No.205111

『舞い踊る季節の中で』 第111話

うたまるさん

『真・恋姫無双』明命√の二次創作のSSです。

 孫呉を守るために、家族を守るために、一刀が動き出す。
 一刀の想いを知る明命は、辛くても一刀を見守り支え続ける。
 一刀の想いを理解する詠は、それ故に必死に立ち向かう。

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2011-03-05 21:25:54 投稿 / 全16ページ    総閲覧数:16907   閲覧ユーザー数:10771

真・恋姫無双 二次創作小説 明命√

『 舞い踊る季節の中で 』 -群雄割拠編-

   第百十一話 ~ 闇夜に青龍堕ちしも、月光の下その魂は空高く舞い上がらん ~

 

 

(はじめに)

 キャラ崩壊や、セリフ間違いや、設定の違い、誤字脱字があると思いますが、温かい目で読んで下さると助

 かります。

 この話の一刀はチート性能です。 オリキャラがあります。 どうぞよろしくお願いします。

 

北郷一刀:

     姓 :北郷    名 :一刀   字 :なし    真名:なし(敢えて言うなら"一刀")

     武器:鉄扇(二つの鉄扇には、それぞれ"虚空"、"無風"と書かれている) & 普通の扇

       :鋼線(特殊繊維製)と対刃手袋(ただし曹魏との防衛戦で予備の糸を僅かに残して破損)

   習得技術:家事全般、舞踊(裏舞踊含む)、意匠を凝らした服の制作、天使の微笑み(本人は無自覚)

        気配り(乙女心以外)、超鈍感(乙女心に対してのみ)、食医、太鼓、

        神の手のマッサージ(若い女性は危険です)、メイクアップアーティスト並みの化粧技術、

        

  (今後順次公開)

 

 

 

一刀視点:

 

 

 荊州の江陵の街。 かつて劉表が治めていた土地で、劉表亡き後強力な指導者が居ないまま、その一部を孫呉が吸収する形でその領土の一部を奪い取った訳だが。 難民を引き連れた劉備軍に随行する事になった俺達は、この街に物資の補給を行うために立ち寄っている。

 もっとも補給と言っても、此処で本国からの輜重隊と落ち合う予定と言うだけだ。

 孫呉の支配下にある街とは言え。 いきなり五万を超える人間の糧食などの補給を出させる事は、出来ない事では無いが今後の事を考えるとあまりよろしくない。

 そんな訳で、殆どの人間を街からやや離れた場所で陣を張り。 俺や明命と桃香達と極一部の人間のみが街に入り、この街の県長であり祭さんの知り合いである韓当さんの屋敷にお世話になっている。

 

 この街について二日。 予定よりやや早めに着いた事で、この際桃香達が引き連れた民や兵達には、身体を休めて貰うつもりだ。 此処までの長い道のりと言うのもあるが、袁紹軍からの攻撃を受けながらと言う逃走劇は、精神的にも肉体的にもかなり疲労が溜まっている。

 旅の行程で緊張の糸を解くのは良くない事も多いが、これから先の長い道のりや益州攻略と言う事を考えたら、一度ここで体を休ませた方が良いと言う俺の考えを、桃香達は同じように考えていたのだろう。 あっさりと受け入れてくれた。

 

 劉備軍の……いや、桃香達の歪な関係は、袁紹軍との防衛戦と軍議の場を見て直ぐに分かった。

 ただ、それを形作っている原因を探っていたのだが、やはり原因の中心となるのは武神と名高い関羽に在ると分かった。

 無論彼女だけが悪い訳では無いし、彼女自身が悪いと言う訳では無い。

 彼女はただ一生懸命なだけ。 己が信じた主君と、その主君が信じる理想と志しを守り支えるために。

 桃香自身に秀でた武も智も無い処か、王として己が身を守るだけの物を持っていない故に。

 別に桃香その在り方を否定する気は無い。 彼女は彼女なりの民を想い理想を持っているし、やり方どうこうの問題はあるが、その志し自体は間違えたものでは無い。

 何より王自身が力を持っている事に越した事は無いが、力を持っている必要性と言うのは、周りが優秀であればはっきり言って無くても問題はない。

 こう言った考えは蓮華達に言えば怒るだろうけど、肝心なのは周りの者を引き付け、それを御するだけのモノを持っていれば良いだけの事。 臣下からしたら御させてくれるだけのモノを持っていれば良いだけの事

 

 そう言う意味では、桃香はまだまだ力が足りない所はあるものの、その素質は十分にあると言える。

 関羽、張飛、趙雲、諸葛亮に鳳統、そして公孫賛。 いづれも俺の世界では後世にまで名を連ねる程の英傑達。 そんな彼女達が劉備を慕い。 こうして寄り添っている事自体がその証と言える。

 問題になっているのは、関羽がその使命感のあまりに、周りが見えなくなっている事。 そしてそれを正面切って言う事の出来る人間がいない事だ。 言っている事が正論なだけに思いっきりぶつかれないと言うのが本当の所なんだろうな。

 思春もそう言う所は多少あるが、彼女の場合は周りにそれを正してくれる人間が多くいるが、関羽にはそれがいない所か軍部の総責任者。 つまり事実上桃香に次ぐ地位にあるわけだ。

 まともな人間ならば本気でぶつかる事などできないだろう。 それこそ国を揺るがしかねないからね。

 だけどその歪な関係も、数日前の詠の命がけの英断により急速に修復されているかのように見える。

 その内部に問題を抱えたままに……。

 

「こればかりは詠では無理かな……」

 

 その呟きと共に俺は顔を上げる。

 此処は庭の一角にある東屋。 隣には明命が心配そうに俺を見守ってくれた視線を庭の一角に向けた先には……。

 

「疲れは少しは取れたかい」

「はい、久しぶりにお風呂まで入れたので、もう大丈夫です」

 

 俺の挨拶代わりの呼び掛けに応える桃香や、その後ろに付き従う様について来ている関羽を初めとする一行は、桃香の言葉を証明するように、昨日に比べて明らかに顔色が良くなっている。 ……もっとも、疲れが全て取れたと言う訳ではなさそうだけどね。

 俺は一度席を立ち彼女等に席を進め、御茶を淹れる。

 茶葉としてはかなり上等な物で、きっと此処の県長として俺達に気を使ったのだろう。

 芳醇な香りと共に茶器を満たして行く紅茶は、とても濃厚な色でありながらも宝石のように澄んだ色をしており、漂う香りだけでも御茶好きの者にとっては夢心地にさせる程の物。

 紅茶の一滴は血の一滴と言う言葉がある様に、きっとこれだけの茶葉となると、同じ量の金より高価な物になるに違いない。

 

 県長である韓当さんの心遣いは嬉しいけど、今度からはごく普通の御茶をと言っておかないとな。 御茶は好きだけど、其処までの物を求める気ははっきり言ってない。

 御茶と言うのは高価ではあるけど、本来は気軽に楽しむためのもので、それが場を主張する様なものではいけないんだ。 だから…。

 

「一度あっちに戻ったんだろ? とりあえず喉を潤してから話を始めようか」

 

 そう言って、俺は侍女の身に宿した月や詠にもお茶を淹れる。 今此処に居るのは侍女ではなく、董卓と賈駆であるべきだと言わんばかりに。

 

「うむ、せっかく喉を潤すのならば、酒・」

「星っ!」

「と言いたい所だが、昼間から酒を飲む訳には行かんようなのでな。 北郷殿の茶を相伴する事にしよう」

 

 星の場を寛げようとする冗談?に、眦を上げて声を上げる関羽。 だけど、その表情は数日前に比べ、明らかに穏やかな表情。 まるで困った姉や妹を見る様な温かい呆れる様な眼差し。

 そしてそれに釣られるように、笑顔と小さく笑い声が広がって行く。 そんな小さな事でも彼女達の中で何かが変わった事を実感できる。

 そして、まったくと言って、ブツブツ言いながら茶を飲む関羽を、面白そうに見守るのは張飛以外の面々。

 

「………こ、これは」

「ん?どうした愛紗よ。 その様な惚けた顔をして。 くくっ」

「何とでも言えっ。 しかし話には聞いていたがこれ程とは…。 北郷殿、本当にこれはお茶なのですか?」

「ああ、ここの県長の御好意でかなり高価な茶葉ではあるけどね」

「成程。 だからか」

 

 関羽の反応をからかうつもりでいた星は、関羽のからかい甲斐の無い反応につまらんと呟きながら、俺の淹れたお茶を楽しんでくれる。

 張飛は張飛で、お茶よりも目の前にあるお菓子の方が良いらしく。 両手に焼き菓子を掴んで口いっぱいに美味しそうに頬張っている。

 うん、それだけ純真にお菓子を楽しんでくれると作った甲斐もあると言うもの。 彼女の微笑ましい姿を片目に俺も御茶を楽しむ事にする。

 

 

 

 

 茶の場において交わされる会話は、温かな日差しとは裏腹に他愛無い確認事項で、民や兵の現状や不足が確認されてきている物資などの報告。 ……そして此れからの事になろうとした時、俺は敢えて音を立てて茶器を机に置く。

 今まで俺は軍議の場で敢えて大した発言はしてこなかった。

 それは俺自身情報が少なかったのと、彼女達を見極めたかったと言うのもあるが、本当の理由は別にある。

 そんな俺の行動を劉備軍の頭脳陣である朱里達は、その時期では無いと見てくれていたようだが、この街に立ち寄って落ち着いた時間を取れる様になった今、本格的に参加するように促してきたのだ。

 その意見には俺も賛成だ。

 信頼を得るには、何らかの切っ掛けがあるか、時間を掛けて話し合って行くしかない。

 そして、彼女達の問題の一つが消えようとしつつある今が、その時なのだと言う事も。

 この機会を見逃せば俺は発言権を失い、関係は悪化する可能性が出てくる。

 ……でも、その前にやる事がある。 やらないといけない事がある。

 

「此れからの話をする前に、一つ簡単な遊戯をしよう」

「遊戯ですか?」

「北郷殿。幾ら補給を待つために待機しているとはいえ、そのような事をする時間も付き合う義理もありません。 今は我等の未来を掴みとるための大切な時間です」

 

 首を傾げる桃香に、ごく当たり前の正論で、巫山戯た事を言わず話を勧めましょうと促してくる関羽。

 うん、その意見にはもっともだ。 でもだからこそなんだよ。 だから俺は関羽の言葉を無視して。俺は用意しておいた、百合の花を一輪桃香に手渡す。

 害意は無い事を示すように、彼女と百合の花の美しさに敬意を払う様に、精一杯の笑顔でもって彼女に目の前に、真っ直ぐと一輪の百合の花を伸ばす。

 たしか百合の花言葉は威厳、純潔、無垢だったかな。 ある意味彼女に相応しい花だけど深い意味はない。

 庭先に咲いていた華を、庭師に一言断わりを入れて手折って来たに過ぎないのだが………あの桃香、なんで顔を赤く染めるんでしょうか? それに明命、目が怖いよ。

 取り敢えずその事に触れるのは、とてもよくない事を引き起こすと本能が訴えかけるので、俺は背中に冷や汗を垂らしながら見なかった事にし。

 

「内容としては簡単な物で、四半刻の間、桃香がその花を守りきれば君達の勝ち。 俺の権限でもって、君達への貸しは無かった事にしてあげる。 それくらいの貸しは蓮華達に貸しているからね」

 

 俺の言葉に、目を見開いて驚く彼女達。

 驚くのは無理もない。 今回劉備達が借りる物資の量はそれだけに膨大で。 例え王である蓮華であっても、それだけの事を勝手に決める事は出来ない。

 だけど俺の齎した天の知識は、それくらいの恩恵を与えようとしているし、その実験結果も幾つか出てきている。 なにより、総都督である冥琳には、それとなく取引の材料にする事の許可は貰っている。 もっともこう言う使い方をされるとは思っていないだろうけどね。

 これで桃香達は話を聞かない訳には行かない。 彼女達の誇り高さからして、貸しそのものを失くす気は無いだろうけど、それでも民への負担を減らす事が出来る事に違いないからだ。

 

「此方が負けた場合の条件はなんですか?」

 

 むろん、それであっさり此方の話に乗ってくれる事はありえない。

 桃香が此方の思惑を計ろうと、自分達が抱えるかもしれない危惧を真っ直ぐな瞳で聞いてくる。 美味い話には裏があると思うのは当然の事。 その辺りを警戒しつつも、無茶な話なら乗れないと牽制してくるあたりは、流石に鍛えられてきているなと思うが。

 

「特にないよ。言ったろ遊戯だってね。 敢えて言うならば、参加する事が条件かな」

 

 彼女達が警戒するような物を求める気は更々無い。……と言っても、これでは警戒せざる得ないだろうし、あまりにも不平等な賭けは彼女達の誇りを傷つける。 王として、民を導くものとしての彼女達の誇りを。

 だから……。

 

「かと言ってそれではそっちが納得できないだろうから、……そうだね。無事益州を治める事が出来たら、塩を呉のある商会から優先的に買ってくれればいいよ。 どうせ岩塩だけでは供給が追い付かないだろうしね」

 

 俺の言葉に自分では判断できる情報が無いと判断したのか、桃香は朱里にその視線をやる。 その朱里は、翡翠と同じ紫掛った深紅の瞳を、これまた翡翠に似た静かな眼差しでもって、俺の思惑を計ろうと俺を見続けていたが。

 

「相場を無視した価格で無ければ構わないと思います。 その事で孫呉に莫大な利益を与える事になりますが、海に接していない益州では、どちらにしろ塩は必要なものですし、長期的に見れば幾らか借りを返す事にもなります」

 

 やがて笑顔でもって、そう答えてみせる。

 此方に対して牽制をするだけではなく、自分達が有利になる事項を盛り込ませながら、俺に確認を取るように。 自分から言い出した事を、これくらいの条件が上乗せされたくらいで取り消しはしないでしょ。とね。……成程、あの姉にしてこの妹ありか。

 元々敗北条件の筈なのに、自分達にとって利を混ぜてみせる強かさ。 しかもそれを笑顔でやって見せる。 ……どうやら、少し彼女に対する認識を改めないといけないな。 洛陽で見せた剃刀のように切れるが、その反面ガラスのような脆さを持つ印象はもうないと思った方が良い。

 俺の目の前に居るのは性別こそ違えど、俺の世界で歴史に名を残したあの諸葛孔明と言う事を。

 過大評価も、過小評価もする事は危険な相手だと言う事を。

 ……だけど、まだ甘い。 経験が不足しているよ。 それくらいの事は現代では当たり前の事だからね。

 俺は北郷流の後継者と言う事で幾らか、それらの事を学び経験もさせられてきたけど、今の彼女に求めるのは無理と言うもの。

 現代で言う当たり前と言うのは歴史の積み重ねだ。 先人達が多くの失敗や経験から培ってきた英知。 そんな物を幾ら才能豊かで、天才だと謳われていようと、千八百年前の世界の学生上がりでしかない今の彼女に現代の常識を求める方がおかしい。 

 だけど、それではこの先は生き残れやしない。

 ………けど。

 

「あくまで優先と言うだけならボクも賛成ね。 仕入れ先を一カ所に絞ってしまうのは、国の発展の障害になりかねないから、他の流入路も確保したままにになるけど、それくらいは構わないでしょ? 商業が発展しなければ、無い袖は振れない事になるもの」

「ああ、それで構わない」

 

 詠が、朱里の取りこぼした物をすかさず掬い上げる。

 天水と洛陽で先人から引き継いだ知識と教えが…。

 多くの同胞の血と涙を流して培った数々の経験が…。

 もっともらしい言葉で、朱里以上に此方へと踏み込んで見せる。

 彼女の嫌味にならない強気な態度と口調に、俺は嬉しくて自然と口の端が上がってしまう。

 それで良い。 詠は二人に足りない物を、そうやって後ろで支えてやってくれれば良い。

 君ならば朱里と雛里を支えてやれる。 鍛えてやれる。 呉で言う翡翠のように、……そしておそらく七乃のようにね。

 そしてもう一人、埋もれたままでいる彼女を、詠ならばその才を引き上げてくれるだろう。

 

 

 

 

「場所は屋敷の敷地内と限らせてもらうけど。 彼女、周泰が庭の端まで行った時を始まりとさせてもらう」

「まるで鬼ごっこなのだ」

「鈴々、これは遊戯とは言え遊びでは無い。 民の暮らしが掛かっていると言う事を忘れるなよ」

「大丈夫なのだ。 鈴々は遊びならば誰にも負けないのだ」

「愛紗よ。 そんな眉間に皺を寄せては、思考が固まってしまうぞ。 おそらく北郷殿はこうして、我等を解してくれようとしておるのだろう」

「そんな事は分かっている。 だが例え遊びと言えど、負ける訳には行かないし、我等の面子も掛かっていると私は言っているのだ」

「やれやれ、愛紗は相変わらず頭が堅いのぉ。

 ……で北郷殿、お主達は本当に二人で良いのか? 確かにあの者はこの手の事に秀でているように見えるが、我等とて少しは名を知られた自負があるのだぞ」

 

 俺の言葉にそれぞれ燥ぎ。 最後に星が確認のために聞いてくる。

 彼女達はこの遊戯の目的の半分は理解している事に、先日の詠の頑張りが彼女達の心を此処まで成長させたんだと分かり、詠に感謝の言葉を心の中で呟く。

 そしても半分が予想通りであった事に、俺は星の言葉には答えずに苦笑を浮かべる。

 視線の先には、明命が庭の先に付いた事を知らせるように、俺に手を振ってくれる。

 俺を心配する瞳で……。

 

「その様子じゃ。 月と詠は何も話さなかったようだね」

「みんな、そいつから離れてっ!」

 

 俺の言葉に、詠の叫び声が庭に広がる。

 一瞬で俺の狙いに気が付いた詠も流石だけど、流石は世界は違えど伝説と化した英傑達。

 詠の言葉に瞬時に戦闘態勢にその意識を持って行く彼女等も流石と感心させられる。 だけど、その顔に浮かぶはのは困惑。

 詠の警告の言葉の意図が分からずに、関羽は眉を顰めてはいるが、其処は幾多の戦場を括り抜けた経験か、詠の警告に通りに、その偃月刀でもって不可侵の領域を作ってみせる。

 張飛は詠の言葉に、俺が変わった事をやるのだろうと思ったのかワクワクと言った感じで、その目をキラキラと輝かせており。

 星は反射的と言うよりも詠の本気の警告によってなのだろう。 一瞬で二人より後ろで跳び下がったものの、二人がいる事から安心したのか、その視線を僅かに詠の方に向ける。

 少し離れた所にいる詠に。 そして其処に居る桃香、月、朱里と雛里、そして公孫賛に……。

 

 流石、俺の世界と違い洛陽の民に慕われた董卓と賈駆と言った所かな。

 きっと月と詠は洛陽の件で恩義を感じ、そしてその高潔な誇りが故に、今まで俺の事を黙っていたのだと思う。 そして今回の事も今までのように奇策でもって、何か仕掛けてくると思っていたのだろう。

 だけど俺の発した僅かな言葉で俺の狙いを読み取り、最速で最短の言葉でもってそれを仲間に知らせた。

 ……悲しいけど、それでは無理なんだよ。

 それで通じるようなら、俺はこんな馬鹿げた遊戯を持ちかけなかったし、そもそも今のような事態を生み出さなかっただろう。

 

「もうとっくに始まってるよ」

 

 関羽に向けていた足から力を失くす事で、姿勢を崩す事無く重心を移動させていた俺は、言葉と共に進行方向へと地を蹴る。

 地を蹴る力は僅かな物だけど、重心を既に移動し終えていた身体は、それだけで普通に駆けるのと変わらない速度が出る。

 この世界の武将達の突進力に比べたら、なんて事のない速度。

 だけど起こりの見えない突進は、そのなんて事のない速度を必要以上に速く見せる。

 

「なっ、舐めるなっ!」

 

 俺の行動に驚きの声を上げつつも、彼女の不可侵の領域に不用意に踏み入った俺を、青龍偃月刀の石突の方で打ち払ってくる。

 彼女にしたらなんて事のない一撃。 ただの警告染みた物なのだろう。 だけどその一撃は俺からしたらそんな程度の物では無い。

 彼女達武将の放つ一撃は、並み兵士では受け止める事も出来ない……、否、例え受け止めたとしても、その細腕が繰り出したとは思えない力は、大の男の二~三人など、まるで居ようが居まいが関係無しに振るわれ。 受け止めた兵士は、抵抗した事で僅かに命を伸ばす者の、その分、命尽きるその時まで地獄の苦しみを味わう事になる。

 彼女程の腕ならば、咄嗟にはずす事も寸前の所で止めする事も出来るのだと思う。

 だけど、俺の重心の起伏の無い歩方は、其処からどんな動きにも対応できる。

 空気を斬り裂き、在り得ない呻り声を空気にあげさせながら迫る一撃であろうと、それは読めていた一撃。 そんな分かりきっていた一撃を、避わす事くらいはね。

 

「っ!」

 

 顔を、上半身をまるで空間に張り付けたかのようにその場に残し、背筋を限界まで逸らした俺の鼻先3センチの所を偃月刀の柄が通り過ぎる。

 彼女の矛が斬り裂いた空気が俺の身体を打つが、その時には俺は上半身と共に残していた手で反動をつけるかのようにして、身体を起こす。 その手に広げた鉄扇を持ちながら。

 

ふぁさっ

 

 鉄扇は関羽を襲う事なく、俺と彼女の間をその重量を忘れたかのように舞う。

 実際は広げた鉄扇が、要を中心にその場で回っているだけの事。 俺が起こした身体の勢いのままに、彼女との間に残すように舞わしただけに過ぎない。

 その鉄扇は目晦ましに過ぎず、俺の身体はギリギリまで腰を低くして、片足と片手を軸に彼女の足を払い上げる。

 払うのではなく、払い上げられた事によって、彼女は自ら振るった矛の勢いもあって、彼女の身体は宙に浮く。

 だけど流石関羽。 そんな不自然な姿勢でも其処から偃月刀を振るいに来るが。

 

クンッ

 

 そう来ると思って予め彼女の体に巻きつけていた糸が、その腕の振りを一瞬だけ邪魔をする。 だけどその一瞬で十分。 その僅かな時間が俺の次の一手を間に合わせてくれる。

 地を支えていた手とは反対の手が、糸を操りながらも彼女のガラ空きになっている背中に触れる。

 何時か思春に触れたのと同じ場所を、関羽に点穴する。

 

「ぐっ! はっ……」

 

 指一本動かす事も出来なくなり、受け身を取る事も出来ずに地面に叩きつけられる関羽を余所に、俺は自ら付けた勢いのまま、静かに立ち上がる。

 

「武はともかくとして甘すぎるよ。 だからその優れた武を生かす事ができない」

 

 地面に転がり、必死に身体を起こそうと呻き声を上げる関羽に視線すら合わせず、俺はそう短く吐き捨てて見せる。

 それ以上関羽に気を掛けている余裕は俺にはない。 もう次の相手が動き出している。

 

 

 

 

「次は鈴々が相手なのだっ」

 

 その言葉と共に、砂煙を上げるほどの勢いで地を蹴り、勢いよく突っ込んでくる張飛。

 子供のように元気な声を上げながら駆ける姿は、連合の時で僅かな邂逅で見せたように、駆けているのが不思議なくらい隙の少ない重心移動。

 小さな身体に不釣り合いなほど大きな蛇矛を、まるで体の一部かのように振り回し、突きと払いの連続攻撃を仕掛けてくる。

 その姿はまるで血の雨をまき散らす暴風雨処ではなく、矮小な人など簡単に空高く吹き飛ばす巨大なハリケーン。 僅かでも触れれば、俺の身体など一溜まりもなくボロ雑巾にする凶悪な嵐を、俺は最も安全な台風の目とも言える彼女攻撃の内側に入り込む。

 一歩所か数ミリ間違えれば普通の肉体しか持たない俺には、攻撃の内側と言えども彼女の力を受けきる力などない。 とにかくその猛攻を避わし、時に逸らしながらやり過ごす。 その上少しでも台風の目から出れば、彼女の力で繰り出した攻撃を逸らしたり受けたりする術は俺には無いと来ていると言うのに、恐ろしいのは此の猛攻でさえ、その子供の様な小さな体から出しているとは、信じられないほどの強大な力で繰り出しているのでは無く。 一丈八尺(約4M)もある長大な槍の長さと重量を活かしての攻撃だと言う事。

 彼女の超人的な力を活かした、慣性の法則を無視した槍捌きでも、勘を生かした野獣のような不規則な攻撃でもなく、張飛の純粋な武でもっての攻撃だと言う事。

 

「良く避けるのだ。 お兄ちゃん結構やるのだ。

 でも鈴々は、まだ全然本気を出していないのだ」

 

 そう、それだよ。

 張飛の言葉に心の中で呟きながらも、俺は上体を起こしそのまま僅かに後ろに傾けて見せる。

 

「逃さないのだっ」

 

 俺の飛ぶ方向に合わせて振り降ろされる矛。

 その長大な蛇矛は、今度こそ彼女の超人的な力でもって、彼女の思い通りの場所に空気ごと叩き潰すかのような轟音を立てて振り下ろされた。

 

ドォォォォーーーーーンッ!

 

 だけど、それを待っていた。

 俺が後ろに跳んで下がろうとしたのはフェイク。

 実際は関羽に突っ込んだのとは逆に、重心を保ったまま姿勢を崩して見せただけ。 彼女の目の良さを利用した虚実。

 俺は振り降ろされる蛇矛が地面を叩いた瞬間を狙って、彼女自信が込めた力を利用して、蛇矛を思いっきり反対側に引き起こす。

 

グイッ!

「うわっ、なのだっ!」

 

 自分の意思と関係ない所で、突き立てられる蛇矛に釣られる様に空高く浮く張飛は、本当に驚いているかどうか分からない驚声を上げながら、楽しげな笑顔で真っ直ぐ此方を捉えている。

 青い空を背景にした彼女の瞳に映すのは歓喜。

 いかなる時でも、けっして諦めない歴戦の将の瞳を僅かに浮かべてはいても、その瞳に映っているのは予想外の事に驚きながらも、それそのものを楽しむ子供の心。

 

「まだまだなのだっ」

 

 張飛は声を張り上げながら、そのまま地面に叩きつけられる事を良しとせず。 槍が真上に来た瞬間を狙って、彼女は手に握った矛を力いっぱい引き抜く事で、己が体を俺に向けて飛ばす。

 俺の世界ではありえない無茶苦茶な動き。

 勘に任せた逆転の一手として真上からの強襲。

 彼女程の剛力の持ち主ならば、殴り合いに持ち込んだとしても、彼女の身体の小ささは常識とは逆に有利に働く。

 良い手だ。 ………ただし、俺が雪蓮達と手合せして居なければの話だ。

 

 ゴスッ

 

「………ぁっ……」

 

 幾ら剛力でも力の支点があり。 其処を見抜く事さえできれば、とっさの勘に任せた単純な攻撃など横に逸らせない道理はない。

 片手で彼女の拳に合わせて、彼女の拳をまるで舞う花びらを払う様に優しく逸らした彼女の身体を、俺のただ突き出しただけの手がめり込む。

 その結果彼女は瞳孔を開かせながら、何が起こったのか分からないかのように、ただ息を吐きだす事になる。 鳩尾深く突き刺さった俺の腕を掴む事も出来ず、四肢を力無く垂らしながら…。

 張飛を其処までする力は俺には無い。 其処までしたのは彼女自身が生んだの勢いと僅かな体重。 そしてこの広大な大地だ。 俺は本当にただ腕を真っ直ぐと突き上げただけ。 彼女を受け止めた力は、肩へ、腰へ、そして地面へと流れて行く。

 まるで一本の杭が、真上から熟れて落ちてきた柿を受け止めるかのように。

 だけどこれで終わらせる気は無い。 俺はそのまま彼女の中の"氣"を操りながら更に腕を捩る。

 

「……ぁぁ」

 

 どさっ

 

 その事で、肺の中に在る最後の一滴まで空気を絞り出された感触を確認した俺は、突き上げていた腕をそのまま降ろす事で、張飛を地面へと落す。

 地面に落とされた衝撃も、酸欠状態で朦朧としている張飛の感覚的には、肉体と違い大した衝撃にはなっていないだろう。 おそらくその衝撃すら感じていないはず。

 そして空気を求めようと彼女は目に涙を浮かべながら喘ぐが、呼吸に必要な筋肉が痙攣していては、呼吸など出来る訳もない。 でもそれも一瞬の事。 鍛えられた彼女の筋肉は直ぐにその本来の役割を思いだし、小さな彼女の身体に新鮮な空気を取り込み始める。

 ……でも、一度完全に空気を吐き出させられた彼女の小柄な体を覆う筋肉は弛緩し、そして痺れて立ち上がる事等出来ない。

 どんな超人的な体を持とうとも。 異常なまでにある頑強さと回復力を持とうとも。 身体の構造そのものは同じで、その身体を動かしている細胞の原理は同じだからね。

 

「身体が軽い事を弱点のままにしているようでは、幾ら武を磨いても一緒だよ。

 武術と言うのは補う物ではなく、活かす物だからね。 いろんな意味でね」

 

 真っ直ぐと星の瞳を見ながら、足元に転がる張飛に告げる。

 聞こえているかどうか等どうでもいい。 聞いている人間はいるからね。

 それよりも今は星だ。

 

 

 

 

「まったく、やられましたな。 まさか貴公がそれ程の武を持とうとは、ついぞ気付きませんでしたぞ」

 

 聞こえてきた呑気な口調とは裏腹に、猛禽類を思わせる鋭い眼差し。 だけど、その口元は楽しげに唇の端を上げていた。

 やや前屈気味で彼女が龍牙と呼ぶ槍の先を僅かに下げた突進の構え。

 空気を震わせるほどの気魄を、その身に纏わせているのは己が覚悟の表れだろう。

 関羽のように臨戦態勢を取りながらも、相手を侮る訳でもなく。

 張飛のように文字通り遊戯と受け止めて、戦いそのものを楽しむのではなく。

 俺を己が全力で戦わねば、逆に喰われてしまう強敵と判断したその目は正しい。

 

 常山の昇り龍と世に謳われる趙子龍。

 己が愛槍に対して龍牙と言う己が名の一部と、武を刻んで見せている彼女。

 その武そのものは、関羽や張飛に僅かに及ばないものの。 三人の中で最も警戒すべき相手だと俺は思っている。

 彼女は二人と違い、将としての覚悟をその身に飲み込んでいるからだ。

 ………それでも。

 

「隠していたつもりはないよ。

 それに勘違いしている。 俺のは武なんて言える様なものじゃないし、君達の様な武人でもない」

「ほぅ、愛紗や鈴々を苦も無く地に伏せさせておいて、随分と謙虚な事を言う」

 

 俺の言葉に、予想通りの反応を示す彼女。

 無理もないと思いつつも、彼女の言葉に苦笑を浮かべる。

 苦も無くか……。 冗談じゃない。 君達と違って、俺は超人的な肉体を持つ訳じゃない。 僅かでもその攻撃が触れれば、死に瀕するどころか、本来であれば彼女達の攻撃を避ける事が出来る様な反応速度等持ち合わせていない。

 それを可能にしているのは、攻撃の起こりより遥か先、行動を起こす意思そのものの起こりを見る目付。 徹底した先読みに己が身と魂をその刃に晒しているから出来るだけの事。

 何時だって死にもの狂いなんだ。

 俺の守りたいモノを守るために…。

 俺の肩に掛かっている多くの命のために…。

 死んで逝った多くの想いのために…。

 ………なにより、俺の家族のために。

 決して、こんな所で失う訳には行かない。

 俺の命は、もう俺だけの物じゃないだ。

 

 だから俺は舞う。

 戦うのではなく舞うんだ。

 戦人ではない俺に出来る事は、それだけ。

 裏舞踊と言えども、舞いでしかない。

 表であろうと、裏であろうと、その根幹は同じ。

 人々の想いを、当たり前のような細やかな願いを。

 ……に届けるために。

 一方的であろうとも、……に伝えるために…。

 この身に多くの人々の想いを乗せて舞う。

 己をその器とし、……に捧げる舞いを舞う。

 それが、裏表に関係なく北郷流舞踊に根付く想い。

 

 

 

愛紗(関羽)視点:

 

 

 歯を必死に食い縛る。

 天を呪うぐらい睨み付けるかのように、全身に力を入れる。

 ……だが、気魄と想いとは裏腹に、私の躰は少しも力が入らない所か感覚すらない。

 今、自分がどうなっているのかさえも。

 分かっている。 無力にも地面に寝転がっている事ぐらいは、目に映る光景が教えてくれている。

 だが、それが無ければそれすら分からない。

 目を瞑れば、己が立っているのか、横になっているかすら分からない。

 地に触れている筈の背中は何も感じず、其処に何も無い事を示している。

 いや、背中だけでは無い。 首から下、躰全体が何も感じないのだ。

 己が手に握られているはずの、我が愛槍の感触でさえも……。

 

 最初は、あの男に身の程を知らせるつもりだった。

 例え天の御遣いと称され、我らの危機を救う手助けをしたとは言えども、他国の臣である者に、我等を掻き乱してほしくないと思うのは当然の事。

 牽制の意味を含め、あの男に我等を自由に出来ると思うなと脅しを掛けるつもりだった。

 だが実際に起こったのは、こうして無様に地面に転がる事しかできなかった。

 視界の端には鈴々は躰を痙攣させながらも、何度も必死に躰を起こそうとする姿が映るが、私にはそれすらできない。

 

 恐い。

 当たり前のように感じていた物が、何も感じなくなることが……。

 無力に地面に這いつくばり、己が身がこのままでいる事が……。

 このまま朽ちていく事になるのかという考えが、脳裏をかすめて行く事が……。

 そんな俗物的ものではない。 そんなモノ等、とうに克服した。

 この肉体と魂は桃香様の物。 桃香様の理想に捧げたあの日より、もう私の物では無い。

 それ故に私が恐怖するのは、己が無力さが届かなかった事。

 私の油断が、この事態を引き起こしたと言う事。

 あの男の実力を見誤っていた己が驕りが、桃香様の願いを遠退けてしまう事。

 

「はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ!」

 

 一息で十を遥かに越える星の連撃。

 ただの突きでは無い。

 ただの連撃では無い。

 星が雑兵に囲まれた時に見せる技とは、似て非なるまったくの別物。

 星の操る槍が放つ本気の突きは、その道に在る者ならば見惚れする程の突き。

 幾千、幾万と愚直のように繰り返し練武する事によって手に入れたその突きは、その初動すら見極める事も難しく。 更にそこから放たれた一閃の一突きは、並みの武将程度が相手であれば、自分が突かれた事すら気が付かずに絶命させる。

 そして、突きを放った僅かな隙ですら、彼女は己が血反吐を吐く想いで積み上げた術理と技でもって、次なる一手へと昇華させていた。

 

 その星が最も得意とし、膨大な体力と"氣"力を代価に打つ事の出来る最大の一手。

 一つ一つが必殺の勢いで放たれているにも拘らず。

 突きと突きの間が殆ど無いその突きは、点を突くと言う槍の攻撃を大鉄槌のように面と化す巫山戯た技。

 一人で槍衾を作るという人間離れをした技のを回避するには、相手の突進力以上の速度で後退するか。 同じだけの手数を相手に負けない威力の突きを一瞬で放つしかない。

 だが後者は不可能。 あの技の前では、私も鈴々も攻撃を捌きながら後退するか、技の起こりそのものを潰すしかない。

 かつて呂布以外に、その技を真正面から破った者などいない。

 

 ……信じられなかった。

 あの何の変哲もなし青年が…。

 紹介されなければ……。

 朱里達の言がなければ……。

 天の御遣いどころか、将はおろか、ただの庶民にしか見えないあの青年が…。

 星の放つ槍衾の中を、何もない野を歩むが如く、前へ進む。

 槍が彼を避けるかのように…。

 前へ突き出した二つの扇子が、槍衾を二つに割るかのように…。

 その顔に微笑みすら湛えて、舞うかのように歩み寄る。

 

 裂帛の気合いと共に突き出される槍を……。

 見極める事など不可能な速度で放たれる槍を……。

 あの男の持つ鉄扇は、その穂先を僅かに触れるだけで、その軌跡を大きく変えて行く。

 まるで小川に手を差し入れる事で、その流れを変えてしまうかのように……。

 舞うかのような動きで、星と言う名の大河を割って行く。

 

 だか、さすが星。

 あの男、……北郷に己が得意とする必殺の技が通じないと思ったのか、その攻撃が十を超える前にその動きを変える。

 己が得意とする技に過信せず。 あっさりとそれを捨て、己が積み上げてきた武そのものを信じて、その槍は突然に軌跡を大きく変える。

 まるで、星が最も得意とする大技を囮にして放ったかのように、連撃の一瞬に引き戻した槍は、その穂先を相手に突き込まず。 引き戻した手を軸に、今度は石突き側を救い上げるかのように弧を描いて北郷を下から襲う。

 連続して高速で突き出される所へ、いきなり下からの攻撃。 それもあんなに接近した状態ではとても対応しきれるものではない。

 

「でぇぇぇぇーーーーーーーいっ!」

 

 星の裂帛と共に放たれた一撃は石突き側にも拘らず、地面を鋭く切り裂きながら北郷が避わす事も逸らす事もできないまま、その身を空へと打ち上げた。

 

くんっ

「なっ!」

 

 ……かのように見えたが違った。

 北郷は吹き飛ばされたのでもなく、その槍に乗って見せたのだ。

 一番、力の掛かっていない星の手元の部分を軸に、自らその槍に乗って見せたのだ。

 そして、私の動きを一瞬止めた正体。 その糸らしきものを星の槍に巻きつけ、打ち上げられる勢いを利用して、星の背後へと空から舞い降りる。

 

とっ

 

 あの男が地面に着地する共に、星の体が崩れ落ちる。

 おそらく私と同じ事をされたのであろう。 ただ違うのは、まっすぐその場に座り込むようにあの男は支えた。

 そしてその背を支えるかのように、星の槍をその地に突き立てると。

 

「二人より重い攻撃だ。 それに技だけならば二人を超えている。 ……でもそれ故に読みやすい」

 

 読むだと? 馬鹿な。

 星のあの動きを予見していたと言うのか?

 我らが動きを見切っていたと言うのか?

 それに重いだと? 星の攻撃を軽いと言うつもりは無いが、我ら義姉妹の攻撃ほど重くはないはず。 何故そんな戯言を?

 

 

 

 

「関羽と張飛を前衛に、星を遊撃隊とし、君達は後衛として周泰を警・」

 

ぱしっ!

 

 朱里達に向かって言葉を紡ぐ北郷の言葉を、鋭い音が途切れさす。

 白蓮の脇から見える朱里の手。 その小さな手に握られた竹筒から突然放たれた物が北郷を襲う。

 細い竹筒の中に仕込まれた発条(バネ)の力によって打ち出される小さな矢は、その構造上短く小さい上に射程距離もほんの僅か。 ……だが朱里が護身用に持っていたそれは、この距離で放つならば十分な威力で予備動作がほとんどない暗器。

 不意を突いた上で、白蓮の体を隠れ蓑に放った凶器は、分かっていたかのように体を半歩逸らす事であっさりとやり過ごす。

 

「………袖箭っだったかな? 天の世界にも似たような武器があるから、その手の武器相手の訓練は十分しているんだ。 残念だったね」

「はわわっ」

「別に卑怯とは思わない。 こんな時に、そんなものに引っかかる方が馬鹿なだけだ」

「お前らは逃げろ。 それくらいの時間は稼いでみせる。 桃香さえ時間まで逃げ切れば私達の勝ちだ」

 

 白蓮の言葉が、逆転の一手を防がれて慌てる朱里達に浴びせられる。

 鍛冶師の悪戯心なのか、銘を打った者が悪趣味なのか、【普通の剣】と言う銘の巫山戯た名剣を片手で持ち、もう一方の片手で桃香様達に逃げるように促す。

 

「その意見にはボクも賛成ね。 朱里と雛里は桃香を連れて逃げなさい。 どう言う訳か、彼女はまだあの位置に立ったままだしね」

「おいおい、侍女であるお前達に何ができるんだよ。 少しは私を信用してくれって」

「白蓮さんこそ、私達を信じてください。 これでも白蓮さんと同じで、元太守だったんですよ」

 

 詠に促されるまでもなく、自らそう言いながら前に出る月。

 そしてその言葉と共に赤い布が空を舞い、次の瞬間には北郷を襲う。

 

「布槍術か」

 

 月の繰り出した攻撃を、今までに無い程大きく避わした北郷は、いつもは腰の後ろに飾られている長い布を、今は手にして優しげに構える月に向かってそう呟く。

 

「大恩ある貴方に敵対する事は本意ではありませんが、今の私は桃香さんの所に身を置く者です。

 それに遊戯と言えども、民の暮らしが掛かっている以上、負けるわけにはいきません。

 なにより詠ちゃんが本気になっているんです。 親友としてそれを手助けしないでいる事などできません」

 

 月の凛とした声が…。

 いつも儚げな笑みを浮かべている月が…。

 まっすぐと北郷を睨みつけている。

 

「白蓮さん。 不束者ですが、ともに時間を稼ぎましょう」

「分かった」

 

 白蓮の頷く声と共に、ゆったりと足を進める北郷の足元を月の赤い布が襲い威嚇する。

 それを最初から威嚇と見抜いていたのか、北郷の足は止まる事なく進もうとするのを、今度は白蓮の剣が襲い。 その白蓮の剣を振り切った隙を突こうとした北郷を月の赤い布が遮る。

 

「時間稼ぎが目的なんだから、攻撃を当てようと思わなくて良いから絶対近づけちゃだめよ。 相手は接近戦が得意なんだから、間を大きくとって戦うのっ」

 

 お互いの隙を埋め合う様に二人に指示を飛ばしながら、詠自身も地面に落ちた石を投げつける。

 有効打になる事は無くとも、投石という名の原始的な攻撃は、相手の気を逸らし動きを阻害する。

 私達に遥かに及ばない白蓮の武を、月の布槍術が、そして詠の指示と投石が補う。

 多方向からの攻撃に、北郷は近寄る事もできずにその攻撃を避わし逸らし続ける。

 お互いが補いながら、私達が手も足も出なかった相手に、三人が押さえ続ける。

 

「………ぁっ」

 

 その事に……。

 その光景に……。

 私は理解する。

 この遊戯が、何を意図したものなのかを。

 

 

 

明命(周泰)視点:

 

 

 少し離れた所で、一刀さんが舞い続けています。

 死の舞いと私が勝手に名付けた舞いを。

 一刀さんは裏舞踊と言っていましたが、アレはそんなモノではありません。

 相手の動きを…。相手の心を…。おそらくは、深層意識までをその身に映し込んでいるのでしょう。

 教わったあの感覚以上に、一刀さんは、その身の内に相手を映し込んでいるのでしょう。

 だけど本当に恐ろしいのは、そんな相手の思考や動きを手に取るように理解する事ではないんです。

 そんなものは、真似じみた事ならば私や思春様でもできる事です。 真似と言うには、かなり劣化していますが、もともと、そういう戦い方を得意とする私達ですから、その恐ろしさが分かるんです。

 

 アレは、美しい舞いで相手の命を刈り取りますが、それ以上に己の命も相手に晒しているんです。

 本来武人であれば、命の遣り取りは当たり前の事。 だからこそ、あそこまで相手にその身を、その命を晒け出すような真似など決してしないのです。

 だけど一刀さんはそれを躊躇なく行います。

 死兵であれば、それもあるでしょう。

 相手の攻撃に恐怖を感じないのであれば、それも可能でしょう。

 ですが恐怖を、人の原初の感情を完全に無くしたモノに人の思考を、心を読む事などできません。

 恐怖とは、武人にとっても大切な武器ですが、それ故に扱いも難しいものなのです。

 

 一刀さんは、恐怖を感じていない訳ではないのです。

 一刀さんは、私達のように恐怖を飲み込んでいるのでもありません。

 恐怖を感じたままに…。 相手の恐怖すらもその身に映した上で舞っているのです。

 少しでも誤れば死は確実。 己が読みに全てを賭け、己が命すらも舞いに取り込んでいるからこそ、あれだけ美しく映るのでしょう。

 相手にだけではなく、双方に一瞬の命の瞬きがあそこにあるのです。

 だから私は一刀さんの必死の覚悟の舞いであるアレを死の舞いと呼びます。

 

 己だけではなく他人の恐怖までも、その思考と共に完全に己が内に取り込むなど、人では成せぬ事を一刀さんは行います。

 いっそ一刀さんは天の御遣いで、人では無いと考えれば、その事も納得も出来たでしょう。

 でも人のように恐怖を感じ、人のように考える事ができるなど、人でなければ行えません。

 矛盾していますが、神でも妖しのモノでも、人の心を理解する事は出来ないからです。

 一刀さんは、生きながら死の淵に立っているんです。

 死の舞いと言う舞いで、生きながら死者の国に立ち。

 そして死者の国を覗きながらも、此方側を人として生きているんです。

 

 そんなモノに一対一で挑んだとしても勝てる訳ないんです。

 相手が必死であればあるだけ、その思考は純化され一刀さんにとっては、己が内に取り込みやすくなるんです。

 どんなに攻撃が速くても……。

 どんなに攻撃が重くても……・

 その起こりの意図までを読まれては、意味を成さないんです。

 でも、それは私達一部の将だから言える事。 当然とそう思える事。

 だけどそれは大きな間違いなんです。 身体能力的に一般兵と大して変わらない一刀さんに、そんな動きがいつまでもできる訳ないんです。

 関羽や張飛はおろか私や思春様の動きに、一刀さんの躰がついて行ける訳ないんです。

 だからこそ北郷流と言う、無駄な力みがない動きが生み出されたのでしょう。

 相手と真面に打ち合う事を決してせずに、たえず攻撃を避わし又は逸らし続けてゆくのでしょう。

 過去二度、一刀さんが長く戦った戦では、一刀さんは永い眠りにつきました。

 酷使した身体を休めるために、躰の方が一刀さんを眠りにつかせたのだろうと華佗が教えてくれました。

 

 本当は、一刀さんの代わりに戦いたい。

 一刀さんの剣とな盾となり、一刀さんの前に行きたい。

 ……でも悔しいですが、今の私では真面に戦っては関羽達に届きません。

 逆に一刀さんの足を引っ張りかねないからです。

 それに一刀さんに止められてもいます。

 

『 庭の入口に居続ける事。 明命ほどの将が其処にいる事に意味があるんだ 』

 

 一刀さんのその言葉通りに事は運んでいます。

 私を警戒させる事で、相手の動きを限定的に追い込みます。

 それが罠と思い至っても、それしか道はないと思い込ませてしまいます。

 目の前では、まるで舞いの舞台と化した戦いが繰り広げられいます。

 公孫賛の華はなくとも素早い攻撃と、基本に忠実な剣の軌跡と体捌きが、剣舞へと変貌させられています。

 董卓の鮮やかな赤い布が、着飾ると言う本来の目的とは反して、相手を打ち、または絡め捕ろうと空を舞います。

 二人を助けようと的確な指示を飛ばす声は、舞台を盛り上げる音楽へと変わり、舞台を彩ります。

 三人は一刀さんの舞いに、知らずと舞の相手にさせられているのです。

 その存在を高められながらも、舞いの相手をさせられているのです。

 地に触れ伏す三人に見せるために。

 一刀さんと戦う三人の姿と覚悟を見て、やっと足を動かし始めた三人に見せるために。

 この死の舞いが生み出すモノを魅せるために…。

 彼女達を私達の目的を叶えさせる為に、其処までの力を持ち得るまでに高める事。

 これが一刀さんが劉備軍に随行した目的の一つ。

 

 私が動くのは、この後です。

 劉備達がこの庭を出て行った時です。お互いの姿を見失ってからならば、例え関羽達が現在だとしても、狩りの腕ならば、後れを取ったりしません。

 ………もっとも、そんな事態になればの話ですが。

 

 

 

詠(賈駆)視点:

 

 

 甘かった。

 あいつが自分の能力を隠し続けると、勝手に思い込んでいたボクの甘さを、心の中で叱咤する。

 それにしても何なのよこいつの強さはっ。 恋は例外としても、愛紗や鈴々や星だって十分化け物染みた強さを持っていると言うのに、此処まで強いだなんて思いもしなかったわ。

 こんな事なら、洛陽の時に霞にもう少し詳しく聞いておくべきだった。

 ボクは歯噛みしながら、月と白蓮の二人に、立ち位置や隙の出来てしまった所を短い言葉で告げてゆく。

 地面に転がった石を投げつけながら、現状でボクに出来る事を探しながら、必死に頭を回転させる。

 

 どうせボクの策なんて読まれている。

 なら読まれたって構わない策にするだけの事。

 必要なのは早さよ。 ボクの考えを月と白蓮が理解し、お互いが合せながら動き続ける事。

 だから考えなんて読まれても構わないから、声を張り上げてボクの考えを声に出して飛ばしてゆく。

 こいつを倒す必要なんて少しもない。

 白蓮が言ったように、ただ時間を稼げば良いだけ。

 それがボク達の勝利条件よ。

 なら、思いっきり行かせてもらう。

 死ぬ危険も、殺してしまう危険もないなら、いくらでも思いっきりいける。

 民の暮らしが掛かっているのなら尚更の事。

 あいつの目的が分かってしまった今なら尚更の事。

 悪いわね月。 せっかくのんびりと侍女を楽しんで居たと言うのに、こんな事に付き合せちゃって。

 

(詠ちゃんの望みは私の望みでもあるんですよ)

 

 ふとそんな月の声が聞こえた気がした。

 勝手なボクの妄想かもしれないけど、月ならそう言ってくれるって信じられる。

 月の絶大な信頼を受けたボクは無敵よ。

 なんて事を音々なら言って居たでしょうけど、よりにもよって相手はアイツ。 このまま抑えきれるなんて甘い考えはできない。

 もうアイツは十分見せたはずよ。

 なら、そろそろ勝ちに来るはず。

 そう思考がいった時、ボクの視界にとんでもないものが映る。

 って、何あんた達まだ其処にいるのよっ!

 ボクは、ボク達の奮戦ぶりに驚く桃香達を、仇を見るような眼で睨みつけながら、

 

「とっと行きなさいっ、そんな所に居られたら邪魔よ!」

 

 まったくこっちの奮戦ぶりに驚くのは構わないけど、何のためにこっちが神経すり減らして、あんな化け物染みた奴と戦っていると思っているのよ。

 道理でいつまでも仕掛けてこないと思ったわ。

 そんなボク達の様子を、アイツは苦笑染みた優しい笑みを一瞬だけ浮かべ、舞うように白蓮の剣を逸らし、月の関節を絡め取らんとする布を叩き落とす。

 そっか、こいつの戦い方は舞いなんだ。

 刹那を彩る悲しくも、生に溢れた舞いなんだ。

 民を癒した舞と同じなんだ。

 あの時は、民の苦しみと憧憬をその身に映し舞った。

 でも、今はもっと多くの想いをその身に映している。

 民の想いも、志し半ばで倒れた仲間の想いも、あいつの負けられない想いも、そして敵であるボク達の想いすらも、その身に載せて舞っているんだ。

 だからこんなにも美しくて、怖いんだ。

 ……まったく、何処まで大馬鹿なのよアンタはっ!

 そんな事続けていたら、本当に何時か壊れるわよ。

 

ずきんっ

 

「二人とも、来るわよっ!」

 

 アイツの覚悟と想いに、胸が締めつけられる。

 まるで亀裂が入って行くかの様に壊れて行くアイツの姿を幻視し、何故か涙が溢れそうになる。

 アイツに負担が掛かると理解していて尚、ボクはアイツを倒そうなんて無謀はせずに、時間稼ぎの道を選ぶ軍師としての性分が悔しくて堪らなくなる。

 それでも、それがアイツの望んでいる事だと分かるから、決して気を抜くなんて事はできない。

 

 アイツはボクの尻拭いをしているだけ。

 ボクが気が付かなかったものを。

 例え気が付いていたとしても、侍女で文官でしかないボクではどうしようもない事を、アイツが変わりにやっているだけ。

 だから歯を食いしばって踏ん張る。

 頭を全力で回しながら、少ない手札を活かす手段を考え続ける。

 せめて星が倒される前だったら、と思うボクの弱さを蹴り飛ばしながら、使えるモノは何でも使って行く。

 無駄と思っていても、石を投げ続ける。

 少なくとも僅かでも気を引き、動きを止める事ぐらいはできる。

 

 今までの事から、霞を絡め捕ったと言う例の糸で月の帯布を叩き切り、白蓮の剣の根元を鉄扇で受けて、止めを刺しに来るって所でしょうけど、そうはさせない。

 桃香達が駆け出した今なら、此方も後退しながら時間を稼げば良いだけの事よ。

 どういう気か知らないけど、今だ周泰が最初の位置から動かずに立ち続けている以上、こっちは安心して逃げられる。

 

 そう思った瞬間だった。

 アイツは、こっちに来ると見せかけた姿勢のまま後ろに軽く飛ぶと、その手を左右に何度も振るう。

 その度に白い何かが宙を舞って此方に向かってくる。

 その一つを月が帯布で地面へと叩き落としたそれは、………扇子? しかもあいつが持っている鉄扇ではなくただの扇子。

 だけど馬鹿に出来ない。 アイツが放った攻撃がそれで済むはずがない。 現に白蓮の髪が回転しながら宙を舞う扇子に触れ僅かに切り落とされるのをボクは見てしまった。

 

 しまったっ!

 だから分かってしまった。

 周泰が態々あんな所に立っていた理由。

 幾らでも逃げようがある広い門側ではなく、屋敷の回廊側のある狭い出入口に立っていた理由に気が付く。

 

「桃香避けて!」

「えっ?」

 

ぱしっ。

 

 だけどボクの言葉は間に合わず。

 幾つも放ったアイツの扇子の一つが、桃香を襲う。

 広さを利用して、大きく弧を描きながら宙を舞いながら飛んで行ったアイツの扇子は。

 桃香の胸に刺した百合の花を狙い違わずに切り落とす。

 

 

 

 

 最初から、誘導されていたんだ。

 

 その事実に……。

 桃香の呆然とする姿に……。

 すべて最初から掌に居た事に気が付き、愕然とする朱里と雛里の顔に……。

 ボクはアイツの怖さを知っていながら、それを防ぐ事ができなかった悔しさに……。

 手が痛くなるのも構わず拳を固く握りしめる。

 鉄を思わせる血の味が口の中に広がる。

 どうやら知らずに唇の端を噛み切ったのだろうけど、そんな事はどうでもいいっ。

 ただ、今は自分の不甲斐なさが悔しい。

 分かっているわよっ! ボク達に死にもの狂いにさせるための布石だって事は。

 アイツは優しくて甘いからこそ、こうしたんだって事は。

 

 だけど、分かっていたって悔しいものは悔しいっ!

 最初から分かっていたわよ。 これがアイツの狙いだって事はっ。

 だからこの悔しさをアイツにぶつける訳にはいかない。

 これはボクの甘さと油断が生んだ結果っ!

 ボク達が抱えていた問題が生んだ結果なのよっ!

 

ごっ!

 

 地面を叩いた手がジンジンと痛むけど、それ以上に心が痛む。

 悔しさに自然と涙が出る。

 

「詠ちゃん……」

 

 月の心配する声に……。

 地面を叩くボクの手を優しく止める月の暖かさに……。

 ボクは、また同じ失敗をする所でいた事に気が付き、ボクを止めてくれた月に感謝する。

 多分そこまで考えていた訳ではないと思うけど、月の優しさと想いは本物だし、ボクを止めてくれたのは正解。 今は悔しがっている暇はない。 まだボクの役目は終わっていない。

 

 アイツと話さなきゃ。

 桃香達を集めてアイツと話させなければいけない。

 もう分かりかけていると思うけど、はっきりとアイツの口から言わせないといけない。

 ボク達を想って此処までしたアイツを、本当の嫌われ者にさせないためにも。

 朱里の、……女の頬を叩くだけで、あんなに辛そうな顔をしたアイツが此処までした想いを、決して無駄にしないためにも。

 何よりボク達自身のために、そうしなければいけないのよ。

 

 辛くても…。

 傷ついても…。

 突きつけられた現実から逃げちゃいけないの。

 本当に民を想うのならば、その事から目を逸らす訳にはいかないの。

 だから愛紗と星の躰を元に戻しているアイツに、ボクは悔しさに涙が溢れる目を擦りながら近づく。

 白蓮は、放っておけば元に戻ると言われた鈴々を抱えながら、傍で硬い表情でその様子を見守っている。

 逸早く自ら立ち直った雛里も、桃香と朱里の背中を押すように、こっちに向かってくる。 桃香達の背中と、唾の広い帽子にその決意を隠して。

 朱里はあらためてアイツの怖さと自分達の力の無さを痛感しながらも、屹然とした覚悟を灯した瞳を他の皆に向けてくる。

 

 みんな分かっている。

 此処で立ち止まる事なんて許されないって事は。

 こんな所で立ち止まるくらいなら、最初から国なんて起こしてやしないって事は。

 ボク達が生き残るためには、こんな所で歩みを止める訳には行けないって事はね。

 今起こった事に無力感を感じながらも。

 その事に未来に強く不安を覚えても。

 みんなの瞳は絶望していない。

 焦燥しながらも、強い瞳を灯している。

 アイツが力の差を見せるために、こんな事をしたんじゃないって事を。

 

 だから桃香を見つめる。

 ボクがやっても良いけど、本当は貴女がしなければいけないって事は分かってるわよね。

 普段はぽややんとしていても、貴女なら分かっているはずよ。

 高貴な血を引きながらも、もっとも民に近い貴女なら知っているはず。

 自分に力が無い事を誰よりも知っている貴女なら。

 刃向かう事も出来ず、泣く事しかできない民の苦しみを理解している貴女なら。

 民の背負った苦しみを心に刻みつけた上で、その悲しみと想いを笑顔に変えている貴女なら。

 嘆きも、怒りも全て背負った上で、中山靖王劉勝の末裔を名乗り立ち上がった貴女なら。

 今までみんなに背中を押されながらも、少しづつ成長してきた貴女なら。

 こうしてボク達に足りない物を、遊技という形で安全に叩き付けてくれたアイツを、少しでも理解しようと思うのならば、 今どうすべきなのか理解している筈よ。

 

 みんなの中心である貴女のする事。

 道を切り開くのは、ボク達がやってあげる。

 道に立ち塞がる者達は、皆で叩き潰してあげる。

 でもね、道を指し示すのは貴女しかできない事なの。

 此処で道を間違えるようなら、桃香の求める未来はその先にはないわ。

 呉の隷属と化した国の王になるだけ。

 例えそれを嫌って曹操か袁紹についた所で、いずれ喉笛を食いつかれる運命が待っている。

 決意を見せなさい桃香。 もし貴女が今の想いのまま王として歩み続けるのなら、避けては通れない道よ。

 いつまでも仲良しごっこをしている場合じゃないのよ。

 

 だからボクは、桃香に求めるボクの想いと考え全てを乗せて。

 甘くても、期待する王であって欲しいと言う願いを乗せて。

 ボクが馬鹿だったばかりに、月が果たせなかった願いを託して。

 桃香に強い意志を込めた眼で、桃香の瞳を見つめる。

 

「お兄さん。いえ、北郷さん教えてください。

 この遊戯の名を借りた戦いの意味を。 そしてこれからを」

 

 ふふっ。

 ボクは嬉しくなる。

 桃香はやっぱり馬鹿だった。

 どこまでも甘くて、それでもまっすぐと自分を貫く馬鹿。

 例え自分達が、仲間の心が傷つく事になろうとも。

 返しきれない借りを更に受ける事になろうとも。

 くだらない虚栄心や意地等に少しも捕らわれずに、まっすぐ自分達の目指す未来に向けて歩いて見せる。

 そのためならば、王の威厳や自尊心など平気でかなぐり捨てて見せる。

 他国の臣に頭を下げて、教えを乞うて見せる。

 まっすぐと真摯な目でね。

 

 それで良いのよ。

 王たる者、威厳や自尊心は必要だけど、それに捕らわれるのは小人の証。

 月もそうだけど、本当に人の上に立つものは、そもそもそんな事を気にしない。

 ただ自分が信じた道を清廉でもって突き進む。

 民や付いてくる仲間のために毅然とした態度で相手にあたる事もあれば。

 逆に民や仲間のために、頭くらい幾らでも下げてみせるものよ。

 桃香、今貴女は確実に一つ大きくなったわ。

 そしてその想いがあるならば、貴女はこれからどんどん大きくなる。

 むろんボク達もね。

 

 

愛紗(関羽)視点:

 

 

 陽もすっかり落ち。 代わりに月が高く上がっている。

 十三夜月が薄雲に少し隠れてはいるものの、その美しさが損なう事など決してない。

 そして、その下で静かに舞う北郷殿の踊りは、まるで物語の場面のように幻想的なもの。

 民や兵を慰め、力づけるために見せていた舞い程強い衝撃を受けるものはない。 幻視を見てしまうほどものではない。

 ただ郷愁に想いを馳せ、月を見上げてしまいたくなるだけ。

 ……深く、そして強く。 知らずに涙が出てしまうほど、静かに想いを馳せてしまうだけ。

 

 やがて、舞いが終わったのだろう。

 気が付けば彼は、手に持った扇子を閉じて、静かに地面に座っていた。

 此方に背を向け、静かに月を見上げながら正座をしていた。

 それが彼なりの気遣いである事に気が付き、私は濡れた頬を袖で拭く。

 周泰から彼の邪魔をしない事を条件に、一人で舞っている彼に会う事を許された以上、舞いの邪魔をする訳にはいかないと思っていたが、最初からそんな心配などなかった。

 あの舞いを邪魔をする事が出来るほど私は礼儀知らずではない。

 幾ら自他共に認める無骨者であろうともな。

 

「今の舞いは、なんと言う舞なのですか?」

 

 ただのきっかけ。

 その質問そのものに意味はないと思いつつ、今の心惹きつけられる舞の名を知る事が出来るのならば、そう悪い質問でもないと思ったが。

 

「ないよ。 今のは子供の遊びと一緒。 ただ舞いたいから舞っただけ。

 心ゆくままに、想いのゆくままに体を動かしただけの他愛無いもの。 でも、そんな他愛無いものが大切だとも思っているんだけど………、恥ずかしい所を見られちゃったな」

 

 体を起こしながらそう言う彼は、本当に恥ずかしそうな表情で、子供のように頬を掻く。

 

「して、何を想われて舞っていたのですか?」

 

 等と言う事は聞かない。

 あれだけの舞いの前にそんな事を聞くなど、星ではないが無粋以外の何物でもない。

 ただ彼は何かに想いを馳せながら、月に向かって舞っていただけ。

 華やかさも、起伏も何もないけど、ひたすらに惹きつけられる舞い。

 静かで、切なく、そしてどこか暖かい舞い。

 まるで月の光のように優しく、見る者の心を包み込む舞い。

 彼は、ただ想いのままに舞ったと言った。

 ならば、それが彼の本当の姿のだろう。

 その事に詠にあれだけ言われたと言うのにも拘わらず、私がまだ何も見えていなかった事に気が付く。

 

「………昼間の事、納得できない?」

 

 困ったような、それでいて優しい瞳で彼は私の心を言い当てる。

 悲しんでいるのではなく、何とかしたいと思っての言葉だというのは今なら分かる。

 

「頭では理解してはいます。

 ですが、私は朱里や雛里程頭が良いわけでもありませんし、星程悟っていません。

 ましてや鈴々程……いや、素直で純粋な分、鈴々の方がよほど大人なのかも知れません」

 

 昼間、遊戯の名を借りた模擬戦じみた事によって我々の自信を粉砕した後、北郷殿は桃香様の願い通りその意図を話してくれた。 我等の拠り所にしているものを更に突き落とすと言う形で……。

 本来ならば一笑すべき言葉だった。

 愚弄するなと一喝し、相手を唯の小人とし、興味を失うべき言葉だった。

 当然であろう。 それがあったが故に今までやって来れた。

 三人で始めた義勇軍が此処まで来れたのだ。

 いや、それより以前から、多くの賊共を斬り捨て、より沢山の人々を守ってきたのだ。

 

 詠は言えなかったのだろう。

 それを証明すべき手段がなかったが故に。

 桃香様は言えなかったのだろう。

 それでも頼らねばならなかったが故に。

 だから彼の思惑に甘えて、我等の驕りを斬り捨てさせたのだろう。

 ……我等の悲しみも、苦しみも理解された上で。

 

 考えてみれば当然の事。 星はともかく、私も鈴々も大きな組織を知っている訳ではない。

 小さな組織を纏める為に、率先して前に出てきた。

 兵の心を掴み、纏める為に勇猛さを見せてきた。

 少しでも被害を減らすために兵を鍛えてきた。

 だが、それだけだ。

 それでは山賊の頭と何ら変わりがない。

 己が蛮勇を振り上げ、手下を纏めていたに過ぎない。

 組織で必要なのは、お互いが協力する事。

 お互いがお互いを想いながらも、互いが別々の方向に動き、結果全体の事を考えて突き進んでいる事。

 口傘なく言えば、成り上がり者の集まりが故に、気が付かずに陥りやすい落とし穴。

 詠が私達に訴えた事の、原因の根幹。

 それを北郷殿は我等に突き付けた。

 逃げ道が無い状態を作り上げて。

 

 そう、頭では理解できる。

 我等を一蹴して見せたのだ。 それを認めない訳にはいかない。

 本来ならば、他国である我らに其処までする義理など何もないと言うのに。

 黙っておけば、その弱点をいつかついて、我等を蹂躙する事も出来たと言うのに。

 それでも、この男は我等にそれ等を突き付けた。

 詠が…。 雛里が…。 そして月が言うように、この男は優しいからだと。 人の事を甘いと言いながらも、それ以上に甘い事を言う癖に、それでもまっすぐ歩んでいるからだと。

 

「だから、今一度矛を合わせて貰いたい」

 

 誰彼かまわず喧嘩を売るような乱暴者のつもりは無いが、それでもこれに賭けて生きてきた自負がある。 多くの事を成し遂げてきた誇りがある。

 だからこそ……。

 

「無礼な事は承知。 だが無骨者故と理解してもらいたい」

 

 我ながら浅ましく未練がましいとは思う。

 昼間、不意と油断を突かれたとはいえ、負けは負け。 不意を突かれた方が悪いし、油断した方が未熟者と言うだけの話。

 それに詠の推測が正しければ、もし彼が本気で我等を殺す気ならば、私は今頃細切れになっていたと言う。 孫呉の独立の時に聞いた天の御遣いの噂が、文字通り誇張や尾ひれではなく真実なのだとしたら……。

 

 

 

 

 分かっている。 これがただの自己欺瞞だと言う事は。

 私の中にまだ燻っている武人としての愚かな誇りが、他国の重臣である彼を巻き込もうとしている事は。 ……それでも、私は心から納得したい。

 本気でぶつかり。 何の言い訳も、言い逃れもできない状況に自分を追い詰めたい。

 

「君は十分に変われているよ。 ……いや、本来の君に戻ったと言うべきなんだろうな」

「言葉ではなく、舞っていただこう。 詠が言うには貴方のは武ではなく、舞いの一つらしいのでな」

「……さすが賈文和と言うところか。そこまで見抜くか。 まあいいや。それよりも明命、判定役を頼む」

「はあぅっ! ……また一刀さんに気が付かれてしまいました」

 

 すぐ近くで聞こえる驚声。

 五間(約十メートル)程後ろに立つ周泰の姿に私は驚きを隠せない。

 幾ら闇に生きてきた者でも、私に気取られずに此処まで近寄れた者などいない。 その事に彼女の実力が、彼女の武以上に危険だと思ってはいたが、それでもこの者に対する評価は甘かったと思わざる得ない。

 なにより驚くべきことは、目の前の男は私より彼女から離れているというのに、彼女の存在に気が付いていた。 まるで当たり前のように……。

 その事にあらためて私は気を引き締める。

 目の前の人物は、決して気が抜けない相手。

 呂布とどちらが強いと言われれば、呂布としか言いようがないが、それ故に目の前の人物は怖い。

 昼間、あれほどの力を見せられながらも、今だ彼からは強さと言うのは感じないからだ。

 ……ただの庶民。 そうとしか映らないのが怖い。 まるで性質の悪い悪夢のようだ。

 相手の器を欠片も測れない………。 まったく我等武人からしたら悪趣味以外の何物でもないが、詠に言わせると、おそらくこれが彼の在り方のだろうとの事。

 普通の人間である事が彼の望みであり、そうでなければ民のための舞いなど舞えないとの事。

 

「はじめっ」

 

 周泰の合図と共に私は地を蹴りつけ、一直線に彼に向かって跳ぶ。

 私の全てをぶつける。 そうでなければ、桃香様に黙って此処に来た意味がない。

 私が私であるために……。

 私が全力で道を駆けるために……。

 我が力、受け止めてもらうぞっ!

 

 まっすぐに矛を横に払う。

 地面ごと切り裂きながら、下から救い上げる。

 叩き潰すかのように、まっすぐと打ち下ろす。

 星ほどの速さはなくとも、一撃ごとの重さはその比では無い我が連撃の突き。

 幾つもの虚を折り混ぜながらも、その軌跡を幾ら変化させたようとも、その悉くを躱され又は逸らされた。

 最も威力のでる矛の穂先を、一歩間違えれば真っ二つになると言うのに……。

 まるで舞い落ちる花を、その鉄扇で優しく横にやるかのように、…そして、その優しい動作から出したとは思えないほどの力……されど、我等からしたら僅かな力にもかかわらず、我が矛は確実に逸らされた。

 

 不思議だ。

 我が全力に、我が心と躰は熱くなると言うのに……。

 舞うような動きで攻撃を躱され、逸らされる度に、我が全力を遠慮なしにぶつけられる相手の出会いに、魂が歓喜に打ち震えると言うのに……。

 逆に思考は静かに落ち着いて行く。 相反している。 ……だが、最高と言える。

 受けられる事も弾かれる事もなく。 ひたすら攻撃をいなすだけと言う、およそ武人の戦いとは言えない行為。 攻撃と止められる事も弾き返される事もない故に、その反動を利用する事も出来ないが、その代わりに躰が動く。

 だから攻撃が繋がる。 攻撃の一つ一つが次の攻撃へと繋がり流れとなる。 まるで套路のように…。

 ……なるほど、これでは躰が馴れ親しんだ動きになる故に読まれて当然と言えよう。 本来套路と言うのは、技を覚える為もあるが、その流れが相手に最も有効になるように、研鑽を積まれ編み出されたもの。

 故に本来はこんな事態にはならず。 套路の流れは相手の姿勢を崩し、次の攻撃によって相手の体を穿つ。

 だが現実は無情にも、私の攻撃は何一つ届かないばかりか、我が渾身の一撃は、最高と言えるほどの動きは、その存在を舞いの相手へと堕とされていた。

 

 薄雲から覗く十三夜月が優しく降り注ぐ月光の下。

 私と彼は舞い踊る。

 彼は私の望み通りの舞いを…。

 私の武に対するの驕りを清める舞いを…。

 私が、桃香様や皆と共に歩めるための舞いを…。

 優しい微笑みと暖かな瞳を、まっすぐに私に向けながら彼は舞う。

 私のために…。

 そして自分のために…。

 彼の背負っているモノのために…。

 

しゅっ

 

 套路とは違う一撃。

 先人から受け継いだ型ではなく。

 私が私の体格と筋力に合わせた攻撃の型。

 斜め下から救い上げるかの様に横に払う一撃から、その勢いを利用して一歩引きながら体を回転させてからの突き。

 連撃による勢いと、身体を回転させた勢いを全て乗せた我が突きは、我が躰を我が青龍偃月刀ごと一陣の矢と化す。

 呂布ですら、その受けた方天画戟ごと身体を後ろへと下がらせた我の奥義が一つは、彼の持つ鉄扇を大きく弾き飛ばす。

 空を舞うかの様に宙に打ち上げられた彼の鉄扇は、そこに書かれた『無風』という言葉の通り、風を起こさぬようにゆっくりと、その重みを忘れたかのように宙を舞う。

 

ぞくっ

 

 背筋が凍ったかのように冷たい悪寒が走る。

 その感触に一瞬躰が強張りそうになる。

 だが積み重ねた武が…、数多くの実戦が私を救った。

 認識よりも早く身体を退く。

 本能故の反射。

 付き伸ばした矛を引き戻しかけた時。

 

がっ

 

 下から手に襲った衝撃は…。

 矛の先に掛かった僅かな重みと違和感は…。

 我が矛の先を掌で挟みながらも、その場後ろに回転するかのような彼の動きは、私の前で宙に舞う鉄扇によって隠された彼の動きは、全てこの為のモノ。

 私の突き出した矛の勢いを自ら縦に回転する勢いに乗せ、彼の伸ばした足の先は、私の矛を握る指を確実に打ち痺れさせる。

 それで彼の勢いは止まったりしない。

 宙に浮く我が矛の先端を持つ手を軸に彼はそのまま宙を変える。

 空高く輝く月のように綺麗な弧を描きながら、その宙を舞う。

 今のやり取りすらも舞いの一部であるかのように、………見る者を魅せる。

 ……まるで夢か幻かのように。

 

 

 

 

がらんっ

 

 だが、今起こった事は現実。

 重く無骨な音が地面を鳴らす。

 空高く舞う龍の牙が折れ、地面を転がる音。

 それは終わりではなく、始まりの音。

 何がとは言わない。

 だから私は見なければいけない。

 見届けなければいけない。

 これは私が望んだこと。

 

 僅か前屈みに再びその足を地につけた彼は、前に倒れる込みそうになる躰を支えるかのように、大きく足を踏み出す。

 低く、大きく。

 上下の動きを利用した理にかなう動き。

 足を宙高く弧を描いて見せたのはこのため。

 いまだ宙を舞う扇子。

 思えばこれら全てで一つの動きなのだろう。

 鉄扇による目くらましも…。

 相手の攻撃を利用する攻撃も…。

 武器を奪いながらも、その行動すら相手を惑わす動き。

 正面から堂々と私の虚を突き。 それでいて舞いで相手に魅せる。

 

 全ては、この為の前振りでしかなく。

 今度こそ、その舞の前に私の身体は一瞬強張る。

 彼にとってはそれで十分だったのだろう。

 いや、逆の立場ならば私にとっても十分な隙。

 救い上げられるように舞う鉄扇。

 拡げられた鉄扇に浮かぶ『虚空』の二文字通り、その存在を虚無へと返さんばかりに、私の喉元へと吸い込まれ………。

 

「おみごと」

 

 自然と言葉が漏れ出る。

 喉元で止められたと言うのにも拘らず、私の身体は後へと倒れる。

 その事に彼は今まで浮かべていた舞のための微笑を、驚きの表情へと変えながらも、とっさに手を伸ばす。

 

ぱしっ

 

 だが、私はそれを振り払う。

 貴方が優しいのはもう分かっているが、ここで手を差し伸べるなど不要の優しさ。

 これは貴方の攻撃が当たったからではなく、自ら倒れ込んでいる事ゆえに心配する必要も無い。

 全力で挑み。 我が全てを賭けたうえで、貴方の舞の前に倒れる。

 それこそ、私がこの仕合で望んだ事。

 

とさっ

 

 地面に背中から落ちる衝撃に一瞬だけ息が止まる。

 昼間に受け身も取れず背中から落ちた衝撃に比べたら、衝撃とさえ言えない他愛無いもの。

 自ら倒れ込んだのだ。 大した衝撃も痛みもない事など当然。

 ………だが、心が、そして魂は昼間とは比べ物にならぬ程の痛みに、悲鳴を上げている。

 覚悟していてさえ、身を裂かれるかのような痛みと悲しみ。

 我が生涯の殆どを費やしてきたのだ。

 叫ばずにいられるものか。

 

「………………っ!」

 

 声なき我が叫び声は、天高く浮かぶ月に住む天人に届かんばかりに。

 静かに頬から零れ落ちる雫は、深き夜の闇に吸い込まれてゆく。

 それでも、私は構わず無様に声なき叫び声を上げる。

 彼が見ぬふりをしている事に感謝しつつ、心のままに、魂のままに、その絶叫を空高く上げ続ける。

 未練など何一つ残さぬように。

 

 桃香様の夢を、我が夢としたのは私。

 民の平穏を願いながらも、兇刃と化していた我が矛の鞘として桃香様を選んだ。

 その事に間違いはない。 今もその判断は正しいと思っている。

 あの方は民のためにある。

 あの方の見る夢は我が理想。

 だから私は桃香様の矛となり盾となると決めた。

 

 お笑いだ。

 桃香様の矛と盾になる等と、よくも思い上がったものだ。

 我が武が、我等の力があればいつか桃香様の夢を、…我等の夢を叶えられると思っていた。

 身の程も弁えずに、そんな馬鹿な思い上がりな間違えをしていた。

 私がなるべきなのは、弱き民の矛であり盾。

 桃香様と矛と盾になるのではなく、桃香様と共に民のために歩む臣下。

 ………志しを共にする仲間達と共に。

 

 私は何時まで御山の大将をしていたのだ。

 私が頑張れば良い等と、そんな考えが驕りでなくてなんだ。

 幾ら武があろうとも、一人で出来る事など限界がある。

 天下無双と言われた呂布然り。 目の前で、私のみっともない姿を見ぬように気遣い、月を仰ぎ見ている男もそうだ。

 呂布は月達を守る事が出来ず、今だどこかへと行方を晦ましている。

 そして彼はこれだけの強さを持ち、朱里達が認めるだけの智があり、その上天の知識もあると言うのにも拘わらず、攻めてきた曹操を追いやる事に成功したものの、幾らかの領地を奪われたばかりか、その爪痕を大きく残し、孫呉はその存亡が揺らぎかけている。

 いくら力があろうとも無力なのだ。 たった一人では……。

 

「貴方は、我等に多くの現実を突きつけた。 だが貴方はどうなのです?」

 

 利と理を読み戦場を操ってきた朱里と雛里の二人を甘いと、棋上の策などこの先の戦では役に立たないと言い捨てた。 事実彼は今まで狂気とも言える理と人心掌握でもって戦を制してきた。

 我等の矛は軽いと言い、多くの悲しみと想いを背負った舞いで我等の驕りを砕いた。

 それだけの力を持ちながら、貴方は驕る事がなかったのですか? 月を見上げる彼に私は問う。

 月を頭上に捧げた彼の表情は伺う事は出来なかったが、それでも彼はどこか寂しげで、そして懐かしむような笑みを浮かべているのが分かる。

 

 

 

 

「俺のじっちゃんは、俺から見ても化け物だったしね。

 本当の天才と言うものを見て育ったから、それは無かったかな。 女だからなんて古臭い馬鹿なしきたりがなかったら、間違いなく妹が後継者になっていたと思う。 だから俺は普通に舞い続けられたんだと思う」

 

 ははははっ。

 本当に世の中は広い。

 我ら三人を手玉に取った彼が化け物だと言う御老体が居り。

 更には天才だと、その才能を手放しで褒める者が居ると言う。

 だと言うのに、私は…いや、やめておこう、それこそ未練たらしいと言うもの。

 

「ふふっ。 失礼を申し上げれば貴方のどこを指せば、普通なんて言葉が出てくるのですか?」

 

 最初は私も普通と言う言葉しか出てこなかった。 それが彼に対して思った印象。

 だが彼を知れば知るほど、それがとんでもない異常だと思うようになった。

 大体どこの世界にあれだけの武を持ちながらも、それ以上に伏竜、鳳雛と謳われ、二人の内どちらかを手にすれば天下が取れると言われた二人が認める程の智を持つ者を。 ましてや天の御遣いと称される者を、何処をどう指せば普通と言う言葉が出てくるのか不思議で仕方なかった。

 だと言うのに彼は、

 

「普通だよ。 多少変わった生い立ちはあっても、君達のような超人的な肉体を持っている訳でもない。

 卑怯で……、姑息で……、弱虫で……、それでも地面を這い蹲ってでも前に進もうとする弱い人間だよ。

 一生懸命生きるしか能の無い普通の人間。 それが俺さ」

 

 まるで当たり前のように言う。

 だけどそれを誇りに思っている事が伝ってくる。

 それ故に私は理解した。

 

「やはり貴方は普通とは言い難いですね」

 

 ため息交じりに私は彼にそう答える。

 彼は危険だ。 そもそも普通の人間はそんな事を言いはしない。

 油断も、隙も、驕りも、……それどころか、自分は弱者だと思っているが故にいつでも必死なのだろう。

 だからこそあのような策を打ち立てれる。

 綱渡りのような道に平気で足を踏み出せる。

 

「雪…以前孫策にも似たような事を言われたけど、まさか生真面目そうな関羽さんから言われるとは思わなかったよ」

「自由奔放と評される孫策殿と一緒にされるのは御免こうむりたいですが、その件に関しては同意見ですね。 それと私の事は愛紗で結構です」

「いいのか?」

 

 そう尋ねながら地に寝転がる私に手を差し伸べる彼の手を、今度こそ私は掴みこの身を起こす。

 傲慢な武人としての私は死に、此処にあるのは民のためにある将。

 私が目指すべきは武神ではなく軍神。

 彼はそう教えてくれた。

 だから……。

 

「構いません。 それと周泰殿もそうお呼びください」

 

 そう彼女にも微笑みかける。

 彼を心配しつつも、彼を心から信じている彼女に。

 あれだけの穏行を有する彼女だ。 本来は多くの使命が彼女にはあったのだろう。

 それがそれなりの思惑があるとはいえ、我等に力を貸すと言うのだ。

 これくらいの事しか返すものは今はない故に。

 

 本当にこれで生まれ変われたかはどうかは分からない。

 だが、おかげで切っ掛けにはなった。

 後は私の想いしだいだろう。

 自分で変えて行こうと思い続けなければ、私は歩む事すらできない。

 強がっていても、私は弱い人間なのだから。

 ……そうだな、それが分かっただけでも、今日の所は良しとしよう。

 そう思える事が嬉しかった。

 そう感じる事が心地よかった。

 心が自然と落ち着く。

 今の想いを更に胸に刻むために、私は天を仰ぐ。

 

「ああ………、今夜はこんなにも月が綺麗だったのですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

あとがき みたいなもの

 

 

 こんにちは、うたまるです。

 第百十一話 ~ 闇夜に青龍堕ちしも、月光の下その魂は空高く舞い上がらん ~ を此処にお送りしました。

 

 さて冒頭の翡翠ちゃんの爛れた日常はさておいてと言いたいですが、字数制限に引っかかってしまったので抜粋しました。 と言う訳で今回のおまけはお休みです。

 まぁそんなどうでも良い事はさておき、今回も詠ちゃんは頑張りましたが、主役はなんと言っても嫉妬神と巷で有名な愛紗ちゃんで~す。

 思春に似た所もありますが、まったく別のタイプの武人としてある愛紗の心の葛藤を、私なりに描いてみましたが如何でしたでしょうか?

 前回までこの外史における愛紗に対するご感想いただけましたが、全てこの為の前振りと思っていただければ幸いです。 むろんそれだけではありませんが、其処はまだ秘密と言う事でおいて置きまして、とにかく私なりに格好良い愛紗を書けたとは思っています。

 なお皆さんお忘れでしょうが、月はあれでも元太守で恋姫でも武将扱いになっていますし、桃香と違いきちんとした教育を受けてきた子ですので、当然ながら護身程度の武は身につけていると考えられます。 そう言う訳で、身につけているものを利用してと言う事で布槍術を使わせてみました。 舞うような布槍術。 可憐で儚げな月ちゃんにぴったりだと思いませんか? 本当は、本史でも素手で牛を殴り殺したと伝えられている事から翠に負けない剛力さを見せようと思いましたが流石にイメージに合わないのでやめました(汗

 

 前回の更新から大分日にちが開く事となりましたが、幾つか理由があります。

 一つは私が戦闘描写や戦術じみた事を書くのが苦手な事。 実際かなり苦労しました。

 一つはみて分かるようにかなりの文章量になった事。 変な所で区切って、熱を冷ましたくないと言うのと、此処まで来て変な風に愛紗を誤解されるのが嫌だと思ったからです。

 一つは色々私事で立て込んでいたのもありますが、PCが起動しなくなるという事態に陥り、再セットアップと言う羽目になりました。

 そして最後に、前回の更新が遅れたのも関係していますが、萌将伝をやっとプレイしたと言うのがありました。 ……本当にやっとですよ? 萌将伝を知らずに書いていたので、かなり設定に違和感があるんだなぁと知りました。 まぁそれは無視しとくとして、ついでに約二年ぶりにDSのゲームを買いました。 そのタイトルも『逆転検事2』で、いまだプレイ中で~~す。 そんな訳で更新が遅れに遅れてしまいました。 

 痛っ、やめて、お客様どうか物を投げないでください。 反省はしていませんが、どうかお許しをっ。

 

では、頑張って書きますので、どうか最期までお付き合いの程、お願いいたします。


 
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