No.269346

己鏡さん

2010年12月31日作。原題は「霧の都」。掲載段階で変更。偽らざる物語。

2011-08-11 01:42:13 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:384   閲覧ユーザー数:383

 その町は「霧の都」と呼ばれていた。

 いまだ王制を敷く彼の国の王都であるこの町には、旧知の仲の作家が住んでいた。

 所用で近くまで寄った私は久しぶりに彼を訪ねることにした。

 ミルクのように濃い霧が街を完全に包み込んでいる。

 日は翳っているのか薄暗く、気温も低くて寒い。よほどすぐそこまで迫らない限り、目の前の障害物すら判然としない視界の悪さに、歩くのも慎重にならざるをえなかった。

 街行く人たちは慣れたもので、ぶつからないようにすたすたと進んでいく。

 みんな寡黙で、私の気のせいだろうか、国の中心地なのに街にはあまり活気がないように感じられた。

 家を訪ねると、彼は驚いていた。

 何せ事前に連絡のひとつもいれず急に訪れたのである。苦笑しつつ「おまえは相変わらずだなあ」と家に招き入れてくれた。

 お茶を飲み一息つくと、各地の様子などを話して聞かせた。彼は職業柄、知識の吸収には貪欲で、自分が見て回れない分、何事も興味深く聞いてくれる。おかげで私も時間を忘れてついつい夜までしゃべってしまった。

 明日は昼前に会おうと約束して、私は宿に向かった。

 

 翌日、私は彼に誘われるがまま町の外に出て近くの丘に向かった。

 ごつごつとした石ころが転がり、所々短い草が生えているだけの荒涼とした道を登りきると、見下ろした先に町が見えた。何度かこの町には来たが、高い場所から一望するのは初めてだ。

 四方を山に囲まれ、町に続く街道はあえて細く造られている。

 それでなくても周囲には山脈が多く連なり、外敵の侵入は容易でないのに、これでどうだといわんばかりに城壁まであるのだから恐れ入る。

 風は冷たいが昨日と違って天気もよく、霧に満たされた町はどこか神秘的だった。

 いつものようにシャッターを切る。

 時折、家々の屋根が見え隠れし、白い世界に彩を添える。

 常に見えているのは高い城壁の頭と、天へと手を伸ばすかのように建てられたこの街の中心ともなる王城の塔。それに次ぐ教会の鐘楼だけだった。

 悪くない風景だ。しかし、どこか釈然としない。私は塔や鐘楼は撮らず、下方に広がる霧にのまれた町を中心に、カメラにおさめた。

「どうだ。無粋なもんだろう?」

 手ごろな岩に腰掛けて町を見下ろしていた作家が、自嘲するように言った。

「ああ。君には悪いがどうもあの塔と鐘楼は写す気になれないね。なんだか違和感がある。たとえるならカップに二本スプーンを突き刺してるっていうかさ。どちらか一方でいいんだよ」

 構図の中心となるシンボルは二つも必要ない。私はそのつもりで言ったのだが、彼はどう捉えたのか大きな声で笑い出し、不意に真顔へと戻る。

「スプーン二本か。なかなかいいたとえだ。今この町では王侯貴族と教会の間に摩擦が生じていてな。王族の権力が以前より弱まり、逆に教会が力をつけた。おかげで町は混乱し始めてるよ。いまはまだマシだが、このままひどくなればあるいは」

 なるほど。街が昔のようなにぎやかさを失っているのにはそういう理由があったのか。

 たしかにスプーン二本でカップの中をかき混ぜようとすれば互いにぶつかり合い、波打った中身は、最後にはこぼれてしまう。

「街を覆う白い霧が、赤い霧にならなきゃいいが」

「赤い霧か。不気味だな」

 権力闘争の被害にあって血を流すのは、善良な一般市民と相場が決まっている。

 天に向かって突き出し、対峙する権力の象徴。

 王族も教会も、足元に這う霧のために、民の住まうこの都そのものが見えなくなっているのかもしれない。

 ただ、一年の半分以上が白く覆われるこの「霧の都」も、霧が晴れさえすればまた別の美しい町並みをさらけ出す。

 私は心の中で静かに祈った。

 何百年も守られてきたその姿と民の営みを、また目にできる日が来るように。


 
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