No.282569

桂(けい)の花咲くはかなき夢に 中編

R.saradaさん

こちらは『真・恋姫†無双』の二次小説となります。

こんにちは、サラダです。
お待たせしました。中編の公開です。
続く後編、そしてその次の終章でこの作品は終わりになります。

続きを表示

2011-08-23 05:10:40 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:3956   閲覧ユーザー数:3366

 

 

 それから私こと桂花は、今まで以上に政務に取り組んだ。

 朝から晩まで自室にこもり、朝議など特別なことがない限りまず部屋を出ない。

 急を要するモノでなければ部屋にもいれず、黙々と政務に向かい続ける。

 たとえ休日であってもそれは変わらない。

 ……まあ何事にも例外はあるわけだが。

 

 政務の傍ら、この世界についても調べ上げた。

 優先は政務なので調べるのに少し時間を要したが、それでも必要なことは全て調べ尽くしたと思う。

 そして調べたことを簡単にまとめるとだ。

 

 始まりは私の記憶と同じ。

 力を失った官に反発し各地で賊が現れ始め。

 張角――天和を主導とする黄巾党の反乱があって。

 袁紹の呼びかけで反董卓連合を組み、ありもしない大義を掲げて董卓を潰し。

 調子に乗った袁紹を潰し、袁紹領を併呑。

 勢いのまま西陵を取り込み、大陸を『魏』『呉』『蜀』の三国に分断する。

 その後三国一の大国となった『魏』国は、同盟を組んだ『呉』と『蜀』と赤壁で争う。

 ここまでは同じ。記憶と変わらない。

 しかし、ここからが大きく違う。私の記憶から大きく外れている。

 

 『魏』軍は、赤壁で、『呉』と『蜀』の同盟軍に、敗北を喫していた。

 

 赤壁で敗北した『魏』軍は、撤退を余儀なくされた。

 多くの伏兵を乗り越え、追撃を躱し、自国へ帰還を果たしたものの、大きな被害を被ったことには変わりはなく、立て直すのにかなりの時間を要してしまった。

 その間に『呉』と『蜀』は優々と地盤を固めていて。

 『魏』がようやく立て直したとき、三国の間にはすでに、戦力差はなくなっていた。

 故に三国は、互いに互いをにらみ合う、硬直状態を取らざるを得なくなる。

 うかつに一国を攻めようものなら疲弊したところを他国に攻め込まれ、二国を同時に攻めようものなら結託した二国に攻め滅ぼされる。

 故に大陸は、にらみ合う三つの国によって、三つ巴の時代を迎えることになった。

 仮初めと付く平和が成り立つこの様相を呈することになったのには、理由がある。

 そしてその理由は、たった一つの小さな原因からなる。

 

 大陸に“天の御遣い”が降り立っていない。

 

 たったそれだけ。たった一言で済まされる理由で、私の記憶にある事実から大きく外れることになった。

 しかし不快なこと極まりないが、その影響力はすさまじいものがあった。

 特に赤壁……そう、私の記憶から大きく分岐している地点に、その影響力の最たるものがある。

 それがあったからこそ、私の記憶上の赤壁では『呉』と『蜀』の策を打ち破ることに成功し、『魏』が――“華琳さま”が大陸を制覇することができた。

 だからこそ、その影響力が存在していないこの世界で、『魏』は赤壁で敗北を喫することになった。

 

 つまりこの世界は、“天の御遣い”が――“あの男”が存在しない世界。

 

 “あの男”の痕跡どころか、管輅の流した天の御遣いの噂さえないほどの徹底ぶり。

 正直、笑いが浮かびそうになった。

 これほどまでのお膳立てがされているとは思ってもみなかった。

 “あの男”の存在が全くないと言うのなら、私の持つ“天の知識”が、よりすばらしいものへと昇華する。

 これを喜ばずして何を喜ぶのか。

 

 ――私の全ては、“華琳さま”のために。

 それこそが私の、一番の誇り。

 

『今なら“華琳さま”の、一番になれる』

 それこそが私の、一番の望み。

 

 

 

 

 

 やがてその願いは叶えられた。

 いや、叶えたと言う方が正確か。

 私がこの世界に来てから、すでにそれなりの日を過ごしていた。

 長いとも短いとも言えない期間のうちに、私は『“華琳さま”の一番』になった。

 まあ本当に一番なのかは本人に聞かなければわからないものの、それでも“華琳さま”自身に共をするよう言われる回数が多くなってきているのは、紛れもない事実だ。

 そして無論、閨に呼ばれる回数も……。

 

 嫉妬もある。

 “華琳さま”を至上とするのは私だけではないのだから、それは当然のことだ。

 顔を合わせるだけで突っ掛かってくる。露骨なほどの嫌みを向けられる。

 上げればキリがないが、それでも不快に感じるのは仕方のないことだ。

 しかしそれが、負け惜しみでしかないことはわかっているのだから、対して思うことはない。

 私は“あの日”、決めたのだから。

 “華琳さま”の一番になるためなら、どんなことでもしてみせると。

 他のことには一切の気を向けず、“華琳さま”に尽くし続ける。

 

 私がこの世界に来て失った“華琳さま”の信用は、すでに取り戻したと思って良い。

 そしてそれ以上の信用を手に入れ、親愛を受け、寵愛を受けている。

 身に余るモノだとは思わない。

 私はそれくらいのことをしているはずで、それこそ身を粉にして“華琳さま”のために尽くしている。

 努力を評価されて、ようやく勝ち取った私の望み。

 嬉しかった。

 幸せだった。

 報われた。

 これ以上の幸せなんてない、そう思った。

 だから私は……

 

 

 自分が今、自室の寝台で一人、横になっている理由がわからなかった。

 

 

「なぜ……」

 暗い天井をぼんやりと眺め、滑るように口から洩れていたその言葉。

 想い知らず聞こえたそれは、締め切られた窓の外、強かに打ち付けられる雨粒によってかき消される。

 故にそれを聞き取れたのは、私だけ。

「なぜ……?」

 知らず呟いた言葉の意味を確かめるモノでもあったが、その言葉の意味を理解したとき、自身へ問いかけるモノに変わっていた。

 

『なぜ?』

 

 この言葉は、私の中に想いとして残り続けているモノ。

 あの日“誰か”から問いとして向けられた言葉であり、今現在、自分自身への問いかけとして投げられたモノ。

 何度も心の中で反芻するうちに、浮かぶ疑問は一つ。

 

 私は『なぜ』、ここに一人でいるのだろう。

 

 水面(みなも)に水滴を落としたように、心に波紋が広がっていく。

 それでも、心が奮わされることはない。

 何か思うこともない。

 ただ単純に、疑問として広がっただけ。

 そしてそれに対しての答えも簡単だ。

 

 

 私が、“華琳さま”の誘いを、断ったから。

 

 

 それ以上でも、それ以下でもなく。

 それ以外の言葉もなく、ただ、この一言で説明できる。

 本当のことを言えば、断ったというほど露骨なモノではない。

 “華琳さま”の誘いが出る前に、やるべきことがあるからとその場を離れただけ。

 誘われていないのだから、誘いを断るもなにもない。

 それでも、誘われることを予想して、“華琳さま”から離れたのだから、同じことか。

 『なぜ』かはわからない。

 気付けば断っていた。そうとしか言えない。

 

 嬉しかったはずだった。

 幸せだったはずだった。

 報われたはずだった。

 これ以上の幸せなんてない、はずだった。

 

 では、『なぜ』、私はここにいるのだろう。

 

 やるべきことがあるから?

 違う。たしかに“華琳さま”のためにすべきことは山ほどあるけれど、それでもそれは、あの場所を離れるための言い訳でしかない。

 

 何か失敗をしたから?

 ありえない。たとえしたとしても、そんな逃げるような行為、私がするわけがない。

 

 “華琳さま”への忠誠を、愛を、失ったから?

 それこそありえない。ありえてたまるか。

 

 では、『なぜ』、私はここにいるのだろう。

 

 

 『華琳さまに顔を向けることが、つらくなったから』

 

 

 また一つ、心を揺らす波紋。

 どこからか生まれたそれは心の表面をすべり、広がる。

 

 ……そう、つらいのだ。

 “華琳さま”に顔を見せる、それだけが。

 あの方のために努力するのは当たり前だ。

 あの方の覇道を支えよう、あの方のために尽くそう、そう思って私は仕えているのだし、それは今も変わらない。

 必死になって努力して、相応の結果を出しているのだから、同じく相応の報奨を貰っても良いはずだ。

 しかし、しかし。

 ここ最近、華琳さまのご尊顔を見るのが、つらい。

 かと言って、全てが全て、というわけではない。

 会議など報告の場でこんなことはない。

 何かを伝えるためには相手を見ることが必要で、特に目を合わせることは重要だ。

 目をそらしたまま何かを伝えようとしても、伝えたいことの半分も伝えることはできない。

 そんなところに私情を持ち込む理由はないし、私が何かを思う必要もない。

 だから私は、そういう場……仕事を行っているときは、あの方と目を合わせても問題はない。問題ないよう、私情を切り離している、と言うのもあるだろうが。

 しかし、仕事ではなくなったとき――私情が絡んだとき、私は、“華琳さま”を見るのが、つらくなる。

 それこそ、あの方を自分から避けるまでに。

 

 最初は、こんなことはなかった。

 多くの信用を失ってから、死に物狂いで“華琳さま”のために奔走し、それが報われ閨に呼ばれたとき、私は歓喜にうち震えた。

 喜々として“華琳さま”の下へ向かったのを良く覚えている。

 これ以上の幸せはない、そう思ったのもそのときだ。

 

 そして同時に、ちくりと、胸が痛んだことも。

 

 それが何なのか、私に理解することはできなかった。

 いくら考えても、原因が見つからない。

 病気などありえるはずもないが、医者のところにも行った。

 華佗、とか言ったかしらね。

 それでも、睡眠不足を指摘されたくらいで、これと言った異常が見つかる、なんてこともなかった。

 しかし華琳さまに最初に呼ばれたその日から、胸の痛みは日に日に強さを増していき、いつしか華琳さまの尊顔を目にしただけで、胸が痛むようになっていた。

 

『なぜ?』

「――っ……」

 

 ちくりと胸を刺すような痛み。

 言いしれぬ不安感と、不快感が心に募る。

 しかしそれでも、『痛み』が何なのかを、理解することはできそうにない。

 そう判断した私は、『痛み』について考えることを止め、ぼう、と暗い天井を眺め続ける。

 変わることのない景色と、変わることなく窓に打ち付けられる耳障りな雨音。

 全てを思考の外へと追い出し、意味もなく、何もすることもなく。

 

 やがて何事もなかったように、静けさを取り戻した私の心。

 胸を襲った痛みも、すでに感じない。

 私は小さく鼻を鳴らすと、まぶたをおろし、目を閉じた。

 漆黒の暗闇が、私の世界を埋め尽くす。

 暗闇は何も話すことはなく、ただただ黒く続いている。

 耳障りな雨音だけが、この世界に存在する唯一のモノだった。

 それでも何か感じることはなく、何か思うこともなく、時間だけが過ぎていく。

 何の意味もなく、だらだらと、無為に。

 意識が、ゆっくりと闇に引き込まれる。

 私は抵抗することもなく、引き込まれるに身を任せ、いつしか私の意識は、暗闇の中へと沈んでいく――

 

 

 

 

 

 

「――起きて下さい、桂花さま」

「…………」

 

 ――寸前、身体を揺すられたことで半ば眠りかけていた意識が覚醒した。

 暗闇を突如光が包み込み、黒の世界を真っ白に染め上げる。

 生理的に開こうとしていた目を反射的に閉じ、引っ掴んだ布を頭から被る。そこまでしてようやく、私は動きを止めた。

「桂花さま?」

「……起きたわよ」

 こもった音の私の声は、意図的なことを含めても思いの外不機嫌な色が混ざっている。

 眠りを妨げられたことにそれほどまでの憤りを感じているのかと、意味のないことに考えが回る。

「目が覚めたなら布団から出て下さい。こんな陽気に寝たまま過ごすなんてもったいないですよ」

「うっ…………」

 被っていた布を剥ぎ取られ、一度収まったはずの光で目が痛い。

 洩れたうめきは抗議の声でもあるのだが。

「ほら、起きて下さい」

 当の本人はさして気にした様子を声に滲ませることもなく。

「…………わかったわよ」

 仕方なく目を開けば、強まった光でなお目が痛い。

 すぐに慣れはするものの、それでも積極的に体験したいことではない。

「桂花さま、桂花さま」

「わかってるから」

 のぞき込んで身体を揺する銀髪の少女、凪におざなりの返事をしつつ、ゆっくりと起き上がる。

 酒を飲んだわけでもないのに――おそらく寝不足で痛む頭を軽く振り、向けられる笑顔から目をそらして辺りを見回せば、昨日と変わらぬ私の部屋。

 机の上に積まれた竹簡も床に転がされた書類の数々も、何も変わっていない。

 変わっていると言えば、いつの間にか開け放たれた窓。差し込む日の光が目に染みる。

 一応空の様子が違うと言うことは、眠れてはいたらしい。まったく寝た気がしないけれど。

 うるさいほどに降っていた雨が一晩で雲一つない空に変わっているのと、辺りに人気を感じないことにはいろいろ思うことはあるけれど、それで私の何かが変わる、と言うこともない。

「はぁ……」

 自身の状況を確認し終わり、現実逃避も終わり、視線を戻せば相変わらず邪気のない笑顔の凪。

 朝日よりもまぶしい気さえしてくるほどに輝いて見える。

 が、突如輝きを引っ込めると、私の顔をのぞき込んで来た。

「くっ…………」

 突然のことについ仰け反って距離を取る。

 それでも気にした様子を見せずのぞき込む凪。

 一体何だって言うのよ……。

「……桂花さま、目の下に隈ができていますよ。昨日も夜遅かったのですか」

 理解できない圧力に息を飲みかけた。

「そ、それが何なのよ」

 声が震えるのはなぜなのか、私にはわからない。

 と言うより、突然変わったこの状況がわからない。

「いえ、桂花さまが毎日仕事を頑張っておられるのは知っていますから」

 抑揚のない平坦な声、のはずなのだが、強い感情を感じさせられるのは気のせいか。

 その感情が何なのか、私にはわからないが、表情のない顔がそれをより引き立たせている。

「……それに昨晩は、華琳さまに呼ばれていたようですし」

「か、華琳さま……?」

 今、なぜ華琳さまが出てくるのだろうか。

 そして背筋に走るこの寒気は何なのか。

 わからないことだらけだが、ここで弁明しないのは大変なことになる、気がした。

「よくわからないけど、昨日は行ってないわよ……?」

「えっ…………」

 驚愕。それ以外に表現の仕様がない顔だった。

「え、えっ、え?」

「え? じゃなくて、行ってないの、華琳さまのところに」

「桂花さまが…………えっ?」

「えっ? でもなくて」

 なぜそこまで聞き返されているのだろう。

 それほどまでに驚くようなこと……か、今までの私を思い出してみると。

 “華琳さま”のために努力している私が、“華琳さま”の誘いを断るなど――正確には断ってないけれど――ありえないことだろう。

 ありえないことなのだが……昨日、どうして私はここにいたのだろうか。

 私は“華琳さま”の覇道を支えるため、寵愛を受けるために努力をしている。

 それなのに、そのはずなのに、私は、“華琳さま”の誘いを断った。

 

『なぜ?』

 

 ちくりとまた、胸に刺すような痛みが走る。

 それでもこの痛みの原因を、私は理解することができない。

 

 

 

「桂花、さま……?」

「……なによ」

「えっ、あ、いえ……」

 驚きを不安に変えた表情を浮かべる凪。

 彼女の問いかけに気付けば感情のない返事をしていたけれど、それを正している暇など私にはない。

 意味のないことに時間を割いていられるほど、私は暇ではないのだから。

「それで、一つ聞きたいのだけれど」

 相変わらず私を見つめ続ける凪から目をそらし、彼女の後ろへと向ける。

 びくりと震える二つの背中を半眼で眺め、心の中で小さくため息を吐いた。

「真桜に沙和、あなたたちはそんなところで何をしているの」

 二人一緒に怯えながら振り返られ、心の中で一度吐いたはずのモノが口から洩れる。

 また肩を震わせる二人だが、私のやることは変わらず、冷めた視線で眺めるだけ。

「い、いやぁ」

「それはそのー、なの~」

「前置きは良いから」

「「うっ」」

 二人してのどを詰まらせる。

 瞬間、片割れの――真桜の胸の無駄な脂肪が大きく揺れ、『なぜ』かとても『イラッ』とした。

「いや、だって……なぁ?」

「ねぇ?」

「だから何なのよ」

「……だって目の前で二人だけの空間作られたら」

「……居づらくなるのは当たり前だと思うのー」

「なによそれ」

「やっぱ自覚なかったんか……」

(たち)が悪いのー……」

 わざとらしく大きなため息を吐く二人。ため息を吐きたいのは私のほう……などと思っていると、すぐ近くで「二人……桂花さまと、二人……」などとよくわからないことを呟いている凪が目に入りまたしても口から洩れていた。

「……まあいいわ」

 わけがわからないわよ……。それが私の感想だが、彼女たちがそれを気にすることはないだろうし、私も気になどしていない。正直言えば、面倒だ、それに尽きる。

 それにおそらく、本当に面倒なのはこれから。

「で、あなたたちはこんな朝早くから何しに来たの」

 この問いは私にとって、答えのわかっているモノと言って良い。

 その時点で問いの意味を成していないが、それでもこれからのことに対しての私の小さな抵抗だ。

 意味はなくとも言わずにはいれない。はっきり言って、無駄なこと。

「――そ、そうでした! 桂花さま、早く着替えて下さいっ」

「何でよ……」

 我に返った凪の突然の提案に、考えるよりも先に口が動いていたが、意味を理解しても間違っていなかったのでそのままにした。

「まだですよねっ」

「何をよ」

「じゃあ着替えて下さい!」

「だから何でよ……」

 あまりにも要領の得ない説明につい呆れ気味に返答していたが、誰も私を責めることはできないと思う。たとえいたとしても、徹底的に何が悪いのか問いただして論破するだけだけれど。

「……凪ちゃん、それじゃ絶対伝わらないと思うの」

「ウチもそう思う……」

 さすがの二人も呆れたのか、いつの間にか私の手を取っている凪を諫めた。

 『さすがの』という前置きが必要なことにいろいろ言いたいことはあるし、二人がまともなところを見るとなぜか悲しくなるのだが、触れたところで疲れるだけなので一切ツッコまない。

「なあ、沙和。今失礼なことを言われた気がしたんやけど」

「真桜ちゃん、実は私もなの」

「…………」

 出さないよう心がけたつもりだったのだが、もしかして顔に出ていたのだろうか。

「真桜、沙和っ。そんなことはどうでも良い!」

「良くあらへん! 絶対良くあらへんっ!」

「無駄なの、真桜ちゃん。凪ちゃん聞く耳持ってないの……」

「…………」

 どうしてだろう。二人に同情してしまう。

 ふざけてばかりの二人だけど、今回ばかりは二人が哀れすぎる……。

「また失礼な――」

「どうでも良い!」

「言わせてもくれないのっ!」

「…………」

 ……合掌。

 

 

 

「あー、桂花」

「なによ」

 このままじゃラチがあかない、そう思ったんだろう。

 頭を掻きながら、ようやく真桜が本題を切り出した。

 本人が本題を語らないという部分に触れてはならない。面倒なことになる。

「つまり凪が言いたいんは――」

「……朝食の誘い」

「わかっとったんかい……」

「毎朝叩き起こされればわかるに決まっているでしょう……」

「「あー……」」

 そう、毎朝だ。私の意思にかかわらず、毎日欠かすことなく起こしに来る。

 一度、部屋の鍵をかけて入れないようにしたことがある。

 しかしなぜか入り込まれ、いつもと同じ時間に叩き起こされた。問い詰めれば、真桜に鍵を作らせたというのだから呆れてモノも言えない。

 故に、いくら冷たくあしらっても起こしに来るため、最近では文句を言うことすら諦めてしまった。

 ため息という最後の抵抗も意味をなさないのだから嗤えてくる。

「でも何でわからないフリなんか……」

「寝不足で機嫌が悪いのよ、今の私は」

「『寝不足で』……?」

「何か言った?」

「いえっ、何も!」

 正直、眠い。朝食とかどうでも良い。眠い。

 窓の外の様子から見るにいくらか眠れたはずなのだが、まぶたが重く、睡眠が足りていない。

 今、私に必要なのは医者に宣告された通り、睡眠だ。

 睡眠が足りていなければ、今後に大きな支障をきたす。

 それこそ、“あの日”の朝議でうたた寝をしてしまったように。

 だから今、すべきことは寝ること、なのだが……

 

「桂花さま! ほら、着替えて下さいよっ」

 

 この状態を回避することが、できそうにない。

 そもそも、『軍師』の私が『武官』の凪の手を振り払うことなどできないのだから、逆らったところで時間の無駄だ。

 ここはおとなしく従っておいた方が、いろいろ楽だろう。

 そう結論づけた私は、見せつけるように嘆息した。

「わかった、わかったから。少し落ち着きなさいよ」

「ほんとですかっ」

 ぱぁっと顔を輝かせる彼女にその効力が持たされることはないけれど、それでもつい洩れてしまうのは仕方ないことだ。

 それに、今日はたしか休日のはず。

 本当なら部屋にこもって仕事をしている予定なのだけれど、少しくらいなら大丈夫だろう。それ相応のことはしてきたつもりだ。

 だから、“華琳さま”も許してくれることだろう。

「よしっ。じゃあ二人とも、手伝ってくれ!」

「……は? 手伝う?」

 思考が止まった。

 気付かぬうちに聞き返していたのだけれど、それに気付いたところで答えは返ってこない。

 瞬間、背筋に伝う汗の感覚。

 不快感が湧くよりも早く、私を襲う不安感に、口を開いて。

「待ちなさい、手伝うって何を――」

「もちろん着替えです!」

「着替えなんて私ひと――きゃぁっ」

 突然の浮遊感に悲鳴を上げさせられ、黙らせられる。

 凪が私の手を強く引いたから、と理解したときにはもう遅かった。

 

「大丈夫ですっ! 任せて下さい!」

「何をよ! 何を任せろってのよっ! アンタたちも見てないで早く助けなさ――」

「「ごめんなさい」」

「謝られた!? アンタたち二人が真面目にっ、気持ちワルっ!」

「聞き捨てならないこと言われたの!」

「あ、つい口が滑ったわ」

「反省の色が見えへん! 訂正する気もあらへん!」

「うう~、こうなったら凪ちゃんに言われた通り手伝うのっ」

「せやな! 凪に言われたから仕方なく手伝うんであってウチらは何も悪ないっ」

「ちょっと待ちな――ってひゃぁっ、どこ触ってるのよ!!」

「桂花さま、肌スベスベ……」

「目が怖いんだけどっ!?」

「――はっ、だ、大丈夫です! 任せて下さい」

「だから何をよ! これほどまでに頼りにならない任せろって、聞いたことないんだけどっ!」

「ふへへ~。観念するの~」

「ぐへへ~。抵抗せぇへん方が楽やと思うで~」

「気持ちワルっ、本気で気持ちワルっ、心底気持ちワルっ。だからやめなさいって言ってるでしょうがっ」

「やなの~♪」

「こ、のっ――」

「さあ、桂花さま。一気に行きますよ!」

「えっ、や、やめ――」

「行っくでぇっ!」

 

 

 

「き、きゃぁ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――っ!!」

 

 

 

「…………」

 朝食を終え、こみ上げる想いを全て心の底に追いやって食堂を出た。

 太陽の位置から鑑みるに、食堂に来てからそれほどの時間は経過していないだろう。

「あの……」

「…………」

 強く踏みしめた足の振動とともに、後ろに下げた帽子が一緒に揺られている感覚がある。

 背後から三人分の足音が聞こえるが、意識の外に追い出し歩き続けた。

「桂花さま……?」

「…………」

 まずは自室に帰らなくては。

 無論帰ったあとは仕事だ。

 やるべきことは大量にあるし、早々尽きることはない。

「返事をしてくれない……」

「いや……」

「……ねぇ?」

「…………」

 やることが山積み、まさしくそうだ。机の上には山のように竹簡が並んでいる。

「こればっかりは」

「沙和たちが悪いの……」

「…………」

 半分以上は“天の知識”の提案による自主的なモノだが、それでもやらなくて良いということにはならない。

「ど、どどどどうしようっ」

「どうしよう言われても……」

「謝るしか、ないと思うの」

「…………」

 ゆえに、私はこんなところで立ち止まっている暇はない。

 早く、早く、自室に帰らなくてはならないのだから。

「ごめんなさいっ!」

「…………」

 ああ忙しい忙しい。

 これだけ忙しいと他にかまけている余裕なんて一切ない。

「……聞いてくれない」

「あー……」

「これは相当なのー……」

「…………」

 だから、背後から聞こえる何かにも、耳を貸していられるほどの余裕はない。

「うう……」

「…………」

 重ねて言うが、私にはやるべきことがある。

 数えることすら億劫に思えるほどに。

「……ぐすっ」

「凪!?」

「凪ちゃん!?」

「………………」

 だから、私には、こんなところで立ち止まる暇など、ない。

「桂花さまが、うう……」

「ちょっ、え? いやいや、凪。ちょい待てって」

「……………………」

 立ち止まる暇などないのだから……

「っ……ぐすん」

「ま、待つの凪ちゃん! それ以上はいろいろまずいの!」

「…………………………」

 ないのだから……

「だって、だって桂花さまが……」

 だから……

「ううっ……、ぐすっ」

 ………………………………

「……桂花さまの、いじわるぅ」

 

 

「私が悪かったわよ! これで良いのっ!?」

 

 

「おおお落ち着くんや桂花!」

 さすが『武人』と言うべきか。

 立ち止まり、振り返った瞬間にはすでに動き出していて、私と凪の間に身体を割り込ませていた。

「私は落ち着いてる、落ち着いているに決まってるでしょうっ!」

「そんなに声を荒らげながら言われても説得力がないの!」

 こういうときの二人の団結力は異常だと思う。

 沙和も一緒になって凪の姿を隠している。

 それなりの場数を踏んでいないとこれほどの対応はできないし、それ相応に相方を知っていないと無理だろう。

 今回だけはそれを評価しても良いかもしれない――本来なら場数を踏んでいる時点で駄目なのだが。

「うるさいわねぇっ! 私が落ち着いていると言ったら落ち着いてるのよっ!」

「無茶苦茶や! でも今回だけはその無茶苦茶を否定できひん……」

「だから落ち着いてると言っているでしょう!? でも、それでもよ。ちょっと何かに耐えられなくなって叫びたくなるのも仕方ないと思わない!?」

 無茶苦茶なのは自分自身でもわかっている。

 それでも言わずにはいられない、そんなときもある。

「思う、ものごっつ思う! やけどとりあえず深呼吸や! 落ち着いてるなら意味ないやろうけどっ」

 額に汗を貼り付けながら私に同意してみせる真桜に、自身を省みる余裕ができ……ていたわよ最初から。ただ、少しだけ、ほんの少しだけ冷静さを失っていただけ。

「そ、そうね。私は落ち着いてるけれど、気持ちを入れ替えるためにも必要なことよね」

「そうなのっ。意味はないかもしれないけど、やらないよりはマシだと思うの!」

 あくまで、気分を入れ替えるためのモノだ。

 まさか頭に上った血を落ち着けるためだとか冷静さを取り戻すためだとか、そんな理由ではない。断じてない。

「そうよね……。すー……はー……、すー……はー……、すー……」

 自分でも大げさに思うほどに、身体を使っての深呼吸。

 目をつむり、視界からの情報を切り離せば、耳が澄まされ音が良く聞き取れる。

 息を飲む二人を真っ暗な世界で感じ、思考がはっきりしてきたことを確認する。

 何を自分は熱くなっていたのだろうかと反省しつつ、大きく空気を吸い込んで。

 

 

「ううっ、桂花さまが怒ったぁ……」

 ――――ぶつりっ。

 

 

「んにゃぁ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――っ!!」

「火に油がぁぁぁあああああっ!」

「何てことをしてくれるの凪ちゃん!?」

「だって、だってぇ……」

「フシャァァァアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「ぎゃぁぁぁあああああああっ! 桂花があかんことになってもうたぁぁぁぁああああああああっ!!」

「髪が逆立ってネコみたいになってるのーっ」

「これぞネコ耳軍師……って馬鹿なこと言ってる場合やあらへんっ!」

「自分で言っておいてよく言うの……」

「沙和っ、凪は頼むで!」

「何事もなかったように流したの……」

「馬鹿なこと言ってる暇はないっ!」

「それはこっちの台詞のはずなの……」

「沙和っ」

「――あー、もうっ。わかってるの!」

 

 

 

「……ごめんなさい」

「わかれば、良いのよ……」

 何をしているんだろう、それが我に返った私の感情だった。

 冷静さを失って、意味もなく熱くなって。馬鹿なのか、私は。

 何度も言っているが、私には時間がない。こんなところで時間を潰している意味などない。

 もう、自分が自分でわからない。

「……あのー、私もごめんなさい、なのー」

「ウチも悪かったと思っとる」

 凪の横で同じように頭を下げる二人。

 そこにふざけている印象はなく、誠意だけがこめられている。

 いつもの二人と目の前の現実の落差に、ため息が洩れた。

「別に、もう良いわよ。どうでも」

「ほ、ほんとですか……?」

 上目遣いで見つめてくる凪。

 そのさまに、向こうの世界の彼女が重なる。

「ええ」

 私は苦笑しながら答えて。

「やったぁ! ありがとうなの桂花ちゃん!」

 腕を広げて飛びかかってくる沙和にすぐさま後悔した。

 少し前に評価しても良いとか言った自分を心の底から許せない。

 過去に戻る方法があるならやり直したい。

 何でこんなときに限って役に立たないのかしら、“天の知識”は。

 などとわけのわからないことを考えているうちに、すでに眼前にまで迫った沙和の胸。

 全体的にゆったりとした服装に隠れて今はわからないが、しかし私は、それに隠される真実を知っている。

 だから私は、一瞬でも“ああ、痛くはなさそうだな”などと思ってしまった自分に腹が立ち、眼前に迫るそれに殺意が湧いた。

 しかし視線で人が殺せるわけもなく、忌々しげに睨みつけることしかできない私は、迫りくる衝撃に反射的に身構えるしかない。

「何をしているんだ、おまえはっ」

 が、凪によって首根っこを掴まれ、私の鼻先で動きを止められたことで無駄に終わる。

「桂花さまに迷惑が掛かるだろう!」

 おまえが言うな。

 心の底からそう思ったものの、沙和を止めたことに免じて言わないことにする。

 ようやく元に戻ったのだから、わざわざ意味もないことをして時間を潰す必要もないだろう。

「おまえが言うなっ」

「あ痛っ!?」

 すぱーんとこぎみ良い音を響かせ、凪を引っぱたく真桜。

 拍子に掴んだままだった沙和を手放した。

「…………」

 何てことをしてくれるのよ、真桜は。

 せっかく言わないと決めたのに。

 必死に、必死に我慢して押さえ込んだのに。

 これじゃ、何のための私の努力かわからないじゃない。

 おかげで――

「わーい!」

「――ぶふっ!!」

 ――面倒なことになったでしょうがっ!!

 

 

 

 

 

 

 

「どうしてこんなことに……」

 ぽつりと、呆れと諦めが大部分を占める呟きは、私から発されたモノ。

 が、燦々と輝き続ける太陽の光を避け、誰もいない廊下を歩き続ける私に答える者はいない。

 かつ、かつ、と規則正しく鳴らされる足音だけが、ある意味返答と言えるのだろうか。

 それにしてはずいぶんと虚しい印象しかないのだが。

「…………はぁ」

 つい洩らしてしまったため息も、誰もいない廊下では掻き消されることなく虚しく響き渡る。

 結果は心に積もる虚しさが量を増した、それだけだ。

「………………はぁ」

 鮮明に残る記憶の一片。

 私が嘆息する全ての理由で、全ての原因だ。

 その感想が『どうしてこんなことに……』であり、一人で廊下を歩き続けている原因だ。

 休日だろうと関係なく、私にはやるべきことが数多くある。

 本当なら、自室にこもってそれを片付けているはずなのに。

 『なぜ』こうなったのか、私には全く理解できそうにない。

 私がついさっきまで凪、真桜、沙和の三人とともにいた。

 彼女たちのせいで頭を悩ませていたし、ここに至る寸前まで彼女たちとともにいたのだが。

 思い返してみても、どうしてこんなことになっているのかが、全くわからない。

 

 

 “あの三人”に絡まれ、突如抱きついてきた沙和を引き剥がそうと試みたものの、根本的に力で勝てず抜け出せない。

 それでも凪によってすぐに助け出されたのだが、些細な彼女の一言が自分を棚に上げた言動であるために――自覚がないのだから質が悪い――真桜にツッコミを入れられて。

 衝撃で手を離してしまい沙和を捕り逃がしてまた私が抱きつかれて……。

 そんなわざととしか思えない出来事を輪廻のようにくり返して。

 回数を重ねるごとにイライラの増していた私の、堪忍袋の緒が切れたと同時に始まった説教によって終結した。

 三人に廊下の真ん中で正座を強要させ、数えられるほどではあるが、通りすがる人たちが何事かと足を止めた。と言っても殺意を込めた視線で追い散らしたけどね。

 それに、それほど長い時間ではなかったと思う。

 せいぜい“半刻(一時間)”くらいだ。

 彼女たちの日々の行いを正す意味でなら短い方だろう。

 正直、アレでも足らないと今の私は思っている。

 説教を終えすっきりした私は、正座する三人を放って自室へと歩き出した。

 これであの()たちも懲りただろうと、角を折れて一息ついた。

 が、ふとした違和感に後ろを振り返れば――

 

 ――何事もなかったように、凪、真桜、沙和の三人が談笑していて呆然とした。

 

 それどころか、何も言えずに口をパクパクとさせている私に向かって、『桂花さまはこのあとどうするのですか?』と笑顔の凪に問われて愕然とせざるを得なくなる。

 あの生真面目な“凪”が、一時間の説教をした私に何もなかったかのように話しかけてくる、これがどれほど異常なことか。

 

 少なくとも、“アレ”がいたときでは全く考えられないようなこと。

 

 突然の背筋が凍るような寒気に、気付けば自分を掻き抱いていた。

 一瞬のことだったが、それでも心に不安を募らせるには十分すぎて。

 目の前にいた三人に、心配される原因を作るには十全すぎて。

 慌てた様子の三人を宥め、涙目の凪を何とか押さえ込むことに少しの時間を要した。

 理解できない不安もその要因かも知れない。

 何とか三人を宥め終えた私は、その後、彼女たちに別れを告げて、逃げるようにあの場所を離れた。

 彼女たちの顔を見ることができない、あのとき、あの瞬間の私は、そう感じてしまった。

 

 

 そして、現在に至る。

 

 

 そもそも、私は『なぜ』、彼女たちとともに過ごしていたのだろう。

 『時間がない』、常に言い続けている私が、『どうして』彼女たちと短い期間だけでも時間をともにしていたのだろう。

 彼女たちの、凪の誘いも、断ろうと思えばいくらでも断ることができたはずだ。

 では、『なぜ』断ろうとしなかったのか。

 『何もわからない』

 私の感想を言い換え、考えをまとめるとそうなる。なってしまう。

 考えて、考えて、いくら考えようと答えが出ることもなく。

 虚空、虚無、無意味な徒労に終わる。

 私はこれに、『怖い』と思った。

 “軍師”である私がいくら考えてもわからない、それほどまでの『恐怖』があるのだろうか。

 『怖い』、そう思った。

 しかしこの表現には語弊があり、今回の場合、末尾に『だけ』が付く。

 

 思った、だけ。

 『怖い』、そう思っただけ。

 つまり私は、『怖い』と思っただけで。

 

 『恐怖』を感じてなどいない。

 

 私の中に染みついた“軍師”としての私が、『義務』として思っただけ、そんな考えが巡る。

 『恐怖』を感じないのに『怖い』と思う。

 言いしれぬ不安感が、心に募っていく。

 でも、それだけだ。

 私の心が感じるのは『不安』だけで、『怖い』などとは微塵も感じない。

 

『なぜ?』

 

 わからない。何も、わからない。

 

『なぜ?』

 

 一人、ただ独りで。

 募る不安を胸に感じながら。

 私は、誰もいない廊下を歩き続ける――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――桂の花咲くはかなき夢に、中編【終】

 


 
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