No.207442

真・恋姫†無双~恋と共に~ #46

一郎太さん

#46

2011-03-21 19:18:27 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:19520   閲覧ユーザー数:12006

#46

 

 

戦場における最前線――――――それはもっとも狂気に満ちた場でもあることを意味する。剣や槍、矛や弓矢がぶつかる音が響く中、断末魔の叫びが木霊する。土と汗と、そして血の臭いに溢れ、視界は武器の銀と鎧の黒、土の茶に血の赤で染められる。だが、この時ばかりは状況は一変していた。

断末魔とは違う悲痛の叫び以外の音は消え、嗅覚はその意味を失い、視界は赤一色に染まる。その場にいた多くの者が動きを止めていた。一人がその中心人物に駆け寄る。その人物は走り寄る影に対して得物を振るい、距離を取らせる。

違えてはならない。何が起ころうと、これは戦争なのだ。勝つ為には、そして生き残る為には、たとえ近しい者が傷つき倒れようとも、その動きを止める事などあってはならない。

影は答える。

 

 

 

「何を狼狽えている………これは、戦争だぞ………………」

 

 

 

おぞましい程の殺気が場に広がり、通常なら多くの人々を硬直させるそれは、彼らに動きを取り戻させた。再び戦場は狂気に満ちる。

 

 

 

 

 

 

中央で合流した一刀と華雄は合流し、前線に陣を進める公孫賛と劉備の軍の背を突いた。公孫賛はもちろん、劉備軍の軍師である諸葛亮と鳳統もこれには動揺を隠せないでいる。

 

「あわわ、朱里ちゃん、後ろから敵が来てるよぅ!」

「はわわ、えと、皆さん、陣は崩さないでください!この勢いなら敵はこのまま汜水関まで戻るつもりです!陣の外側に楯を張り、受け流すことだけ考えてください!」

 

瞬時に戦況を把握し、手に持った何かの書を振って的確な指示を出す親友の姿に、慌てるだけであった鳳統も思考を取り戻す。後ろから迫りくる敵が巻き起こす風に帽子を押さえながら、伝令を飛ばした。

 

「あわわ、関羽将軍に伝令ですぅ。敵はこのまま汜水関に戻ります。一度停止して敵を受け流してから再度進軍するように。急いでください!」

 

彼女もまた、優秀な軍師の一人である。いまこの場にいる将軍は関羽しかいない。彼女ならば敵陣の先頭を走るであろう華雄、あるいは一刀に立ち向かうかもしれないが、それでも1対2の状況は避けたい。なれば、いまは趙雲と張飛の帰りを待つ事が優先される。

少女の指示を仰いだ兵は陣の先頭を走る将軍に向けて、全速力で走り出した。

 

「華雄!趙雲と張飛は右翼から戻る最中だ。今は関羽しかいないが、彼女は無視しろ!扉へと駆け抜けるぞ!」

「あぁ!………聞け!もうすぐ扉へと到着する。我らは左右に分かれて最前線の将を避けた後に再度固まり陣を敷く!遅れるな!!」

「「「「「応っ!!」」」」」

 

一刀の指示を受け、華雄もまた的確な判断を下す。一刀は思う。普段は猪なのに、何故こうも変われるのだろうかと。

 

 

 

 

 

最前線―――。

 

 

遠く劉備軍の背後に上がる土煙を確認して、紀霊は小さく安堵の息を吐く。負けることはないが、それでも5対1という状況であり、さらにはその5人全員が各軍選りすぐりの将軍だ。相当の集中力を要する事は変わりない。知らずのうちに、彼女もまた疲労していたという事だろう。

気を抜く事はしなかったが、それに気づかない程度の実力者はこの場にはいない。それを目ざとく見抜いた雪蓮は紀霊に対して声をかけた。

 

「あら、やっぱり疲れてるみたいね。これならそろそろ、と言いたいところだけど………」

「はい、間もなく北郷さんと華雄さんが戻って参ります。私の仕事はそれまでの時間稼ぎ。私の任務は成功です」

「そのようじゃな。悔しいの、策殿。またも一刀にしてやられたわ」

「ホントよね。まぁいいわ。どちらにしろ、本来の目的は一刀と華雄だし、状況的にはこちらの計画通りと思っておくしかないわね」

 

雪蓮は南海覇王を一振りすると、ふっと息を吐く。会話を聞いていた春蘭たちや翠も、一度距離をとって緊張によって凝り固まっていた身体を解した。

 

「そうだな。だが北郷と華雄が来るという事は、他の軍もこぞってこちらに進軍するという事だ。この場は混乱を極めるぞ、姉者」

「なに、最前線が乱れるのはいつもの事ではないか。それでこそ戦というものよ」

 

妹の言葉に、春蘭は豪快に笑う。目の前にいる一人の少女を倒す事は叶わなかったが、長らく願っていた師との勝負が始まるのだ。彼女の頭の中は、既にその事でいっぱいだった。

 

 

 

 

 

数分後、紀霊の言葉の通り、汜水関の前には董卓軍の兵士たちが横陣を敷いていた。中央には槍や剣を構えた兵達が集合し、その後ろには弓兵が得物を構えている。両脇を騎兵隊で固め、徹底守備の構えをとっていた。

そしてその前には3人の将。

 

「よく生き残った、紀霊」

「はい、北郷さんと華雄さんの鍛錬のお蔭です」

「それもお前が耐え抜いたからだ。自信を持て」

「………はいっ!」

 

師との短い遣り取り。しかし、それは衰えかけていた紀霊の集中力を再び高める。

 

「さて、会話もいいがそれは関に戻ってからにしてくれ。これより我々は数倍の敵を真正面から相手にしなければならないのだからな」

 

華雄の言葉に、紀霊は視線を前方に向ける。そこには先ほどまでいた5人に加え、最前線に戻った趙雲と張飛、周泰、新たに参陣した甘寧が並んでいる。その後方には連合軍の各陣が迫りくる中、土煙を上げていた。

 

「さて、北郷よ。お前はどいつとやる?」

「誰でもいいよ。どちらにしろ、可能な限り抑えないと扉も危ないからな」

「そうか、ならば………早い者勝ちだ!!」

 

言うや否や、華雄は斧を振り上げたまま駆け出す。敵からも桃色の髪をたなびかせた武将が飛び出し、右手に持った南海覇王をその斧とぶつけ合う。それを合図にしたかのように他の者たちも飛び出し、また紀霊も駆けだした。

 

「さて、将軍は俺達が相手をするから、お前はそれ以外の相手を頼むな」

 

一刀が軽やかに寄ってきた黒兎に短く言葉をかけると、承知したと言わんばかりに巨馬は鼻息を鳴らし、左翼へ向けてもの凄い速度で駆けていった。

 

「………やっぱり馬の相手の方がいいみたいだな」

 

彼の馬が目指すは馬の牙門旗。黒兎馬もまた、本気で競い合える好敵手に心を躍らせていた。一刀はふっと息を吐くと、前方で9人の武将を相手にする2人の仲間を見やる。太陽はまだ天頂を過ぎたばかり、今日の戦が終わりを迎えるには早すぎる。彼は右手に野太刀を持ったまま左手で逆手に小太刀を抜くと、援軍へと向かう。

当初の予定とはまた違った流れではあるが、連合軍の意図した状況が、いま出来上がりつつあった。

 

 

 

 

 

 

7人の将が3人の将に対してあたり、その外で隙を窺う2人の弓の名手。それらがすべて一般兵、あるいは3人の側だけが将であるのならばあり得る光景であろう。しかし、この場においてはその有り得ない光景が広がっていた。

紀霊が翠の槍を弾いたかと思うと、周泰がその背を狙い、それを一刀が防ぐ隙に秋蘭が矢を射る。華雄が斧の刃でその矢を弾くと、雪蓮と春蘭が彼女を狙い、それを両手に持った日本刀で一刀が防ぎ、彼を狙う祭の弓から紀霊が彼を守る。張飛と趙雲の二方向からの突きを一刀が両手で阻み、華雄が戦斧を叩きつける。

華雄はその大振りの得物で相手を薙ぎ払い、一刀はその速さを活かしてその隙を突き、紀霊がその広い視野で細かな穴を埋めていく。一刀と華雄は言わずもがな、紀霊自身も2人の武器を受け続け、2人が次にどう動くのかをある程度は把握できていた為、2人に助けられる一方で2人をフォローする。

その連携を遠くで見ていた真桜と沙和は目を見合わせる。自分たちの鍛錬が足りない事を再度自覚し、凪を交えてもっと修行を重ねようと誓うのだった。

右翼からその12人の攻防を見ていた孫権もまた、己の弱さを再度自覚する。先ほどは甘寧と周泰に助けられ、さらにはその連携に加わることすら出来なかった。姉や祭など言うまでもない。彼らの戦いは、それを離れて見ていた武将たちに、等しく新たな志を与える。

 

 

 

 

 

連合軍右翼―――。

 

「蓮華様、当初の予定通り、隊を率いて汜水関を目指してください。伝令!先に前線に向かい、甘寧将軍に孫権様の護衛に戻るように伝えろ」

「………………………」

「………蓮華様?」

 

主の妹に言葉をかけ、そして伝令を飛ばした冥琳は、孫権の返事がないことに彼女の顔を覗きこむ。

 

「―――いわね」

「………はい?」

「遠い、わね。みんな………」

「蓮華様………」

 

孫権はその光景を見て、己を顧みる。華雄に言われた、『孫家の姫』と。あの時はその言葉に抗ったが、改めて考えてみると、まさにその通りだ。袁術の命令とはいえ、孫策から離され、そして前線からも外されていた。甘寧と鍛錬を積んできたとはいえ、甘寧がまだまだ自分には甘い事をどこかで理解していた。しかし、そこに甘えていた事もまた事実だ。今日はこれだけやればいいだろう。他の仕事もあるし、政務に響かせてはいけない。無意識の内に様々な理由をこじ付け、己を高める事から逃げていた。その現状に満足していた。だが―――。

 

「すまない、冥琳………続け、孫呉の兵よ!これより我らは汜水関を獲る!死を恐れるな!敵を討ち払い、必ずやその功を我に献上してみせよ!!」

 

応という返事を聞きながら、冥琳は絶句した。これまでの孫権は、確かに主の一人ではあるのだが、それでもどこか妹のようにも思っていた。ゆっくり育てばよい、そう思っていた。その彼女が、こうして最前線に立ち、孫策でも孫家でもなく、孫権自身に命を懸けろと宣言したのだ。それを妹による姉への謀反と思う者はいない。『孫家の姫』から脱却し、新たに羽ばたこうとする姿に、冥琳は感動に打ち震える。

 

 

 

 

 

連合軍左翼―――。

 

「華琳様、当初の予定通り、一刀殿と華雄、そして新しい将は前線で抑えています。今こそ軍を進める好機かと」

「そうね。桂花、伝令を送りなさい。真桜と沙和に最初の命令通り汜水関を目指すように。一刀たちは今は気にしなくていい。貴女たちの為すべきことをしなさい、と」

「御意」

 

左翼では華琳が指示を出す。最初はしてやられたが、こうやって今、己の望む状況が出来上がったのだ。それを利用しない手はない。

 

「桂花と稟も最初の指示通りに隊を指揮しなさい」

 

そしてまた、自身も為すべき事をするべきだと、彼女は理解する。一刀と風の策は一度終端を見せた。一度9人の武将を相手にすれば、そう簡単にその場を離れる事はしないだろう。ならば、汜水関を狙えるのは今しかない。曹操自らも本陣の指揮をとり、軍を進める。戦の激しさは、最高潮に達しようとしていた。

 

 

 

 

 

城壁―――

 

「さて、これからが本番ですねー。皆さん、おにーさんと華雄さんが戻って参りました。再び矢を放ってください。先ほど分けた3つの部隊でそれぞれ左翼と右翼、そして中央に等しくやっちゃいましょう」

「「「「「応っ!!!」」」」」

 

風もまた、状況を俯瞰し、己の出すべき指示を出す。数に巻き込まれてしまえばそれまでだ。可能な限り時間を稼いで扉の前の兵の負担を減らす。ただでさえ両翼を回って疲れている筈である。少女の指示に、すべての矢を注ぎ込まんとばかりに弓兵達は矢を射ていく。それらは放物線を描いて、迫りくる連合軍へと降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

どれほどの間剣戟をぶつけあっただろうか、それは起きた。一刀が春蘭と大剣を防ぎ、華雄が趙雲と翠の槍を弾こうとし、紀霊が張飛の槍を躱し、その崩れた体勢を狙って秋蘭が弓に番えた矢から指を話した瞬間――――――風が吹く。

 

「くっ!?」

 

その風に巻き上げられた土埃が秋蘭の髪で隠れていない方の眼にかかる。不意を突かれたが、彼女の集中力は途切れない。それでも。そう、それでもほんの僅かばかり弓が動いてしまった。一つの標的を狙うだけならば、ほとんどそこに誤差は生まれないだろう。だが、彼女が弓を構えて隙を窺う姿を視界の端に捉えていた紀霊は、その視界が良すぎるが故に、その軌跡を先読みしてしまっていた。

 

「なっ!?」

 

だからこそ、ほんの僅かにずれた軌道に揺らぐ。予想より僅かに三尖刀の外側へと向けられた矢は、その刃の先端に当たり、想定外の方向へと弾かれた。

 

一刀にとって、意図して弾かれたものならばその流れを読むことは可能だ。例え視界の外で起きた事であろうとも。だが、この時ばかりは違っていた。意図せぬ方向に弾かれたそれは、一刀の死角から彼を狙う。

一刀は気づかないまま、眼の前にいる春蘭に集中を向けていた。七星餓狼を弾かれた春蘭がその勢いを利用して剣を振り上げ、一刀に斬りかかったまさにその時、一刀の視界に、矢の穂先が入り込んだ。だが、その距離が近すぎる。

 

「(なっ!秋蘭の矢か!?………考えろ!矢を避けるにもこの体勢だと春蘭の剣を受けちまう…どうする………………っ!!)」

 

一瞬の判断。一刀は、戦においては冷静さを失わないよう努めている。だが、冷静であるが故に、この状況の流れ着く先が必ず傷を負うという事を理解してしまう。春蘭の剣を受けて腕を失うか、それとも顔面に迫る矢を受けるか。彼が優先したのは――――――。

 

 

 

「うぉおおおおおおおおっっ!!」

 

 

 

一刀は吠える。それは気合で双方を躱そうというものではない。数瞬の後に訪れるであろう衝撃と痛みに備えるものだった。肉を突く音が皆の耳に届き、直後、大剣と刀がぶつかる音が響いた。

 

 

 

 

 

 

周囲に沈黙が満ちる。皆が動きを止め、その光景を茫然と眺めていた。ある者は状況を理解できず、ある者は、『天の御遣い』として卓越した武を披露していた者から流れる血に。そしてある者は―――

 

 

 

「………ほん、ごう?」

 

 

 

―――自分が傷を追わせた相手を、信じられないものを見るような目で見ていた。

一刀は苦痛の声を洩らすこともなく春蘭から距離をとる。

 

「……お………お師匠様ぁっ!!」

「来るなっ!!」

 

一刀が動いたことで理解が追いつき、春蘭が七星餓狼を投げ捨てて彼に駆け寄るが、一刀は右手の野太刀を振るう事で彼女を牽制する。

 

「………お師匠、様?」

「何を狼狽えている………これは、戦争だぞ………………」

「でも……でもっ、お師匠様の眼が………」

「戦っているんだ…傷を負う事だってある。それより、理解しているのか、春蘭?」

「え……」

「お前はいま、自分の武器を投げ捨てた。それは、俺に殺してくれと言っているのと同義だぞ」

 

言葉とともに斬りかかってくる一刀の剣を、春蘭はすんでのところで躱す。一刀はまた。遠くで茫然としたままの秋蘭にも声をかける。

 

「なっ!?」

「お前もだ、秋蘭!何を動揺している。お前は俺に初めて傷を負わせたんだぞ?喜びこそすれ、その顔はなんだ!」

「…かず、と?」

「―――その通りよっ!!」

 

叫び声と共に、雪蓮が一刀に斬りかかる。一刀は左目に矢を突き刺したままそれを弾くと、追撃しながらさらに春蘭と秋蘭に言葉を投げつけた。

 

「お前達の主は誰だ!?あの曹孟徳だろう!?彼女の武であるお前達が、味方ではなく敵の傷に狼狽えるとはどういう事かよく考えろ!そして剣を握れ!これは………戦争なんだ」

「流石は『天の御遣い』だ。その胆力、誠に感服致す!」

 

次いで、趙雲も槍を振るう。ようやく状況を理解したのか、華雄と紀霊も動き出す。だが、先ほどまでの覇気がない。前者は苦悩に顔を歪ませ、後者は両目から涙を溢れさせていた。それに合わせて張飛と翠も飛びかかり、祭も矢を放つ。甘寧はいつの間にか姿を消し、自陣へと戻っていた。

剣戟の音が響く中、春蘭と秋蘭だけは、動くことが出来ずにいた。

 

 

 

 

 

 

城壁―――。

 

「程昱様っ!!」

「どうしたのですかー?」

 

慌てた様子で駆け寄る一人の兵に、風はいつもの様子で答えるが、彼の次の言葉で表情を一変させる。

 

「ほ、北郷将軍が傷を負った模様ですっ!!」

「なっ……」

 

その報告に風は咥えていた飴を口から落とし、城壁に駆け寄った。眼下を見下ろせば、いまも将軍どうしの戦いは繰り広げられ、扉の前で陣を敷く華雄隊の兵も迎撃を続けている。だが、様子がおかしい。いくら武人ではない風とはいえ、これまでずっと一刀の武を間近で見ていたのだ。だからこそ気づく。その振るう刀が、どこか心許ない。そして見つけた。彼の左目から飛び出す矢とその羽を。

 

 

 

「銅鑼を鳴らしてください!続けて鐘を!鐘はそのまま皆さんが戻るまで鳴らし続けるように!!」

 

 

 

風にしては珍しく声を荒げる。無理もない。最愛の男がいま重傷を負ったまま闘っているのだ。汜水関の目的は時間稼ぎ。もしかしたら彼はその任務を捨ててまで自分の心配をする少女を叱るかもしれない。いや、きっと叱るだろう。しかし、彼女の頭にそのような不安は微塵もない。あるのはただ、愛しい男の無事を確認したいという願望だけだ。

 

「何をしているのですか!みなさんは矢を撃ち続けてください!今度は下に向かってです!外の兵隊さんが戻るまで時間を稼ぐんです!矢が底を尽きても構いません!!はやくっ!!」

 

近くで茫然と大地を見下ろしていた弓兵たちにも指示を飛ばす。どちらにしろ、一刀が傷を負ったのでは士気が下がる事は目に見えている。ならば、このまま続けるよりも一度退いた方が得策だ。風はそう判断し、城壁の上を端から端まで駆けまわって、弓兵に叱咤を飛ばしていく。

 

 

 

 

 

最前線―――。

 

鐘が鳴り響く。緊急事態の際には銅鑼に続けて鐘を3度鳴らすという取り決めであったが、3度を超えてなり続けるという事は、まさにそれ以上の緊急事態という事だろう。そしてその内容は―――。

紀霊は目の前に立つ雪蓮を牽制しながら一刀と華雄に声をかけた。

 

「北郷さん、華雄さん、鐘です!!戻りましょう!!」

「………ふざけるな、仲間を傷つけられて、そう簡単に退いてたまるかっ!」

「華雄さん!!」

 

その声は華雄には届かない。友を傷つけられ、彼女の頭には血が昇っているようだ。だが、一刀の声は届いた。

 

「華雄………戻るぞ」

「なっ、北郷!?」

「汜水関の軍師は風だ。その風が戻るべきと判断したなら従うしかない」

「しかし―――」

「華雄」

 

その低く重たい言葉に、華雄はつい敵から目を離して一刀を向く。その傷ついていない右眼と視線が重なった。

 

「―――っ!!」

 

その眼を見た途端、華雄は一気に冷静さを取り戻した。

 

「(あの眼………相当苦しいみたいだな。流血はそれほど多くはないが………………)」

 

華雄は目前に立つ張飛を戦斧で弾いて距離をとると、一刀に駆け寄る。近づいて気づいたが、一刀はかなりの汗をかいていた。立っているのもやっとなのかも知れないその姿を見て余計に冷静さを取り戻すと、華雄は視線を敵に向けたまま口を開いた。

 

「………殿は私が受け持つ。紀霊、北郷を連れて汜水関に戻れ!」

「えと、えぇと………はいっ!!」

 

その声色にただならぬものを感じ、紀霊は思わず普段の口癖を出してしまう。彼女もまた、目の前の雪蓮に突きを放って距離をとらせると、一刀と華雄に駆け寄った。

 

「………いけるか、華雄」

「あぁ、任せてくれ………一刀」

「………………………頼んだ。すまないが連れていってくれ、紀霊」

 

彼女から初めてされる呼び方に、一刀は薄く笑う。どういう心変わりか。苦痛の中で一刀が感じたのは、これまで以上の信頼だった。いまは彼女に任せていればいい。理由もなくそう心に思い、一刀は意識を閉ざす。

紀霊は崩れ落ちそうになる一刀を支えると、いまだ涙の滲む眼で一度だけ華雄の顔を仰ぎ、そして背を向けた。

 

「………退かせると思ってるの、華雄?」

「ふん。止めたくば止めて見せろ。今の私は――――――」

 

雪蓮の挑発を華雄は軽く流すと、金剛爆斧を一閃させる。

 

 

 

「――――――呂布より強いぞ」

 

 

 

 

言葉と同時に華雄は飛びかかる。雪蓮を弾き飛ばし、張飛の軽い身体を蛇矛ごと投げ捨て、祭から放たれる矢を素手で掴んだかと思うと投げ返す。次々飛びかかる敵将を振り払うその姿は、言葉の通り、呂布にすら通ずるものがあった。

 

連合軍の武将たちは、傷は負わなかったものの、結局、傷一つつけることなく華雄が汜水関に戻る背を眺めることとなった。汜水関の重たい扉が閉められても、しばらくの間彼女達はそこを動かない。どさりと音がした。皆がその方向を見やれば、春蘭と、そして秋蘭が地に膝を着いている。

今日の戦に勝者はいない。そして敗者も。しかし姉妹の心は、確かに苦痛に満たされていた。

 

 

 

 

 

 

「おにーさん!大丈夫なのですか!?」

「ぅ…風、か?」

 

紀霊が一刀を引き摺って汜水関の中に戻ると、その様子を見ていた風が階段を駆け下りてくるところだった。風の呼びかけに軽く呻きの声を洩らすと、一刀はその頭に手を置く。

 

「………的確な、判断だった。あのまま続けていれば…兵の士気は、いずれ下がっていただろうからな………」

「そんなことはどうでもいいのです!はやく傷の手当を―――」

 

そして一刀の頬を両手で支えてその傷を覗き込もうとした風は気づく。一刀は夥しいほどの汗を流し、その手に触れる頬は灼けるような熱を帯びていることに。だが、一刀はなんでもない事のように、右頬の風の手に自分の右手を添えると、そっとその手を放す。

 

「落ち着け……軍師ならば、何が起きようとも毅然とした態度でいろ。すべての事象は、味方の損害も…俺のこの傷でさえも、自分の策のうちだ、という顔でいろ。俺の………『天の御遣い』の軍師であろうとするなら、なおさらな………」

「………おにーさん」

 

その言葉を受け、風は顔を俯かせる。この男は何を言っているのだろうか。自身が瀕死の重傷を負っているというのに、かける言葉は軍師としての心の在り方を伝える。わかっていた。彼がこのような男だという事は。やるべき事は残っている。ならば、大局を見据え、自身の傷よりも優先すべき事をしろ、と言っているのだ。

風は、肩を震わせる。その眼には涙があふれている。しかし、風はすぐに顔をあげると、両眼に涙を湛えたまま近くの兵に指示を飛ばす。

 

「華雄さんが戻ったら、弓兵の指揮にあたるように伝えてください。城壁の兵隊さん達にもそのまま敵を牽制するようにと。矢が尽きてもかまわないから、今は華雄さんが戻るまで時間を稼ぐようにと、弓隊の隊長さんに指示してください。それから、そこのお兄さん、綺麗な布と、あとお湯を沸かしてください」

 

そこについ先ほどまでの慌てた様子はない。いつものような冷静な口調で指示を飛ばすと、一刀を支える紀霊に向き直る。

 

「紀霊ちゃん、部屋までおにーさんを運んでもらえますか?これから傷の手当をしますのでー」

「はいっ」

 

紀霊もまた、一刀の言葉をしっかりと聞いていた。自分も、いまはこの軍の将の一人なのだ。ならば、先に華雄が見せたように、毅然とした態度でいなければならない。一刀の傷は、ある意味自分の所為でもある。だが、謝る時は今ではない。

まずするべき事は、彼の傷の手当だ。彼女は一刀を支えて近くの部屋に連れて入り、彼を風に任せると、階段へと向かう。風に指示されたわけではない。それでも、その場に将がいるのといないのとでは、隊の士気は大きく違ってくる。華雄が戻るまではまだ時間がある。ならば、それまでの間だけでも、将としての責務を全うしよう。彼女の足取りは強く、一段一段しっかりと踏みしめて階段を上がっていった。

 

 

 

 

 

「おにーさん、まず、その………」

 

一刀を寝台に座らせた風は口籠る。最初にしなければならない事は分かっている。お湯も沸かさせたし、綺麗な布も用意した。血止めの薬もその脇に置いてある。だが、それも所詮は知識により準備したものだ。何よりもまず、するべきは―――。

 

「わかってるよ、風………なんでもいい。何か木切れみたいなものはあるか?」

「はい、竹簡の余りならそこに置いてありますが………」

「取ってくれ」

 

風は言われた通りにその竹簡を一刀に手渡す。一刀はそれを短刀で細長く斬ると、そのうちの1本を手にとる。

 

「風、向こうを向いていてくれ。惨い光景だぞ」

 

一刀の気遣い。しかし風は首を横に振った。

 

「いえ、風はおにーさんの第二夫人です。夫の苦難を共に乗り越えるのが妻の務めです」

「ははっ、その様子だとだいぶ冷静さは取り戻したようだな………じゃぁしっかり見ていてくれ。万が一俺が気を失ったら、どんな事をしてでも叩き起こせ」

「はぃ…」

 

軽く笑って、もう一度風の頭を優しく撫でると、一刀は先ほど切った竹を口に咥えてしっかりと噛み締める。

 

「ふーっ、ふーっ………」

「………」

 

一刀が右手で眼に刺さる矢の枝を掴む。風は一刀の左手にそっと自分の両手を添えると、ぎゅっとその手を握りしめた。2人の眼が合う。一刀が微笑んだ気がした。

 

 

 

「―――ふっ!!」

 

 

 

ブチブチッ、という視神経を引き千切る音が部屋に響く。風は眼を逸らさない。一刀の左手を握ったその手が、もの凄い力で握り返され、痛みに呻きそうになっても、彼女はしっかりと一刀の顔を見据えていた。

ぶわっと、体中の毛穴が開き、すべての穴から汗が噴き出る感触がした。一刀は残った右眼で右手の矢の先に刺さる。先ほどまで身体の一部であった球体を確認すると、今度は湯の張られた桶と布を手にとった。

 

「もう少ししたら風の出番だ。それまでは、そうしていてくれな」

「………はい」

 

風の瞳は再び涙に濡れる。如何に智を持とうとも、自分は医者ではない。下手にいじるよりは、患者本人に任せた方がよい。風は痛みに軋む両手に耐えながら、じっとその様子を見守った。

一刀は湯に布を浸すと、それを左の眼孔にあて、その中に沈める。ひどい頭痛を堪えながら、一刀は一頻りその穴を拭うと、それを引き抜いて床に捨てる。新しく布を湯に浸して、もう一度、今度は頬に流れた血の跡を拭きとった。

 

「ふぅ……待たせたな、風。それじゃ、頼めるか?」

「はい、お任せください」

 

短い返事とともに風は薬を手に取ると、それを一刀の左眼があった場所に塗り込んでいく。次いで、新しい布を適度な大きさに千切ると、それにも薬を塗り込んで一刀の患部に当て、眼帯のように顔に巻きつけた。

 

「………ありがとう、風」

「いえ、この位おにーさんの苦労に比べたらー」

「それでもだよ………さて、そろそろ華雄が戻って来る頃だ。俺達も行こうか」

「おにーさんはあまり動かない方が………」

「心配するな。傷は痛むが、気を失う程ではない。それに、ただでさえ少ない将が一人欠けてるんだ。兵の士気にも関わる。俺が元気な姿を見せないとな」

 

一刀はそう言って立ち上がる。わずかにふらつくが、すぐに持ち直すと、一刀は風を立たせ、少し屈んで彼女に視線の高さを合わせた。

 

「おにーさん………?」

「ありがとうな、風」

 

首を傾げる風に、そっと顔を寄せる。一瞬の触れ合いだが、風は確かに感じた。自分の頬に触れた、熱を帯びた唇の感触を。

 

「な、なっ―――」

「厭だったか?」

 

そう微笑む一刀に、唇が触れた箇所から伝播するように熱が広がり、風の顔は途端に真っ赤に染まる。

 

「………もう一回してください」

「また今度な」

「おにーさんは相変わらず意地悪です」

「………厭だったか?」

 

そんな筈ないじゃないですか。微かに呟いたが、少女の照れた声は一刀の耳にしっかりと届く。一刀はもう一度だけ少女の頭に手をかざすと、扉へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

「敵左翼が近づいています。左翼前線より少し奥に向けて矢を放ってください!その方が矢が無駄にはなりません!!」

 

城壁の上では、紀霊が孤軍奮闘していた。部隊長として、かつては袁術軍の一隊を率いてきた彼女だ。袁術軍といえば、袁紹軍と並びその練度は低いところがあるが、彼女はその若さ故に、愚直にもそれをなんとかしようと奮闘していた。その経験が少なからず活きる。その常人を超える眼で眼下の敵の動き全体を見渡し、どこに狙いを定めるべきかを瞬時に判断する。

 

「中央!公孫賛と劉備の旗へ向かって撃ってください!!」

「―――将としての指揮もなかなかのものじゃないか。なぁ、風?」

「そですねー。一応は袁術さんの軍で部隊長をしていた経験がありますからねー」

 

そんないつも通りの遣り取りに、紀霊はばっと背後を振り返った。そこには左目を白い布で覆った一刀と、その隣に立つ風の姿。

 

「ほ、北郷さん!………えぇと、もう大丈夫なのですか?」

「あぁ、しっかりと指揮をしているようだな。助かったよ」

 

一刀はそう微笑み、紀霊の頭を撫でてやる。途端、紀霊は両眼から涙を零し、一刀に抱き着いた。それを見て、風もいつもの半開きの眼のまま弓兵の指示へ向かう。つい先ほどは自分がいい思いをしたのだ。少しだけ、風の心が広くなっていた。

 

「う、うぅ……うわぁあああっ!かずっ、一刀さん!一刀さぁん!!………ごめんなさい、ごめんなさいぃ………………」

「おいおい、どうして紀霊が謝るんだ?」

「だって、私がちゃんと敵の矢を防げていればこんな事にはならなかったのに………私の所為です………うぇええええん!!」

 

一刀がこうして戻ってきてくれたという安堵と、その一刀を傷つけた責任の一端が自分にあるという呵責の念が混じり合い、紀霊は一刀の胸の中で子供のように泣き喚く。

 

「………さっきも言っただろう。これは戦だ。何が起きるか分かったものじゃない。誰の所為でもないさ」

「でも、でもっ!!」

「大丈夫だ。俺はこうして生きているんだ。命があり、こうして身体が動けばどうとでもなる。だからそんなに泣くんじゃないぞ」

「…はい……はいっ………うわあああん!」

 

困ったなと一刀は頭を掻く。そこに、紀霊の様子を見て弓隊の指揮を代わっていた風が声をかけた。

 

「おやおや、風に続いてこんな幼気な少女を泣かせるなんて、やっぱりおにーさんは大陸一のイジメっ子ですねー」

「俺が泣かせた訳じゃ………」

「黙れ、です。さて、華雄さんも戻ってきたようですし、あとは華雄さんに殴られてきてくださいー」

「酷いな………ってほら、戻ってきた隊を纏めなくちゃいけないし、此処は風に任せて、俺たちは下に戻るぞ、紀霊」

「―――です」

「………………え?」

「私の真名、香です。これからは、その…そうお呼びください………」

「そうか…ありがとう………香」

 

 

どういった心境の変化か、紀霊―――香はその真名を一刀に預ける。そこには、贖罪とはまた違った響きを感じ取り、一刀も素直にそれを受け取った。

 

 

 

 

 

「北郷はいるかぁあっ!!」

 

そんな叫び声と共に華雄は兵たちに突っ込む。彼女の後ろでは、音を立てて汜水関の扉が閉まるところだった。兵達の顔ぶれを見渡し、そこに望む顔が無い事を確認すると、華雄は次いで汜水関の中に入る為の扉に向かう。と、丁度その時、その扉がスッと開いた。そこには香を伴った一刀の姿。

 

「あぁ、華雄お疲れさぶばぁあっ!?」

「歯を食いしばれぇええっ!!」

 

順番逆じゃないか!?その光景を目撃したすべての人物が心の中で突っ込むも、華雄は二度、三度と一刀を殴りつけ、最後にはその身体を強く抱き締めた。

 

「ちょ、華雄、苦しい、死ぬ………」

「うるさいっ!あんな矢如きに傷なんぞ負いおって!!お前なんか、お前なんか……一刀ぉ………」

 

そして段々と大きくなる彼女のすすり泣く声。普段の気丈な将軍の姿に見慣れている兵も、こればかりは口を噤む。天水から華雄に仕えてきた者の中には、涙を流す者もいた。敬愛する男が生きて戻り、そしてこうして再び自分たちの前に姿を現したのだから。

 

「………重傷の人間に向かって流石に殴るのはよくないだろう。あー、奥歯ガタガタだよ」

「うううるさい!心配かけるお前が悪いのだ!!………怪我は大丈夫か?」

「あぁ、多少は痛むが問題ない。あとで鍛錬に付き合ってくれ。距離感を把握しておきたい」

「もちろんだ」

「それから――――――」

「………?」

 

一刀は華雄に歩み寄り、その身体を優しく抱き締めた。

 

「なっ、ななななっ!!」

「ありがとうな、華雄。君のおかげでこうやって戻る事が出来た。それと………これからも名の方で呼んでくれよ」

「………………お安い御用だ、一刀」

 

そう呟き、華雄もまた、彼の身体を抱き締め返した。

 

 

 

 

 

その後、香が華雄にも真名を預け、3人は損害の把握に努める。

 

「俺の方は500が殺られた。軽重合わせて、負傷者は1000人くらいだ。そっちはどうだ、華雄?」

「あぁ、こちらは戻っていないのは800ほど、傷を負っているのは同じ1000ほどだ」

「そうか………」

 

董卓軍の総兵力は5万。うち1万は新都・長安の警護や治安統制へと向かい、虎牢関に3万、残りの1万がここ汜水関へと出陣していた。初日の被害も合わせれば死者はおよそ2000。一刀や華雄、そして香の活躍により董卓軍が優勢に見えてはいるが、それでも実質の被害は2割に届く。

 

「この数で最低でもあと2日か………」

「あぁ。だが、その判断は風に任せよう。霞からの情報も待つ必要があるしな。予定よりも早く遷都が終わっているのなら、虎牢関に退くことも考えるぞ」

「わかった」

 

華雄と一刀が話し合っていると、これまで黙って2人の会話を聞いていた香が手を上げた。

 

「なんだ?」

「えぇと、私はまだ聞いていないのですが、董卓軍の策の本筋ってどのようなものなんですか?できれば教えて頂きたいのですが………」

「そう言えば鍛錬ばかりで話してはいなかったな………まぁ、私では上手く説明できる自信がないから、一刀が伝えてくれ」

 

華雄はそう言って立ち上がり、負傷者と彼らの手当てをする兵の集まりへと向かう。被害の程はわからないが、重傷の兵が多ければそれだけ撤退の可能性も高くなる。彼女はその把握へと動いた。

そんな難しいとは思わないけどな。一刀はそう呟きながらも香に向き直る。

 

「そうだな…その様子ならわかっているとは思うが、世に流れる噂は偽りだ。むしろ、董卓が洛陽に入城してから街の統治は善くなっていると言える」

「はい。一刀さんや風ちゃん達が言うのなら、私はそれを信じます」

「ありがとう。それで、この作戦のおおまかな流れだが、連合軍を追い返す事ではない」

「えぇと、それってどういう………?」

「そもそもそのつもりなら、俺が初日に連合軍の将軍たちを倒しているはずだろう?」

「………確かに」

 

なんてことはないと言うように述べる一刀に、香は改めて彼の武を思い出す。確かに、彼ならばそれも可能のように思える。今日みたいに将軍たちが連携をとっていれば難しいが、初日のような奇襲であれば、それも可能だった筈だ。

 

「という訳で、連合軍を洛陽まで呼び込み、街の様子をその眼で確かめさせる」

「しかし、それでは余計恨みを買うのでは?」

「さっき遷都、って言っただろう?劉協の許可も得て、いま洛陽から長安へと首都機能を移している最中だ。恋と霞………汜水関にいない将がその警護任務にあたっている」

「なるほど。だから時間稼ぎなのですね」

「あぁ。連合軍は、俺たちが連合の兵糧切れを待っていると考えているだろうが、実際はそうではない。仮に追い返す事が出来たとしても、再び攻め込まれれば事態は何も変わらない。結局は戦の繰り返しだよ。

だから、俺達の主・董卓は連合を洛陽に招き入れる事を方針とした。ただ、香が言ったように恨みを買う可能性もあるから、それも踏まえて都を長安へと移す事にしたんだ」

「………そういう事ですか」

 

一刀の説明に、香がうんうんと頷くたびに、頭の後ろで結わえられた黒髪が揺れる。

 

「何か質問は?」

「………これは、今の話とは関係ないんですが、一刀さんは私を董卓軍ではなく副官として引き抜いた、と仰ってました。一刀さんは董卓軍に属してはいないのですか?」

「あぁ、それに関してはまた時機が来たら話すさ。いまは俺達と一緒に戦ってくれるのであれば、それで十分だ」

「はぁ…」

 

あからさまに誤魔化されたが、香はそれ以上追及する事をしない。自分を鍛えたように、何か考えがあるのだ。それを教えてくれない事は経験から知っていた。どちらにしろやるべき事は分かったと、彼女は立ち上がる。

 

「それでは、私も華雄さんの手伝いに行ってきます。一刀さんは怪我をしているんですから大人しく休んでください………って言っても、どうせ一刀さんの事だから色々と動くのでしょうけど」

 

香は悪戯っぽく笑うと、部屋を出ていった。言葉の通り華雄の手伝いに向かったのだろう。一刀もまた、頭をぽりぽりと掻きながらゆっくりと立ち上がる。それでも再び立ちくらみが襲ってくるが、気にする程ではない。視界の端が僅かに暗むが、彼は別段気にかけることもなく部屋を出て行った。

やるべき事はまだある。とりあえずは、城壁の風の様子でも見ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

「――――――と、こちらの被害はいま言った通りだ。どうする?」

「………そですねー」

 

一刀から説明を受け、風は思案する。その口には新しい飴が咥えられていた。しばらく考えた後、風は再び口を開く。

 

「あと1日は様子を見ましょう。袁紹さんや袁術さんはわかりませんが、華琳さんに孫策さん、それに馬超さんや劉備さん達は少なからず動揺しているでしょうねー、おにーさんの負傷によって」

「………そうかなぁ」

「まぁ、華琳さんならこれを好機と汜水関を攻めるか、あるいはおにーさんを手に入れようとするでしょう。ただ、それでも今回はあちらにも被害を大きく与える事ができました。さすが華雄さんの隊といったところですか」

「そうだな」

 

関から距離をとった連合軍を2人は遠く見やる。陽は既に傾き、大地と、そして汜水関は朱に染まっていた。どちらにしろ、夜襲はないだろうと風は断言する。

 

「という訳で、連合さんはまた軍議を開いて話し合いをするとは思いますが、こちらの策が成功したので、向こうの話し合いは混乱するでしょう。おにーさんは確かに重傷を負いましたが、死んだ訳ではありません。『天の御遣い』として多大な損害を与えてきたおにーさんが、果たしてそのまま大人しく休むのだろうか。それともその傷をおして再び出てくるのか。

あるいは、香ちゃんのように、新たな将が現れる可能性。今回はこちらも軍を出したので、誰かを引き抜いたとしても隠す事はできます。将軍を引き抜いたとあればすぐにでも気づきますが、部隊長ならばその可能性もあると考えられるでしょう。どこかの軍の部隊長がいなくなれば、それがたとえ戦死していたとしても、これだけの骸の中から見つける事は難しいです。前例がある以上、可能性は捨てきれない。軍議は平行線を辿るものと思われます」

「ふむ…」

「一番いいのは霞さんから連絡が来る事ですがねー」

 

と、風は呑気に咥えた飴を舐める。2人がそうしてしばらくの間城壁の上を流れる風に身を任せていると、一人の兵が城内からの扉を開けて駆け寄ってきた。

 

「どうしたんですかー?」

「失礼します!虎牢関の張遼将軍より竹簡が届きました」

 

その報告に2人は顔を見合わせる。風がそれを受け取って中身を確認すると、ほくそ笑んだ。

 

「流石ですねー」

「なんて書いてあるんだ?」

「遷都完了の報告と、霞さんの隊が虎牢関に到着したとの言葉です。あと―――」

「あと?」

「―――恋ちゃんが寂しさを紛らわすように食べ続けるから、兵糧が尽きないか心配だ。早く退くように、ともありますねー」

「………………今回一番の敵かもな」

「考えたら風たちが洛陽を発ってここに来るまでにも日にちは経過してますし、それから考えれば遷都も意外と早く済みますねー」

「そう言えばそうだな………さて、我が軍師よ」

「なんでしょー?」

 

 

 

風から受けとった竹簡で再度内容を確認すると、一刀は風にニヤリと笑いかける。

 

 

 

「明日の我らの動きを聞こうではないか」

 

 

 

 


 
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