「ご主人様、こっち…………」
「……まさかこんな所に抜け道があったなんてな……」
夜闇に紛れた作戦行動中、思わず呟くと後ろの方から文句が飛んできた。
「おいっ、北郷! 抜けたのならさっさとそこを退かんか! 後がつかえる!」
「おおっと、悪い悪い」
すぐさま横に逸れると、人一人やっと通れるくらいの壁の穴から、うつ伏せのまま春蘭が出てくる。
それに続いて、後続の人間も思い思いの感想を漏らしながらも、こちら側へ這い出てきた。
「うーん……。この抜け穴、あとで悪戯に使えるかもしれないよね?」
「この私が、なんでこんな狭苦しい思いをしなくてはならないのよ……」
無理矢理付いてきたわりには不満たらたらな華琳と、部隊分けの消去法で余ってしまったたんぽぽ、華琳が心配だと無理矢理ついて来た春蘭。
そして先導していた恋と俺を合わせて総勢五人。秘密の抜け穴を通じて、なんとか入城に成功した事になる。
「それにしても、よくこんな抜け道知ってたな恋」
改めて尋ねてみると、恋はしれっと答えてみせた。
「……………………桃香とここにいたとき、見つけた」
ああ、そっか。言われてみれば一時とはいえ平原に劉備ちゃんが居たから、その間に発見したのか。
確かに霞がかった記憶の中で、何時の間にか町へ抜け出していた彼女の様子が思い出される。
(しかし茂みに隠れてカモフラージュされているとはいえ、城に穴が開いてるは問題あるな……)
そのおかげで問題だった潜入はうまくいったけど、これが終わったら塞いでおくかな。騒ぎが終わったあと、
ここからたんぽぽや恋が逃亡しないようにしないとあとで絶対問題が起こるぞ。
城内部を伺いながらそう心に決めた。
現在俺達が遂行中の平原侵入は俺の原案がほぼ聞き遂げられ、順調に推移していた。
内側への侵入のための陽動に、星、卑弥呼、華雄の三人。今頃は騒ぎを起こすだけ起こして逃げ遂せている頃だろう。
次に、万が一の場合に備え、城周辺で待機しているのは俺の草案と違い、内情に詳しい凪と仲が良い霞二人に判断を任せている。ただ若干の問題があるとするならば、ライブ中の張三姉妹になぜか対抗意識を燃やした、稟、七乃、美羽の三人がコンサートに殴り込みをかけた位か?
彼女等曰く、
「くっ……歌では負けていられませんね」
「そうじゃ! やつらの好き勝手にさせてたまるか!なのじゃ! 無知な民共に誰が閣下なのか思い知らせてやるのじゃ!」
「あらあらー。美羽さま、元気一杯で楽しそうですねー」
などと、どこかの候補生のような発言をしたあと、歌勝負を仕掛けていった。
……注目を集める陽動としては成功したけど、なんだろう?
天和達の元プロデューサーとしての直感がなんかヤバイと告げているような気が……。
「? ご主人様、どしたの?」
「ん、いや、なんでもないよ。ただ一瞬今の俺達を表すなら、エージェント夜を往く状態だと思ったんだ」
「??」
「気にしないでいいわよ。一刀、たまに意味不明な発言をするから」
自覚はしているが、面と向かって言われると自己嫌悪に陥りそうだ。
それはさておき、そろそろ本腰入れて潜入しますか。
「確認しておくけど、囮役の霞と凪は城門前で待機している。騒ぎが大きくなれば手助けしてくれるはずだけど、最初からそんな事態にならないよう皆注意してくれ」
目配せすると全員が頷く。
よし。ここまで来て失敗は出来ない。万全を期すためにも、再度要注意人物に確認しておこう。
「それじゃあ孫権の所まで行くとしようか。特に春蘭、無闇に騒ぐなよ」
「はっ、私がそんな浅はかなマネをするはずがなかろう。侮るな北郷!」
そういって数々のトラブルを巻き起こした前科を彼女は覚えていないのだろうか?
「じゃあ、一度例題に答えてくれ。もし道中で警備の人間に発見されそうになったらどう対処するつもりだ?」
春蘭は自信満々に答えた。
「騒がれないよう……くびり殺す!」
「はいアウト」
どこのヒットマンだ。大方の予想通り、いきなり生死択一に走りやがった。
非難の視線を浴びせると、春蘭は慌てて答えを訂正した。
「ああ、いや間違えた。仲間を呼ばれないよう……首を刎ねる!」
「結局殺すのかよ!」
なにその“KILL or DIE”みたいな一見選択の余地があるように見えるけど実は何も変わってない強制選択肢。
……もうすでに不安でお腹一杯だ。
「五月蝿いわよ、一刀」
こちらの気も知らずに華琳からの叱責が飛んで来た。
「春蘭に煽られて、貴方が騒いでどうするのよ。仲が良いのは知ってるけど、時と場所ぐらい選びなさいよね」
つい最近、人目も阻かず人の膝の上に乗って、他の子を牽制していたのはどこの誰だったのかと問い質したい。
小一時間ほどでいいから。
「か、華琳様! それは誤解です! こんな人の揚げ足を取るような人間とはまったく仲は良くありません!」
すかさず春蘭が反論すると、華琳はにやりと口を吊り上げて彼女を諭す。
「あら、そうなの? だったら仲の悪くて意地悪な一刀とは口も聞きたくないわよね?」
「と、当然です!」
「なら少しの間、黙っておきなさいな。安易に口を開いたらまた、余計な言いがかりを付けられるわよ」
「……おお! 言われてみれば、華琳様の仰る通りな気がします! ふふん、北郷! 私が喋らなければ貴様の思うようにはいかないだろう♪」
「あー……うん、そうですね」
「はっはっはっ……って貴様、なんでそんな慈愛に満ちた表情を向けるのだ!」
もはや何も言うまい。
ある意味微笑ましい光景に苦笑していると、袖を掴まれている違和感を感じてそちらの方に顔を向けた。
「たんぽぽ?」
そこには柔らかそうなほっぺをリスみたいに膨らませたサイドポニーの少女が、不満顔で立っていた。
「ぶー。なーんか最近のご主人様って魏の連中とやたら仲が良いよね。
もっとこっちに構ってくれないと、たんぽぽ不公平だと思うっ」
言うや否や、掴んだ腕を引き寄せて自分の腕と絡ませてくる。
まあ、魏と蜀では前回、当主と家臣という立場の違いや記憶の取り戻し具合もあって、それぞれへの接し方が変わるのはある程度許容してほしいんだが、どうもそれが気に入らないらしい。
せめてにと、されるがままに抱かれているとすぐさま機嫌を直して満面の笑みを浮かべるたんぽぽ。
だがソレを見て、面白いと言わんばかりに華琳が口を開いてしまう。
「あら、いじらしくて可愛らしい娘じゃないの……一刀。要らないなら、私がもらってあげてもいいわよ」
「いきなり何を言い出すんですか華琳さん」
静かにしろと言った張本人が新たな火種を注いでどうするんだよ。
「……(ギリギリギリギリギリ)」
「うおおっ!」
案の定、新たなライバルが増えるのでは無いかと危惧した春蘭から、凄まじい殺気が俺に向かって放たれてきた。
先約の通り口を開かないのは流石だが、なんで君たちは事有るごとに俺の責任にしようとするのだろう。
「ふふっ、冗談だから安心しなさい春蘭。あなたのことはきちんと可愛がってあげるから」
「華琳様……」
今度は百合百合しい空気で包まれる俺達。
今から隠密行動を取るとは思えないほどの場違い感に、激しく人選ミスが悔やまれた。
「まあそれはそれとして、一つ気になったのだけれど。前回の一刀は呉でどんな立ち位置だったのかしら?」
「……それは今確認しなくちゃいけない事か?」
「ええそうよ。軍師の立場だったのは聞いているわ。でも私が聞きたいのは女性関係。どれだけ親密だったのか、どんな間柄だったのか……。
諍いを未然に防ぐ為にも確認しておくのは当然でしょう」
「あっ! それたんぽぽも興味ある!」
「……(ちらっ、ちらっ)」
「……………………?」
話を聞いていなかった一名を除いて、三人の視線が集中する。
完全に作戦中なのを忘れてるな……。
俺は諦めて、せめてすぐ終わらせようとシンプルに答えた。
簡潔に表すなら、蜀が恋人。魏が仲間。呉は……。
「孫権に関しては記憶が戻ってないから一概には言えないけど……まぁあれだな。一言で表すと――“夫婦”かな?」
もしくは家族だろう。
「「「「 !? 」」」」
この場にいる全員に電流走る……っ!!(種馬除く)
普段割りと空気を読めるはずの一刀はこういうときに限って、その才能を発揮できなかった。
「記憶が途切れたのは戦後数年経ってからだから、三国の中だと一番長い付き合いになるのかな? ……そういや、最初雪蓮に呉のみんなへ子供を産ませるのが条件で確保されたんだっけな。いや
ーでも、本当に一人、一人ずつ子供が産まれるとは思わなかったな」
少し気恥ずかしくなって、頭をぼりぼりと掻く。
(あ、でも小蓮はまだ子供産んでなかったか)
「こ、子供ですって!?」
「そうそう、全部で6人。戦後処理や政務で忙しかったりもしたけど、守るべき者がいるとなるとメリハリが出たっけなぁ……」
うすぼんやりとはしているが、夜泣きや遊び相手で七苦八苦したのは覚えてる。
構ってあげるとすごい笑顔で『父上ー』とか言って飛びついてきたり、じゃれるように突撃されたりで、やんちゃな子供に振り回される日々。
でもどれだけ苦労があろうとも、我が子となればそこが可愛くもあり、愛しい部分なんだよね~。
……。
………待てよ?
まさか、この外史でやたら美羽やたんぽぽみたいな小さめの娘に好かれるのは、無意識に父性オーラが出ていたからなのではなかろうか!
……溢れる父性。思わぬところで新発見してしまった……!
「な、なんかご主人様がすごく遠い人に感じてきた……」
「………………………バツイチ?」
その突っ込みは色々とおかしい。
「だから、じゃないけど。呉のみんな、俺に頼ってくれるところがあるよ。交渉に関しても孫権自身、本心では嫌ってはないと思うから、特に問題無いはず……」
希望的観測かもしれないけど、ここを出る前の彼女の反応はまんざらでもなかった。
干吉に変な誤解を植えつけられてなければ、華琳がいなくてもうまくいくと思うんだけどな。
などと一人思いに耽りながら自己分析していると、次の瞬間。耳を劈くような弩声が鳴り響いた。
「北郷おおぉぉぉっ! 貴様ぁぁぁああ!!」
声の主はさっきまで頑張って口を噤んでいた春蘭、ものすごい勢いで掴みかかってきた。
「な、なんだいきなり!」
「なんだ?では無いわ! この不埒者っ!! 妻子がいながら軟派な行為に及んでいたとは、恥を知れっ!!」
「あくまで前回の話だっての! 落ち着け!」
これほどの剣幕は久しくお目に掛かって無い。そんなに子供がいたのが不満なんだろうか。
「こ、子供がいるという事は、既に将来を誓い合った仲という事なのだろう? そんな……そんな関係に、私は一体どうしたらいいというのだ……」
「……一刀」
「……分かってるよ」
そういや見た目と違って純情な性格なんだよな。まぁ今回も変に曲解しただけだろう。取り合えず最低限のフォローだけでも入れておくかな。
「あのな春蘭。君に誤解するなというのは酷な話だろうがよく聞いてくれ。理解しようとするな、体で感じ取れ」
「…………一刀」
「良いか良く聞け、まずは――」
「一刀っ!」
「だから、分かってるって言っただ……ろ……?」
いい加減華琳の忠告に痺れを切らして、振り返ると、彼女は真っ直ぐ城内を指差していた。
「………………………あ」
ゆっくりと、それこそ油の切れたブリキ人形のように指し示された方向に首を向けると、そこには警備の兵士もこちらを指差して硬直していた。
うん、そうだね。これだけ騒いで見つからない方がおかしいよね。
「――恋!!」
「っ!……………」
以心伝心。咄嗟の判断で指示を飛ばすと、一拍の躊躇も無く恋が警備の人間に襲い掛かり、鳩尾へ突き刺さるショートアッパーを放つ。
だが、
「ぐっ……ピィィィーーーーー!!!」
意識を手放さなかった兵士が倒れこむ前に異常を知らせる笛の音を鳴らした。
直後、どたどたと地面を揺らしながらこちらへ近づく大量の足音が聞こえてくる。
「こうなったら仕方が無い! 各自散開、プランBだ!」
作戦名はノリだが、いわゆるネットスラングでは無いので要注意。
もし発見された場合は、不本意ながら城外周の凪達と連動して、彼女達を囮に孫権の元へと急行する手筈になっている。
幸い、他の警備兵はまだ俺の姿を確認していない、今ならただの賊として対処されるだろう。
「みんな無茶だけはするなよ!」
戦闘となれば切り替えの早い仲間達、すぐさま頷きが返ってくる。
彼女達の腕前なら万が一にも怪我はしないだろうが、早めに終わらせるに越した事は無い。
暢気に手を振るたんぽぽ達を残し、俺は孫権が居るであろう寝室目指して、建物内部に駆け込んだ。
「ぜえ、ぜえ……」
潜入中なのに騒いで見つかるお決まりのイベント。
こういう状況良く見かけるとは思ったが、まさか自分で体験するはめになるとは思わなかった。
あの後、一層厚くなった警備を掻い潜り、心臓をバクバクさせながらようやく辿り着いたのは城内中央への渡り廊下。
やっとの思いで孫権の寝室近くまで接近出来た。
このまま直進してもいいけど、流石に走り過ぎたせいか呼吸が落ち着かない。
(このまま部屋に押し入ったら、ただの変態だな……)
ぜぇぜぇ言いながら無断で近づく男。……俺だったら間違いなく通報する。
紳士としての嗜みというか、小休止にと端に植えられた茂みで息を整えていると、それは許さんと言わんばかりに、暗闇の中から誰かがこちらに気配が近づいて来た。
「……少しは休ませてくれよ」
それだけ警備の人間が優秀だという事なんだろうけどさ。
ひゅーひゅーと呼吸を浅く、なんとか相手をやり過ごそうとするが、不運な事に相手は狙ったかのように俺の隠れている茂みのすぐ側で停止してしまった。
――そろそろ覚悟を決めないといけないか。
音を立てないよう、中腰のまま慎重に鯉口を切る。
卑弥呼から借り受けた刀は白鞘の一振り『東方不敗』。
ネーミングに難はあるが、以前の刀と同じ反りが深く長い太刀。取り回しに問題は無いだろう。
ちなみに、サビた古刀『明鏡止水』も薦められたが、丁重にお断りしておいた。
これ以上のネタが散乱したら収拾が着かなくなるからな。
改めて精神を集中し、スキを伺う。
数は……恐らく三人。
違和感を感じたのかここから動く気配は無い。
しきりに辺りを見渡しているせいか、鎧の擦れる音がやけに大きく聞こえるが、灯台下暗し。俺はすぐそこにいる。
「……ふっ!」
「なっ!?」
地面を踏み込み、見よう見真似の縮地法で一番手前にいた兵士に峰打ちを浴びせる。
以前、思春が使っていた歩法を自分なりのやり方で再現してみたが、うまくいったようだ。
倒れ伏す彼に心の中で謝りながら、次の相手に意識を集中する。
二人目は突然の事態に反応しきれず、構えも取れていない。チャンスだ。
飛び出した勢いを殺さず、次を見越したコンパクトな攻撃手段を選択。
一歩踏み込み、柄の部分で鳩尾を打ちつけ、昏倒させた。
三人目っ!。
顔を向けれて確認すれば、今度の相手は先の二人とは違い、剣をしっかりと構えている。
……そううまくはいかないよな。
牽制に下からの打ち上げを放つ。
警備の人間はそれを迎撃、払い退けて一歩後に足を引いた。
そのスキにこちらも体勢を整えて、八相の構えを取って対峙する。
交錯する視線。
長引けば確実にこちらが不利になるは明白。
乾坤一擲、無理にでも攻め立てるか!
担ぎ上げるように構えた刀を握り締めると、ふいに正面の兵士が声を上げた。
「……まさか、北郷殿ですか?」
薄れる殺気と同時に相手の腕が下がっていく。
「……ん?」
正体がばれたのに何で敵意が無いんだろう?俺って指名手配されてたよな。
疑問に困惑していると、眼前の相手はとうとう剣を鞘に収めて、膝を突いてしまう。
「よくぞ、よくぞお戻りになられました! 貴方様のご帰還、お持ちしておりました!」
「……どゆこと?」
聞けば、指名手配の報は呉本国からの通達でなぜここを出たのか、なぜ叛徒として指名されたのか詳細な説明が無かったらしい。
本来なら兵士たるものそこに疑問を感じてはいけないのだが、ここは平原。呉から出向している兵は少なく、元からここで暮らしていた人を多く徴用している。
そのおかげか、普段の俺を知っている兵士達は今回の通知を疑問に思う者がほとんどだそうで、捕まえる気はさらさら無かったらしい。
「という事は……」
「無駄に騒ぎを大きくしただけですな」
「ぉぅ……」
衝撃の事実に膝から崩れ落ちる。後で絶対文句言われるなこりゃ。
「ははっ。……とはいえ、孫権様が伏せておられるのは事実。早く会いに行ってあげてください」
「なんか色々とごめんね」
気絶している二人にも頭を下げる。
「いえいえ、普段からお世話になっているのは私どもですから。見えぬお上の指示より、一般の兵士にも気にかけてくださる貴方を信用しただけです」
「褒めたって何も出ないよ?」
「事実を述べたまでですよ。……才溢れる将の身でありながら偉ぶらず、誰にでも気さくに声をかけ、民の信頼も厚い。……平原の民はみな貴方が好きなのですよ」
まさか男性の言葉に赤面する日が来ようとは思わなかった。
「さっ。露払いは私が致します。どうぞこちらへ」
先導するように歩を進める兵士さん。
意外な展開になったが、これはこれでOKかな?
目下の心配事が解決され、安堵の息をついた。
が。
「……(ドサリ)」
「……」
受難はまだまだ続くらしい。
突然倒れた兵士の前方に、闇に紛れうっすらと気配が漂ってくる。
この懐かしい殺気は、いうならば必然の事態。
成るべくして成った再会、やはり俺はこの試練を突破しなくてはいけない。
「いや。これはけじめ、だよな」
この事態は以前の不甲斐無い俺が原因なのだから。
刀は納めず、握る手だけに力を込めた。
そう、思いを裏切った一番の人物は孫権だけじゃない。
本当に傷ついているのは、最悪のタイミングで別れたあの日の少女。
今度こそ、しっかり話を着けようじゃないか……。
――チリン
闇夜に溶ける孤独な鈴の音。
静かに近づくその音色に俺は一度唾を大きく飲み込み、己を奮い立たせた。
「賊だー! 賊が侵入したぞー!!」
城内各所に不審者侵入の報が飛び交い、慌しく人が行き交う中、上官らしき人物が近くの警備兵を呼び止め、声を掛けた。
「おいっ、数と目的は分かっているのか!」
「班長!? そ、それが何と申しますか……非常に不可解というか…」
質問された兵はなぜか、しどろもどろになって答えを濁す。
「ええい、さっさと報告しろ!! 目的が分からず、後手に回れば取り返しのつかない事態になり兼ねんのだぞ!」
苛立つ警備隊班長の怒気に気圧されて、ようやく兵士が口を開くが、その内容は彼の予測の範疇を大きく逸脱した内容だった。
「あの、恐らく賊の目的は食料泥棒、かと……」
「……貴様、ふざけているのか」
「ち、違いますっ! あれをご覧ください!!」
おちょくられたものかと眉間に青筋を浮かべる班長は湧き上がる怒りを押さえ込み、指差された方向に顔を向けると、
そこには大食堂と呼ばれ、テーブルとイスが並ぶ見慣れた光景が視界に入ってきたが、その中央、積み上げられた食器の山が異様な雰囲気を醸し出している。
「……………………もぐもぐ」
「うぎゃぁぁぁぁぁ!!」
天井近くまで打ち上げられる警備兵に目を白黒させる
「あっ、恋。そっちの小龍包、たんぽぽにも頂戴!」
「………………ちょっとだけなら」
「な、なんだこいつ!? 肉まん片手に強す……ぎぃやぁぁぁぁ!!」
後ろに回り込み、スキを突いたはずの兵士も空中を水平に滑空し、弾き飛ばされていった。
「ありがと! んー、肉汁たっぷりでおーいしい! ……ねぇねぇ、もう一個だけ分けてよ、ね!」
「…………(ふるふる)」
「もう一杯食べたからいいじゃん! ぶーぶー。……そんなに食べたら太って、ご主人様に嫌われるかもしれないのに良いのかなー?」
「 ! ………………でも……」
「良・い・の・か・なー?」
「…………………………………うぅ……(口を開けたまま、真剣な表情で葛藤している)」
「なーんて、スキ有りっ!」
―ひょいっ
「!?」
一瞬の気の緩みを突かれ、点心を奪われる恋。
たんぽぽはしたり顔で小龍包を頬張る。
「はもはも……ごっくん。にゅふふ♪ 油断大敵だよー」
「…………………」
「お、おい。あの赤髪の女、こっちを見てないか?」
「うおぉい!? ま、待て! 待ってくれ! 俺達は何も関係な……」
「…………八つ当たり」
「「自覚有り!? あぎゃぁぁぁぁぁ!!!!」」
反発する磁石のように飛んでいく罪なき被害者達に唖然する警備班長の肩に、ふいに手が置かれた。
「まー、恋のあれは天災みたいなもんやから、勘弁したってな?」
振り向いた先には、徳利を担いだほろ酔い顔の女性が微笑んでいる。
「き、貴様はっ!?」
「神速の将こと、張遼ちゃん。やっ!」
騒がれる前に、延髄への当身で昏倒させる霞。
その後ろにはもう一人の兵士がすでに気絶させられていた。
「うーん、これは騒動が終わったあとで全員しごいたらなあかんなー。これじゃ使い物にならへんで……ごくごく」
――こない目立つのは予想外やったけど、警備の注目を集めるのには申し分ない騒ぎっぷりや。天界の言葉でいう結果オーライ?ってやつやったっけ?
まぁ、何時の間にやら、凪の姿が見えんなっとるのが気に掛かるけど心配いらへんよな?
しばらく見んうちに一刀も含めて成長しとるようやったし、ここは恋達に混ざっても問題ないやろ。
「にしても……にしし♪ これからおもろくなりそうやな」
もう一度、徳利に口を付けて上機嫌のまま自分を納得させる霞。
現在の平原に彼女達を止める人物はいなかった。
「ふぅ、こういったかくれんぼ。幼少のみぎりにしたきりだから、存外楽しいわね」
場所は変わって城内通路。孫権の寝室近く。
そこには追われているはずの華琳が何時の間にか到着し、一刀を待っていた。
「でも相手が不十分過ぎるわね。これでは捕まえられるというのが無理な話よ……」
霞と同じような感想を述べながら華琳はぶらぶらとその場を歩き回る。
かくれんぼと表現はしているが、実際、彼女がここまで進んできた道のりで隠れて相手をやり過ごす行為は一度も行われなかった。
それはなぜか?答えはとても簡単。華琳はいわゆる正面突破の要領で立ち塞がる兵士を全員気絶させて突き進んできたからだ。
勿論それだけではここまで来れないはずだが、彼女の側にはもっと目立つ春蘭がうっぷんを晴らすように暴れていたおかげで周囲の注目が全てそちらに移ってしまった。
今では恋と合流し、警備の注目を集めている頃だろう。
(一刀に子供がいるって聞いてからの春蘭は、ね……)
加えてこの寝室周辺には、引き篭もりの孫権を刺激しないよう最低限の警備しか詰めていなかったのが幸いしたのだろう。
特に問題なく此処まで辿り着けた。
「とはいえ、暇ね。何か暇つぶしになるような事件、起こらないかしら?」
不謹慎だけど、ただ待ちぼうけを喰らうのも時間の無駄よね……。
一刀の到着が遅れている以上、無理に行動を起こして余計な誤解を与えたくは無い。
腕を組み、これからの事について思考に暮れようとしたところで、先に一刀が発言した内容が思い返された。
「……子供、ねぇ……」
自分とて女。
家庭を持ち、出産、育児に思いを馳せた事は当然あるけれど、現実のものとして真剣に考えた事は今まで無い。
だが、あの時の一刀の表情はなんというか、今まで見たことの無い色をしていたせいで、その部分を強く意識してしまう。
(もしも私が一刀の子を成したら、どんな子が産まれてくるのかしら。名前は、そうね。
私の文字を取って曹丕とでも名付けておきましょう。利発で賢い子になるに違いないわ。
真名のほうは一刀から一文字使ってとして…………一子?)
……。
…………なぜか、打って変わって子犬みたいな印象が脳裏を過ぎったわ。しかも賈駆の声で再生されるおまけ付き。
色々と私も毒されてきたのかしら。
頭を被って苦笑していると、曲がり角から女の声が聞こえてきた。
「そん……………やく、………へ」
「………………しかし……」
「あら?」
振って湧いた幸運というべきだろうか、どこかで聞いた声が近づいてくる。
恐らくは渦中の人物、孫権とその護衛あたりだろう。
(……そうね。考えてもみれば、無理に一刀を待つ必要は無いわ)
余計な誤解をされるのは心外だけど、最低限、必要な忠告だけはしておきましょう。
「……子がいたからといって、大きな顔をされない為にも、ね」
これからの出会いに備えて、悠然と構え立ちふさがる華琳。怒り(もしくは嫉妬という)の感情をなんとか隠して。
――数十秒後
大事そうに刀を抱き、意気消沈しているロングヘアーの少女と、モノクルを掛けた袖の長い服の少女が華琳と鉢合わせする事になる。
それは互いに異なる過去を持つ、少女同士初めての衝突だった。
更に舞台は変わり、ここは城上部、屋根の峰。
この騒ぎを見下ろすように一人の女が佇んでいた。
「……」
発する言葉は無く、ただただ沈黙のまま、事態の成り行きを見守りながら虚ろな瞳を細めている。
(ここまでは予定通り。悪戦苦闘しながらも、仲間を失わずここまで来た北郷一行に干渉するつもりはいまさら自分に、無い)
呉における目的は既に果たされているからだ。
「……蒔いた種は発芽を待つのみの段階。これ以上は何もするつもりはありませんし、互いの利益に繋がりませんよ?」
「……ならばその災いの種子、摘み取ってから辞退してもらおうかの。干吉」
女の後ろに、筋骨隆々とした大男が身構えていた。
「あれはあくまで種。芽吹くかどうかは本人達次第の代物です。もう駆除はしたくとも出来ないのが実情なのですがね」
「それを判断するのは貴様ではない。……ワシと同じ観測者の存在でありながら、この外史に限って干渉し続けるワケ、そちらもいっしょに話して貰うぞ」
はちきれんばかりの筋肉が隆起し、戦闘体勢を整える卑弥呼。
この世界の謎を突き詰める為にも、ここでこの男を取り逃がすわけにはいかなかった。
緊迫する両者。
超常の力を持つ二人が合間見えようという刹那、間を割って少女の掛け声が響き渡る。
「その役目、自分が引き受けます!!」
軒下からの跳躍だけで数十メートルはあろうかという屋根まで飛んできたのは、銀髪と所々に点在するキズが印象的な人物。
「お主……楽進か。なぜここにいる」
「それはこちらのセリフです、卑弥呼殿。陽動役の貴殿こそ、ここに居るのが不可解に感じます」
視線は干吉に注がれたまま、言葉を返す凪。
「ですが、それは一時置いておきましょう……問題はこの女です」
睨みつける眼光はかくも鋭く、猛獣のそれに似ていた。
……おやおや、完全に悪者扱いですね。
口には出さず、そっと嘯きながら彼女に意識を集中する。
「あの晩、隊長を苦しめた貴様だけは自分が倒させてもらう!!」
「っ! 一人で突っ込むでない、馬鹿者がっ!」
屋根板を蹴り、間合いを詰めて襲い掛かる凪と、それを止めようと身を乗り出す卑弥呼。
干吉は薄く笑いながら迎撃の構えを取る。
(この私が直接戦うなどとは……くっくっく、久方ぶりにおもしろい余興です。
もし、私を少しでも満足させれたのならば、御褒美の一つくらい差し上げてあげましょうか)
こうして始まる三者三様の戦い。
果てに見えるはどのような解なのだろうか。
結論はもう少しだけ後に引き延ばされる。
Tweet |
|
|
45
|
3
|
追加するフォルダを選択
第二十八話をお送りします。
―侵入みっしょん!いん平原―
開幕