No.271333

習作 楼蘭の微笑

まめごさん

世界の中心に君臨する中津国。その絢爛たる後宮の中で、男は刹那に身を焦がす。※グロテスクな表現があります。ご注意ください。

脳の全てを使って耽美に仕上げた。もうムリ、これ限界。

2011-08-12 20:34:54 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:663   閲覧ユーザー数:659

 昔、盛黄殿の中庭には、桃の木が数本植えられていた。

 たゆう陽気に請われたように、一枚、また一枚と花弁を散らせていた。落ちた花の欠片は次々と、しどけなく芝に横たわり、青に映えてゆく。

 女が一人、それを眺めている。細かい細工の入った扇を片手に盛黄殿の欄干から、散りゆく桃の花びらをただ眺めている。数本の簪で結い上げられた漆黒の髪と、広く抜いた襟の間からは、まぶしいほど白い肌が覗いていた。こころもち反った背と優美な腰つきに、熟れた果実のような艶が漂う。

「楼蘭さま」

 私は彼の女の名を呼ぶ。一介の文官、それも若造ごときの声に、楼蘭は目線をわずかも逸らせない。私は構わず続けた。

「お慕い申しております」

 とろりと楼蘭はこちらを向いた。けぶるまつげの下の黒真珠のような瞳が私を捉え、そして朱を引いた唇の端を艶やかに扇で隠した。

「お方さまの為ならば、この命、惜しくはありませぬ」

「近う」

 初めて聞くその声に誘われるように、ゆっくりと歩み寄った私は、全身で値踏みされていることに気が付いた。冠の先から沓の先まで、まるで見えない糸で絡めとられるが如く。その感覚は私に不思議な昂ぶりを与えた。息苦しささえ覚えたほどだ。

 腕一本のところで止まった私に、楼蘭は閉じた扇を伸ばした。黒塗りに薄紅の花散る扇は、私の顎下に添えられた。

 扇は右に動く。私の顔は右に向けられる。

 扇は左に動く。私の顔は左に向けられる。

 息苦しさが確かになった。黒真珠から発せられる冷ややかな侮蔑ともいえる視線は、今やはっきりと悦楽に変わり、私の中の血を巡る。

 そのまま扇は静かに引き寄せられた。自然、わたしも吊られる。息遣いが剥いたような頬にかかるほど近づいた私の耳に、楼蘭は密やかに囁いた。

「白鷺の蒼い目が欲しい」

 声は花の香りがした。

 

 

 世界の中央に君臨する中津国。紫帝の御世、その後宮には総勢三千人の美姫が侍り、豪華絢爛に咲き誇った。

 抽んでた美女を手懸として側に置き、愛でるのは男の甲斐性とはいえども、いかに帝とて三千人全てに情けをかける訳にはいかない。

 結果、二人の妃がその寵を争う次第となった。

 一人の名は盛黄殿の楼蘭。左大臣を父に、先帝の姫を母に持つ、純血たる貴族の娘。絶世の美女との誉れ高いが、その矜持の高さ故か、にこりとも笑わない。誰一人、帝すら見たことのないというそれは、黄金以上の値打ちと噂された。

 もう一人は栄紅殿の白鷺。楼蘭とは逆の境遇で、卑女として後宮入りした所を帝の目に止まり、位を与えられた。外つ国の血が流れているようで、瞳が珍しく濃く蒼い。その美しさはどんな宝珠をもってしても敵わないとされており、最近はとかくご執着のようでお成りの証でもある王紋の入った灯篭は、今宵も栄紅殿の軒先に灯る。

 

 後宮は権力の印であると共に、殿上人の秘密の狩り場でもあった。高根の花を観賞するだけには飽き足らず、焦がれ手折ろうとする者たちはいつの時代もいるものだ。遠き頃は宦官なるものが存在したようだが、壮絶な権限を持つようになった為いつしか廃れ消えていった。奥は奥の世界に閉じるべきで、表に関われば政の混乱を招く。

 ただし、遊びとなれば別である。闇に潜まれば勝利と数え、しかし公に露見すると己はおろか一族の首が飛ぶ。そして相手は後宮という修羅に生きる女たち、男の欲を操り意のままに動かす。政とは異なるこの遊びは、爛熟した文化を生み出し、それは次第に腐敗に変わり、やがて動乱を迎えることになるが、これはまだ最後に煌めいた一欠片の時代の話だ。

 

 

 さて、楼蘭の願いを受けた私は、早々に白鷺に近づく算段を取りつけた。折しも帝は日頃の盛りが祟ったご様子、臥所から身を起こすこともままならないそうだ。

 栄紅殿に努める女官の中に、一人の女がいた。左目の下、白紙に墨汁をぽつりと垂らしたような黒子の女で、名前は忘れた。仮に泣黒子としよう。彼女は主である白鷺に心底尽くしていたが、残念ながらその想いはいつも一方通行だった。基本的に女は欲深く、与えた愛と同等、もしくはそれ以上を手にしなければ満足はしない。例えそれが親と子であってもだ。無償の愛など存在しない。

 いわんや主とその女官。虚しい、虚しい、とよく零しては溜息をついていた。

「ならば私を主の元へ案内しておくれよ」

 すでに程よく馴染んだ肢に、無邪気を装って腕を回す。まだ少年の殻を尻に付けたままの私は、子供じみた仕草が年増女にはよく効くことを十分に心得ていた。武器といっていい。

「勿論、何もしない。少し驚かすだけだ。真っ先に駆けつけてご安心させる貴女に、白鷺さまはとても感謝するだろうね。今までの仕打ちだって後悔するかもしれない」

 少し考えれば分かることだ。

 女官は主に仕えるが当たり前、その当たり前に誰が感謝などするものか。しかし、私の提案こそが彼女の夢だった。

 泣黒子は夢を見たかった。

 

 闇夜に刺さる三日月の下、私は泣黒子の手引きで栄紅殿に忍んだ。さすがは寵姫の住、柱も格子も凝りに凝って逆に醜悪なくらいだ。奥の一番広い室に白鷺はいた。

 別室に泣黒子を控えさせ、私は音もなく扉の中へ入り込む。

およそ十ばかりの蜀台に照らされた室内は、眩いくらいに明るく、その中で白鷺は手鏡を覗きこんで悦に入っていた。周りに人の気配はない。おそらく泣黒子の采配だろう。

解かれた黒髪はたっぷりと潤い、白絹に包まれた柔らかな背から漂うは、栄華を極めた女の自信。

 音を立てず近づいた私に気が付いたのと、悲鳴を抑えるべくその口を塞いだのは同時だった。

「突然のご無礼をお許しください」

 言葉を震わせつつも、白鷺の耳元で私は低く熱く囁いた。

「お願いです、想いを叶えるのにほかに方法が分からなかったのです。お方さまに焦がれて焦がれて、罪と知りながら忍んでしまいました。ですがお方さまのその瞳の色こそが罪なのです」

 口説き文句としては落第点なのだろうが、白鷺の体からは徐々に強張りが溶けてゆくのが分かった。平常心を取り戻したらしい。後ろから抱きかかえていた形の私を振り返って、帝を虜にしたその蒼い眼を細めて笑いかけてくる。浮かぶ聖女の慈悲と滲む雌犬の卑しさ、男を知りつくした笑みだった。

「許してほしくば、妾を満足させなさい」

 おずおずと私は両手を上げる。細首に手をかけた瞬間、一気に力を入れて絞めた。白鷺は暴れたがすぐに事切れ、ぴくりとも動かなくなった。帯に隠していた短剣で、目を丁寧に掘り出してゆく。宝珠よりも美しいと絶賛された蒼い瞳は、いまやどろりとした、ただの物体に成り下がった。

 

 しばらく後、遠く泣黒子の悲鳴が聞こえた。

 

 

 目の前に恭しく捧げられた絹の包みを、楼蘭は受け取った。こちらは指定された名もなき小宮の一室、寵姫に相応しからぬ粗末な椅子に腰かけて、我が想い人はゆっくりと包みを開いてゆく。

 私はただ畏まっているだけである。さながら餌を待つ犬のように。尻尾がなくて心から良かったと思う。

 辺りには楼蘭の腹心と思われる女官が三名、一人は主の背後に、二人は日の差し込む格子から、外の様子を伺っている。

 包みの中を見て楼蘭は小さく息を飲んだ。

「ああ、なんと美しい……」

 一日が経って干乾びた穢れた物体を、愛おしげに両手に掲げた楼蘭の顔に浮かんだのは、まごうなき微笑であった。紅に彩られた唇はゆっくりと艶然に釣り上げられ、長い睫毛の下の黒真珠は、陶酔する眼差しだった。

 あっ、と女官たちが声を上げ、慌てて口元に手を当てた。初めて見た主の表情に驚いたのだろう。私はただ呆けたように眺めているだけであった。

その壮絶に凄まじき美しい微笑み。

 ぞくりと背中を何かが伝った。最高権力者さえ見たことのない楼蘭の微笑を、私は引きだしたのだ。背を伝った何かは体の中を走り抜け、目眩を堪えるのに必死だった。まだ肌寒さの残る季節に全身に汗をかいて、私はただ恍惚に酔った。

 そしてこの夜、東の川原で首を刎ねられた。

 後悔はしていない。

 恋い慕う楼蘭の微笑を見ることができたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は髑髏。

 浅ましき、人の最果ての姿。

 川原の隅に打ち捨てられて、たまに昔を思い出す。

 掠れる記憶を紡いでは、時折、風に歌っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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