No.237841

蒼に還る夏(改)第2話 -The Medieval Warm Period-

2006年8月「天野こずえ同盟」様にて初掲載、2009年4月「つちのこの里」様にて挿絵付き細部修正版掲載

2011-07-28 05:19:01 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:504   閲覧ユーザー数:495

第2話 -The Medieval Warm Period-

 

静かな機械音とともに水密シャッターが上がってゆき、眩い夏の日差しに私は目を細めました

 

ようやく光に慣れた目に最初に焼き付いた光景は水平線を挟んで上下に広がる蒼い空と藍い海

 

そしてその間の異質な機械群に囲まれたプールの中にそそり立つ黒く巨大な背鰭のシルエット・・・

 

それが再び目にした”彼”の姿でした

 

 

 

 

トレーナーの明るい声が私のヘッドセットのイヤフォンから流れてきました

 

[τ-107、君にお客さんを連れてきたよ]

 

トレーナーの話すことは私達と”彼”に同時に伝わっているのでしょう

 

[わかるかな?君が先日”迷惑”とやらを掛けたウンディーネのお嬢さん達と社長さんだ]

 

そう言いながらトレーナーは脇に身を寄せると、私達にもよく見えるように正面を譲ってくれました

 

”ドック”と呼ばれるプールに向けて歩み始めた私の耳に、突然無味乾燥な機械の声が響きました

 

 

 

[理解できる]

 

 

 

それが私が始めて耳にした”彼”の言葉でした

 

[相変わらずな奴だな・・・こんな美女達の目の前なんだぞ?少しは愛想良くしろって]

 

おどけるトレーナーは微かな衝撃に言葉を失う私達の雰囲気に気づくことはありませんでした

 

[皆さんにも聞こえましたか?合成音声ですが先ほどの声がτ-107です]

 

再びヘッドセットから聞こえるトレーナーの声

 

でもその説明は私の耳には入っていませんでした

 

その時すでに私の目は”彼”の異様な姿に釘付けになっていたのです

 

黒と白の巨体・・・あの時しなやかで逞しい美しい流線型に見えたはずの身体には、

今はそこかしこに鈍い光沢を返す金属のプレートが貼り付けられていました

 

[本当に・・・本当にこいつなのか?なんでこんな格好にされてるんだ?]

 

トレーナーを問い詰めようとする晃ちゃんをグランマが静かに留めました

 

[ええ・・・確かに間違いありませんが?一体どうしたのですか?]

 

晃ちゃんの怒りを理解できぬトレーナーは不思議そうに問い返します

 

[τ-107は現在、身体組織の13%を構成するナノマシンを最新のものに換装中です、

 あれはそのためのものですよ?]

 

晃ちゃんはその回答を黙殺すると、くるりと踵を返しプールサイドに設けられたベンチに向かって行きました

 

すれ違う瞬間、その顔には普段は決して見せない哀しげな怒りが見えました

 

入れ替わりにアテナちゃんがプールサイドに膝を突くと、あの時のように語りかけ始めました

 

[こんにちわシャチさん・・・私のこと判るかな・・・]

 

[理解できる、あなたは私の前頭部複合センサーに触れようとした人ですね?]

 

自分の身体を機械として語るその言葉にアテナちゃんが寂しそうに目を細めるのを見て私もそばに寄り添いました

 

[こんにちは、私はアリシア・・・、あなたのお名前を教えていただけないかしら?]

 

[私はトランジエント・オルカ・シリーズ、同派生種”TYPE-α”、装備登録番号”ORC-τ-107”です]

 

予想していた、しかし外れて欲しいと願っていた答えに私は目を伏せました

 

そこに”感情”はあっても”心”は感じられませんでした

 

[アリア社長を助けてくれてありがとう、今日はそのお礼をいいにきたのよ]

 

[”アリア社長”とは私が救助した火星ネコを指す呼称ですね?]

 

[・・・・・・ええ、そうよ・・・アリア社長は泳げないからあのままなら危なかったわ、ありがとう]

 

[お礼には及びません、人間と知性を持つものを守るのが私の存在意義です]

 

[そう・・・・・・・・・、アリア社長?社長もこっちにきてお話しませんか?]

 

言葉に詰まり振り返ってアリア社長に声を掛けましたが、アリア社長は震えながらグランマしがみついたままでした

 

[あらあら、ごめんなさいね、アリア社長はまだびっくりしているみたい]

 

[それは仕方が無いでしょう、きっと本能でしょうね]

 

[うふふ、アリア社長も野生ということね]

 

[我々が地球で絶滅する前は猫も我々の捕食対象になりえたはずですから当然の反応といえます]

 

[それじゃ、わたしもあなたには”おいしそう”にみえてるのかしら?]

 

[我々シャチ族にとって人間は捕食対象外です]

 

[あなた達を絶滅させてしまったのはわたし達の先祖なのにね]

 

[気にすることはありません、それはあなたではありません、私は今ここに在る]

 

[・・・・・・・・・・・・・・・・・・あなたの”心”は本当に”今ここに在る”のかしら?]

 

[質問の意味不明、再入力せよ]

 

僅かに”心”を感じさせる答えを得た途端、私の失手で”彼”は機械に戻ってしまいました

 

[あなたの幸せは何かな・・・?]

 

ずっと私達の会話を傍らで聞いていたアテナちゃんが割り込みました

 

[人間を守ることです、それはとても素晴らしい]

 

[どうして・・・]

 

泣きそうなアテナちゃんの声・・・

 

アテナちゃんの悲しみの真意を見抜けなかった”彼”はそれに不思議そうに答えました

 

[どうして?それが私の存在意義だからです、当然でしょう?]

 

皮肉にもその答えにだけ初めて剥き出しのままの”心”らしきものがこもっていました

 

[もういい!]

 

ずっと木陰のベンチで憮然として座っていた晃ちゃんの声が響きました

 

晃ちゃんにも今までの会話は伝わっていました

 

[晃ちゃん・・・]

 

[もういいんだ・・・アリシア、アテナ、帰るぞ・・・無理だったんだよ・・・]

 

晃ちゃんは悲しそうに顔を伏せたままこちらを見ようとはしませんでした

 

[あいつには”幸せ”がある、与えられた幸せでも確かに”幸せ”が・・・]

 

わたしは晃ちゃんが泣いているのを知りました、涙を流さずに泣いているのを・・・

 

[いいえ・・・]

 

わたしはまた錯誤しました、一瞬早いアテナちゃんの声を自分の声ではないかと

 

[この子を還してあげたい、この子の”心”の在ったところに・・・]

 

わたしはその時、アテナちゃんを呆然として見上げていたのだと思います

 

  

  

 

なぜそこまで感じられるの?

 

 

 

 

長い沈黙の後、グランマが口を開きました

 

[トレーナーさん、ちょっといいかしら?]

 

[え・・・?あ、はい!]

 

いきなり質問を振られたトレーナーがうろたえ、すぐに自分を取り戻しました

 

[この子はいつまでこのプールにいるのかしら?]

 

[ナノマシンの換装はあと最低3週間はかかります、その後に最終調整があって・・・

 約1ヶ月ちょっとといったところでしょう]

 

[その間、この子はどうしているの?]

 

[τ-107には外部情報バンクとのアクセス権を許可してあります、きっと何か読み物でもしているでしょう、

 現にあなた方が来られる直前まで北欧神話を読んでいたようですから、なかなかのロマンチストなんですよ]

 

[そう・・・ひとつお願いがあるのだけれどいいかしら?]

 

[何でしょうか・・・?]

 

あからさまに不審がるトレーナーにグランマは笑顔で語りかけます

 

[私達は水先案内人・・・、だからこの子にネオ・ヴェネツィアの街を案内してあげたいの]

 

[はぁ・・・?しかしτ-107はここから出られませんし、それに・・・]

 

トレーナーはその先を言い淀みました、そこから先は政治に近い世界なのでしょう

 

[もちろんそこまで無理は言いませんわ、この子は端末を介して感覚だけを受け取ることも出来るのでしょう?]

 

[・・・・・・・・・ええ、”よくご存知で”]

 

硬い沈黙の後、いつも陽気なトレーナーの声がそこだけ冷たい平坦なものに変わっていました

 

[その端末を持って見せてあげたいのよ、この子が守っている街と人々を]

 

グランマはそれだけいうとトレーナーに、にっこりと微笑みかけました

 

 

 

 

「では遠隔端末は明日アリアカンパニーまでお届けいたします、色々と準備がありますので・・・」

 

再び局長室で私達は局長と向かい合っていました、その席にトレーナーの姿はありません

 

「ご無理を言って申し訳ないですね、局長さん」

 

「いいえ、高名なグランマのたってのご希望とあらば断るわけには参りませんよ、どうぞご遠慮なく」

 

「そう、では遠慮なくお願いしようかしら、アテナちゃん?」

 

アテナちゃんが黒と白のふわふわした何かをテーブルに載せました

 

「オルカのぬいぐるみですか?これがなにか?」

 

局長が首をかしげながらぬいぐるみを手にとってためすがめつ見ています

 

「アテナちゃんの手作りのぬいぐるみです、あの子へのお土産と思っていたのだけれど・・・

 それに端末を埋め込んでいただけませんか?それならあの子がいつも一緒にいる気持になれます」

 

そしてグランマは一言区切って囁くように続けました

 

「これなら目立ちませんし・・・」

 

局長は数秒、グランマの目を見つめた後、了解しました

 

「わかりました、手配させておきましょう、では・・・」

 

腰をあげる局長のしぐさを合図に私達も席を立ち管理局を後にしました

 

 

 

 

アリシア達が管理局を去ったあと、あのトレーナーが局長室をノックした

 

返事を待たずにドアを開けたトレーナーはぬいぐるみを手に取ると静かに口を開いた

 

「”グランマ”は想像以上に”物知り”のようですね・・・」

 

局長は遠ざかってゆく一行の背中を窓から見送りながら振り返りもせずに答えた

 

「ああ・・・さすがはグランマ、といったところか・・・」

 

局長が振り返った時、既にトレーナーは退室していた

 

局長は部屋のセキュリティシステムの監視機能を切ると微かな声で独り言をこぼした

 

「グランマが”ミナセの末裔”だという噂、まんざら嘘でも無いかも知れんな・・・」

 

コーヒーに変わって出された5つのロシアンティーは今度は1つだけ空になっていた

 

 

 

 

翌日の昼前にぬいぐるみは届きました

 

トレーナーは丁寧に挨拶をするとそそくさと去っていきました

 

去り際にトレーナーはそっと囁くように言葉を残しました

 

「もしも端末が無いときに何か感じたら必ず言って下さい」

 

それがなんなのか私達にも薄々わかっていました

 

 

 

 

私は彼女達の元へ届けられた、正確には私の感覚が

 

手作りのシャチのぬいぐるみに巧妙に納められた私と外界をつなぐ感覚端末が

周囲に広がる音を、光を、匂いを、温度を、そして触感すら伝えてくれていた

その場にいるとしか思えぬ臨場感で私は水の上の世界を感じ取っていた

味覚以外の五感が判ったが、そこに連れてこられた理由だけが判らなかった

「ようこそアリアカンパニーへ」

”アリシア”と自己紹介した長い髪を結っている女性が私の端末を胸に抱き話しかけてきた

昨日の会話記録から推測すると他の短い髪の女性が"アテナ”、そして長い黒髪の女性が”晃”というのだろう

「こちらこそよろしく”アリシア”そして”アテナ””晃”・・・”グランマ”という人はどこにいますか?」

「グランマは朝からお客様があるそうなの」

その時、私も彼女達もグランマを指名した客が局長だとは知らなかった

「そうですか、では単刀直入にお聞きします、私にどのようなご用件ですか?」

取り付く島も無い私の質問に返ってきたのは意外な言葉だった

「あなたを還してあげたいの・・・」

  

奇妙な女性だと思った

  

髪の短い褐色の肌の彼女、”アテナ”が唐突に話しかけてきた

「あなたの”心”が還りたがっているような気がして・・・」

「・・・・・・・・・なぜそう想うのですか?」

問い返す私に彼女は逡巡した

「・・・蒼」

果たして遠い目をしたまま呟くように返してきた彼女の答えは要領を得ないものだった

だが私は微かなショックを受けていた、

何か自分が忘れてしまったものをふいに突かれたようなショックを・・・

「すわっ!」

その”何か”を思い起こそうとしていた私の思念は活きのいい掛け声と共に断ち切られた

「おまえがなんと言おうと拉致っている間はおまえの運命はあたし達の手の平の上だ!」

犯罪のような危険な単語を発して髪の長い女性”晃”が私に宣告した

「聞き捨てならないジョークですね、あなたは何世紀前の人ですか?」

たちの悪いジョークに少し非難をこめてたちの悪いジョークで返した

「今!あたしはたった今”現在”よ!あんたこそ何!?」

弾ける笑顔が太陽にように眩しく見えた

「私は・・・」

言い返そうとして私は口ごもった

 

そうだ、私はいつから”私”になったのだろう?

 

答えを返せず沈黙する私をアテナが抱きなおした

「探しに行きましょう・・・”あなた”を・・・」

私は無意識に沈黙をもって諒解を返していた

 

 

 

 

中世の時を湛えた街が私を待ち受けていた

 

予想通りアクア・アルタのこの時期に観光客はほぼ皆無だった

水路を行きかうゴンドラもまず目に付かない

彼女達がトレーニングでゴンドラを沖合いに向けて漕いでいたのも街が半没しているからだ

その状況ですら客の指名を受けるとはあのグランマとは想像以上の人物らしい

私を抱えた彼女達3人も徒歩で没していない回廊を歩んでいた

「どこか見に行きたい所はない?ウンディーネは陸だって案内できるわよ?」

明るい声で話しかけてくれるアリシアに私は素直に答えた

「私は、自分が何を知りたいのか、を知りたい」

二人が微笑んだ

一人は寂しげに、もう一人は嬉しそうに

「そう・・・すこしずつ取り戻していきましょう」

彼女は確かに言った

覚える、ではなく、取り戻す、と

  

暖かい中世の街が私を迎えてくれた、そしてそれが終わりの始まりだった

 

第2話 終


 
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