No.229844

黎明の鳥

紡木英屋さん

終焉を迎える国。栄華を讃えた巫女と、革命の主導者。悲恋系?

2011-07-22 19:40:09 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:723   閲覧ユーザー数:719

 夕鳴き鳥の声が空に響く。

 巫女、エリシアはその声に顔を上げた。

 ――時代が変革する。

 元より予感はあった。建国者に賢王を戴き、数百年の栄華を誇ったこの黎国の王家にも、陰りは見え始めていたのだ。

 冷害による国中の田畑の大不作以降、債務は年を追うごとに増え、税は重くなった。

 元々肥えている土地とは言い難い黎国では、豊作はおろか、十人並みの収穫を得るのも難しい。農民の苦しい声を分かっていながら、それでも王宮は、負債の返済のために他国からの米や野菜の買い付け量を大幅に減らし、その減収分を回収するために税を増やしていく。

 負の連鎖は延々と続き――、ついに農民は武器を取った。

 それがつい二カ月前の事だ。

 農村から回収した米を都に送らず、裏市場に流して大金を得ていた地方領主の館に、農民たちは押し入った。

 各々が手にしていたのは、鋤や鍬などの農具。だが、積りに積った憎しみは、悪徳な地方領主を倒すには十分すぎる力となった。

 その勇気ある蜂起をきっかけに、黎国の各地で農民反乱が相次ぐ。西に兵を送れば、今度は北で暴動が起こる。国はだんだんと疲弊していった。

 国を革命すべく決起した『解放軍』の指導者は、異国の風貌とこの国の救世主の名前を持った、若き青年だという。

 しかし歳に似合わず、彼の手腕には目を見張るものがあった。彼の声明は農民だけではなく、貧困した平民を、義を重んずる貴族をも取り込み動かしたのだ。

 たったの二カ月、その短い期間で彼の『解放軍』は黎国の王都、ここ暁光にまで辿り着いた。

 黎国の栄光の巫女が鎮座するこの塔にまで、都の大乱の声が聞こえるようだった。

 

 開いたバルコニーから見える夕焼けから目を離し、エリシアは部屋を見渡す。

 必要最低限の家具、大輪の白花の花瓶、清貧な部屋には彼女の他に誰一人としていない。いつも世話をしてくれていた無表情の女官たちは恐らく、内乱を聞きつけて逃げて行ったのだろう。

 けれど、エリシアにはどうでもよかった。

 幼くして親を亡くしながらも細々と生きてきた彼女は、突如として故郷からこの異国へと連れ去られた。愛しい幼馴染と引き離され、望まない『栄光の巫女』という地位を押しつけられた。

 栄光の巫女は、この黎国の栄華の象徴。

 かつての争いで勝利を知らせた、伝説の栄耀の鳥。それはかつて、黎国の栄光と勝利の象徴だった。栄耀の鳥は時代と共に巫女に喩えられ、栄華の象徴は栄耀の鳥から栄光の巫女へと移ったのだ。

 しかし、彼女にとってこの身を飾る服も部屋も世話役も、そのような光栄な地位すら、何もかも要らないものに過ぎない。

 今も昔も、彼女が欲しいものは、もはや記憶の中にしか残っていない幼馴染の傍だけだった。

 黎国が陥落するならば、この国の栄華の象徴として代々続いてきた栄光の巫女も、無事では済まないだろう。

 死すらも覚悟した彼女の脳裏に浮かび慰めるのは、僅かばかりの自由だった幼少時代の思い出だけだった。

 ――それでいい。少しの思い出だけを抱いて逝けるのならば、悔いはない。

 彼女の顔に、悲嘆はない。それどころか、この危機的状況にエリシアは希望すら見えていた。

 夕鳴き鳥の声はもう聞こえない。きっと巣に帰っていったのだろう。

 彼女はインクの乾いた手紙を水晶の小さな置物の下に忍ばせ、先端のインクが乾き切らないペンを机に置いた。

 塔の階段を忙しく上る音がする。相手は恐らく一人だろう。気だるいのか、剣を引き摺る音も聞こえている。

 エリシアは白のワンピースを靡かせながら、その相手を迎えるべく石造りの扉を向いた。彼女は微笑んでいた。

 階段の音は止み、やがて扉は乱暴に開いた。

「栄耀の鳥――栄光の巫女よ! その首、この紫苑が貰い受けよう!」

 金の髪、青玉の瞳。異国の風貌を持ちながら、名は黎の英雄。

 強い意志を持つ青玉の瞳が、彼女を映し出して揺れた。

 ――間違えようが、ない。

「……エリ、シア」

 泣きそうな顔をしている、と彼女は思った。

 望まぬ別離を前にした、あの時と何も変わっていないと、確信した。

 エリシアは何も喋らない。今は言葉ですら不要だと、彼女は思った。言葉より何よりも、ただ一目見られることすら、奇跡に近い。

 願わくは、この一時の夢が一秒でも長く続くことを、彼女は祈る。

「……っ!!」

 剣を床に落とし、彼は無我夢中で巫女を抱き寄せた。

 誰よりも求めた女、誰よりも想った女――それが今、彼の腕の中に居る。

 服はぼろぼろで髪は乱れ、顔や手は泥の跡で汚れていた。そんな汚らしい姿の男を、けれど女は愛おしそうに抱き返す。やがてわんわんと泣き始める彼の背を、優しく撫でた。

「シオン、まさかとは思っていたけれど、貴方が解放軍の指導者だったなんて」

「ああ、エリシア。君がこの黎国に連れ去られてから、僕は何度も君を想ったよ。君のいない生活は、全ての火が消えた部屋のようだった。目の前が暗くて何も見えず、この両手はただ凍えた。そんな色のない生活の中で、ふと僕は君を取り返そうと思った。簡単なことだった、けれど僕は長い間そんなことにも気付けなかった。そこからの僕は、これまでの怠惰さを巻き返すように迅速に行動を開始したんだ。黎国の片隅の村で僕は一揆の話を持ちかけた。最初こそ渋ったけれど、彼らが承諾するのに時間要らなかった。そこから僕は――ああ、こんな無粋な話は止めよう。君が栄光の巫女になっているとは思わなかった。けれど、そんなことはどうでもいい。今ここに君と僕が共に居る、それだけで十分だ」

 栓の外れた水溜のように、決壊した川の濁流のように、彼は言葉を重ねた。

 そこに、解放軍を率い一気に王都まで争いを連れてきた、天才的な指導者の面影はない。あるのはただ一人の、愛に溺れた男だけだった。

 巫女は悲しく目を伏せる。

 劣勢な国、国を建て直そうと勢いに乗る農民たちの解放軍、そして黎国の栄光の巫女という立場。

 導かれるのは、ただ痛みを伴う結末だけだった。巫女はそれを誰よりも早く気付いており、きっと男は理解していない。いや、もしかすると気付いていないふりをしているだけなのかもしれなかった。

 農民たちの蛮声がすぐ近くで聞こえる。黎国の終わりが近づいているのだと、エリシアは分かっていた。

「シオン、また会えるなんて夢のようだわ。けれど……もう二度と、逢うことはないでしょう」

 奇跡はこれ一度きりだろう。

 けれども、彼女は一度きりの奇跡の為に、塔に一人残ったのだ。

「エリシア?」

 不安そうな表情で、彼はますます抱きしめる腕に力を入れた。けれどエリシアはもがき、腕の甘い束縛から逃れる。

 突き放すと、シオンは傷ついた顔をした。親に見捨てられた子供のようだった。別離を告げるには、あまりに苦しい。

 塔の下から、農民たちの怒号が轟く。

『時代は変わるのだ!』

『黎国の権威は地に落ち、栄華は枯れた! 栄光の巫女が讃える国は死んだ! ならば巫女も生きている意味はない!』

『巫女の死体が、解放軍の勝利を知らせる旗印! 民を苦しめる黎国の人でなしどもへの見せしめだ!』

『栄耀の鳥を射ち落とせ!』

『栄光の巫女をぶっ殺せ!』

『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』

 栄光の巫女、黎国の栄華の象徴。それは革命完了を告げるには格好の矢面だった。

「私も、貴方も、この奇跡の代償を払わなければいけない」

 エリシアはゆっくりとシオンから離れていく。ゆっくり、ゆっくりと、怒号が聞こえるバルコニーへと近づいていく。

 たとえ『解放軍』の英雄が誰であろうとも、大反乱が起こったその時から、国がこの革命を止められないと分かった時から、巫女の運命は最初から決まっていた。

「紫苑、貴方がこの革命を始めた以上、貴方は重大な責任を負っている。私も、心ならずも栄光の巫女と成った以上、巫女としての責任がある」

 二人が離れ離れになったその瞬間から、道は違えていたのだ。

 生きる時間は同じように平行であったとしても、交差することなどありはしない。

 それを捻じ曲げようとする行動の結果は、奇跡は、重い代償を生んだのだ。

「けれど、」

 エリシアは微笑んでいた。

「この奇跡に――後悔なんてないわ」

 愛しい、愛おしい幼馴染(シオン)。貴方を愛せたことを、貴方を想えたことを、貴方の傍に居られたことを、後悔なんてしない。

 巫女は駆け出す。白いバルコニーに出ると、暮れなずむ光が彼女の白を照らした。襲う罵声、土塊、砂礫――その全てを巫女は払い除ける。

「エリシア、待ってくれ!!」

 懇願するような声にも、彼女は振り向かなかった。

「黎国の勇敢な民たちよ! 私は汝らの勇気を讃え、その繁栄を心から願おう!」

 思い出すには遠すぎた、幼い日々。果てまでも続きそうな草原を、二人で手をつないで駆けていった。

 どこまでも、どこまでも、私たちは自由に。

 瞼を閉じると、彼の笑顔だけが脳裏に浮かんだ。

 笑うことは、とても簡単だった。

 

 栄耀の鳥はバルコニーから飛び立った。勇猛な人々に、夜明けを告げに降り立つため。

 自由に羽ばたく翼を持たず、落ちゆく重い躯。

 それでも、巫女は満たされていた。

 黎(くろ)い世界に、今ようやく、明かりが射し込んだのだから。

 

 

 大革命の後、黎国は苑国と名を改め、その台頭には解放軍の英雄、紫苑が立った。

 異邦人の王を戴くことに反発する国民も数多居たが、その多くが彼の殊勲を前に黙った。

 しかし国としての体制がようやっと整い始めた矢先に、偉大なる建国者、紫苑は刺客の魔の手により逝去する。

 多くの民の信頼を集め、多くの民を導き、王となった後に多くの民から訝しまれながらも、国の治世に尽力した研鑽な王。

 難儀な人生を送ったにもかかわらず、その死に顔はひどく穏やかだったという。

 

 

 この後に、四百年余続くことになる、栄光の巫女に繁栄を望まれた苑国。

 後世の歴史書に黎明時代と記される、最盛期の初頭のことだった。

 

 


 
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