No.210264

Peter Panは夢の島にて

牙無しさん

無限の組み合わせからなる、無限の可能性。
その全てを知りながら、「かったるい」と一蹴する。
地に足がついていないようで、誰よりも現実を見据えている朝倉純一のキャラクターが好きです。

2011-04-06 12:33:29 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:1286   閲覧ユーザー数:988

 降りしきる桜は今は無き夢の残照。

 たたずむ少女は過去の残り火。

 重なる夢現は終焉。それもまた始まりの呼び水。

 

 だから――

 

 

 ――春になれば、また――

 

 

 

 朝倉純一に寝坊癖が無くなった。

 不名誉なアイデンティティの喪失に目を丸くしたのは本人よりも義妹のほうだった。

 早朝のリビングに彼の姿を見つけるなりやれ槍が降るだの、豚が降るだの、挙句には数年前にやってくるはずだった予言書の中の魔王の名前までを出す始末。当事者の冷静さが異常に感じるほどに騒ぎ立てていた。

 睡眠なんてしたいことが何も無かったからしていたに過ぎない。今となってはもったいない時間の使い方だ。音夢と一緒にいられる時間が減ってしまう。

 嘯いた言葉は、目前の整った顔を真っ赤に染め上げる。本音をいってしまえば、原因は物理的なことだったりするのだが、あえていうほど野暮でもないし、ついでにいえば、先の発言に偽りもなかった。

 

 5月に入ってからというもの、夢を見なくなった。厳密にいえば、「見せられなく」なった。

 自分の意思に関係なく他人の夢を見せられる。

 魔法というよりも、アトピーなんかの病気と同じ部類なのではないかと思われるこの魔法が純一の中から消滅して久しく時間が経った。

 考えれば夢の中でも常時意識は覚醒していたわけだし、能力が発揮している間はエネルギーだって消耗していたわけだ。

 今では時折音夢より早く起きてしまうことがある。限られたごくわずかな休息の中で体力回復する術を、十余年に渡る習慣の中で身につけていたのかもしれない。

 

 だからかもしれない。

 まどろみの中の純一に辞書が降ってくるのは本当に久しぶりのことだった。

 

 

 

 

 初夏の空気が例年と一変して、不快感を増していく温度の中に桜の香りだけが消えた。代わりに青葉の青臭さが鼻を打つ。季節のめぐりが正しい軌道に乗り始めて1ヶ月経とうとしている。

 

「兄さん、大丈夫?」

「心配するぐらいなら朝の行動を改めて欲しいんだが」

 

 覗きこんだ海色を恨めしげに睨み付けると、ばつの悪そうな表情。

 歯切れの悪い言い訳が音夢の口の中で転がっている。

 少し前に当たり前だった風景だったはずなのに。

 懐かしさは突然の痛みに飲み込まれて、ベッドの上でのた打ち回る純一の頭上には愛義妹にして愛しい恋人の胡散臭いくらい綺麗な笑顔があった。

 あったはずの耐性がなくなったからかもしれない。手負いの獣が唸るような鈍い痛みは朝食を済ませて太陽の下に出た今もなお、純一の下腹部に居座り続けている。

 まぁデートの日に寝坊したのは俺だしなと、思いのほか沈み込んでしまった音夢の頭を右手でかき混ぜて、今日はどこ行くんだ? と、気分を改め声を出した。

 考え込む彼女の表情すら楽しんでいるのは本人には内緒のこと。

 

「どこに行くっていう予定は特にないんですけど……」

 

 両親からの仕送りもまだ来ない月末にあまり金はかけられない、とするとウィンドウショッピングか。考えてまた少しげんなりした。

 新しい衣服に目を輝かせる音夢と待ち時間の退屈さを天秤にかければわずかに後者が重い。

 音夢は何か思いついたらしく首をかしげてこちらを見る。

 洗礼された角度で、拒否権を与えない仕草は天然でやっているとしたら性質が悪いことこの上ない。

 

「ちょっと西側まで行きません?」

「西側?」

「そ。歩いていけば何かいろいろあるかもしれない」

 

 西側といわれて思い浮かぶのは腐れ縁達の住処。取り立てて何か娯楽施設があるような場所でもない。

 どちらかといえば文明度はこっちより低めだ。

 いまさら行ったところで何があるとも思えないが。

 音夢を見る。桜を眺めるその横顔に心が溶けた。

 何をするわけでもない。ただ音夢が隣にいるだけで。音夢はそれを望んでいて。

 

「悪くないな」

 

 どちらにしろ、時間は手付かずで丸1日空いているのだ。

 珍しく異論を挟まず純一は承諾した。

 

 

 

 

 

 時間の流れは平等、なんて一般常識。それでも疑問を投げたくなる。

 こんなときだけ走り抜ける太陽に少し文句を言ってもバチはないだろう。

 朱に沈む空で目の前の樹は照りかえっている。

 

「やっぱり、葉っぱもつかないね」

「まぁ、枯れ落ちたわけだからな」

 

 周囲と一線を画する大樹に葉はない。

 散歩デートの最後を飾るには寂しいような気はするが、ここを訪れたのは自然の成り行きだった。どちらが提案したわけでもなく、示し合わせたわけでもなく。

 樹の肌に触れる音夢の横顔は、遠巻きに眺めても憂いを帯びていることがわかる。

 

 兄妹としての始まりを告げた場所

 恋心の起点となった場所

 苦難の完結と再出発の場所

 

 重ねた年数の分だけこの場所に思い入れがある。それは純一も一緒だ。

 

「もう、この樹に花は成らないのかな」

 

 音夢の仰いだ空はもう桃色ではない。

 正しく天空に浮かぶ空は濃紺が朱を呑み始めている。

 それを映す瞳にははっきりと寂しさがある。

 

 

 私は貴方の桜になりたい。

 

 

 いつか見た音夢の詩を思い出す。

 いつまでも寄り添っていたい。枯れない桜のように。

 願いは純粋に、彼女を包み締め上げた。

 それは記憶に新しい過去。忘れてはいけない大切な想い。

 

「そんなことはないだろ」

 

 樹に柔らかに触れ、虚空を見上げる少女。

 その情景に純一は重なる世界を思い出していた。

 確信を持った言葉に音夢は少し驚いた目を向ける。

 

「春になれば、またきっと。な」

 

 そういったのは自分ではない。あの人だ。誰よりも面倒くさがりで優しく、温かい存在。この島を愛し、住民の幸せを願った偉大な魔法使い。

 彼女は嘘を吐くことはあるけれど、気休めはいわない性分だった。

 ゆっくりと音夢に近づいていく。

 

「今日、久しぶりに夢を見たんだ」

 

 隣に立って、樹に触れる。

 音夢は予言めいた兄の言葉を理解できない表情だった。

 澄んだ碧の瞳を真正面から見据える。いつも見てきた、そしていつまでも見つめていたい海の色。

 

「ばあちゃんが出てきた。で、いったんだ。『また春に、会いましょう』って」

 

 我ながら不親切な説明だ。

 それでも、少なくとも自分よりは聡明な恋人が理解してくれる自信があった。

 予想通り音夢は納得した表情で、うん、と声を弾ませる。

 

 

 ふと、純一は考える。

 もしかしたら、自分の存在もあの魔女が創り出した存在なのではないだろうか。

 多くの夢をかなえるために、自分は彼女に使命を託され生み出された。

 「補助輪」と自らを称し、「きっかけを与える者」、「後ろから支える者」として自分が存在していたといっていた。

 与えられた、ピーターパンという配役。

 流れ着く願いの集積所。そこにいた自分に、いくつもの「朝倉純一」が重なっていた。これは確信。

 

――お前は空を飛べなくても、いろいろなものに立ち向かっていった

――そう、そして最後には、みんな巣立っていく

 

 複数形で語る彼女、当たり前のようにそれに答えた自分。

 あのとき全てを理解したのだ。

 

 音夢が持っていた感情や意識の共有も

 さくらの望めば叶う力も

 ことりのテレパシーも

 萌の望んだ夢を見る力も

 環の未来視やアリスが咲かせたロスキルラベンダー、美咲の姿になれた頼子に、霊になってでも触れ合うことのできた香澄。

 

 思い浮かべたのは確かに音夢だ。

 そうである一方で、自分の思考には多くの笑顔があった。

 さくらやことりであったり、美春や眞子もいた。もちろん音夢も。一つとしてかみ合わないまま調和していた。

 

 

 

 サイコロを振ればその直後に世界が6つできるという。選択肢があるたびに世界は枝分かれをする、と杉並が話していたことを思い出す。パラレルワールドの理論。

 いくつもの世界がある。誰かが望んだ分だけ世界は分岐する。

 ありえない。腹を抱えて笑い転げたくなるほど馬鹿げた理屈。それでも納得する自分がいた。

 ここは初音島だ。

 桜が1年中咲き誇る夢の島。

 夢幻の楽園、それゆえに無限の可能性が存在する島。

 

 その世界の一つ一つに自分はいて、あの夢の世界で一度一つになった?

 それじゃ、その先は――?

 

 

「兄さん?」

 

 落ちていた意識が呼び声で急浮上する。

 近すぎる海の色には困惑と心配が見え隠れしていた。

 

「ごめん。ぼーっとしてた」

 

 もう、と声を上げても怒っている風ではないようだった。

 普段なら赤面するこの距離でそれがない。

 腰に手を当る音夢は完全に兄妹のモードに入っている。

 

「暗くなってきたし、そろそろ帰りましょう」

 

 ゆっくりと枯れた「枯れず桜」の離れる音夢の背中を眺める。

 

 夢の叶う島。例えるなら何も書かれていない五線譜だとして。

 願いの数だけ紡がれたメロディがある。世界の数だけ歌われた歌がある。

 その世界について、気にならないわけではない。

 

 一度、花も葉もない枝を仰いで純一は音夢のあとを追った。

 

 仮の話、そうたとえばさくらが、ことりが、美春が、眞子が、萌先輩が。隣を歩いていた世界があるのかもしれない。一人きりで過ごす6月があったかもしれない。

 手から和菓子どころか、指先からレーザーを出したり、あらゆる武器を弄して巨悪と戦う自分がいたかもしれない。

 それでいいと純一は思う。

 それでも結局今ここにいる自分ができることは、朝倉音夢の恋人として生きるだけなのだ。

 

 

 

 季節は巡る。夏がきて、秋、冬を超えればまた春がくる。

 しかしそれは繰り返しを意味する音楽記号などではない。

 同じ春など、二度と来ない。

 同様に二人で創り出すメロディにも繰り返しはないのだ。

 同じに見えることがあろうと、変わりゆくものは確実に存在する。

 いつまでもともに歌っていく。不変の事象はおそらくそれだけ。

 終止符はきっとまだ地平線の彼方だから。

 

 

 

 それに――。

 それ以上のことを考えるなんてこと、純一には「かったる」過ぎることなのだ。

 

 

 純一は見返り、桜の樹木に微笑みかける。

 

 

 

 

 

「また春に、会いましょう」 

 

 

 

 

 

 


 
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