No.162138

あやかし幻灯譚

青猫さん

昔賞に応募した短編小説です。主人公長尾清隆が仲間とはぐれ、小さな村にたどり着きます。そこで起こった奇妙な事件のお話です。

2010-07-31 13:50:09 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:434   閲覧ユーザー数:423

 

0 濁流

 冷たい水の中を彼は流されるままになっていた。

 流れに揉まれて水中に滑り込むと、柔らかい光が顔に落ちてくるのがわかる。

 そして何分、何時間とも判らない時間が経過したあと、彼は川岸に打ち付けられた。

 砂利や小枝などの川の不要物と共に堆積されたのだった。

 半身と呼ぶ大事な道具が入った鞄も少し先の岸に流れ着いていた。

 山から流れる水はそうして異物を排出しながら、清らかな水を下流へと流し続けているのだろう。

 まだ意識の戻らない彼はそのまま長い時間、といっても数時間ほどその場で眠り続けるのだった。

 

1 はぐれた男

 明治時代の中ごろの話。

 まだ西洋の文化が珍しい頃で、とくに地方では昔ながらの生活がほぼそのまま続いていた。

 長尾清隆(ながおきよたか)はそのような地方の各地を友人のアリウスと旅していた。そのとき、二人とその召使いはとても珍しがられていたのであった。とくに、アリウスはヨーロッパ系の顔立ちだったのでなおさらである。

 しかしこれは単に珍しいものを見て回る旅行でも、清隆のルーツである日本を体感する旅でもない。

 二人はもう少し「深い」理由をこの旅に秘めていた。

 それを特に他人に明かすことはなかったが、二人は村々に立ち寄っては、その地方の珍しい伝承を聞いて回っていた。

 特に興味を示したのは、いわゆる狐狸に化かされたという話、古くなった茶碗や薬缶が化けたという話、「あやかし」の話である。

 清隆の生まれ故郷であるイギリスにも近い話がないわけではない。ではなぜそれらの話を興味深く収集していたのかというと、それが二人の今後を左右する重要な情報だからである。

 

「……まいったな」

 清隆は深い森の中、周りを見渡して途方に暮れていた。

 アリウスも、召使いのアブドルもどこにも見えない。

 完全にはぐれてしまった。

 連絡が取れないわけではない。清隆は思考をアリウスや召使いに伝えることができたので、会話をすることはできた。

 問題は二つある。

 この場所の正確な名称がわからない。三人は山道を通ってきたのだが、途中に岩があり、大幅に遠回りをしてきたのだ。

 もう一つの問題は、森のあやかしに気づかれないかである。

 これまでの調査で、サトリという人の思考を読めるあやかしの存在がわかっていた。この近くにサトリがいるという話は聞いていないが、にたようなことができるあやかしがいてもおかしくない。

 なるべく自分たちの存在をこの国のあやかしに知られたくないのだった。

 

「こういうときは、どこか適当な町か村にたどり着いてから連絡した方がいいな。合流も楽だし」

 そう考えた清隆は、とりあえず森を抜けることに専念することにした。

 意識を集中して地面を見回すと、わずかに人が通った跡がある。普通の人には見えないくらいわずかであったが、清隆には往復した足跡がくっきり見えた。

 どうやら人里からそう遠く離れていないらしい。

 清隆は足跡に沿って歩き始める。

 

 ようやく人里にたどり着いたのは、翌日の昼頃であった。

 田んぼの広がる、そこそこの人口の村らしい。

 清隆は村はずれの地蔵が並ぶ道にきて、どうしたものかと考えた。

「とりあえず、村の名前を知らないとな」

 そして、誰かが通りかかるまで地蔵の近くの木の下で待っていることにした。

 

 しばらく待っていると、和服姿の少年が地蔵に花を供えにやってきた。

 少年は清隆の姿を見て驚いたが、そのまま地蔵に手を合わせている。

「こんにちは」

 清隆が手を合わせ終わった少年に声をかけた。

「こ……こんにちは」

 少年がおそるおそる清隆を見て頭を下げた。

「すいません、洋服を着てたので異国の方かと思って……」

 少年は言葉が通じないと思ったらしい。

 清隆は、イギリスで生まれ育ったわけではあるが、顔立ちは完全に日本人と変わらなったのでそんなふうに思われるとは意外だった。しかしこんな地方の村では、男性でも洋服を着ている人は珍しいらしい。

 それに少年は口には出さなかったが、清隆は髪の色こそ黒いが目は真紅、肌は不健康なほど白い。洋服の上にそのような奇抜な容姿は十分、少年に声をかけにくくさせていただろう。

「いや、確かにこの国の生まれではないが、言葉はある程度わかる。それより君、ここは何という場所だ?」

 清隆が尋ねると、少年は不思議そうな顔をした。

「ここは千草県(ちぐさ)の山根(やまね)村です。でも場所がわからないのによくこれましたね」

「迷ったんだ」

 少年は非常に礼儀正しい態度であったが、どこか天然なのかわざとなのか。清隆は少しむっとしていた。

「そうでしたか、すいません」

 少年はあわてて頭を下げる。

「いや、いい。場所がわかれば使いの者に連絡が取れるから、なんとかなる」

「それはそうですが、この辺は郵便が月に二回しか届けられないんです」

 少年が申し訳なさそうにいった。

 そうだ。「ふつうの人」ならそうなのだ。しかし清隆は念話ができる。

「電報は?」

「あ、それなら隣の皐月村の逓信局に頼めます」

「そうか、で、その村までどのくらいかかる?」

「南に五時間ほど歩けば着きます」

 うーん、と清隆は悩んだ。

 とりあえず今日はこの村で休んで、明日出かける振りして一日ほど森で時間をつぶすのが一番怪しまれない方法だろうか。

「わかった、今日行くと夜になってしまいそうだから、今晩はこの村に止まることにするよ。適当な宿はないかな」

「宿はありませんが、家にきてください。すぐそこです」

 少年はそういうと歩き始めたので、清隆はついていくことにした。

「そういえば、君の名前を聞いてなかった。ああ、私は長尾清隆というものだ」

「きよたかさんですね。ぼくは高籐祐介(たかとうゆうすけ)です……ええと、こちらです」

 歩きながら話している内に、二人は大きな屋敷に着いた。たぶんこの村で一番大きな家である。

「ただいま帰りました」

 少年は家でも礼儀正しかった。清隆に待っていてほしいというと、いそいで奥の方へとかけていった。

 

「何でも異国から来たとのことで……遠いところからこんな場所へよくきてくださいました」

 祐介から話を聞いた家の主人は、清隆を歓迎してくれた。

 主人は恰幅のよい初老の男性で、常にニコニコと笑っていた。

「使いの者がくるまで、何日いてくださっても結構です。もしよろしければ、祐介に異国のことをいろいろ教えてください」

「祐介君は、異国について勉強してるんですね」

 清隆が尋ねると、主人は豪快に笑った。

「別にそれだけではありません。漢文でも数学でも何でもしています。村で一番勉強ができる子です」

 祐介の礼儀正しい態度から、主人のいうことも大袈裟ではなさそうだな、と清隆は思った。

 

 こうして、清隆はごくわずかな間だが、この村で過ごすことになった。

 そのときは、この後奇妙な出来事に巻き込まれるとは、想像してもいなかったのである。

  

 

2 サーカスと少年

 次の日、朝食を食べてすぐに清隆は隣村に出発した。

 といっても実際に村まで歩くわけではなくて、途中の道でアリウスか召使いに「声」が届かないか試すのである。もっとも、相手が寝ているか気を失っていなければ大丈夫だろう。

『アリウス、アブドル、どっちか聞こえるか?』

 しばらく待っていると、アブドルが反応した。清隆は内心ほっとした。

『……清隆様、今までどうしたんですか!?』

『すまない、途中の滝で足が滑って……怪我はないからよかったけど』

 

 清隆は二人とはぐれる寸前、滝のすぐ近くを歩いていた。二人の後ろにいた清隆は急に勢いを増した流れにさらわれて、そのまま意識を失ってしまったのだった。どうもそのまま滝に流されてしまったらしく、気がつくと川に浮き沈みしていたのだった。

 

『そうでしたか…いつの間にかいなくなっていてびっくりしました。それで今どこに?』

『千草県山根村にいる』

『隣の県じゃないですか、あ、でもそんなに遠くないですね』

『アリウスは?』

 清隆は召使いにたずねた。

『寝てます。いま七星県(ななほし)の志染(しじみ)町って港町なんですけど、そこの旅館に泊まってます』

 志染町は本来の目的地である宮城県仙台市へ行く途中の街だった。たぶん清隆も本当なら今頃はそこで休憩していたのだろう。

 

『私もすぐそっちへ向かいたいんだが、今世話してもらっている人たちに使いの者を待っていると言ってしまったんだ。アブドルだけでもこっちに来てくれないか、途中まででもいい』

 そのままこっそり抜け出してくるという手もないわけではないのだが、清隆はこういうところが妙に律儀なのだ。

『いいですけど、たぶん僕が来るといったらアリウス様もきますよ』

『それならそれでいい』

 話はだいたい決まった。あとはアブドルがアリウスに話すだけであるが、おそらく彼も一緒にこちらへ来るだろう。

『では、遅くても5日以内には着くと思います。近くに来たら連絡しますね』

 そうして「声」は途絶えた。といっても、もともと清隆以外の者には聞こえないのだが。

 

「さて、しばらくどうしようかな」

 清隆が帰らなければならない時間まで、まだ間があった。

 隣村まで、清隆が駆け足すれば一時間くらいだろう。

 そこであやかしの話を聞いて回ろうか。

「……いや、人に聞くよりも」

 今の会話に反応したあやかしがこの近くをうろついているかもしれない。

 そもそも人の思考をのぞけるというあやかしが、念話を盗み聞きできるのかは未だにわからない。しかし万が一ということがある。

 

 清隆は森の中を散策し始めた。古い墓や古寺、古民家のような「かつて人が存在していた場所」をさがしていたのだ。

 誰も人が行かないような森の中、山の中にいるあやかしは、そもそも積極的に人と関わろうとしない存在である。ただそういった連中はいったん怒ると恐ろしい。かつて「荒ぶる神々」とよばれたのは、そういったあやかしのことだ。

 人里と人跡未踏の地の間にいるあやかしは、それらとは違い、もう少し積極的に人と関わろうとしている者たちだ。彼らは独自の考えで、人に近づき、友好的な者もいれば、単に人を利用とする者もいる。

 

 すなわち、清隆たちの同業者と言えなくもない。

 

 厳密には違う。清隆たちは完全に人里でしか暮らせない。しかしテリトリーが重なる以上、トラブルは避けられないと考えていた。

 

「……さっきから着いてきているな、隠れても無駄だ」

 

 清隆が立ち止まると、あとからついてきた足音も少し遅れて止まる。

 それ以外の反応はない。清隆は再び歩き出す。

 なるべくあやかしと喧嘩をしたくはなかった。今は一人だし、武器もない。

 清隆は覚悟を決めて振り向いた。しかし道ばたにいた、いやあったのは大きな漬物石だった。

「それで化けたつもりか?」

 清隆の「目」には漬物石からふさふさしたしっぽが飛び出しているのがはっきり見えた。そしてそっと近づくと、革靴のつま先で尻尾を軽くつついた。

 

「ひゃっる」

 

 と、奇妙な叫び声をあげて石が正体を現した。清隆はその獣が狢(むじな)であるとわかった。

「どうして私についてきたんだ、狢?」

 あわてて岩影に隠れた狢に、清隆は声をかけた。

「……変わった格好しているから、何か珍しいものでも持ってないかなと思って」

 狢は岩影から頭だけ出して答えた。どうもまだ子供のようだ。そしてどうやら清隆のことは人間と思っているらしい。

「じゃあこれあげるからもう家に帰りなさい」

 清隆はポケットにあった予備のボタンを狢の元に投げた。

「わあ」

 狢の子は珍しそうにボタンを拾い上げた。それを見て清隆の気がちょっとだけゆるんだ、そのときであった。

 

 ごん、と清隆の頭の後ろで鈍い音がして、意識が遠のきそうになった。

(しまった……親がいたか!!)

 清隆はかろうじて意識をつなぎ止めて、地面に倒れずにすんだ。そしてすぐさま後ろを振り返った。

 

 そこには清隆の二倍はありそうな、巨大な獣がこっちを見ていた。獣はギョロリと金色の目で清隆をにらむと、とがった爪を清隆に振りかざしてきた。

(あぶない……!!)

 あわてて清隆は木々をかいくぐりながら獣と距離をとる。しかしこのままでは反撃できない。

(それにしても……妙だな)

 あんなに鋭利な爪を持っているのに、最初の一撃で清隆は傷一つ受けていなかった。もしかしたらあの姿も狢の変身なのかもしれない。

「確かめてみるか」

 

 清隆は立ち止まると意識を集中した。

 集中して、自分の意識につながっている「一本の筋」をたどる。

 その先は清隆が流されたときの河原につながっていた。

「……来い、我が半身!!」

 清隆は置き去りにしていた自分の武器に呼びかけた。

 しかしすぐにやってくるわけがない、その間にも巨大な狢の爪が振るわれ、清隆に直撃した。

「ぐ……」

 殴られたような鈍い感触はあったが、やはり爪のそれではない、清隆は地面に転がりながら確信した。

 

 清隆が起きあがるとほぼ同時に、黒いケースが空から飛んできて清隆の足下に落下した。同時にケースが壊れて、中から一本の日本刀が転がり出た。

「確かめてみようか、爪の正体は棍棒か岩か、そんな所だろう?」

 清隆が日本刀に触れてからの動きはとても鮮やかなものだった。

 流れるような動きで刀を鞘から抜き、次の瞬間、狢の右腕のそばにいた。そして上から腕をたたき落とすように切りつけたのだ。

 

「ぎゃあああっ!」

 ごろり、と落ちた腕は、次の瞬間細長い岩に変化していた。岩の先には小さな獣の手が付着していた。

 悲鳴の主は清隆の目の前にいる親狢だった。先ほどのような巨大な姿は幻覚で、正体はふつうの狢の大きさをしていた。

「うううっ……」

 狢は手を失って相当痛がっているようだ。

「そっちから先に手を出したのだろう。痛がっても無駄だ」

 清隆はそっけない。

「うう…まさか刀を持ってくるとは…おめえなにもんだ!」

「知らないなら知らなくていい」

 

 清隆は刀を血溜まりに沈めた。そうすると刀は生き物ののように脈打ち、血を吸い取っていった。

 

「……まあ獣の血だが、無いよりましだ」

「あ、あんたひとじゃないな……」

 親狢は子狢をかばいながら、清隆から数歩身を引いた。

「その通り。だが君たちと争い事をする気はない。今回は不意打ちをされたから仕返しただけだ」

「む……」

「我々は平穏に暮らしたいと思っている。だから争いごとはできるだけ避けたい。人里で我々のような者に出会ったら、できる限り関わらない方がいいと忠告しておく」

 人里こそ、我々本来の「狩場」だから……

 

 清隆はそういい残して、狢の親子と分かれた。

 

 夕方近くになって、清隆は山根村に戻ってきていた。

 ただの旅行者が刀を持ち歩いている訳には行かない。清隆は半身である刀を山に埋めてきた。村を離れるときにまた取りに行けばいい。

 地蔵の近くに、村の子供たちが集まっていた。しかし祐介の姿はない。

「なんてかいてあるの?」

 3歳くらいの少女が、一番背の高い少年のもっていたちらしをのぞき込んだ。

「サーカスがくるんだってさ!」

「さーかすって?」

「外国の見世物みたいなもんで、いろんな芸や変わった物が見られるんだ!」

 子供たちの会話を聞きながら、清隆はまっすぐ祐介の屋敷に向かっていく。

 

「おかえりなさい清隆さん、電報は出せましたか?」

 井戸で水を汲んでいた祐介が顔を上げた。

「ああ。お手伝いかい」

 清隆は祐介と桶の水に交互に目をやる。

「はい」

「そうか、偉いね」

 清隆が言うと、少年はうれしそうに笑った。

「いえ、大したことではないです」

「いやいや、ほんとに私が同じくらいの頃は手伝いなんかせずに遊び回ってたよ」

 先ほどの子供たちのように。と、いうべきか清隆は悩んだ。

 もしかして祐介はこの村の子供たちとあまり親しくないのかもしれない。だってずっと勉強しているのだから、一緒に遊ぶ暇もないだろう。

「どうしましたか?」

 黙ってしまった清隆を見て祐介は不思議そうに尋ねた。

「……いや、ごめん。しばらく暇だからどうしようかな、と思って」

「じゃあ明日は、よろしければ異国のこと、いろいろ教えてください」

 祐介はそう言って微笑むと、桶を抱えると家の中へと入っていった。

 そして次の日、清隆が目を覚ましたのは朝もだいぶ過ぎてからだった。

「うん……?」

 祐介の姿が見えない。広い家の中を探し回っていると、庭に立って何かの紙を見つめている祐介を発見した。

「……裕介君?」

「あ、おはようございます」

 祐介は清隆に気がつくと、紙をあわてて隠した。

「それ、サーカスのチラシだね」

「え、何で…」

「きのう同じものを見ている人を見かけたから」

 よかったら見せてほしい、と清隆が言うと、祐介はチラシをそっと清隆に手渡した。

 チラシは非常に簡素な内容で、

 

「山野サーカス団がもうすぐ山根村に参ります

 十月一日 お楽しみください」

 

 という文と、ピエロの挿し絵、開催場所の地図、時間が書いてあるだけだった。

「サーカスか……私も小さい頃、見たことがある。一回だけだけど」

「小さい頃ということは、イギリスでですか。いいなあ、きっと素晴らしいんでしょうね」

「祐介君、サーカスに興味あるのかい?」

「それは……もちろんです。でもぼくは行けないと思う」

 そう言うと祐介はうつむいてしまった。

「どうして?」

「父が厳しいから。でも父は僕に期待しているから厳しいってわかってるんです。だから今日も家で勉強してます」

 サーカスの開催日十月一日は、今日であった。

「……勉強は悪い事じゃない。しかし本の中だけで知識を蓄えるのに夢中で、身近なものにぜんぜん触れないのはどうかと思うな」

「……」

 清隆の言うことは正しい。しかし親子の関係というのは正しいことだけではすまないのだろう。

「よし、私がお父上に話を付けてこよう」

「ええっ!」

 祐介は驚いたような顔をした。そこまでしてもらうのは少し想定外だったらしい。

「なに、私はお父上から君の教育を頼まれているからね。社会科見学も大切だと進言するだけさ」

 そう言って清隆は、祐介の父がいる書斎へと向かっていった。

 

「ふむ、サーカスねえ」

 清隆から渡されたチラシを眺めながら、祐介の父はつぶやいた。

「祐介君はとても勉強熱心な子ですが、たまには変わった物を見て息抜きするのも大事だと思いますよ」

「まあ、そうかもしれないな。あの子は少し、根を詰めすぎるところがあるから……」

「じゃあ、サーカスにつれてっていただけますか」

 清隆がそう言うと、祐介の父は首を振った。

「もちろん、つれて行ければいいんだが、今日はあいにく出かけられない用事があるんだ。もしよろしければ、清隆さんがサーカスに祐介を連れていってくれないか?」

「そう言うことでしたら、わかりました」

 清隆はほっとした。もっと反対されるかもしれないと、内心では不安だったのだ。

  

 

3 幻灯機

 サーカスは夕方から始まるとのことで、祐介と清隆は夕食を食べてから家を出た。

「こんな時間に家を出たのは初めてです」

 祐介は少し楽しげな調子で言った。ふたりは村はずれの森の近くの広場にやってきていた。そこがサーカスの会場だった。

 会場には木の板でできた簡単な舞台がおいてあり、すでに村中の子供たちが集まってきている。

 子供たちは祐介を珍しそうに見る者もいたが、基本的に気にしてない様子である。祐介は少しほっとしたようだ。

 見物客が座れるように、地面にござが敷いてあったので、祐介も一番端に座ることにした。清隆は少し離れた木の影で立って見ていることにした。

 そうしているうちに、辺りはだんだん暗くなってくる。

 

「みなさま、みなさま、よくおいでくださいました」

 

 舞台の奥から声が響いた。よく通る男性の声だった。

 姿はまだ確認できない。

 先ほどまで騒いでいた子供たちがおとなしくなった。

 広場の周りにいつの間にか用意されていた提灯の明かりがともる。

 最後に舞台の端に用意された一番大きな提灯に明かりがつく。明かりはゆらゆらと揺れて狐火を思わせた。

 

 太鼓と吹奏楽器による楽しげな音楽が響き始める。

 舞台の後方で演奏している模様だった。

 そして、舞台にシルクハット、スーツ姿の男性が上がってきて頭を下げた。

「ようこそ、山野サーカスへ。私は団長の山野です。今宵はどうぞ存分にお楽しみください」

 提灯の明かりはそれほど強いものではなくて、団長の顔もはっきりとは見えないが、祐介の父くらいの年齢だろうか。

「それでは最初の演目は、こちら! 綱渡りです!」

 団長が挨拶している間に舞台には二つの櫓が組まれ、そこに一本の綱が渡されていた。片方の櫓に道化師の姿をした少女が上り、観客に手を振る。

「それでは彼女が見事に綱を渡るのをご覧ください」

 

 祐介をはじめとした子供たちは、かたずをのんで舞台を見守っていた。清隆はそこまで舞台にのめり込んではいない。綱渡りといっても、この小さい舞台では団長の背の高さくらいが精一杯である。でも初めて見ている子供たちは真剣だった。

 少女は長い棒を持って綱を渡ったあと、今度は頭に水の注がれたお盆を乗せて、さらに往復して見せた。

 最後に彼女がお辞儀をすると、観客席から盛大な拍手が起こった。清隆が祐介の方を見ると、彼も夢中で拍手をしていた。

 

(どうやら楽しんでいるようだ。連れてきてよかった)

 

 清隆は安心して、のんびりとサーカスの鑑賞を続けることにした。

 それから犬や熊と言った動物を使った芸や、自転車による曲芸などが続く。特に変わったものはない。でも子供たちはとても楽しんでいた。

 夜も更けていき、サーカスの開演も終わりに近づいてきた。

 

 団長は楽団に指示をしていったん音楽を停止させた。

「次は幻灯機によるショーです」

 舞台の中央には白幕が掲げられた。そして白幕の前に見慣れない四角い機械が用意された。一見カメラにも見える。

「幻灯機?」

 子供たちは首を傾げた。清隆は見たことがあったし、祐介も名前くらいは知っているだろう。ガラスなどの透明な板に描いた絵を、灯りで大きく映す装置である。

 幻灯機を操作しているのは、最初に綱渡りをやって見せていた少女であった。今は道化師の化粧は落としている。

「こちらは、ヨーロッパの優雅な貴族たちの一日を描いたものです」

 外国の生活が描かれた映像が、絵巻物のように左から右へ流れていく。その描かれ方は、描いた人の想像も多く混じっていたが、和洋折衷の不思議な世界を作りだしていた。

「一日の終わりに、優雅な舞踏会が開かれます」

 映像が夜の舞踏会になると、楽団がそれにあわせてゆったりとしたワルツを奏で始める。

 子供たちはまるで本当の舞踏会に来ているように感じられただろう。

 

 ところが不思議なことに、音楽に合わせて映像がゆっくりと動いて見えることに清隆は気がついた。

 そんなことはあり得ない。音楽のせいで、昔の大学時代のダンスパーティを思い出してしまったに違いない。

 清隆はそう自分に言い聞かせていたが、どうも子供たちにも動いて見えるらしい。子供たちの中にざわめきが広がっている。

「すごい……」

 祐介もため息をつきながら、映像を食い入るように眺めていた。

 今はもう、舞踏会の絵は完全に音楽に合わせて踊っていた。一組のカップルがゆらゆらと舞いながら、画面を飛び出してきた。そして次々に絵の登場人物が画面から飛び出してくる。

「いったいどうやって動かしているのだろう」

 清隆はこんな幻灯機を見たことはなかったので、素直に疑問に思った。しかし提灯の明かりの中で貴族たちが踊る光景はどこか夢見心地で、考えがまとまらない。

 くるくる、くるくる、と貴族たちは観客を囲むように話を描きながら待っていた。子供たちはもちろん大喜びで拍手をしながら喜んでいる。

 

 そうしているうちに音楽が小さくなり、貴族たちが次々に画面の中へと戻っていく。最後に音楽が止まると、完全に動きがなくなり、そして映像は消えた。

「それでは、今夜のサーカスはこれにて終了です。みなさま、ごらん頂き誠にありがとうございました」

 団長が最後に挨拶すると、再び盛大な拍手が起こった。

 

「すごかったね!」

「うん、とくに最後のあれはびっくりしたよ」

「そうそう」

 子供たちが興奮気味に話しながら、村へと戻っていく。

「祐介君、そろそろ帰ろうか」

 呆然と立ち尽くす祐介に向かって、清隆が声をかけた。

「あ、すいません、少し待っていただけませんか」

「うん? わかった」

 祐介は舞台を片づけている団員たちの元へと向かっていった。

 

「あ、あの、すいません」

「あら、なにかしら?」

 幻灯機を操っていた少女が振り返った。

「さっきの幻灯機を、見せてほしいんです。仕組みが知りたくて……」

 祐介が遠慮がちにお願いした。

「そうね、ちょっと待っててください」

 少女は団長に何か相談していたが、しばらくすると先ほどの幻灯機を持って祐介のところに戻ってきた。

「はい、これ。でもごめんなさい。中を見せることはできませんの」

「そうですか。いえ、ありがとうございます」

 祐介は中がのぞけなくて少し残念そうではあったが、興味深そうに幻灯機を眺めていた。茶色がかった赤の古そうな幻灯機であった。カメラにも見える形をしていて、真ん中にレンズがあり、絵を差し込めるようになっていた。

「ここに絵を差し込んで、それから灯りをつけるんです」

「灯りはなんですか? 蝋燭? 豆電球?」

「それも秘密」

 少女は丁寧に祐介に使い方を教えてくれた。しかし幻灯機の仕組みに関係する部分はサーカス団の秘密らしく、最後まで明かされなかった。

「いろいろ聞いてすみません、とても興味深かったので」

「いえ、とても興味を持ってくれてうれしいですわ。そういえば名前を聞いてなかったですわね。あたしは山野八雲」

 サーカス団の団長も山野と名乗っていたので、親子か親戚なのだろう。

「高藤祐介です」

「高藤さんですね。こういう生活をしてるとあんまり友達ができないですから、今日はいろいろ話せて楽しかったですわ」

「いえ、こちらこそ……」

 祐介は少し恥ずかしそうに答えた。普段の内公的な少年に戻っていたと言うべきか。

「明日には村を出発しないといけないですけど、また来年になったら興行にくると思いますので、そのときまたお会いしましょう」

「……はい、よろこんで」

  

 

4 発熱

 清隆は帰り道、祐介の様子が妙であると気づいた。

「祐介君?」

 清隆が何度か話しかけないと気づかない。何か物思いに耽っているようにも見える。

 それほど、幻灯機が魅力的だったのだろう。清隆はそう思って、それ以上は気にとめなかった。

 

 次の日、清隆が目を覚ますと体がだるい。

(ああ……、これは空腹のせいか)

 祐介の家で食事を食べていたが、清隆には実際のところ何の栄養にもなっていない。ここ数日間で清隆のとったまともな食事は狢の血だけだ。それも少量でしかない。

(でも、おかしいな)

 急に激しい運動をしたり、念力のような力を何度も使わなければ、ここまで急に空腹にはならない。それこそ数日間に一度少量の血で何とかなるはずなのだ。

 無意識に力を使っていたのだろうか。

 清隆はしばらく考えていたが、埒があかないので、空腹を何とかしてしまうのが先だと思った。

 ……といっても、適当に屋敷の人間に噛みついて血を吸うわけにもいかない。そんなことしたらこの小さな村で大騒ぎになってしまう。それ以前に清隆にはいわゆる吸血鬼的な牙がないので無理なのだが。

 

(山などで一人の人間をねらうのが一番いいのだが)

 そう簡単に目的通りの人間がいるとも思えない。

 清隆は覚悟を決めて、屋敷の人のいなさそうな場所を探し始めた。隠れた上で念波で近くの人間を呼び寄せて血を吸うことにしたのだ。

「……ここがいいかな」

 屋敷から少し離れた場所に、立派な倉があった。ちょうどいいことに扉も開いている。

 清隆はわずかに開いていた扉を押し明け、中へ飛び込んだ。

「き、清隆さん!?」

 ひんやりとした暗い部屋の中に、祐介の驚いた声が響いた。何か工作している様子だった。清隆が見回すと、工具などが室内に散らばっていた。

「急いでいたみたいですが、何かあったんですか?」

「いや……」

 清隆は曖昧に返答しながら、祐介の目をじっとのぞき込んだ。

(眠くなれ……記憶があやふやになるくらい……)

「なにか顔についてますか?」

 清隆が念を送っても、祐介は何事もないらしい。たまにこうした催眠術が全く利かない人間がいるらしいが、祐介もそうした体質なのだろうか。

「いや、というより、何かにじゃまされているような…」

 念は届くが、届いた先で何かに混ざるような妙な手応えを清隆は感じていた。

「どうしたんですか清隆さん、ぶつぶつ言って……そう言えば顔色も悪いかも…」

「いや、大丈夫、心配しなくていい。ちょっと君を捜してたんだ。そういえばここでなにを作ってたんだい?」

「あ、これ、昨日の幻灯機を見よう見まねで……」

 祐介は恥ずかしそうに木で作った箱のようなものを抱えた。

「なるほど、祐介君は手先も器用なんだね」

「そうでもないです。第一、昨日のような動く絵がどうすればいいかさっぱりで……」

 祐介はうつむきながら、昨日の様子を思い返しているようだった。残念そうでもあり、どこかうっとりしているようでもあった。

「ああ、あれは私も驚いたよ。きっと世界中でももっとも珍しい幻灯機だと思う」

 清隆はそう言いながら、相変わらず祐介に対して妙な違和感を感じていた。

 

 作業をじゃましては悪いと思い、清隆は倉を出た。

「清隆さん、祐介を知りませんか?」

 屋敷に戻ると、祐介の父があわてて飛んできた。

「村長さん、役場の仕事は?」

「もちろん仕事中ですが、学校の先生が祐介が来ていないって連絡にきたので探しにきたのです」

「…………!?」

 清隆は驚いた。祐介は学校をさぼっていたのだ。

「祐介君なら倉で工作してましたよ」

「なんと! 家にいたのですか」

 父は驚いて、そのまま倉へ向かって飛んでいった。清隆も心配なのであとをついていくことにした。もう空腹どころの騒ぎではなくなっていた。

 父の驚き具合からして、こんな風に学校を勝手に休んでしまうのは前代未聞のことなのだろう。

 

「祐介!」

 父は怒りながら倉の中へ入っていった。

 清隆は入り口に立って様子をうかがっていた。何か言い争いをしているようだった。

 

「何で学校を休むんだ」

「好きなことくらいさせてください」

 

 父がなんと言おうと、祐介に反省する色はみえない。

(うーん、あの礼儀正しい祐介君があんな事言うものかな……)

 

「わしは祐介にいい学校に行って、偉い人になってほしいだけなんだ。好きなことはそのあといくらでもできるだろう」

「そうやって、お父様は自分の価値観にぼくを縛ってきただけではありませんか」

 

 幻灯機が発端で、親子の仲が一気に壊れてしまうのではないか。外野の清隆は心配そうに様子を見守るしかなかった。

 

「……清隆様、清隆様ったら」

 清隆が考え込んでいると、いつの間にかスーツの裾を何者かに引っ張られている。

「今それどころじゃないんだ……ってアブドルか」

 清隆が振り返ると、十歳程度のターバンをかぶった少年がちょこんと立っていた。服装はアラブの王族風だが、顔立ちは西洋人に近く、銀色の髪がターバンからのぞいていた。

「早いな。近くに来たら連絡がくると思っていたが……」

「昨日から声をかけていたんですが、反応がなかったんで急いできたんです」

「うん?……まあいい、ちょっとここはまずいから移動しよう」

 二人は屋敷の裏の竹林に移動する。

「これ、途中の山中で草むらに埋まってたから持ってきました」

 アブドルは竹林につくと抱えていた黒い袋を清隆に渡す。中には清隆の刀が入っていた。

「ああ、ありがとう。ケースが壊れてしまったから丁度いい」

 

「清隆」

 別の声が竹林の奥から聞こえてきた。聞きなれた声だ。

「やあ、アリウス」

「無事でほっとしたよ。あんまり元気そうではないがね」

 濃い臙脂色のスーツを着た金髪の男性がそこにいた。肌は今の清隆よりずっと白くて石像のようでもある。長めの髪は後ろでゆるく束ねられており、丸い金縁の眼鏡をかけていた。

 アリウスは清隆の無事を確認すると、柔らかく微笑んだ。すると口元に白いとがった犬歯が光った。

「そちらも、無事でよかった」

「まあね。でも西洋人二人だけの旅行だと、地元の人がなかなか打ち解けづらいみたいでね。あんまり話が聞けなかったよ」

 アリウスはハハと軽く笑うと、なのでのんびり旅館で休んでいた、と付け加えた。

「ごめん、予定がいろいろ狂ってしまって」

「そんな人間みたいなこと言うなよ。二、三日余計な時間を過ごしてしまったからってこっちは何でもないんだ。『我々の時間は長い』のだからね」

 アリウスは外見に似合わないような無邪気な仕草で、清隆の肩に腕をおいた。

「……まあそうだな」

 清隆は村の住人には見せなかったようないたずらっぽい表情でクスリと微笑んだ。

「えー、清隆様、もう出発しますか?」

 端の方で黙ってやりとりを見ていた召使いアブドルが声をかける。

「いや、一応お世話になった人たちに挨拶してくるよ」

 清隆はそう言うと、刀の入った袋をアブドルに預けて、祐介の家にいったん戻ることにした。

 

 倉の前に戻ると、父の気配は見あたらない。祐介はまだ倉の中にいるようだった。

「祐介君、入っていいか?」

「どうぞ」

 不機嫌そうな様子の祐介の返事があった。清隆は入るのに少しためらったが、どうしようもないので入ることにする。

 倉の奥の机で、祐介は伏せていた。清隆が入ってきていることに気づいていたが、こちらに顔を向ける様子はない。

「あの、今さっき使いの者がやってきて、すぐに出発することになった」

「!? じゃあもう帰ってしまうんですか」

 祐介があわてて顔を上げた。部屋は暗かったが、清隆の目には祐介の顔に涙の跡が残っているのが見えた。

「そうだ。すまない、こんな慌ただしいときに」

「いえ、うちのことは気にしないでください……」

 そう言っているが、伏し目がちの祐介の目には未練が見られる。

「とにかく短い間だけど、世話になった。ありがとう」

「ぼくは大したこと何にもしてないです。最初の日もいつものように花を供えに行っただけで」

 そういえば、そうだった。

「でもその普段の習慣のおかげで、私はずいぶん助けられたんだよ」

「習慣ですか……」

 今にして思えば、親に言いつけられていただけなんですがね。と祐介は自嘲気味に笑う。

「もう別れ際だから言うがね。今日になってからの君はなんかおかしいよ」

 清隆はつい思っていたことを口にしてしまった。

「そうですか?」

 やはり祐介には自覚がないらしい。

 清隆は微妙な気分であったが、いつまでも話し続けているわけにも行かなかった。

「お父上にも挨拶してくるよ」

「もう役場に戻りました」

 それは残念だが、仕方ない。と清隆は言い残して倉を出た。

 

「おかえりなさい」

 アブドルたちのいる竹林に戻ってきたときは、清隆の足取りもどこか元気がないものだった。

「結構長い間話し合っていたね。それにその顔色は体調だけでもなさそうだ」

 アリウスは清隆の雰囲気から、ここ数日間になにがあったのか気になっているようである。

「そんな大したことでないよ。でも長い話になるから、道々話そう」

 清隆たちはそう言いながら、歩き始めた。

  

 

5 猫の戯れ

「なるほど、祐介君という子が清隆をあの家に連れていってくれたんだね」

「そうだ。そこで……」

「後ろからガブリ、とか?」

「するわけないだろう」

 清隆は力なく笑った。アリウスの冗談は時に理解に苦しむ。そもそもアリウスの考え方や発想が清隆に比べて人間離れしすぎているからなのであるが……

「そういえば食事はどうしたんだ?」

 アリウスがふと思い出したようにたずねる。

「山にいた狢の血を少し頂いた」

「はあ、相変わらずというか……禁欲的だなあ」

 清隆の答えにアリウスは少しあきれていた。

 

「やはり父親が日本人だとサムライ的な感じに育つものかな」

「日本人全部がそうではないと思うが」

 アリウスはこれだけ日本に滞在していても日本=サムライのイメージなのだろうか。

「まあそれはいい、しかし君には魔眼があるだろう、適当な村人を催眠して少し血をもらっても構わなかったと思うがどうなんだ」

「ああ、そうしようかと思ったが、そういえば効かなかったんだ」

「なんだと?」

 アリウスが立ち止まった。

「村人全員にか?」

「そんな事しているひまないよ。今朝祐介君に試したときのことだ」

 清隆が言うと、アリウスは不思議そうな顔をした。

「そういえば、声を送ろうとして届かなかったのも今日の明け方ごろだ」

「何か関係あるのか?」

 清隆はそう言いながら、自分でも今朝のことを思い返していた。

「分からんな。清隆は少し腹が空いていたくらいで、極端に弱っていたわけでもないし……何か幻術をかけられていたとかだと別かもしれないが」

「幻術というと、狸や狐の」

「そう。あれは一種の催眠術みたいなものだから。まあ我々の魔眼もそうだけど。人間だったらずっとかかりっぱなしの幻術も、我々なら自らの再生力というのかな、それで放っておけば勝手に直る。それでエネルギーを使うわけだ」

 再生力とアリウスが形容した特性。これ以上に清隆たち「星族」を具体的に表すものはないだろう。いわゆる吸血鬼が不老不死と言われるように、アリウスたちも年齢に比べてだいぶ若い容姿をしていたし、大きなけがをしてもしばらくすれば直る。そうした再生する力のことだ。

「ああ、それで急に空腹になったのか……しかし幻術にかけられた覚えなどないぞ」

「なにか思い当たらないか?」

「幻術ではなくて、幻灯機ならみたが」

「なんだそれは」

 アリウスはきょとんとした。

「ガラスに描いた絵を投影する機械だよ。そんな珍しいものじゃない。たぶんアリウスもみたことがあるだろう」

「ああ、あれか……」

 アリウスは納得したようにうなずく。

「昨日行ったサーカスでその出し物が行われていたんだ」

「そうかそうか、村の子供たちは喜んだろうが清隆は退屈だったろう」

 アリウスはにやにや笑いながら清隆を見た。

「ところがそうでもないんだ」

 清隆は昨日見た幻灯機の出し物について、覚えていることをできるだけ丁寧に話した。

とくに貴族たちの絵が飛び出してきて、舞いながら観客たちの周りを待ったときのことについてである。

「……ばかな」

「しかし本当に見たんだ」

 清隆が言うと、アリウスは困ったような顔をした。

「幻灯機の構造なら分かる。要するに影絵だろ! そして色ガラスなら光を通すからカラーになる」

「まあそうだが」

 清隆がそう言うと、アリウスは片手をあげて指で狐の形を作る。そして自分の影を見ながら狐を動かした。

「陰を動かすには元を動かさなきゃならない。しかし描いた絵は動かない」

「たしかに」

「もちろん動く絵のおもちゃ、というのはある。表と裏に違う絵を描いてくるくる回す。それだけで目の錯覚で動いているように見える」

 だが、清隆が見た幻灯機というのはごくふつうの機械で、そんな絵を動かす機構はなかっただろう。とアリウスは言った。清隆は頷くしかなかった。

「そしてもう絵が飛び出すなんてなったらここまでの内容でも説明が付かない。これが幻術でなくて何だというのだ」

「じゃあ、あのサーカス団はいったい……」

 清隆は不安そうにアリウスのことを見る。

「さあな、つまり魔法を使う人間か人間以外だろう」

 

 そんな話をしているうちに、清隆は道の脇に見覚えのあるものを見つけた。

「あれは……昨日のサーカスの」

 大道具の積まれた荷馬車である。昨日サーカス団が舞台を片づけているときに見たものとそっくりだ。

「この寺に泊まってるのかね」

 アリウスが荷馬車の止められていた先の建物を見る。そこには蔦に覆われた古寺があった。

「だいぶ手入れが悪いお寺ですね」

 アブドルが古びた建物を見ていった。

「たぶん普段は誰も住んでいないのだろう」

 清隆が言った。時間は夕方近くになっており、寺の本堂の中にはほのかな光がともっていた。

 

「無視するか? 人なら騒ぎを起こしたくないし、人外なら衝突を避けたほうがいいだろ」

 アリウスの言うとおりである。ここは避けて通っても構わない。

「……まあそうなんだが」

 清隆は実際に昨日の幻灯機を見ていたのである。だから少しだけ、正体を知りたいという心が働いた。

 そして、おそるおそる本堂の扉の格子から、中をのぞき込んだ。

 

 本堂の中は薄暗く、ろうそくの明かりが数本だけ照らしていた。

 そして昨日の山野サーカス団の団員たちが輪になって静かに食事をとっている。清隆の位置からだとなにを食べているのかまでは分からなかった。

「…………っ!?」

 清隆は最初なにも思わなかったが、一点だけ明らかにおかしい。

 ろうそくに照らされた影の形が異様だった。

 頭からぴんとのびた大きな耳がある。

 

「おい、来客だ」

 

 清隆が下がろうとしていた矢先、団長の声が本堂に響いた。

 音なく団員たちが一斉に本堂の外を向く。

 清隆は覚悟を決めて、本堂から顔を離さずに大きく後ろへ下がった。

「どうした!?」

 後ろで様子を見ていたアリウスが驚いた。

「刀を」

 清隆が手を伸ばすと、アブドルが抱えていた刀をさっと手渡した。

 その間に、本堂の扉がバン! と大きく開かれ、中から一斉に団員たちが飛び出してきた。

 姿は影でよく見えないが、ほとんど四つ足で走るように動き、長い爪で清隆に切りつけてくる。

 清隆はアリウスたちをかばうように立ちふさがり、刀で攻撃を受け止めた。

「おや、誰かと思えば、昨日のお客さんではないですか。おかしいですね、まだ幻灯機に惑わされていると思いましたが……」

 本堂から最後に出てきた団長が清隆を見て言った。

「やはり昨日のあれは術か」

「仰るとおり。しかしこれはサーカス団の秘密です。秘密を知ったものは生かしておけません」

 団長が合図すると、清隆とアリウスたちの元にさらに数人の団員たちが飛びかかる。

 

「…………っ!!」

 

 黒い影が二人を埋め尽くし、もうアブドルから姿が見えなくなってしまった。小山のように群がった団員たちがうごめいている場面しかみえない。

「ひぃっ!」

 アブドルは黒い翼を出して空中へと逃げた。

 

「うん、あの小僧は烏か、蝙蝠ですかな。だとすると飼い主は人間の術師というところか……いずれせよ、もう命はないでしょうがね」

 うごめく団員たちを見ながら、団長は満足そうにつぶやいた。もう先ほどいた二人は団員たちに食らいつくされてしまっただろう。

 

 ……しかし、様子がおかしい。いつまでたっても団員たちがその場を離れないのだ。

「うん、どうした?」

 団長が近づいて様子をみると、思わぬ事態が起こっていた。

 外側にいた団員は刀で貫かれ、内にいた団員は首や胸元から血を流して死んでいる。死体の山と化していたのだ。

 悲鳴などが聞こえなかったのは一瞬のうちに終わってしまったからに違いない。

 

 未だ流れ出ている血は山の内側に向かって流れ込んでおり、ぴちゃぴちゃと何者かが飲んでいる音がする。

 飲んでいるのは誰か、そこに思考が至ったとき、団長はあわてて山から身を引いた。

 

「おとっつあん、どうしたの……うっ!」

 娘の八雲は団長がなかなか戻ってこないのを気にして外にでてきたが、惨状を目の当たりにして息をのんだ。

 

 やがて水音も完全になくなり、乾いた死体がはらはらと地面に落ちていく。そしてその中央には、清隆、アリウスの二人と思わしき影がたっていた。

 服こそ血まみれだったが、肌や髪の毛にはほとんど血がついていないのが異様である。これは体内に吸収されてしまったからであるが……。

 

「あ、あんたたち……!!」

 八雲は二人の視線を向けられると、それ以上声を出せなかった。といっても二人が鬼のような形相をしていたわけではない。特に清隆の顔は平然としており、普段の人間たちに接する時と変わりない。アリウスは若干怒っている表情であるが、そこまで深刻でない。ちょっと邪魔されて苛ついた時、の表情とでも言うのだろうか。

 

 そう、二人にとってはこの程度の襲撃は小蠅を追い払う程度の出来事にすぎないのだ。

 

 八雲が声を出せなくなってしまったのは、それくらい二人と自分の間に、力量の差があることを思い知らされたからだ。

「お、お許しを……」

 先に折れたのは娘だった。立っていることもできなくなり、その場に倒れ込むようにひざをつくと、涙を浮かべて許しを請うた。

 団長は娘がすっかり戦意をなくしてしまったのを見て、降参するしかなくなった。

「わ、悪かった、この通り、娘だけはお助けを……」

 

「どうする清隆、なんか俺たちが悪人みたいになってるんだけど」

 アリウスが気の抜けたような表情で清隆を見た。

「まあ向こうから攻撃されたわけだけど、やりすぎてしまったのも確かだしな……」

 清隆は刀を鞘におさめると、そのまま、団長と娘たちの方に近づいてきた。

「う……」

 二人はひざをついたまま、清隆のことを不安そうに見上げた。

「血の味で何となく分かったけど君たちは猫か?」

「は、はいそうです先生」

 団長が地面に手を着けて答えると、顔に髭が何本か現れた。正体が分かってしまうと幻術は解けやすい。

「かしこまらなくていい。村中の子供を幻術にかけるとは、何か特別な仕掛けでもあるのかな」

 猫のあやかしは狐や狸と違い、どこにでもいるがそれほど強力な力を持つものは少ないという認識だった。

「あ、あの、幻灯機もあやかしなんです。つくもがみです」

「なるほど、ちょっと持ってきてくれないか」

「はあ……わかりました」

 団長はあわてて堂内に戻ると、サーカスの時と同じ幻灯機を運んできた。

 

 つくもがみとは、古くなった物体が意識を持つというあやかしの一種である。種類は家財道具であったり、山の中の大きな石や木であったり、さまざまである。

 地面におかれた幻灯機は、一見ごくふつうの古い機械でしかなかった。

「幻灯機、きこえるか」

「先生、こいつは話せないんです」

 清隆が話しかけても、幻灯機の返答はない。

「じゃあどうやって今までこのあやかしの力を借りてきたんだ?」

「向こうから話はしませんが、こっちの話は聞けるみたいです」

「そうか……じゃあ仕方ないが、言うこと聞くのを待っている暇もないしな」

 清隆は刀を抜くと、ためらいなく幻灯機をたたき斬った。

 

 ギャーッ!!

 

 あたり一面に人のものとは思えない叫び声が響いた。といっても森の中なので清隆たち以外に聞いたものはいないだろうが。

 まっぷたつに割れた幻灯機は中から血のようなドロリとした液体を出すと、煙をもうもうと噴きだす。

 風が吹いて、煙が完全になくなると、さっきまで幻灯機のあったところに古い割れた茶碗があるだけだった。

「肉ができはじめてた……もう数年位すれば人型になってたかもしれないな」

 清隆はつくもがみを斬った感触を感じながらつぶやいた。人や獣を斬ったときと何ら変わらなかった。

「じゃあ帰るか、アリウス」

「ああ」

「あ、あの、私らは……」

 団長が帰ろうとしている清隆たちをあわてて呼び止める。

「うん、勝手にすればいいさ。つくもがみがいなければ、もうあのような幻術は使えないだろう?」

 そうして清隆たちは団長と娘を古寺に残したまま、夜の森の中へと消えた。

  

 

6 後日譚

 一週間後。

 仙台での用事を終えた清隆たちは、再び千草県の山根村に戻ってきていた。

 幻灯機を破壊したため、祐介たちも幻術から解放されているという事は分かっていたが、何となく様子を見ておきたかったのである。

 

「ここで祐介君にあったんだ」

 清隆は地蔵の並ぶ通りにさしかかったとき、アリウスとアブドルにそう説明した。

 

「……清隆さん?」

 

 そのとき後ろから聞こえたのは、聞き覚えのある声だ。

 振り返ると、祐介が前と同じように、花を持ってきたところだった。

「やあ、久しぶりだね。ああ、こちらは一緒に旅行しているアリウスと使用人のアブドル」

「はじめまして」

 アリウスがにっこり笑って挨拶したが、異国人になれていない祐介はちょっと緊張しているようだった。

「ど、どうも……そういえば、どうしてまたここに?」

「いや、旅行中に偶然近くを通ったからね。どうしてるかなって思って寄ったんだ。出るときお父上と喧嘩してたしね……」

 清隆がそう言うと、祐介はああ……と恥ずかしそうな顔をする。

「あのときはすいません、恥ずかしいところを見せてしまって」

「いや、気にしてないよ。仲直りできたんだろう?」

 清隆の質問に、祐介ははい、と明るく答えた。

「ちゃんと学校にも行ってます。東京の学校に行って、あとのき見たような幻灯機を作れるよう、勉強したいんです」

「そうか。それはよかった」

 清隆たちはそのあと、たわいもない雑談をした後、祐介に別れを告げて村を離れた。

 祐介は清隆たちが見えなくなるまで、長い間手を振って客人たちを見送っているのであった。

 

「祐介君、元気そうでよかったね」

 アリウスがつぶやいた。

「ああ……」

 清隆はそれ以上なにも言わなかった。

 おそらくもう彼に会うこともないだろう。今回偶然知り合った二人であるが、元々住む世界が違いすぎる。

 長い間生きている二人は、こうした出会いと別れはごくふつうのことだった。それでもやはり、人との別れは寂しい……

 

 三人は黙ったまま、次の目的に向かって歩き続けていた。

 

 それから数年後、活動写真が普及し、幻灯機はほとんど見られなくなった。

 成長した祐介は活動写真の作品を東京で作るようになり、当時有名な映画監督となったらしい。清隆たちも、日本にきたときに何度か映画館で彼の作品を見ることがあった。しかしそれが当時の祐介であることは結構最近まで気づかなかったという。

 

 なんて事はない、しかし不思議な出会いの物語。

 

(終)


 
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