No.211729

真・恋姫†無双~恋と共に~ #50

一郎太さん

#50

2011-04-15 00:30:16 投稿 / 全12ページ    総閲覧数:17232   閲覧ユーザー数:10716

 

 

 

#50

 

 

華雄率いる歩兵部隊が長安へと退き、夜が明ける。董卓軍の兵数が減り、また華雄という将がいなくなった事はすぐに連合軍へと伝わるだろうが、一刀は、それはそれで構わないと考えていた。必要なのは、華雄たちが虎牢関から十分に距離を稼ぐ為の時間と、敵の騎馬隊を関より後ろへ通さない事だ。それ以外にやるべき事は、ない。

 

「連合も陣を作り始めていますし、おにーさん達も準備はよろしいでしょうかー?」

「あー…恋がまだ寝てるから、もう少し待ってくれ」

「なんや、相変わらず恋には甘々やなー、一刀は」

 

そう茶化す事はしても、それを責めたてる事はしない。目が覚めれば、また戦いが始まるのだ。もう少し夢の中にいてもいいだろう。

 

「恋殿は、昨日も十分に活躍したのです。そんなに出たいなら霞一人で出るといいのですぞ!」

「陳宮ちゃんも恋さんには甘々ですね」

「な、うるさいのです、紀霊!」

 

そして一刀同様に恋に甘いねねも、ツッコミを受けて両腕を振りかざす。

 

そんな朝のひとコマ。

 

 

 

 

 

 

虎牢関の巨大な扉が開け放たれ、騎馬の群れが飛び出してくる。その先頭を走るは、虎牢関を守る3人の将軍。

 

「一刀、恋。作戦通り、ウチは左翼もらうで!」

「…ったく、その振り分けをゴリ押ししたのは霞じゃないか。何が作戦通りだ……気をつけろよ」

「任せときぃ!」

「………ん、頑張る」

 

初日同様に、霞は騎兵の3分の1を率いて左翼へと向かう。西涼の馬超率いる騎馬軍団がいる方角だ。昨日は途中で中央に向かったため、あまり騎馬どうしの戦いが出来なかったのだろう。風とねねの作戦を聞いた瞬間に、霞は敵左翼に自薦したのだ。

霞が離れると同時に、恋も騎兵を連れて一刀から逸れていく。右翼へと進む騎馬の列の先頭には、焔のように赤い毛並みの馬が、同様に真紅の髪を携えた主を乗せてひた走る。

 

「さて、俺達もいくか、黒兎」

 

愛馬のたてがみを撫でて腰の野太刀を抜くと、一刀も騎兵残りの3分の1を連れて前線の劉備軍へと突撃した。

 

 

 

連合軍・右翼―――。

 

「あれを止めようなどとは思うな!受け流し、被害を増やさない事だけを考えろ!」

 

宿将の声が軍に響き渡る。他の陣と同じように孫策軍も騎馬隊を率いてはいるが、袁術軍による軍備縮小で、その数はあまり多くはない。その為主力は歩兵に偏っており、恋と赤兎馬が率いる騎馬隊を止めようとする事はほぼ不可能だった。

 

「あちゃー、今日も恋が来るのね………祭、明命、思春!私達は恋に向かうわよ!兵の指揮は蓮華に任せなさい」

「応っ!」

「了解しました!」

 

王の言葉に祭と周泰は応えるが、甘寧はその主に質問を投げかけた。

 

「しかし、蓮華様の護衛はいかがいたしますか?」

「あの娘なら大丈夫よ。冥琳が補佐してくれるし、蓮華が変わった事は貴女が一番近くで見ているでしょう?」

「………御意」

 

それは妹への信頼故に、彼女に課す課題。一刀と恋と霞が出てきた事は、雪蓮自身もその眼で確認していた。華雄率いる歩兵がいない事は気になるが、恋以外の猛将の気配は感じられない。その恋は相手にするから、それ以外の一般兵くらい捌いてみせろという試練だった。

 

「さ、それじゃ行きましょう」

 

軽く笑いながらそう告げる雪蓮の眼は、言葉とは裏腹に鋭い。跨る馬の腹を踵で蹴りつけ、走らせる。馬上にあってその手の南海覇王は、間合いとして心許ないが、彼女はそのような事は気にしない。あるのは、目前に迫った強敵に挑む覇気だけであった。

 

 

 

連合軍・中央―――

 

 

 

「あの騎馬隊を止めようとは思わないでください!このまま縦列陣のまま楯で囲いを作り、後ろへ逸らしましゅ!あわわ……」

 

鳳統の細い声が響き、兵達が動く。少女の指示どおりに形成される囲いの外で、関羽と趙雲、そして張飛は数少ない騎馬隊と共に中央をひた走る騎馬隊へと突き進む。数で負けている為、後ろに流してしまう事は仕方がない。彼女達が見据えるのは、敵の最先端を走る、純白の衣服を纏った男だけである。

 

「ふむ…馬上であれば我らの方が間合いは広い。いい勝負になるだろうさ」

「鈴々は馬じゃなくてもいい勝負が出来るのだ!」

「くっくっくっ、そうは言うが一度も攻撃を当ててはおらぬではないか」

 

趙雲の言葉に反射的に強がりを返す少女だったが、すぐに言い返されしゅんとする。

 

「ふざけてる場合か!来るぞ!」

 

そんな会話も束の間に、義姉の言葉に張飛は表情を真面目なものに戻し、馬をさらに加速させた。

 

「お兄ちゃん、覚悟なのだ!」

「いったい俺には何人の妹ができるんだよ、まったく」

 

関羽と趙雲を置き去りにして一気に間合いを詰めると、張飛は馬上からその蛇矛を繰り出す。2つの武器が金属音を奏で、少し遅れて残りの2人もその男に斬りかかった。

 

 

 

連合軍・左翼―――。

 

華琳は馬上で、遠く虎牢関を眺めていた。

 

「………華雄はいないわね」

「見えるのですか、華琳様?」

 

王の言葉に、そばに控えていた親衛隊の隊長である少女が問いかける。確かに2人の位置からでは、門前に広がる部隊の詳細まではわからない。しかし、華琳の言葉には確信の響きがあった。

 

「見えないわよ。でも、感じるのよ。春蘭や秋蘭もおそらくわかっているでしょうね。大きな闘気が一つ減っていることくらいは。むしろ、私なんかよりも早く気づいてるわ」

「そうなんですか………」

「ふふ、季衣ももっと経験を積めば、すぐにわかるようになるわ」

「だといいんだけど………」

 

華琳の言葉に少し落ち込む季衣だったが、何事か思い当たり再び主を見上げた。

 

「あれ?って事は関を責めるいい機会じゃないんですか?兄ちゃんと恋ちゃんも出てるし、紀霊って人もそんなに強くはない、って春蘭様は言ってましたよ」

「えぇ、でも虎牢関はどうでもいいのよ」

「………?」

 

彼女の言葉に、季衣は再度首を傾げる。その様子が可愛かったのか、華琳は軽く笑うと口を開く。

 

「一刀が向こうにいる以上、この戦に大義がない事はわかっているわ。もっとも、最初から麗羽の檄文は疑わしかったし、むしろ汜水関で一刀を見た時からわかっていた事だけれどね。だから、私がいま欲しているのは、虎牢関一番乗りとか洛陽一番乗りとかそんな事ではないの。一番欲しいのは一刀だけれど、彼を手に入れる事はまだ難しいわね。恋も同様よ。仮に恋を捕らえたとして、一刀がいなければあの娘は動いてくれないもの」

「じゃぁ、どうするんですか?」

「季衣は、いま私達の軍に一番必要なものは何かわかる?」

「………?」

「それは騎馬を巧みに扱える将よ」

「わかった!張遼さんをこっちに引き入れるんですね?」

 

季衣がぱぁっと顔を輝かせて、正解を言う。華琳も上出来だと頷いた。

 

「張遼ならその武も名を馳せているし、智も十分にあると聞くわ。まさに智武兼備の将ね。その彼女がうちの軍に入れば、我が軍の機動力は飛躍的に上がるわ………あと美人だし」

 

最後に呟いた言葉が季衣の耳に入ることはなかったが、その一節は妙に力強かった。

 

 

 

 

 

 

城壁の上、蠢く兵を眼下に広げ響く怒号を耳に感じながら、2人の少

女が飴を咥えていた。2人を中心に弓兵がずらりと並んで得物を構え、彼女たちの真下には香を筆頭に歩兵が虎牢関の扉を守っている。

 

「それにしても、あのような作戦でよかったのですか?」

 

背の低い―――どちらの少女も小柄だが、2人を比べて背の低い少女が飴を口から放して隣に立つ少女に問いかける。

 

「あのような、とは?」

 

対して、金髪の少女―――風は何の事やらといつものような眠たそうな眼で問い返す。その様子に呆れたのか憤慨したのか、ねねは両腕を上げながら声を発した。

 

「決まってるのです!今日の攻撃は騎馬のみなのは決まってましたが、それぞれ左翼・中央・右翼を穿つなどという、策も何もない作戦ですぞ!」

「では、ねねちゃんならどうするのですか?華雄さんたちが去って、兵の数も昨日までの3割程度のこの状況です。ちまちま闘っても数で圧倒されてしまうのですよ。数で押されたら勝てっこないのですから、全員で門前に張り付くわけにもいきません。それなら機動力のある騎馬で動く方が、まだ分があるのです」

「うぅ…それはそうですが………でも、だからといって好きに動いていいなど―――」

「それはですねー、あの3人であればいちいち指示を与える必要はないからなのです。昨日までは華雄さんがいました。華雄さんもお馬鹿さんな訳ではないのですが、熱くなりやすいのもまた事実です。そんな人に、『他の4人は自分で動いて貰いますが、華雄さんは風たちの指示に従ってください』なんて言えると思いますか?」

「うぐっ、それを言われると、なんとも言えないのです………」

 

風の指摘に、ねねは口を噤む。そんな事を華雄に言えば、猛烈に抗議し、指示も何もなく勝手に動かれる事は容易に想像できたからだ。

 

「おにーさんは風やねねちゃんと同様に頭がいい人です。霞さんも、状況を見て適切に動けますし、香ちゃんも無茶な事はしない性格ですので、大まかな方針だけ出せればいいんですよ。実際、火急の事態は銅鑼を鳴らして知らせる事は決まってますし」

「確かにそうなのです………って、恋殿はどうなのですか?」

「それこそ愚問ですねー。策を張っても、力技でなんとかしちゃうような人ですよ、恋ちゃんはー」

「………」

 

その言葉に、ねねは今度こそ沈黙する。馬防柵を設ければそれごと敵を薙ぎ払い、騎馬が囲めば馬ごと敵を斬り伏せてしまうような武人である。確かに、恋に策は通用しない。付き合いは短いながらも、ねねはその事を知っており、またその姿が脳裏に浮かぶのを止める事ができなかった。

 

 

 

 

 

 

戦の最前線では、4人の将がしのぎを削っていた。だが、それは2対2の攻防ではなく、1対3の力業。その一方的なまでの猛攻に、一刀は珍しく攻めあぐねていた。馬上であり、偃月刀・矛・槍を使う3人とは間合いが異なることもその要因の一つではあるが、それだけではなかった。

 

「うりゃりゃー!」

「それ、隙だらけだぞ鈴々」

 

通常よりもはるかに重量のある筈の丈八蛇矛を振り回す張飛の連撃の隙をフォローするように趙雲が龍牙を放ち、それを防ぐ背を突いて関羽が偃月刀を払う。かつて一刀は恋に言ったことがある。個人の武というものは、その心持次第でいくらでも強くなる、と。その信念に揺らぎのない趙雲はもとより、成長する主の姿を目の当たりにした関羽、そして愛する姉に感化され、共に成長を遂げている張飛は、まさにその言葉を体現していた。

 

「………なかなかどうして、しっかり強くなっているじゃないか」

「『天の御遣い』ほどの男にそう言って貰えるとはありがたい!だが、私の武はまだまだ強くなるぞ。それをいま、この瞬間にも実感できるくらいにな!」

 

答えたのは関羽。汜水関の戦いで身体も心も打ちのめされた、一人の少女。だが、その武はまさに後世に軍神として語り継がれるに足るものを輝かせている。

 

「愛紗ばかりにかまけてもらっては困りますな、『御遣い』殿」

「―――っと!」

 

そこに割り込むは趙雲。鋭い突きの五連撃を放ちながらも軽く装うその様は、それでいて油断ない。

 

「鈴々だって負けてやるわけにはいかないのだ!」

「こっちもか………」

 

史実で呂布を相手どったのは関羽と張飛、そして劉備。その劉備に代わり趙雲の姿がこの場にはあるが、呂布と同等の武を持つ一刀と渡り合う光景は、史実の光景を体現する。

 

「(ま、月たちのところばかりだと贔屓になるからな………)」

 

その思考は、どのような思惑によるものか。しかし、彼は感じている。目の前で成長した姿を見せてくれる少女達に、春蘭に感じているような父性の発露を。

 

 

 

 

 

「………雪蓮、昨日より、強い?」

「あら、恋にそう言って貰えるなんて嬉しい限りね」

 

そう笑い合いながらも、激しい攻撃を重ね合うのは右翼で闘う恋と雪蓮。祭が矢を放ち、甘寧と周泰は馬上の恋に両側から飛びかかる。弾くことも出来たが、仮にそうすれば赤兎に危険が及ぶ可能性がある。その事を瞬時に判断した恋は、愛馬を前に蹴り出すと同時にその勢いを利用して馬上から飛び上がり、後方に回転しながら着地する。

 

「なんとまぁ……まるで曲芸師じゃな」

 

楽しそうに言う祭の目はまったく笑ってなどはいなかった。馬上であるからこそ下半身の動きを封じられ、その上半身の胆力のみでこれまで戟を振るっていた彼女が、全身の力を如何なく発揮できる場に降り立ったのだから。

 

「これからが本番じゃぞ、策殿!」

「わかってるわよ。でも、一刀にふられちゃったんだから、少しくらい鬱憤を晴らすのに付き合ってよね」

「………くる」

 

雪蓮が思い出すのは昨夜に受けた、一刀からの伝言。これ以上は手伝わない、彼はそう言った。つまり、力ずくでひっ捕らえない限り、彼が自分の軍に来ることはないという宣言と同義。それをはっきりと認識する雪蓮は少し残念そうにしながらも、これでやっとふっ切れたとばかりにその殺気を解き放つ。

 

「………やっぱり、強くなった」

 

その殺気を浴び、一般兵どころか甘寧や周泰、さらには祭までもがビクリと一瞬動きを止めるなか、恋だけはいつも通りの反応を示す。その殺気は知っている。かつて、雪蓮の城で客将をしていた時に、一刀と戦っていて出したものだ。

 

「少しくらい箍を外さないと、恋には追いつけそうにもないしね」

 

その切れ長の碧い眼をさらに細め、じっと恋に集中を向ける。対する恋は、いつもの自然体で方天画戟を構え、その眼を見つめ返す。刹那―――

 

「はぁあああっ!」

「…んっ」

 

―――2つの影が衝突した。

 

 

 

 

 

 

「春蘭、貴方に特別な命令を下すわ」

「はっ!」

 

特別という単語に一瞬だけ嬉しそうな顔をするも、すぐに将軍の顔に戻すと、春蘭は華琳の前に跪く。いつもの様子に戻った春蘭に内心の喜びを隠しながら、華琳は告げる。

 

「難しい事ではないわ。張遼を捕らえてきなさい」

「御意!」

 

たった一言の命令に、短く返す。主がそうしろと言っているのだ。疑問を挟む余地はない。そのまま騎馬に跨って最左翼の馬超軍へと向かう春蘭を眺める華琳に、荀彧が近づく。その眼は自信に溢れ、己の策が失敗する事への不安など、微塵もない。無理もなかった。これまでは、何人もの武将が一度に斬りかかってもほとんど手の付けられない一刀や恋ではなく、張遼を捕らえろという指示なのだ。決して春蘭と仲がいいわけではないが、荀彧は彼女なりに、春蘭が曹操軍の誇る最大の武であると認めていた。つい一日前までは意気消沈していた彼女が、一刀に何を言われたかはわからないが、こうして威風堂々とかつての姿を取り戻している。ならば、その力量を推し量って策を進めるだけであった。

 

「華琳様、凪と真桜を北郷に向かわせました。稟も秋蘭と配置についています」

「そう」

 

そして、命を下した華琳自身も、己の目的が達成される事を疑わない。それは偏に部下への信頼と、可能性の低い虎牢関から、可能性の高い張遼へと掴もうと差し出す手を変えた己の判断への確信。彼女は自分を過大にも過小にも評価しない。自分の器と部下の能力を完全に把握しているが故の、絶対の自信。

 

「(一刀はしばらくお預けかしらね。でも………)」

 

華琳は一人思う。如何に一刀と恋に、守りに長けた将がいるとはいえ、戦の途中で在りながら成長を遂げるこの連合軍を止める事ができるのかと。その、いつもの不敵な笑みで。

 

 

 

 

 

それに初めに気づいたのは、戦場でいままさに闘っている一刀や恋、霞でも香でもなく、城壁で弓兵と指示を出し、近づく袁紹軍へと牽制をする風たち軍師少女であった。

 

「風、左翼から曹操軍の隊が中央へと向かってるのです。旗は『楽』『李』の2つ!」

「凪ちゃん達ですかー。華琳さんの事ですから、劉備さんのところの関羽さん達と共同で

おにーさんを討って、そのまま手中に納める気でしょうねー。確かにおにーさんも、関羽さん達は強くなっていると言ってましたしー」」

 

風にしては、珍しく見誤る。それは慢心ではない。己の中で一刀の存在が大きくなりすぎてしまったが故の、誤解。あれほどの武だ。華琳ほどの人材好きな人物が欲しがらない訳がない。風は理解している。連合にも最初から大義がないという事に華琳が理解している事を。だからこそ、その目標を一刀のみに置き換えたと、考えてしまった。

仮に、もう少しだけ彼が風の心を占める割合が少なければ、その思考に至らなかった。いや、至ったとしても、その前にもう一つの閃きが浮かぶはずだったのだ。

 

 

 

 

 

「我が名は夏候元譲!張遼、貴様に武人としての誇りがあるのならば、私と立合え!」

 

霞と翠がそれぞれ率いる部隊がぶつかるというまさにその直前。春蘭率いる曹操軍の騎馬隊が間に割り込んだ。

 

「なっ!夏候惇―――」

「悪いな、馬超!加勢させてもらうぞ!」

 

翠が何か言うよりも早く、春蘭は割り込む。一騎打ちの最中であれば、それはまさに翠の誇りに唾吐く行為。だが、今はまだ撃をぶつける前。そして翠が属するのは連合軍である。これまで董卓軍にいいようにあしらわれていた連合の諸侯がそれぞれ協力して敵を討とうとするのは、別段おかしな光景ではない。だからこそ、華琳はそこに付け入らせた。

 

「いくぞ!」

「なんやて!?」

 

そして、霞の目は驚愕に見開かれる。春蘭が方向を変えてこちらに真っ直ぐ向かってきたかと思うと、あろうことか馬の背に足裏を乗せ、そして飛び上がったのだ。

 

「はぁっ!」

「ぐっ!?」

 

互いに走り寄る騎馬の慣性を利用して水平に飛ぶと、七星餓狼を振り上げ、霞目掛けて斬りかかった。なんという暴挙。相手の後ろには続々と騎馬隊が続いているのにも関わらず、己の身一つで斬りつけ、そして霞を馬上から弾き飛ばす。

張遼隊の動きは流石と言えよう。そんな度胆を抜くような暴挙に対し、彼らはすぐさま道を作り、将軍を巻き込まない事に成功する。それを見て、翠は思わず感嘆の声を上げてしまうのであった。

 

 

 

 

 

「………見誤りましたね、風。私たちとて、このままやられっ放しという訳ではないのですよ」

 

独り呟く女性は、眼鏡のつるを指で軽く押し上げる。その瞳には、鋭い光が宿っている。

 

「秋蘭様!張遼を捕らえるならば今しかありません!」

「あぁ…全員構えろ!張遼隊を分断するぞ!」

 

弓将の合図と共に、隊員たちが弓に矢をつがえる。その目指す先は、張遼隊の右側後方。一瞬の空白の後、秋蘭は雄々しく叫ぶ。

 

「―――放てっ!」

 

 

 

 

 

 

「拙いですぞ………霞が馬上から弾き落とされました………」

「なっ―――」

 

風は思わず口を開き、飴を石畳の上に落とす。それは、霞ほどの騎馬先頭に長けた将が馬上から落とされたという事実にではない。敵の狙いをその一言で理解し、そこに至るに遅れをとった自分自身への怒りからだった。何たる体たらく。ねねにあれこれ偉そうに指示していたくせに、こんな簡単な事に気がつかなかったなど、軍師失格だ。思えばヒントはあった。かつて華琳の城に食客として暮らしていた頃、一刀が鍛えたのは春蘭たち武官だけではなかったのだ。

 

「銅鑼を鳴らしてください。おにーさんと恋さんに援護に向かってもらいます」

「紀霊では駄目なのですか!?」

「香ちゃんを外せるわけがないでしょう。そんな事をしたらその瞬間に虎牢関は落ちます」

 

先の黄巾の乱を鎮めた際に、彼が使ったのは何だったか?騎馬隊だ。一刀と恋が個人の武でその追随を許さないように、黒兎馬と赤兎馬もまた、騎馬としての力は及ぶものがない。その黒兎を使って、彼は騎馬隊を訓練していた。

 

「ですが、北郷は5人の将に動けないようなのです!」

「恋ちゃんは?」

「恋殿もとっくに赤兎馬から降り、地上で闘っているのです!」

「………やられました」

 

では、一刀が抜けた今、その騎馬隊を最も有用に指揮するのは誰なのか?春蘭?そんな筈はない。彼女は曹操軍一の剣であり、その象徴だ。もちろん突撃の際には騎兵として動くことも多いが、広範囲を走る遊撃などに使うわけがない。秋蘭?それも違う。彼女は弓の名手であり、その配下の兵も弓の扱いに長ける。その真髄は、姉と姉が指揮する隊との連携にある。では凪か真桜か、それとも沙和か?それも違う。確かに彼女たちの武も優れてはいるが、騎馬で使うには向いていない。凪は近接格闘型であり、沙和の扱う双剣・二天もその間合いは、雪蓮ほどの腕でもない限りその威力は半減してしまう。真桜はその性質上、工作部隊として使うはずだ。

 

「まさか、騎兵の充当に即戦力として狙ってくるとは………」

 

それは、可能性としては十分にありえた。華琳の性格を知る風であれば、その可能性に辿り着くことも不可能ではなかったはずだ。だが、この時ばかりは、その信を一刀に置きすぎたが故に、違えた。

 

 

 

 

 

銅鑼の音に、一刀は真桜の螺旋槍の突貫を躱し、張飛の振るう蛇矛を弾きながら思考を巡らせる。真っ先に思い浮かんだのは香だ。だが、それはない。劉備兵と公孫賛の白馬義従に対して霞から借りた騎兵が抑え合い、袁紹軍が公孫賛軍と劉備軍を逸れて関へと向かったが、その数が圧倒的というほどでもない。文醜と顔良がいたとしても、彼女なら防ぎきる筈だ。

 

「余所見などしている余裕はあるのですか?」

「………」

 

趙雲の槍を捌き、刀を振るうもヒット&アウェイの要領ですぐに交わされる。いま、一刀は5人の将に囲まれており、その隙をついて動くことが難しい。ついで、左に視線を一瞬だけ向ける。

 

「(………恋、違う)」

 

その視線の先には恋と雪蓮たちが闘っている姿が映るが、危険というほどではない。むしろ、彼女と相対している雪蓮たちの方が危険度は高い。

 

「(まさか―――)」

 

そして一刀は至り、それでいながら右側を見てしまった。

 

「………霞か!」

 

一瞥で理解する。最前の兵は槍を構えているが、一向に進む様子はない。そしてその奥に、虎牢関に対して背を向ける部隊。その背を守るように、前線の兵は構えている。つまり、前線ではなく、彼らは後曲なのだ。では誰を何から守る?決まっている。左翼に突撃した敵と戦う仲間だ。ここに、董卓軍と連合の攻守は一転する。大勢ではなく、ただ一人の将を欲した、華琳の命によって。

 

 

 

 

 

 

「ごほっ、がはっ……なんちゅう事をするやっちゃ………」

「げほっ、けほっ!………だがこれで、貴様と同じ舞台に立てる。騎馬ではどうしても一手遅れてしまうからな、いまの私では」

 

咳き込みながら、2人は立ち上がる。馬上から弾き飛ばされた霞はもちろん、馬上から飛び降りるというにはあまりに異様な下馬をした春蘭も地を転がり、共に砂埃に塗れている。

 

「へぇ……馬上やなかったらウチに勝てる、言うんか?」

「勝てるではない。勝つのだ。我が主が為に!」

「………おもろい事言うな、アンタ。えぇで。ウチが場所関係なくアンタより強い事見せたるで!」

 

会話もそこそこに、霞は斬りかかる。対する春蘭も、地上に投げ出されようが決して手放す事をしなかった七星餓狼を構え、受けた。

 

「作戦が台無しやけど、ここまで虚仮にされたんなら、受けん訳にはいかんやろ」

「そうは言うが、楽しそうな顔をしているぞ。いまのお前は」

 

重ね合うこと数十合、ともに常識では計り知れないほどの胆力を持った2人の武人は、それでも得物を振るう。

 

「当り前や!こちとら汜水関には行けへんかったし、虎牢関でも遊撃ばっかやからな!ようやっと本気でやり合える相手が出てきて、これが楽しくないわけないやろ!」

「まったくだ!」

 

それでも剣と偃月刀の応酬は続く。

 

 

 

 

 

秋蘭の弓兵によって背を狙われた霞の騎兵隊の後続部隊は、馬首を翻す。いまだ矢を射られ続ける右ではなく、矢の少ない左側へと―――つまり、敵陣の中央へと。

 

「沙和、任せたわよ」

「任せるのー!たいした活躍もしてないこのウジ虫ども!ようやく糞溜から這い出る時が来たのー!そのケツを拭く紙にもならない楯で壁を作って、敵のウジ虫どもを囲い込むのー!」

 

猫耳軍師の言葉に、沙和がその可愛らしい声色からは想像もできない程の罵詈を吐く。しかしサー、イエッサー!と兵は動じることなく返事を返し、楯を構えていく。その後ろでは、秋蘭の部隊から分けられた弓兵が弓を構えていた。

 

「アンタ達!秋蘭に役立たずと報告されたくなかったら、しっかり狙いなさい!射かけるは敵部隊左側よ!」

「さっさと射るの、このクソ虫どもー!」

 

荀彧の指示に、沙和が呼応し、そして兵達が引き絞った弦に番える矢尻を放す。数百本もの矢が解き放たれ、それは軌跡を描いて張遼部隊へと向けられる。

 

「そのまま横陣を敷いて夏侯淵隊と挟撃するわよ!」

「さっさと動くの、このクズ共―!」

 

ついには生き物として扱われなくなった兵士たちも、威勢のよい声を上げると命令通りに動く。いまや、荀彧の言葉通り、張遼部隊のその半分以上が夏侯淵隊と于禁隊により挟み込まれていた。

 

 

 

 

 

 

華琳の狙いに気づいた一刀は、必死に頭を働かせる。華琳であれば、霞を殺すことはしないだろう。仮に霞が抜けたとしても、華雄がいれば月たちの安全は確保されるし、詠がいれば今後の行動も問題はない。だが、一刀の矜持はそれを許さない。今は、仲間なのだから。

だが、今は動けない。確かに、彼ほどの実力があれば、この人数をして対等に打ち合うことは出来る。だが、汜水関でやったそれは、その場を動かなくても問題ない状況であった。今は違う。この場から動かなければならない状況であり、それでいて自分を囲む将は、まさにこれまでずっとその為の訓練をしてきたかのように、彼をそこに縛り付ける。

強くし過ぎたか。一刀はそうひとりごちるが、そのような事を言っても詮の無い。彼はひとつ溜息を吐くと、背後で構えをとる2人の少女へと声をかける。

 

「………凪、真桜」

 

小さく呟かれる名前は、2人の耳に届く。刹那―――

 

「……え?」

「………うそ、やろ」

 

―――2人の胸を、陽の光を浴びて鈍く輝く刀が貫いた。関羽たちも絶句する。かつて曹操軍にいた事は知っていた。その彼が、かつての仲間を突き刺していたからだ。戦ではおかしな事ではない。昨日まで友と思っていたものが、明日には敵になる。そんな世界だ。だが、彼の優しさをわずかな時間の出会いであっても知っていたからこそ、その眼が見開かれた。………そして、世界は元に戻る。

 

「がはっ!はぁっ…はぁ………」

「なん、で…刺され………とらん?」

 

真桜は膝を着き、凪は胸を抑える。一瞬の殺気。だが、極限までに的を絞られたそれは2人に胸を貫かれる感覚を与え、それを向けられていないにも関わらず、劉備軍の3人の将へと現実感を伴った幻を見せる。

 

「悪いな」

 

背後からかかる声に振り向けば、一刀を乗せた黒兎が既に背を向けて左翼へと走っている。

 

「あれが、師匠の本気というのか………」

「………あんなん反則やんか。本当に………バケモンや………」

 

凪と真桜は、ただその後ろ姿を茫然と眺めていた。

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ………私の、勝ちだ」

「………せやな。ウチの負けや」

 

左翼では馬超軍が張遼隊の先頭集団とぶつかり、後続部隊は夏侯淵隊と于禁隊に取り囲まれていた。その間の孤立した空間で、黒髪の女性が地に膝を着く袴姿の女性に大剣を突き付けている。勝敗は既に決していた。

 

「それにしてもアンタ強いな……一刀と恋以外には負けん気やったのにな」

「ふん、それは私も同じだ。だが、私はいずれあの2人を超えてみせる。そこが私とお前の違いだ」

「なんや…そんなんウチかて今だけの話や!いつかは一刀も恋も皆まとめてぶっとばしたるわ!」

「あぁ。あの2人こそ、我らのような凡俗が目指す高みだ。だが…想いの強さでは私の方が上だっただけの話さ、今回は」

「………そかもな。えぇで、殺しぃ。あんだけえぇ勝負できたんや。アンタなら殺されてもかまわん」

 

霞はそう零し、眼を閉じる。

 

「(堪忍な、月っち………一刀………)」

 

そう心に呟く。しかし、一向に春蘭は動く気配を見せない。その事を不審に思った霞は、再度眼を開いた。そして、出会う。武では明らかに劣るくせに、自分が霞に負けるとは微塵も考えない少女の姿に。

 

「その潔さは感嘆に値するけど、命をそう投げ出すものではないわ」

「………曹操か」

「えぇ。張遼、私には貴女が必要なの。私のものになりなさい」

「アンタの趣味は知っとるけど、ウチにはそんな趣味ないで?」

 

華琳の誘いに霞は冗談で返すも、相手の意図は明確に理解していた。華琳もそれを承知の上で再度告げる。

 

「それは残念ね。でも、私が本当に必要としているのは、騎兵としての貴女よ。我が軍には一刀が直々に鍛えた騎馬隊があるのだけれど、それを指揮する将が不足してるの。貴女にそれを任せたいのよ………どうかしら?」

 

言葉とは裏腹に、その声色は命令の響きを持っていた。霞はその眼をじっと見据えたかと思うと、ふっと息を吐き、頭をガシガシと掻く。

 

「しゃーないわ。それにここにウチのモンがおらんゆー事は、アンタらに抑えられとるんやろ?」

「えぇ。馬超に止められているのを除けば、貴女が引き連れていた者は皆こちらが抑えてるわ」

「ほなら、そいつらもついでに引き抜いてくれへんか?そうしたら大人しく降ったるわ」

「最初からそのつもりよ。まぁ、一刀と恋が率いていた者たちまではどうこう出来ないけれどね。私の真名は華琳よ。そう呼ぶ事を許可するわ」

「ま、華雄ならともかく、一刀と恋なら指示に従うやろな。ウチの真名は霞や。アンタんとこの騎馬隊、ウチが引き受けたる」

 

こうして、霞は曹操軍に迎えられる。春蘭が頷き、華琳の後ろに立つ稟と荀彧もほっと気を抜こうとして、華琳だけはその視線を逸らした。

聞こえてくるのは兵の悲鳴、眼に入るのは、宙を舞う兵の身体。そして―――

 

「霞っ!」

 

―――単騎一人の男がその輪に割って入る。

 

 

 

 

 

 

「あら、一刀遅かったじゃない」

「華琳が此処にいるって事は………そうか、降ったか、霞」

 

通常の馬よりも巨大な漆黒の馬にまたがり、それとは対照的に白い衣服を纏った男の視線が、真名を呼ばれた少女へと向く。

 

「………堪忍や。惇ちゃんに負けてもうたわ、ウチ」

「そうか………」

 

言葉通り、霞は申し訳なさそうな顔をするが、その声は逆にすっきりとしたものだった。

 

「流石の一刀でも、友人に二度も裏切りをさせる気はないでしょう?」

「厭な言い方だよ、まったく。でも、名より実を取るのは華琳らしいな。さて、このまま大人しく退くから、その代わり虎牢関1番乗りは諦めてくれないか?」

 

悪戯っぽく話す華琳に、一刀も軽く言い返す。だが、すぐに表情を真面目なそれに戻す。

 

「囲まれてるのは貴方なのに?」

「そうだ」

 

しばし沈黙がその場を覆う。しかし、華琳はふっと息をひとつ吐くと、表情を和らげた。

 

「わかったわよ。目的の張遼は手に入ったしね」

「ありがとう」

 

一刀は一言礼を述べると、降将へと向き直った。

 

「霞、騎兵の残りは、ちゃんと退かせるよ」

「おおきに」

「でも、おそらく霞につきたいと思う者もいるだろう。そいつらの事も一旦任せてくれ」

「あんがとな」

「………それじゃ」

「ん…」

 

普段の霞からは考えられないような、寂しそうな声に、一刀の表情は僅かに強張るが、すぐに嬉しそうなものへと変わっていく。自分との別れを惜しんでくれるだけで、嬉しかった。一刀はその笑顔を最後に、もと来た方角へと走り去る。今度は彼を邪魔し、また吹き飛ばされる兵も出ない。

 

あんがとな。その背に向けて、霞は本当に小さな声で呟いた。

 

 

 

 

 

 

左翼から虎牢関の扉へと戻った一刀は、刀の峰で敵を薙ぎ払いながら香の姿を探した。その混戦の中で、ひと際大きな華を咲かせる場所に向かう。

 

「あ、一刀さん!」

「霞が降った。撤退だ。俺は恋を迎えに行くから、香も伝令を風たちに飛ばしてくれ。詳しい手順は風が指揮する。流れを作れ。それだけで風なら分かるはずだ。霞の兵に関しても、ねねに伝えておけといえば分かる」

「え、えぇ!?………えぇと、わかりました」

 

主から一息に告げられる言葉に、敵をその手の三尖刀で薙ぎ払いながらも目を白黒させるという器用な事をしてのける香を放って、一刀は再び黒兎を走らせる。目指すは右翼。恋のいるところだ。

 

 

 

 

 

「あらら、やっぱ恋は強いわね」

「そうじゃな………よく一人で持ちこたえおる」

 

祭のその言葉は、恋ではなく雪蓮に向けられていた。周泰と甘寧が地面に倒れ、あるいは膝をつくなか、この2人だけが恋を相手に立っている。

 

「祭の援護があるからよ」

「軽く言うてくれるわ」

 

雪蓮の言葉の通り、それは祭の援護によるものだった。2人が倒れてから祭の援護は激しさを増し、3人分の援護を弓でやってのける。そして祭の嫌味もまた当然のものだった。手勢が2人減った事により、彼女の負担もまた増える。その所為で祭は全身で汗をかき、呼吸も僅かに乱れている。

 

「………雪蓮、終わり」

「あら、とうとう本気だすの?」

 

雪蓮の短い言葉に軽口で返すも、恋は横に首を振ることで否定する。彼女のその行動を肯定するかのように、恋の背後から一騎の馬が現れる。

 

「恋、撤退だ。騎馬隊を集めて虎牢関へ戻れ。兵が全員扉をくぐったら、扉の前で香と一緒に守っているんだ」

「………一刀は?」

「俺も袁紹軍とやり合っている騎兵を集めて関へ戻る。あとは風の指示に従ってくれ」

 

邂逅もそこそこに一刀の指示に頷くと、一刀がやるように指を2本口に当て、笛を吹く。その音に呼ばれ、孫策軍の一般兵を蹴散らしていた赤兎馬が戻ってきた。

 

「逃がすと思うの?」

「止められると思うのか?」

 

恋が赤兎に飛び乗り、馬首を翻そうとしたところで雪蓮から声がかかる。その声には紛うことなき殺気が込められ、応える一刀の声にも同じように殺気が乗る。

 

「………恋、行け」

「ん…」

 

しかし、その殺気を無視するかのように、恋は走り去る。それを止めるよう雪蓮が指示を出すよりも早く、一刀が口を開いた。

 

「雪蓮、取引だ。虎牢関一番乗りをやる。張遼隊は見逃せ」

「あら、もう手伝わないって言ったのは何処の誰だったかしら?」

「これは貸しじゃない。取引だよ。すぐわかる事だから言うけど、張遼が曹操に降った。これ以上俺達がここにいる意味はない」

「やっぱり華雄は既に退いていたのね」

「あぁ」

 

一刀の短い説明だけで、雪蓮は理解する。一刀達が騎馬隊のみで撃って出てきた意味を。

 

「受けるか?」

「えぇ。受けさせて貰うわ。張遼ほどの将が曹操のものになったのは口惜しいけど、今は将よりも風評の方が欲しいしね」

「ものわかりがよくて助かるよ。俺と恋で虎牢関前の兵を一掃する。雪蓮たちは全軍を率いて突撃しろ。機を見て俺たちも場を離れる」

「わかったわ」

「………それじゃ」

「えぇ、また後でね」

 

最後に短い挨拶を交わし、一刀は先に恋に伝えた通りに中央へと向かう。雪蓮もまた彼の背を目で追う。その先には騎馬隊が駆け抜けているのであろう。連合軍中央を土煙が舞っていた。

 

「相変わらず好き勝手に物事を進めてくれおるわ。策殿も、一刀も」

「あら、ヤキモチ?」

「言うておれ。それ、儂らも隊を整えるぞ。一刀の言葉通りなら、すぐにでも機は訪れる。折角取引をしたというに、それを無下にする訳にもいかんからの」

「そうね」

 

宿将の言葉に、後方へ伝令を飛ばし、兵を再編する。武で土地を治めてきた孫家にとって、風評は近隣の豪族を纏めるに際し最重要のものである。信頼できる相手が、わざわざそれをくれると言っているのだ。信じないという選択肢はあり得なかった。

 

 

 

 

 

 

「皆さんも急ぐのです。さっさと下に降りて、お馬さんに乗るのですよー」

「うわわわ、引っ張らなくてもちゃんと走れますぞぉっ!?」

 

風は右手にセキトを抱き、左手でねねの手を握って階段を下へと走っていた。関の内部は、風たち軍師と城壁で弓を引いていた兵達の姿であふれていた。流石張遼隊である。彼らは風のように階段を駆け下り、厩からそれぞれ騎馬を出していくと、あっという間に隊列を作る。その馬首が向かうは、虎牢関の扉ではなくその反対側。

 

「だから馬くらい自分で乗れるのです!」

「そんな事はわかってます。そこのお兄さん、お願いしますー」

 

両腕を上げて抗議するねねの両脇に後ろから手を差し込み、一人の部隊長が少女を騎上へと乗せ、自身もその後ろに乗る。風は虎牢関の扉を少しだけ開いて外の状況を確認した。

 

「(つい先ほど恋ちゃんが戻っていましたし………)」

 

果たしてそこには、風の予想通り恋と香を筆頭に、張遼隊の兵の姿しかなかった。それ以外の兵は恋たちが押し返し、また一刀が近づこうとする敵軍を背後から弾き飛ばす。

 

「香ちゃん」

「……風ちゃん?」

 

そんななか、風はその隙間から恋を呼び寄せる。

 

「歩兵の皆さんを中に入れてください。門前は騎兵の皆さんに任せるのです。それが済んだら隊長さんに伝えてください。『おにーさんが残りの騎兵を連れて戻ってくるので、その流れに乗って扉を走り抜け、そのまま長安に向かう様に。長安まではねねちゃんが指揮してくれます』と」

「えぇと、はい、わかりました!」

 

風から指示を受けて騎兵を前に出すと、香は歩兵をどんどん扉の内側へと送る。扉に入った兵士たちも風の指示で自身の馬へと乗っていった。風はすべての兵が馬に乗った事を確認すると、両腕を伸ばして1頭の馬の背にセキトを乗せ、その手綱を手に取る。

 

「なっ、それは霞の馬ではないのですか?」

 

霞とも長い付き合いのねねには、彼女が抱える数頭の名馬の見分けがついていた。先に霞が乗っていった馬がその中で最も速い事は当然なのだが、風がたったいまひく馬も、それに負けず劣らずの名馬である事に変わりはない。

 

「ねねちゃんは忘れたのですかー?一昨日の夜、霞さんが贈り物として香ちゃんにあげたのを」

「………そういえばそうだったのです。まだ乗馬に慣れてないから乗ってなかったのでしたっけ。でも、何故風が?」

「そんなの誰かが連れていかなければ香ちゃんにお渡しできないからに決まってるじゃないですか。ねねちゃんは相変わらずねねちゃんですねー」

 

どういう意味ですかー!と声を荒げるねねの口に、背伸びをして新しい飴を突っ込んで黙らせると、風は馬を連れて虎牢関の外に出る。少し先では恋が方天画戟を振るっている。相手は孫策軍のようだ。

 

「ふ、風ちゃん!?えぇと、外に出てきちゃ危ないですよー!?」

「大丈夫ですよ、香ちゃん。もう終わるところですから」

「………え?」

 

風が指差す先を振り向けば、漆黒の巨馬を先頭に、騎馬軍団がまっすぐこちらへと迫ってきていた。

 

「ほら、香ちゃんも早くお馬さんに乗るのです。では、そこのお兄さんとそこのお兄さん、扉を開け放っちゃってください。扉はそのままでいいですから、上手く流れに乗ってください」

「「御意」」

 

短い返事と共に、2人の兵が馬から降りてその馬を門の端に寄せて扉を開き、再び馬上の兵となる。香も風に煽られ、風を抱いたまま慣れないながらに急いで馬に飛び乗った。

 

「それでは隊長さん達も流れに乗って続いちゃってください。よろしくお願いしますねー」

「「応っ!!」」

 

低いが威勢のいい2人の部隊長の声が響き、門前に構えていた騎兵を左右へと率いて走り出す。

 

「恋、香!道を空けろ!」

 

一刀の声が響き渡ると同時に恋は無言で赤兎を脇に逸らせ、香も慣れないながらに慌てて馬を左に走らせた。そして虎牢関へと騎馬軍団が突入する直前で一刀と黒兎馬だけは右へそれる。

数えきれないほどの馬蹄の音が虎牢関内に響き渡る。虎牢関の反対側にいた騎兵たちは既に走り出しており、一刀が引き連れてきた部隊がそれに続く。最後に、大きく円を描くようにして前線の軍を迂回して左右から合流した部隊が虎牢関の巨大な扉を、土煙と共に駆け抜けて行った。

 

 

 

 

 

 

それはあっという間の出来事であった。一刀が単騎で中央へと突撃して、袁紹軍とぶつかっていた張遼隊をまとめると、そのまま転進、虎牢関へとまっすぐに戻る。恋の部隊と合流するのかと思いきや、その背後にそびえる虎牢関の扉が完全に開き切り、その中へと無数の騎馬が突入していった。

 

「あっはっはっはっは!やるわ、一刀のやつ。あんなカッコえぇ撤退のされ方なんぞ、見たことないで!」

「………ウチの軍にいるくせに容赦ないわね、霞は」

「なんや、桂花は凄い思わへんの?」

「あっという間過ぎて言葉も出ないわよ!なんなのよ、あれ!?」

 

左翼では、その光景に霞が大笑いし、荀彧がねねのように両腕を上げかねない勢いで憤慨している。

 

「打ち合わせでもしていたのですか?」

 

そんな荀彧をよそに、稟が霞に問いかける。霞はいまだお笑いしながらその背中を叩き、答えた。

 

「いんや、してへんで。華雄が退いて、次はウチ。最後に一刀達っちゅー順番は決まっとったが、ウチが降ったおかげで、一刀達の策は台無しや。何だかんだ言うてあいつらにも疲れは溜まっとったし、いい引き際やけどな。せやから、アレは完全に一刀と風が打ち合わせなしで合わせたんやろ」

「なんと息の合ったことか………」

 

背中を叩かれて軽く痛みに顔をしかめながら、稟はずれた眼鏡を直す。

 

「そういや、軍議の時に風が稟の名を言うとった気がするが、会うたことあるんか?」

「会うも何も、風と私は一刀殿たちと共に旅をしていた事もあるのですよ」

「ほかほか。そんな羨ましいなら、ウチと稟も一刀と風みたいに以心伝心の仲になるか?可愛がったるで?」

「ほへっ!?」

 

霞のいきなりの言葉に、稟は顔を真っ赤にする。

 

「そんな、私には華琳様という御方が………いや、でもこれまで閨に呼ばれても体質の所為で何もできませんでした。いっその事、霞殿に慣れてから華琳様のモノになるのも………。霞殿のその慈愛に満ちた胸に顔を埋め、そしてその猫のように悪戯な愛撫で私の、私のっ―――」

「どわわぁぁあっ!?なんで鼻血噴いとんねん!?」

 

稟の妄想癖を知らない霞の言葉に、連合発足以来久しくお目にかかる事のなかった稟の鼻血が弧を描いて血溜まりを作り出す。

 

「ちょっと、そんな趣味はないなんて言ったくせに、私から稟をとらないでよ」

「なんや、孟ちゃん、ヤキモチか?」

「えぇ、そうよ。稟はその鼻血の所為でまだ私も手を出せないんだから、貴女もほどほどにしてね」

 

稟の項を風よろしくとんとんと叩く荀彧を眺めながら、華琳は楽しそうに言う。いや、本当に楽しいのだろう。まさかあのような撤退劇を見せられるなどとは、露にも思わなかったのだから。

 

 

 

 

 

「さて、そろそろ潮時かな………俺達も洛陽へと退かせてもらうよ」

「あら、残念ね。もっと一刀とやり合っていたかったのに」

 

虎牢関の扉の前では、雪蓮と一刀が対峙していた。2人の後ろではその他の軍勢を恋が一人で相手取っており、さらにその後ろではセキトを抱いた風を前に、香が霞から贈られた馬に跨っている。

 

「ま、貴方のおかげで一番乗りの功は貰えるし、楽しかったわよ。こんな茶番でも」

「………頑張れよ」

「貴方も気をつけてね………恋!貴女もそこのちっちゃい娘に一刀をとられないようにね!」

 

一刀と別れの言葉を交わし、恋にも声をかける。

 

「………大丈夫。一刀は恋と風の」

「おぉっ、さすがは恋ちゃんなのです。風は第二夫人でいいですのでー」

「えぇと、えぇと、私はどうすればいいのですか!?」

 

そんな声が後ろから聞こえてくる。

 

「………変に火種を投げ込まないでくれよ」

「あら、恋からも許可貰えてよかったじゃない。ついでにあたしも第三夫人にしてくれるとありがたいわ」

「言ってろ」

 

そんな軽口を最後に、雪蓮は一刀に斬りかかる。演技とはいえ、その太刀筋はするどく、気を抜けばいとも簡単に命を奪ってしまうそれを、一刀はギリギリのところで躱し、後退すると黒兎馬の背に飛び乗った。

 

「恋、香、先に行け。殿は俺が引き受ける」

「ん…」

「はいっ!」

 

一刀の短い言葉にそれぞれ返事をすると、2人は馬首を翻し、虎牢関の扉を走り抜ける。一刀もある程度扉の前に佇んで敵を牽制していたが、しばらくもしないうちに背を向け、開かれた扉の奥へと消えて行った。

 

「行っちゃった、か………さて、虎牢関でも貰いましょうか」

 

一刀の背を見送った雪蓮は、近くの兵に旗を用意させるとそのまま虎牢関の中へと駆けこんだ。数分もしないうちに、虎牢関の城壁にはためく『孫』の旗が、連合軍すべての兵の目に焼き付けられることとなる。

 

 

 


 
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