No.169693

しあわせ坂の大石姉妹(6)

小市民さん

休憩時間になると、栄留那は校庭の一角にある自販機コーナーへ足を運び、パイナップルジュースを買おうとしますが、売り切れでした。かぁっと腹を立てた栄留那は自販機3台を低軌道へと吹き飛ばしてしまいます。
全壊した自販機は凶暴なデプリとなって国際宇宙ステーションに迫ります。小市民の学園サイエンスアクション、中盤のクライマックスです。

2010-09-01 16:48:48 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:431   閲覧ユーザー数:409

 古典の授業を終え、老教師が教室を出ていくと、栄朋学園高等部二年三組は休み時間の開放感から、がやがやと賑やかになった。

 栄留那のすぐ隣の席に座るクラスメートが、自分の前に座る生徒の背中をシャーペンの先で突っつくと、

「ねぇ、今朝方、栄朋(うち)の生徒が、しあわせ坂で恵台の生徒とケンカしてたんだって!」

 通学路での騒ぎを話題にした。話しかけられた生徒は、

「あ、それ、あたしも聞いたよ。ケンカを売ったのは髪の長い子で……」

 言うなり、二人のクラスメートは、はっとして栄留那を見た。栄留那は慌てて、

「えっ? やだな、あたしじゃないよ。恵台に知り合いなんていないし!」

 取り繕うと、逃げるように教室を出た。

 教室から逃げ出しても、栄留那はいく当てなどはなく、暫時、廊下で立ち止まったが、校庭の一角に自動販売機が三台、並んで置かれた休憩スペースがあり、その中の一台に自分が好きなパイナップルジュースが売られていたことを思い出した。一つ買って、気分転換を図ろうと、栄留那は休憩スペースに足を向けた。

 そもそも、しあわせ坂でのケンカの原因は、妹が楽しみに冷やしておいたパイナップルジュースを、栄利香が一滴も残さずに飲んでしまったことにあった。

 今朝方のパイナップルジュースに限ったことではなく、栄利香は生来、欲張りで、よく栄留那が買ってきたスナック菓子を平然と平らげてしまったり、食事のおかずにも手を出してくる。

 本人は無意識に行動しているようだが、度重なれば、妹の堪忍袋の緒も切れるというものだった。

 また、いつも所在なさげにとぼとぼと歩いている栄利香が、宇宙開発に興味をもつ彼氏とやらに興味を示したことを知り、栄留那としては姉を応援してやりたいと考えた。

 こうした理由から、姉と彼氏を低軌道に放り出したのだが、二人が協力すれば、地上への生還は苦もなくできるはずだった。

 しかし、二人が帰ってこられなければ、栄留那が連れ戻しにいくことも想定している。この場合、栄留那の彼氏に対する評価は著しく悪くなるが、彼氏がそんなことは気にも留めず、姉とのんびり低軌道ツアーでも決め込まれたら、栄留那はいい面の皮となる。腕時計を見ると、栄利香と彼氏を低軌道へ放り出し、間もなく一時間がたとうとしていた。

 今頃、姉と彼氏は、アフリカ大陸を横断し、大西洋にかかっているだろう。

 ふと、今朝方、しあわせ坂で会った男子生徒が、栄留那の思惑など全てお見とおしで、どうせ栄留那が迎えにくるのだから、と気泡カプセルの中で、姉とのんびり世間話でもしている幻がよぎった。

 栄留那はまたしてもむかむかと腹が立ってきた。イライラしたまま校庭の一角にある休憩スペースへいき、パイナップルジュースを売っている自動販売機を見ると、よりにもよってパイナップルジュースだけが売り切れとなっていた。

 栄留那はかあっと怒りを感じると、

「バカ!」

 自動販売機を怒鳴りつけるなり、休憩スペースに凶暴な暴風を発生させた。大気が我を失ったかのような凄まじい強風は、堅固に固定してあったアンカーボルトを一瞬にして引きちぎり、自動販売機三台を空の彼方へ吹き飛ばした。

 栄留那はほこりでも払うかのように、手をぽんぽんとたたくと、

「ふん、ザマ見ろ!」

 鼻息荒く言ったそのとき、背後にざわめきを感じた。栄留那ははじかれたように振り返ると、中等部の生徒が三人と赤いジャージ姿の体育科の教師が、青ざめた表情で立っていた。栄留那は自動販売機三台を吹き飛ばした一部始終を目撃されたのだった。

 栄留那は慌てて、

「すぐ目の前で、竜巻が! 自販機を! え~ん、怖かったですぅ!」

 校庭にへたり込み、大声で泣き出す芝居を始めた。

 

 

 ビデオチャットを用い、話し合いを続ける歩と醍醐に重い沈黙が流れた。歩はノート型パソコンのバッテリーが後三十分ももたないことを確かめると、

「醍醐さんは、女子生徒が創り出したこの気泡カプセルを、見るからに脆弱で、僕達は宇宙を漂流している、と言われましたが、現実にはこのカプセルで地球の引力を振り切り、低軌道を自律して、地球を半周しています」

 醍醐の思い込みを否定した。醍醐は顔色一つ変えず、

「CNWの能力の高低、あるいは強弱とは、発現させている者の体力や精神力に比例している、と聞いている。その女の子が疲れてくれば、その気泡カプセルは消滅することになる」

 栄利香の体力の限界を指摘した。歩はうなずき、

「そうです。だから、一刻も早く再突入を実行しなければならないんです!」

 醍醐が旨とするところを巧みにすり替え、主張を繰り返した。醍醐は口ばかりが達者の若造を相手にした思いで、ふっと溜息をつくと、

「ともかく、君達の要求は聞けない! ホライズンのペイロードからISSに入りなさい。天馬君ならどの構造物がスペースシャトルか説明する必要はないだろう。米国の乗組員には僕から話す」

 厳しい語調で言い切った。歩はひたと醍醐を見つめると、

「米の乗組員が、それを許可すると思っているんですか?」

「どういう意味?」

 醍醐が思わず歩に聞き返すと、歩は冷然として、

「ISSは、アメリカとロシアが主導となり、日本、カナダ、欧州宇宙機関加盟十一カ国が協力して建設した巨大有人施設です。したがって、ISSに滞在できる正式クルーは、政府間協定締結国に限られています。滞在権についても各国、機関ごとに枠があると聞いています。民間人を滞在させたいのなら、この枠の範囲内でなければならない。しかし、日本は既に枠一杯となっています。なぜ、これほど厳格な定めがあるのかといえば、消費される食料、酸素など生命維持に必要なものを適正に保持するためです。僕達のために、日本を協定違反国にできません」

 ISSの運用法の大原則を確認した。歩の言うことは全くの正論であった。

 しかし、宇宙を大海原に見立てた場合、救難者を救助するのは、船乗りの人道的な責任であった。

 醍醐はばしっとパソコンを固定してあるデスクを叩くと、押し黙った。

 このとき、不意にきぼう棟内の通常照明が消え、薄暗くなると、赤いランプが点灯した。同時に、非常事態を知らせるサイレンがけたたましく鳴り響いた。

 醍醐の背後で、きぼうに搭乗する乗組員達のあわただしい動きがあり、抜き差しならぬ事態が発生していることが、歩にも栄利香にも容易に窺えた。歩は、

「どうしたんですか?」

 思わず醍醐に尋ねると、醍醐はNASAかJAXAから送信されてきた書類に目を走らせながら、

「地球からデプリが上がってくる。本船はこれより周回軌道を上げ、デプリを回避する」

 醍醐の言葉が終わらぬうちに、ロシア側モジュールのズヴェズダの二基のブースターが点火した。続いて、ドッキング中のスペースシャトル六番機ホライズンがペイロードを閉じ、エンジンを始動させたが、巨大な宇宙ステーションは微動だにしない。

 毎年数回の高度制御も約三時間かけ、地球を二周しながらおこなうのである。軌道変更が容易であろうはずがなかった。

 歩が凝然としていると、栄利香が怯えた目で歩の手を握りしめた。

 歩のノート型パソコンのディスプレイに表示された醍醐は、ベテラン宇宙飛行士らしく、眉一つ動かさず、

「君達を収容するのは後回しになった。デプリが二時方向からくる。取りあえず、太陽電池の陰に入りなさい」

 歩と栄利香に指示したが、デプリと呼ばれる宇宙のゴミの一つが凄まじい速度で太陽電池の一枚をぶち抜き、漆黒の宇宙へ飛び去っていった。

「くそっ! 太陽電池が一枚、やられた!」

「どこのバカが、こんなゴミをぶちまけやがった。ISSを撃ち落とす気か!」

「中国だろ! 奴ら、二〇〇七年に人工衛星を衛星攻撃兵器でやりやがった。おかげで九百個以上のデプリが低軌道にバラ巻かれたのは解ってんだ!」

 醍醐の背後で耐ショック姿勢をとった乗組員の声が上がった。その間にも十センチ四方にも満たない金属片が、凶暴な意志をもったかのようにISSの周囲を飛び去っていく。

 ISSは、日常的にこうしたトラブルに見舞われ、その度にNASAから回避するためのコースが指示されている。

 しかし、広大な宇宙空間を漂っているデプリが到達するのは二、三日先の話であったし、モジュール全体をバンパーと呼ばれる衝撃緩衝材で覆われていることにより、数センチのデプリの場合、わざわざよけずに船体をぶち当てても全く問題にならなかった。

 ようやくにISS全体が、周回軌道を上げ始めたと思ったそのとき、歩と栄利香が乗る気泡カプセルのすぐ傍らを、半壊した自動販売機が一台すり抜け、ISSの太陽電池二枚を同時にぶち破り、飛び去っていった。栄利香は愕然として、自動販売機を目で追うと、

「今の、自販機だよね、しかも日本の!」

 歩に確かめた。歩も真っ黒に焼けただれたデプリに、わずかであったが「AME印乳業」と水滴をモチーフにした商標と社名がはっきりと見えた。明らかに、日本から何者かが低軌道に向けて自動販売機を数台、打ち上げていることが解った。栄利香は、

「こんな……こんなことができるのは……」

 表情を険しくさせ、呟いた。歩のノート型パソコンのディスプレイには、相変わらず冷静な醍醐が映っていたが、その背後では、

「おい、駄目だ! デカいのがくる! 直撃コースだ!」

「醍醐さん! 何かにつかまって下さい!」

 きぼうの乗組員の悲鳴が上がっていた。栄利香が二時方向を見ると、もはや原形もとどめていないが、日本語表記がいたるところにあり、元は自動販売機だったことが判別できる鉄クズの一群が、なおも迫ってくる光景があった。

 きぼう棟内は勿論、ISSのクルー全員と、世界中の宇宙機関が恐慌状態になっている姿が、歩の脳裏によぎった。次いで、巨大な宇宙ステーションがデプリに撃破され、半壊し、地球に落下していく幻が見えた。

 このとき、栄利香の瞳に精悍な光が瞬いた。

 間髪を置かず、気泡カプセルは二時方向に方向転換し、前面に高圧で渦巻く空気の塊を無数に発生させた。次の一瞬、高圧で逆巻く気流は、散弾となって一斉にデプリの大群を飲み込んだ。

 デプリ群は、ISSの至近で微細なチリに姿を変え、火の粉となって地球へ散っていった。

「す……すごい!」

 歩は思わず声を上げ、栄利香の引き締まった横顔を見つめた。ノート型パソコンのディスプレイに表示された醍醐も緊張した顔をゆるめ、その背後では、歓声と拍手が上がっている。

 言葉を失った醍醐の肩を、きぼうの責任者と思われる男の無骨な手が、ぽんっとたたくと、醍醐は大きくうなずき、

「これより、君達の大気圏再突入のサポートミッションを開始する」

 歩と栄利香に告げた。


 
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