No.153200

鈴音転生

投稿30作品目になりました。
早い話が、白夜の雛型となった作品です。
結構前に執筆して未完成のままで放置してたんですが、『良い機会だから』と文学の講義で最後まで完成させてみたものです。

『盲目の御遣い』の方はもう暫くお時間を頂きたい。

続きを表示

2010-06-25 20:10:06 投稿 / 全14ページ    総閲覧数:10293   閲覧ユーザー数:8598

気が付いたら、世界は真っ暗だった。

比喩でも何でもない。

上下左右前後、その全てが漆黒で塗り潰されていた。

『闇』であり『夜』であり『影』であり『黒』。

それが、私にとっての世界だった。

 

私は孤児だった。

私自身覚えていないので詳しくは解らないが、とある孤児院の玄関口に未だ乳飲み子だった私が、『優夜』という名前らしき二文字が書かれた紙きれと一緒に無造作に置かれていたらしい。

育てる余裕が無くなったのか、それとも単に要らなくなったのか、理由は定かではないが、これだけははっきりと言える。

私は、捨てられたのだ。

親の事など、何一つ知らない。

顔も、声も、名前も、生死すらも。

唯一親から貰ったものは『優夜』という名前だけ。

まぁ、これも本当に親から貰ったものかどうかも疑わしいが。

話を戻そう。その後、その孤児院の人が私を保護してくれたまでは良かった。

孤児院は元よりそういった施設だし、私だって保護されていなければ、こうして言葉を発する事すら叶わなかったのだから。

しかし、私と他の子供達には決定的に違う点が一つ、存在した。

二歳の時に『先天性白内障』の発症が発覚したのだ。

詳細を聞かれても専門的な知識は私には無いので答えかねるが、端的に言えば『白内障』とは眼球に異物が混入する事で白く濁り、光を通さなくなる病気である。

そして、『先天性』とは遺伝的に発症する病気の事。

つまり、私は生まれながらにして盲目になる運命にあったと言う事だ。

それでも真っ当な手術と術後治療を施せば失明を免れる事は出来た。

しかし、その為には結構な額の治療費を長期間に渡って支払い続けなければならない。

そして、孤児院にはそのような金額を払える余裕など無かった。

必然、物心ついた頃には、既に私の瞳は光を通さなくなっていた。

だから、私は光を知らない。

例えば、『赤』や『青』という色の存在は知っているが、それがどんな色なのかを私は知らない。

私が本当の意味で言っている色は『黒』、ただこれだけなのだ。

『辛くはないのか』と訊かれれば、首を縦に振る事は出来ない。当時、幾度となく私は思っていたからだ。

『生まれて来なければ良かった』と。

子供とは、実に正直な生き物である。好きな物には『好き』と言い、嫌いな物には『嫌い』と言う。

そして、私の白く濁り切った双眸は、孤児院の他の子供達にとって『畏怖の対象』でしかなかったのだ。

『こっちに来るな』『気持ち悪い』『呪われる』『化け物』

そんな言葉ばかりが、毎日雪崩のように耳朶に流れ込んで来た。

殴られたり蹴られたり、持ち物が無くなっていたり壊されているのも日常茶飯事だった。目が見えないから、誰が犯人なのかも解らない。

大人達も何とかしようと頑張ってはくれたが、結局は何の解決にもならなかった。

子供達の中には私を庇ってくれた子もいたが、その事実が解った途端、その子もまた標的に追加された。

そして、私に言うのだ。

『あいつが苛められるのはお前のせいだ』と。

以来、私は積極的に自分の殻に籠もるようになった。

『自分と関わる事で誰かが辛い目に合うのなら、誰とも関わらなければ良い』と。

何時しか私は言葉を発する事すら放棄し、一人部屋の隅で蹲っているようになった。

放っておけば食事も摂らず、排泄もまともに行わない。

『まるで人形のようだった』というのは、当時私の世話を担当してくれた人の言葉。

そんな月日が幾許か流れた、ある日の事。

私を『引き取りたい』と言う人が現れた。

北条幸子さん。古希を迎えたばかりの物腰の柔らかなお婆さん。

まるで本当の息子や孫のように、私に優しく接してくれた、初めての人。

しかし、それでも私は心の何処かでこの人を信用出来ずにいた。

『もう、あんな思いはしたくない』と一人用意された部屋に閉じこもり、病気でもないのに一日中布団から一歩たりとも動かない日々が続いていた。

そして、私が北条家に引き取られてから一週間程が経った頃だった、ある日の事だった。

部屋に閉じ篭っていた私の耳朶を叩く音の中に、いつもと違う音が混じっている事に気が付いたのは。

 

 

「・・・・何だろう、この音」

呟いて、僕は顔を上げた。

久し振りに動かした足はとても重く、まともに動けそうにないから四つん這いで身体を引き摺って、壁を支えに立ち上がった。

殆どこの部屋から出た事が無いから、この家の仕組みは全然解らない。

だから、取り敢えず音のする方へと、壁の感触を頼りにゆっくりと歩き出した。

そして、その距離が縮まるに連れて、僕はその音の正体に気が付いた。

『これ、バイオリンの音だ・・・・』

やがて、僕は一枚の扉の前に立っていた。

ドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を開いて、

ふわりと、風が吹いたのを感じた。

何かが、心に吹きこんできた。

あんなに重かった身体が、嘘みたいに軽くなった。

こんなに綺麗な音色は、初めてだった。

たくさんの丸くて柔らかい音が、辺りにふわふわと浮かんでいた。

『もう何も聞きたくない』って、ずっと思ってたのに、

『もっと聴きたい』って、

『ずっと聴いていたい』って、

初めて思った。

でも、音楽は終わっちゃって、

そしたら、皺くちゃの手が僕の頭を撫でているのに気が付いて、

「泣きたい時は、思い切り泣いて良いんだよ」って、言ってくれた。

それで初めて、僕は僕が泣いてるって事に気が付いて、

本当に久し振りに、僕は声を出して一杯泣いたんだ。

 

 

 弾いていたのは、幸子さんだった。

彼女は元バイオリン演奏者であり、懐かしさから偶に弾きたくなる事があったらしく、偶々その場に私が出くわしたという訳だ。

幸子さんは私が泣き止むまでずっと頭を優しく撫で続けてくれた。

そして、やがて私が泣き止むと、

『弾いてみるかい?』

そう言って私にバイオリンを貸してくれた。

当然弾いた経験等当時の私には無く、世辞にも演奏などと呼べるようなものでは無かった。

それでも幸子さんは『上手だよ』と言ってくれて、

それが堪らなく嬉しくて、再び涙が止まらなくなった

滅茶苦茶にバイオリンを弾き続けた私は、泣き疲れてそのまま眠ってしまった。

そしてその夜、私は初めて幸子さんと食卓を共にした。

幸子さんはとても嬉しそうで、

私は真っ赤に縮こまってしまって、

初めてまともに口にした幸子さんの料理はとても美味しくて、

その日までただの『優夜』だった私は、

あの日を境に『北条優夜』になったのである。

 

 

そのバイオリンは今、私の左手が握っている。

あの日の音色が忘れられなかった私は、幸子さんにバイオリンを教えて欲しいと頼み込んだ。

幸子さんは二つ返事で了承してくれ、それからはひたすら練習の日々だった。

バイオリンは元々非常に繊細な楽器である。

指で弦を抑える、弓で弦を震わせる、そのほんの僅かな力加減で、その音色はがらりと変わる。

その難易度は晴瞳だろうと盲目だろうと、さほど差は無いらしい。

要はそれだけ扱いの難しい楽器なのである。

抑える指を、弓の力加減を修得するだけでも悪戦苦闘した。

しかし、とても楽しかった。

暗闇に覆われていた私の世界に、いつしか小さな光が差し込んでいた。

何かに夢中になるなんて初めての経験で、毎日がとても充実していた。

暇さえあれば、幸子さんに教えてくれとせがんだ。

『音を楽しむ』と、『音が楽しい』と書いて『音楽』と読むように、私はそんな毎日が楽しくて、少しずつ弾けるようになっていく自分が嬉しくて、仕方がなかった。

そして、私が初めて一人で曲を弾き切れた日、幸子さんはこのバイオリンを私に譲ってくれたのである。

そしてそれは、どんなに財を積もうと引き換える事など出来はしない、私の大切な宝物になった。

やがて小学校に通うようになった私は、初めて人前での演奏を経験した。

相手は音楽の先生。私がバイオリンを弾けるという事を知ると『是非聞かせて欲しい』と。

そして、

「凄く良いよ、優夜君!」

演奏を終えた私に拍手と共に告げられたのは、そんな興奮気味の絶賛の言葉だった。

以来先生は私をいたく気に入ってくれ、私が知らなかった名曲の数々を、時には幸子さん以上の知識や技術を教えてくれて、その度に私を驚かせた。

聞けば先生も元バイオリン演奏者で、嘗て高名な音大の教授に師事していたらしい。

先生との付き合いは、小学校を卒業した後も続いた。

放課後になると小学校の音楽室に足を運び、先生と遅くまで演奏や語らいを交わす毎日。

そして家に帰ると、幸子さんは私の話を、相槌を打ちながら楽しそうに聴いてくれるのだ。

暖かく美味しい食事を、一緒に食べながら。

そして、猛勉強の甲斐あって無事高校に進学した春の事。

先生のとある一言によって、私に大きな転機が訪れた。

「優夜君、コンクールに出場してみる気は無いかい?」

 

 

――――――全日本音楽コンクール。弦楽器ソロ演奏部門。必要なピアノ伴奏は僕がやる。昔、僕が師事していた教授が今回の審査員の一人でね、以前君の事を話したら『是非演奏を聴いてみたい』と言ってくれたんだ。無理にとは言わないけど、考えておいてくれないかな?

 

先生の話を端的に纏めると、そういう事らしい。

正直、戸惑った。

自分に興味を持ってくれた事は素直に嬉しい事だった。

しかし、何故か自分の中には躊躇があった。

当時はそれが何故なのか解らずただ戸惑う事しか出来なかったが、今ならば何となく解る気がする。

音楽は、最早私の一部になっていた。

音楽の無い生活は、もう考えられなかった。

それを、否定されるかもしれない。

そんな恐怖を、私は無意識の内に感じていたのだろう。

しかし、その日の夕食の席での事。

「優ちゃんのステージ、見てみたいねぇ」

人間とは、実に単純な生き物だと思う。

そのたった一言で、自分を迷わせていた戸惑いや躊躇は一瞬にして一掃されてしまったのだから。

初めてだったのだ。

幸子さんがはっきりと『何かをしたい』という願望を、私に教えてくれたのは。

それが、私にはひどく嬉しかったのだ。

その夕食の後、私は即座に先生にコンクールへの参加意思を伝えた。

受話器の向こう側の声はとても弾んでいて、翌日から早速選曲に取り掛かろうと言う事になった。

私は受話器を置くと珍しく鼻歌などを口ずさみつつ、コツコツと白い杖で床を叩きながら晴れやかな気分で自室へと戻って行った。

 

 

そして、後に私は知る事になる。

引き取られてから十数年間、幸子さんが一度も明かしてくれなかったその心の内を初めて明かしてくれた、その理由を。

 

 

 

それからの月日は、正に光陰矢のごとし。

学校の課題や定期試験を何とかこなしながら、私はその大半を先生と共に音楽室の中で過ごした。

来る日も来る日も、時計の短針が一日に二回目の真下を通り過ぎるまで音符や休符達と真っ向から向き合い、両手には時折二スと松脂の匂いが染みついてしまうなんて事もあって、その事で学校の友人達にからかわれたりもした。

そんな日々を幾度となく繰り返し、やがて鳥達の囀りよりも蝉時雨が徐々に大きく聞こえ始めた頃。

その日は訪れた。

 

 

舞台袖に立つと、それは突然襲い掛かってきた。

四肢が思うように動かない。

肺腑が締め付けられて、自然と呼吸が浅くなる。

それでも何とか動かした手を左胸に当てると、まるで内側から誰かに殴られているかのようだった。

思い知った。

これが『緊張』なのか、と。

「大丈夫かい、優夜君」

傍らに立つ先生は、音大に進学していただけあって舞台経験も多いのだろう、実に冷静であった。何度も私を励ましてくれ、本番前のトイレには文句一つ言わず何度も付き合ってくれた。

「ほら、深く息を吸って」

「は、はい。すぅ~」

「はい、吐いて」

「ふぅ~」

「もう一回、吸って~」

「すぅ~」

「吐いて~」

「ふぅ~」

先生の言葉に合わせて何度も繰り返す内に多少は無駄な力は抜けたが、それでも胸の真ん中辺りに留まるもやもやとした何かは晴れてはくれなかった。

やがて、

『続いての演奏は、四条高等学校、北条優夜君。伴奏者――――』

やたらと大きく聞こえるアナウンス。

手渡されるバイオリンと弓が、いつものように手に馴染まない。

「さ、行くよ」

短い声と共に手を引かれ、私は半ば絡繰のように歩を進める。

スポットライトの光が嫌に熱く、

やがて立ち止ると、身体の強張りが再び私に襲いかかって来た。

正面からも、

背後からも、

右からも、

左からも、

上からも、

下からも、

針の莚のように刺さる視線。

そのホールの客席は円状に、しかも五階席まで設置されている為、三六〇度から舞台を見られるというのが大きな特徴なのである。

無限にも感じられる、見知らぬ気配。

聞こえるのは、観客達の息遣いのみ。

食道がきつく締まり、吐瀉物が込み上げそうになる。

『やっぱり、自分には無理だったんだ』

そう思った、その時だった。

「――――優夜君、左の前から二番目。解るかい?」

背後からの声に、気配を探った。

そして、

「――――あ」

直ぐに解った。

解らない筈が無かった。

嬉しい事があると、一緒に笑ってくれた。

悲しい事があると、優しく慰めてくれた。

間違いを犯すと、本気で怒ってくれた。

いつだって、自分の側にいてくれた。

身体が枷から解き放たれる。

胸の中に風が吹きこむ。

『あの日』と、同じだ。

左肩に感じる、いつもの重み。

そっと顎を乗せ、四本の弦に指を添えて、

そのままゆっくりと、弓を滑らせて、

頭の中が、真っ白になった。

 

 

あの時の事は、今もよく覚えていない。

気が付けば舞台袖に立っていて、先生の「今までで一番、最高の演奏だったよ!」という涙混じりの声が麻痺した耳朶をぼんやりと擽っていた。

結果で言えば、私は失格となった。

コンクールには演奏曲の長さに規定があり、私は数秒だが、その刻限をオーバーしてしまったのである。

しかし、

『審査員特別賞――――四条高等学校、北条優夜君』

耳を疑った。

そんな賞があった事にも驚きだが、その賞に自分を選んでくれたのが『例の教授』だと言うのだから尚の事驚かされた。

「君は、実に楽しそうに奏でるんだな」

聞けば、私は演奏中ずっと穏やかな笑顔を浮かべていたらしい。それがまるで安らかな寝顔のようにも見え、そこを教授は気に入ったと言う。

「本格的にプロを目指してみる気があるのなら、是非我が大学の門を叩いて欲しい」

表彰後、教授はそう言って呆然とする私の手に名刺を握らせると、会議があるからと直ぐに去って行った。そして、その帰り道。

「優ちゃん、良かったねぇ。頑張ったねぇ」

送ると言う先生の車の中、私の手を握った幸子さんは何度も何度もそう言ってくれた。

その声が何処か潤んでいるように聞こえたのは、

皺だらけの両手がいつもより弱々しいと感じたのは、

気のせいなのだろうと、その時は思っていた。

 

 

 

その二週間後の、授業中の事だった。

幸子さんが倒れ、病院に運ばれたという報せが入ったのは。

 

 

 

末期の膵臓癌。

医者の口から告げられたのは、そんな残酷な言葉だった。

膵臓癌は他の癌に比べて早期発見が非常に困難な上に進行が早く、極めて予後が悪い事から『癌の王様』と言われている。

それが、末期。

薬品による治療は延命にしかならなく、治療には手術しか方法が無いが、老体では身体が長時間の手術に耐えられないと言う。

世界が、闇より暗い何かに塗り潰されていった。

以降の医者の言葉に耳を傾ける余裕など無かった。

神様よりも、

世界よりも、

運命よりも、

何よりも、

気付いてあげられなかった自分が、

何もしてやれない無力な自分が、

情けなくて、腹が立って、仕方が無かった。

 

 

その日学校に休学届を出した私は、無理を言って病室に暫く泊まり込ませて貰える事になった。

意識を失ったままベッドの上で眠り続ける幸子さんには、正確には解らないが、たくさんのチューブや機械のコードが繋がれていた。

手を握った。

名前を呼んだ。

でも、返事は返って来ない。

諦めなかった。

諦めたくなかった。

願い続けた。

祈り続けた。

一縷の望みを。

芥子粒程の奇跡を。

それしか、自分には出来なかったから。

食欲は無く、食べても戻してしまう。

不眠の夜が続き、眠れても悪夢で直ぐに目が醒めた。

日に日に痩せ衰えていく自分に、『ああ、昔の自分もこうだったのかな』等と思ったりもした。

 

 

そして、一週間後。

最期の言葉すら交わす事無く、彼女は永遠の眠りに就いた。

 

 

 

抜け殻。

当時の私を知る者は、きっと口を揃えてこう言っただろう。

食事も摂らず、惰眠を貪り、排泄すらままならない。

あの頃と同じ『人形』に、私は戻っていた。ただ、そこに居るだけ。

『生きる』と言う事を放棄していたあの時の私は、きっと『死んでいた』のだろう。

何もかもが、どうでもよくなった。

何かをする気など、欠片も起きなかった。

『このまま死ぬのも悪くない』と、本気でそう思っていた。

あの時の私は、寧ろそうしたかったのかもしれない。

そんな、ある日の事だった。

「これ、幸子さんの遺品から見つかったって。優夜君、君宛てだよ」

突如訪れた先生に渡されたのは、たくさんのカセットテープ。

点字で刻まれたタイトルは、全て日付だった。

一番古い日付は、

「・・・・私が、引き取られた日?」

久し振りに、言葉を発した。

「良いかい、流すよ」

先生はそう言って一番古い日付のテープをセットすると、ゆっくりと再生ボタンを押した。

 

 

それは、簡単に言えば音声日記とでも言うのだろうか。

ラジカセのスピーカーから聞こえるのは、今はもう二度と耳にする事の叶わぬ声。

何の他愛も無い日常の出来事を、その声はとても楽しそうに紡いでいた。

そして―――――自分を引き取った理由も、そこにはしっかりと記録されていた。

自分を引き取った当時、息子さん一家が家族旅行の際に飛行機事故で急逝してしまった事。

夫はその数年前に既に他界しており、寂しさに耐え切れず訪れた孤児院で見つけた私が偶々亡くなった息子さんと同じ名前であり、放っておけなかったという事。

それは、完全に自分の都合。本当に私を思っての行動では無かったと言う事。

しかし、あのバイオリンを切欠に日々を一緒に過ごすようになってからは、毎日が本当に楽しかったと言う事。

自分の教えたバイオリンを本当に楽しそうに弾く姿を見て、心から嬉しかったと言う事。

いつしか、本当の家族になりたいと、思い始めていた事。

自然と溢れ出た涙は、ぽつぽつと服や床に斑点模様を描く。

そして、あのコンクールの日のテープ。

『優ちゃんの演奏、とても上手でした』

『どうか、生きて下さい』

『優ちゃんの好きなように、思うように』

『それだけが、私の願いです』

限界だった。

耐えられなかった。

堪えられなかった。

抑えきれなかった。

声も、

感情も、

涙も、

出せる物は全部吐き出した。

不恰好だろうと、

惨めだろうと、

止められなかった。

 

 

そしてあの日、私は『生きる』と決めた。

 

 

 

あれから、幾許かの月日が流れた。

既に成人式を終えた私は音大へと進学し、あの教授の下でプロの演奏者を目指して切磋琢磨の日々を送っている。

『あの人のような、誰かの心に響くような演奏者になりたい』

それが、私の選んだ道だった。

先生が私の身元引受人を名乗り出てくれ、また教授が推薦状や様々なバックアップを買って出てくれた御蔭で、私はこうして選んだ道を進んでいる。

そして、今。

―――――パチパチパチパチパチパチ

送られたたくさんの拍手の主は、私の前にずらりと座り込んでいる子供達。

教授が時折様々な学校や施設で慰労や慰問として小さな演奏会を開いている事を知った私は、そのメンバーに加えて貰えないかと交渉した。

返って来たのは『了承』という二文字の即答。

以来、私は色んな小中学校や老人ホーム等の施設で小さな演奏会を行ってきた。

そして今日、私は自分が拾われたあの孤児院を実に十何年振りに訪れ、こうして演奏会を行ったという訳だ。

全ての曲目が終わり子供達が疎らに去って行くと、当時私の世話を担当してくれた人が教授に話しかけて来た。

「いやぁ、今日は態々遠い所を本当に有難う御座いました。優夜君も御苦労様。まさか君がこんなに立派になるとはねぇ」

「有難う御座います。・・・・所で、遠坂さん」

「ん、どうしたんだい?」

「ずっと気になってたんですけど、あの子は?」

指し示すのは、部屋の隅。

とても小さな、しかし確かな気配。

演奏を始める前から、その微かな視線はずっと自分に向けられていた。

「ああ、祐治君か。最近ここに来た子でね、まだあまり皆と打ち解けられてないんだよ。無口だから皆もどうしたら良いのか、中々解らないみたいでね」

その言葉に、ピンと来た。

この子は『昔の自分と同じだ』と。

何かを恐れて自分から世界を閉ざしていた、あの頃の自分だと。

自然と、足が動いていた。

杖をコンコンと鳴らしながら、一歩ずつ一歩ずつ。

そして、ゆっくりとしゃがみこむ。

「私に、何か用かな?」

「あ、えと、その・・・・」

しどろもどろになりながらも何かを伝えようとする小さな声。

そして、ほんの少しの決意の後、

 

「それ、何て言う楽器なんですか?」

 

「これかい?バイオリンって言うんだ」

 

「バイオリン・・・・」

 

 

 

 

――――弾いてみるかい?

 

 

 

 

今度は、私の番ですよね。

 

 

 

 

 

 

口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言う為に使おう。

 

 

目は人の良い所を見る為に使おう。

 

 

手は誰かに差し伸べ導く為に使おう。

 

 

心は人の痛みが解る為に使おう。

 

 

それがきっと、本当の使い道。

 

 

 


 
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