No.274464

EYE DROPS

信江さん

※概ね女性向け 古キョンタグがなんだか楽しそうなので、混ざりたくなりました。
かなり前に書いて、ペーパーに掲載して配布させていただいた小話です。

2011-08-15 21:14:51 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:547   閲覧ユーザー数:533

 
 

 

 うららかな日差し眩しい、何の変哲もない午後である。

 部室備え付けの寡黙な文学少女が本の頁をめくる音はさらさらと耳に優しく、これまた部室標準装備の愛らしいメイドさんがエプロンの裾を揺らす様はひらひらと目に優しく、ということはその穏やかな情景を打ち砕く台風の如き団長様は目下のところ不在ということであり、ならばこのつかの間の安息は今のうちに存分に堪能しておくべきであろう。

 しかるに俺はこの希少なる瞬間に、何ゆえに文学少女でもメイドさんでもなく、忌々しくも自分より背も高く脚も長く、見目は整ってはいるものの眺めたところで何一つ心に優しき平穏などもたらさない男――SOS団副団長殿なんぞを、固唾を飲んで凝視しているんだろうかね。

 

 この男の、様々なジャンルにおいて発揮されるわざとらしいほどの小器用さと、予想外の場面において明らかになるどうしようもない不器用さとの境界はいったいどこにあるのか、もし誰かわかる奴がいたら是非とも俺にご教示願いたい。

 ああ、断っておくが、この場合の不器用さとは性格的、気質的なものではなく、単純に手先や手順のことを指す(気質的なものについても言ってやりたいことは多々あるが、とりあえずここでは言及しない)。

 とにかく、今目の前で展開されている大変いらいらするというか見ていられないというか、てめえちょっと貸してみやがれと言いたくなるのをむずむずしながら耐えねばならんような光景が、どんな条件で発生するのかが前もって解れば、それなりの心の準備をするさ。

 だが残念なことに今回もそのような準備期間は与えられず、よって俺はこいつの思いもよらぬ不器用ぶりをまたしても目の当たりにすることとなり(過去の事例についても微に入り細に渡って暴露してやりたいところだが、むずむずが加速するばかりなのでこの場では控えておく)、ついにその手際の心許なさに耐えかねて、堪え性もなく口を開いてしまうのだ。

 

「古泉……お前、目薬くらいまともに差せんのか」

 

 天井を仰いで目の上10cmほどの高さに小さな薬液の容器をかざし、睨むように目を凝らし続けていた古泉は、首を戻してこちらを向くと、ぱたぱたと音がしそうなくらい大きく目をしばたかせた。その拍子に、睫毛の上に乗った水滴が小さく粒になって跳ねる。

「すみません、こればかりはどうも苦手でして」

 困ったような笑顔は実に板についているが、お前の「こればかりは」はまったく当てにならん。

「医療処置については他に苦手なものは特にありませんし、むしろ得意な方ではないかと思うのですが」

 んなことはどうでもいい、というかそんなもん得意にならんでいい。

「そもそも何をそんなに手こずってるんだ。たかだか一滴か二滴、目に入ればいいんだろうが」

「そうなのですが、どうも距離感が掴めなくて、間際でまばたきをしてしまうようで」

 そうすると睫毛に引っかかってしまうんですよね、と情けない顔でへらりと笑って見せる。

 ああ、そりゃお前のその無駄に長い睫毛はさぞかし邪魔になることだろうよ。

「しかし、ハルヒが部室に来るまでにさっさと済ませないとまずいんじゃないのか」

 眼精疲労で目薬の世話になる、のは何の問題もないだろうが(むしろいかにも優等生らしいことだねまったく)、目薬もまともに差せない情けなさは、お前が後生大事に守っている対ハルヒ用イメージにかなりの打撃を与えかねん。いや、意外なギャップ萌えとして新たな属性を認識される可能性もあるが、その場合、次にハルヒの興味がどこへ向くか分かったもんじゃない。

 仮にそのまま目薬方向に興味が向かったとしてだ、椅子に縛り付けられて瞼を無理やり開かれた状態で固定され、団長直々に目薬をたらし込まれるくらいで済めばいいが、下手をすればその状態で表に放り出されて、部室の窓から「二階から目薬」の諺を実践する検証実験の材料にされかねん。二階どころか三階だから、さらに実証のハードルは高い。そしてもしそうなった場合、実際にその被験者として実害を被るのは恐らく、9割以上の確率でお前じゃなくて俺だ。理不尽なことに。

「……それは実験としてはなかなか面白いように思います」

 いや、だからやりたくねえって。お前がさっさと目薬差しちまえばいいんだよ。

 

「で、でも、目薬差すのって、なんとなく怖いですよね、薬が目の中に落ちて来るなんて、それに瓶の先が目に入っちゃうような気がするし」

 麗しきメイドさんが、場をとりなそうとたどたどしくフォローに入る。

 ああ朝比奈さん、あなたがそう仰るのなら何の問題もないんです。目薬を差すのが怖くってうまくいかないんですぅ、と例え涙でなく目薬のせいであっても目を潤ませて上目づかいで訴えられようものなら、すぐにでもその肩に両手を置いて、大丈夫です何も怖くないですよ心配いりません、と勇気づけて差し上げたい。

 しかし大変残念なことに、今目薬を手に難儀しているのは朝比奈さんではなく古泉である。よって俺は、このまま放っておけば本来の目的かなわぬまま薬液を無駄に消費しつくしてしまいかねない馬鹿に、家伝の目薬の差し方の極意を伝授してやるにとどめておいた。

「真上から落とすんじゃなくて、こう首を真横に傾けて、目尻の方から流し込んでやりゃいいんだよ」

 ちなみにこの方法は、やはり目薬を落とそうとすると怖がって目をつぶってしまう妹にも、薬瓶が視界に入った時点で逃げ出そうとするシャミセンにも有効だった手なので、効果は保証つきである。これでうまくいかないようならお前は猫以下だ。

「シャミセン氏はともかく、妹さんに敵わないようではさすがに情けないですね」

 よくわからない判断基準を口にしつつ、存外に素直に古泉はこうですか、と首を傾げて見せた。その仕草も朝比奈さんがすればとてつもなく可愛らしいんだろうがな。ああ、長門でも似合いそうだ。

 そのまま右手で目薬を持ち上げて、目尻の方に薬液を一滴落とす。かっちりしたアーモンド形の目の端に、薬液がすうっと吸い込まれるように流れ込んだ。ほらみろ簡単じゃないか、と思う間もなく、見開かれたままの眼を液体が覆い、僅かに揺らぎを湛えて目頭に溜まるのを、つい見てしまった。

「なるほど、これはやりやすいですね」

 首を戻して軽く瞬いた古泉の、日頃は細められていることが多いので気づきにくいが実は結構大きな瞳の、片方だけが揺れている。瞳を覆った水分は、下睫毛の縁でせき止められたようにぎりぎりで零れない。

 いまにも溢れそうなそれにうっかり目を引かれ続けているうちに、古泉は容器を左手に持ち替えて首を逆に傾けた。左手では力の加減が難しいらしく指先が少し震えて、その震えが伝わったせいか差し口からなかなか離れなかった薬液の雫が焦れるようにゆっくりと滴り落ちた直後、続けてもう一滴が後を追うように落下した。

 あ、と思った瞬間、薬液は目尻に吸い込まれて眼全体に行き渡り、その上に落ちた一滴は行き場をなくして目頭へ流れ、瞼を伝うように膨らんだかと思うとついにこぼれ落ちて一筋の雫になり、古泉のすっきりとした鼻梁を横切った。

 流れた雫はそのまま右の瞼に沿って、下睫毛の上にこぼれかけていた水滴を集めて切れ長の目尻を伝い、まるで涙のようにこめかみへと流れ落ちる。

「――ああ、」

 古泉はしばし雫が流れるに任せて何度か目を瞬かせていたが、ふと気がついたように薬の容器を置いて頭を起こし、長い指をしなやかに翻して左の目尻に沿わせると、そのまますっと顔を横切るように指をすべらせて水滴を拭い払った。指にかかった前髪がさらりと揺れ、軽く伏せられた睫毛の先と整えられた爪の先が、それぞれに濡れて光を弾く。

 ……古泉よ。それはまったく、いかがなものだろうか。

 

 思うに、男子高校生がちょっと顔を拭ったりする程度の動作などというものはもっと無造作であってしかるべきで、いや確かに今の古泉の行動も特に意識的なものではなく無造作な仕草であったような気はするのだが、根本的に何か大いに間違った、いや別に間違いというわけではないな、ないんだが、とにかくこれは違う! と叫びたくなるところがあるように思えてならない。

 しかしそこで何がどう違うのかと突っ込まれても大変困るわけで、だが少なくとも俺と同様に思わず息を詰めて古泉を凝視してしまっていたらしい朝比奈さんまでもが、微かに頬を染めて「はわわぁ……っ」とどぎまぎしていらっしゃるという事実を鑑みるに、ああ明らかにおかしいだろうよ。

 というか古泉の、こういう類のあれ(あれって何だ!)は朝比奈さんに対してさえ有効なのか、という衝撃はとりあえず置いておいて、ついでに衝撃の方向性のあらぬ複雑さについても同様に置いておくとして、そもそもの問題は拭い方のどうこうにではなく、やはり目薬を差す段階にあるのではないだろうか。

 当の古泉はというと、既に涙のごとき一筋の雫の跡も頬にはなく、様子を伺うようにゆっくりと目をしばたかせている。心なしか瞳が大きく開いているように見えるのは、薬液が行き渡り目の霞みを軽減させたのと、両瞳がまだ水の膜に覆われて揺らいでいるからだろう。

 やがて、まだ若干目が泳いでいる朝比奈さんと絶句したままの俺に気づいた古泉は、軽く首を傾けると物問いたげに微笑んだ。

「どうか、なさいましたか?」

 どうかも何もない、いや違った、何でもない。そう即座に切って捨てるべきだった。

 だが、こちらを見つめてくる古泉の濡れた瞳に部室の窓から差し込むやや傾きかけた陽の光が映りこんで揺れていて、橙色を帯び始めたその光のために普段よりも明るく深いところまで澄んだように見えるその色は何と言うんだったか、ああ確か琥珀色とかそんな名前だったっけ、などと考えてしまったせいで、その機会も逸してしまった。

 まったく、心の平穏に差し障ることこの上ない。

 かくして俺は小さく諦めの溜息をつき、かような事態の再発と、今後思わぬ方向に影響が発生しないとも限らない可能性の芽を摘むべく、消極的ではあるが本質を突いていることは間違いないであろう対策案を示しておくことにした。

 

「古泉。 ……お前はもう、人前で目薬を差すな」

 

 

 
 

 
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