No.316808

【編纂】日本鬼子さん七「朗報だ」

歌麻呂さん

「縄ほどけ。んで乳の話をしろ!」
「ハアァ?」
「邪魔しちゃ悪いよ」
「あー、最近物騒ですもんね」
「お爺ちゃん、ごめんなさい」

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2011-10-11 22:10:53 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:615   閲覧ユーザー数:615

【編纂】日本鬼子さん七「朗報だ」

 

 鳥居をくぐり、階段を八段飛ばしで雪崩れるように駆けおりる。鬼はあらゆる獣と同様、腹を空かせたときが一番獰猛になるのだ。

 街道に出る。人々でごったがえしていた。進行方向は俺たちの逆で、社へ向かっている。ほぼ音に近い速度で屋根を超え、防人のみとなった門に到着した。俺たちの存在に気付いた門番が重々しい門を開ける。

 環濠と明日葉畑と逆茂木と防砂林に挟まれた道の遠方から大量の砂埃を飛ばす白い平板のようなものが向かってくる。

 

「相手の勢いを利用するのじゃ」

 背中には千の命がある。小日本とシロもいる。一撃の戦い。一瞬の交わりで勝利は決するだろう。自然拳に力が入ってしまう。こういうときこそ気を落ち着かせなくちゃいけねえってのに。

 長大な鬼が近付く。しかしその輪郭がはっきりするにつれ、一体だと思っていた鬼が小さな鬼の群だということに気付いた。

 馬鹿な、鬼が群れて村を襲うなんて聞いたことないぞ。飢えた鬼が何体も集まったんなら、村を襲うより先に共喰いを始める。みんなで仲良く「お食事」なんて考えられん。

 いや、そもそも群棲となると短期決戦は臨めない。敵は五十、いや百は優に超えている。対して俺たちは三。どうやって戦えばいいんだよ。

 

 うろたえに相手は躊躇してくれるわけもなく、距離は刻一刻と近づいてくる。

 しかし、個々の鬼の姿を見えるようになるなり、俺の――いや俺たちの抱いていた動揺は驚きと呆れへと急転したのだった。

「あとで小言を言わねばなるまいな」

 白狐爺がひとりごちた。

 地鳴りが聞こえ、地面が縦に揺れる。

 そして、『心の鬼』の大群は俺たちの目の前で停止した。

 

「あれ、お出迎え……にしては、あまりよくない空気だね」

 そいつの正体は、大量のヒワイドリと、そして真っ青な顔をした田中匠だった。

  φ

 

 地震雷火事親父といえば恐ろしい四天王として名高いけども、アタシはあえてここで違う説を提示しようと思う。

「親父は地震・雷・火事の力を持ち合わせてるんじゃねえの説」と名付けておこうか。

「この、うつけ者が!」

 その怒鳴り声に大地は揺れ、稲妻はほとばしり、そして激昂する身体から目に見えない炎がこうこうと燃えあがっている。

 うん、あながちアタシの仮説も間違ってないんじゃないかと思う。

 

「お主、どれだけの民を恐怖に陥れたのか、わかっとるのか!」

 真っ白い巨大なキツネが赤いトサカのヒワイドリをかんかんに叱りのめしていた。日本さんに怒られても平然としてるヒワイドリも、さすがに応えてるみたいだった。

「日本さん、あの怖いお爺ちゃんキツネ、人間の姿になれちゃったりする……んだよね?」

 みるみる生気を奪われている心の鬼をよそに、そんなことを訊いた。というか、そもそも喋ってる時点で普通の動物じゃないけどさ。

「ええ、そうですけど、何か気になるんですか?」

「いや、別に」

 感覚がどんどん適応しちゃってる自分に苦笑いする。日本さんの影響なのかよく分かんないけど、最近あっちの世界で幽霊みたいのを目撃しても、神さま的な何かなんだろうと括ってムシして終わっちゃうんだよね。慣れって怖いわ。

 

「何しに来た、田中匠」

 わんこ坊主が雑談に加わる。

 そう言えばなにしに来たんだっけ。こにぽんに謝る……のはヒワイドリが言ったことで、自ら提案してはない。受動的にこんな場所まで来ちゃったんだと今更実感する。

「あ、そっか、ごめんね、日本さんとこにぽんと水いらずだったのに」

 まあ、今こにぽんの姿は見当たらないんだけどね。多分このデカイ門やら板塀やらトゲトゲしたワナみたいのやらに囲まれた村の中にでもいるんだろう。とりあえず、アタシの立場は冷やかし以外の何者でもない。

 そのとき、門が内側から開かれた。

 

「白狐様!」

 息も絶え絶えの鎧姿の男性が這い出るように門から現れた。侍……というにはあまりにも簡素な防具だ。まあ見張りさんにしてはそれなりによさげな装備だと思う。

 こっちの世界で見た初めての人間だった。

「鬼です! 海に鬼が打ち上げられてます!」

 

 落ち着いた雰囲気が一変した。日本さんもわんこも、当然アタシも、言葉を失う。

「……動きはどうじゃ?」

 ただキツネのじっちゃんだけが淡々と状況確認を続けていた。

 正直、結構な罪悪感を抱いてしまう。日本さんたちが一匹の鬼を祓うのにどれだけの集中力を使うのかはよく知っている。伊達や酔狂で鬼子さんと心の鬼祓いをしてきたわけじゃないから、それくらい分かる。

 一度気を抜いてしまってから、再び集中力を高める困難さだって、身に沁みるほど知ってるんだよ。

 アタシたちのとんだ茶番のあとで、もし凶暴な鬼が出没したとしたら……。

 

「畜生、何もかも鬼子のせいだ!」

 鎧の男が突然日本さんを睨みつけた。

「貴様が、貴様が鬼を呼びだしたんだな! この村を滅ぼすために、裏切るために!あのときからそうだ! 俺は、俺は貴様を恨んでいる、憎んでいる!」

 

 今、アタシの何かが崩れたような気がした。

 それを無理やり言葉に表すとすれば多分「日本さん神話」のようなものだと思う。アタシの中の神話が解体されていく。

 あの言葉を思い出す。

 

 ――怖いんです!

 ――私は、人間じゃないんです。異形の存在です。その違いを知ってしまったら、きっともう今までのように私を見ることなんて、できないです。

 

 鬼手枡との戦闘を目前に、日本さんは中成になることを恐れていた。自分が鬼であることを気にしていた。

 どうしてあんなに怖がっていたのか、その根本的な意味を今まさにアタシは理解した。

「ますらおの民よ、やめなさい、単なる偶然じゃ。その怒りこそ、鬼の拠り所となるぞ」

 白狐さんが男をなだめ、たしなめる。でも焼け石に水と言うか、男の怒りが静まる気配はなかった。

「白狐様の仰る事はなべて正しいです。しかしながら! 何故穢れ多き鬼をお庇いになられるのですか! 彼奴らが来やがる度に我々は――」

「慎みなさい、守神様すら彼奴と呼ぶか」

 守神の見習いわんこは、ただ俯き、尻尾を硬直させて拳を震わせていた。

 

 アタシは、何もできなかった。俯くことも震えることもできず、ただ茫然としていた……んだと思う。

「失礼、つかまつりました」

 腰を直角に曲げる。鎧の擦れる音がした。怒りを極度に抑えているのか、棒読みの謝罪だった。

「物事の内を視る眼を養いなさい。左様に努めればお咎めは無しじゃ」

「勿体無き御言葉」

「匠さんや」

「は、はい」

 ほとんど何も耳に入ってこなかったけど、白狐おじいさんの呼びかけだけはなぜかすんなりと耳の奥にまで届いた。

「ヒワイドリを連れて社に行きなさい。ますらおの民や、丁重にこの乙女を案内せい」

 鎧の男は無言で歩きだした。慌ててその後ろを歩く。

 多分、この人はアタシの想像以上に疲れているんだと思う。そして、日本さんはもっともっと疲れてるに違いない。

 でも余裕なんてちっともなくて、門をくぐる前に能天気な笑顔を見せることすらできなかった。

 

 というか、ちょっと怖かった。

 日本さんがどんな顔をしてるのか、見たくなかったんだ。

   φ

 

 なんてことはない。

 鬼子が貶されることだって、俺がそのとばっちりを受けることだって、実によくあることだ。

 だから俺は気にしてない。気にしないよう励んでいる。

 実のところ、あの人間を喰い殺してやろうかと思った。鬼子への暴言もさることながら、白狐爺の面前で無礼をはたらいたことで頭に血が上りそうになった。

 

 ――その怒りこそ、鬼の拠り所となるぞ。

 この一言がなかったら、確実に俺の牙は赤く染まっていた。あの人間に向けた言葉は、俺に向けられた言葉でもあった。

 爺さんのおかげもあって俺はなんとか堪えることができたものの、鬼子はまた違う傷を負ったに違いない。

 田中に一番見せたくなかった姿を見せちまったんだ。あの何も考えてなさそうな田中も心理的な強い影響を受けたに違いない。

 今の鬼子の精神状態で鬼を祓えるのか?

 いや、鬼子は俺が守ってみせる。例え鬼子が戦えない状態でも、その分俺が動けばいい。

 

 防砂林を超え、砂浜に行き着いた。空は厚い雲に覆われ、海は風に煽られ白波が立っていた。そして、波打ち際に鮫のきぐるみのようなものがうつ伏せに倒れていた。

 奴が堕ちた鬼なのか心の鬼なのかは定かでないが、後者だったら鬼子の弱った精神につけ入らせないようにしなきゃいけない。

「私が祓います」

 薙刀を取り出し、一歩二歩と砂を蹴った。

「お、おい、大丈夫かよ」

 心配で、ぴくりと足が動いてしまう。

 鬼子に付いていくべきか、鬼子に任せてここで待つか……。

 

「わんこや」

 俺の僅かな動揺を白狐爺は見逃さなかった。

 とどめられるのか? きっとそうだろう。

「鬼子に憧れとると言っておったな?」

 それは稽古場でのことだった。白狐爺は覚えてくれていたんだ。

「行ってきなさい、しっかり学びとってくるんだよ」

 それはとどめの言葉ではなかった。

 俺の背中を押してくれたんだ。

「はいっ!」

 腹から声を出す。白狐姿の爺さんは目を細めて頷いた。

 

 鬼子の足跡を二歩分飛ばして追いかける。潮風に揺れる黒髪が近付く。それから息を整え、鬼子の隣で歩幅を合わせた。

 瑠璃色、なんて洒落た言葉は似合わない。真っ青な鮫が半ば波に呑まれつつ打ち上げられていた。胸びれが人間の腕の形をしており、尾びれの根に鮫肌の獣の脚が生えていた。鬼子は気を失った鬼の前で屈みこんだ。

 そのとき、鮫の鬼がビクリと痙攣し、しゃちほこのように顔をあげた。

「ち、血いぃっ!」

 鬼子を目にした途端絶叫し、立ち上がっては釣り合いを崩し、波打ち際でおぼれていた。鮫の姿をしているくせに、泳ぎはあまり得意じゃないのかもしれない。いや、単に混乱してるだけだな。

 まあ、つっこむべきところは他にもある。

 

「血? 血って、どこにあるんだよ」

 「ひい」ならまだ分かるが、明らかに「血い」と言っていた。そういう言葉しか喋れない鬼なのかもしれないが、こんな怖がりな鬼は初めて見た。

「……へ?」

 鮫の鬼がえらを激しく開閉しながら鬼子を見つめる。

「すす、すまんよぉ。あ、慌ててたもんだから、てっきり紅葉柄のそいつを勘違いしちまったんだべさ」

 と、奴は鬼子の衣を指差した。確かに、言われてみれば血潮と勘違いしないでもないが、さすがに無理があるような気もする。

 

「お、怒らねえでくれ。間違ったのは謝るから、怒らねえでおくれよ」

 鮫の鬼はさめざめと――決してだじゃれではないが――すすりはじめた。なんというか、いちいち行動がおかしくて笑えてしまう。

 負の思考を持つ鬼は心の鬼である可能性が高いと般にゃーが言っていた。今回の場合は心の鬼で間違いないだろう。

 

「私は、怒ってなんていませんよ」

 鬼子が口を開いた。

 それは、まるで耳元でささやいているような、子守唄のような声だった。

「鬼さんは、私のこと、怒ってるように見えましたか?」

「それは……見えねえけどよ、そ、その手に持つもんはなんだべ? おっおっ、おらを、きるっ、斬る気けえ?」

 どもりながらさすその指は目で見えるほどに震えていた。

 しかし、言ってることはつまり、薙刀を捨てろ、ということだ。鬼の前で武装を解除するということは、相手に首根っこを掴ませる行為と等しい。

 

「あ、ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの。薙刀はここに置いておきますね」

 しかし、鬼子はそんな行為ですら平然とやってのける。背中側の浜に鬼斬を置いたのだ。

「ふ、ふかひれ……」

 わなわなと震える鮫の鬼をよそに、鬼子はちらりと俺に目配せする。

 信頼されていた。

 だから、俺も鬼子を信じるために、「もしものこと」がないように、心の鬼に対する敵意を最小限にまで抑えるよう試みた。

 

「あなたは、とても繊細な心をお持ちなんですね。私を見て驚いてしまったことに深く心を痛めて下さいました。相手のことを思いやれる、優しい心の持ち主です」

 心の鬼はほんの少しだけ頬を緩ませるが、すぐに青ざめた表情に戻ってしまう。

「そんな褒めちぎられるもんじゃあねえよ」

 それはなんとも言えない悲しみを帯びた顔だった。

「なんもしてねえのに、人間はみんな怖がって仲間外れにするんだ」

 きっとそれは、この鬼の宿命なのだろう。怯えきった姿は人間の恐怖や不安が具現化したものなのだ。恐怖に毒された人間が恐怖の権化と仲良くなろうというほうがむずかしい。

 

「おらなんてどうせ必要ねえ存在なんだ。だから、山から身投げすればいいと、おらなんか死んじまえばいいと思ったんだ。でもな、崖っぷちに出た途端怖くなっちまって、代わりに海で身投げしたんだ。溺れて、流されて、そしたらおめえらがいたんだべ」

 臆病なくせに実に切実な口振りだったから笑いを堪えるのに必死だった。

 しかし、こんな滑稽な鬼ではあるが、嘘吐鬼のように人間の感情を吸い取って具現しているんだ。完全に気を抜いたら奴の邪気に一瞬で呑まれてしまうだろう。

 

「やっぱり、優しい心の持ち主ですね」

 そう鬼子は切り返した。

「でも必要なくなんてないです。私には必要なんです」

 鬼子の心の中には、もう鬼を祓おうという考えはないのかもしれない。あるのはただこの鬼を慈しむ心だけだ。同じ鬼として生きる存在として、心を砕いているのだ。

「なあ、どうしておめえは、そんなあったけえんだ? こんなおらをどうして見捨てようとしねえんだ」

 

「私が、日本鬼子だからです!」

 その凛とした訴えが海岸に沁み渡った。波の打ち寄せる音がしばし場を繋いだ。

「ひのもと……そっかぁ、おめえ、お天道様なんだなあ。あったけえわけよ」

「いいえ、あなたと同じ、鬼の子です」

 そう、鬼子は神さまではない。人間の心を持つ鬼に過ぎない。

 

「いんや」

 青ざめた鬼は、ゆっくりと首を左右に振る。

「おらにゃあ、敵いっこねえベよ」

 俺もそう思う。

 田中の前で貶されて、それなのにこうして心の鬼と接することができる。

 ……いや、違うな。

 そんな鬼子だからこそ、こうして接することができるんだ。爺さんが言ったことを思い出す。俺が鬼子に追いつけないってことの意味が分かったような気がする。

 けど、だからこそ、鬼子の前に立って戦いたい。

 

「青鮫なんて名前、おめえみてえな大層なもんじゃねえもんなあ。生まれから違うんだぁよ」

 青鮫と称する心の鬼は、再びよよと泣き崩れた。

「あの、もし宜しかったら――」

 鬼子が、一歩歩み寄った。

 

「私と、お友達になって下さいませんか?」

 

 それは、鬼子の切実な願いでもあった。今この場所に恐怖というものはどこにもなかった。

「おめえと友達になれるってんなら、そ、それ以上の幸福はねえべ」

 青鮫の涙の粒が大きくなる。

「でもよ、おめえも鬼なら、そいつはできねえ話だってんのも、分かってんだべ?」

「はい」

 

 心の鬼は、自身の抱く根本の悩みが解かれたり最大の欲求が満たされたとき――要は存在価値を否定されたとき――に浄化される。鬼斬は強制的に存在価値を否定する武器だから鬼子はあまり使いたがらないんだ。本当は、今回みたいに願いを叶えさせてやって、出来る限り否定される感覚なく祓ってやるのが鬼子の本望なのだ。

 青鮫は恐怖にさらされることなく誰かと仲良くなりたかったのだ。だから鬼子と友になれば、その願いは叶うことになる。

 

「友達にはなれねえが、いい夢見させてもらったベ。ひのもとさんさ、おらぁ、幸せもんだよなあ」

 青鮫は、さめざめと身を震わせ、やがて静かに消えていった。

「私も……あなたと友達になりたかったです」

 友達になれたと思ったその瞬間、友達は姿を消してしまう。そして、心の鬼と向き合うってことは、心の底から接していかなくちゃならない。上辺っ面の言葉では響いてはくれない。

 鬼子は今まで、どれほどの鬼に涙を捧げたのだろうか。

 

 やはり憧れてしまう。優しくて、あたたかくて、そして強い。でも学ぼうと思えば思うほど、鬼子は俺なんかとは全然違う世界に住んでいるような、そんな気がしてならなかった。

「辛かったろう」

 人間の姿に成った白狐爺がやってきて、そっと鬼子の髪を撫でた。ぽろぽろと滴を輝かせる鬼子は無言で爺さんを抱きしめた。肩を震わせる。白狐爺はしわくちゃの手で、やさしくやさしく、撫で続けていた。

 波がしぶきをあげる。いつか、俺が白狐爺の代わりに鬼子の全てを受け止めることができたら……。

 

 そのとき、白狐爺の手が止まった。俺の耳も異音を感知する。白狐爺につられるように防砂林を見た。

 黒装束に、角を生やした深緑の深編笠のような頭部、真っ赤な一つ目をぎょろりと光らせ、はさみ型の手を動かす。

「またかよ、チクショウ」

 拳を構え、応戦体制に入る。ヒワイドリ、青鮫、そしてこの鬼。今日に入って三度目だ。こんな立て続けに鬼が現れることなんて初めてだったが、今度の鬼は知能の低そうな鬼であると見た。

 さすがにもう鬼子はぼろぼろだ。俺が奴を退治してやる。

 

 意気込んだそのときだった。

 防砂林から、更なる鬼が現れた。先鋒から甲乙丙丁……合計四体の群だ。黒ずくめに深い笠姿、同族の鬼は明らかに俺たちを仕留めんとしていた。

「嘘だろ?」

 ヒワイドリの群体とは違う。奴らは意識的に陣形を組んでいる。二体が前方に立ち、他の二体がそれぞれ斜め後方に位置している。

 鬼は集団行動のできない低脳な奴らなんじゃないのか?

 般にゃー、言ってることが違うじゃねえか。

 

「鬼子とわしで迎え撃つ。わんこは不意を打たれぬよう辺りを警戒しておれ」

 そんな。

 鬼子はまた戦うのか?

 でもそんな道徳めいた考えに囚われてはいけない。今はただ戦うことに集中するしかないんだ。

 鬼子は浜に置かれた鬼斬を掴み取り、鬼の一撃を立て続けに防ぐ。

 

「どうして……どうして戦わなくちゃいけないの!」

 汗なのか、波しぶきなのか、何なのか、紅葉と一緒に滴が舞った。

 敵は無言で攻撃を仕掛け続けた。まるで感情というものを知らないのか、大きな目玉で鬼子を睨み続ける。

 戦う理由なんてまだ分からねえけど……。でも多分、俺たちは戦い続けなくちゃいけないんだと思う。でもそいつは答えなんかじゃない。答えにしてしまったらただの殺戮兵器になっちまう。

 とにかく、今の使命は鬼子と白狐爺の護衛だ。気をできるだけ鎮め、全神経を八方に広げる。

 

 薙刀の交わる音、白い砂が辺りを舞う。背後の海鳴りに白波が返答する。巨大な肉が叩きつけられる音は白狐爺が大外刈りを決めた音だ。

 

 波の音が大きくなる。

 それはほとんど直感といってもいい。海の鼓動が不自然に早まったような気がして、とっさに振り返った。

 黒ずくめの鬼が二体海から現れていた。甲乙丙丁戊己。これで六対三だ。

「不意打ち組か、上等じゃねえか!」

 こういう奴らには威風堂々と正面からぶつかるに限る。肝っ玉で負けちまったら、完全に手玉に取られる。遊撃は先制攻撃が命だから、そいつを潰せば数の不利はある程度補える。

 

 一体の攻撃を右手で掴み取り、もう一体の平手打ちをかわした。かわしたほうの敵の背中に回し蹴りを入れる。その勢いを利用し、攻撃を受け止めた方の敵を踊らせ、みぞに肘をめり込ませた。鬼は仰向けに倒れ、痙攣する。これでしばらくは動けないだろう。

 海にいたからか、挙動が遅い。海に身を隠し、襲うという手としてはいいが、損害をまったく考慮してない。

「来るなら六体まとめてかかってきやがれ!」

 不意打ちするには人数が足りない。よろめきながら立ち上がった鬼の懐に入ろうとしたそのときだった。

 

 奴の背が、薙刀によって貫かれた。

 黒ずくめの鬼はのたりと倒れると、風に吹かれる砂のように姿を消した。

 そして新しく視界に入ったその景色に、鬼子がいた。

 

 砂浜に埋もれるようにして倒れる、鬼子が。

 

「鬼子ォ!」

 ほとんどつまづくようにして駆けだした。

 

 砂を蹴りあげるのも束の間、後頭部に激しい衝撃が奔る。魂が前後に揺さぶられる錯覚に加え、意識が遠のいていく。

 すぐ隣に敵がいるのにさえ気付かないなんて。

 

 うつけ者だった。本当に、俺って奴は、周りが見えないうつけ者だ。

 

 ぼやける視線の先に白狐爺がいる。何かを呟いていたような気がする。その指先から三尺ばかりの結界をいくつも生み出していたような気がするが、もう俺は浜に伏していた。

 

 チクショウ……。

 

 自分自身すら守れねえで、鬼子が守れるかよ……。

  φ

 

「こにぽん、だからごめんねって、本当にさ」

「ふーんだ、タナカなんてキラーイ」

「こにちゃん、許してあげようよ。田中さんすごく反省してますよ」

「やっ!」

「弱ったなあ……あ、そうだ、こにぽんにお土産があるんだった。ほら、プリンだよ」

「ほんとにっ? タナカ、だいすきー!」

「早っ! 変わり身早っ!」

「あ、でも……このぷりん、ねねさまにあげるの。こに、食べちゃったから」

 

 まったく退屈な偵察だ。

 

 天井裏から童女の会話を聴くだけの簡単な任務なのだが、簡単すぎて寝不足の自分には過酷すぎる。上が最重要任務と銘打ったクセに、実につまらんものだ。

 まあ見張りなんてどれもつまらんものだから仕方ない。

 最初聞いたときは面白そうな任務だと思ったんだけどなあ。

 

『鬼を祓う鬼がいるみたいだ。ミキティ、よろしく頼む』

 

 部下を愛称で呼ぶなんてセクハラだ。そりゃくノ一として本名で呼ばれるよりかはましだけど、正直やってられない。

 まあ上司の愚痴はいいとしよう。どうせ任務を放り出して遊んじゃってるんだろうし、そういう人なんだと諦めている。

 

 問題はこの連れだ。

「くくく、さあ烏見鬼(おみき)、どの奴に願望鬼を憑かせれば良いかな?」

 青狸大将(あおりだいしょう)の下品な笑い声と口臭はいくら修行を積んでも耐えられるものではない。

 奴は現在私の元に配属されている荒廃衆と呼ばれる鬼の武装集団の長だ。願望鬼と呼ばれる心の鬼に毒された集団で、体の一部を誰かに憑依させ、願望の赴くままに操作することができる。青狸大将は部下全員に自身の願望鬼が宿ってると言っていた。

 

 願望鬼の特質が偵察向きだと「忍」に置かれているけど、正直使えない。大将ですら私語ばかり口にするは、音は立てるは、腹の出てるはで、本物の「忍」だったら存在全てを消し去ってやりたいくらいだ。まあ彼の従える悪の手先鬼(てさき)は敵の誘導に使えたから、まだ捨てるには惜しい。こうして結界の張られた社に潜入できたのも村の外で老白狐らとたわむれて時間稼ぎしてる奴らの手柄だ。

 

 今回は『鬼を祓う鬼』に近い存在に願望鬼を潜ませ、『鬼を祓う鬼』の情報を得ることが目的だ。憑かせるといっても心を操らせることはしない。発信器、盗聴器として心の鬼を利用する。偵察向きというのは、そういう理由なのだ。

 

 憑かせる対象を吟味する作業に移る。

 

「あれ、その刀おニュー?」

「えへへー。れいとうおむすび、だよ!」

「冷凍おむすび? 解凍おむすびとペアなのかな? で、そいつで鬼たちをスバババって一刀両断しちゃうわけか」

「こに、退治したりなんかしないよ! こにはね、みーんなに『めばえ咲けぇ』ってしたいの!」

 

 この部屋にいる田中と呼ばれる人間、こにと呼ばれる小さな鬼、シロと呼ばれるまだ弱い狐神(しかし込み上げる素質を感じる)が『鬼を祓う鬼』に近い存在であることは会話から容易に理解できる。

 感情に富む小さな鬼にまず魅かれた。しかし、恐らくこの三人の中で最も『鬼を祓う鬼』の側にいる存在であると推察する。『鬼を祓う鬼』も初耳だが、これほど感情豊かな鬼も見たことがない。まるで欲望を感じないのだ。だが『鬼を祓う鬼』に近すぎるのもいけない。憑けたとしても、かすかな邪気を感じ取られて祓われる危険があるからだ。

 似た理由で若き白狐の神にも憑けるのは難しいだろう。狐はすさまじい霊力を持つ。だから、かすかな邪気を発しているだけで気付かれるか、それ以前に憑けない可能性が高い。

「……人間だ。田中と呼ばれてる人間に憑かせなさい」

 鬼を恐れない人間なんて珍しい。それに霊力がなければ勘付かれる可能性もずっと少なくなる。

 

 青狸大将がにまりと黄ばんだ歯を見せつけ、それから悪臭を伴う息を吐き出した。藤色の煙が天井をすり抜けて部屋に侵入する。

「くくく、無事憑依完了だ。それから――」

 声が大きい。私は黙って天井裏から抜ける道を引き返した。

 

「朗報だ、『鬼を祓う鬼』が倒れたぞ」

 思わず青狸大将を見る。悪の手先鬼に憑いた願望鬼からの速報だ。

 

「我が手先鬼も皆討たれたようだが、『鬼を祓う鬼』とそいつに従う狗畜生を負傷させ、白狐のジジイは霊力をふんだんに使ったおかげでもう使いものにならねえようだ。報酬の方、ご検討願いたいところだな」

 金に五月蝿い輩だ。眠い頭にがんがん響く。

 

「傷? 負わせて当然だ。討ち取らないと話にならない」

 青狸大将の舌打ちを流しつつ屋根に出る。厚い雲に覆われた空が広がっていた。

 

 早く上に報告して寝てしまおう。そう心に決め、社を発った。

 

 私たちの故郷、天魔党の国へ。


 
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