No.161392

恋姫無双SS 『単福の乱』 第一回(改訂版)

竹屋さん

◆ SSの概要 ◆
本作は「恋姫無双」及び「真恋姫無双」のSSです。ストーリー及び舞台設定は無印版「恋姫無双」の序盤を想定し、真恋姫無双でも名前だけ登場したとある三国志演義の登場人物を色々勝手に想像し、その人物が朱里に先だって北郷一刀と出会っていたら……と言うテーマでぼちぼち綴っていたSSです。
何をテーマとするSSかと聞かれると答えにくいSSです。厳密には戦争ものでなく内政ものでもありません。物語の主眼が、戦争から戦争までのインターバルを描くものですので、サクサク天下統一に進むというものではありません。人物の葛藤や内政の描写が多くなりますが、それでも読んでやろうという方はおたのしみいただければ幸いです。
なお、このSSは、元々二話まで掲載していたのですが、この度改訂いたしました。第一部を三話同時公開した後、順次一部終了まですすめ、その後少し時間を空けて第二部前半 番外編的挿話 第二部後半を掲載、完結する予定です。
 旧作の一話と二話の掲載から時間が過ぎてしまいました。 大筋の内容は変わっておりませんが、SSの中で重要な役割を持つオリキャラの名前を変更していますので、読まれたときに違和感がある可能性があります。できれば改訂版第一話からお読みください。もしも続きを待っていてくださった方がおられた場合、旧作との違いが気になる方がおられるかもしれませんので、万が一の確認のために上書き投稿をやめて旧作を残し、改訂版を新たに投稿しました。初めて読まれる方はどうぞ改訂版の第一話からお読みください。

2010-07-28 20:25:12 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:5962   閲覧ユーザー数:5338

恋姫無双SS『単福の乱』 プロローグ 『敗北』

 

 叩きつけるような雨が降っていた。跳ね上がった飛沫が霧のように立ちこめる。

「くそっ この雨――!」

 青年は天をにらんで悪態をついた。

 突然の豪雨だった。さっきまで星が見えていたはずなのに、今は2メートル先すら見えない。

「まずいな。………ええい。ちくしょう」

 荷物の中から油引きの上衣を引きずりだしつつ、伝令の一人を輜重隊へ走らせる。

「雨具をあるだけ全部配れ! それから多少陣形が崩れても雨宿りをするよう隊長たちに伝えてくれ! 『判断は任せる』って」

 啄県守備隊といえば、聞こえは勇ましいが所詮、義勇軍未満の自警団である。軍隊としての完成度はまだまだ低い。そうでなくても消耗戦じみたここ数日の戦いで、みんな疲れ切っている。こんな時に雨ざらしになっていたら大変だ。戦意喪失ならまだいい方で、最悪、病人続出なんてことも考えられる……と、そんなロクでもない想像ばかりを脳裏に浮かべていたその時。

「お兄ちゃんっ!」とせっぱ詰まった呼びかけがあった。

 声に振り返ると、巨大な蛇矛を担いだ小さな戦装束があった。後衛部隊の指揮をしていたはずの鈴々。

「何かおかしいっ! 後ろの森が燃えてるっ!」

「なんだと!」

 叫び返しながら彼は薄ら寒いものを感じていた。

 たしかに、鈴々が指し示す方向には朱色に染まっている。

 あまりに悪いタイミングだ――まさか。

「………冗談だろ」

 まさか――敵の火計。

 脳裏に浮かんだ想像を否定する暇もなかった。朱に染まった森から兵士が逃げ散ってくる。悲鳴のような喧噪と怒号が辺りを支配する。もはや秩序も何もない。兵たちは彼や鈴々がそこに居ることにも気づかないようすで、我先にと走っていく。

 そのどの顔に決死の焦燥があった。刃降る暗闇の中を定かならぬ命めがけて奔る表情《かお》。恐怖に急き立てられ立ちふさがる者は味方であっても襲いかかりそうなそれは、自壊した軍隊のなれの果てだった。

「ご主人様ーっ」

 馬蹄の轟きとともに、ずぶ濡れの騎馬が急停止し。聞き慣れた少女の声が降ってきた。

「夜襲です! 後方へお下がりください! このままでは」

 さすがに焦りを含むその声を途中で遮って、青年――啄県県令・北郷一刀は、叫び返した。

「愛紗、退却だ! 兵を指揮して県城目指して落ち延びろ!」

「退却」の言葉に黒髪の少女――愛紗の顔が歪む。しかし無理に踏みとどまり守備隊の兵士を失うわけにはいかない。戦については素人以下の一刀にもわかる。この状態は暴動と大差ない。深夜の壊乱から立ち直れるようなスキルは、にわか軍隊の啄県守備隊《おれたち》にはないのだ、と。

「無念です……」と心底悔しそうに愛紗が言った。だが守備隊の未熟と限界は訓練を担当した彼女が誰より知っている。

「無念結構。残念上等。生きてさえいれば、やり直せる」

 そんな言葉で愛紗の「無念」がいささかでも癒されたとは思わない。だが、他にできることもなかった。

「むううううっ。悔しいのだ! 鈴々、まだ戦えるのだ!」

 押し寄せる敵兵を睨みつけながら、鈴々が叫ぶ――確かに愛紗や鈴々にはまだ余力がある。でも、兵士の心が折れている。関羽に張飛――一騎当千の武将を擁する啄県守備隊は指揮官クラスの人材なら三国志屈指だ。しかし戦争は将軍だけじゃ戦えない。逆に言えば、啄県守備隊の最大の弱点は未成熟な軍隊未満の民兵組織だったこと。炎。夜襲。それにこの突然の『雨』。人の本能的な恐怖を呼び起こす要因をここまで揃えられたら、経験の浅い素人兵が壊乱状態に陥っても無理はない。

 敵の指揮官は二人の将軍を徹底的に無視した。一騎打ちに応じず、攻めかかれば退き、歩兵主体の鍔迫り合いを長引かせて、兵の損耗を強いた。骨を断たせて魂を抉るかのように徹底して弱い「心」を攻めてきた。

 そうと知ってからも現状を打開する術はなかった。敵の陣形は「八門金鎖」。旗と柵を操るこの複雑な陣形を敵は自在に操って、こちらの攻撃を防ぎきった。これに対して啄県守備隊は定石どおりの「車掛かり」で攻めかかった。が、七日間にわたって猛攻を繰り返しながらついに突き崩せなかった。

 そして疲労困憊《ひろうこんぱい》のこの時期に、狙いすましたような夜襲。これは並の相手じゃない。弄ばれたのだ。最早退却なんて烏滸《おこ》がましい。ひたすら逃げの一手だ。少しでも早く、一人でも多く、味方を啄県に届ける。それが街の人たちに戦う事を決断させた自分たちの責任――そう思ったからこそ、北郷一刀は『覚悟』を決めた。

「俺と鈴々が残る! 愛紗は兵を先導してくれ!」

「そんなこと出来ません!ご主人様を置いて逃げるなんて!」

 彼女にとっては絶対許せないことだったのだろう。返事は悲痛ですらあった。しかし一刀は、生まれて初めて女の子を怒鳴りつけた。

「俺が逃げたら、まだ戦意が残っている奴も挫けるだろうがっ!」

 彼は彼なりに、自分自身の立ち位置を理解している。

 北郷一刀は元居た世界で「剣道」をやっていた。この乱世にあって、競技用に特化した現代剣道の技術はほとんど役に立たなかったが、それでもわかっていることがある。

 剣道の試合だろうが、現実の戦争だろうが、大将がどっしりと構えてこそ勝負になる。大将個人が一番強いか弱いかは関係なく、それ以前に大将は絶対動揺してはいけない。でないと先に戦うヤツの腰が据わらない。逃げる事にも護る事にも戦意は必要だ。心が折れたら逃げることすら出来なくなる。だから自分が残る。たとえ名前だけであろうとも、自分がこの軍の「大将」なんだから。

 否。名前だけだからこそ、そして今こそ、自分が踏みとどまって戦わねばならない。

 それに相手は全てを理詰めで謀るような敵だ。

 伏兵があって当然。戦うか突き抜けるか、攻めるか留まるか。その判断は鈴々にはまだ無理……いや啄県守備隊の指揮官では愛紗にしか出来ない!

「一人でも多く、啄県に連れて帰るためだ! わかるだろ!」

 一刀にわかるくらいである。そんな理屈、乱世を旅してきた愛紗がわからないはずはない。

 そう思いながら、一刀は頭蓋が白熱するような憤りを感じていた。誰でもない。それは自分自身に対する怒りだった。

 自分が一人で逃げ道を探せる指揮官なら愛紗が残るだろう。一人で引き際を計れる武将なら愛紗だって迷わない。だけど……自分が『天の御遣い』なんていう名前だけの役立たずだから、難しい仕事を全部愛紗に押しつけることになる。でも。

 ここにいる誰もが現状を理解している。今はこの方法しかないのだ、と。

「……頼む。愛紗」 

 一刀がそういうと、ややあって、

 ぎりっ!

 周囲の喧噪にも関わらず、耳に聞こえるほどの歯ぎしりが聞こえた。

 それで理解する。愛紗の心痛を。自分こそが残りたいだろうに、啄県守備隊の事情がそれを許さない。でも、そこで目の前の屈辱に固執せず大局から判断を下せる彼女だからこそ……

「……ご命令に、従います」

 絞り出すような苦吟が聞こえた。

「すまん。俺は愛紗に貧乏くじを引かせてばかりだ」

 そういって、一刀は馬上の愛紗に笑いかける。

――ねぎらいの言葉なんて、今かけるもんじゃない。

と一刀は思った。そして、それでも言わずにいられない自分の未熟が歯がゆかった。

 だから、手を伸ばした。馬上で深く頭を垂れて俯いている愛紗のほほに指先を当てる。

 気がついて、愛紗はわずかに顔を上げた。それで目が合う。

 ああ、と、一刀は心の中で嘆息した。

 なんてことだろう。

 彼女とあろうものが――こんなに気丈で勇敢な女の子が、ほんとうに泣きそうな顔をしている。

「ごめんな。愛紗、啄県で会おう!」

 それは果たして何に対しての詫びの言葉だったか。

 彼女は幽かに息を飲み、そして、まるで自分自身を納得させるかのように大きく頷いた。

「御意! 御武運をお祈りします! 鈴々っ!」

 再び頭を上げた時、愛紗はすでにいつも自分を取り戻していた。大きく手綱を繰って、馬頭を逆しまに向ける。もはや振り返らず、義姉妹の契りを結んだ戦友に向かって怒鳴るように言った。

「ご主人様を頼むぞっ! きっと守り通してくれ!」

「がってん! お兄ちゃんは、鈴々に任せるのだっ!」

 一刀もまた背中を向けたまま剣を引き抜いた。鈴々も蛇矛を掲げる――二人は遠ざかる蹄の音を一度も振り返らなかった。

 信じているから、振り返る必要などなかった。

 目前の燃え上がる炎の中から鬨の声が聞こえた。

「……」

 一刀は深呼吸を繰り返して、剣道の試合を思い出す。下っ腹に力を入れて両足を踏ん張った。

「――よし」

 一息吐いて、ようやく腰が据わった。

 一刀はこの世界に来て「関羽」と「張飛」に出会ったが、まだ「劉備」に出会っていない。どうやらその役割は自分が担うものらしい。

「だったら……」と彼は手にした剣を握りしめた。

しぶとく粘ってやろう――幾度も敗れて逃げて死にかけて、それでも諦めず最後には皇帝に上り詰めた劉備のように。

せめて、そのくらいは頑張ろう。見ず知らずの世界に放り出された自分を助けて、信じてくれた女の子を逃がす間くらいは運命に抗ってみせる。出来なくてどうする? 命を張れなくてどうするのだ! もともと愛紗と鈴々に救われた命じゃないか!

 絶体絶命? それがどうした! 

 今こそ意地を張る。ここで命を賭ける。せいぜい見栄を張ってやればいい。どうせ他にやることもない。

「うおおおおおおおおっ!」

 轟く馬蹄音をかき消そうと、北郷一刀は雄叫びを上げる。命を燃やせと己を鼓舞する。

 必ず帰る。啄県へ。『俺たちの町』へ。

「いくぞ! 鈴々!」

「応なのだ! お兄ちゃん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

恋姫無双SS『単福の乱―黄巾残党掃討戦挿話―』

 

第一回 雨上がりの出会い

 

 

 雨は一晩降って上がった。土砂降りの雨は敵の放った火を短時間で消し止めた。

 まるで山火事を防ぐ役割を定められていたかのように。

「……そんなわけ、ないか」

 くすぶる山肌を見上げて、一刀はぼそりと呟いた。

 黄巾残党の追撃は激しくあったものの組織だったものではなかった。雨が止む頃には一時の狂奔から醒めたように来た道を引き返し、大規模な伏兵もなかったようで今は戦の気配も遠い。

「…………」

 雨が止み、周囲から敵兵の気配が消えたのを待って、一刀は木の「うろ」から這い出た。

 空を見上げると、東の空が幽かに明るい――一刀は辺りの気配を探りながら、山道を上に向かって歩き始めた。特に宛てがあったわけではない。「山で迷ったら上に登れ」という格言に従っただけだ。

 鈴々は一刀の背中で寝息を立てている。周囲を庇いながら戦って戦って、追っ手を振り切った途端に崩れるように眠ってしまった。

「…………」

 自分の無力が情けなかった。愛紗に責任を押しつけ、鈴々に頼り切りで、こうして背負って逃げることしか出来なかった。

 一刀は、目立つもの、たとえばポリエステル製の白い制服や鈴々の蛇矛は石窟に隠し、かわりに死体から外套をはぎ取った。靴だけはスニーカーだがこれは慣れない靴を履いたら途中で動けなくなりそうだったからだ。どちらにせよ。一晩雨に打たれた体は冷え切っていた。せめて鈴々だけでも服を乾かしてやりたくて木のうろで雨宿りをしたが、湿気った服を乾かすために火をおこすことも出来なかった。

「……」

 幸い、はぎ取った外套がきちんと防水機能を持っていた。一刀も鈴々もおかげで意外に濡れずにすんだ。

 驚いたことに黄巾の残党は編み笠や油引きの外套など雨避けの装具を身につけていた。あのいきなりの雨を予想していたとしか思えない。だいたい、そんなことが可能だろうか? 

「そんな、馬鹿な。諸葛孔明じゃあるまいし」

 一刀は誰に聞かせるともなく呟いた。

 三国志演義に登場する軍師「諸葛孔明」は天文の動きから霧の発生や東南の風を予測し、味方を勝利に導いた。一刀の行く道が三国志のストーリーをたどるなら、いつか孔明に出会うかもしれない。

 しかし、たしか……諸葛孔明が劉備に『三顧の礼』で迎えられるのは、黄巾の乱も、虎牢関の戦いも、官渡の戦いも終わった後、赤壁の戦いの前、劉備とその一党が荊州の太守・劉表のところへ身を寄せていた頃だったと思う……とにかく今は関係ない。関係のない情報であるはずなのに、しかし、一刀の脳裏に何かがひっかかった。

 このまま忘れてしまっていいのか? 何か大切な事を思い出しかけているのではないか?

 そんな気がしてならないのだ。

 八門金鎖の陣を使いこなして車掛かりの陣を食い止め、雨を予測して火攻めや夜襲を仕掛ける、なんて芸当は今までの黄巾党じゃ考えられなかったことだ。愛紗だって鈴々だって手を抜いた訳じゃない。それなのに、今回に限って全ての計算で上を行かれたのだ。

 なぜこんな事が急に起こったのだろうか? 

「これ……たしか」

 こんな展開を三国志の小説で見た覚えがある。どこかは確かに思い出せないけれど。

 くそ……思い出せない。

 頭の中に霞がかかってきたようだ……てか、なんでこんな時にこんな関係ないことばかり……

「あれ?」

 足元がぐらつく。そういえば、見張りと移動で、一睡もせず……に。

「じょ、冗談じゃない」

 自分だけなら兎も角、鈴々も一緒なんだ。ここで一刀が……どうにかなるわけには。

 必死に踏みとどまり、頭を振るが――糸が切れた操り人形みたいに体の自由が効かない。

「くそお……」

 愛紗に啄県で会おうと約束したのに……鈴々を、愛紗に会わせないまま、倒れるわけには。

「り……り、んりんをあ、いしゃに」

 せめて――せめて鈴々を、鈴々だけでも……なのに……目眩が酷い。鳥の声が遠い。

「……? 誰かいるのですか?」

 突然、声が聞こえた。

子供のものらしい軽い足音が飛び跳ねるような感じで二つ三つ、その後、少し慎重な足音とともに、その声がする。

「美芳《みんふぁん》! 淑玲《すうりん》! ――待ちなさい。そんなに急いでは転びますよ」

 声は誰かを呼んでいた。穏やかな口調。

 一刀の霞かかった意識にそれは心地よく響き渡る。

 透き通った、耳に心地よい声だった。歌とかそんなんじゃなくて、話す声でもなくて……ああ、そうだ。聖フランチェスカの剣道部にこんな感じの先輩がいたっけ。

 よく通るきれいな声でてきぱき指示をだしていた先輩。

 代々道場を営む家に生まれ、地元では敵もいなかった一刀はフランチェスカの剣道部を多少なめてもいた。彼のそんなプライドを初対面で粉々に打ち砕いたのが、その「先輩」だったのだ。当時の女子剣道部の主将。実戦も強かったけど形《かた》も上手でほれぼれするくらい綺麗で。凄く強いのに初心者や一年生に優しくて。そのくせ稽古は鬼のようで。頑張ると褒めてくれて。互角稽古で一本取れたら、たとえそれがまぐれでも、まるで自分の事のように喜んでくれた。

「………あ、あ」

 全然歯が立たなくて、せめて一本とりたくて、必死に食らいついても追いつけなくて――それほど、その女性《ひと》は、強くて、それでいて優しかった。

 入学したばかりの一刀はその先輩に憧れて……まともに稽古つけてもらったことなんて数えるほどしか無かったけれど。でも先輩の顔を見られるだけで、部活に行くのが楽しかった……

「どうしたの?貴方、しっかりなさい! 気をしっかり持って!」

 膝が落ちた。ゆっくり前に倒れ込む。「背中に倒れなくてよかった」と思いながら、一刀は顔面に来るであろう衝撃を覚悟し――

「子供?……それになんて熱……」

柔らかい感触に受け止められた。

「あ……れ?」 

 なんだか良いにおいがした……柔らかくて、あったかい。

「何処から歩いてきたのかしら……こんなに疲れ切って。可哀相に…」

 やさしく何か柔らかいものが額にふれる。その後、ゆっくりと頭を撫でてくれた。その感触の甘さに、最後の意識が挫ける――手のひらから水が零れるように、最後の気力が霧散した。

「大丈夫――もう大丈夫だから」

 くそ。だめだ。なさけない、な。――主将……すんません。俺、ちょっと限界みたい……で、す。

――あれ? いつの間に、俺は剣道部に来ていたのだろう?

 そんなどうでも良いことを最後に、北郷一刀の意識は電源が落ちたテレビみたいに、ブラックアウトした。

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「………ちゃん、」

 誰かの呼ぶ声で、ゆっくりと意識が浮上する。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」

 一刀は瞼を開いた。白い視界がゆっくり色彩を取り戻し、像を結び、梁が剥き出しになった粗末な天井が見える。

 ――ここはどこだ? 自分は……

「お兄ちゃんが起きた――先生!」

「――よかった。気がついたのね」

 ぼんやりした頭のまま、周囲を見回す。温かい部屋。火と――たくさんの人の気配。

「え……あ……りんりん」

 白く濁った意識の中から拾い出した言葉に「うんうん! よかった――よかったあ」と、元気いっぱいの返事が返ってくる。

「ああ、そうか――俺、倒れて………」

「気分はどうですか?」

 その言葉と一緒に、一刀の視界の中へ、覗き込むようにして知らない顔が入り込んでくる。

「……」

 きれいな女の人だった。いくつくらいだろうか。たぶん少し年上。大学生くらいかな、なんて意味のない仮定してみる。麻生地らしい無地の一重に黒い帯を締め、風通しの良さそうな黒い上着を羽織っている。飾り気はないけどこざっぱりして、清潔感があった。

 髪は短い。肩に届かないくらいの長さで潔く断たれた癖のある黒髪が、黒檀の細工物のように小作りな白い顔を縁取っている。

「痛むところはありませんか」

 尋ねられ、俺は呆然と彼女の顔を見上げた。瞳の色は黒。それが差し込む光の加減で碧に見えたりする。

「貴方は山道を歩いてきて、いきなり私の前で倒れたんですよ」

「あ……」

 思い出した――この声は、さっきの。それをきっかけに一刀の頭の中の霧が晴れていく。

「貴方は二日二晩、ずっと眠ったままでした。よほど疲れていたんでしょうね」

 一刀は鈴々を背負って山を歩く前も不眠不休だった。

 一気に疲れが出たのかもしれない。時々目を覚ましては薬湯を飲んだらしいが、全く記憶になかった。

 一刀は一言一言に息を吸いなおしながら、押し出すように尋ねた。

「あなたが助けて……くれたんですか」

 その言葉に、黒髪の女性はゆっくりと首を振った。

「私は、貴方をここに寝かして薬湯を飲ませただけです。他にはなにもしていません」

 何もというが、それが無かったら自分は生きていなかった。鈴々だって………そうか――それで自分と鈴々は助かったのか。

「俺は――北郷」

 そう口にした時、女性の黒い瞳が「すっ」と細められた。

 どうやら近くで戦闘があったことも、どことどこが戦ったかも、わかっているらしい。

「北郷一刀といいます。啄県守備隊の生き残りです――親切には感謝しますが、このままだと貴方に迷惑がかかります」

 黄巾か啄県か、一刀にはこの人がどちら側の人間かわからない。自分に関わることでどんなトラブルが及ぶかもしれない。

 親切にしてもらった人に、これ以上、迷惑は掛けられない。

「そうですか。貴方は啄県の方でしたか」

 一つ頷いて、その女性は一刀の目をのぞき込むように、顔を近づけた。

 それが、一刀に無理に声を出させまいとする心遣いとわかっていても、一刀は微かに鼓動が早まるのを感じた。

 何故か、妙に懐かしい気がするのだ。自分の記憶にある誰の容姿とも、似通っていないのに。

 そんな一刀の動揺には全くお構いなしに、彼女はゆっくりした口調で話し始める。

「北郷さん、と、おっしゃいましたね。私は名を小夜里《さより》といいます。洛陽から兵乱を避けてきた旅人で、どちらの陣営とも無関係です。また危難にある人を救うのは当然のことで、一度救ったからには誰であろうと迷惑とは思いません」

 義侠というのだろうか? 外見や口調に似合わず剛毅に言い切って、さらに

「それに、黄巾党と啄県の軍勢が戦った戦場はここから山二つ隔てた向こうで、もう黄巾党は退いています。啄県守備隊の撤退が思いのほか迅速だったので用心したのでしょう。

 ……貴方は、疲れた体で雨中の山道を歩き通して、お連れの女の子をちゃんと守り通したんですよ」

 よく、頑張りましたね。とまるで小学校の先生のような口調で最後に付け足して、彼女は一刀の頭を優しく撫でた。

「あ……」 

 そうか、それなら大丈夫だと、一刀は安心してため息をついた。

 その拍子に、何故か不覚にも涙が零れそうになった。不思議だ。こんなに自分が涙もろかったとは、思わなかった。それを堪えようとして、しくじった。

「おにいちゃん……どっか痛いの?」

 鈴々が顔をくしゃくしゃにして、言った。

 一刀は重い腕を何とか持ち上げて、鈴々の頭の上に置いた。撫でてやったつもりだったが泥のような睡魔が襲ってきてその記憶が定かでない。

 ただ、

「どうやら、お迎えがきたようですね」

夢うつつの中で、小夜里の声がして、すぐ、ドカドカと大地を蹴る蹄の音が体の下から響いてきた。

 何の根拠もないが、一刀はその言葉が本当で、蹄の音が迎えに来た愛紗のそれだと、疑いもせず……

「疲れたのなら、お休みなさい。貴方は成すべき事をきちんとやり終えたのだから、その資格があります」

小夜里の言葉に何故かひどく安心して、再び眠りに沈んでいった。

 今度の眠りは、温かい湯に浸かっているような穏やかで心地よいものだった。

 

 こうして、一刀の長い夜が終わり、彼は再び、つかの間の眠りについた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 夕暮れの空にわらべうたが響く………

 

 「先生不知何許人《何処の誰かは知らないけれど》

  不詳姓字《別に名乗りもしないけど》

  宅辺有五柳樹《家には五本の柳があって》

  因以為号焉《先生は『五柳』とよばれてる》」

 

 遠くの啄県の城壁を眺めながら一刀は馬の背に身をゆだねていた。

 一刀の体調やけが具合を確認しながらの帰路となったため、部隊の歩みは緩やかだった。

 

「 閑静少言《無口で臆病引っ込み思案》

  不慕栄利《出世なんかしたくない》

  好読書《本を読むのはスキだけど》

  不求甚解《細かい話は苦手だね》

  毎有会意《だけど夢中になる時は》

  欣然忘食《ご飯の時間も忘れちゃう》」

 

「くすっ」

 隣から小さな笑い声が聞こえてきた。一刀が見るとくつわを並べ馬を進めていた愛紗が、拳を口元に当てて笑っている。

 童歌だが、リズムが良くて韻も踏んでいる。しかも四コマ漫画みたいなオチまである。

 わかりやすい内容だから、一刀にもよくわかった。

 どうやら、とある学者先生の日常を歌っているらしいが……

 

「 性嗜酒《何はなくともお酒がほしい》

  而家貧不能恒得《とはいえ、センセは貧乏で》

  親旧知其如此《古いなじみはみんなして》

  或置酒招之《センセを呼んで飲むのだよ》

  造飲必尽《遠慮なんか当然しない》

  期在必酔《必ず決まって酔っぱらう》

  既酔而退《そしたら未練たらしく長居せず》

  会不吝情去留《さっさと帰って寝てしまう》」

 

……なんて、文句まで聞こえてくる。牧歌的と言えば牧歌的だが、情操教育上、どうなんだろうか?という文言でもある。

 

「ぷっ……なんちゅう歌だ」

「そうですね。子供が歌うにしては、その、ちょ、ちょっと」

 

 回りを意識してか。愛紗は笑うまいと一生懸命こらえていた。

 わらべうたを歌っているのは、部隊最後尾で隊列を組む歩兵の、そのまた後ろからついてきている子供たちだ。

 一刀と鈴々を助けてくれた女性――小夜里は十二人の子供たちをつれていた。上は13才から下は5つ。そんな子供たちの真ん中で、小夜里は今もタクトがわりススキを振って、歌の調子をとっている。

 興が沸いたのか、歩兵の中には一緒に歌い出す者まで居る。さっきから同じ歌を繰り返しているので、覚えてしまった者がいるらしい。

 ちなみに、一番大きな声で歌っているのが、最年少の子供の手を引いた鈴々だったりする。

 

「みな、戦で家族を亡くした子だとか?」

「そう聞いたよ」

「そうですか……」

 

 微笑みを浮かべたまま、愛紗は目を閉じた。

 最初、愛紗は小夜里を露骨に警戒していた。しかし小夜里の連れている子供たちが戦災孤児であり、子供たちに学問を教えながら洛陽から戦を避けて旅をしてきたのだときいて、警戒を解いた。

「戦乱に虐げられる庶人を救いたい」と武器をとった彼女には、小夜里が子供たちにむける愛情が理解できたのだろう。

「ほんとうに……不思議な方ですね。小夜里さんは」

「うん」

 小夜里と子供たち(生徒たちというべきか)に同行を勧めたのも愛紗である。小さな子供もいるし、このまま旅をするのは危ないのではと思ったのだ。小夜里も少し考えて同意し、一緒に県城までくることになった。

 一刀もそれを聞いて安心した。自分たちのところにいれば安全だ、などと思い上がるつもりはないが、用心するに越したことはない。何しろ、現在啄県の近くには黄巾の残党と、正体不明の武装集団が徘徊している。

「………」

 黙り込んだ一刀をみて、愛紗も表情を改めた。

 一刀の考えを察したらしい。

「………正直、侮っていたかもしれません」

 小さく息を吐いて、愛紗が言った。

「『八門金鎖』は確かに攻撃力のある陣形ですが、同時に非常に高度な戦術指揮を必要とする難易度の高い戦法でもあります」  

旗や柵を多用して敵勢の動きを止め、進入してきた相手を分断挟撃することを第一義とするため、複雑な兵員移動や特殊な訓練を必要とする。指揮系統を完備して上下の意思疎通を図り、かつ十分な訓練をして練度を上げれば無上の効果を発揮するが、それ故、速度と勢いで圧倒する攻めには対応が難しくなる。故に、敵が八門金鎖の陣を敷いた場合、敵陣が完全稼働する暇を与えず、一気呵成に攻めきることこそが、勝利のための『定石』とされる。

「今まで陣形すら整えなかった黄巾党が、我らの『車掛かり』を、よもや『八門金鎖』であれほど巧みに防御するとは、正直、今でも信じられません」

「そうだな」

 これまでの黄巾との戦いもけっして楽ではなかったが、ここまで手玉にとられたことはない。

「加えて、地形や天候までも相手に有利になったとしか」

「だけど、そんなこと可能なのか」

 愛紗は首を振った。彼女にもわからないのだ。兵対兵の戦いなら、また一騎打ちならともかく、天候操作なんて妖術の範疇だ。

「あの後、斥候を放ち、情報を集めましたが、たいしたことはわかりませんでした。敵の指揮官についても同様です。あれほどの用兵をやってのけたのですから、名のある将かと思ったのですが、指揮官の名前は偽名らしく、思い当たる人物がいませんでした」

「偽名?」と一刀は愛紗に問い返した。納得がいかないようだ。

この誰もが名をあげようとやっきになっている乱世。それが悪名であろうと大げさに吹聴することすらあるのに、正体不明とは。戦功を上げながら偽名で己の素性を隠すというのは、もう珍しいというより、不気味ですらあった。

愛紗は「現在判明しているのは」と続けた。

「黒い巾《ぬの》を頭に巻いている事と、用兵に通じた軍師であるということ、そして、噂を聞きつけた黄巾の残党が続々とその配下に加わっているということです」

 ゆゆしき事態である。これまで一刀たちは黄巾党の残党の連携を断ち補給線をつぶすことに腐心してきた。大きな集団を維持するためには補給の規模も大きくならざるをえない。拠点や補給線をつぶせば、集団は小さく分かれるようになる。そんな風にそれぞれを小さな戦力に分断して、一つずつ各個撃破していく予定だった。そしてそれは半ば成功していた。今更、求心力のあるリーダーの元に再集結されたら元の黙阿弥……いや。

 最悪、今まで戦ってきた黄巾の残党よりも、大きな武装集団に育つ可能性がある。

「次の戦いが山場になります。我々に二度の敗北は許されません」

 強い口調で愛紗が言うと、一刀もまた頷いた。

 

「 環堵蕭然《狭いあばら家すきま風》

  不蔽風日《日よけに水よけ役立たず》

  短褐穿結《短い上着は穴だらけ》

  箪瓢屡空《米櫃はいつもからっけつ》

  晏如也《それでもセンセは笑ってる》

 

  常著文章自娯《勉強するのが大好きで》

  頗示己志《いつも未来を夢見てる》

  忘懐得失《自由気ままに毎日暮らし》

  以此自終《きっとそのまま死ぬんだよ》」

 

「……ふっ」

 一刀は頭を振って、緊張に固まった首をほぐし、わらべうたに耳を傾けた。この八句で、また最初に戻るのだ。その最初の句は。

「何処の誰かは知らないけれど……か」

 何となく、口にした言葉は、妙に口になじみがある。ふと視線を感じて横を見ると、愛紗がきょとんとした顔でみていた。

「ご主人様は、このわらべうたをごぞんじだったのですか?」

「えっと、あのその、似た歌い出しの歌を知ってるんだ」

 アレはとあるヒーロー物の歌い出しだけど、と胸の奥だけで苦笑して。

 一刀は改めて、愛紗に問いかけた。

「それで、その敵の指揮官の名前だけど?」

「はい………出身、経歴、年齢、性別、一切不明。その姿を見たものも非常に稀で、黒の巾で髪を縛っている人物……用兵に通じるばかりか、何かしら妖術まで使うなどと鬼神のごとき噂すらありますが、何の故あってか、姓もなく字も名乗らず――ただ」

 愛紗は再び厳しい顔で、その名を告げた。

「ただ、その通り名を『単福』《ぜんふく》と」

「ええっ!」

 その名に、一刀は息をのんだ。

 確かに聞き覚えのある名前だったから。

 

 

 

単福の乱―黄巾残党掃討戦挿話― 第一回 雨上がりの出会い 完

 

 

 

 

 ―― 第二回 敵の名は単福《ぜんふく》  に、つづく

 

 

 

 

 

 

 

 


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