No.307053

花芙蓉の季節

TOAホドの過去話。とある日のガルディオス伯爵夫妻。マリィに縁談が舞い込む話。

2011-09-25 00:38:08 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:830   閲覧ユーザー数:828

ガルディオス伯爵夫人は、今日も軽快な足取りで屋敷を闊歩していた。

「今年も花芙蓉が綺麗に咲いたこと」

「はい奥様。花は小振りですが、これだけ沢山生ければ、さぞ見ごたえのある生け花になること、請け合いですわ」

ユージェニーが腕に抱えた花束を称えれば、半歩ほど後ろの侍女もまた、笑顔で答える。勿論侍女の手にも青紫色の花芽がついた枝があり、そして花瓶があった。

伯爵夫人として多忙な日々を送る彼女が、珍しく侍女と会話に興じながら廊下を進んでいるのは、執務室の花を取り替えるためである。

バチカルの屋敷に住んでいた頃、生花を生けることは侍女の役割だった。花瓶の柄や花の銘柄を命じることはあっても、自らの手で生けることなど、厳格な封建社会を謳歌していたバチカル貴族にとって考えられないことだったのである。

寧ろ現在の彼女は、鋏を握って草木を手折ることも、花瓶を運ぶことさえ心から愉しんでいた。

「それにしても奥様。倉庫の中に、こんな白磁の花瓶があることを、よくご存知でしたね」

ホド島は緑豊かなだけあって自生する植物の種類も豊富だ。故に島民は、その身分を問わず花を飾ることを生活の中に取り入れている。四季折々に咲き乱れる数多の花を生ける器もあれこれ工夫が凝らされており、領主の館ともなれば把握するのが困難な程多かった。

「わたくし、白い器が好きなの。どんな色の花にでも似合いますしね」

彼女は言いながら先に運んでおいた白い器を思い浮かべる。乳白色の滑らかな生地。あれだけすらりと背の高い花器ならば、執務机に置いても邪魔にはならないだろう。

「成程。確かにそうですね。勉強になります」

ふむふむと侍女が頷く。そんな他愛のない会話をしているうち、彼女達は目的の部屋に辿り着いていた。

「失礼致します。庭の花芙蓉を摘んでまいりましたの。お部屋を飾るのに丁度良いと思いまして」

「ああ、もうそんな季節になっていたのか」

「とっても綺麗なんですよ。奥様が自らお水を掛けてくださっているからですよ、きっと」

侍女はうきうきと床に花束を広げ、愛用の花鋏を取り出している。寄った花を桶に張った水つけ、早速生ける準備を始めていた。

それに対し、ユージェニーは軽く眉根を寄せていた。妻である自分が部屋に入っても、手元から目を上げようとしない夫を訝しんでいたのである。

「あなた、確かまだ休憩をとっていなかったのではなくって?」

「え? あ、もうこんな時間なんですか!?」

「つき合わせてしまってごめんなさいね。後はやりますから、あなたはきちんと休んでくるのです」

「でも……」

「一度、自分の思うように花を生けてみたいの。駄目かしら?」

「いえまさか! そんな、駄目だなんて滅相もないことです。……では申し訳ありませんが、休憩を頂戴します」

深々と頭を下げた侍女が退室した後、ユージェニーは軽く息をついた。執務机に座るガルディオス伯爵の視線は、尚も書面に視線を落としたままである。その伯爵の顔色だけで内容を察した夫人は、呆れた様子で訊ねた。

「またですの?」

「そう。また縁談だ」

夫人以上に深い溜息をついて、伯爵は書簡を文箱に戻した。その動作がいささか乱雑になったのは、同じような文面の書類を立て続けに読まされたせいである。

ガルディオス家の長女マリィベルは今年十歳。父譲りの聡明さと、母親の血を色濃く引いた美しい顔立ちは、遠く離れたマルクト本土、帝都グランコクマでも有名であった。彼女はまだ結婚できる年齢に達していないものの、是非とも許婚にとの申込みが後を絶たない。

同じマルクト貴族として、先方の焦る気持ちは分からなくはない。だが、いささか気が早いのではないかと伯爵は思ったのだ。

娘マリィベルは手紙のことを知らない。全国の跡継ぎを持つ貴族達の、獲物を狙うような目が自分に向けられていることなど露ほども知らないはずだ。

今はそれでいい、と伯爵は親心で貴族連中の思惑を無視し続けている。それに、当事者のあずかり知らぬところで話を進めるつもりなど毛頭無かった。

「預言にない縁だからと突っぱねることもできるが、難しいところだな。……どうした?」

「え?」

一人物思いに沈んでいたユージェニーは、夫の呼びかけに弾かれたように顔を上げた。

「何か悩んでいるのか。随分と深刻な顔つきだったぞ」

夫の指摘に、彼女は曖昧な笑みを浮かべる。明快が売りのユージェニーがこんなに逡巡することは珍しい。

「ええ、まあ……。悩みかどうかはこの際置いておきますけれど」

一つ前置きをして、彼女は物憂げに瞼を伏せた。

「マリィには、わたくしと同じ思いをして欲しくない……」

「ユージェニー……」

自分と同じ思い――それは、政略結婚の道具として扱われること。生まれ育った地から遠く離れた敵国の、顔も声も知らない人と結ばれること。

幸いにして、ユージェニーは素晴らしい人を夫とできたが、自分と同じ幸運が娘の上にも降り注ぐとは限らない。たとえそれが預言に基づく、半ば強制めいた婚姻だったとしても、悲劇は出来うる限り排除したいと思う。

この預言に支配された世界で、預言遵守を上回る優先項目が生まれたのは、やはり親心のなせる業なのだろうか。

ユージェニーは部屋の空気をほぐすように、少しだけ笑った。

「今は、それだけですわ」

分かった、と伯爵は強く頷いてみせた。

「君の意見は尤もなことだと思う。私も人の親だからね」

「ありがとうございます」

「だが同時に領民を持つ貴族でもある。君もわかっていることだと思うけど」

「無論です。わたくしのような者の意見を汲んで頂けただけで充分ですわ」

そう言ってユージェニーは頭を下げた。

「またそうやって、君はすぐ謙遜する」

伯爵は苦笑した。夫の言を受け、彼女はきらりと目を光らせ笑う。

「何なら膝も折りましょうか?」

「勘弁してくれ」

「あらそうですか。残念ですこと」

残念って何が、というガルディオス伯爵の焦ったような問い掛けに背を向け、彼女は改めて花芙蓉と格闘し始めた。


 
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