No.227506

水精の舞う海 『第1話:CT13船団を狙え!』

陸奥長門さん

 以前から書きたかった架空戦記ものです。主人公は貴族で女の子で海賊!
 是非彼女たちの奮戦を楽しんで頂きたいです。

2011-07-11 20:00:00 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:659   閲覧ユーザー数:639

――神聖暦1945年3月15日

 

「レーダーに反応あり。本艦よりの方位300度,35,000メートル。反応は大1,小7。速力およそ20ノット」

 レーダーマンからの報告に,艦橋は一瞬静まりかえった。

「やはり,ただでは行かせてくれんか」

 そう呟いたのは,少佐の徽章をつけた士官だった。

 その士官は驚いたことに,女性だった。

 陽光に輝く金髪をまとめ上げ,軍帽に納めている。瞳の色は冴えた空を思わせる青。

 その美しい顔に,鋭い眼光が宿った。

「司令,これはおそらくブリタニアの,護衛艦隊から抽出した邀撃艦隊でしょう。おそらく巡洋艦1に駆逐艦が7隻の編成でしょう」

 そう言って,女性士官に囁いたのは,特務少尉の徽章をつけた中年の男だった。

 身長は女性士官より頭一つ分高い。浅黒く日焼けした精悍な顔つきは,歴戦の勇士を彷彿とさせる。

「こちらは,本艦をいれても4隻の小艦隊だというのに,豪勢なことだな。何がなんでも通さない,ということか」

 女性士官は自嘲に唇を歪める。この女性士官は,それすらも気品を感じさせる。生まれもった資質なのか,彼女の仕草の一つ一つは気品に溢れていた。

「司令,それは――」

 特務少尉が言いよどむ。

「仕方あるまいよ,副長。今や制海権はブリタニアにある。斜陽の我が軍とは違う,ということだ」

 

 

 斜陽の我が軍――それは紛れもない事実だった。

 神聖暦1939年9月1日,ゲルマニア帝国がポーランドに侵攻したことから始まった欧州戦争は,やがてフランセーズ共和国,ブリタニア王国を巻き込んだ欧州大戦へと発展していった。

 陸続きの陸軍国家であるフランセーズ共和国軍を,戦車,装甲車を駆使した電撃戦によって僅か1ヶ月で破ると,ゲルマニア帝国の覇権は,欧州大陸一帯に拡がった。

 一方,海峡を挟んで睨みあうこととなったブリタニア王国だったが,海軍力はほぼ拮抗しており,ゲルマニア帝国は勝利の余勢を駆って,海上決戦を挑んだ。ゲルマニア帝国の中では,当然この戦いにも勝利の美酒を味わえるという雰囲気が漂っていたが―――結果は惨敗に終わった。ゲルマニア王国は,その成り立ちから生粋の海軍国であり,陸軍偏重のゲルマニア帝国海軍との経験の差は埋めがたいものがあった。

 特に,欧州最大最強にして,不沈戦艦として繰り出した新鋭戦艦を撃沈されたのは痛かった。以後,有力な水上艦艇に欠くゲルマニア帝国海軍は,潜水艦を使った通商破壊戦に特化していくこととなる。

 海戦敗北の責を負い,司令長官の座をおりたレーダー提督に代わり,新任されたデーニッツ海軍大将は,この潜水艦戦に造詣が深く,数々の作戦を成功させた。これにより,島国であるブリタニア王国は資源の輸入が途絶え,一時期は白旗を揚げるのではないかと追いつめられた。しかし,首相を務めるチャーチルは,「必勝」を掲げ,国民に「勝利を信じて,今は耐えて欲しい」と説いた。そしてチャーチルは,「世界の工場」と謳われた超国家,インディアナ連邦共和国を自軍陣営に加えることに成功した。

 インディアナ連邦共和国は,その「世界の工場」の名に恥じない働きをした。優秀な兵器が大量生産され,豊富な人的資産との相乗効果と相まって,次第にゲルマニア帝国は押され始めた。

 特に対潜水艦戦用に新開発された兵器は優秀で,次々にゲルマニア海軍潜水艦が撃沈されていった。ここに,ゲルマニア帝国は制海権を喪ったのだ。

 制海権を確たるものとしたブリタニア王国を含む連合国軍は,攻勢を開始した。

 元フランセーズ共和国の東端の広大な海岸線,ノルマンディーに逆上陸を果たした連合国軍は破竹の進撃を続け,ゲルマニア帝国陸軍も奮闘するが,次々と占領地は解放されていった。大陸における軍事バランスも連合国側に傾いていったのだ。

 現在では,旧首都ベルリンを占拠され,新首都ゲルマニアまであと数十キロまで連合国軍は迫っていた。

 ここまでくれば,ゲルマニア帝国の敗北は,誰の目にも明らかだ。陸軍は起死回生の1撃を見舞うべく奮闘しているが,海軍の有様は散々である。

 残された水上艦艇は,小型艦が数隻。燃料である重油も底をつき,最早まともな作戦など行うのは不可能だった。

 そこに,連合国軍の大規模な輸送作戦が実施されるという情報が舞い込んできた。

 皇帝フリードリッヒⅢ世と,軍令部は,これを撃滅するよう海軍に命令を下した。海軍上層部は,この作戦は不可能だと反発したが,末期で暴走を続ける独裁者は聞き入れる耳をもたなかった。

 結局,備蓄の燃料を全て使い切り,作戦に参加出来たのは4隻の駆逐艦のみだった。

 

「敵距離30000メートル,速力30ノット」

「敵の並びは巡洋艦1,駆逐艦7。単縦陣で接近中!」

 レーダーマンと艦橋見張員からの報告が重なる。

「司令,敵の数は8隻,こちらは4隻です」

 副長が少佐に耳打ちする。

「だからどうだと言うのだ?まさか,この私に敵前逃亡をせよ,と言いたいのか」

 少佐とよばれた女性士官は好戦的な視線を副長に向けた。

「勝ち目は薄い,と考えますが」

「だが必ず負ける,とも限らんだろう?」

 女性士官の目が弓のように細くなる。状況に臆することなく,現状を楽しんでいるかのようだ。

 女性士官は右腕を胸元から真っ直ぐに前に伸ばした。そして,稟と通る声で下令した。

「このブリュンヒルト・エーデルシュタインに後退はない。目標,敵艦隊。全艦,最大船速!突撃せよ!」

 

 

「敵艦隊,距離30000メートル,速力30ノットに増速したもよう」

 戦闘艦橋を改装したCIC(Combat Information Center:戦闘指揮所)で,レーダー管制官からの報告に,ブリタニア王立海軍第71.1任務部隊司令官アンソニー・ベアリング少将は,唇の端を僅かに上げた。

「ほう。彼らはやる気だよ。なかなか戦意旺盛じゃないか。将旗はなんだろう?」

 ゲルマニア帝国海軍は,将旗に家紋を掲げる事が多い。それによって,誰が指揮を執っているか分かるのだ。戦う相手の事が分かれば,戦いの方針も決めやすい。

「将旗は先頭艦に掲げられています。意匠は………花………薔薇,です」

 艦橋見張員の報告に,ベアリング少将は器用に片眉を上げた。

「ほう。薔薇とは……。噂に聞く”ルサルカ”かな」

「ルサルカ……とは?」

 ベアリング少将の前に立っている男が疑問を口にした。大佐の徽章をつけた,精悍な雰囲気を纏っている士官だった。

「艦長,君も軍の広報は読むだろう。ゲルマニアに,女性士官が指揮する部隊がある事が載っていたはずだが」

「ああ,あれですか。しかし,それは確かなことでしょうか」

「ゲルマニアも盛んに喧伝していたからね。さしずめ戦場で戦う戦乙女,といったところかな」

「………それで,ルサルカ,ですか」

「そう。神話でいう,男を惑わして水の底に連れ込むという,女妖精のことだよ。我々も惑わされないようにしないとね」

 ベアリング少将の言葉を聞いて,一瞬艦長は目を細める。ベアリング少将の言葉に対して,反感に似た感情が生まれたのかもしれない。

「敵距離29000メートル。速度,針路に変更なし」

 レーダー管制官の報告に,無言で頷くと,ベアリング少将へと視線を移した。

「いかに”ルサルカ”が相手だとて,我が艦隊はこの軽巡「バーミンガム」と7隻の駆逐艦があります。負ける道理はありません」

 艦長は,そう言い切ると踵を返した。

「いくのかね」

 ベアリング少将の問い掛けに,艦長は前を見たまま答えた。

「ええ。ここよりも,上の方が戦場全体を見やすいので」

 そう言うと,艦長は露天艦橋へ続く階段を上り始めた。既に命令は出ている。あとは,艦長の仕事だった。

 

 

「敵との距離,28000メートル。艦影から,巡洋艦はサウサンプト級と思われる」

 艦橋見張員の言葉に,ブリュンヒルト少佐は,凄惨な笑みを浮かべた。

「司令,奴らはこのまま反抗戦をするつもりでしょうか」

「いや,彼らの任務が我々が輸送船団に突入するのを防ぐことであるのは明確だ。ならば,なんとしてでも同航戦を挑んでくるだろう。軽快艦艇同士の戦いだ。戦闘はあっという間に終わってしまうかもしれん」

 ―――それが,自分たちの敗北で終わるとしても―――とは,ブリュンヒルト少佐は口にしなかった。

 ブリュンヒルト少佐は一瞬,視線を下におとした。部下の犠牲を少なくするとすれば,撤退という命令も下せるのだ。

 だが―――

「後続艦,付いてきているか」

「”シュヴァルツ2”,本艦に後続中」

「”シュヴァルツ3”,本艦に後続中」

「”シュヴァルツ4”,本艦に後続中」

 後部見張員よりの報告に,ブリュンヒルト少佐は,満足そうに頷いた。

 ”シュヴァルツ”とは,今回の作戦――春風作戦――に参加する艦艇につけられた呼び出し符丁である。

 この作戦に投入された駆逐艦は,Z23型駆逐艦に分類され,それぞれZ23,Z24,Z26,Z28と呼ばれている。ただ,それだと呼び出しが煩雑になるために,それぞれ”シュヴァルツ1”,”シュヴァルツ2”,”シュヴァルツ3”,”シュヴァルツ4”と呼び出し符丁が決定された。

 Z23型駆逐艦は,全長127m,全幅12m,基準排水量2600トンの艦体に,15㎝単装砲を4基,4連装53.3㎝魚雷発射管2基を備えている。速力は最大で37.5ノットが出せる,バランスのとれた艦だった。特に主砲は軽巡にも搭載されている一回り大きいもので,射程・威力共に既存の駆逐艦より優れていた。

 その駆逐艦が1本棒のように一糸乱れず追従してくる。

―――即席の艦隊にしては,指揮・意気共に旺盛だな。

 ブリュンヒルト少佐は,これで十分に戦える,と確信した。

「距離10000メートルにて主砲射撃開始。魚雷は距離5000メートルにて発射せよ」

「主砲,距離10000メートルで射撃開始します」

「魚雷,距離5000メートルにて発射します」

 ブリュンヒルト少佐の命令に,砲術長と掌雷長の復唱が重なる。

 ゲルマニア帝国艦隊,ブリタニア王立海軍艦隊共に最大船速で疾駆している。両者の間は見る間に縮まっていった。

 やがて双方の距離が20000メートルをきった頃,

「敵艦隊取り舵」

 の報告が見張員から報された。

「敵はこちらに対してT字を描くつもりです。頭を押さえられますと,この後の戦いが不利になります」

 副長の耳打ちに,ブリュンヒルト少佐は,ただ黙って前を見ている。

「司令・・・?」

 副長が,焦りに声を上ずらせる。

「まだまだ。このままだ」

 ブリュンヒルト少佐は,その場に仁王立ちになる。

「敵距離15000メートル」

 レーダーマンの報告と同時に,

「敵艦発砲!」

 見張員の切迫した報告があげられた。

「司令!」

 副長が,焦りのあまり語気を強くしたが,ブリュンヒルト少佐は,双眼望遠鏡を,敵艦隊へ向けたままだ。

「まだだ。距離5000まで詰めるのだ」

 ブリュンヒルト少佐が,そう言い切った時,砲弾が風を切る独特の音が近づいてきた。

 多数の水柱が,ブリュンヒルト少佐の座乗する”シュヴァルツ1”の進路上に林立した。

 精度はあまり良いとはいえない。一番近い弾着場所も,”シュヴァルツ1”から200メートル以上離れている。

「初弾から命中などするものか」

 ブリュンヒルト少佐は不敵に笑うと,腕の時計を見て,素早く計算した。

 現在,敵艦隊との距離は14000メートル。距離を5000メートルまで近づけるとなると,現在の速度37ノットではおよそ8分の時間が必要だ。

 8分という時間は,短いようではあるが,駆逐艦の主砲であれば1分間に6発―――8分で48発は撃てる計算になる。敵の駆逐艦の搭載砲が6門だとすると,1艦あたり288発,8隻に集中的に狙われるとすると,2304発もの弾量が撃ち込まれることになる。仮に命中率が3パーセントだとすると,70発は命中するという計算だ。

 装甲など無きに等しい駆逐艦にとって,これは絶望的な数字だった。

 再び水柱が林立する。およそ10秒の間おいて,また水柱が立ち上がる。

 こころなしか,その弾着位置は”シュヴァルツ1”に近づいてきている気がする。いや,敵は確実に砲撃精度を上げてきている。このままでは遠からず命中弾がでるだろう。

「敵は本艦に砲撃を集中しているようですな」

 艦橋要員が,顔色を青くしている中,副長は落ち着いた声でブリュンヒルト少佐に耳打ちした。くぐってきた修羅場の数が違うのだ。

 ”シュヴァルツ1”はシャワーのように降り注ぐ海水を切り裂きながら,最大船速で突進する。

「敵距離12000メートル」

 レーダーマンの言葉に,ブリュンヒルト少佐は小さく頷いた。

 まだ夾狭も命中弾もない。

「どうした,ブリタニア」

 ブリュンヒルト少佐は,挑むような声で呟いた。

 敵弾の飛翔音と,弾着に伴う水柱,そして砲弾の炸裂する轟音の不協和音の中,ついに敵艦隊との距離が10000メートルに達した。

「本艦及び”シュヴァルツ2”目標敵1番艦,”シュヴァルツ3”目標敵2番艦,”シュヴァルツ4”目標敵3番艦,射撃開始!」

 ブリュンヒルト少佐の,稟とした通る声が艦橋に響き渡った。

「了解。目標敵1番艦。射撃開始」

 砲術長の復唱と同時に,前部に2基配備されている15センチ主砲が火を噴いた。同時に敵弾が落下してきた。今度の弾着位置は近い。1発などは,右舷至近に落下し,水柱が舷側を擦る。砲弾が水中で爆発し,その衝撃が不気味に足許から響く。

 ブリュンヒルト少佐は小さく舌打ちした。恐れていたことが現実になりつつある。

 敵艦が発砲を開始してからどれほどの時間が経ったのか―――実際には数分間であるが,それが何時間にも感じられた。

 敵の砲撃精度は確実に向上しつつある。遠からず命中弾が出るものと思われた。果たして,魚雷発射の距離5000メートルまで辿り着けるのかどうか―――そのような不安が,ブリュンヒルト少佐の胸を締め付けた。

 その不安を払拭するように,前部2門の15センチ砲が火を噴く。ゲルマニア軍の火砲は,他国と比べて高初速で速射性に優れていた。

 およそ6秒に1発の割合で,矢継ぎ早に射弾を敵艦へと撃ち込んでいく。

「敵距離6000メートル」

 レーダーマンの報告と同時に,それがきた。

 艦の左右に水柱が立った―――と思った途端に,前甲板に閃光がはしった。

 砲弾の炸裂音と共に,板材が爆風に巻き上げられ,大人の頭程の大きさの穴が穿たれた。

「きたか……っ」

 敵のどの艦が命中弾を出したのかは分からない。しかし,これからは一定の割合で命中弾が出ることに違いはなかった。

 あと1000メートル。時間にすれば1分弱だ。それまでに,この艦が持ちこたえる事が出来たならば,まだ勝機は見いだせる。

 さほど間をおかず,敵弾の飛翔音が近づいてくる。今度は2度,艦が衝撃に震えた。

 1発は主錨巻取機に直撃し,無数の鎖が四方に飛び散った。次の1発は,A砲塔の至近に命中し,構造材を吹き上げる。

 主砲をやられたか――と,危惧したが,次の瞬間,A砲塔は敵に向かって砲火を放った。砲塔に多少の傷が付いたようだが,砲としての性能の支障にはならなかったようだ。

 ほっと胸をなで下ろした時には,次の敵弾が飛翔してくる。今度は3発命中した。1発は艦首付近に命中し,アトランティックバウの流麗な艦首の上部を破壊した。2発目は艦橋後部に命中したようだ。後ろから蹴飛ばされたような衝撃に,艦橋にいた将兵の内,何人かがよろめいた。3発目はB砲塔に命中した。爆風や波よけ程度に施された鋼板は,容易く貫徹され,大音響とともに砲座から外れた砲身が海中へと没した。砲弾の誘爆の可能性に,ブリュンヒルト少佐は身構えたが,鉄くずの堆積と化したB砲塔からは,うっすらとした黒煙がなびいているだけだった。B砲塔は喪われたが,致命的な弾火薬庫の誘爆は起こらなかったようだ。

「司令……!」

 副長の声にも焦りが混じり始めた。

「まだだ。まだ。 後続艦,付いてきているか?」

 ブリュンヒルト少佐は努めて冷静な口調で訪ねる。程なくして見張員から報告があがる。

「”シュヴァルツ2”及び”シュヴァルツ3”,”シュヴァルツ4”,本艦に後続中」

「よし……! 本艦が攻撃を吸収した形になったが,これでいけそうだな」

 ブリュンヒルト少佐は,悽愴とも言える笑みを浮かべると,

「レーダー,敵艦隊との距離はいくらか?!」

 レーダー室へと繋がる電話機に向かって,怒鳴り込むように尋ねた。

「敵距離5300………5200………」

 レーダーマンが逐一報告をあげてくる。それが5100に達した時,

「よし!面舵一杯!本艦針路180度。左砲雷撃戦始め!」

「面舵一杯!」

「左砲戦!」

「左魚雷戦!魚雷用意!」

 各部署から復唱が返される。

 鋭く尖った艦首が,波を砕きながら右へ右へと回頭してゆく。それに伴い,正面に見えていた敵艦隊が,左へと流れていき,やがて双方が舷側を向ける同航戦の形となった。

「針路190度。舵,もどせ!」

 航海長の言葉とともに,再び艦は前進を始める。

「本艦,魚雷発射完了」

 との報告がほぼ同時にあげられた。

「”シュヴァルツ2”より信号,”我,魚雷発射完了”」

「”シュヴァルツ3”より信号,”我,魚雷発射完了”」

「”シュヴァルツ4”より信号,”我,魚雷発射完了”」

 艦隊の各艦からの報告が入ってくる。

「よし。よくやった!」

 ブリュンヒルト少佐は頷くと,腕の時計を見る。各艦4発,合計16発の魚雷が敵艦隊へと突進を開始したのだ。

 ゲルマニアの魚雷は,距離6000メートルならば,最大44ノットの速度で航走可能だ。敵艦隊への到着には,およそ4分半の時間がかかることになる。

 時計員が時間を計る中,主砲による射撃が再開された。

 3門に減じた主砲であったが,その砲火は衰えることなく,敵艦へ向けて放たれる。ほぼ同時に敵艦も発砲を開始した。

 ”シュヴァルツ1”と”シュヴァルツ2”が相手どることになった,敵軽巡洋艦の周囲に弾着の水柱が立ち上がる。7本の水柱は,全て敵艦の手前に立った。

 対する敵艦も舷側を発砲により,赤く染める。

 双方の砲弾が空中で交錯し,それぞれ狙った相手へと落下してゆく。

 ”シュヴァルツ1”の至近に8本の水柱が立つ。どうやら”シュヴァルツ1”の相手はこの巡洋艦が勤めることになっているらしい。

「ならば,勝ち目はある……」

 ブリュンヒルト少佐は小さく呟いた。敵巡洋艦には,”シュヴァルツ2”と一緒にあたる事になっている。ほぼ同数の砲門数で,敵を追いつめる作戦だ。

「”シュヴァルツ2”に命中弾!」

 の報告が後部見張員からあげられる。「了解」とのみ,ブリュンヒルト少佐は言った。個艦に関しては,全て艦長に任せてある。今は各々の艦長の技量を信じるしかなかった。

 そうしている間にも,砲火の応酬は続いている。同航戦に移ってから2分弱が過ぎているが,敵軽巡洋艦,”シュヴァルツ1”共に命中弾は得ていない。

「砲術,まだか?!」

 副長が艦橋トップの射撃指揮所へと繋がる送受話器を取り上げ,檄を飛ばす。

 その副長の言葉に後押しされたかのように,残存の3門の15センチ砲が火を噴く。

 距離5000メートルでの撃ち合いだ。命中弾は遠からず出るものと思われる。先に命中弾を得た方が戦いの主導権を握れると思った時――敵巡洋艦の舷側に,明らかに発砲とは異なる閃光が走った。

「敵艦に命中弾,2!」

 心なしか弾んだ声で見張員が報告する。

「よくやった―――」

 全てを言い終える前に,”シュヴァルツ1”が,衝撃に震えた。一度に4発が命中したと分かったのは,ダメージコントロール班の班長を務める少尉からの報告であった。

「C砲塔全壊,煙突に命中。左舷魚雷発射管に命中弾。もう1発は艦尾甲板に命中。小火災発生中!」

「消火急げ!」

 副長が声を張り上げ,ブリュンヒルトは唇の端を噛む。”シュヴァルツ1”は,砲火力の半分を喪ってしまったのだ。

 ”シュヴァルツ1”が,残り2門の砲を撃った時,入れ違いに敵弾が落下してきた。

 大気を切り裂く,悲鳴のような耳障りな音が最大になった瞬間,再び”シュヴァルツ1”が衝撃に震えた。今度は1発がB砲塔へと命中した。既に原型を留めていなかったB砲塔の残骸が,空中高く舞上げられ,その幾つかが艦橋に中って,金属的な叫喚をあげる。ボルトのような物が,戦闘艦橋の防弾ガラスを叩き割り,艦橋内部へと躍り込んだ。士官の一人がくぐもった呻きをあげ,その場に倒れ込む。

「司令!」

「私の事はいい。それより負傷者の救護を!」

 ブリュンヒルト少佐は声を張り上げる。直ぐに衛生兵が艦橋へと現れ,倒れた士官へと駆け寄る。

 衛生兵が,その士官の状態を見て首を横に振るのと,「”シュヴァルツ4”より入電。”我,多数の艦より砲撃を受ける。大火災発生。出しうる速度10ノット”」の報告が上がるのが同時だった。

「まだか……!」

 ブリュンヒルト少佐が歯ぎしりをした時,時計員が「時間,今」と報せた。敵艦隊に魚雷が到達したのだ。

―――やったか?

 不安と期待が入り交じった表情で,ブリュンヒルト少佐は,後ろを振り返った。

 だが,見張員からの報告はない。

―――駄目だったのか?

 艦を1隻喪い,自身の座乗する艦も満身創痍の状態である。やはり,数の差は圧倒的だったのか―――そう,彼女が思った時,

「敵8番艦に水柱を確認! 6番艦にも水柱を確認。魚雷命中です!」

 当たり所によっては,巡洋艦ですら撃沈できる魚雷だ。駆逐艦ならば致命傷を与えただろう。

「そうか,よくやった!」

 ブリュンヒルト少佐がそう言った時,今までよりも強烈な振動が艦を襲った。

 艦橋内の将兵のほとんどが転倒し,ある者は海図台に叩きつけられた。ブリュンヒルト少佐も姿勢を維持出来ずに,床に投げ出されてしまった。

 強烈な痛みと共に,視界が一瞬暗くなる。うめき声さえ上げられないその体を,力強く起きあがらせてくれた手があった。

「大丈夫ですか,お嬢―――」

 副長だった。いつも冷静な彼らしからぬ,焦りの滲んだ表情だった。

「私なら,大丈夫だ……。それよりも,ベルナール,貴様こそ大丈夫なのか」

 副長は,額から出血していた。それほど深い傷ではないのだろう。出血の割りに副長の目は,しっかりとした意識を保っている。

「何が,起こった?」

 副長に肩を貸してもらいつつ,ブリュンヒルト少佐が立ち上がる。

「A砲塔がやられました」

 ブリュンヒルト少佐は,そう言われて艦首方向へと視線を向ける。真っ黒な噴煙が,勢いよく吹き出している。

「弾薬庫が誘爆したようです。幸いな事に,弾は半分以上消費していたようで,致命的な大爆発は起こらなかったようです」

 そう言われて,ブリュンヒルト少佐は,周囲を見る。確かに,これだけの損害を受けながら”シュヴァルツ1”は,まだ全速で航行しているようだった。

「我々の負けか。しかし,それにしても―――」

 傍らの副長に,ブリュンヒルト少佐は微笑みかける。

「『お嬢』か。久しぶりに聞いたな。変わらんな,あの頃と」

 副長の顔も,その場に似つかわしくなく,穏やかなものとなっていた。

「お嬢,もはや我々は―――」

 ブリュンヒルト少佐は,その先を言わせなかった。

「『司令』だ,副長。我々はまだ戦える。ゲルマニア帝国海軍の矜持をみせてやろうではないか」

 ブリュンヒルト少佐は副長から体を離すと,右手を真っ直ぐと伸ばし,肩まで持ち上げた。その指の先には,敵巡洋艦の姿がある。

「各艦一斉回頭!右魚雷戦急げ!」

 艦橋に,稟としたよく通る,鈴のような声が響き渡った。

―――神聖暦1940年5月12日

 

「まったくつまらんな。艦長,本国へは何時到着するのだ」

 横柄な態度で,司令長官席に着いている男―――ジェイコブ・バシュラールはCT13船団護衛艦隊旗艦軽巡「モーリシャス」艦長,マイケル・バルリング中佐に尋ねた。

 バルリング艦長は,努めて不快感を表さないように,航海長へ現海域の報告と本国までの時間を報告するよう促した。

 航海艦橋に据え付けてある海図台の前に立つ航海長は,半ばうんざりしたような表情で報告を始める。この航海が始まってから,何度となく繰り返された光景だった。

「現海域は,サン・ナゼールよりの西方110浬です。船団がこのまま12ノットの巡航速度で航行したとすると,およそ32時間後に,本国へ到着する予定です」

「なんだ,まだ1日以上あるじゃないか。まったく,儂はこのようなドン亀どもを護るために海軍に入ったわけじゃないんだぞ」

 バシュラールは,顔を不機嫌に顰めると,床に向かって唾を吐いた。

 艦長はまるで自分の部屋で唾を吐かれたような気分になり,不快に顔を歪めそうになる。

 この,醜く弛んだ体を司令長官席に預けている男の徽章は准将位だった。自分の上官にあたる人間が,例え尊敬に値しない者であったとしても,礼節を守るのが,ブリタニア王立海軍軍人たるものの矜持だと,艦長は思っていた。

 神聖暦1939年9月に始まった欧州大戦の影響は確実に出ていた。戦闘が始まれば当然のように将兵の犠牲が出るわけで,その補充が追いつかなくなってきたのだ。特に司令官クラスの人材不足が顕在化しており,バシュラール准将のように素行に問題がある者まで現場に登用せざるおえない状況になっていた。

 

―――素行に問題があるだけなら,良いのだが。

 

 艦長は,ここ数日バシュラール准将の下で働いてみて,一つの危惧を抱いていた。

 言動が粗暴であろうとも的確な指示を出せる人間ならば良い。だが,いざという時に狼狽するだけの無能な者だとしたら,これほど質の悪いものはない。

 どうもこのバシュラール准将は,口だけは大きい事を言うが,実戦の経験は皆無なのではないか,と思うのだ。

 いざとなれば―――指揮権を奪うことまで,艦長は考えていた。

 

 CT13船団は,植民地からブリタニア王国本国へ資源を輸送するために組まれた船団だった。

 タンカーが3隻に,その他鉱物資源を輸送する輸送船が5隻の8隻の民間船を軽巡洋艦「モーリシャス」を旗艦として,駆逐艦「アイレックス」,「インパルシヴ」の3隻が護衛している。

 それぞれ大戦前に就役した旧式艦であるが,船団護衛に割ける艦艇にも限りがあるため,この3隻が選ばれたのである。

 

 およそ1時間後,

「レーダーに感あり。距離,本艦よりの方位170度。30000メートル」

 レーダー管制官より報告があげられた。

 艦橋要員の間に緊張が走ったが,それを統べるバシュラール准将の反応は違った。

「レーダーだと? また誤動作ではないのか」

 吐き捨てるように言った。

 レーダーは,今回の船団護衛任務にあたって,新設された兵器だった。装置としては複雑で大きいために,艦船への搭載は巡洋艦以上の艦に限られていた。つまり,この護衛船団の中でレーダーを装備しているのは軽巡洋艦「モーリシャス」のみだった。

 この時期のレーダーは,開発されて間もない事もあり,性能的に安定していない事も多く,また運用面についても試行錯誤の段階だった。新兵器について疎い,保守的な者からみれば,役に立つかどうかも分からない胡散臭い装備だった。そしてバシュラール准将は,そのレーダーを理解出来ていない人物だった。

 実際,「モーリシャス」のレーダーはよく不具合を出していた。ありもしないノイズを拾ったりする事も少なくなかった。レーダーを扱う人間も専門教育を受けた者ではなく,通信科の人間が兼任で操作している始末である。専門の技術者も乗艦してはいるが,彼は技術者ではあっても軍人ではなく,彼の発言が取り入れられる機会は極端に少なかった。

「確認してみましょう」

 艦長は通信室へと繋がる艦内電話機の送受話器を取り上げた。

「通信長,艦長だ。レーダーの反応だが…………そうか。間違いはないのだな?速力も分かるのか………20ノットだと。そうか,分かった」

 送受話器を台に置くと,艦長は司令長官席に座るバシュラール准将へ向き直った。

「司令,レーダーの故障ではありません。我が船団より170度の方角に正体不明の船が1隻,こちらへ向かっています。その速力はおよそ20ノットです」

 艦長の言葉に,艦橋が一瞬ざわめいた。

「正体不明……とのことですが,味方の可能性はないのでしょうか」

 まず口を開いたのは副長だった。

「その可能性は低いと思われます。現在,この付近を航行している味方船舶は,我々のみのはずです」

 参謀長が紙の束を捲りながら答えた。

「速度が20ノット,というのも気になります。そんな高速で航行できる商船は非常に珍しいと思います」

 航海長が,顎に手をやりながら首を傾げる。

「ゲルマニアの通商破壊船,或いは私掠船の類である可能性が高いな」

 艦長はそう言うと,海図台に目を落とす。この正体不明の船が何者であれ,そう遅くない時間には接触されてしまう。これが敵だとしたら,残された時間は僅かである。迅速な判断を迫られた。

「司令。この正体不明船に対して,偵察を出したいと思います」

 バシュラール准将は眉根を寄せた。

「偵察,だと?」

「そうです。目標が民間商船であれば,それが我が国の船籍ならば問題ありません。しかし敵性国家の船籍の場合,臨検を行い荷を確かめる必要があると考えます。ゲルマニアへの武器輸送船であれば,その場で接収すれば,ゲルマニアに対してダメージを与えることになります」

 艦長は,一旦そこで言葉を句切った。そして,やや強めの語調で次の言葉をつむいだ。

「もしも,目標が仮装巡洋艦や私掠船の類であれば―――戦闘の許可を頂きたいのです」

「戦闘,だと」

 バシュラール准将の目が大きく見開かれた。

「そうです。現状,最も可能性が高いのが,目標が敵艦だということです。ですから,この偵察には「アイレックス」と「インパルシヴ」を向かわせたいと思います」

「駆逐艦を……2隻もか」

「はい。一つは数の有利を確保する為。もう一つは,例え1艦がやられても,生き残った艦が,敵情を報せる時間を得ることが可能だからです」

 バシュラール准将は呻った。彼は,この任務に就いてから戦闘という事を全くと言っていいほど想定していなかったのだ。奇しくもバルリング艦長の予想した通り,准将は海戦の経験が全く無かったのだ。

「司令,ご決断を。『敵』は間近まで迫ってます」

 艦長は『敵』を強調して言った。現時点で敵と決まったわけではないが,艦長の勘はそれが敵であると告げていたのだ。

「わ,分かった。戦闘を許可する。なに,今まで退屈な任務だったのだ。ここらでいい景気づけになるだろう」

 バシュラール准将は,快活に言ったつもりだったが,語尾が微妙に震えていた。明らかに強がっていると分かる。しかし艦長は准将に対し敬礼をした。戦闘の許可は得たのだ。あとは,それをどうするかは艦長の腕にかかっている。バルリング艦長は,この戦いに勝機を見出していた。

 

 

 

「船団のものと思われる黒煙を確認しました」

 マストに設けられた見張り所から,見張員が報告をあげた。

「見事に情報通りだった,というわけか」

 

 鈴の転がるような―――という形容がぴたりと当てはまる声が,それに応えた。

 声を出したのは,未だ10代と思われる少女だった。

 身長は160センチ程で,陽光を反射し金色に輝く髪を腰の近くまで伸ばしている。至高の芸術家が細心の注意を払いながら彫り上げたかのような柳眉。絶妙な高さと伸びをみせる鼻筋。桜色をした唇は薄くひかれ,女性らしさを際だたせている。そして,理知的な光をたたえる瞳の色は深い青色をしていた。

 無骨な機械類で囲まれた部屋に不釣り合いな,美と若さの結晶が,そこに立っていた。

 

 彼女は,美しい金髪をふわりと舞上げながら,

「お前にとっては,すべて計画通りってことかな,オルコット?」

 と,船内の別室へと繋がる扉の前に立つ青年に話しかけた。

「当然です,船長。この僕が傍受した無線を解読した通りに船団が現れた。僕に解読出来ない暗号なんて,無いんですよ」

 オルコットと呼ばれた青年は,歳は20代の半ば。短く刈り上げた髪の毛は金髪。身長は170センチにほどだ。

 彼は右手の中指で器用にメガネの位置を直しながら,左手に持つ紙束に目を落とす。

「軍の無線を傍受したばかりか,暗号も解読できているのか。お前,正規の軍人になったら,勲章ものの働きができるぞ」

 そうオルコットに話しかけたのは,船長と呼ばれた少女の傍らに立つ威丈夫だった。

 身長はゆうに170センチを超えており,鍛えられた体は,着ている衣服の上からでもよく分かる。浅黒く日焼けした,精悍な風体は,彼が生粋の船乗りであることを示していた。厳つい顔つきをしているが,彼が船長を見る時は,その目に優しさが宿ることを,この船の乗員ならば誰でも知っていることだった。

「賭けはオルコットの勝ち,ね。副船長。」

「まだ,あれが目的の輸送船団だとはかぎりませんぞ,お嬢。敵の艦隊だったらどうするつもりです?」

 副船長は,胸を反らし,両腕を組みながら大きく鼻の穴を広げてみせた。

 船長は,ころころと笑いながら,

「それは直ぐに分かることよ。それとフランク。わたしの事はお嬢と呼ぶなと,あれほど言っているのに,また言ったわね?」

「すいませんおじょ――船長」

 フランクは小さく頭を下げた。自分の娘ほどの年の差があるにも関わらず,フランクは船長を,自分が仕えるに相応しい船乗りとして認めているのだ。

 

「船団のものと思われるマストを確認。数は11!」

 再びマストトップの見張員からの報告がもたらされた。

「数は11,か。僕の得た情報の通りなら,このうち3隻はブリタニアの戦闘艦です。軽巡洋艦1隻に駆逐艦が2隻のはずです」

「敵は3隻か」

 フランクが呟くと,船長は笑みで応えた。そして右腕を水平に胸前に伸ばした。

「相手にとって不足なし。このブリュンヒルト・フォン・エーデルシュタインと,この『シュトラール号』に後退はない!掲げよ!我らが旗を!」

    「「「応」」」

 船内の各所から,それに応える声がした。

 それまで,機関の音しかしなかった艦上に,人の動くざわめきが追加される。それぞれが配置につき,機器の操作を始める音だ。

 まるで眠っていた獣が,獲物を狩る為に眠りから目を覚まし,動きを始めるかのようだった。

「駆逐艦らしきもの2隻,本船に向かってくる! 真方位170度,距離およそ25,000メートル。速力30ノット。」

 見張りの報告を聞くと同時に,ブリュンヒルトは機関室へと繋がる電話の受話器を取り上げた。

「機関長,船長だ。敵が向かってきている。狩りの時間だ。機関の方は大丈夫か?」

 受話器を取り上げたのは,黒髪を短く刈り上げた,壮年の男だった。彼は油にまみれた顔に好戦的な笑みを浮かべながら報告する。

「うちのお嬢さんは気むずかしいですが,整備は完璧ですよ船長。いつでも全速が発揮できます」

 「シュトラール号」に搭載されている機関はディーゼル機関だった。使い慣れた蒸気機関を搭載せずに,ディーゼル機関を採用したのは,燃費の向上が望めるからだ。この船は最初から通商破壊を目的に建造されており,単独で長時間の航行を可能にするためには,必要な措置だった。

 ただ,この時期のディーゼル機関は技術的に成熟しているとは言い難く,よく故障を起こすやっかいな存在だった。

 エンジンの奏でる爆音ごしでも聞き取れる,明瞭な声を聞いたブリュンヒルトは満足げに頷いた。

「機関全速。取り舵,針路90度。連中の頭を押さえるぞ」

 ブリュンヒルトが命じると,

「機関全速,最大船速。針路90度」

 航海長がよく通る声で復唱し舵輪を回す。

 足許から力強い鼓動が伝わり,船の速度が増すのが感じられた。

 流麗に整形されたアトランティックバウが,海面を切り裂き,波頭が艦首を洗う。

―――狩りが始まったのだ。

 

 

 駆逐艦「アイレックス」艦長ケネス・ベックフォード少佐は,最初不明船への接触を命じられた時,さほど危機感を抱いていなかった。

 この海域は,ブリタニアに優勢であり,敵艦が単艦で行動することなどありえないと思っていたからだ。おおかた航路を誤った商船か,大型漁船の類だろうと見当をつけていた。

 転舵をして数分後,船影が見えてきた。商船にしては大きい気がしたが,大型の輸送船のようだとも見える。

「通信長,あの船に呼びかけを続けているか?」

 ベックフォード艦長は,羅身艦橋から双眼望遠鏡で,その船を見ながら通信長へ尋ねた。

「はい。国際商用周波数を含む,あらゆる周波数で平文で呼びかけています」

「返事は?」

「ありません。沈黙を保ったままです」

「とすると,迷い込んだゲルマニアの商船か……。副長,臨検の準備だ」

 艦長の命令に,副長が復唱しようとした時,

「前方の船影は商船に非ず。艦影からゲルマニアの装甲艦と思われる!」

 見張員の緊迫した報告が入ってきた。

「なんだと?」

 ベックフォード艦長は,再び双眼望遠鏡を船影に向けた。

 確かに,商船にしてはスマートな印象を受ける。その船影は,船腹をこちらの正面に見せていた。

「まさか―――」

 ベックフォード艦長が言葉を終わらない内に,その船影が閃光を発した。

 

 

「シュトラール」号船上,およそ5分前。

 機関の唸りが大きくなり,船は急速に左に回頭した。

「針路90度。舵もどせ」

 航海長が舵輪を回し,固定すると,シュトラール号は前進を開始した。

 これで,船橋を挟んで前部と後部に装備されている3連装28センチ主砲2基6門を全て敵に向けることができるようになった。

「砲術長,相手は2隻。初弾で命中させよ!」

 ブリュンヒルトは,声を張り上げた。

 スピーカから聞こえてきた美声に対し,砲術科員たちは威勢良く応えた。

 砲術長は呵々と大笑しながら,

「うちのお姫様は剛毅だな。お前ら!船長のご機嫌を損ねるようなことはするんじゃねえぞ!」

 砲術長の檄に,砲術科員は微笑で応えた。彼らの手元は忙しく動き,射撃盤をはじめとする各種機器を操作している。敵艦との距離・錨頭,相対速度,風向きや風力までもが入力され,射撃に必要な要素が次々に入力されていく。

 砲術長はその様子を頼もしく見守っている。彼は元ゲルマニア帝国海軍軍人で,駆逐艦の砲術長を勤めた経験もある。とある事件で海軍を辞めたあと,シュトラール号に―――より詳しく言うならば,エーデルシュタイン家に―――拾われたのだ。

 砲術の専門家として,初弾での命中がいかに難しいことか,よく分かっている。だが,彼と彼に鍛えられた砲術科員ならば,それも不可能ではないと,妙な確信があった。

 

 船全体が戦闘準備を整えつつある頃,副船長であるフランク・ベルナールは,ブリュンヒルトに耳打ちした。

「船長。もうすぐ戦闘になります。ここに居ては危険です。下部の戦闘艦橋へ降りてください」

 ブリュンヒルトは,不機嫌さを隠さない表情で,副船長を睨み付けた。

「お前はわたしを臆病者だといいたいのか?」

「いえ,そうではありません。船長の身に何かがおきたら誰がこの船の指揮を執るというのですか」

 それを聞いて,ブリュンヒルトは悽愴な笑みを浮かべた。

「指揮官が隠れていては,このような『船』は誰もいうことをきかなくなるぞ。それに,わたしに万一の事があれば,後はフランク,貴様に全てを任せることになっているだろう?」

「しかし,お嬢――」

「くどい。それにわたしのことを『お嬢』と呼ぶなとあれ程言っているだろうが。それにもう遅い」

 フランクがブリュンヒルトの言葉に,更に反対を唱えようとした時,それまで微妙に俯仰をしていた主砲の砲身がぴたりと止まった。

「戦いの狼煙をあげろ! このシュトラール号の咆吼を聞け!」

 ブリュンヒルトが右手を高く挙げ,敵艦に向かって振り下ろすと同時に,シュトラール号に装備されている6門の28センチ砲が火を噴いた。

 内臓を揺さぶる爆音と同時に,艦上が橙色に輝いた。一泊おいて黒煙がわき出した。

 爆風と共に衝撃波が露天艦橋を襲い,ブリュンヒルトの髪が大きく靡いた。

 数秒後,敵駆逐艦1番艦の周囲に水柱が林立し,砲弾命中の閃光が走った。

 「シュトラール」号は,初弾で命中弾を得たのだった。

 船上にいる者たちが,わっと歓声をあげた。その声を心地よく聞きながら,ブリュンヒルトは声を張り上げる。

「いいぞ! もっと撃て!」

 その言葉に後押しされたように,再び6門の28センチ砲が咆吼した。

 重量300㎏の徹甲弾が,秒速900メートルで撃ち出され,目標である敵1番艦へと一飛びする。

 およそ20秒後,敵1番艦の姿が水柱に隠れる。その瞬間,命中と思われる閃光が2度,観測できた。爆煙が沸き,黒っぽい塵のようなものが舞い上がった。

 「次で止めだ」

 ブリュンヒルトは,その幼さの残る顔に似つかわしくない不敵な笑みを浮かべながら呟いた。

 

「なんということだ……!」

 位置の関係で2番艦となっていた駆逐艦「インパルシヴ」艦長エドワード・カゾーラン少佐は呻き声をあげた。

 左前方100メートル程先を航行していた駆逐艦「アイレックス」が砲撃を受けたのだ。

 最初の1弾が艦橋に命中したのか,爆煙が風に吹き流された後に現れた「アイレックス」は艦型が変わって見えた。あまりの事態の急変に,乗員が愕然としている内に,再び「アイレックス」が水柱に包まれた。

「間違いない。あいつは敵艦だ!面舵一杯!左砲雷撃戦用意!」

 カゾーラン艦長は早口で下令すると,「アイレックス」に視線を向けた。急激な転舵によって,「アイレックス」の姿が左正面から,視界外へと移動していくなか,カゾーラン艦長は確かに見た。「アイレックス」は各所から黒煙を噴き出し,行き足ががくりと落ちていることを。

「舵もどせ!」

 航海長の命令によって,それまで感じていた横への加速力が弱まった。と同時に前方へ向けての加速力が伝わってきた。

「砲術,なぜ撃たん?」

 カゾーラン艦長の疑問に,砲術長が応えた。

「敵艦との距離はおよそ20000メートルです!主砲の射程外です」

「魚雷も同じく。5000メートルまで近づかないと撃てません!」

 掌雷長も,焦燥も露わな顔で報告する。

「畜生!相手はゲルマニアの装甲艦だ!『アイレックス』はやられた。戦闘不能だ。当艦は戦闘中!司令部へ通報しろ」

 カゾーラン艦長は双眼望遠鏡を敵艦へと向けつつ,下令する。伝令が走り,各科長が命令を出していく。

「主砲,射撃開始。中らなくてもいい!とにかく牽制するんだ。機関全速!取り舵45度で,敵艦へ突撃する!」

 艦長の命令に航海長と砲術長が復唱をかえす。「インパルシヴ」は,斜進する形で敵艦へと突入する航路をとった。

「敵艦発砲!」

 見張員からの報せに,

「そう何度も初弾から中るものか」

 カゾーラン艦長は吐き捨てるように呟いた。

 

「装甲艦だと?」

 そう口にしたのは,CT17船団護衛艦隊司令,バシュラール准将だった。

「重巡洋艦ではないのか」

「我が国はポケット戦艦とも呼んでいますが――火力は重巡を上回りますが戦艦に及ばず,速力は戦艦以上出せる艦のことです。ゲルマニアが保有する装甲艦はドイッチェラント級3隻のはずです」

 バシュラール准将の疑問に,バルリング艦長が答えた。

「現在,『アイレックス』は戦闘不能のようです。『インパルシヴ』一艦で戦闘を継続しているようですが――司令,我が『モーリシャス』も戦いに加わるべきです」

「我々が戦うというのか」

 明らかに狼狽している准将を前に,艦長は冷静に話を続ける。

「現状,『インパルシヴ』一艦で戦闘を継続していますが,彼我の戦力差からみて,『インパルシヴ』は長くは保たないでしょう。もちろん,駆逐艦は魚雷という強力な兵器をもちますが,射程が短く接近戦とならざりをえません。その場合,装甲艦の火力に圧倒されて射点につく前に撃破されてしまう可能性が高いでしょう。そうなった場合,敵艦は我が船団に肉薄し,壊滅的な打撃を与える事が可能になります。それを事前に防ぐためには――」

「し,しかし,装甲艦の火力はこの『モーリシャス』よりも上なのだろう?」

 准将は顔色を青くしながら反論する。

「司令。確かに司令のおっしゃる通り,我が『モーリシャス』の搭載する火力は15.2センチ砲が12門です。対して敵艦の主砲はおそらく28センチクラスだと思われます」

「そ,そうだ。砲撃戦になれば,我が方に勝ち目はないではないか」

「しかし我々には魚雷があります。今なら『インパルシヴ』と協同すれば,雷撃の機会はずっと増します。各個撃破されるよりは,よほど勝機があるのです。肝要なのは,今すぐ転舵し,戦場へと向かい『インパルシヴ』が撃破される前に合流する事です。数の優勢を確保しなければ,我々に勝利はあり得ません」

「しかし……」

「司令。我々の任務は,このCT13船団を無事に本国へと移送する事です。今戦わなければ,このCT13船団は1隻も残らず沈められてしまうでしょう。これはもう我々CT17船団だけの問題ではないのです。護衛が当てにできないとなれば,今後の輸送計画にも大きな掣肘が加えられてしまうでしょう。ブリタニア王立海軍の責任に於いて,船団は護り通さなければなりません」

「………我々の責任,か」

 バシュラール准将は小さく呟いた。それまで宙を彷徨っていた准将の瞳が,一点で止まった。

「艦長,万難を排して敵を駆逐せよ。船団各船は,各々全速で退避させるのだ」

 バルリング艦長は直立姿勢で敬礼した。

「本艦は直ちに敵艦を排除いたします」

 続けて航海長に

「面舵。針路180度。最大船速」

 を命じ,

「通信長,各輸送船宛に信号。『定められた航路に沿って,最大船速にて北上すること』以上だ」

 通信長が伝令を走らせたと同時に,艦首が右に振られ始める。機関の鼓動が高まり,速度がそれと分かるほどに増してゆく。

「総員戦闘配置!」

 バルリング艦長が大音声で命じた。

 シュトラール号の船上は,主砲の発射に伴う爆煙により覆われていた。

 砲戦が開始されてから10分程度の時間が過ぎていた。

 敵1番艦は第3斉射によって戦闘不能に陥らせることに成功した。船上は黒煙と炎に覆われており,僅かに右に傾いている。沈没は時間の問題であろうと思われた。

 続いて敵2番艦へ砲を向けた。

 敵2番艦は,退避するどころかシュトラール号へ向けて突撃を開始した。主砲を盛んに打ち上げているが,その弾がシュトラール号を捉えることはない。

「船長,敵はやるきです。やはりここに居ては危険です」

 副船長であるフランクは再三ブリュンヒルトへ進言するが,当の本人はどこ吹く風,だ。

「なかなか気概のあるやつじゃないか。そうでなくては面白くない。砲術長,存分に撃て!」

 硝煙の悪臭など気にも留めない涼しい顔で,命令をだす始末だ。

 シュトラール号は,第4,第5斉射を繰り返すが,突入してくる敵艦に命中する様子はみられない。命中するどころか,大きく目標を外れている。敵艦は巧みに転舵を繰り返し,照準を定めさせないのだ。反対に敵艦の主砲弾の着弾点は次第にシュトラール号へと近づいてきている。

「敵は雷撃を狙っているようです。いかにこのシュトラール号といえど,魚雷をくらったら無事ではすみません」

 フランクがブリュンヒルトに耳打ちする。

 ブリュンヒルトは小さく舌打ちした。

「あの砲撃はこちらを攪乱するための囮で,本命は魚雷戦。ならば砲戦のように針路を一定に保つ必要はないというわけか……。こちらの砲撃をかわしつつ懐に潜り込んでしまえばいいのだからな。あのように動き回られたのでは,発射速度の遅い主砲では命中させるのは困難か」

 ブリュンヒルトは少し考えてから,砲術長へと命令を下す。

「砲術長!敵をこちらに近づかせるな!副砲の射程に入り次第,副砲の全力射撃を許可する!」

「了解!」

 砲術長の明瞭な返事のあと,片舷に指向可能な4門の15センチ速射砲が火を噴いた。敵艦との距離は12000メートル程であり,ほぼ平射に近い射撃だった。

 およそ10秒に1発の割合で副砲弾が撃ち込まれる。敵2番艦はたちまち多数の水柱に包み込まれた。

 15センチ砲は主砲の28センチ砲と比べれば威力が劣るものの,装甲など無きに等しい駆逐艦には大きな脅威である。

「いいぞ,その調子だ」

 主砲ほどではないにしても,副砲4門の射撃に伴う衝撃は大きい。下手をすれば鼓膜が破れかねない状況でも,ブリュンヒルトに怯んだ様子はない。

 やがて,敵艦の艦上に発砲とは明らかに異なる閃光が瞬いた。小規模ながら爆煙があがり,黒い塵のようなものが舞い上がった。シュトラール号の船上で快哉が叫ばれ,ブリュンヒルトが満足げに頷いた時,

「5時の方向より新たな艦影あり。急速に近づいてきています!」

 見張りが叫び声をあげた。ブリュンヒルトは視線をそちらへ向ける。

「残りの護衛艦か?」

 ブリュンヒルトの呟きに,副船長は言った。

「情報にあった3隻の内の1隻でしょう。情報通りなら,巡洋艦のはずです」

 副船長の言葉を聞きながら,ブリュンヒルトは素早く戦闘中の駆逐艦を見る。15センチ砲弾を何発か被弾したらしく,各所から黒煙を噴いているが,行き足は衰えていない。尚も突撃体制でこちらへ突進してくる。

「副砲はそのまま駆逐艦を狙え。主砲は敵巡洋艦を狙え」

 ブリュンヒルトの命令と共に,敵巡洋艦へ指向可能な後部B砲塔が旋回を始める。砲身が微妙に俯仰をしている。刻々と変化する敵艦との距離,角度など必要な諸源が射撃盤へと入力され,主砲が射撃可能な状況へと準備が進んでいく。

 やがて,砲身の動きがぴたりと止まった瞬間,轟音と共に黒煙が沸き出した。敵巡洋艦に対しての第1斉射だった。敵艦との距離は20000メートルである。弾着まで20秒程度の時間がかかる。

「敵艦上に発砲と思われる黒煙を確認!」

 見張員からの報告に,ブリュンヒルトは歯をむいた。

「おもしろい!このシュトラール号とやりあうというのね。砲術長!速やかにあの生意気な艦を沈めるのだ!」

 弾着は,シュトラール号の方が先だった。3本の水柱が敵艦の進路を塞ぐように立ち上がった。

「砲術長,力の入りすぎね」

「初弾から命中は,なかなか難しいものだと思いますが」

 副船長が呟いた時,B砲塔が第2斉射を放った。露天艦橋に,主砲発射の衝撃が届く。突風が露天艦橋に居る者全員に叩きつけられ,ブリュンヒルトの豊かな髪が舞い上がる。

 直後敵巡洋艦の射弾が落下する。中口径砲と思われる水柱が6本林立する。シュトラール号のそれと比較すれば,か細いものだった。また精度も粗い。一番近いものでも,シュトラール号から200メートルは離れている。

 ブリュンヒルトは,ただ黙って戦闘の成り行きを見ている。B砲塔が4斉射を放ったところで,敵艦の艦上に閃光が走った。発射のそれとは比べ物にならないほどの炎が沸き,大量の黒煙と共に,細長い棒状のものが宙を舞うのが見えた。爆発に伴う爆音はあとから響いてきた。

「どうやら主砲塔へ命中したようです」

 副船長がブリュンヒルトに耳打ちすると,彼女は満足げに頷いた。

「よいぞ。このまま奴を沈めてしまえ!」

 彼女の声が聞こえたのか―――B砲塔が第5斉射を放った。

 主砲発射に伴う振動が収まった時,「敵駆逐艦沈黙!」と艦橋見張員が声をあげた。

 ブリュンヒルトが首を巡らし,敵駆逐艦がいたと思われる方角へと視線を送ると,黒煙に包まれた駆逐艦が目に入った。

 行き足は完全に止まっており,喫水線から盛んに蒸気が沸き上がっている。炎に燻られた艦体と海水とが触れあって海水が沸いているのだ。

 駆逐艦の上部構造物は原型を留めておらず,いかに激しい砲撃を受けたか,伺い知ることができた。

「なかなか手こずらせてくれたな」

 ブリュンヒルトがそう呟いた時,駆逐艦の中央部あたりから巨大な火炎が立ち上った。噴煙は見る間に100メートルほど立ち上り,不気味なキノコ雲を形勢する。飛び散った破片が周囲の海面に飛沫をあげる。腹に響く不気味な音は後からやってきた。

「どうやら魚雷が誘爆したようですな」

 副船長がそう言った時,艦体中央部からVの字に折れ曲がった駆逐艦は,僅かに艦首と艦尾を海面上にのぞかせているだけだった。その姿も急速に海面下に沈んでいく。それが,敵駆逐艦の最期だった。

 

 

「インパルシヴ轟沈!」

 艦橋見張員の絶叫が聞こえてきた時,軽巡洋艦「モーリシャス」艦長バルリング中佐は,それを確かめる状態にはなかった。

 寸前に敵弾が命中した第1砲塔の応急対応におわれていたからだった。

 敵弾は第1砲塔の正面防循を紙のように貫通し砲塔内で炸裂した。爆発の衝撃で砲身が砲按から外れ,空中をバトンのように回転して海へ落下し,給弾を待っていた砲弾が誘爆した。その爆発エネルギーは揚弾筒を破壊し,奔入した炎は弾火薬庫に安置されていた砲弾をも誘爆させた。

 その瞬間「モーリシャス」は金属的な叫喚を発し,艦全体が不気味な振動に見舞われた。砲弾や装薬が次々に誘爆し,まるで間欠泉のように炎と黒煙を第1砲塔のあった場所から噴出する。

 ダメージコントロールチームを束ねる少佐から,「一番弾火薬庫注水!」の命令が出ていたが,注水装置が爆発の影響で故障したのか,動作せず,人力で操作しようにも現場に近づくことすら不可能な状況だった。

 ダメージコントロールチームの必死の消火活動も空しく,炎は次第に隣接する第2砲塔の弾火薬庫の隔壁を熱している。

 第2砲塔要員から,弾火薬庫の温度が危険域に達しつつあることが報され,バルリング艦長は決断を迫られていた。第1砲塔の弾火薬庫の爆発には耐えた「モーリシャス」だったが,第2砲塔の弾火薬庫の誘爆までは耐えられないだろう。最悪,艦を支える竜骨が破断し,艦が沈没する恐れがある。

「第2弾火薬庫に注水せよ」

 バルリング艦長は命令を下すと,肩を落とした。これで「モーリシャス」は戦闘力を半減してしまったのだ。前部に2基配置されていた50口径15.2センチ三連装砲は使用不能となったのだ。

「面舵一杯!進路45度で進撃する」

 バルリング艦長は航海長へと下令する。敵艦の右舷後方から近づくかたちになる。こうしなければ後部2基の主砲が敵を射界におさめることが出来ないのだ。これは同時に敵艦も後部砲塔しか使えなくする位置だ。

「確かに砲塔は残り2基になりましたが,まだ本艦には魚雷があります。これによって敵を屠ります」

 バルリング艦長の言葉に,バシュラール准将は頷くしかなかった。

「両舷最大船速!敵艦と並べ!」

 バルリング艦長がそう命じたとき,敵の射弾が落下する。3発の砲弾は「モーリシャス」の左舷側にまとまって落下する。進路を変更した為に,敵の照準を狂わせたのだ。

「必ず仕留めてやるぞ」

 双眼望遠鏡を持つ手に力を入れつつ,バルリング艦長は呟いた。

 進路変更を命じてから数分は,敵弾は有効な効果をあげなかった。その間に「モーリシャス」は敵艦との距離を縮めることに成功した。

「敵距離10000メートル!」

「敵艦面舵!」

 の報告が同時に見張員からあげられた。

「こちらの頭を押さえるつもりか」

 バルリング艦長は独語し,「面舵一杯!敵艦に頭をおさえられるな!」と下令した。

 未だに黒煙を吹き上げる艦首が右へと回頭を始め,敵艦の舷側が左舷側に見え始める。敵艦は尚も面舵をとり続け,右へと回り込む。そうはさせじと「モーリシャス」も面舵をとり,頭を押さえさせなかった。

 しばし,両者が有利な位置を占めるように機動し,海面に複雑な航跡を残す。やがて―――

「敵艦,直進を始めました」

「よし」

 バルリング艦長は満足げに頷いた。根比べに勝ったのだ。

 この時点で「モーリシャス」と敵艦は距離6000メートルで同航する形になっている。

「主砲射撃開始!」

 バルリング艦長の言葉と同時に,後方から鈍い炸裂音が響いてきた。後部2基の主砲が砲撃を開始したのだ。

「敵艦発砲」

 見張員の言葉に,バルリング艦長は双眼望遠鏡を敵艦へと向ける。艦の前後から発砲に伴う煙が艦の行進に伴い艦尾側に流れている。こちらが後部砲塔を射界におさめることができるということは,敵艦も全ての主砲をこちらに向けて撃てることを意味している。

 やがて,重量物が大気を引き裂く音が響いてくる。神経を掻きむしられるような不快な音が極大に達したと思った瞬間,眼前に水柱が立った。バルリング艦長が確認できただけでも4本はある。弾着位置は近い。水柱は,左舷の舷側を擦りあげる程の位置だ。崩れた水柱が,艦橋や前部甲板に豪雨のごとく降りかかり,砲弾の炸裂に伴う振動が艦底部を突き上げる。

「なんという練度だ……」

 バルリング艦長は呻り声をあげた。このままでは遠からず命中弾が出るのは間違いない。

「艦長」

 バシュラール准将がバルリング艦長へと呼びかける。バシュラール准将の顔色は青白く,緊張のためか,汗を噴きだしている。

「大丈夫です。こちらには魚雷があります」

 バルリング艦長は努めて冷静な声を出す。その時,またも艦を水柱が包み込んだ――と思った瞬間,艦全体が衝撃に震えた。艦橋よりも後ろに命中弾が出たらしい。

「被害状況,報せ!」

 バルリング艦長が伝声管に向かって大音声で命じた。その数秒後,またも水柱が林立する。今度は前部にまとまって落下した砲弾のうち,2発が命中した。1発は前甲板に命中し,揚錨機を破壊し,支えを失った錨が飛沫を上げながら海へと没する。もう1弾は第2砲塔を直撃した。申し訳程度の装甲は,いとも容易く貫徹され,砲按や揚弾機,装填装置など,砲として必要な部品が粉々に砕かれ,宙高く飛び散った。第2砲塔は直前に弾火薬庫に注水を完了しており,砲弾や装薬の誘爆というような事態は発生しなかったが,これで事実上砲塔2基を失ったことになる。

 その間にも,残された第3,第4砲塔は射撃を続けているが,敵に有効な打撃を与えているとは思えなかった。

「敵艦との距離は?」

 バルリング艦長の問いに,航海長が「6000メートルです」と答えた。

「雷撃には,少し遠いな」

 バルリング艦長は呟いた。この距離で魚雷を放っても,雷跡から容易に回避されてしまうだろう―――と考えている間にも,敵弾の飛翔は続く。

 これまでにない衝撃が「モーリシャス」を襲った。後ろから蹴飛ばされたような衝撃に,艦橋要員がよろめき,姿勢を保つことが出来なかった者は,その場に転倒した。何かが壊れるような音が響き,艦が熱病に冒されたかのようにぶるぶると震えた。

 バルリング艦長は,側にあった海図台に腰をしたたかに打ち付け煩悶していたが,ようやく事態を把握できるようになった。今の一撃は,艦の中枢を襲った可能性がある。ダメージコントロールの指揮を執る少佐からの報告を待つまでもなく,機関室から報告があがってきた。「第1,第3罐室損傷!機械室に浸水!出しうる速力20ノット」

「やられた……!」

 バルリング艦長は歯ぎしりした。船の心臓部ともいえる動力部に被害が生じたのだ。「モーリシャス」は煙突後部から黒煙を噴き出し,艦の後部が覆われて射撃が困難になりつつあった。それでも残された第3,第4砲塔は,この日12度めの射撃を行う。ほぼ同時に,敵艦からの射弾が落下する。これは全て「モーリシャス」の手前にまとまって落下した。敵は「モーリシャス」がそのままの速度で航進するのを前提に射撃をしたのだ。速度が落ちた事が,皮肉なことに敵弾の照準を狂わせたのだ。しかし「モーリシャス」の射弾も敵艦の後部海面に落下しただけだった。敵艦には,砲弾命中に伴う黒煙も炎も見ることが出来ない。「モーリシャス」の装備する15.2センチ砲弾では,敵に対して損害を与えることは出来ていないようだった。

 

 

「そろそろとどめだな」

 シュトラール号の露天艦橋で,明らかに行き足の鈍った敵艦を見ながらブリュンヒルトは呟いた。

 敵艦の速度が変わったため,射撃に必要な諸源の再入力のために,砲撃に若干の間があく。その間に敵艦が発砲を繰り返しているようだが,シュトラール号には届かない。明後日の方向へ空しく砲弾を撃ち込んでいるだけだ。

「見上げた根性だ。勝負はみえているのに避退せずに戦闘を継続するとは。敵ながら尊敬に値するな」

 ブリュンヒルトが言い,副船長が同意を示した時,シュトラール号は6門の28センチ砲を放った。発射に伴う衝撃波が海面にさざ波をたたせ,反動に船体が震える。

 やがて,水柱が敵艦を包み込むように林立し,直撃弾炸裂の黒煙が見えた。この射撃で少なくとも2発が命中したらしい。水柱が崩れ,敵艦の姿が露わになった。心なしか艦型が違って見える。箱形をした艦橋がひしゃげた段ボール箱のようになっている。更に速度が低下しているらしく,左舷側に艦体が傾いている。

「砲撃やめ!」

 ブリュンヒルトが声高に命令すると,羅針艦橋にいた者の顔に安堵の色が浮かぶ。戦闘は終わったのだ。

 結果はシュトラール号の圧勝だった。

 設計目的である,「敵の駆逐艦・巡洋艦に優る火力を搭載した船」であることを証明してみせたのだ。

 ただ,楽勝だったわけではない。それはブリュンヒルトの傍らに立つ副船長,フランクの左腕上腕に巻かれた包帯が示している。

 敵巡洋艦からの砲弾が数発命中したわけだが,全て強靱な装甲板によって跳ね返されたため,船そのものには目立った損傷はない。ただ,その際に生じた砲弾の爆発のため,破片が周囲にまき散らされた結果,露天艦橋に居た船員に被害がでたのだ。ただし皆軽傷であり,任務に支障を来した者はいない。フランクの傷は,ブリュンヒルトを庇った際に負ったものだった。

 フランクが負傷した際には,一瞬怯んだブリュンヒルトであったが,彼女はなお露天艦橋で指揮をとり続け,船員たちの精神的な支えとなったのだった。その意味で,彼女はまさしく『戦闘艦』の『船長』だった。

 

 ブリュンヒルトは懐中時計を取り出すと,時間を確認した。現在時刻は午前10時50分。戦闘開始から20分ほどしか経っていなかった。

 彼女は大きく深呼吸をする。実際の戦闘は20分程度だったが,2時間にも3時間にも感じられたのだ。

「さて,邪魔者は排除した。あとは輸送船団を襲撃するだけだな」

「戦闘開始から20分ほどしか経っておりませんから,輸送船の最大船速で避退したとしても,そんなに間をあけられているとは考えられません。せいぜい10㎞程度でしょう。この船ならば余裕で追いつけるものと考えます」

「救難信号も受信しています。電波の強度からして,船団とはあまり離れていないようです」

 いつの間にか現れたのか,マティアス・オルコットが羅針艦橋で涼しげな顔をして言った。

「お前,一体今まで何処にいた?」

 フランクが声を荒げる。そんなフランクの左腕に巻かれた包帯を一瞥したマティアスは,事も無げに言い放った。

「僕の仕事は情報収集と分析です。野蛮な戦闘はあなた方の仕事でしょう」

「野蛮?」

 マティアスへ向けて一歩を踏み出したフランクを制したのはブリュンヒルトだった。

「よさんか,二人とも。喧嘩をするほど仲がいいとはいうが,いまは仕事の途中だ。さっさと獲物を狩りにいくぞ!」

「了解」

「了解しました」

 二人はそう言うと,それぞれの持ち場に戻った。

「航海長,輸送船団を追え」

「了解。面舵一杯。進路0度。最大船速!」

 航海長の明瞭な声が響き渡った。

 

 

 

―――救難信号を受けてブリタニア本国から救援艦隊が駆けつけた時,その場には数隻の短艇が波間に揺れているだけだった。

 生き残った船員たちの証言によれば,CT13船団は,その全ての船がたった1隻の船に襲われ,撃沈されたとのことであった。

 

 

(つづく)


 
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