No.26098

【looking for...】STAGE 4 裏切り

嘉月 碧さん

晴樹たちは高校最後の文化祭を楽しみにしていた。 しかし事件が次々と起こり,文化祭開催が危なくなる。その魔の手が幼馴染の樹里にも及んで……。

――いつものようにバンドの練習に向かった樹里。しかしいるはずのメンバーは誰一人もいなかった。

2008-08-21 01:39:06 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:441   閲覧ユーザー数:425

 それから数日後のある日。午前中、樹里はいつものように劇の練習をこなし、バンド練習へ向かっていた。

(うわー。遅くなっちゃったなー)

 時計を見て焦る。一時からバンドの練習なのに、時計はもう既に一時半を指していた。

(待ちくたびれているだろうなぁ)

 樹里はトランプをしながら待っているであろうメンバーを思い浮かべながら、いつものように教室の扉を開けた。

「遅くなってごめん!」

 謝りながら入る。いつもならすぐ誰かが返事してくれるのに、何も返ってこない。

「……あれ?」

 樹里は教室を見渡した。そこには誰もおらず、ただしんと静まり返っていた。

「……誰も……いない?」

 信じられないと思いながら、教室の番号を確認する。

「合ってる……よね」

 いつもの教室だ。間違うはずがない。ドラムセットも他の機材も置いたままだ。だが教室には誰一人いない。

 不安に思いながら、恐る恐る教室に入った。

「もう……悪い冗談やめてよ」

 誰もいない教室に向かって言葉を発す。しかし何か返事が返ってくるわけでも、誰かが出てくるわけでもなかった。

 樹里は悪い冗談でメンバーが隠れてると思い、机の下やロッカーの中を調べた。

 だが誰もいない。どこにも、誰もいなかった。

「何で……?」

 泣き出しそうになる感情を抑え、樹里は窓の外を見た。中庭で晴樹たちがいつものようにダンスの練習している。樹里は窓を開け、晴樹に向かって叫んだ。

「ハルー!」

 その声にすぐに気づき、全員が樹里を見る。

「どしたー?」

 呼ばれた晴樹が返事する。

「うちのメンバー知らない?」

「さぁ? 見てないけど」

 晴樹は樹里の質問を不思議に思いながら答えた。その答えに樹里は泣き出しそうに笑う。

「そう。ありがとー」

「何かあったのか?」

 樹里の様子がどこかおかしいことに、晴樹はすぐに気づいた。

「何でもなーい。ありがとー」

 樹里はそう言いながら、窓を閉めてしまった。

 晴樹には遠目でも分かった。樹里が泣きそうな顔をしていたことに。

「わりぃ。俺、ちょっと抜ける」

 晴樹は三人に断りを入れ、樹里の元へと急いだ。

 

 樹里は窓を閉め、立ち尽くしていた。

(まさか時間、間違えた?)

 そんなはずはない。昨日きちんと拓実に確認した。

 自分の時計が壊れてるのだろうか?

 そう思い、携帯の時計を見るがやはり一時半過ぎだ。

「何で……誰もいないの?」

 樹里は震える声で呟くと、教室を出た。

 

 階段を駆け上がってきた晴樹は、教室から出てきた樹里を見つける。

「樹里!」

 叫ぶと樹里は俯いていた顔を上げた。

「ハル……」

「どうした? 何かあったのか?」

「何でもないよ」

 顔を背け、そう言い張る樹里の両肩を晴樹が掴む。

「何が何でもないだよ! 泣きそうな顔して!」

 急に怒鳴られ、樹里はきょとんとした。その反応で、晴樹は我に返る。

「あ……ごめん。怒鳴ったりして……」

 晴樹は樹里の肩を掴んでいた手を放し、もう一度訊いた。

「何かあったのか?」

 すると樹里はまた俯く。そしてポツリと呟いた。

「……いないの……」

「え?」

 か細い声に、晴樹は思わず聞き返す。

「誰もいないの」

 今度ははっきりと聞こえた。

「教室に?」

 そう聞くと樹里はコクンと頷く。

「時間、間違ってるわけないよな」

 一人くらい間違うとしても全員が間違うはずがない。

「あ。もしかして自分のクラスの手伝いとかまだやってるのかも?」

 樹里が思いつくと、晴樹が頷いた。

「そうだな。俺、拓実んとこ聞いてくるから、樹里は雄治んとこ聞いてこい」

「うん」

 拓実の教室より近い雄治の教室に樹里を行かせ、晴樹は拓実の教室まで走った。

 

「あの……拓実、いる?」

 晴樹は教室に残って作業をしていた拓実のクラスメートに聞いた。

「さぁ? もうとっくにバンドの練習行ったんじゃね?」

「そっか。ありがと」

 ここにはいない。他に行くとすれば……。

 晴樹は向きを変え、また走り出した。

 

 生徒会室には貴寛と数人の生徒会メンバーがいた。早速貴寛に聞いてみる。

「拓実? こっちには来てないよ?」

「そっか」

 生徒会長の拓実ならここにはいると思ったのに、当てが外れた。

「どうかしたのか?」

 そう尋ねられ、かいつまんで話す。

「いや……バンドの練習に来てなくて、樹里が探してたからさ」

 その言葉に貴寛は驚いた顔をした。

「そっか。でもこっちには来てないよ。来たらそっち行くように言っとく」

「うん。よろしく」

 晴樹が生徒会室から出ようとすると、貴寛に呼び止められる。

「ハル」

「ん?」

「あ……いや、何でもない」

 貴寛は口をつぐんだ。何かを知っているのだろうか? と不審に思いながらも、今回は問いたださないことにする。

「そうか? じゃ、またな」

 晴樹は生徒会室を出ると、樹里の元へ急いだ。

 

 再び練習用の教室に戻ってくると、既に樹里が戻って来ていた。晴樹に気づき、樹里が顔を上げる。

「拓実、いた?」

 少し期待をするような眼差しに、胸が痛んだ。

「ううん。クラスと生徒会室行って来たけどいないって」

「そっか」

 樹里は結果を聞いて俯いた。

「雄治もいなかったのか?」

 その問いに樹里は頷く。晴樹はグッと拳を握り、次の言葉を絞り出した。

「虎太郎もいないし……。涼も来てないみたいだ」

 晴樹はついでに他のメンバーが行動しそうな場所を探したが、どこにもいなかった。

「ありがと。ハル。もういいよ。今日は練習なくなったのかも」

「……大丈夫か?」

 晴樹の問いに、樹里はにっこりと笑った。しかし晴樹には泣きそうにしか見えなかった。

「ごめんね。ハル。ダンスの練習してたのに……」

「こっちは大丈夫だよ。そういや、携帯は鳴らしてみた?」

 樹里はコクンと頷く。

「うん。メールもしてみたけど……。電話も出ないし、メールも返って来ない」

 樹里はお手上げのポーズをした。四人もいて、誰一人もメールに気づかないなんておかしい。

「誰も返してこないのはおかしいよな」

「仕方ないよ。四人ともたまたま電話もメールもできない状態なのかもしれないし」

 樹里はそう言ったが、晴樹は納得できなかった。

 

 それから毎日樹里は教室で待ち続けたが誰一人、姿を現わすことはなかった。連絡さえも取れなかった。

 

 そんな状態が続く中、夏休みが明け二学期に突入した。唯一バンドメンバーで同じクラスの虎太郎は樹里たちと明らかに距離を置いていた。

(フラッシュバックがそんなにきつかったのか?)

 晴樹はそう考えて、虎太郎に連絡をよこさなかった理由や練習に来なかった理由を無理に聞こうとはしないことにした。これ以上、虎太郎の傷口を広げたくない。

 拓実と雄治はクラスが違うので、タイミングが合わず、会うことすらできなかった。涼はバイト尽くしらしく、樹里の家にも来なくなっていた。

 

 ある日の放課後。樹里は屋上に上った。

「よしっ」

 屋上から見える夕日に向かい、気合を入れる。そしてそのまま練習教室に向かった。

 

「ハル」

 ダンスの練習に向かおうとした晴樹は、沙耶華に呼び止められる。

「ん? 何?」

「樹里のことなんだけど……」

 沙耶華の言いたいことは、その瞬間に何となく分かった。

「あー、うん」

「このままで大丈夫かなぁ?」

「大丈夫じゃないだろ」

 それは傍で見ていてよく分かる。

「だよねぇ……」

 沙耶華が溜息をついた。大丈夫じゃないことは分かるが、自分たちができることは何もないように思えた。

「流石の樹里も今回ばっかりは……」

 晴樹がそう言いかけた瞬間、上の教室からギター音が聞こえた。二人は顔を見合わせる。

(もしかして戻ってきた?)

 晴樹と沙耶華はそんな期待をしながら階段を駆け上がった。

 

 二人はドアが開いている教室をゆっくり覗いてみる。

「あれ? 二人ともどうしたの?」

 しかしそこにいたのは樹里一人だけだった。

「今ギターが聞こえたから……」

 沙耶華が答えると、樹里は笑う。

「あぁ。この音ね」

 そう言って抱えているエレキギターを鳴らした。

「他のヤツらは?」

 晴樹が尋ねると、樹里は溜息をつく。

「相変わらずだよ」

 相変わらず来ない、ということだ。

「でも何で樹里はここに?」

 沙耶華が訊くと、樹里は真っ直ぐな目で二人を見た。

「あたし、やることにしたの」

「何を?」

 突拍子もない言葉に、二人は思わず聞き返す。

「決まってるでしょ。音楽よ」

 樹里は不敵に笑った。

「あたしにはこれしかないの。皆が来なくなった理由は分かんないけど……。あたし、例え一人になっても歌い続けるって決めたの。あたしの歌に共感してくれる人が必ずいるって信じてるから。それにあの四人は少なくともあたしの歌に共感してくれてたもの。今はきっと何かの理由でできないだけだと思う」

 樹里は一度俯いた。そしてまた顔を上げる。

「だからいつかまた五人で演奏ができるように……『あたしはここにいるよ!』ってサインを送り続けようと思ったの」

「樹里……」

 樹里は笑顔でそう言った。

 何て強いんだろう。一人になっても、仲間に裏切られるような状況になっても、樹里は凛としていた。

 自分がもし樹里の立場なら、こんな前向きに考えられただろうか?

 晴樹と沙耶華はそう考えずにはいられなかった。

「樹里」

 晴樹が呼ぶと、樹里は真っ直ぐに晴樹の目を見た。

「頑張れよ。俺、何もできないけど……応援してるからさ」

「あ、あたしも」

 沙耶華も手を挙げる。

「ありがと。二人とも。頑張るね」

 樹里は両手で拳を握った。とにかく元気になった樹里を見て、二人は安心した。

 晴樹は何だか気に食わなかった。最近の要の行動がやたら目に付く。劇の練習の時も樹里にベッタリなのだ。

「樹里。はい、お茶」

「あ、ありがと」

 樹里は要に差し出されたお茶を飲んだ。何だかとっても楽しそうである。

 晴樹はその様子を遠くから見ていた。

「いつの間にか呼び捨てになってる……」

 沙耶華がポツリと呟く。それは晴樹だって気付いていた。だから余計気に食わない。

「ハル。早くしないと樹里取られちゃうよ」

「分かってるよ!」

 沙耶華に痛いところを突かれ、思わずふてくされて返す。

 そのことは晴樹にだってよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく分かっている。

「ぶっさいくな顔してんな。ハル」

 横から声をかけてきたのは恭一だった。仏頂面をしていると、自分でも気づき顔を戻す。

「原因は要だろ?」

 陽介は事情を察した。その言葉に、恭一は要の行動を目で追う。

「あれって、何て言うか……下僕?」

「て言うより犬」

 恭一が言うと、すかさず陽介が言い直す。

「それだ」

 適切な比喩を見つけ、恭一が納得する。

 犬とは酷い言われようだが、まさに適切だった。要が尻尾を振って樹里になついているように見える。

「ハル。悪いな。要、いいやつなんだけどさ……」

 どうやら晴樹が樹里に好意を持っていることは、周りにバレバレのようだ。なので敢えて何も言わない。

「あいつ、いつも好きになったら一直線って言うか……」

 恭一が要のフォローをする。

「知ってるよ」

 晴樹は思わず苦笑した。三年間一緒にいれば、大体分かる。

「要、ずっと樹里ちゃんのファンだったからさ。俺らはアイドルみたいな感覚だけど……。あいつは違ったみたいだ」

「俺たちのこと、名前で呼んでくれるのも嬉しいらしい」

 陽介の言葉に、恭一が付け足した。

 気持ちは分からなくもない。晴樹は昔から知ってるので、もちろん初めから呼び捨てだが、名前を呼ばれると何だか特別な感じがして嬉しい。大抵は名字で呼ばれるからだ。

 晴樹は樹里と要を目で追った。今までは貴寛を警戒していたが、これでライバルが一人増えてしまった。思わず唸る。

「ハルが悶絶してる……」

「ほっといていいよ」

 恭一の言葉に、沙耶華が冷たく言い放つ。

「沙耶、冷たい……」

 晴樹がそう言うと、沙耶華は楽しそうに笑った。

「あたしはただハルはハルで悩んでるからそっとしといてあげようという意味で……」

「嘘こくな」

「うひひ」

 晴樹に見抜かれると、変な笑いを浮かべた。

「そう言えば、新藤たちとはまだ連絡取れないのか?」

 恭一は話題を変えた。

「うん。学校で会おうとしても、タイミングが合わないし。携帯にかけてもメールしても返事なし」

 晴樹はお手上げだと、両手を掲げた。

「何でだろ? あんなに仲良かったのに……」

 陽介が眉を寄せる。

「分かんね。急にこうなっちゃったからさ。俺もどうしたらいいか分からなくて」

 晴樹は溜息をついた。

 全員が樹里を見た。いつもと変わらない笑顔。まるで何もなかったかのような素振。

「無理しちゃって」

 沙耶華が呟く。

「ホントにな」

 晴樹は樹里を見ていると、胸が苦しくなった。

 樹里は昔からそうだった。絶対他人には弱音を見せない。それは晴樹にも沙耶華にもだ。いつも前を向いていた。

 でもこのままだといつか樹里が壊れてしまうんじゃないか?

 晴樹はそんな心配をしていた。

「樹里ちゃんってすごいよな……」

 恭一が呟く。

「絶対弱音吐かないと言うか……いつも凛としてる」

 陽介が付け加えると、晴樹が頷いた。

「うん。昔からそうなんだ。絶対他人に弱音を吐かない」

「へぇ」

 晴樹の言葉に二人は感心した。

「樹里の強さに、いつも助けられてる」

 沙耶華がポツリと呟く。

「いつも周りのことにばっか神経使っちゃってさ。自分のことは後回し」

 沙耶華の目に涙が溢れる。

「沙耶……」

 二人を今まで見てきた晴樹も居たたまれなくなった。沙耶華をずっと支えてきた樹里。

「でも今回ばかりは樹里も相当堪えたと思うよ。樹里、自分のせいでこうなったって思ってるみたいだし」

 晴樹がやっとの思いで口にする。

「だよなぁ。全部樹里ちゃんがなんだかんだで関係してるから……」

 恭一がそう言うと、陽介も頷いた。

「でも……誰が何のために?」

 沙耶華が誰に問うでもなく呟いた。

 全員同じ疑問を持っている。

 何のためにこんなことをするんだろう? こんなことをして誰か得をするんだろうか?

 その疑問の答えは誰にも分からない。

 

 劇の練習が終わった樹里は練習用の教室に向かった。

「ちーっす」

 いつものように声をかけながら、扉を開けるが誰もいない。

「いるわけないか……」

 樹里は苦笑した。

 毎日こうしてココに来ては、皆の残像を見る。泣きたくなる気持ちを押し込め、樹里はギターケースを開けた。

「樹里」

「……要くん」

 声がしたと思ったら、要が教室の入り口に立っていた。

「どしたの? ダンスの練習じゃなかったの?」

 樹里は要に背を向け、ギターをケースから出しながら問う。

「樹里。俺、樹里のことが好きだ」

 突然の告白に樹里は頭が真っ白になる。

「え? 何言って……」

 振り返ると、いつの間にか要が目の前にいた。

「ずっと好きだった。一年の時から……」

 要の瞳は真剣だった。そんな彼の気持ちに、樹里は今、初めて気付いた。

「……ありがと」

 やっとのことで声を絞り出す。

「でも……あたしには他に好きな人が……」

 そう言い終わらないうちに、要は樹里を抱きしめた。

「かっ、要くん?」

 突然のことに、樹里はパニックになった。何が何だか分からない。

「俺じゃダメ?」

 耳元で甘く囁かれる。樹里は今までこんなことをされたことがないので、どうしていいか分からなくなった。

 やっとのことで、腕を解く。

「ごめん。あたし……まだその人に気持ちを伝えてないの。だから……」

「……そう。でも俺、諦めないから」

 それだけ言うと要は教室を出て行った。

「……何なの……一体……」

 樹里は突然の出来事にパニックになっていた。

 

 その頃、沙耶華は教室に残って劇の道具や衣装の片付けをしていた。

「高井さんも大変ね」

「え?」

 突然、クラスメートにそう言われ、沙耶華は顔を上げた。そこには樹里を快く思っていない貴寛のファンの女子が三人いた。

「何が?」

 聞き返すと、三人ともが同情するような目で沙耶華を見た。

「だって……ねー」

 一人が言うと、他の子と顔を見合わせる。何だか嫌な感じだ。

「藍田さんって高井さんしか友達いないんでしょ?」

 女友達が、だとすぐに気付く。

「そんなこと……」

 言い返そうとすると、すぐに遮られる。

「皆、藍田さんのこと快く思ってないよ」

「え……?」

 思ってもみない言葉に、沙耶華の思考が一瞬停止する。

「だってさ、何か男共はべらせてるし……」

「貴寛くんが条件出したからって主役やってるし」

 ただの妬みにしか聞こえない。

「こんなこと言いたくはないけど……。高井さんってどっちかって言うとあんまり目立たないでしょ?」

 それは事実なので否定はしない。

「藍田さんは高井さんを友達としてじゃなくて、自分の引き立て役のために一緒にいるんじゃないかなぁって……」

「は?」

 何を言ってるのか分からない。しかし他の二人は頷いた。

「それ、あたしも思った。何て言うか……。幼馴染のよしみで一緒にいるみたいな?」

 別の子が付け足す。沙耶華は困惑した。彼女たちが何を言おうとしているのか分からない。否定したいが、何かが胸の奥で燻っている。

「高井さん、少し藍田さんと距離置いた方がいいんじゃない?」

 また別の子が提案する。

「距離?」

「そうそう。藍田さん、図に乗ってるのよ。高井さんの面倒見てるってのを男子に見せ付けて……それで面倒見のいい女の子ってのをアピールしてんのよ」

「そんなっ!」

 沙耶華は否定した。でも心のどこかで『そうかもしれない』という思いがよぎる。しかしすぐにその考えを取り消した。

「そんなことあるわけない!」

「そう言い切れる?」

 そう切り返され、沙耶華は黙り込んだ。樹里は確かに面倒見がいい。でもそれが計算だとは考えられない。ただそういう性分なだけ。だけどうまく言葉にできない。

「黙ったってことは少しはそう思ったのね」

 一人に言われ、沙耶華は俯いた顔を上げた。

「ちがっ!」

「違わない。そう思ったから否定しなかったんじゃん」

「高井さん、悪いこと言わないからさ。少しの間距離取った方がいいかもよ?」

 なぜかそれが名案に思えてきた。こんな自分がとっても嫌だ。

 沙耶華は片付けを終え、教室を後にした。

「あ、いたいた。沙耶ー」

 呼ばれた方へ振り返ると、樹里がこちらに向かって走ってきた。

「片付け、終わったんだ。ちょうどあたしも帰るとこだったんだ。一緒に帰ろっ」

 明るく言う樹里を見て、さっきの会話が蘇る。

『藍田さんは高井さんを友達としてじゃなく、自分の引き立て役のために一緒にいるんじゃない?』

「九月入ったのに、まだ暑いねぇ」

 樹里はそう言いながら、鞄から下敷きを出して扇ぎ始めた。

「うん……」

 軽くそう返事する。

「どうかした?」

 様子がおかしいと思った樹里が、心配そうに顔を覗き込んだ。

「何でもない」

 沙耶華はすぐに顔を逸らせ、自分の中に湧き上がる嫌な感情を必死に抑える。

「そう? でも何か変だよ? ホントに大丈夫?」

 樹里が心配してくれていることは、十分分かっているが、それどころではない。

「うるさいなぁ! ほっといてよ! 樹里には関係ないでしょ!!」

 思わず怒鳴ってしまった。沙耶華がこんな一方的に怒鳴るところを初めて見た樹里は驚いていた。その顔を見て、沙耶華はようやく我に返る。

「ごめん。先帰る!」

 沙耶華はそう言うと走って帰ってしまった。

「あっ、沙耶!」

 樹里が何か言いかけたが、沙耶華は聞こえないフリをした。

 

 沙耶華は家に戻ると、自分の部屋に籠った。

 自己嫌悪に陥る。怒鳴ったときの樹里の顔はきょとんとしていたが、同時に傷ついた顔をしていた。

(言いすぎた……よね)

 今までこんなことなかった。多少の喧嘩はしたけど、こんな一方的な喧嘩は初めてだ。

 全部自分が悪い。いくら嫌な感情を抑えるためとはいえ、樹里を傷つけたことには変わりない。

(明日、謝ろう!)

 そう決意して、今日は早く寝ることにした。

 

 翌朝。一緒に登校している樹里の様子がおかしいことに晴樹は気付いた。

「樹里、何かあったのか?」

「え? 何もないよ」

 いつもと変わらない笑顔だったが、どこか無理をしているように感じた。

「そう? 元気なさそうだけど……」

 晴樹がそう言うと、樹里は笑顔を返す。

「そんなことないって。早く学校行こう」

 樹里に促され、晴樹は学校に向かった。

 

 先に家を出た沙耶華はいつもより少し早く学校に着いた。自分の席に着いて、気持ちを落ち着かせる。

「おはよう」

 樹里はいつも通り、晴樹と共に登校して来た。沙耶華は普通に挨拶しようと顔を上げたが、樹里はこっちを見ようともしなかった。

(怒ってる……?)

 いや、怒っているというより、樹里もどう接したらいいのか分からないようだ。

 沙耶華もきっかけを掴めず、挨拶すらできなかった。

 

 休み時間。席に座っていると、晴樹に話しかけられる。

「沙耶。樹里と何かあったのか?」

 思わずドキっとした。図星すぎて返事に困る。

「ハル……」

「言いにくいことか?」

 沙耶華が頷くと、晴樹は沙耶華と共に場所を移動した。

 

 晴樹たちがいつもダンスの練習している校庭に来た沙耶華は、昨日のことを晴樹に話した。

「なるほどね。それで真に受けたのか?」

「真に受けた……って言うか……。もしかしたらそうなのかもって一瞬でも思っちゃって」

 沙耶華は口ごもりながら返事した。

「沙耶は、今まで樹里の何を見てきたんだ?」

 晴樹にそう聞かれたが、沙耶華は答えられなかった。

「計算で人の面倒見るほど、お人よしじゃないだろ?」

 晴樹の言葉に沙耶華は頷いた。

 樹里は本当に好き嫌いがはっきりしている。自分の敵と思った人は話すことすらしない。でも、自分の友達だと思った人には、親身になってその人のことを大事にする。

「樹里のこと、一番良く知ってるのはお前だろ?」

 そう言われ、沙耶華は自分が今まで考えていたことに嫌悪した。大粒の涙が流れる。

「俺、羨ましかったんだぞ。お前ら、めちゃくちゃ仲いいから」

 晴樹は苦笑しながら言った。

「謝れるよな?」

 晴樹の言葉にコクンと頷く。

「なら大丈夫だよ。それくらいで壊れちゃうような薄っぺらい友情じゃないだろ?」

 晴樹はそう言って、沙耶華の肩を叩いた。その優しい言葉に、沙耶華はまた涙が零れた。

 

 沙耶華はずっと謝るきっかけを探していた。でもなかなかタイミングが掴めない。

(うー。謝るキッカケがないよぉ)

 沙耶華は泣きたくなってきた。しかしふと見えた樹里の顔。

(あ。泣きそう)

 十七年来の親友の沙耶華には分かった。あれは樹里が泣くのを堪えている顔。樹里はいつもギリギリのところで泣かない。いつも強がっている。それだけ樹里は不器用なのだ。

 

 謝るきっかけを掴めないまま、放課後になってしまった。

 沙耶華は樹里を探していた。劇の練習が終わって、声をかけようとしたが、樹里の姿はすぐに消えてしまったのだ。

 急いで追いかけたが、練習用の教室にはいなかった。沙耶華は校内を走り回ったが、どこにも樹里の姿を見つけられなかった。

 

「沙耶」

 後ろから呼ばれ、沙耶華は振り返った。

「ハル」

「まだ謝れてないのか?」

 晴樹の問いに頷く。

「そっか」

 晴樹もどう声をかけていいのか分からないらしい。

「ごめんね。ハル。心配かけて」

「いや……。俺はいいんだけどさ。樹里が、泣きそうだったから……」

 晴樹も気づいてたんだと思いながら、俯いていた顔を上げる。

「拓実たちが来なくなって、辛くても泣かなかった。でも……沙耶にまで冷たくされたら、樹里は誰を支えにしたらいいのか、分からなくなったんじゃないかな?」

 晴樹の言葉に、沙耶華は胸が苦しくなった。

 何てことをしたんだろう……。樹里のこと、一番分かってるつもりだったのに……。

「今朝一緒に登校した時も、様子がおかしかったんだ。だから何かあったんだろうとは思ったんだけど。聞いても『何でもない』って言うしさ。樹里ってさ、気が強いって言うか……そういうとこ不器用じゃん?」

「うん」

 樹里は人に甘えるとか、頼るとか、そういうことができない性格なのだ。

「でも沙耶も十分不器用だな」

 晴樹はそう言って笑った。

「ホントにね」

 沙耶華も笑う。

「それで樹里は?」

 晴樹に聞かれ、沙耶華は溜息をついた。

「それが、校内を探したんだけどどこにもいなくて……」

「樹里が行きそうなとことか、心当たりないのか?」

 晴樹に聞かれ、沙耶華は思い出した。

「あ、もしかしたら……あそこかも!」

 沙耶華はそう言って、突然走り出す。

「え? 沙耶、待てよ」

 晴樹も慌てて追いかけた。

 

 二人は学校を出ると、いつもの帰り道とは少し違う道を走った。

「……やっぱり……いた」

 沙耶華は息を切らしながら、一人でポツンと座っている樹里を見つけた。

「ここは……」

 着いた先は近所の土手だった。小さい頃、幼馴染の皆でよく遊んだ場所。

「小さい時から樹里が泣きそうになるとよく来てた場所」

 沙耶華は答えると、樹里にゆっくりと近づいた。

「樹里」

 呼びかけると、樹里の肩がぴくっと動く。そしてゆっくりと顔を上げた。

 遠くにいた晴樹からも見えた。やっぱり樹里は泣いていた。

「ごめんね」

 沙耶華が泣きそうな声で謝ると、樹里はきょとんとした。

「あたし……樹里にヒドイこと言った。樹里のこと一番よく知ってるのはあたしなのに……」

 沙耶華の目から涙が零れる。逆に樹里は驚いて、涙が止まっていた。

 

 沙耶華は零れた涙を拭いながら、昨日の出来事を樹里に話した。

「それで、あんなこと言ったのか」

 樹里はようやく沙耶華の行動の意味が理解できた。

「変だと思ったんだ。沙耶が急にあんなこと言うなんてさ」

「樹里……」

「そりゃあ、ショックだったよ。一番の親友だと思ってた沙耶に『関係ない』なんて言われたんだから」

 沙耶華は自分がどれだけ酷いことを言ったのかを、再認識した。

「ごめん……」

「もういいよ。あたしも沙耶の立場ならそう言ってたかもしれないし」

「樹里ぃ」

 その言葉を聞き、沙耶華の目に再びじわっと涙が溢れる。

「泣くなよぉ。もう何とも思ってないから」

 その言葉に、沙耶華は樹里に抱きついた。

「沙耶は泣き虫だね」

 樹里は沙耶華の頭をぽんぽんと優しく叩いた。

 遠くで見守っていた晴樹はもう大丈夫だと思い、二人に近づいた。

「解決……かな?」

「ハル」

 樹里は晴樹がいたことに初めて知り、驚く。沙耶華も樹里から離れた。

「樹里もさ。泣いてすっきりしたろ」

 晴樹はしゃがんで、樹里と同じ目線になった。

「うん。そうだね」

「ずっと泣くの我慢してたんだろ?」

 晴樹の言葉に驚いた表情をしたが、樹里は苦笑しながら頷いた。

「もしかして……まだ泣き足りない?」

 晴樹がそう言うと、樹里の瞳からじわっと涙が溢れた。

「何で……そんなこと言うかな」

 樹里は必死で涙を堪える。

「今ならココ空いてるぞ」

 晴樹はそう言いながら、自分の胸を親指で指した。その言葉を聞いた樹里は勢いよく晴樹に抱きついた。

「うわっ」

 しゃがんでいた晴樹はその勢いに地面に尻餅をついた。

 まさか本当に抱きついて来ると思わなかった晴樹は焦り、心臓が早鐘のように鳴り響いた。緊張しながらも、ゆっくりと樹里の肩に腕を回す。

 沙耶華はその隣に腰を下ろした。

 樹里が泣き止むまで、二人は傍にいた。

「ごめんね。すっかり遅くなっちゃって」

 三人が帰る頃には既に日が落ちてしまっていた。

「ううん。樹里がすっきりしたんならいいよ」

 沙耶華が首を横に振る。

「でも良かったよ。二人が仲直りして」

 晴樹が笑うと、樹里と沙耶華はお互い顔を見合わせて照れたように笑った。

「俺、考えてたんだけどさ」

 晴樹が二人の顔を交互に見る。

「拓実たちも誰かに何か言われたんじゃないか?」

「え?」

「何かって?」

 晴樹の問いに、二人は首を傾げた。

「沙耶みたいにさ。樹里と距離を置け、みたいなこと……」

 これは飽くまで晴樹の推測だ。二人は顔をしかめた。

「でも言われただけで、連絡も取らなくなる?」

 沙耶華が不審がる。

「脅されてるとか……」

 晴樹が言い添えると、樹里は考え込んだ。

「聞いてみればいいんじゃん?」

「待って」

 沙耶華が提案すると、樹里が叫んだ。

「え?」

「それ……聞くのちょっと待って」

 樹里は何かを決意したように二人をまっすぐ見た。

「例えそうだとしても、あたしは皆を信じてる。皆が自分の意思で戻ってくること……。だから……」

 樹里がギュッと両手の拳を握ると、二人は樹里の気持ちを汲み取り頷いた。

「分かった。樹里がそう言うなら、本人に聞くのはやめる」

 沙耶華がそう言うと、樹里はほっとした表情を見せた。

 

「え? 要くんが?」

 沙耶華は信じられないという表情で樹里を見た。

 仲直りした沙耶華は今日は樹里の家に泊まることにしたのだ。

 樹里の部屋で寝る準備をして話している時、樹里は要から告白されたことを沙耶華に話した。

「うん……」

「それっていつ?」

「昨日……劇の練習が終わって、ギターの練習しようと思ってた時……」

 樹里は恥ずかしそうに、ゆっくりと言った。沙耶華は驚いたためか、黙り込んでしまった。

「で、返事したの?」

 しばらくしてようやく沙耶華が尋ねた。

「ちゃんと断ったよ。他に好きな人がいるからって……」

「で、要くんは何て?」

「それでも諦めないって……」

 樹里は困った表情をして答えた。

 沙耶華は脱力てしまった。そんな大変なことがあったのだから、きっと一番に相談したかっただろうに。自分は冷たい態度で樹里を傷つけてしまった。

「ごめん。樹里」

「え?」

 急に謝られ樹里は驚いた。

「そんなことあったの、全然知らなくて……あたし……」

「ううん。気にしないで。知らなくて当然だもん」

 樹里は沙耶華の肩を叩いた。

 あんなに酷いことを言ったのに、樹里はまた優しく笑ってくれる。沙耶華は樹里に再び抱きついた。

「沙耶? どしたの?」

「樹里、人が良すぎるよ」

「えー? 何それ?」

 沙耶華の言葉に樹里は笑った。

「もう絶対あんなバカなこと考えないから!」

 沙耶華は樹里の瞳を真っ直ぐに見て誓う。

 すると樹里は穏やかな笑顔を見せた。沙耶華も笑顔になる。

「にしても要くん、意外だなぁ。告るなんて。樹里のこと好きだってのは、薄々気づいてたけど……」

「ええ? いつから!?」

 樹里が驚いている。沙耶華は呆れた目つきで樹里を見た。

「……。樹里、鈍すぎ」

「ひどっ。でもいつから気づいてたの?」

 そう聞かれても、もちろんはっきりと日にちを覚えているわけではない。

「最近樹里の周りをうろちょろしてると言うか……樹里のこと呼び捨てにしてたりとかしたし……」

「うーん。言われてみれば……」

 樹里は思い出しながら頷いた。

「……ホントに今まで気づかなかったの?」

「うん」

 はっきりきっぱり頷かれ、沙耶華は呆れた。

 この分だと晴樹の気持ちにすら気づいていないだろうな。

(ハル……ご愁傷様)

 

 樹里はベッドの上で考えていた。

『拓実たちも脅されているのかも?』

 晴樹の言葉が反芻する。

 脅される? 誰に? 何て言って? 何のために?

 疑問が次々に湧き上がるが、どれも答えが出るはずがない。

(信じてるなんて言ったけど……ホントは勇気がないだけなのかも……)

 もし晴樹の推理が外れていたら? ただ本当に自分と音楽がやりたくなくなっただけだとしたら?

(怖い……)

 樹里は布団をかぶった。

 今まで女の子たちに嫌われていた。なぜかは分からない。モテる貴寛と仲いいからなのか、目立つのが気に食わないのか……。とにかく同姓に嫌われるのは慣れていた。

 でも今まで仲良くバンド活動をしていた仲間たちに嫌われたかもしれない。

 そう考えるととても怖くなった。

(そんなはずない!)

 そう思いたかった。樹里は寝返りを打って、無理やり眠った。

 

 翌朝。晴樹はいつものように藍田家で二度目の朝食をごちそうになり、そのまま学校へ樹里と沙耶華と一緒に向かった。

 教室に入る手前で、樹里に呼び止められる。

「ハル。昨日はありがとね」

 照れたように樹里はそう言った。初めて見る表情に心臓が暴れだす。慌てて晴樹は首を振った。

「いや、俺は何も……」

「あたし、あのままだったら、今日こんなにすっきりしなかったと思う。ホントにありがとね」

 素直にお礼を言われると、何だか照れる。

「樹里はさ、何でも溜め込みすぎなんだよ。ちょっとはどっかで吐き出さないと、樹里が壊れてしまうぞ」

 晴樹が言うと、樹里は笑いながら頷いた。

「うん。そだね」

「俺の胸くらいいつでも貸してやるからさ」

「ありがと」

 恥ずかしがりながら言うと、樹里は嬉しそうに笑った。晴樹の心臓がまたしても早鐘になったのは言うまでもない。

 

 放課後。いつものように樹里たちのクラスは劇の練習やセット作りなどに勤しんでいた。大道具の晴樹はその練習を横目にセットの仕上げをしていた。

「ハル。あんたヤバイよ」

 突然、背後から現れた沙耶華に言われ、晴樹は驚いた。

「は? 何だよ。イキナリ」

「昨日あたし、樹里んとこ泊まったでしょ?」

 沙耶華に確認され、頷く。あの後、沙耶華は樹里の家に一緒に入って行った。

「聞いちゃったの」

「何を?」

 沙耶華の言葉に内心、妙に焦る。

「ハル。先越されちゃったよ」

「だから何がだよ」

 はっきり言わない沙耶華に晴樹は更に焦った。沙耶華は周りを見て、顔を近づけ小声で囁く。

「一昨日、要くんに告られたんだって」

「へっ?」

 沙耶華の言っている意味が理解できない。

「へ? じゃないでしょ。要くんに先越されちゃったのよ。ハル、分かってる?」

 沙耶華の人差し指が晴樹の目の前で止まる。

「樹里、何て返事したんだ?」

 焦ってそう聞くと、沙耶華はプイっとそっぽを向いた。

「それは本人から直接聞きな」

「えー。意地悪だな」

「ハル! あんたがボーっとしてたら、他の男に樹里取られちゃうのよ? 分かってる?」

 沙耶華にはっきり言われ、晴樹はとっても焦った。

(何て返事したんだ?)

 思わず樹里を見る。いつもと変わらない態度。要もいつも通り樹里にベッタリだ。

(まさかOKしてないよな……?)

「ハル」

 急に呼ばれ振り返ると、恭一と陽介が申し訳なさそうに立っていた。

「ごめん。今の会話聞こえちゃった……」

 何故か恭一が謝る。更に陽介も謝った。

「あいつ、諦め悪いからさ……。もし断られてても、しばらくは樹里ちゃんにベッタリだと思う」

 陽介は本当にすまなさそうだった。

「ハハ……」

 晴樹からは乾いた笑いしか出てこなかった。

「じゅーり」

 練習場に行こうとして呼ばれた樹里は後ろを振り返る。そこには犬コロのようになつく要がいた。樹里は歩を止め、要と向き合う。

「要くん……」

「はい。喉渇いたと思って」

 要は樹里の好きなスポーツドリンクを渡した。

「ありがと」

 素直に受け取る。樹里は要をチラッと見た。この間の告白が嘘のようにケロリとしている。

「ん? 俺の顔何か付いてる?」

 見つめていたのに気づいたのか、要は樹里に顔を近づけた。

「ううん。これ、ありがとね」

 要の顔をよけるように樹里が顔を背けて、歩き始める。

「俺、本気だから」

 要の声は真剣だった。樹里は何を言えばいいのか分からなくなる。しかし意を決して振り返った。

「要くん、あたし……」

「樹里が誰を好きでもいいよ。でも、俺は諦め切れない」

 要の目は真剣そのものだった。樹里は目線を合わせるのが怖くなり、顔を背ける。

「俺さ、一年の時からずっと本気で樹里のこと好きだったんだ。だからこうやって友達になれたこともすごく嬉しい」

 要は笑顔になったが、どこか寂しそうだった。

「要くん。あたし……」

 樹里は言うべきかどうか迷った。自分の好きな人を打ち明けることを。

 恐らく彼はそれでも諦めないだろう。それでも自分が黙っているのは、フェアじゃない。

 

 晴樹はその頃、校庭で無心に踊っていた。

 要の動向がとても気になる。今の練習にも来ていない。今頃樹里とどこかで……。

(んなわけあるかい!)

 晴樹はすぐに自分の考えを打ち消した。

「ハル!」

 突然陽介に呼ばれ、晴樹は我に返る。

「どしたんだ? ダンス、乱れてるよ」

 自分では合わせているつもりだったのに、ずれていたらしい。

「ハルらしくないなぁ」

 恭一も心配そうに、晴樹に近づく。

「ごめん……」

 晴樹が謝ると、恭一と陽介は互いに顔を見合わせた。

「要のことか?」

 恭一が口火を切る。晴樹が驚いて顔を上げると、二人はやっぱりという顔をした。

「あいつさ、振られたっぽいよ」

 言うべきか迷った陽介は、ゆっくりそう言った。

「え?」

「今日、聞いたんだ。本人から」

 恭一が説明を加える。

「あいつ、諦め悪いから、樹里ちゃんも困ってるだろうに」

 陽介は溜息と共に言葉を吐き出した。練習に来ていない要の動向は何となく二人にも分かっているようだ。

「多分、樹里ちゃんに振り向いてもらおうと必死なんだろうな」

 恭一が溜息をつく。

 要の気持ちも分かる。でもやっぱり晴樹としては、練習ほっぽりだしてまで樹里に執着しないでほしい。自分だって、できるなら樹里と一緒にいたいのだ。

「要には俺たちから言っておくからさ」

「あんま気にすんな。樹里ちゃんだって、あいつのこと相手にしてないみたいだったし」

 陽介が慰めるように晴樹の肩を叩いた。

「わりぃな。私情挟んじゃって……」

「こればっかりは仕方ないよ。俺がもしハルの立場なら、同じこと考えてると思うぞ」

 恭一が優しくそう言ってくれたので、何だか気持ちが楽になる。

「俺も。まぁ要の気持ちも分からんでもないけどな」

 陽介が苦笑した。二人の優しさがとても嬉しかった。

 

「え……?」

 樹里に好きな人を告白された要は困惑した。

「マジ……で?」

 要の問いに樹里は大きく頷く。

「だから、ごめんなさい」

 樹里はそう言って頭を下げた。要は動揺しているのか、何も言わなかった。

「これ以上、要くんを期待させるようなことをしたくないの」

 樹里の必死の思いは、ようやく要に伝わった。

「俺、数%でも可能性残ってない?」

 諦めの悪い質問をする。

「ごめんなさい」

 樹里はただ謝るしかなかった。しばらくの沈黙の後、樹里は言葉をまとめた。

「要くんのことは、好きだよ? でもそれは……友達としての好きって言うか……。恋愛感情ではないの」

 樹里はまっすぐ要の目を見つめる。その視線を先に逸らしたのは要だった。

「そっか……」

 溜息のように言葉を吐き出す。一拍置いて、要は樹里を見つめた。

「ごめんな。樹里のこと、余計困らせて」

 樹里は「そんなことはない」と、首を横に振る。

「数%も可能性がないなら、諦めるしかないよな」

 呟くように言うと、要は泣き出しそうな笑顔を作った。

「ごめんな。しつこくして。でも俺、本気だったんだ」

「うん。好きだって言ってくれて嬉しかったよ」

 要は笑顔のまま樹里に背を向ける。そして上を向いて、泣きだしそうなのを堪えながら、声を絞り出した。

「友達ではいてくれる?」

「もちろんだよ!」

 樹里は即答した。

「さんきゅ。今までごめんな。じゃーな」

 要はそう言うとそのまま歩き出した。泣き声に近い声に気づいた樹里は要を追いかけようとした。

(追いかけちゃダメだ……)

 樹里は駆け出そうとしたが、自制した。もし追いかければ、要に期待を持たせてしまう。樹里は要の背中を静かに見送った。

 

「樹里」

 不意に声をかけられ、樹里が振り返る。

「沙耶……」

「ごめん。見ちゃった」

 さっきの場面をだ。

「あんなのでよかったのかな?」

 樹里は泣きそうになりながら、沙耶華に問う。

「十分」

 沙耶華はゆっくりと頷いた。思わず樹里は沙耶華に抱き付く。

「やっぱ辛いよ……。あんな顔見ちゃうと……」

 あの泣き出しそうな、寂しそうな笑顔。こっちまで居たたまれなくなる。

「うんうん。樹里、これだけは慣れないよね」

「慣れるわけないでしょ」

 沙耶華が苦笑すると、樹里が言い返した。樹里はモテるので、それなりに告白されたことはある。しかし、樹里はそのすべての人を断ってきた。

「樹里……」

「ん?」

 沙耶華は樹里の腕を解いた。

「いい加減、告っちゃえば?」

「なっ!」

 突然の提案に樹里は驚いた。

「もう十分じゃん。時間的に」

「そう言う沙耶はどうなのよ?」

 思わぬ切り替えしに沙耶華は困惑した。

「あたし? あたしは……ってあたしのことは今いいのよ!」

「よくないよ。沙耶だって時間的に十分じゃない?」

 言い返され、沙耶華は返答に困った。

 樹里は気づいていないのだろうか? 貴寛が樹里に好意を持っていることを……。

(気づいてなさげ……)

 樹里は自分のことになるととことん鈍い。

「どうかした?」

 黙り込んだ沙耶華の顔を樹里が覗き込む。慌てて首を振った。

「ううん。何でもない。練習するんでしょ? 教室行こう」

 沙耶華の提案通り、二人は練習用の教室に向かった。

 

「あ、要!」

 校舎から出てきた要を見つけた陽介が叫ぶ。恭一と晴樹も要を見つけた。

「要。何やってたんだよ」

 恭一が近づいてきた要に問うと、要は愛想笑いを浮かべた。

「ごめん。ちょっと野暮用が……」

「どうせ樹里ちゃんとこだったんだろ?」

 陽介が意地悪く言うと、要の動きが一瞬止まった。

「わりぃ。やっぱ今日は帰るわ」

「はぁ? 来たばっかじゃん!」

 要の気まぐれに、恭一が素っ頓狂な声を上げる。

「ちょっと用事思い出してさ。悪いな」

 その時、晴樹は要と目が合った。しかし要は何を言う訳でもなく、そのまま帰ってしまった。

「ったく。何だよ。あいつ」

 恭一と陽介は勝手に帰った要に怒る。

(何だよ……。一体)

 要に睨まれた気がした晴樹は、訳が分からなかった。

 なぜ睨まれたのか? 晴樹には何故そんな目で見られたのか理解できず、頭を抱えた。

 

 

 そして怒涛の九月が過ぎ、文化祭が催される十月に入った。結局、夏休み前から起こっていた不思議な事件はいつの間にか全く起こらなくなった。

 あれは一体何だったんだろう?

 ふと晴樹は考える。

 劇の衣装や小道具をめちゃくちゃにした犯人も、樹里たちのバンドが練習している教室を荒らした犯人も全く見当付かず、文化祭の準備の忙しさのせいで、皆も事件のことを忘れていた。


 
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