No.184443

TINAMI学園祭参加作品『大喇叭と司書室ともやしラーメン Ⅱ』

投稿42作品目になりました。

TINAMI学園祭の短期集中投稿作品第二話です。
久々にかなり短いスパンで投稿出来ました。
……とはいえ、ね。今日で締め切りなんですが。

続きを表示

2010-11-14 06:48:33 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:7902   閲覧ユーザー数:6813

「ね、やっぱり二人の方が捗ったでしょう?」

「……あぁ、まあな」

帰りのバスの中、吊革片手に俺は眼下の座席の松岡に生返事を返す。

俺と松岡は登下校に使うバスが同じ路線で、それが話すようになった切欠だったりする。

閑話休題。松岡の言う通り、確かに一人でやるよりも作業効率は遥かに高かった。

詳しくは知らないが松岡本人曰く、帳簿等は子供の頃からつけていたらしい。

本来ならばこの様な普通科ではなく、商業科に進んで簿記を勉強している様な人間だったそうだ。

書類仕事なら、俺なんかよりも余程上手かった。

「む。本当にそう思ってます?」

「思ってるよ。……ありがとう、助かった」

返し、窓の外へと視線を移す。

道脇の街灯、看板やネオン、擦れ違っていく自動車の群れ、その全てがぼんやりとした残像として視界で重なり、しかし埋め尽くす事無く徐々に薄らいで消えてゆく。

エンジンの駆動音。

振動による吊革や螺子の軋み。

雨音が無いだけの、あの日と同じ合奏。

宵闇に紛れる黒雲、その少ない分だけは、俺の憂鬱さは軽減されているのかもしれない。

「…………」

「……んだよ?」

そんな俺の傍ら、松岡が呆けたようにこちらを見上げているのに気が付いた。

ほんの微かに赤みを帯びたその表情は何処か面喰っているかのようにも見えた。

「どうした?」

「あ、いえ、その、いつもは先輩、サンキュとかで返すのに、普通にありがとうって言ってくれたから、ちょっと吃驚しちゃって」

「あぁ、そういう事か……」

直ぐに興味は失せ、再度外の景色を見つめ始める。

視線の焦点は何の対象とも交わらず、ただただ虚空を捕え続ける。

やがて松岡が降りるバス停の名前がアナウンスと共に電光掲示板に表示され、松岡は定期を取り出すと下車ボタンを押し席を立って、

「それじゃあ先輩、作業する時は連絡して下さいね」

「あぁ?いや、別に俺一人で、」

「連絡、して下さいね」

「……解ったよ。ったく、自分から面倒事に首突っ込むとは、物好きだな」

「自分からあの作業を引き受けた先輩に言われたくありません。……それじゃあ、お疲れ様でした」

「あぁ、お疲れ」

有無を言わさんばかりのそれから溜息混じりの返事を聞いて一転、いつもの天真爛漫な笑顔のままバスを降りていく松岡の背中を見送ると、俺は空いた席にどさりと腰を落とした。

それからの俺達は昼休みや放課後になる度に司書室に集まり、書籍の整理作業に没頭する毎日だった。

力仕事になりそうな本の仕分けを俺が行い、松岡がそれに従ってリストを作成していく。

歯車が噛み合えば、後は流れ作業同然だった。

予想以上のハイペースで山は崩れてゆき、次々と段ボール箱に詰め込まれてゆく。

『秋の日は釣瓶落とし』と言われる通り、この時期にもなると午後五時を回れば空はすっかり暗くなってしまう。

そんな中、女生徒を遅くまでつき合わせるのもあまり良くないだろうと思い、作業中にも幾度となく『もう帰った方がいいんじゃあないか?』と帰宅を薦めたのだが、『先輩がいるから大丈夫です』の一点張りで一向に帰ろうとせず、挙句の果てに僅かな落胆の目で『それとも、迷惑でしたか?』と後輩に、しかも女に訊かれて断れる男がいたら是非お目にかかりたい。

事実、松岡の情報処理能力は大したものだし、恐らく俺一人で作業をしても長い沈黙に気が滅入って逆に非効率的になっていた事は容易に予想できた。

故に一週間も経つと俺も完全に諦観し、登下校が同じ路線のバスという事も手伝って、なるだけ帰宅中は一人にしないように一緒に下校するようにしていた。

 

そんな日々を繰り返し、やがて学園祭前日の事。

「終わったな……」

「終わりましたね」

俺達の視線の先には、金字塔の如く積み上げられた段ボール。

作業中は見るだけでも嫌悪感を覚えたポップなゴシック体で書かれた宅急便会社の名前とこちらを睨みつけているような黒猫のキャラクターも、今となっては何処か可愛らしく見えてきそうだった。

そう、つい先程最後の本を段ボールに詰め終えたのだ。

つまり、作業の全工程が終了したのである。

「ぎりぎりだったな……まさか前日までかかるとはな」

「ですね。私ももっと早く終わるかと思ってました」

あはは、と柳眉を下げて笑う松岡に俺は徐に立ち上がり、

「コーヒー淹れて来るが、飲むか?」

「あ、はい。いつも通り、ミルクだけで」

訊きながら司書室に備え付けられた電気ケトルの電源を入れる。

図書委員担当の国語教師が個人的に持ち込んだもので、図書委員は自由に使ってもいい事になっているのだ。

お湯が沸くまでの間に棚から紙コップを二つ取り出し、インスタントコーヒーの粉末を適量放り込む。やがて沸いた熱湯を紙コップに注いでゆくと、独特の豆の香りがふわりと広がってゆく。

「ほれ。ミルクは自分で入れな」

片方にプラスチックの使い捨てティースプーンを挿し、ミニカップのミルクと一緒に渡して再びソファに腰を落とし、そのままコーヒーを口に含んだ。

最近になってブラックコーヒーを飲み始めたが、缶コーヒーのブラックが結構甘いと言う噂は本当なのだな、と先日思い知った。

で、自分で淹れて飲んでみた所、中々悪くないと思うようになっていた自分に少し驚いたりもした。

『ガキの頃は匂いだけでも嫌いだったのにな』なんて事を俺が思い返していると、

「ふぅ……相変わらず先輩の淹れるコーヒー、美味しいですね」

「たかがインスタントだぜ?誰が淹れたって同じだよ」

「明らかに違いますよ。何か特別な淹れ方とかしてません?」

「別に特別って訳じゃあないが……淹れる時のお湯は沸騰してない方がいい。苦味が増すらしいからな」

「あるんじゃないですか、コツ。へぇ、それだけなんですか……」

やたらと感心そうに茶色の水面を見つめる松岡。そんな彼女に俺は小さく溜息を吐き、

「結局、世話になっちまったな」

「はい?」

「二人でやってこれだったんだ、俺一人じゃ到底間に合わなかっただろうよ。……助かった、ありがとな」

「え、えと、あはは、どう致しまして」

 照れ臭そうな笑顔。紙コップを両手で包み、縮こまってしまう松岡に、

「何か、俺にして欲しい事はあるか?」

「……へ?」

「何か礼をさせてくれって言ってんだよ」

「お礼、ですか?」

「あぁ。ただし、俺に出来る範囲でな。何かあるか?」

「先輩に出来る事なら、何でもいいんですか?」

「……今これを鼻から飲め、とかは論外だからな?」

何か企むような顔だった。

釘を刺してみれば案の定、少し残念そうに唇を尖らせ俯いた。

どうやら選択肢の一つだったらしい。

暫く沈黙が続いた。

先程の表情は何処へやら、今の松岡は一転し真剣な表情で紙コップの中を覗き込んでいた。

時折こちらを窺うような視線が仄かに熱を帯びていたような、そんな気がした、その時だった。

「じゃあ、先輩のお弁当、食べたいです」

「……弁当?俺の?」

躊躇いがちに告げられたそれはあまりに予想外で、俺は思わず訊き返していた。

眉根を顰める俺に松岡はほんの少し身を乗り出して、

「先輩のお昼、いつもお弁当じゃないですか。あれって確か自分で作ってるんですよね?」

その通りだった。

俺の両親は共働きでいつも帰りが遅く朝も慌ただしい事が多い為、長男の俺が何時の間にか自然と家事を身に着け担当するようになっていた。

今までも朝練のある日以外は自分で弁当を作り、ついでに家族全員の朝飯も作ってそのまま登校するのがいつもの事だった。

「そんなんでいいのか?俺の弁当なんてお手軽メニューか昨日の残り物の詰め合わせ程度だぞ?それに、明日は学園祭だろうが。誰も弁当なんて持って来ねぇって」

「いいんです。先輩のお弁当食べたいんです。何か文句でもあるんですか?」

「いや、別に文句は無ぇけど……解ったよ。何か希望はあるか?」

「そうですね……玉子焼きは入れて欲しいです。甘い方で」

「ん」

短く返答し、程良く冷めたコーヒーを一気に飲み干して紙コップを握り潰すと、俺はバスの時間まで冷蔵庫の中身を思い出しながら、他の献立を考えていた。

翌朝。学園祭初日。

空は程良く雲が漂い、日射しが柔らかに降り注ぐ小春日和だった。

「はぁ……眠い」

欠伸を噛み殺しながら台所に立つ。

溶き卵を落とし、フライパンを揺すりながら畳んでいく。

その空いたスペースに昨夜のおかずだったハンバーグのタネを小さく丸めて焼き始める。

火が通るまでの間に鍋から茹で上がったほうれん草をボウルに満たした冷水の中に入れる。

やがて完全に冷めたほうれん草と焼き上がった玉子焼きを適度な大きさに切り分け、弁当箱に詰め込んでいく。

そのまま小さいハンバーグと予めボイルしていたソーセージを入れると炊飯器から白米をよそい、胡麻塩を軽く振って真ん中に梅干を一つ。

後は荒熱が抜けるのを待って蓋をすれば完成だ。

「本当にこんなんでいいのか……?」

正直、疑問を拭いきれない。

人に作るならばまだしも、いつも自分で自分の弁当を作っている俺からすれば、弁当なんてのはそれなりに腹が膨れてバランスがとれていればいい物だった。

見た目なんて気にした事は無いし、それこそ揚げ物のような手のかかる献立は、今日のハンバーグのように材料が余ったり、前日の夕食で残ったりしない限りは入れたりしない。

中学に通う弟の陸上部の大会の日など、不特定多数の人の目に入ってしまうような時は献立にも流石に気を遣うのだが、

「いつも通りの中身で、ね……」

それが松岡の要望だった。

全員が全員そうだとは言わないが、男の作る弁当なんてこんなものだろうと思う。

それは当然ながら周囲の女生徒や母親の作る弁当と比べればどうしても見劣りしてしまうし、味だってそれほど自信がある訳ではない。

唯一の拘りと言えば、添加物満載の冷凍食品だけは使わないようにしている事くらいか。

「一応、あまり期待はするなとは言っておいたが……」

周囲に料理を作る男がいなかったのだろう、昨日の帰宅中も松岡の視線は何処か期待を帯びているようだった。

自然と漏れる溜息。

半ば諦め気味に弁当箱に蓋をし、薄手の布でそれぞれを包んでいた、その時だった。

「あら、お早う。今日は土曜日なのに随分早いのね」

「お早う、母さん」

寝癖のついた頭のまま寝室から出て来たのは母さんだった。

とうの昔に追い越してしまった身長のせいか、ここ数年で一気に増えた両親の白髪が、二人の老いと疲れを如実に表している。

小学校教師を務めている両親は毎朝早い時間に家を出て夜遅くに帰って来る。

日によってはそのまま俺を学習塾に送ったりしなければならなくなってしまう為、俺は塾には出来るだけ自分で行くようにしていた。

何しろ、俺が家事を覚えた理由も、そんな父さんと母さんの背中をずっと見て来たからだったりする。

兎に角、そんな激務の毎日を送っているからだろう、ウチの両親は土日祝日は正午近くまで布団から出て来ない事が多いのだが、

「悪い、起こしちまった?」

「違うわよ。美味しそうな匂いがしてると思ったら、急にお腹が空いてきちゃってね」

「あぁ、だったら今ついでに残りのハンバーグ焼いちまうから少し待っててくれ」

「有難う……あら?」

そこで母さんは初めて俺の手元を見て首を傾げた。

「お弁当?今日は確か学園祭だったわよね?お昼は出店で食べるんじゃなかったの?」

「あぁいや、俺の弁当食いたい、なんてほざく奴がいてさ」

「あらまぁ……女の子?」

「……あぁ」

「あらあらまぁまぁ」

誤魔化しても何れはばれるだろうと諦めて明かしたが、尚早だったかもしれない。

母さんは玩具を見つけた子供のように笑みを深めると、一気にこちらに詰め寄ってきて、

「どんな子なの?」

どうやら女性という生き物はどれだけ年をとってもこういう話題が好物らしい。俺はさっさと弁当を包んでしまうと踵を返して、

「言っとくけど、母さんが期待してるような事は無ぇからな」

「あら、そうなの?」

残るハンバーグのタネを次々に丸めてゆき、

「……あいつは、そういうんじゃねぇよ」

フライパンの上で油が爆ぜる。

その音を合図に、この話は終わり。

更に換気扇を強くする俺の背後で、母さんが仕方なさそうに笑ったような気がした。

「有難う御座いました~」

本日丁度二十回目の愛想笑いの挨拶で客を見送る。

午前十時の開催から間も無く二時間経つが、去年に比べれば客足はまだましなほうだった。

それでも決して賑わっているとは言えず、このままでは間違いなく大量の在庫が売れ残る事になるだろう。

また書籍の取捨選択作業が始まるのか、と少々憂鬱になる。

「そろそろ昼か……」

そろそろ自分の当番が終わる時間帯。

そう思った直後、交代の図書委員が出店での戦利品を抱えながらやってきた。

「お前等、ここで飯食う気か?」

「いいだろ別に。折角の学園祭なんだしさ」

「はぁ……まぁいい。後、頼むわ」

何の悪びれの無い返事に溜息を吐き、鞄を手に教室を後にしようとして、

「あれ、荷物持ってくのか?置いてってもいいのに」

「あぁ、少し入り用があるんでな」

「ふぅん。まぁいいや。お疲れさん」

直ぐに興味も失せたのだろう、まるで吸い込むように戦利品達を貪っている。

売り物汚すなよ、と心中で溢して、俺は教室を後にした。

携帯から松岡に電話を掛けると、図書室の前で待っていてくれ、との事だった。

何故に図書室なのだろうか、という疑問もあったが、向こうからそう言ってきたのだから従う他ない。

ただ、ここにはあまり長時間い続けたくなかった。

「…………」

壁に凭れ掛かったまま、無言で視線を移す。

図書室は校舎四階の北端に位置し、その直ぐ隣に生徒会室、その向かいに放送室という位置関係にある。

そして視線の先、正反対に位置する南端の教室は、音楽室。

流石に学園祭当日にもなると、ここら一帯に生徒が来る事はそうそうない。

とはいえ、お世辞にもいい気分でいられる筈もない。

祭の喧騒は遠く、それがより一層静寂を際立たせる。

小さい貧乏揺すり。

携帯の待受けを開き、時間を確認する頻度が徐々に増してゆく。

やがて無限にも感じる様な十分の後、

「済みません、遅くなっちゃって……」

何処か肩で息をする松岡が階段を上って来るのが見えた。

身体から強張りが抜け、壁から身体を離して返す。

「別にいい。それより、何処で食うんだ?」

最初は司書室かとも思ったが、それは流石に不味い。

古本市は教室で催しているからまだいいものの、司書室に食べ物の匂いが染みついてしまっては何れ本にも伝染してしまいかねない。

香ばしい香りのする図書室など誰が歓迎するだろうか。

同じ理由で生徒会室や放送室も論外。

まさか廊下で食べるとでも言う積もりか、そう思った矢先、松岡は更に階段を上り始めていた。

「おい、何処に行く気だ?屋上前の踊り場で食う気か?」

確かにあそこなら人目にはつかないし、偶にそこで飯を食う生徒もいたりするが。

そう訊いた直後、

「いいえ、違いますよ」

「……なら何処に行く積もりだ?」

あっけらかんと返す松岡に益々訳が解らなくなる。

他にこの先にある場所と言えば、

「屋上ですよ、先輩」

そこには、何も無かった。

比喩ではなく、誇張でもなく、本当に何もないのだ。

冷たさを感じさせるコンクリートの床。

俺の膝程度までしかない、柵と呼ぶ事も躊躇われる小さな凸部分の囲い。

ほんの少し身を乗り出すだけで、多くの出店のテントが正面玄関前にU字状に並んでいるのが見えた。

「松岡」

「はい?」

「俺の記憶が確かなら、屋上は立ち入り禁止になってた筈なんだが」

そう、それが俺が屋上を先程の候補に入れなかった理由。

屋上へと通じる鉄扉は年中通して鍵が閉められており、本来ならば来る事すら出来ない筈なのだが、

「何でお前はプラスドライバーなんて持ち歩いてんだよ?」

呆れ気味に問うと『あはは』と気まずそうに笑った。

その鉄扉の直ぐ隣に、嵌め殺しになっている窓がある。

その四隅は螺子でがっちりと止められており、開ける事すら出来ないようになっているのだが、松岡は何処からともなくプラスドライバーを取り出したかと思えば、窓を取り外し、呆気にとられている俺に、

「先輩、お先にどうぞ」

「……は?」

「お先に、どうぞ」

有無を言わさぬ物言いにその場は取り敢えず従ったが、今思えば当然であった。

土曜日とはいえ、学園祭は一応登校日に属する日である。

当然ながら、全校生徒は制服で登校する訳だ。

後は、察して戴けるだろう。

そう言えば、俺を催促する松岡の表情は何処か赤みを帯びていたように思える。

「……私、ここが好きなんです」

暫しの沈黙の後に松岡は答え、スカートを抑えながら徐に寝っ転がった。

「こうすると、空しか見えないんですよ」

鞄を傍らに置き、俺も続いて横になって、

「…………」

視界全てを埋め尽くす蒼。

今日は風が弱いからか、日射しの暖かさと、肌を撫でる風の涼しさが、程良く心を解してくれるようだった。

「なんかこう、気が滅入った時とかに、こうしてここで、空を見てるんです。……変、ですか?」

「……いや、悪くない」

自然と零れた言葉。松岡は肩を撫で下ろしたように微笑み、

「先輩なら、そう言ってくれると思いました。……他の人には、内緒にして下さいね?」

「……あぁ、解った」

そう返して、ゆっくりと身を起こし、

「腹減った。飯にしよう」

「はいっ!」

ここ最近で一番いい返事だった気がした。

「今日のおかずはな~んでしょう~」

「……普通に開けられんのか、お前は」

弁当を渡した途端、松岡は間抜けな歌と共に包みを解いてゆく。

呆れながらその光景を眺めていると、

「おぉ、玉子焼きにほうれん草のおひたし、ミニハンバーグにソーセージですか」

「ハンバーグは昨日の残り物、他もかなり手抜きだ」

「冷凍食品も使ってませんね」

「使ったら負けだと思ってる」

「何にですか?」

笑いながら箸を取り出し、ハンバーグを口に含んで、

「ふあ~先輩味です」

「どんな味だよ?不味いなら不味いとはっきり言え」

「とんでもない、美味しいですよ!むぅ、流石は先輩」

「何を根拠に流石と言ってんだよ?」

まぁ、美味いと言われて悪い気はしなかった。

今まで家族以外の人間に料理を食べてもらった事は無く、自分の腕前は世間的に見てどうなのか、少なからず気にしていたからだ。

蓋を開け、俺も箸をつけ始める。

俺は人よりも割と遅いペースで食べる方だが、松岡はそんな俺よりも遥かに遅く、かなり長めに咀嚼してから飲み込んでいた。

人の食べ方にとやかく言いたくは無かったので黙っていたが、父さんや弟は体育会系なのであっという間に食べてしまう事が多く、そこまで丁寧に味わって食べられるのは、少し照れ臭かった。

「御馳走様でした」

「……御粗末様でした」

空いた容器を返してもらい、ぶっきら棒に返す。

中身は米粒一つ残らず空っぽだった。

「……随分美味そうに食うんだな、お前は」

自分を弁当箱を包みながら、思わず呟いていた本音。

一瞬口を噤んだものの、言ってしまったものは仕方が無いと諦めて、

「…………」

「……どうした?」

松岡が何処か呆けたように俺を見ている事に気が付いた。

尋ねてみれば、松岡は我に返ったようにぴくりと一瞬身体を震わせ、

「あ、いや、その……久し振りだったから」

意味が理解できず眉を顰める俺に、松岡は言葉を選択しているのか、暫く『あぁ』とか『えと』とか言った後に、

 

「先輩が笑ってる所、久し振りに見れたので」

 

言われて初めて気が付き、思い返してみた。

確かに一月前、退部届を提出した日から、俺はまともに笑った覚えが無いように思えた。

お笑い番組を見たり下らない漫画を読んだりして笑った事はあったが、そういう類の笑いではなく、内から自然と沸くような笑い、とでも言うのだろうか。

「ここ最近の先輩、ずっと難しい顔しかしてなくて、何をしてても詰まらなさそうで、だからちょっと、嬉しかったんです」

「…………」

何も言えなくなっていた。

何を言えばいいのか解らなくなっていた。

自分が何を考えているのか、何を考えたらいいのか。

思考回路、運動神経、その全てが完全に凍結する。

「……先輩」

故に、俺の首は自然とその声に応え、

「もう少しだけ、付き合ってもらってもいいですか?」

無意識の内に首肯していた。

「流石に誰もいませんね。ここ、本当に久し振りに入りましたけど、こんなに広かったんですね」

当り前だろう。大人数で合唱や合奏を行う為の部屋なのだから。

「防音壁って結構脆いんですよね。この前友達が言ってましたけど、思いっきり殴ったら凹んじゃったそうです」

当たり前だろう。周囲に騒音が漏れないよう、音を吸収する為の構造なのだから。

一面の白い壁。規則的に開けられた小さな穴は音を吸い込む為のもの。

大きな黒板、その前にぽつんと佇む指揮者台。

飾られた肖像画の数々は、その生涯を音楽に捧げて来たという証。

綺麗に磨かれた漆黒のピアノ。

段々になっている部屋の最奥には所狭しと数々の打楽器が並べられている。

その部屋の西側には、広く大きな窓があった。

傾き始めた陽光が燦々と照らす出す室内。

ほんの一月前まで、俺はこの部屋を構成する一欠片だったと言っても過言ではなかった。

「……松岡」

「はい」

「……何で、俺をここに連れて来た」

意識的に避けていた事を、言葉の上ですら触れずにいた事を、知らない筈はないだろうに。

続く言葉は不要だった。それが解らない奴じゃない。

なのに敢えて俺を連れて来た、その理由が解らない。

「……ここに初めて入ったのは、今年の四月でした」

無意識に恐れているのか、俯いたまま入口付近で立ち尽くしている俺に、松岡はゆっくりと語り出した。

「入学式の前の日、流石に登校初日から遅刻する訳にはいかないので、私は初めて使うバスのダイヤを調べてたんです。でも、当日になって準備に手間取って、私はその調べていた時間に遅れてしまいました」

まるで平均台の上を進むように両手を水平に広げ、段差の端を一歩ずつ。

「どうしようって、凄く慌てていた私に、一人の男の人が話しかけてくれました。背中に楽器のケースを背負ったその人は、私と同じ学園の制服を着ていました。『別に慌てなくても、次のバスに乗れば間に合うぞ』男の人は私に笑ってそう言いました」

ぼんやりと蘇る記憶。半年ほど前だったか、そんな事もあった気がした。

「一緒のバスに乗った時、混み合っていて一つしか空いていなかった席を、その人は笑って譲ってくれました。学園に着いて、玄関で別れて、階段を上って行くその人を見て、上級生だったんだと解りました」

この学園は学年と階数が同じようになっており、非常に解りやすいのである。

「その日の放課後、渡された資料を元に、部活見学に行きました。今朝のあの人が楽器のケースを背負っていたのを思い出した私は、吹奏楽部に行ってみる事にしてみました」

そこで一度区切り、懐かしむように天井を仰いで、

 

「そこで、私は凄く綺麗な笑顔を見ました」

 

ほんの僅か、俯いていた顔が上がった。

「お堅い管弦楽に乗りの良いジャズ。流行りのJ‐POPに懐かしいアニソン。たくさんの音の中で、今朝のあの人はとても楽しそうに笑っていました。気付けば私も手拍子をしながら笑っていました」

段を上り、とある場所で止まる。俺が五年間、ずっと吹き続けていた楽器の指定席。

「大盛況の内に演奏会は終わり、勧誘のチラシを渡されました。でも、この吹奏楽部は全国大会にも出場した事があると聞いていたので、初心者歓迎と書かれてはいたけれど、私では無理そうだと思って入りませんでした。でも、次の日の委員会紹介で、私はまたあの人に会いました」

ゆっくりと見上げた先、射し込む光の中に彼女はいた。

「図書委員会。読書は好きでも嫌いでもなかったけど、入ってみる事にしました。その日の夜、私はパソコンであの人の吹いていた楽器について、ちょっと調べてみる事にしました」

トロンボーン。

二つの長いU字型の管を繋ぎ合せた形状を持ち、スライドと呼ばれる部分を伸縮させて音程の高低を生み出す楽器。

他の楽器と違って音程がスムーズに調整でき、そこから得られるハーモニーの美しさから『神の楽器』と呼ばれ、古くから教会音楽に重用されていた。

管弦楽において多様な役割を担える楽器だが、主にハーモニーを奏でたり、他の楽器と組み合わさる事によって旋律を引き立たせる役割を持つ。

その反面、他の金管楽器に比べると、主旋律を担当する事は非常に稀。

『喇叭』を意味するイタリア語『tronba』に、より大きなものを表す接尾詞『-one』が付いたのが語源であり、直訳すると、

「『大喇叭』。ちなみに中国だと『伸縮大喇叭』って言うんだそうですね」

そう、トロンボーンは形状こそ独特なものの、決して目立つ楽器ではないのだ。

独奏者、独奏曲のどちらにも恵まれておらず、一部の演奏家が精力的にレパートリーを拡大しているものの、一般的な認知度は決して高くはない。

「普通なら主旋律、メロディを演奏したい人の方が多いと思うんです。吹奏楽部の友達も『メロディやりたいなぁ』って言ってる子、多いですし。でも、そんな目立たない楽器なのに」

彼女はゆっくりと振り返って、

「先輩は、本当に楽しそうでした」

目を見開いた。動悸が跳ね上がり、息が一瞬止まる。

「縁の下の力持ち。影の実力者。本当にトロンボーンっていう楽器が好きなんだなって、そう思いました。そうでなきゃ、諭吉さんが十何人も必要な楽器、買ったりしないでしょうし」

段差を降り、ゆっくりと一歩ずつこちらに歩み寄って来る。視線を離せぬまま、やがて俺の正面に立ち、

「辞めちゃうんですか?」

歯を食いしばった。

「辞めちゃっていいんですか?」

拳を強く握った。

「本当に辞めたいんですか?」

瞼を閉じ俯いて、

「私は、先輩に辞めて欲しくありませ―――」

 

「そんな訳、ねぇだろうがっ!」

 

自分でも驚くほどの大声だった。

「ああ好きだよ、大好きだよ!でなきゃ五年も続ける訳ねぇだろ!父さんに頼みこんでまで、安物じゃない楽器買ってもらう訳ねぇだろ!」

薄々感じていた。

才能がないかもしれないという事は。

少なくとも、他の人間より成長が遅いかもしれないという事は。

「毎朝早起きして、遅くまで残って、『学業に支障が出ないように』って約束の為に勉強だって真面目やって!」

広がり始めた実力。

追い着こうと必死だった。

それしか方法を知らなかった。

「辞めたくねぇに決まってんだろ!辞めちまっていい訳ねぇだろ!辞めたくねぇよ!辞めたく、ねぇよ……」

酸欠で息が上がり、頭がくらくらし始める。

瞼の奥から溢れ、滲む視界の中、言葉を失った松岡が呆然としているのが見えて、

 

気が付けば俺は、音楽室を飛び出していた。

 

(続)

 

後書きです、ハイ。

 

やっと第2話が完成しました。

一応次で完結ですが、今日中に投稿出来るのか、非常に不安です。

あぁもう、昨日昼から寝なけりゃもっと時間あったのに……

取りあえず、アメリカには勝てよ、火の鳥JAPAN。

 

さて、段々とフィクションの割合が増えてきました(笑)

こんな要素はあの頃の俺には無かったよ、アハハ……

ただ、同じような事を言ってくれた友人はいました。

俺が部活を退部した後も、唯一変わらぬ態度で接してくれたアイツがいなければ、今の俺はいなかったと思います。

俺は北の大地に残り、アイツは夢を追って東京の専門学校へ。

最近はもう殆ど連絡もとらなくなりましたが、元気でやってくれていると勝手に信じています。

 

さて、腹も減ったし、朝食作って仮面ライダー見て一端寝るか。

では、間に合えば今晩の更新でお会いしましょう。

 

でわでわノシ

 


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