No.19829

季球妖物語・短編「夢の痕」

柊らみ子さん

季球日常短編です。
本編を読まれてからの方が登場人物など把握しやすいと思います。
季球メインキャラ、椿の過去話。

2008-07-17 23:49:36 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:637   閲覧ユーザー数:603

 ――嗚呼、畜生。

 ぽつりと力無い声で呟き、手にした杯を傾ける。すでに温くなっている液体が一気に喉の奥へと流し込まれ、その度に喉の奥がかぁっと熱くなる感覚に襲われた。

 ……全く、何だって今更。

 ――助けてくれて、ありがとう御座います。

 そう、確りとした口調で言った少年の顔が脳裏に焼きついて離れない。イライラした様子で頭を振ると、椿白零は中身の半分ほど残っている徳利ごとぐいと傾け、空になった徳利を壁に向かって投げつける。

 ガタン、と派手な音がした。

「――人呼びつけておいて、何酔っ払ってンだよ」

 頭上から、聞き慣れた声がした。椿はふん、と鼻で笑うと酔っ払ってちゃ悪いのかい、と独り言のように言う。

「あたしだって人間なんだ。酔っ払いたい時もありゃア愚痴を吐きたい時だってあらアね」

「ふん、見たくねェ夢は見なきゃ良いとかのたまってる天下の椿姐さんが愚痴、ね。見たくねェモンを見ないで生きてたッて、愚痴ってェのは溜まるモンなのかよ」

「馬鹿だね。見ないで生きてるから溜まるンじゃないのさ」

「そりゃアまた、複雑な事で」

 部屋の入り口に寄り掛かりながら腕を組み、自分を呼びつけた人間の見た事も無いような酔っ払い様に内心驚きながらもやる気の無い口調で対応していた雷封だったが、あちらこちらに徳利の転がる部屋の惨状を改めて見渡し、小さく首を振った。

「……で。用が無いなら帰るぞ」

「本当にお馬鹿だねェ。あんたの頭ン中には一体何が詰まってるンだい。用が無かったら呼ンだりするモンかね」

「だったらさっさと言いやがれ。酔いが醒めるまでなんて待ってられねェからな」

 わざとらしく大きなため息をつきながら、腰を下ろす。だが、その顔には「仕方ねェな」と言ったような苦笑いが浮かんでいるのが見て取れた。

 椿は一瞬ふっと遠くを見るような目をすると、空になった杯に視線を落としてぼそりと呟く。

「……あんたぐらいしかいないだろう?あたしの昔話に付き合ってくれそうなヤツなんてさ」

「昔話ィ? ……まァいいさ、聞くって言っちまッた手前、付き合ってやるよ。だけどな、一つだけ条件がある」

 とろんとした目付きで条件? と鸚鵡返しに聞いた椿の方へと身体を乗り出し、人差し指を突き付けると低い声で一言。

「一本奢れ」

 

 

 あたしには、兄貴がいたんだ。

 両親は顔も知らないよ。あたしと兄貴を捨ててどっかに行っちまったンだからさ。だから、あたしを育ててくれたのは兄貴だったってわけだよ。

 まァ、育ててくれたって言ったって子供のする事だ。どっかから饅頭かっぱらってきては二人でそれを分けて食べたりしてね。ある程度、あたしが大きくなったら兄貴はあたしの容姿に目をつけてさ。

 ――二人で、美人局紛いの事をやって儲けようって。

 はは、これがまた大当たりでさ。兄貴がかっぱらってきた綺麗な着物を着て突っ立ってりゃ、馬鹿みたいに男共は引っ掛かる。あたしを男だなンて何処のどいつも疑いやしなかったよ。兄貴もそれなりに腕の立つ方だッたしねェ、何たってあたしの兄貴だ。女にゃ見えないがあたしにつり合う容姿はしていたよ。

 だから、そんな兄貴が出て来ると男達ゃ大慌てさ。こっちの言い分だけ払ってほうほうのていで情けなく逃げてったのを今だって鮮明に覚えてるよ。

 ――嗚呼。

 そう、あんたの言う通りさ。

 そんな幸運は長くは続かない。あたしらのそんな商売が上手く行っていたのはたまたま、相手が良かっただけの話だったンだ。

 そして、それだけ荒稼ぎしてりゃア、目を付けられるのも当たり前の話さね。

 あたしらはその世界の事も何も知らないガキだった。だから、簡単に天狗になって……簡単に罠にハマった。

 あたしは、罠に掛けたつもりで男を兄貴と待ち合わせの場所まで連れて行った。そこにはもうすでにぼろぼろにされた兄貴が転がってたよ。三、四人のゴロつき共が群がってたね。

 あたしは、何が起きてるのか全ッ然分からなくてさ。ただただ怖くてどうしようも無くて、でも兄貴を置いて逃げる事も出来なくてどうしたら良いのかもう半狂乱状態だった。全く、情けないったら無いねェ。

 そいつらの目が、一斉にあたしの方に向いた時の感覚と言ったら!

 この椿姐さんですら、もう味わいたくない感覚だねェ。嗚呼、話してるだけでブルってきちまッた。

 ……そうさ。男共は、兄妹で荒稼ぎをしてシマを荒らしてる二人だと思い込んでるンだからね。あたしの末路なんて決まってるさァ。

 そう考えたら、少しは楽になった。何でって、あたしはまだまだ駆け出しの、兄貴がいないと何も出来ない小悪党にすらなり切れてないガキだったンだよ? あたしは、性別さえ割れりゃア殴られるだけで済むと思ったのさ。

 ――本当の悪党ってヤツを知らなかったから。

 手酷いしっぺ返しを食らったよ。

 ふん、言わなくたって分かるだろ。性別が何だろうが、そんなに男に飢えてるンならお望み通りってさァ、全員で寄って集ってあたしを嬲って回したのさ。あたしは痛みと羞恥心と情けなさとで一杯で、もうどうにでもなれって思ったねェ。殴られて、殺される方が何倍もマシだとも思ったよ。

 あたしを玩具にしていたから、兄貴の方は放ったらかしさ。死んでると思ってたのかもしれないねェ。正直、あたしも兄貴は死んだと思っちまってたし、この後あたしも殺されるンだろうと覚悟はしていたしね。

 殺すなら早く殺しやがれって口にしようとした時だった。

 兄貴が――。

 兄貴がぼぉっと立ってたンだ。ゴロつき共はあたしに夢中だったから気が付くのが遅かったンだろう。もしかしたら、あたしの顔を見て気が付いたのかもしれないねェ。

 さっきも言った通り兄貴はそれなりに腕が立ったから、不意をつけば二、三人は軽くたためた。だけどその後はそうも行かない。あたしは、奴らが兄貴に注意を向けた時に必死に着物を掻き集めてさ、そいつらから離れたよ。人質にでもされたら足手まといになるからねェと、それぐらいは馬鹿な子供でも分かったよ。

 兄貴は、必死にそいつらの相手をしながらあたしに「逃げろ」と言った。

 あたしは――それにすぐ従った。あたしが居たってどうにもならない。それが現実だ。

 ――それに。

 今逃げ出せば、これから訪れるもう一つの現実を見なくて済む――。

 あたしは、必死に走ったよ。もう何処をどうやって走ったのかも分からない。ただただ必死に何も見えなくなるまで、何も聞こえなくなるまで――。

 気が付いたら、暖かい布団の中にいた。ぷんと甘い香りが鼻をついて、そこが花街の花宿の一つだと気が付いた。もちろん客間じゃないけどね、そこは暖かくて、今まで一度だって味わった事の無い暖かさだったさ。

 あたしは一瞬、これは夢だと思ったね。だけど、夢でも良いと思った。こんなに居心地が良いのなら、ずっと夢を見ていようと――。

 ――は?

 そんな昔話が何だって?

 ほんッとうに馬鹿だねェあんたは。話はこれから始まるンじゃないのさ。

 今までのは前フリだよ、前フリ。あたしに兄貴が居たって事を知ってて貰わないと話せない話だからさ。それぐらい察しなよォ。

 ――少し前にさ。

 ゴロつき共にこき使われてるガキを見かけてさ。嗚呼、そんなのよくある光景さ。一つ裏通りに入りゃアいつだって見る事の出来る光景さね。

 あたしだってそう思ってね。見ないフリをして通り過ぎようとしたンだ。

 ――その時にねェ。

 聞こえたンだよ、昔の兄貴の声が。

 思わず振り返っちまった。そのガキと目が合っちまった。

 ……まるで。幽霊でも見たかと思ったね。それこそ、誰かに夢でも見せられたかと思った程、そのガキは兄貴に似てた。

 ざわりと、鳥肌が立ったよ。

 ……嗚呼。

 その、真逆、だよォ。

 あたしはそのガキをこき使ってたヤツらを少しばかし脅かしてやった。あの頃はともかく、今なら夢紡ぎの椿と言えば多少は名が知れてるからね。結局、そのガキは多少の金と引き換えに自由にしてやるって事で話をつけた。

 そのガキは、小さな兄貴と同じ声で「有難う御座います」って小さく言った。米付きバッタのように頭を下げた。あたしだって一皮向けばあんたをこき使っていた奴らと同じ人種なんだって思ったらちゃんと聞く事が出来なかったよ。

 ガキは何度も何度もお礼を繰り返して、走って行っちまったよ。

 

 

「……それで?」

「……うん?」

「うん? じゃねェよ。タダの人助け話なのかよ」

 オチも無ェ話を聞かせる為に俺を呼んだのか? あんな長ェ前フリまでつけて? と雷封はぼやく。全く、一本じゃア割に合わねェぜと続けた赤毛の青年に向かって、椿はくつくつと小さな含み笑いを返した。

 その笑い方に何処か危ない響きを感じ取り、雷封は訝しげな視線を向ける。彼が知る限り、目の前の美しい男はこんな自嘲気味な笑い方をする人物では無かったはずだ。

 一通り小さく笑った後、ふっと顔から笑みを消すと人助けねェ……と椿はぽつりと呟いた。

「本当にそうだったら、わざわざこンな話なんかしないだろう」

 結局ね。

「――死んだンだよ」

 そう告げた椿の声音には何の色もついていない。ただ、口からついて零れただけ。

「あたしはさ。結局のところ、何もしてやれなかったのさ。ただ悪戯に死ぬ日をほンの少し伸ばしてやっただけ。それなら、あの時気紛れなンか起こさなくたって一緒だったじゃアないか」

 いや、一緒なモンか。

「あたしは、余計な事をしちまったのさァ。あの子はあれで、あの生き方で良かったのに、あたしが夢から覚ましちまった。自由なんて現実を見せちまった。逃げ出したところで食べる物も無い、寝る所も無い、そんな自由って名前の現実をさァ。全く、夢紡ぎの名が泣いてるさね」

 あたしが夢から覚ましちまったから。

 あの子は食べる物も無く野垂れ死んじまった。ただ、ただ、兄貴に似てた。そんなあたしの勝手な理由で、夢から覚ましちまったンだ。

「……らしくねェなァ」

 ぼそりと、雷封の声。怒気を含んだその声音に椿はとろんとした瞳を向ける。

「余計な事ならいつだってしてるじゃねェか。そりゃア単に、そのガキに生きる術も気力も備わっていなかった、それだけの話じゃねェか。生き抜こうと本気で思えば何だって出来らァよ。そのガキはそれをしなかッた。たった、それだけの事じゃねェか。……だけど、助けてもらってよ、迷惑だったって、そのガキは言ったのか? 違うだろ? 有難う御座いますってあんたに頭を下げたンだろ?」

 助けてくれて、有難う御座います。

 取り出そうと思えばすぐに取り出そうと思える場所に置いてあるその声音。それを思い出しながら、椿はぼそりと答える。

「……あんた、それで慰めてるつもりかい?」

「何で俺が慰めなきゃならねェのよ。ただ、こんな事がある度にこんなになられたらコッチの身が持たねェからさ」

「馬鹿だねェ、世間様ではソレを慰めてるって言うンだよ」

 雷封はやれやれと首を振り。

 人差し指を突きつけてこう言った。

 

 

「……もう一本奢れ」


 
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