No.212555

少女の航跡 短編集01「少女の旅」-2

少女の航跡の主人公であるブラダマンテが、カテリーナ達と出会うまでどのような旅を辿って来たかが語られます。

2011-04-20 13:14:04 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:317   閲覧ユーザー数:277

 

 息を喘がせながら、何度も転んで擦り剥いた脚を引きずり、ブラダマンテは走っていた。

 

 木の根に足を引っ掛け、また転んだ。暗い夜の森の中では、どこに木の根があるかも分かっ

たものじゃあない。木に寄りかかりながら、ブラダマンテは自分の体を起き上がらせる。

 

 自分はなぜこんな事をしているのだろう。彼女はそう思い始めていた。得体もしれない精霊

達に弄ばれているだけじゃあないのか?

 

 シルキアナの言われた方向に走って来てはいるが、もう、ここは森のどこなのかすらも分から

ない。

 

 急に、心細くなって来ていた。

 

 何時間も森の中を進み続け、今、脚はまるで棒のようになってしまっている。気も失ってしま

いそうなくらいに疲労していた。

 

 どうしてこんな事を。剣の修行をすると言っても、これじゃあ何も剣の修行になっていないじゃ

あないか。ブラダマンテはそう思い始めていた。

 

 このまま、ここで眠ってしまおうか。日が明けてから、目的地の方を目指しても遅くはないんじ

ゃあないか。

 

 メリッサは精霊達が預っている。帰る訳にはいかなかった。

 

 ブラダマンテが一休みしようと思っていると、背後から物音がした。

 

「だ、誰…!」

 

 思わず驚き、彼女は寄りかかっていた木の背後を振り返った。彼女の目に映るのは、月の

灯りに照らされた木々だけで、あとは闇に隠れている。

 

 しかし、ブラダマンテには分かっていた。何者かがいる。

 

 背後を警戒するブラダマンテ。彼女は気付いていなかった。正面からも気配は迫って来てい

た。

 

 気配はブラダマンテに一気に襲い掛かる。彼女が気がついた時には目の前に迫っていた。

 

「い、痛…ッ!」

 

 頬を切り裂かれたらしく、顔から血がしたった。更に気配は、彼女の脇を通り過ぎ、闇の中に

姿を消していた。

 

 何か、生き物が自分を狙っている。この森の中で、たった一人の自分を。

 

 心臓が高鳴って、呼吸が荒くなるのを彼女は感じていた。だが、動物に襲われるのは初めて

ではない。まず、落ち着かなくては。

 

 息をつく間もなく、今度は木の枝の上から襲い掛かってくる気配。彼女はとっさにそれを避け

た。

 

 枝の上から滑空して来る。風を切る音が聞こえていた。

 

 気配は初め、2つしか感じられなかったが、それがだんだんと数を増してきている。嫌な予感

がしたが、ブラダマンテは上を見上げた。

 

 月明かりに照らされ、無数の小さな影が枝の上に見える。

 

 ブラダマンテの頭の上にいたのは、無数のコウモリだった。知らぬ間に、コウモリのいる場所

に迷い込んできたらしい。

 

 と、3匹のコウモリが、ブラダマンテに襲い掛かった。鋭い爪で、次々と襲い掛かられる。素早

い動きに、彼女はとてもついていけない。

 

 あっという間にそこら中を爪で引っかかれてしまった。

 

 たまらずブラダマンテは地面に転がり、その場から脱そうとする。しかしそれでも、背後からコ

ウモリの群れは襲いかかってきた。

 

 その光景に、ブラダマンテは思わず悲鳴を上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 日も南中まで昇り、木々の葉の隙間から強い光が差し込む頃、ブラダマンテはふらつき、傷

だらけの体をよろめかせながら、大きな木の目の前までやって来た。

 

 そこにはすでに精霊達の姿があり、先に彼女を待っていたようだ。

 

「遅かったわねぇ…。夜明け前までにって言ったのに、もうお昼よ」

 

 と、おぼつかない足取りでやって来たブラダマンテに、シルキアナは言った。

 

「…、そ、そんな…。無理です…。こんなに険しい道を一晩なんて…」

 

 息を喘がせながらブラダマンテは答えた。擦り剥いた膝からは血が出ているし、さんざんコウ

モリに引っ掛かれた痕もある。服も汚れてぼろぼろだった。泣き出したいくらいのありさまだ。

 

「…、確かに、随分と手こずった見たいね? そうねえ、確かに大幅な遅刻ではあるけれども、

褒めてあげる所と言ったら、森を迷わなかった事かしら? 正確にこの場所へと真っ直ぐ来れ

た見たいだし…。あなた、旅をしてきただけあって、土地勘はありそうね?」

 

 そう言うと、シルキアナは少し笑った。そしてブラダマンテに手招きする。

 

「ほら。こっちへ来なさい…」

 

「何ですか…?」

 

 ブラダマンテが精霊達に近付いていくと、彼女達はくすくすと笑った。多分、体中が泥だらけ

なせいだろう。

 

 そんな態度に、ブラダマンテは少し怒りが沸いた。

 

「これの、どこが剣の修行なんです? ただ、私は置いてきぼりにされただけなんじゃあないん

ですか?」

 

 と、彼女は不満も露に言ったのだが、シルキアナ達は笑うだけだった。

 

「そんな姿じゃあ、せっかくの女の子が台無しよ…」

 

 シルキアナはそう言うと、ブラダマンテの体の周りに風を纏わり付かせた。それは、そよ風の

ように心地よい風で、ゆっくりと柔らかく彼女の体を包み込んでいく。

 

 それだけで、不思議な事に、ブラダマンテを襲っていた、激しい疲労感や傷の痛みなどはど

んどん癒えていってしまった。

 

 今の怒りも、それでかき消されていくかのようだ。

 

「ほら…、あなたは、いい体をしているのかもしれないけど、戦うにしては体力が無さそうだった

から、基礎体力を付けさせてあげたのよ」

 

 ほんの少しの時間もすると、ブラダマンテの体は癒え、森の中でついた傷も、コウモリに傷つ

けられた傷跡も、跡形も無く消え去ってしまった。

 

 シルキアナは、ブラダマンテに纏わせていた風をゆっくりほどいていく。そして、彼女の目の

前へと立った。

 

「これはまだ序の口。これからの修行は、もっと実戦的で危険なものになると思いなさい」

 

「は、はい…」

 シルキアナは、ブラダマンテが出来ない事に対しては何も言わなかったが、課して来る修行

については止め処が無かった。まだ若い彼女にとっては無理な課題が多く、ブラダマンテは一

つも達成する事ができないでいた。

 

「あなたを、幾つもの突風が襲うわ。全て避けきれるかしら?」

 

「え…、突風ですか…?」

 

「空気の流れを読むの。当たったら、かなり飛ばされるわよ。それッ」

 

 ブラダマンテが身構えるよりも前に、シルキアナは、彼女の背後から突風を起こした。とっさ

に彼女は地面に身を伏せる。直後、彼女の背後から猛烈な突風が沸き起こり、すぐ上を通過

していく。

 

 傷を癒す、シルキアナの風とは違う、荒々しい風だった。

 

「ほら、まだまだ行くわよッ」

 

 2回目、3回目の突風も必死になって避けるブラダマンテ。

 

 だが、木に行く手を阻まれた4回目の突風は、彼女も思い切りその身に受けるしかなかっ

た。

 

 風に煽られた彼女はその場から吹き飛ばされ、何メートルも先の地面を転がるのだった。

 

 そんな彼女の姿を見て、周りにいたシルフ達はくすくすと笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「この風でできた塊を剣で撃ち落すの…。できるかしら…?」

 

 シルキアナの指先には、拳くらいの大きさの白い塊が浮かんでいた。彼女が風でできている

というだけあり、それはゆらゆらと揺らいでいる。

 

「やってみます…」

 

「ほら、行くわよ」

 

 と、シルキアナが言うと、目にも留まらぬスピードで、その空気の塊はブラダマンテの方へと

迫って来た。

 

 あまりに速いその塊に、彼女はそれを避ける事しかできなかった。

 

「は…、速すぎます…。そんなものを剣で捉えるなんて…」

 

「できないって言うの…?」

 

 ブラダマンテは軽く頷いた。

 

「そうかもね…? でもね、やろうと思えばできるわよ。多分、あなたは眼で追ったから早く思え

ただけ。空気の流れや気配を読むのよ。そうすればできるはず。一人の時、あなたはそれを

訓練して来たはずよ…?」

 

「気配ですか…」

 

 ブラダマンテは言われ、じっと眼を閉じて辺りの空気の気配を探った。

 

 心が焦っていてはできるものではない。彼女はじっと周囲の気配に集中し、空気の塊の動き

を探った。

 

 かすかに感じられる気配。今ではシルキアナは自分の体から流れている風を止めていてくれ

る。周囲は静まり返り、どこかに素早く動くものがある。

 

 それが、ブラダマンテにはまるで静止しているかのように感じられた。その一点。彼女は剣を

振るった。

 

 刃は、空気の塊を捕らえるかと思ったが、振り下ろすのよりも、塊が移動していく速さの方が

速かった。

 

「ああ…! はぁ…」

 

 今ので集中力を使い果たしてしまったかのように、ブラダマンテは落胆する。空気の塊は再

び見えない所へと消えていってしまった。

 

「惜しかったじゃあない。でも、良いわ。何もかも初めからできてしまうんじゃあ、わたし達も、教

える事が何も無いんだからね…」

 

 シルキアナは、優しい声でブラダマンテにそう言った。

 

「…、でも、できるようになりたいです」

 

 と、意を決したようにブラダマンテは立ち上がり、まだどこかを飛び交っている空気の塊を、

彼女は追い始めた。

 

「あらあら…、随分と頑張り屋さんなのね…」

 

 シルキアナの言う通り、ブラダマンテは決して修行を投げ出そうとはしなかった。例え、相手

から持ちかけられた話であっても、彼女は、簡単に諦めるような事はしない。

 

 少しずつ、着実に、ブラダマンテの剣の実力は上がっていたのだ。

 ブラダマンテが気がつけば、この森に滞在し始めてから、一ヶ月近くも経ってしまっていた。

 

 初めは、自分が初めて出会った精霊と言う存在に、好奇から付き合っていただけのようなも

のだ。だが今では彼女は、課せられた修行をこなそうと、本気になっていた。

 

 彼女の剣の腕を上げたいという気持ちは本物だった。

 

 一ヶ月の間ずっと、シルキアナ達はブラダマンテに一日中朝から晩まで、様々な課題を課し

てきた。それはほとんどが、人間社会にいては体験できないようなもの、彼女達が精霊だから

こそ与える事が可能な課題ばかりだった。

 

 しかし、その一ヶ月と言う修行にしては短期な精霊達の講座も、終わりと言う時がやって来て

いた。

 

「これから、あなたに最後の試練を課すわ。たった一ヶ月足らずだったけれども、あなたの剣の

腕は確実に上がったはずよ。何せ、わたし達精霊が修行させてあげたんだからね。保障する

わよ」

 

「そ、そうでしょうか…?」

 

 ブラダマンテは不安げにそう言った。彼女自身は、自分で自分の上達を自覚できないでい

る。

 

 今は夜の時間。ここにいるのは、シルキアナとブラダマンテだけ。闇の中に静かな空気が流

れていた。

 

「さて、これからあなたに与える試練だけれども、今までのものよりも、ずっと真剣にやってもら

う事になるわ。失敗するって事になるとそれは…」

 

「何ですか、どうなるんです…?」

 

「死ぬ事になるわ」

 

 そこの所だけ真剣な声で、シルキアナは言った。

 

 ブラダマンテは何も答える事ができず、軽く首を縦に振るだけだった。

 

「最後の試練というのはね、本当の実戦をあなたにやってもらうの。真の真剣勝負をやるわ」

 

「真剣…、勝負…? 私が…?」

 

 ブラダマンテの表情に不安が走った。

 

「そう、真剣勝負よ。ちなみにそのお相手はこの子にやってもらうわ…」

 

 そう言って、シルキアナは指を鳴らした。すると、森の奥の闇の中から、ぼうっとした灯りが現

れ、人の形となって行く。

 

 そこに現れたのは、一人の人間。いや、全身が光っている人型の何かだった。

 

 頭というものはあるが、顔は無い。人の形をしているが、形をしているというだけで、それだけ

だ。まるで、光が作り出した人形だ。しかし、まるで人間のような動きをしながら姿を現す。

 

 そして、ブラダマンテが持っているのと同じような剣を持っていた。長さもほぼ同じ。それは喋

るような事はしなかった。何しろ顔には口も無い。

 

「この子の強さは、あなたとほとんど同じよ。持っている武器の刃渡りも、切れ味もあなたのも

のと同じ。つまり、互角の勝負になるはず。それは一番危険な戦いよ。分かる? 気を抜いた

らどうなるかって?」

 

「は、はい…」

 

 そう言って、ブラダマンテは唾を呑み込んだ。

 

「私が合図をしたら始めなさい。言っておくけど、参ったは無し。どっちかが立てなくなるまで戦

いなさい」

 

 そのシルキアナの指示は、今までの修行の中で、最も冷酷な言葉だった。

 

 ブラダマンテも、光の人形も答える事はせず、じっと対峙した。

 

「さあ、始めて!」

 

 この光でできた者は何者か、そんな事を考えている隙は無い。ただ、人形の体格は自分とほ

とんど同じで、腕の長さも同じくらいという事だった。

 

 これが、命あるものだったら、相手を痛めつけるような事は自分からしたくない。ブラダマンテ

はそう思っていた。

 

 最初に仕掛けてきたのは、相手の方だった。

 

 左脚で踏み切り、その勢いを使って自分の方へと迫って来る。まるで自分の動きと同じであ

るかのようだと、ブラダマンテは思った。

 

 相手の攻撃をとっさに剣で受けた。刃が目の前に迫ってきている。自分が刃を向けているの

と向けられるのでは全く感覚が違う。恐ろしいものが目の前にせまっているという恐怖。

 

 ブラダマンテは、受けたままの剣を使い、無理矢理その刃を相手の方へと押し返した。かな

りの力が必要だったが、相手はそれでよろける。

 

 すかさずブラダマンテは、間合いを一気に詰め寄り、剣を振るった。

 

 しかし、相手の方もすぐに体勢を立て直し、剣を振るって来る。

 

 刃が弾かれた。しかも弾かれたのは自分の方。今度は自分の体勢を崩された。剣は上空へ

と飛ばされる。

 

 光の人形は、そんなブラダマンテの隙を容赦なく突いて来た。空気が切り裂かれ、刃の突き

が繰り出されてくる。

 

 とっさにそれを避けようとするブラダマンテだが、刃は空気を切り裂き続け、彼女の頬を切り

裂いた。

 

 傷ついたが避けきれた。だが、体勢を崩し、そのまま地面へと倒れこもうとしている。

 

 倒れる直前、上空を見上げる格好になったブラダマンテ。するとそこには、一振りの剣が落

ちてきていた。

 

 弾き飛ばされた刃が、今まさに落ちて来ようとしている。

 

 突きを出した姿勢のままの相手。ブラダマンテは手を伸ばし、その自分の剣の柄を手に取る

と。ただ相手の方に向かって大きく剣を振るった。

 

 がむしゃらに攻撃をする彼女は、思わず眼を瞑る。相手の方を見てはいなかった。

 

 手ごたえのようなものは感じた。だが、それが相手にとって致命的なものになったかどうかは

分からない。

 

 ほんの数刻の後、眼を開けたブラダマンテは、自分が倒れている事を思い出した。

 

 視界の中にぼやっと光る光。目の焦点が合うと、それはシルキアナであるという事が、ブラダ

マンテにもはっきりと分かった。他のシルフ達も、倒れこんでいるブラダマンテの方を見つめて

いた。

 

「おめでとう、あなたは勝ったのよ…」

 

 彼女は優しく微笑み、ブラダマンテにそう言った。

 

「か、勝った…? 私が…」

 

 彼女は体を起こし、ゆっくりと辺りを見回す。

 

 倒れたブラダマンテを囲うようにしているのは精霊達ばかりで、どこにも、さっきの光でできた

人形のような存在はいない。

 

「今、あなたが戦っていたのは、私が創り出した、ただの幻影よ。それはあなた自身。あなたの

動きや技量なんかを全て反映させてもらったわ。つまり、あなたは自分自身に打ち勝ったとい

う事…」

 

「…、勝ったって言っても、素直に喜べませんね。どう思ったらいいのやらで…」

 

 まだ緊張している。服に付いた埃を払いながら、ブラダマンテは立ち上がった。そんな彼女の

姿を見て、にっこりとシルキアナは微笑んでいた。

 

「あなたはそれだけ、強くなったという事よ…」

 

 何とも言えないという表情で、ブラダマンテはシルキアナの方を向いた。

 

「わたし達から教えられる事は、これで全て教えたわ…。あなたはそれを全て、決して諦めない

という心でやり遂げようとした。それだけで十分よ…」

 

「そうで、しょうか…?」

 

 ブラダマンテがそう言うと、シルキアナは再びにっこりとした。

 

「大切なのは、成功した事よりも、修行をやり切ろうとしたあなたの精神。全ては結果よりも、そ

の過程にあるのよ…。それを分かって欲しいわ…。

 

 多分、あなたの今の剣の腕は一ヶ月前とは見違えるように成長している…。そして何より、心

も成長したはずだわ…」

 

 シルキアナにそう言われても、ブラダマンテに実感は無かった。

 

「それは…、ありがとうございます。何をお礼したら良いのやらで…」

 

「あとは…、あなたが、女の子だからとかで甘く見られないように、あなた自身が強くなりなさい

…、いい?」

 

「覚えておきます」

 

 ブラダマンテがそのように答えると、シルキアナや他のシルフ達は彼女に背を向け、森の奥

の方へと歩いて行こうとする。

 

「あの…! どちらへ…?」

 

 ブラダマンテはそんな彼女達を呼び止めようとした。シルキアナはブラダマンテの方を振り返

ろうとしない。

 

 シルフの女の子の一人は、こちらを振り返っていた。

 

「あなたの成長ぶりを見ていて、わたし達はとても楽しかったわ…。だから、また何か機会でも

あったらここに来なさい。わたし達はずっとここにいるから…」

 

 シルキアナの体から光が溢れている。そして、彼女の体はだんだんと揺らぎ出し、辺りには

風が流れていた。

 

「は、はい…」

 

「それじゃあね…。あなたは、人間の世界に戻りなさい…。そうした方が、あなたの為になるわ」

 

 シルキアナはそう言い、こちらを振り返っていたシルフの女の子は手を振っていた。

 

「ばいばい」

 

 そう言い残し、彼女達の体は風となってかき消えていった。

 

 別れを惜しむような間も無い。シルキアナは用が済めば、唐突にブラダマンテの目の前から

消えてしまった。

 

 シルキアナや、他の精霊達がいなくなってしまうと、森は急に静かになった。辺りには何の気

配も感じないし、風もどこかへと行ってしまう。

 

 まるで、この一ヶ月の出来事が白昼夢であるかのような感覚を、ブラダマンテは感じていた。

 

 彼女は周りに誰もいなくなった森の中で、ただ一人、この一ヶ月の間の出来事を思い出すの

だった。

 ブラダマンテが人里を離れて、すでに二ヶ月近くが経っていた。

 

 年端もいかない娘にとって、誰もいないような森の奥に身を潜めているのは、孤独の他、何

物でも無い。しかし、身寄りが無い彼女にとって、たった一人、それ以上孤独になるという事も

無かった。

 

 それに、彼女には街から街へ、たった一人で渡り歩いていく理由がある。目的があれば、孤

独も忘れられた。

 

 ブラダマンテは、シルキアナ達と別れた翌日には森を抜け出していた。精霊達に方向を教え

られていたからだ。もし、あのシルキアナ達と出会っていなかったら、森から抜け出す事はでき

なかったかもしれない。そうでなくても、迷い、危険な目に遭い、こんなに早くは脱出できなかっ

ただろう。

 

 あの精霊達には、剣の腕を教えてもらっただけではなく、助けてもらったのだ。

 

 ブラダマンテは、自分が抜けてきた森の方を振り返る。

 

 鬱蒼と茂る木々。それは人の侵入を阻んでいる。木が遮っているだけではなく、この森それ

自体が、巨大な幕のようなものを出し、侵入者を阻んでいるかのようだ。

 

 この森は精霊のいる森。そして、森自身がそれを示している。

 

 森に別れを告げると、彼女は今日も、愛馬メリッサと共に、行く当てを目指して駆け出した。

そう、まだ、『リキテインブルグ』に辿り着くまでは大分あるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 再び夜も更け出していた。

 

 ブラダマンテは、久しぶりに人のいる街へとやって来ていた。

 

 ここは、どこの街だろうか。彼女は街道を分断している森を越え、まだ沿岸三カ国の中にいる

はずだった。

 

 沿岸3カ国。地図を広げて見れば、この西域地方のほぼ真ん中辺りにあり、東側の大洋に

面している。『ベスティア』、『エカロニア』、『レトルニア』という3つの国の事を言い、ブラダマン

テは今、その中でも中央に位置している、『エカロニア』の海岸沿いの街にいるようだった。

 

 人々も寝静まる頃に、ブラダマンテは港町に辿り着いていた。どことなく、不穏な気配が匂っ

ている。

 

 あまり、治安の良い街では無い。周りの雰囲気が少女にそう告げていた。

 

 民家の扉はすでに硬く閉ざされている。裏路地から妙な匂いが漂ってきていて、それには酒

の匂いや、何なのか良く分からないような匂いもあった。路地にはごみが散乱していたりして、

あまり綺麗にされていない。暗くて分かりにくいが、建物の壁なども随分と壊れた跡があった。

 

 すれ違う人々が、ブラダマンテと、愛馬の白いメリッサをじろじろと見て来る。それだけなら

ば、今までも良くあった事なのだが、何かを物色するかのように見て来る者の視線もある。

 

 嫌な雰囲気だった。

 

 ブラダマンテは、腰に吊るしていた剣に手をかけ、メリッサに跨った。これは早く宿を見つけな

ければな、と。

 

 この街の中でも、随分と治安の悪い場所に迷い込んできてしまったようだ。

 

 しかし、道を行っても行っても、どんどんと暗くなっていくようである。そう、漂ってくる雰囲気も

どす黒く、どんな者達が潜んでいてもおかしくは無い。

 

 ブラダマンテは先を急ごうとした。宿を見つけるなどよりも、早くこの雰囲気の悪い場所から

抜け出したい。

 

 しかし、そんな彼女の行く手を阻むかのように、裏路地から飛び出した人影が、素早くブラダ

マンテとメリッサの周りを取り囲んだ。

 

 慣れきったかのように、素早い行動だった。ぼろ布のようなものを着た大柄な男達が、彼女

の行く手を塞ぐ。この街のごろつきに違いない。ブラダマンテは直感した。

 

「こんな遅くによォ…、出歩いていちゃあ、駄目だぜ…、お譲ちゃん、よォ…」

 

 大陸の中部地方の訛りだな、とブラダマンテは思った。ごろつき達の発音は独特なものだ

が、語尾が飛んで次の単語を話す発音をしているので、その訛り方ははっきりと分かった。

 

「オレ達が、案内してやるからよォ…、その腕を貸しな…」

 

 別の男が、ブラダマンテに言って来た。

 

「そ、その申し出は嬉しいですけれども、一人で大丈夫です…」

 

 少し怯えている自分を落ち着かせながら、ブラダマンテは言った。

 

「いいから、よォ…。オレ達に着いてきなって…!」

 

 そう言って、男が取り出してきたのはナイフだった。

 

「さもねえと、その白いお肌に傷が付いちまうぜ…」

 

 男達はじりじりとブラダマンテの方に近付いてきていた。距離を取ろうにも、周囲を取り囲ま

れていてはどこへも逃げられない。

 

 だが、ブラダマンテはいつまでも怯えていなかった。手はゆっくりと腰にある剣の方へと伸び、

それを抜き放っていた。

 

「おっとっと。お嬢ちゃんよォ…。変な抵抗はしない方が、いいんだぜ…」

 

「メリッサッ!」

 

 しかし、ブラダマンテは次の瞬間に叫んでいた。ごろつき達の包囲の隙間へと、メリッサを飛

び込ませて行こうとする。

 

 しかし、彼女は驚いたように前足を上げ、鳴き声を上げた。目の前に、大柄な男が立ち塞が

ったからだ。

 

「おいおいおい…、ここは通さねえぜ…」

 

 男はそのように言い、ブラダマンテとの距離をじりじりと縮めて来る。

 

「どうしても…、通さないつもりですか…?」

 

「へっへっへ、まあ、そういうこったな…」

 

 ブラダマンテは心を落ち着けた。手にした剣の刃が光る。彼女を取り囲む男達は皆ナイフを

持っていたけれども、彼女には剣がある。

 

「ちょっと、苛めてやろうぜ…」

 

「ああ…、礼儀を知らないお嬢様には、お仕置きをしてやらねえとなッ!」

 

 そう言って、ナイフを突き出してくる一人の男。ブラダマンテが馬上にいようとお構いなし。ナ

イフの刃を突き出してくる。

 

 しかし、ブラダマンテはそのナイフを剣で払いのけた。剣が、ナイフの軌道上を走り、ごろつき

の持っていたナイフは、地面を転がった。

 

「ああッ! てめえッ!」

 

「へっへっへっ、お譲ちゃんなのにやるじゃあねえか」

 

 そう言って、更に迫って来るごろつき達。ナイフを弾かれた男は悪態をついたが、他の者達

は迫って来る。

 

 だが、ブラダマンテは臆する事無く、馬上で剣を構えていた。

 

「やっちまえッ!」

 

 一人がそのように合図をかけ、全員が一斉に飛び交うように、ブラダマンテへと襲い掛かる。

 

 しかし、ブラダマンテにとっては不思議な出来事だった。勢い良く飛び込んでくる男達の動き

が、とてもゆっくりと見え、彼らの手にしたナイフの動きさえも、先が読めるかのようだった。

 

 ブラダマンテは、飛び掛ってくる男達のナイフを次々と避け、同時に、そのナイフを剣で弾き

飛ばしていた。

 

 彼らは武器を失って体勢を崩し、地面へと転がる。

 

「ひいッ! い、一体、何だッ!」

 

「た、只者じゃあねえ…!」

 

 ブラダマンテの動きに、思わず怯えるごろつき達。しかし、

 

「おいおい、何をびくついてんだ。たかだか小娘一匹くれえ狩れねえで、情けねえ」

 

 そう言った、一人のごろつきが取り出したのは、湾曲した剣だった。海賊などが良く使うもの

だ。

 

 ブラダマンテは剣を構え、そのごろつきの方へと身構える。

 

 何やら、雄たけびにも似た奇声を上げ、ブラダマンテの方へと飛び掛ってくるごろつき。動き

は機敏そうにも見えるが、ただ威嚇しているだけだ。

 

 ブラダマンテの方へと剣を突き出して来る。刃を向けられ、今まででは怯えていたであろう。し

かし、ブラダマンテは、シルキアナに言われた言葉を思い出していた。

 

 突き出されて来た剣を、自分の剣で真横から弾く。直線的な動きだった剣は、横への衝撃

で、その軌道を大きく外された。

 

 更に、その弾いた剣をブラダマンテはそのままごろつきの方へと向けた。

 

 刃先が、夜の星光に反射し、鋭い刃がごろつきへと向けられる。

 

「な、何でえ…」

 

「この場から去って下さい。そうすれば私は何もしません」

 

 ブラダマンテは強い口調で言った。

 

「早くッ!」

 

 しかし彼女は、背後から更に迫って来るごろつきの影に気付いていなかった。まるで飛び掛

るようにしてやって来る気配。

 

 気がつくのが遅れた。ブラダマンテは、背後を振り向きざまに剣を振ったが、飛び掛ってきた

相手の方が早かった。

 

 彼女は、ナイフで左肩を斬り付けられた。

 

「そおれッ! 今だ、剣を奪っちまえ!」

 

 そう叫ぶのは、どうやら建物の屋根の上から襲ってきた男だ。

 

 肩を斬られた事で、一瞬怯んでしまったブラダマンテ。その隙に、男達はブラダマンテから剣

を奪い取ろうと飛び掛り、強引に彼女から剣を奪い取ろうと、細い右腕を鷲掴みにした。

 

 相手の力の方が明らかに上。そんな者に乱暴に腕を掴まれては、剣を簡単に奪われてしま

う。

 

 もう駄目だと思ったその時、

 

「おおいッ! そこで何をしているッ!」

 

 通りの向こうの方から、男の声が聞えて来た。ごろつき達の眼が、一斉にそちらへと向けら

れる。

 

 同時に、馬の蹄の音が通りに鳴り響き、誰かが近付いて来る。

 

「やべえッ! 夜警だ」

 

「さっさとズラからねえと!」

 

 にわかに慌て出すごろつき達。

 

「お嬢ちゃん運がいいな。だが、覚えていろよ」

 

 と、一人の男が捨て台詞を残し、ブラダマンテのか細い腕を放すと、彼らは一斉にその場か

ら消えて行った。

 

 入れ違いに通りの逆方向から現れたのは、馬に乗り、黒衣に身を包み、鉄のヘルメットを被

った長身の男だった。

 

「大丈夫だったか? 怪我は無いか?」

 

 まだ若い男。ごろつき達は夜警と言っていた。ブラダマンテに対する態度から、おそらく信用

できる。

 

「ええ…、大丈夫です…」

 

「この辺りは危険なんだ。特に夜はな…。君みたいな子が出歩いているような場所じゃあない。

安全な所まで案内しよう。ついておいで」

 

 ブラダマンテは言われるがままに、その夜警の男についていく事にした。とりあえず、案内し

てくれるだけでも心強い。だが、さっきのごろつき達に囲まれた時の緊張は抜け切らず、とても

落ち着かずにいた。

 

 裏通りのさらに奥の方には闇が広がり、まるでそれが街を呑み込んでいるかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 また、自分の力だけでは太刀打ちできなかった。おそらく夜警が現れなければ、酷い目にあ

っていただろう。

 

 剣を持ち、馬に乗っているからと言って、それだけで人は強くなれるものではない。

 

 あの精霊、シルキアナは言っていた。女の子だからとかで甘く見られないように、自分自身が

強くなるようにと。

 

 ブラダマンテはまだ自分が弱い存在、助けられる側の存在であるという事を、ひどく痛感して

いた。

 

 自分は、まだ生きていく為に強くなれるだろうか。

 

 

 

次のエピソード

 

Episodio04 『飛翔』


 
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