No.200105

DAGGER 戦場の最前点 第01話

BLACKGAMERさん

青年は最強であるが故に、人から外れ
少女は最弱であるが故に、人から外れた。
孤独な青年、ティスト・レイア
心を閉ざした少女、アイシス・リンダント
二人が織り成す、心優しい物語

続きを表示

2011-02-06 21:55:17 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:703   閲覧ユーザー数:658

【view of ティスト・レイア】

 

 

 

「よし、買出し終了」

 

コーヒー豆も買い足したし、これで全部そろった。

 

買い忘れると半日を潰してここまで来るか、我慢するかの二択になるからな。

 

念のため、買い物袋の中身を確認しながら、のんびりと歩く。

 

「おっと」

 

「あ、すみません」

 

お喋りに熱中していた女とぶつかりかけ、慌てて避ける。

 

夕暮れの喧騒と行き交う人の多さには、いつも居心地の悪さを感じてしまう。

 

人の波を避けるように、店のない路地裏へと道を変えた。

 

 

 

 

 

長い塀にそって、人気のない道をゆっくりと歩いていく。

 

たまに目つきの悪い人間とすれ違うが、互いに相手のことなど気にも留めない。

 

居心地がいいとは言えないが、こっちのほうが気を使わなくて済むだけ、楽でいい。

 

どこまでも伸びている頑丈な塀の中は、クリアデルという兵士や傭兵を育成するための機関。

 

強さを求める者たちが集う場所…といえば、聞こえはいいかもしれないが…。

 

持て余した力を誇示する者や戦うことに魅入られた…つまりは、戦うことしか能のない人間が集う場所だ。

 

「…?」

 

ようやく見えた角を曲がったところで、奇妙な光景に足を止める。

 

クリアデルの塀に背をつけ、女の子が膝を抱え込んでいた。

 

地べたに座り込んで、何をしているんだ?

 

「…ッ」

 

その顔を見て、思わず息を飲む。

 

瞳は虚ろで、焦点が定まっていない。

 

土気色の顔には、生気がまるで感じられない。

 

自分を抱え込むその姿は、全てを拒絶しているようだ。

 

医者じゃないから詳しいことは分からないが、素人目にも分かるほど、女の子は憔悴していた。

 

 

 

 

 

 

俺が近づいても、何の反応も見せない。

 

ただ、ぼんやりとした表情で座っているだけだ。

 

知覚していても無反応なのか? それとも、知覚すらできていないのか?

 

どちらにせよ、こんな場所に座らせておいていいほど、軽い症状じゃないはずだ。

 

安っぽい胸当てとグローブは、戦闘をするには心許ない装備だが…。

 

この格好からすると、クリアデルの人間…か?

 

「そこで、何をしている?」

 

横柄な声に振り返れば、人相の悪い男が腕を組んで立っていた。

 

見るからに、あくどい商売が似合う面だ。

 

「ウチの商品に何のようだ?」

 

「べつに」

 

商品…ね。

 

人の売買を生業とする奴らは、人間を平然と物扱いする。

 

このご時世だし、当たり前だという奴も多いが、こいつらの考え方には正直ついていけない。

 

俺は、人を買おうと思ったことも、売ろうと思ったこともない。

 

「女が欲しいなら、世話してやってもいいぜ。その娘は売約済みだから、別の女になるがな」

 

「売約済み?」

 

「ああ。あと一時間もしないで、こいつを買いに客が来るのさ」

 

だから…か。

 

これからの人生は、買った人間の奴隷として、媚びへつらいながら生きていくだけ。

 

その運命から解放される選択肢は、捨てられるか、死ぬか、そのどちらか。

 

おそらく、それを理解して、この子はたぶん…諦めたんだろう。

 

そう、暗く淀んだ瞳が告げている。

 

この子の人生は、あと一時間ほどで決定し、おそらくそのまま終わる。

 

こうして、俺がこの子を見下ろしているのは、たぶん、人の最後を看取るのと同じようなものだ。

 

その事実に、激しい嫌悪感を覚える。

 

このまま見過ごせば、人殺しと変わらない。

 

「この子の家族は?」

 

「は?」

 

「親はどうしたんだ? 両親がいるだろう?」

 

「その親からのお達しだよ」

 

半ば予想していた返事なのに、息が詰まりそうになる。

 

親でさえ、平気で子を見捨てる…あいも変わらず、腐った世の中だ。

 

「まったく、金があるってのは羨ましいねえ、なんでも思い通りになる」

 

言葉と裏腹に、この男の目は、金持ちを羨むのではなく、金を持っていないこの少女を蔑んでいた。

 

ただ光るだけのものにそれほどの価値を見出すなんて、なんとも不思議な話だ。

 

金は、飢えも渇きも癒してくれないのに…こんなもので、人の命すら買えるんだから。

 

「………」

 

腰から下げていた皮袋に、手を伸ばす。

 

そこには、たしかな重みがあった。

 

財布の中身には、執着も、使う予定もない。

 

足りなくなったら、また稼げばいい。

 

これを使い果たして、この子を今の状況から逃がせるなら…。

 

悪くないかもしれない。

 

「俺が、この子を買うといったら?」

 

「はぁ? なんだって?」

 

「俺が、この子を買うといったら?」

 

言葉に迷いを乗せないように、もう一度繰り返す。

 

くだらない意地を張ることが正しいのかなんて、分からない。

 

ただ、家に帰ってコーヒーを飲むときに、こんなことを思い出したら、まずくて飲めたものじゃなくなる。

 

「どれだけ持ってるんだよ?」

 

「お前が首を縦に振るぐらいだ」

 

大き目の皮袋の中から硬貨がぶつかり合う音を聞いて、男の目の色が変わる。

 

金と騒ぐだけのことはあるな、その反応は分かりやすくて話が早い。

 

「見せてみな」

 

金の入った皮袋を、無造作に投げつける。

 

「おっと」

 

両手で袋を受け止めた男は、口紐を緩めて中身を覗きこみ、ジャラジャラと音をさせて上機嫌で数えている。

 

あの姿には、醜さしか感じない。

 

「こいつはすげえや」

 

「これを使って、横取りする…ってわけか?」

 

「文句あるのか?」

 

「へぇ、よっぽどこいつが気に入ったらしいな」

 

「そんなに幼子がいいなら、別口で2、3人用意するから、ぜひとも買ってくれよ」

 

叩き売りの口上を聞くだけで、苛立ちが募る。

 

この男さえ消せば…そう思う気持ちを、なんとか抑え付けた。

 

「それで…できるのか?」

 

「その前に、俺の質問に答えてくれよ。

 

 どうやってこんなに大金を稼いだんだ? 人に言えないことをしてきたんだろう?

 

 いい口があるなら、俺にも紹介してくれよ」

 

商売根性を丸出しにして、大声でまくし立てる。

 

こんな耳障りな声を、これ以上聞いていたくない。

 

「金を払って欲しいなら、余計なことは喋らないことだ」

 

俺の敵意にようやく気づいたのか、相手も表情を引き締める。

 

「尖るんじゃねえよ。俺と揉めたら、どうなるか分かってんのか?」

 

ドスを利かせた声を出し、俺を睨みつける。

 

だが、それも形だけだ。

 

丸腰で、この状況で身構えないのだから、戦闘になれていないことは明白。

 

こいつはあくまでも商売人であって、戦士じゃない。

 

どうせ、金で他人をいいように使って、それを自分の力と勘違いしているんだろう。

 

「前金は、もらってるのか?」

 

「なにぃ?」

 

「儲けがなくなるのは、さすがに気の毒かと思っただけだ」

 

鞘に収めたダガーの柄に手をかけ、相手の目を射抜くように睨みつける。

 

どんなに頭の悪い奴でも、ここまですれば、無駄口はなくなるだろう。

 

これ以上、くだらないおしゃべりに興じるつもりはない。

 

「ま、待てって! 悪かったって」

 

「この額なら俺も文句ねえよ。この女はあんたのもんだ」

 

慌てた男が、下手な愛想笑いを浮かべる。

 

これで、交渉成立…か。

 

「…立てるか?」

 

座り込んだままの女の子を刺激しないように、ゆっくりと左手を差し出す。

 

この後どうするのかなんて考えていないが、とりあえず、ここからは早く離れたい。

 

「………」

 

少女は、わずかに視線を上げて、俺の手のひらを見つめる。

 

だけど、動かない。

 

その瞳に俺の手のひらを映して、じっとしていた。

 

「立てないか?」

 

俺の問いに、唇が動く気配はない。

 

心を閉ざしてしまっているのか?

 

「まどろっこしいな、蹴り飛ばしてでも立たせりゃいいだろ?」

 

俺のやり方に苛立った男が、後ろでぼやく。

 

そんなことを繰り返して、こうなったわけか。

 

黙れ…そう言ってやろうと振り返ると、少女の方から物音がする。

 

そちらを見れば、女の子は目を閉じて横に倒れていた。

 

「!? 大丈夫か?」

 

何度か肩をゆすってみるが、目は閉じられたままだ。

 

これは…?

 

「どーせ、栄養失調かなんかだろうぜ。

 

 ここ2、3日、食事にも手を着けていないって話だからな」

 

金に見合うだけの情報を提供くらいしてやる、という顔で、男が少女を指差す。

 

身体は悲鳴をあげているのに、心が生きることを拒絶して、食事をしない…か。

 

それが、この子をこんなにも追い詰めてしまったんだろう。

 

「好都合じゃねえか、家につくまで抵抗されねえ。

 

 しかも、人間ってのは案外しぶといからな。この程度じゃ、くたばらねえだろ」

 

「………」

 

俺が拳を握りこむ音が、あいつにまで聞こえたらしい。

 

音に反応して交叉した視線を、奴が慌てて逸らした。

 

「分かった分かった。失せればいいんだろ?」

 

男は静かに塀の中へと入っていった。

 

奴もクリアデルの人間か。

 

噂に違わず、中は腐りきっているようだな。

 

「さて…と」

 

ここに残っていたら、契約者が現れるかもしれない。

 

さっさと離れたほうがいいな。

 

二の腕に荷物を引っ掛けて、両手を自由にしてから、少女の隣に膝をつく。

 

背中と膝の下に腕を入れ、それでも反応がないことを確認して、少女を横抱きにして立ち上がる。

 

両腕の中におさまる小さな身体は、驚くほどに軽かった。

 

「………」

 

自分の胸の前辺りから聞こえる、規則的な呼吸。

 

意識の喪失から睡眠に変わったのか、さっきと比べて、表情が穏やかになっている気がする。

 

恐怖に攻め立てられて、眠ることさえ、できなかったのかもしれないな。

 

医者に連れて行くことも考えたが、結局、我が家に向けて歩き出す。

 

本人に助かる意志がないのなら、どんな医者であろうと助けることなんて、できやしない。

 

 

 

 

草原の果てに見えるのは、沈み行く太陽。

 

その夕焼けを楽しみながら、少女をなるべく揺らさないようにのんびりと歩く。

 

家につく頃には、真っ暗だろうな。

 

街の賑わいに背を向けて、ひたすら街道を進む。

 

草原を吹き抜ける夜風が、肌に心地よかった。

 

街の灯から遠ざかり、喧騒も聞こえない。

 

静かな夜道を、月明かりを頼りにして進む。

 

見慣れた森へと差し掛かって、ようやく街道から外れた。

 

少女の足や頭をぶつけないように気をつけながら、木々の間を抜ける。

 

木の根が絡まり、足場が悪くなっている場所を過ぎて、さらに奥へ。

 

数分をかけて森を抜けると、ようやく我が家が見えてきた。

 

 

 

 

 

なんとか片手で扉を開け、すぐ近くにある蝋燭に火をつける。

 

炎が部屋の中を照らして、冷えていた部屋がほんのりと暖まっていく。

 

ようやく帰りついた我が家は、いつもと同じで出迎えてくれる人間なんていなかった。

 

『この女はあんたのもんだ』

 

思い出した馬鹿な言葉を、頭の中で打ち消す。

 

この子が目を覚ましたら、少しだけ話をして、それで終わりだ。

 

ここは、俺一人の家。

 

いつもと変わらない。

 

少女を空き部屋に寝かしつけて、自分もベッドに潜り込む。

 

夕飯どころか、コーヒーを飲む気にもならなかった。


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
1
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択