないが、泣き方を忘れたような眼差し。

 どうした?

 そう声にしたかったのに、うまく音には乗らなかった。かつての自分を顧みると、全くもって無様な状態だ。すっかり私の身体は人間臭い。しかも戦士の身体に慣れぬ、時代に身捨てられてもおかしくない、貧弱な代物。

 骨折しても人より長くかかるから、一体いつになったら動けるのか。それにしても、今回のはマズかった。よく身捨てられずに済んだものだ。

意識が遠のいていった時、今度こそ死ぬのだと諦めた。だけど幸か不幸か、こうして生きながらえている。まだもう少し、彼の前で醜態を晒すのを許されたという事か。

 言葉の続きを発せられない私を、ディーンが見下ろす。

「キャス」

 怒りも呆れも含まないもの。

 おや、珍しい。最近は、こんな声を聞いていないな。もしかして本当に、何かあったのだろうか。

「……どう、し、た?」

 必死に延ばそうとする私の手を、ディーンが優しく包んでくれた。

 誰が泣かせたんだ?と尋ねたかったのに、口を開いてみれば「大丈夫か?」という端的な物だった。声はかすれていたが、ひとまず伝わったのを、相手が握り返した手の強さから知る。

 ディーンは眉頭を近づけ、唇をぎゅっと噛んだ。

「馬鹿。大丈夫じゃないのは、お前だ」

 彼の声もかすれていた。本当に、久しぶりに見るよ、君のそんな姿は。自惚れても良いなら、私が泣かせたかな。

「それ、は……光栄だ」

 思わず洩れる本音に、ディーンの眉間の皺は深くなり、呆れた声で口角を下げる。

「まだラリってやがるな」

 だから傷の深さに鈍感になるんだと、たしなめられた。

「二度とするな」の言葉は、既にキャンプを仕切るリーダーの物になっていた。

「盾に、なるぐらいしか……使い道が、無い、だろ……」

 酒と薬物で身体を浸し、終末と踊るように女を漁り、ディーンの右腕になれぬばかりか、戦いにも向かぬ私の出来る事など僅かばかり。地上に堕りると覚悟し、とうに彼に捧げた身だ。ディーンの為に終わりたい。

 だから私は何度でも彼を庇い、いずれはどこかで最期を迎えるのだろう。言えぬ本音の一つに、死ぬ瞬間はディーンで視界を埋め尽くしたいという、愚かな願いはあった。

 とりあえずこの場にはふさわしいと思える、ささやかで現実的な―盾になる―案に、ディーンは付け加えた。

「俺の決めた場所以外で死ぬな」

 つまりは、盾になるのは構わないのか。我がままなリーダーを揶揄したいが、痛みで笑えないのが残念だ。

「また……無茶な事を言う」

 話しているうちに、声の状態だけは戻ってきた。

 わずかに口角を上げるに留まる私に、「ほんと馬鹿だな」と罵るのはいつもの事。ところが、彼は握ったままの私の手の甲に、そっと自分の唇を押しあてた。

「お前は俺の物なんだから、当然だろ」

 今度こそ、驚いた。

 なんだ、私はまだラリっているのか?君がこんな事を言いながら、キスをくれるなんて。

 今の世の中だと、痛み止めの薬を含めた医療関係の物は希少で、どんな重症者でも、まともな治療は受けられない。まあ私に関しては薬物中毒者だから、簡素な量の麻酔では効かないだろうが。

 だのに、ついさっきまで身体中を襲っていた痛みが、幾分和らいだ気がした。皮肉にも天使ではなくなったこの体は、手の甲のキス一つで癒される。

 それは体だけでなく心もと言えるし、むしろ脳そのものの方が正しい。

「これは……幻、か?」

「ああ、そうだ。幻覚だよ」

 しれっと言う嘘に、私はまた笑いがこみ上げる。

「……そいつは……最高だね」

「最悪だ」

「どう、して?……今すぐ、キス、したい、触りたい……ああ、君を抱きたいくらいの、気分だ……」

 満身創痍でベッドに横たわりながらの、たどたどしい言葉ではセックスへの甘さも激減し、なんの魅力も無いだろう。

 己の状態はさておき、私は未だに、彼を誘うのだけは上手くならない。それでも久しぶりに告げる、ディーンへのストレートな欲求に、彼は苦笑いを浮かべながらもキスをくれた。今度は、唇に。

「俺は、お前んとこの信者じゃねーの」

 セックスしてきた女性は、ディーンを抱けない代替品だと。少なからず察している彼の皮肉に、ようやく生き延びた幸福を感じる。

 大分と屈折しているが、今のディーンは私を憂いて疲弊し、私の為に、砂漠化した眼球に水を与えているのだから問題は無い。

 彼の言葉一つ、キス一つで、私の神経はいとも簡単に、脳内麻薬をあふれさせる。

なんて単純で、利己に尽きる感情だろうか。ただ一人に向けられているだけで、私も搾取するのを望む、ただの人間だ。今だけは、完治が遅れれば良いとさえ思える。

 こんな上質な幻覚を常に与えてくれるなら、粗悪なドラッグに手を出したりしないのに。

 


 
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