No.269373

歯車

己鏡さん

2011年3月19日作。震災の被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。また、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。各自自分のやるべきことを。偽らざる物語。

2011-08-11 02:00:02 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:451   閲覧ユーザー数:450

 山のふもとに広がる工業都市は大通りを挟んで北に、主に木材の加工を主とする工房が集まり、港のある南側には金属を扱う工場が軒を連ねていた。

 私は北側の地区の、表通りから一歩入った小さな工房が並ぶ道を散策していた。

 緩やかに曲がる道を進んでいくと、ひとりの男の子がきゃっきゃとはしゃぎながら玩具で遊んでいるのが目に入った。

 よちよちと歩く子どもの手に押されて、棒の先に付いた箱のような車がコロコロと動く。そのたびにアヒルをかたどった木の部品が、ひょこひょこと顔を出したり引っ込めたりしていた。

 工房の入り口にはこの子の祖父だろうか、老人がその様子を静かに見守っている。

 白髪頭に同じ色のひげを生やした老人は、孫が「じーちゃ!」と呼びながら笑顔を向けると眦を下げた。微笑ましい光景を前に、私の心にもやさしさが満たされていくような、そんな気分だった。

「一枚、いいですか?」

 私は自然と声をかけていた。

 

 老人は快く写真を撮らせてくれたあと、私を工房の中に招き入れた。

 彼はコーヒーポットとカップを持ってくると、小さな丸いテーブルに向かい合って座った。男の子は広い一角で積み木を積んで遊んでいる。

「お孫さん、かわいいですね」

「初孫なんだが目に入れても痛くないとはこのことだね」

 相好を崩す老人。穏やかな表情に嘘はない。

 私は注いでもらったコーヒーを一口含みつつ、工房の中を見回した。

 ずいぶん年季の入った室内には壁掛け時計が三つもあった。といっても、動いているのは一台だけで、残りの二台はただ飾ってあるだけなのか並べて掛けてある。二台のうち一台はまだ比較的新しい物のようだが、もう一台はかなり年を経ているのか、どこか寂れた感を漂わせていた。

 さらに、壁際には一抱えもありそうな大きな歯車が、崩れないように端をそろえていくつも積んであるし、隣の木箱には大人の手のひら大の歯車が山盛りに入れてある。

 仕事机にはちょっとした工具や図面があり、コルクボードには計算式を書いたメモが何枚もピンで留めてあった。

 大小さまざまな木の歯車がここで生産され、出荷されるまでのひと時を過ごしているのだ。子どもの口に入るような小さな歯車や部品類、危険な工具は片付けられ、床に木屑などのごみを残さないよう掃除されているのは、かわいい孫のためだろう。

 それでも間違いが起こらないようにと、老人の注意は常に男の子の方に向けられていた。

「いつかあの子が大きくなったらわしの所か、息子の工房を継いでくれるといいんだが」

「息子さんも工房を?」

「ああ。南で金属の歯車をつくっとるよ。ほれ、そこに二台の時計があるだろ。新しいほうが、息子の初めて作った部品を使って製作されたものだ。知り合いの時計職人に頼んで記念にね。古いほうは昔、同じようにわしが初めて作った歯車を組み込んでもらったやつさ」

 なるほど、この老人とその息子の職人としての始まりは、あの二台の時計なのだ。

「いつだってあの時計を見て、『自分の仕事はこれだ』と思いながら続けてきたんだ」

「長いんですか?」

「十三で見習いになって十八で独り立ち。それからずっと。何があったって、来る日も来る日も。五十年前の戦争のときはひどかったよ。今みたいな蒸気機関はまだなかったが、それでも街はほとんど瓦礫の山になっちまって。しばらくは復興作業に追われる毎日さ。そうしてある程度目処が立ったら、街を造りなおしつつ、みんな自分たちの生活に戻っていった」

 戦時、工業の発達している都市は、相手への損害規模を考えると標的とされやすい。相当な被害が出たに違いない。

「それに三十年程前にあった大規模な火災のときもそう。たしか……息子がまだ進学する前だったな。あの時はうちの婆さんも含めて大勢死んだよ。街の北半分は八割方壊滅状態になっちまった」

 過日に思いをはせる老人の細い目は、はるか彼方を望んでいた。

 私は口を挟まずにただ黙って聴いていた。

「動揺したし悲しかったよ。男手ひとつで息子を育てにゃならんと思うと不安もあった。それでも何とか立て直してこの工房を続けてきたんだ」

 老人は手近なところにあった歯車を手に取った。等間隔に並んだ凹凸が山あり谷ありの人生のように連なっている。

「けっきょくわしも……いや、わしだけじゃない。息子も孫も、おまえさんも、世界中の人間はこの歯車みたいなもんさ。みんなが自分の役割を果たして『世の中』という一つの機関を動かしている。だから止まってる暇はないんだよ」

 老人が歯車をかざしながら続ける。

「自分の仕事をちゃんとこなす。それが廻りまわって自分を含め、周りの人の助けになる。そう信じて、わしはいままでやってきた」

 老人がふっと力を抜いた笑みを浮かべて歯車をテーブルに置いた。垣間見た芯の強さもにわかに隠れてしまった。

 と、話が終わるのを待っていたかのように、男の子が玩具を手に祖父のもとへ駆け寄ってくる。なんだか泣きそうな顔をしている。どうやらおもちゃの内部に施されたからくりの調子が悪いらしい。

 老人は工具を取り出すと、手馴れた様子で瞬く間に修理してしまった。話によると歯車の噛み合わせが悪かっただけのようだ。

 ふたたび無邪気な笑みを取り戻した孫の頭を、老人がそっと撫でる。

 あの無骨で節くれだった、しかし力強くときにやさしい手のひらが社会を形作る一端を担っているのだ。

 

 自分の右手をじっとみつめる。

 私も同じようになれるだろうか。

 いや、歯車が狂わない限り、いつかは――。

 


 
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