No.201203

一刀のお姉ちゃんは七乃さん!! バレンタイン編

藤林 雅さん

半年ほど、投稿せず久しぶりに書いたら皆さんが期待したお姉ちゃんズでは無く、また新しく作ったとんでも外史。
今回は、七乃さんの心情を全て書き出さず、読者の方々におおもいおもいに想像出来るようにしています。以前、私の書くこういった文章は『蛇足』だと指摘された事もあり、ちょっと色々と試してみました。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

2011-02-12 21:15:43 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:7602   閲覧ユーザー数:6015

 

 空気が冷え込み、吐く息も白くなる二月中旬の早朝。

 

 某所にある築年数を三十年をゆうに越える二階建ての木造アパート。

 

 リフォームされ電気、水周り、壁などはその都度必要に応じて改修されているものの、見る者全てに年期を感じさせる佇まいを持っていた。

 

 一言で言えば、ぼろいアパートである。だが、築年数はかなり経過しているが、2LDKの広さという魅力があった。

 

 そんなアパートの一画にある台所の出窓からトントンとリズムに乗った包丁とまな板が奏でる音と共に、ご機嫌な女性の鼻歌が澄んだ冬の朝に心地よく響く。

 

 その女性こと七乃は、聖フランチェスカ高等部の制服に袖を通し、その上にフリルがついたエプロンという姿で朝食を作っていた。

 

 七乃は慣れた手つきで手際よく、ネギを切って火を止める前のお手製みそ汁にまな板から包丁をスライドさせ投入してゆく。その表情は本当に楽しそうに微笑んでいる。

 

 続いて火を止めて、味噌をお玉にのせて菜箸で溶かす。

 

「うん。今日も良く出来ました」

 

 七乃は少しだけお玉でみそ汁の味見をして満足そうに頷く。

 

 そして、電子ジャーで炊いているご飯が炊き上がっているのを確認すると、台所と居間を仕切っている刷りガラス戸を開ける。

 

 八畳ほどの広さを有する畳部屋の中は、未だにデジタル化が済んでいないブラウン管のTVや古い木製のタンスに壁に斜めに立て掛けられたちゃぶ台といった家具に囲まれている。

 

 そんな部屋の中央部で敷かれた布団の中にひとりの少年こと一刀が何やら苦悶の表情を浮かべながら「うーん」と唸っている。

 

 よく見れば、一刀に寄り添うというか半ば乗りかかった状態で彼にへばり付いた格好で寝ている少女こと美羽が居た。

 

 一刀とは対照的に美羽の寝顔はとても安らかで、七乃にとっては天使の笑顔であった。

 

 この三人。実は遠縁ではあるが親族で年長者である七乃が長姉となり続いて一刀、そして美羽という順番で構成された仮初の家族であった。

 

 元々、美羽の親を中心とした一族であったが、事業に失敗して親族を巻き込んで離散。

 

 その中で親に取り残された七乃、一刀、美羽は路頭に迷ったが、親戚筋の知人である聖フランチェスカの学園長こと筋肉妖怪――じゃなくて、貂蝉の取り計らいと援助により一緒になって三人で暮らしはじめてもう五年以上になる。

 

 元々、幼き頃から多忙な一刀と美羽の両親に代わって自分の家に預けられていた二人を七乃は非常に溺愛しており、そして一刀と美羽も七乃を慕っていた経緯もあり、三人の関係はとても良好であった。

 

 まあ、お嬢様であった上に甘やかされて育った美羽は、未だに世間知らずな行動や言動が多いがその点は七乃と一刀が上手くフォローしている。

 

 美羽がこのようにして隣りの部屋から抜け出して一刀にへばりついて寝ているのは、他人のぬくもりを求めての本能に近い行動であり、朝方早く起きた七乃が居ない事に気付き、半ば寝た状態で隣の居間で布団を敷いて寝ている一刀にぬくもりを求めた結果で、よくあるというかほぼ毎日この時間帯に七乃だけが見ることが出来る光景であった。

 

「お嬢様、一刀さん。もう朝ですよ。起きて下さい遅刻しちゃいますよー」

 

 七乃は優しい声音で愛しい自分の兄妹を起こす。

 

「むにゅ~」

 

「お、おもい……」

 

 北郷家のいつもの朝が訪れていた――

 

 

 「そういえば、今日はバレンタインですねー」

 

「ぶふっ! ごほっ! ごほっ!」

 

 三人揃って仲良く朝食を食べている最中、七乃が突然そんな事を切り出してきて、みそ汁を啜っていた一刀は咽てしまう。

 

「おお、そうであったの。兄様(あにさま)、楽しみに――もごもご」

 

 そんな一刀をよそに美羽は、笑顔でその件について喋ろうとしていたが、片手で人差し指を口元に添え「しーっ」というジェスチャーをしている七乃に口をふさがれてしまう。

 

「と、突然何を言い出すんだよ七乃姉さん」

 

「まあまあいいじゃないですか。お姉さんとしては弟がよそさまの女の子達に迷惑を掛けていないか気になるんですよ」

 

「・・・・・・俺の交友関係は、言わずとも把握してるじゃんか」

 

「あはー。そうですね」

 

 そこで否定せず、笑顔をまったく崩さない態度の七乃に一刀は姉とはいえ彼女の怖さを感じるのであった。

 

 一刀はご飯を慌てて胃袋にかきこんで「ごちそうさま」と告げて食器を流しに持っていき、居間に戻って鞄を手に取ると逃げるようにそのまま、ドアへと向かう。

 

「け、剣道部の朝練があるから俺はもう行くよ」

 

「はいはい。気をつけていってらっしゃい」

 

「いってらっしゃいなのじゃ」

 

 食事を続けている七乃と美羽に見送られて一刀はアパートから出て行くのであった。

 

 一刀が出て行ったのを確認すると美羽と七乃は食事をする手を止めて視線を交わす。

 

「七乃、七乃。兄様に渡すチョコレートはできとるかの?」

 

 ちゃぶ台に両手を置いて膝立ちで身を七乃へ向かって乗り出す美羽。

 

「はい。昨日の夜に作って用意してありますよ美羽様」

 

 七乃は台所の冷蔵庫に赴いて美羽の為に用意していた大きなハート型のチョコレートを取り出す。

 

「学園に行く前にラッピングをしましょうね」

 

「うむ! ・・・・・・? のう七乃」

 

「はい。なんでしょう?」

 

 チョコレートをキラキラとした瞳で見つめていた美羽が、ふと何かに気付いたように首を傾げて七乃に問う。

 

「これが妾のであるなら、七乃の分は? 今年は兄様にチョコレートは渡さぬのか?」

 

「さーどうでしょうねぇ?」

 

 美羽の質問に七乃はいつも通り微笑んで答えをはぐらかすのであった。

 

 

 一刀達が学問を修めに通っている聖フランチェスカ学園。

 

 少し前までは、由緒あるお嬢様学園として名を馳せていたが、昨今の教育事情と少子化対策の為に現在は共学となった学園である。

 

 とは言っても、未だに全校生徒の四分の三が女性というこの学園において二月十四日のバレンタインというのは、意中の男子生徒と距離を縮める絶好のイベントであった。

 

 しかしながら、名門お嬢様学園の名残を残すこの聖フランチェスカ学園では、放課後まではきちんと勉学に励むようにとチョコレートを渡すのは放課後以降という規程があった。

 

 ――と、言うか去年のバレンタインにおいてある事が理由となってこの項目は出来た経緯がある。

 

 その原因というのが北郷一刀であった。

  

 一刀は幼少の頃から姉である七乃の教育により「全ての女性には優しく紳士でないといけませんよ」と常々言われ、七乃を慕っている一刀はそれをひな鳥のすりこみの如く遵守していた。そして本人自身の優しさも手伝い、誰にでも気兼ねなく接する態度に男女問わずにそこそこ人気があったのだ。

 

 あくまで『そこそこ』であり、彼を慕っている部活の後輩や先輩などが何かと助けてもらっている日頃の感謝を込めてチョコを渡してくれる程度である。 

 

 だが、一刀を異性として慕う女性達からその光景は彼女達に危機感を覚えさせたのである。

 

 そして去年のバレンタインデーに於いて、釣った魚にエサを与えない一刀に対して、溜まりに溜まった不満が現実となり連鎖反応を起こして爆発してしまったのあった。

 

 詳しく記述することは避けるが、この事件は『血塗られたバレンタインデー』として聖フランチェスカ学園の暗黒史に残る事になる。

 

 事後処理として一刀の姉である七乃が奔走した為、その年の三月十四日に生徒会派と部活連合による調停式が行われ、事件は沈静化するのであった。

 

 しかしながら、今年もバレンタインデーはやってきた。

 

 七乃の問い掛けに一刀が動揺したのは去年のトラウマを思い出したからでもあった。

 

 ――余談はこの辺にして、兎にも角にも聖フランチェスカ学園では今年よりバレンタインデーは教師陣が中心となり、厳戒態勢が敷かれていたのである。

 

 そして、学園内のひとりひとりが、昼休みでさえも何とも言えない緊張感を含んだ時間を過ごす。

 

 昼休みで学食でマイペースに学食を食べていたのは、このような原因の一端を作った本人こと一刀にその妹の美羽、そして二人共通の幼馴染みである劉三姉妹の末っ子鈴々の三人だけだった。

 

 いつものように仲良くしている三人に皆、ピリピリとした怨嗟の含んだ視線を送っていたが、一刀達は全く気付く事が無く、食堂のおばちゃん達は、そんな学生達を見ながら「やれやれ」と苦笑混じりの溜め息を吐くのであった。

 

 

一方、その頃。

 

 七乃は教室で兄妹共通の幼馴染みである劉三姉妹の長女桃香と談笑していた。

 

「――去年の失敗を踏まえて私なりに考えたんだよ」

 

 七乃の席にて桃香は頬を紅潮させながら、彼女に話を聞かせる。

 

 桃香が説明の為に手振り、身振りをする度に彼女のたわわに実った水蜜桃のような胸ががぷるんぷるんと七乃目の前で揺れている。

 

 (あははー桃香ちゃんはこれみよがしに私にケンカでも売っているんですかねー? しかし、残念ながら一刀さんは胸の大きさには拘らないですよー)

 

 七乃は、笑顔を浮かべながら心ではそう思っていた。

 

「そこで愛紗ちゃんと共同開発したスイートクッキングによる今年のチョコ! これで一刀君も私達にメロメロだよっ!」

 

 エッヘンと威張りながら、桃香は七乃の目の前に包装されたチョコレートを出す。

 

 だが、中身が見えないのに七乃はそのチョコレートから何やら不気味な雰囲気が漂っているように感じた。

 

 七乃は思った。

 

(桃香ちゃんは一刀さんを亡き者にするきデスかっ!?)

 

 姉として可愛い弟を守る為に七乃は立ち上がる。

 

「と、桃香ちゃん! アレ! 窓の外っ! 左慈君が抜け駆けして一刀さんにバレンタインデーチョコを渡そうとしています!」

 

「えっ! そんなっ! ズルイよ!」

 

 純真な桃香は七乃の言葉に従い、がばちょっ! と、窓から身を乗り出す。

 

 桃香の視線が外れたその刹那、七乃は机の上に置いてあるメルヘンな生物兵器に体重を乗せたエルボーを落とした。

 

「よいっしょ!」

 

 バキッと音を立てて、桃香お手製のチョコレートは無惨な形になる。

 

「……七乃ちゃん、一刀君と左慈君がどこにもいないよ~って、ああ~!」

 

 振り返った桃香は、無惨にも潰れたチョコレートを見て涙目になった。

 

 そんな彼女の様子を見て、七乃は友人に対して悪い事をしたと罪悪感に包まれながらも、弟の命を守るべく心を鬼にしたのだと言い聞かせる。

 

「ごめんね、桃香ちゃん。勢い余ってこけちゃった。お詫びに――」

 

 七乃は、桃香に耳を寄せてごにょごにょと何かを耳打ちする。

 

「ほんとっ! 七乃ちゃん」

 

 桃香は花を咲かせたように明るい笑顔になった。

 

「ええ。大事なバレンタインにチョコレートが渡せない失態を犯したのだからこのぐらいの事はさせてください。ああ、その時に今日の代わりを用意すると一刀さん喜ぶと思いますよ」

 

「うん。ありがとう七乃ちゃん」

 

「いいえ、どういたしまして。では、この件については愛紗ちゃんと鈴々ちゃんにも内緒ということで」

 

 桃香の笑顔を見て内心ホッとする七乃であった。

 

 

 昼過ぎの五限目を過ぎた休憩時間を使って七乃は鈴々の居る下級生の教室を訪れた。

 

「鈴々ちゃん、鈴々ちゃん」

 

 教室の入り口で手招きして鈴々を呼ぶ七乃。

 

「あっ、七乃おねーちゃん。鈴々に何かよーなのか?」

 

 七乃に気が付くと鈴々は笑顔で駆け寄って来た。

 

「鈴々ちゃんにこれをあげようと思って」

 

 七乃は懐から一枚の券を取り出す。

 

「莱々軒のラーメン券なのだっ!」

 

 七乃の手にしている券は、鈴々がお気に入りのラーメン屋で使えるタダ券(大盛り無料)であった。

 

 鈴々の目が期待に満ちてキラキラと七乃を見つめる。

 

「ところで鈴々ちゃん。今日の放課後に一刀さんにバレンタインデーのチョコをあげるんですか?」

 

「にゃっ? そーだよ。いつも通りお兄ちゃんに渡してから二人で一緒に食べるのだ」

 

 問い掛けに素直に答える鈴々。

 

「う~ん。それは困りましたね。この券の有効期限が、実は今日の夕方までなんですよ」

 

 七乃は鈴々に見えるように券を見せ有効期限が確かに今日までという事を確認させる。

 

「にゃーでも、今日はお兄ちゃんにチョコレートを渡したいのだ」

 

 大好きなラーメンも食べたいけど、大好きな一刀にチョコレートを渡したいという女の子な気持ちに揺れる鈴々。

 

 そんな彼女を見て七乃はニッコリと微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ。例え明日、バレンタインのチョコレートを渡したとしても鈴々ちゃんからの贈り物ですから一刀さんはとても喜ぶと思いますよ? それより、この券を無駄にする方が、もったいないとおもいませんか?」

 

七乃の誘導に鈴々は悩む。

 

「うーん。そーゆことなら、七乃お姉ちゃんの所にもったいないおばけが出てきても大変だし、わかったのだ。今日はラーメンを食べにいくのだ!」

 

「はい。それじゃあどうぞ」

 

「ありがとなのだ。七乃お姉ちゃん!」

 

「いいえ、どういたしまして。一刀さんに鈴々ちゃんからのチョコレートは明日になることを伝えておきますね」

 

「うん! お願いなのだ」

 

 七乃は、鈴々にバイバイと手を軽く振ってからその場を後にした。

 

 そして自分の教室に戻る道中、独り言を漏らす。

 

「これで鈴々ちゃんの今日の動きは封じ込められました。愛紗ちゃんは放課後になった地点でこちらの手の内ですし、これで一番の強敵である劉三姉妹の動きは封じ込めました。後は――」

 

 そんな事を呟きながら教室に戻る七乃であった。

 

 

 本日の授業の終礼を告げる鐘が聖フランチェスカ学園内に響き渡った。

 

 皆、待ちわびた瞬間である。

 

 朝より言いしれぬ抑圧に鬱憤を溜めていた生徒達が解き放たれて、一分も経たない内に学園中が一気に喧騒に包まれた。

 

 一刀の所属するクラスでもそれは同じであり、彼の友人である華佗が早速、クラスメイトの女の子達に囲まれてチョコレートの攻勢を浴びていた。

 

 熱気に溢れるクラスメイト達を横目に一刀は邪魔にならないように手短に荷物を整えて鞄を持って立ち上がる。

 

 それを見ていた彼の幼馴染みで劉三姉妹の真ん中である愛紗が机に隠していたラッピングされたチョコレートを片手に立ち上がる。

 

 愛紗は緊張しながらも他のライバルに先んじて行動を起こす。

 

「かず――「「「「キャー!」」」」――なっ、なんだっ!」

 

 一刀に声を掛けようとしたその刹那、愛紗は周りをたくさんの女生徒達に囲まれた。

 

「愛紗お姉様! 私、この時を今か、今かと待ちわびておりました!」

 

「私もですっ!」

 

「さあ、愛紗お姉様参りましょう!」

 

 興奮している後輩を中心とした女生徒達に腕を掴まれ愛紗は身動きが取れなくなってしまう。

 

「お、おぬし達、さっきから何を言っているのだ!?」

 

 愛紗の言葉に女の子達は、少し驚いた様子で顔を見合わせる。

 

「い、いや。私には皆がどうしてこんな事をするのかが、皆目検討がつかないし、何より今日は今から大事な用事があってだな」

 

 教室を出て行こうとする一刀に視線をチラチラと送りながら、集まった者達を諭す愛紗。

 

「はい。ですから皆、仲良くこうして集まったのです」

 

 ひとりの女の子が一枚のチラシを愛紗に差し出した。

 

 愛紗はそれに目を向けて、内容を確認すると目を見開いて驚愕する。

 

「な、なんだこれは!」

 

 そのチラシには『薙刀部のエース 愛紗先輩を囲んで お茶を楽しむ会 開催日は 二月十四日の放課後より』 と愛紗の写真掲載されていると共にそう書かれていた。

 

「ではでは。お集まり頂いた皆様、参りましょう。霞先輩が会場をセッティングしてくれているそうですわ」

 

「私、愛紗お姉様とこの機会に色々とお話しをしたいと思っていました」

 

「バレンタインデーにちなんで、愛紗お姉様に私、チョコレートを持って参りましたの」

 

「あら、わたくしもですわ」

 

 取り巻きの女の子達はおもいおもいに語りながら愛紗を半ば強引に連れ出し始めた。

 

「ちょっ、だから、私はこれから一刀にチョコレートを――」

 

 そこまで言いかけて愛紗はハッと何かに気が付く。

 

「こ、これは七乃さんの仕業だなー!」

 

 しかしながら、既に後の祭りである、空しく愛紗の絶叫が廊下に響き渡るのであった。

 

 

「雛里ちゃん準備はいい?」

 

「うん。ばっちりだよ朱里ちゃん」

 

 聖フランチェスカ学園の制服に袖を通したはわわ&あわわコンビこと朱里と雛里は、料理部の活動拠点である調理実習室にて自分達がそれぞれ作ったお手製のチョコレートを手にしていた。

 

「一刀先輩喜んでくれるかなぁ?」

 

「大丈夫だよ! 雛里ちゃんも私も一生懸命作ったんだから、きっと一刀先輩も喜んでくれるよ」

 

 そして朱里と雛里はチョコを渡した際の妄想に浸る――

 

 程なくして、同時に顔を真っ赤にさせて「はわわ」「あわわ」と慌てだした。

 

 それから数分後に我を取り戻す朱里と雛里。

 

「そ、それじゃあ気を取り直して一刀先輩の所に行こっ雛里ちゃん」

 

「あ、あわわ~ 待ってよ朱里ちゃんおいていかないで~」

 

 改めて意を決した朱里が行動を起こし、雛里も慌てて後を追う。

 

「あわわ!」

 

 だが、雛里は廊下の曲がり角で先に向かっていた筈の朱里の背中に追突してしまった。

 

「しゅ、朱里ちゃんどうしたの?」

 

 立ち止まっている朱里に声を掛けるも反応が無い。

 

 仕方が無く前に回りみ、朱里の視線がある一点を差している事に気が付き、雛里もそちらに目を向けると、廊下に一冊の薄っぺらい本が置いていた。

 

 雛里はその本をよく観察して、それが何であるか理解した瞬間に驚きと共に頬を紅潮させる。

 

「あれは――」

 

「そう! や○い界の新進気鋭の作家ガンガンハッピー【訳:干吉のペンネーム】先生がアマチュア時代に発行したとされる幻の同人誌! 主人公の愛した男性は他の男性が好きで、でもでもその人には奥さんが既に居て――そんな三人の男性のめくるめくる想いと交わりを描いた――」

 

「朱里ちゃん、朱里ちゃん落ち着いて」

 

 興奮する朱里を落ち着かせようと雛里はストーリーを熱弁しはじめた親友の肩に手を置く。

 

「――雛里ちゃん」

 

「大事な事は今、私達の目の前にその本が落ちている。その事実が大事だよ」

 

 真剣な顔をしてそんなことをのたまう雛里であった。

 

 結局、二人は同人誌を手に取りその場でドキドキしながら開く。

 

 そして、共に首まで真っ赤にさせ茹でタコのようになり、頭からピーっと蒸気を出して二人してその場にダウン。

 

 すごい内容だったようである。

 

 そんな二人の様子を廊下の片隅で見ていた者がおり、朱里と雛里が共にダウンしたのを確認してその場を後にする。

 

「これでよし。ごめんなさいね。今日だけは一刀さんに誰も近付かないようにしないと行けませんから」

 

 七乃はそう言い残して立ち去っていくのであった。

 

 

「さてさて今度は一筋縄では退いてくれそうにない相手に会ってしまいましたねー」

 

「顔を合わすなりイキナリそれですか七乃先輩」

 

 七乃が相対しているのは、腰に手を当てて不遜な態度をとっている小柄な女の子もとい華琳であった。

 

「うーん。聞くまでもないような気がしますが、華琳ちゃんも一刀さんにチョコを?」

 

 笑顔のままそう問い掛けた七乃に対して、華琳はソッポ向くも照れているのか頬が少し赤い。

 

「ま、まあ、普段、何かと生徒会を手伝ってくれていますし「私の前で堂々と拉致っていますけどね」――うっ、兎も角、義理ですよ義理」

 

 華琳がそう答えると七乃は心外そうに「あら?」と呟き驚いた表情を浮かべたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。

 

「義理ならご遠慮願いますねーあれでも一刀さんもてもてですから、真剣で好きな子達に譲ってあげてくださいね」

 

「なっ!」

 

 七乃のとんでもない言葉に華琳は不覚にも驚いてしまう。

 

「そ、それは七乃先輩が決める事じゃありません。――通して貰いますよ」

 

 立ち塞がる七乃を避けるように華琳が動くが、七乃は素早くそちらに身体を動かす。

 

「むっ!」

 

 今度は逆方向に移動する華琳であったが、再び七乃に遮られた。

 

「七乃先輩! 邪魔しないでくださいっ!」

 

「もー聞き分けがないのは華琳ちゃんの方じゃないですかー」

 

 どっちもどっちである。

 

「ですから私は一刀に――「しょうがないですね。これは、華琳ちゃんの為にも使いたくなかったんですけど」――えっ?」

 

 怒りを顕わにする華琳に対して七乃は少し困った表情をしながら制服の胸元から一冊のノートを取り出した。

 

 そのノートを見て華琳は目を大きくして驚く。

 

「そ、それはっ!」

 

「華琳ちゃんのポエム集です」

 

「知ってるわよ! 何で、七乃先輩がそれを持っていらっしゃるんですかっ!」

 

 うがっーと噛み付かんばかりに叫ぶ華琳。

 

「咲き誇る染井吉野を見ながら愛しい貴方を――「わっー! わっー!」」

 

 七乃はノートの内容を朗読しはじめ、華琳は両手を振りながら大声で抗議する。

 

「そういうことですので一刀さんにチョコレートを渡すのは、今日は諦めてくださいね」

 

 ノートを華琳に「はい」っと返しながら笑顔を携えたまま七乃は念を押す。

 

「はいはい、わかりまし――今日だけ? 七乃先輩。それは明日以降、一刀にチョコレートを渡すのは構わないってことですか?」

 

「そうですよ」

 

「また何で……」

 

 華琳のもっともな疑問に七乃は人差し指を立てる。

 

「去年のような騒動は学園にも迷惑が掛かりますし、学園長に養って頂いている身分でこれ以上はちょっと――」

 

「あ、あはははは――ごめんなさい」

 

 去年の『血塗られたバレンタインデー』の主犯格は何を隠そう華琳であり、彼女の抜け駆け行為が発端となって起こった事件だけに華琳も謝るしかなかった。

 

「いいえー別に大丈夫ですよ。ですから、華琳ちゃん明日以降なら構わないから、用意したチョコレートを一刀さんにちゃんと渡してあげてくださいね。すごく喜ぶと思うから」

 

「はいっ」

 

 華琳は普段、中々見せない優しい表情を浮かべて七乃に返事をした。

 

「でも、七乃先輩。本当にそれだけが理由ですか?――」

 

 だが、次の瞬間には猛禽類を想像させる獲物を狙うような瞳に変わり七乃に問う華琳。

 

「どうでしょうかねー」

 

 七乃は明確な答えで返さずただニコニコと微笑んでいるだけであった。

 

 

 陽が暮れはじめて冬空に短い夕焼けが映る中、一刀はアパートへの帰路にある公園のブランコで所在なく腰を降ろしていた。

 

「今年は一個もチョコレート貰えなかったなぁ」

 

 そう呟いて「はぁ」と溜め息を吐く一刀。

 

 一刀自身、自惚れている訳ではないが、いつもなら劉三姉妹を筆頭に幾つか貰っていたのでまさか結果がゼロだとは思わなかったのである。

 

「まあ、去年はあんな事があったし、みんなも好きな人が出来てその人にチョコレートを渡したりしているんだろうなぁ」

 

 朴念仁にも程があるフラグクラッシャーな発言をかます一刀。

 

 この呟きを聞いたのなら愛紗は怒りで薙刀を振り回して追いかけるだろうし、桃香は童顔で可愛らしい瞳に大粒の涙をポロポロと流して泣かれるであろう。華琳には折檻を受けた後、生徒会執行部でお手伝いという名の懲役刑が待っている事に間違いない。鈴々は――「じゃあ、もてないお兄ちゃんは、鈴々が引き取ってあげるのだ」と言うだろう。――あれ? 最後は別にいつも通りのような気がするが兎も角、一刀の自覚無しが『血塗られたバレンタイン』が起こった原因はここにある。

 

 そんな黄昏れている一刀の背後からひとつの影が差した。

 

 一刀がそれに気が付き後ろを振り向くとそこに居たのは――

 

「七乃姉さん」

 

 いつものようにニコニコと優しい笑顔を携えた七乃であった。

 

「あれー一刀さん。こんな所で何を落ち込んでいるんですかー?」

 

「べ、別に何でも無いよ」

 

 明らかにからかい口調の七乃に一刀は彼女から視線を逸らす。

 

「もしかしてバレンタインデーのチョコレート一個も貰えなかったとか?」

 

「うっ……」

 

 心の中を見透かされ一刀は胸に七乃の言葉がグサッと突き刺さる。

 

 そんな一刀の態度に七乃はクスクスと笑う。

 

 一刀は恥ずかしくなって俯いてしまう。

 

「はい」

 

 俯いた一刀の目の前に七乃から差し出されたのは、綺麗にラッピングが施されたチョコレートだった。

 

 家族だから貰える事は分かっていたが、こんな所で渡されるとは思っていなかった一刀は内心ビックリする。

 

「お姉ちゃんから愛の籠もったチョコですよー」

 

「あ、ありがとう七乃姉さん」

 

「どういたしまして」

 

 一刀がきちんと手渡されたチョコレートを受け取るのを確認すると七乃は手を差し伸べてきた。

 

「さっ、傷心の一刀さんをお姉ちゃんがなぐさめてあげますから手を繋いでかえりましょうか?」

 

 優しく微笑む七乃に一刀は思わず照れてしまい「……うん」と答えて、差し出された手を握り返す。

 

「お嬢様も一刀さんにチョコレートを渡したくて、お家できっとソワソワしてますよ」

 

「そっか。そうだと嬉しいな」

 

「そうですよ。一刀さんはもうちょっと私達に感謝すべきなんです」

 

「しているよ。いつも」

 

「なら、もっとですねー」

 

「はいはい。わかったよ七乃姉さん」

 

 そんな他愛の無い言葉と微笑みを交わしながら姉弟は、末っ子の待つわが家へと手を繋いだままで帰る。

 

 こうして、普段あまのじゃくな一刀のお姉さんこと七乃は、バレンタインデーの最後ぐらいは自分に素直になって過ごすのであった――

 

おしまい


 
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