No.241639

【ポケモン小説:バクフーン】空白の向こう側へ

白森 秋さん

妄想の中から生まれた、ポケモン(原型)小説の第一弾です。今回の主人公は、トレーナーに捨てられてしまったバクフーン(♂)。全てを失った彼が、人間の世界の中でどう生きていくのか。絶望の淵に立たされた彼は、どんな成長を遂げるのか。そんなシリアスな雰囲気を基盤として、真面目(?)に進んでいくストーリーです。まぁ、途中で暴走すると思いますが。

2011-07-28 23:03:43 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:2878   閲覧ユーザー数:2868

 

 

さっきまでのボクは、全てを持っていた。

 

強さも、仲間も、信頼も。

勇気も、居場所も、名前も。

 

そして、隣を歩いてくれるキミという存在も。

 

でも。

 

ボクは失った。

 

キミの、たった一言で。

 

全てを失ったんだ…。

 

 

幾重にも連なるビルの隙間に、夕日が沈んでいく。

今日の仕事の締めくくりだと言わんばかりに、街を茜色に染めながら。

音もなく世界に哀愁を振りまきつつ、沈んでいく。

 

街にあふれる人間たちも太陽の後を追うように、足早に帰路へとついていた。

そんな、人々の雑踏に支配された都会の真ん中で、夕日に目を奪われているポケモンが居た。

 

「はぁ…。」

 

彼の名は、バクフーン。

ベンチに腰かけ、何も言わず遠くを見つめるその姿を見ていると、まるで長年の仕事に疲れたサラリーマンのようだ。

バクフーンはため息をひとつ洩らしただけで、ひたすらに沈みゆく太陽を見つめていた。

だがその光はビルに遮られ、無情にも彼から光を奪っていった。

公園は一瞬にして闇に包まれ、街もまた夜の帳に包まれていく。

 

「…どうして、こうなったのかな…。」

 

誰に話しかけるわけでもなく、口の中で小さくつぶやいた。

寂しさで形作られた言の葉は誰の耳に届くこともなく、夜風に乗って溶けてゆく。

 

「どうして…?」

 

太陽の沈んだ空から目を剥がし、自らの足元に視線を落とした。

その視線の先には、バラバラになったモンスターボールがある。

今まで、バクフーンの居場所でもあり、彼との絆でもあった証だ。

それが見るも無残な姿となり、冷たい地面に小さな影を落としている。

 

「ボクは…捨てられたの?」

 

バクフーンは、その残骸に向かって問いかけていた。

答えは目の前に在る。だが、それを認めたくない。

認めてしまったら、心が折れてしまいそうだったから。

 

「マスター…。」

 

数刻前の出来事を思い出しながら、彼の名を呼んだ。

返事がないのはわかっていた。それでも。

 

「マスター…、会いたいよう…。」

 

彼の名を、呼ばずにはいられなかったのだ。

 

 

その時は、突然やってきた。

 

主人であるトレーナーの腰につけられた、モンスターボール。

揺り籠のようにゆらゆらと揺れる世界の中で、まどろんでいるときだった。

いきなり世界の上半分が開き、茜色に染まった空が飛び込んできた。

それと同時に、体が見えない力に引っ張られる。

とっくの昔に慣れてしまった、ボールから飛び出すあの感覚だ。

 

「…お呼びですか、マスター。」

 

半分閉じかかった目をこすりながら、自らの主人に対して問いかけた。

彼は背を向け、腕を組んで遠くの空を眺めている。

 

「ああ。ちょっとな…。」

 

返ってきた言葉は、何処か煮え切らないような口ぶりだった。

いつもの様子とは違う雰囲気に、妙な感覚が背筋を走る。

頭の中の眠気を慌てて払い、あたりに目を向けた。

そこは、来たこともない公園の中だった。

辺りには他のトレーナーの姿も、野生のポケモンの姿も見えない。

なら、何故自分はボールから出されたのだろうか…。

 

そんなことを考えていると、背を向けていた彼がゆっくりと振り返った。

そして、信じられない言葉を口にする。

 

「お前、もういらないや。」

 

一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

頭の中で言葉だけが反芻し、その意味を捉える事が出来ない。

そこで思わず、聞き直してしまった。

 

「今、なんて…?」

「だから、お前弱いからいらない。それだけ。」

 

その言葉には、何の感情も含んでいなかった。

ただ単純に、事実のみを述べるだけの簡単な言葉。

しかし、その言葉の持つ衝撃は計り知れないものだった。

まるで鈍器で頭をぶん殴られたように、目の前が真っ白に染まってゆく。

 

「悪いけど、俺の手もいっぱいいっぱいなんだわ。」

 

自分の主人、いや主人だった人間から、再び辛辣な言葉が飛んでくる。

その鋭い言葉は容赦なく、無防備なバクフーンの心に突き刺さった。

ショックが大きすぎて、言葉を紡ごうにも声が出ない。

いや、声を出す以前に呼吸の方法すら頭から吹き飛んでいた。

 

「これももう、要らないよな。」

 

カランと乾いた音をたてて、何かがバクフーンの前に転がり落ちた。

赤と白、2色のツートンで彩られた小さな玉。

それが自分のモンスターボールだと気付き、手を伸ばした。

その瞬間だった。

目の前で、モンスターボールが粉々に砕けた。

いや、砕けたのではない。砕かれたのだ。

主人だった人間の足で、二人を繋ぎ止める絆が。

粉々に、砕かれていた。

 

「リーグ戦だと、お前は力不足なんだよ。」

 

彼はそう言って、踵を返した。

最後の言葉にも、名残惜しさは微塵も感じられない。

夜の空を吹き抜ける風のように、冷え切っていた。

遠ざかっていく足音を耳にしながらも、動くことができない。

辛うじて顔を上げたものの、遠ざかる背中に声をかけることは出来なかった。

 

彼の背中が見えなくなった途端、捨てられたという事実が重くのしかかる。

これまで築いてきたものの全てが、音を立てて崩れていった。

 

「うっ…、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

彼との思い出が、心の中に溢れてくる。

初めて出会った草むらも、共に闘ったあのジム戦も。

負けて悔し泣きをしたあの夜も、ライバルを倒した時の嬉し涙も。

その全てが形を失い、大きな瞳から零れおちていく。

寂しさに包まれた街の一角で、バクフーンはひたすら叫び続けた。

今はもう届かない、相手のために。

 

 

公園の地面を見つめ続けて、どれくらいの時が過ぎただろうか。

時間の感覚はとっくに無くなり、日が沈んでからどれだけ経ったのかもわからない。

ゆっくりと顔を上げると、目の前には闇に支配された世界が広がっていた。

あれほど煩かった人々の雑踏も聞こえなくなり、遠くから時折車の走る音が聞こえてくるだけだった。

だが、バクフーンにとってはそんなことはどうでもよかった。

捨てられた。ただその事実だけが全てを支配し、絶望の淵へと叩き落としていた。

 

「…もう、どうでもよくなっちゃった。」

 

再び俯き、瞳を閉じた。

指一本動かす気力すら湧いてこない。

呼吸をすることにすら気だるさを感じる。

 

(これが、絶望。)

 

体とは反対に、妙に冷静な自分が心の中にいる。

まるで、もう一人の自分が自分を眺めているようだった。

心の底から信頼していた者に裏切られ、生きる目的と術を失ったポケモン。

その末路を辿り始めた様子を、どこか遠くで眺めている自分が居る。

 

(もう…、疲れたよ。)

 

ゆっくりと体を倒し、ベンチの上へ横になった。

何もしたくない。

手も足も、指の一本ですら、動かしたくない。

心も体も凍らせたまま、ただひたすらに眠っていたい。

このまま起きれなくてもいい。静かに逝くことができるのなら。

どうせ、自分には何も残されていないのだから。

そんな思いを胸に、深い眠りの淵へと沈んでいった。

 

 

眠りについたバクフーンの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。

その悲しみの欠片は頬を伝い、口元へ吸い込まれた。

次の瞬間、体にある異変が起き始めた。

指先から徐々に、色を失っているのだ。

黄色がかった腕の毛も、自慢だった尻尾も、鬣を彩る赤い炎でさえも。

 

白く、白く染まっていく。

まるで、全てを失った心を表すかのように。

 

バクフーンは失っていく。

心と、思い出と、全ての色を。

 

 

僕は、睡眠と覚醒の間で揺れ動いていた。

 

ゆらゆらと水面に浮かぶ葉のように。

霞がかった意識の中で、起きるべきか否かを考えていた。

 

もしも覚醒を望むなら、それはすぐに叶うだろう。

何ということはない。ただ目を開けばいい。それだけだ。

 

だが、それを望みたくなかった。

眠りから覚めるには、まだ早すぎる。

 

全てが思い通りになる、この夢の世界で。

ひたすらに、眠っていたかった。

 

だが、その願いは叶いそうにない。

何処か遠くで声が聞こえる。

 

意識の向こう側。眠りという壁を隔てた先で。

誰かが、話しかけてきている。

何度も何度も、話しかけてきている。

 

僕は、その声に応えたくなかった。

応えてしまえば、この眠りから出ていかなければいけないから。

 

ただ、眠っていたいだけなのに。

放っておいてほしいだけなのに。

 

壁の向こうから響く声は、僕を眠りから呼び覚ます…。

 

 

ぼやけた視界の先に、ふたりの人影が映っていた。

その様子からして、何かごちゃごちゃと話しているようだ。

だが、眠りに片足を突っ込んでいるバクフーンにとって、それは雑音にしか聞こえない。

再び眠りの世界に戻ろうと、ゆっくりとまぶたを閉じ始める。

その時だった。

何かを叩く音と同時に、頬に強烈な痛みが走る。

しかも、一度だけではない。

二度三度と繰り返され、音と痛みが信号となって脳を揺さぶってくる。

 

「ひぐっ!」

 

無意識のうちに、思わずうめき声を洩らしていた。

自分でも聞いたことの無い声が、口から飛び出してくる。

 

「えぅ…ぇ?」

 

無理やり覚醒へと連れ戻されたおかげで、頭の中は真っ白だ。

だが、頬から伝わる痛みの感覚は夢ではない。

混乱する意識を押しのけ、何が起こったのか確かめようと目を開いた。

 

「…ダメねー。もう一回かしら。」

 

呆れているような、諦めているような、そんな声が聞こえてくる。

バクフーンはその声の主が何を言っているのか分からなかった。

ゆっくりと口を開き、その意味を確かめようとした…のだが。

 

「あのっ…。」

「ハピナス、おうふくビンタ。」

「ハッピー。」

 

一歩遅かった。

その言葉の意味を理解する前に、バクフーンに向かって放たれた技が襲いかかる。

パァンパァンという小気味良い音が頭の中に響いたあと、我慢できないほどの痛みが再び顔中を駆け抜ける。

 

「ってぇぇぇぇ!」

「あら、起きたみたい。」

 

バクフーンは思わずベッドからとび起きていた。

じんじんと鈍い痛みの残る頬を抑えつつ、ゆっくりと目を開く。

大きなベッドに、それを囲むように張られた白いカーテン。

そして、鼻をつくのは薬品の独特なにおい。

 

「ここは…、ポケモンセンター?」

「その通り。」

 

バクフーンがそう尋ねると、ジョーイはにっこりと笑って頷いた。

彼女の隣に控えていたハピナスも、同じように頷いている。

 

「気分はどうかしら?何処か痛むところはない?」

 

あれだけ頬を殴っておきながら、表情一つ変えずに尋ねてくる。

 

「あ、えぇ。まぁ。ほっぺた以外は、おかげさまで。」

「それは結構。」

 

痛烈なビンタのおかげで目は冴えてきたものの、頭の中は相変わらず靄が掛かっていた。

何故自分がポケモンセンターで眠っていたのか、その理由さえもつかめていない。

困惑したバクフーンは、不思議そうに辺りを見回す。

 

「何故ここにいるのかって顔をしてるわね。」

「えっ?」

「図星みたいね。思ったより顔に出ちゃうタイプなのね。」

 

そう言って、ジョーイはバクフーンの頬を指でつついた。

自分がまるで小さな子供に戻ったような気がして、バクフーンは思わず顔を赤らめる。

それを見てジョーイはクスクスと笑い声を洩らした。

 

「何にせよ、無事でよかった。ここはお察しの通り、ポケモンセンターよ。」

「街の真ん中にある、センターですか?」

「そう、私はそこのジョーイ。それと彼女は私のパートナーで、センターの看護婦長でもあるハピナス。」

「ハッピー。」

 

ナース用のヘッドキャップをつけたハピナスは、ジョーイの隣で小さく頭を下げた。

バクフーンもそれを見て、慌てて頭を下げる。

 

「あなたをここまで運んできたのも彼女よ。」

「そうだったんですか…。ありがとうございます。」

 

驚きを隠しながらも、慌ててお礼を口にする。

ピンプクやラッキー、ハピナスは元から力が強いとは聞いていたが、

ポケモン一匹をひとりで運べてしまうとは驚きだった。

感心するようにハピナスを見つめていると、隣でジョーイが咳払いをこぼす。

 

「えっと…。それじゃあ、あなたの名前を教えてもらえる?」

 

そう言われて、バクフーンはまだ名乗っていなかったことに気付いた。

状況を把握することで精いっぱいで、そこまで頭が回っていたかったらしい。

 

「あ、僕はバクフーンです。種族名、そのままで。」

「バクフーン…っと。僕ってことは男の子かしら?」

「あ、はい。そうです。」

 

手元の書類に書き込みながら、ふむふむと何度か頷いている。

まるで、珍しいものを見るような視線だった。

バクフーンは思わず、首をかしげていた。

 

「えっと…何か問題でも?」

「いや、さっき体をイロイロと見させてもらったんだけどね。男の子にしてはまるい体つきだと思って。」

「…調べたんですか?」

「ええ。イロイロと、ね。」

 

意味深な言葉を響かせながら、にやりと不敵に微笑むジョーイ。

その表情を見ていると、背筋を冷たいものが流れていくように感じてしまう。

バクフーンは思わず、ベッドのシーツを手繰り寄せていた。

 

「大丈夫よ。性別までは調べたりしてないから。」

「…ホントですか?」

「あら、調べたほうが良かったかしら?」

「じょ、冗談じゃありませんっ!」

 

ジョーイとは思えない大胆な発言に、思わず顔を赤らめるバクフーン。

その純朴すぎる仕草はまるで、年頃の女の子のようだった。

 

「あなたって、女の子みたいな反応するのねぇ。本当に男の子?」

「ぼ、僕は♂ですよっ!♀じゃありませんっ!」

「冗談よ、冗談。」

 

いちいち面白い反応を返すバクフーンを眺めながら、くすくすと笑いを洩らしていた。

思わず頬を膨らませそうになるが、慌てて表情を戻した。

どうも、このジョーイの前ではスクールの生徒になってしまったような気がしてならない。

 

「さてと、それじゃあ話を本題に戻しましょうか。」

 

カルテを叩きながら、話を戻すようにジョーイが言った。

 

「本題…ですか?」

 

本題というのが何を指すのか分からず、首をひねる。

 

「そ、本題。実は今朝がた、公園で眠りこけてるポケモンがいるって連絡があったのよ。」

「…あ、それって。」

「そう、あなたのこと。いくら炎タイプだからって風邪ひいちゃうわよ?」

「いや、あれは…。」

 

そのとき、昨日の記憶が頭の中にどっと押し寄せてくるのを感じた。

元トレーナーだった人間の最後の言葉。

遠ざかっていく足音と、夕日に消えた小さな背中。

頬を伝う涙の感触や、枯れ果てるまで叫んだ喉の痛み。

それら、全ての記憶が絶望に変わり、バクフーンの心を容赦なく痛めつける。

 

「ちょ、ちょっと!大丈夫!?」

 

ジョーイは慌てて駆け寄り、その両肩をつかんだ。

バクフーンの顔からは血の気が失せ、瞳も光を失っている。

 

「ど、どうしたの? いきなり真っ青に…。」

「僕は…、捨てられたんです。」

「えっ?」

「昨日…、あの公園で言われたんです…。育ててたけど、力不足だから…もういらないって…。」

 

バクフーンの瞳から、大粒の涙が零れおちた。

昨日あれだけ泣いて、もう枯れ果てていたと思っていたのに。

 

「…そう…だったの…。ごめんなさい、嫌なこと聞いちゃって。」

 

申し訳なさそうに首を垂れるジョーイ。

バクフーンは俯きながら、首を横に振っていた。

 

「いえ、気にしないでください…。大丈夫ですから…。」

 

何とか口では虚勢を張ったものの、感情を抑えることができない。

哀しみの欠片は止まることなく、両の瞳から溢れ続けていた。

 

「…ハピナス、温かいスープを持ってきて。」

「…ハッピー。」

 

ハピナスは何か言いたげな表情をしていたが、黙ってジョーイの指示に従った。

遠くでドアの閉まる音が聞こえ、部屋の中は静まりかえる。

 

「大丈夫?」

「…だい…じょうぶっ…です…。」

 

その言葉を聞いても、ジョーイは何も言わなかった。

ただ黙ってバクフーンの隣に座り、肩を抱いてくれたのだ。

 

 

肌を通してほんのり伝わってくる、人間の暖かさ。

ポケモンである自分にとって、それは安心感を得られるものだった。

だが、今のバクフーンにはその暖かささえも、辛かった。

肩を支えてくれる存在が、あの人ではない。

その事実を突き付けられているような気がして…。

 

 

「落ち着いたかしら?」

「ええ。ありがとうございます。」

 

バクフーンは温かいスープを飲みながら、小さな声で答える。

高ぶっていた感情の波も収まり、冷静さを取り戻していた。

しかし、心の奥底には、ぽっかりと穴があいているような気分だった。

 

「すみません、取り乱してしまって…。昨日は平気だったんですが…。」

 

申し訳なさそうに謝ると、ジョーイは気にしないでと言うように首を振った。

 

「あなたの気持ちはよくわかる。私も、何度も見てきたから…。」

「そう…ですか。」

「気落ちしないでっていうのは無理かもしれないけど。元気を出してね。」

「…ありがとうございます。」

 

会話の途切れたその後は、ふたりとも口を開こうとはしなかった。

静かな部屋の中に、スープを飲む音だけが響いている。

それでも、バクフーンは居心地の悪さを感じることは無かった。

今のバクフーンにとって、静寂こそが唯一の安らぎだった。

 

やがて皿の中身が空になると、静かにスプーンを置いた。

感じていた空腹感も薄れ、ほっと溜息を洩らす。

温かいスープのおかげで、先ほどよりも気力が戻ってきた気がする。

 

「それで、あなたはこれからどうするか決めた?」

 

スープ皿を片づけながら、ジョーイがそう尋ねてきた。

 

「僕ですか?」

「ええ。やっぱり野生に帰る?それとも、公共機関に?」

「うーん…。」

 

基本的にトレーナーのもとを離れたポケモンは野生に帰るか、もしくはトレーナーズスクール等の公共機関で働くか、どちらかしかない。

特定のトレーナーを持たないということは、そういうことなのだ。

とはいえ、すぐに決めることなどできるはずもなかった。

 

「まだ…、決めていないんです。」

「そうよね。すぐに決められるはずが無いわよね…。」

 

そのとき、ジョーイがポンと手を叩いていた。

まるで何かを閃いたように、顔を輝かせている。

「ねぇ、バクフーンくん。私なら、もう一つの選択肢を用意してあげられるんだけど。」

 

「…もうひとつの?」

「ええ!もうひとつの!」

 

自信満々な表情を浮かべるジョーイ。

いや、その顔はなんというか…。

新しいおもちゃを買ってもらった子供のような笑顔だ。

一見、無邪気なようにも見えるその表情。

だが、その裏にいじめっ子が隠れていることを、バクフーンはひしひしと感じていた。

 

 

バクフーンの嫌な予感は、見事に的中していた。

渋々ながらうなづいたのを見ると、大量のラッキーが病室に押し寄せたのだ。

あれよあれよという間にラッキーの波にのまれ、何処かの部屋へと連れ込まれる。

それからは文句を言う暇もなく、無理やり着替えさせられたのだ。

 

 

そして10分後…。

ジョーイの前には、シミひとつ無いの桃色の白衣と真っ白なエプロン着たバクフーンの看護士が出来上がっていた。

 

「キャー!かわいいっ!」

「かっ、可愛いって…。僕、♂ですよ?」

「男の子だって、可愛いものは可愛いわよ。」

 

バクフーンは自分の恰好を見下ろし、ため息を漏らした。

ピンクの白衣に、大きなエプロン。

周りにはフリルまでついて、何処からどう見ても♀にしか見えない。

頭の上にはしっかりナースキャップまでかぶらされている。

 

「…これって、ジョーイさんの服よりヒラヒラしてません?」

「あら、そんなことないわよ。」

 

ジョーイは同じだと言うが、この服は明らかに違っていた。

やたらにフリルは付いているし、後ろのリボンだって一回り大きそうだ。

それに、エプロンをめくってみると、お腹とお尻は丸出しになる。

普段は全然気にしていなかったが、こうして服で覆われると、すぐに見えてしまうことが少し気恥ずかしい。

 

「あのー…、♂用の服って、無いんですか?。」

「残念だけど、それは無いわ。うん、絶対無い。」

 

残念といいながら、ジョーイはあからさまに楽しんでいるようだった。

しかも、「絶対」と決めつけている辺りが嘘っぽい。

とはいえ、ここで喚いてもジョーイは男性用の白衣を持ってきてはくれないだろう…。

何を言っても無駄だと判断し、バクフーンは大きくため息をついた。

 

「それにしても、ホントによく似合うわねぇ。」

「…そんなに似合ってないと思いますけど。」

「似合ってるわよー。ほら、鏡で見てみたら?」

「えー…?」

 

バクフーンは部屋の隅に置いてあった鏡の前に立った。

鏡の向こうには、妙な白衣姿の自分がいる。

…と思っていた。

 

「…え?」

 

バクフーンは思わず鏡に飛びついた。

鏡に映るもう一人の自分が、自分ではなかったのだ。

黄色がかった顔の毛や、青いはずの頭の毛が無い。

いや、真っ白なのだ。

まるで雪をかぶっているのではないかと思うほど、白に染まっている。

 

「な…な…な…なんじゃこりゃぁ!」

 

予想していなかった出来事に、思わず叫び声を上げるバクフーン。

それもそうだろう。誰だっていきなり身体が白くなれば驚くものだ。

バクフーンは後ろで目を丸くしているジョーイに詰め寄った。

 

「ど、どうなってるんすかコレ!?」

「ど、どうって…。元から白いんじゃないの…?」

「いや、白くないです!僕、普通のバクフーンですよ!」

「でも、私達が公園であなたを見つけた時は、もう真っ白だったんだけど…。」

「そんな…。」

 

その時、頭の中に以前の光景がフラッシュバックしてきた。

その光景とは、トレーナーと別れた後の場面。

生きる気力すら失い、ベンチに横たわった時のことだ。

擦れていく視界の向こうに、自分の指先が映っていた。

その指先は、なぜか白に染まっている。

そして、その勢いは止まらずに腕のほうまで…。

 

「…あれは、夢じゃなかったんだ。」

「夢じゃないって?」

「眠る前、確かに見たんです、自分のの身体が白くなっていくのを。」

「…なるほど。」

 

話を聞きながら、ジョーイは神妙な顔で何度も頷いていた。

それは何か、心当たりがあるようにも見える。

 

「もしかすると、精神的なショックからかもしれないわね。」

「精神的なショック、ですか?」

「ストレスを受けると、白髪が増えるっていうでしょ? あれの突発的な変化かもしれないわ。」

「でも、あれは急に…。」

「ええ。人間の場合は急には起こらない。でも、ポケモンなら起こるかもしれないわ…。」

「…。」

 

バクフーンは、真っ白になった自分の腕を見下ろした。

本当に、変わってしまったのだ。

大切なものを失い、大切な場所を失い、自分の姿すらも失ってしまった。

なぜ、こんなことが起こってしまったのか。

自分の体だというのに、何一つわからない。

そのことが悔しくて、情けなくて、もどかしくて…。

口から洩れるのは、重いため息ばかりだった。

 

「…バクフーンくん。もし、センターの手伝いが嫌だったら、断ってくれていいからね。」

「…ジョーイさん。」

「でも、ひとつだけ言っておくわ。私達はあなたを必要としているの。だから、お手伝いをお願いしたい。それだけは覚えておいて。」

 

ジョーイはそう言って、部屋を出て行ってしまった。

静かになった病室に、バクフーンひとりが取り残される。

 

「僕は…どうすればいいんだよ…。」

 

ベッドの端に座りこみ、乱暴に枕を叩いた。

混乱のせいで心の整理ができず、今にも感情が爆発しそうになる。

いっそのこと、爆発させてしまえば楽になるのかもしれない。

だが、その後に残るのは今以上の虚しさだけだ。

 

「…ほんと、どうすればいいのかな…。」

 

バクフーンは何気なく、鏡のほうに目を向けた。

鏡の向こうに映るのは、ボロボロになった自分。

昨日までの自分の姿すらも無くしてしまった、まっさらな自分。

全てが変わってしまった存在が、そこに在る。

 

「笑えるよなぁ。昨日までリーグを目指してたのに、今ではこんな服を着てるんだから。」

 

バクフーンはゆっくりと立ち上がり、もう一度鏡の前に立った。

鏡に映った、看護士姿のもう一人の自分。

認めたくは無いが、その服は気持ち悪いくらいによく似合っている。

それに、体の毛だってそうだ。

色が無くなってしまったのは少しさみしいが、よく見れば真っ白なのもなかなか悪くない。

 

「そうだよ…。いつまでも、落ち込んでちゃいけないよな。」

 

自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。

見ず知らずのジョーイさんが、自分のために手を焼いて元気づけようとしてくれているのだ。

例えその方法が、少し強引だったとしても。

バクフーンにはわかっていた。

立ち直るきっかけを、与えてもらったのだと。

 

「あなたを頼りにしている…か。」

 

先ほどの、ジョーイの言葉を思い出す。

捨てられた自分を必要としてくれている誰かがいる。

その手を払う必要は無い。ただ、掴めばいいだけなのだ。

 

「…よしっ!」

 

両の手に力を込め、自らの頬を思いっきり叩いた。

ハピナスのおうふくビンタに劣らない痛みが走り、思わず顔をしかめる。

バクフーンは顔を上げ、再び鏡の中の自分を覗き込む。

両の頬は赤くはれていたものの、先ほどの自分とは思えないほど明るい顔になっていた。

 

「僕は変われる…、いや変わってやるさ!」

 

対となる世界に映るバクフーンの瞳には、決して消えることの無い決意の炎が宿っていた。

過去は全て失った。なら、新しい未来を探すしかない。

目の前に立つ真っ白な自分のように、零から全てを始めよう。

バクフーンはそう心に誓い、勢いよく部屋を飛び出した。

 

 

 

 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
1
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択