No.147102

「ハコニワ」 第五話

早村友裕さん

 祭りの音がハコニワの外から響く。
 満月の日、庭にたたずむ和服の少女は呟いた。
「うちはお祭りの音をここで聞くしかできないんやね――」

◆これは麻葉紗綾さまのイラストを元に書いたイラスト小説です。

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2010-06-01 22:18:43 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:614   閲覧ユーザー数:604

 和泉たち壬生狼士と同じ青地の羽織に身を包んだその人影は、和泉と檜垣を分断するかのように真ん中に落ちた。

 

「鉄扇(テッセン)!」

 

 叫んだのは和泉だった。

 鉄扇は先ほど雪輪を抹殺に向かったはずだった。

 それがなぜ、ここに倒れている?

 

「止めは刺していないわ。連れて帰るなら早くして頂戴」

 

 雪輪の凛とした声が響いた。

 どうやら檜垣の目の前に落ちてきた人は雪輪がこちらに向かって放り投げたらしい。それにしても、とても雪輪の腕で持ち上げられるようには見えない筋肉質な大男、雪輪の人並み外れた力は巴恵が思うよりずっと凄まじいものらしい。

 

「鉄扇がやられた……?!」

 

 和泉は愕然とした表情になった。

 いかに敵が十六八重菊所属の戦闘|人型樞《アンドロイド》の雪輪とはいえ、鉄扇は壬生狼士の中でも指折りの手練だ。どれだけ油断しようとも相討ちには持ちこめるはずだった。

 それなのになぜここで地に付しているのだろう。

 言葉を失った和泉に、檜垣は淡々と告げる。

 

「当たり前です。雪輪だけならともかく、花菱も一緒だったのですから」

 

「花菱? あんなただの人間に何が出来る。確かに鉄扇から直接攻撃はできないが、ただそれだけだ」

 

「いいえ、それだけではありません」

 

 檜垣は唇の端に笑みをたたえた。

 

「彼には僕の知り得る限りの銃の戦闘知識と、格闘術のすべてを教え込みました。人間であるというアドバンテージも加えれば、今の彼に、並みの狼士程度では敵わないでしょう」

 

 少し遅れて雪輪の隣に息を整えながら立ったのは、花菱少年だった。

 大きく肩で息をし、銃創らしい傷が右頬に走っている。

 

「強くなりましたね、花菱。これならお嬢様を任せられます」

 

「……うすら寒いな、檜垣がオレの事褒めるなんてさ」

 

 肩をすくめた花菱は、何の予兆もなくふいに倒れ込んだ雪輪をすんでのところで支えた。

 

「あんな怪我で無茶するからだ……全く」

 

 雪輪に向かってしょうがないな、と呟くと、そのまま雪輪の体を背に担いだ。

 

「先に雪輪を置いてくる。俺が戻ってくるまで負けるんじゃねーぞ、檜垣」

 

「師匠に大きな口を叩くようになりましたね」

 

 くすくすと笑った檜垣は、本当に楽しそうに見えた。

 花菱が檜垣に戦闘訓練を受けていたことなど巴恵は知らなかったが、巴恵が課題と奮闘している間、花菱はずっと檜垣の手ほどきを受けていたのだ。

 

「最悪だな、俺の予定は駄々狂いだ」

 

 雪輪を担いで去っていく花菱の後ろ姿を大きくため息をついた和泉は、大きく天を仰いだ。

 足元に転がった鉄扇の様子をちらりと見て、檜垣に視線を戻す。

 

「こうなったら撤収だ……が、その前に」

 

 和泉は大きく刃を振りかざした。

 それを迎え撃つ檜垣。

 が、和泉は軌道を大きく逸らし、檜垣の傍をするりと通り抜けた。

 巴恵の目の前に刀を構えた和泉が迫った。

 

「巴恵お嬢様!」

 

 目の前を銀線が閃いた。

 

 

 

 

 

 ざくり、とかぼきり、とかそんな鈍い音がしたような気がした。

 しかし、両手で顔を庇って硬直した巴恵に衝撃は襲ってこなかった。

 

「……ぇ?」

 

 呆けた声が巴恵の喉から漏れた。

 おそるおそる目を開けた巴恵の目の前には、見慣れた檜垣の顔があった。

 

「お嬢様、お怪我はありませんか?」

 

 優しい声がしてほっとした。

 

「大丈夫やよ、ありがとう。檜垣は……」

 

 そう言って視線を少し下げた巴恵は、信じられないものを見た。

 

「ひ、ひが、き……?」

 

「大丈夫です。お嬢様が無事ならそれでいい。僕の事は気にしないでください」

 

「で、でも、檜垣、腕が」

 

 檜垣の左腕が根元からごっそりと無くなっていた。

 先ほどの斬撃で落とされたのは一目瞭然だった。

 しかし、巴恵が声を失ったのはそれだけではなかった。

 

「大丈夫です。僕は人型樞(アンドロイド)ですから、後で直せます」

 

 巴恵の足元には、重そうな腕が落ちていた。

 いつも優しく頭を撫でてくれた手が地面にごろりと転がっているのは、とてつもない衝撃だった。

 巴恵は思考を止めた。

 ただ目の前に過ぎていく光景をぼんやりと眺めていた。

 

「バカだな、檜垣。人型樞(アンドロイド)の俺は人間を傷つけることはできねーんだぜ? そんなヤツ庇って、腕まで失って、いったいどうしようってんだ」

 

「……貴方に答える必要はない」

 

 和泉は巴恵に直接攻撃は出来ないだとか、そんな細かい事を考える余裕などなかった。

 ただ、刃が巴恵に向けられた瞬間に足が動いて、何を考える間もなく全身で彼女を庇っただけだ。

 残った右手で拳銃を構え直し、檜垣は和泉に向き直った。

 が、その様子を見た和泉はさっと刀を収めた。

 

「おおっと、俺はここで退散するぜ? 鉄扇も重症だが、檜垣の腕一本と交換なら安いもんだ。このあたりが引き際だろ?」

 

 そう言って地面に倒れ込んでいた鉄扇の体を片腕で軽々と担ぎあげた。

 

「片腕で32人の壬生狼士を前にした気分はどうだ、檜垣。絶望するか?」

 

 楽しそうに檜垣をからかい、裂けるような口で笑った和泉は、檜垣の威嚇射撃にあって肩をすくめた。

 

「いつになく好戦的だな。これ以上逆鱗に触れる前に俺は退散するよ」

 

 鉄扇を支えている方とは別の手をひらひらと振りながら。

 

「じゃーな、檜垣。また会おうぜ」

 

 和泉は壬生狼士たちの人垣の向こうに消えて行った。

 

 

 

 

 すべての出来事を檜垣の背中越しに見ていた巴恵は、ぺたりと地面に座り込んだ。

 あまりに非現実的な出来事に、脳が完全に停止してしまったようだ。

 

「巴恵お嬢様……本当は、貴方にだけは見られたくなかった」

 

 足元に転がった腕と、腕のない檜垣。

 呼吸がうまくできなくて苦しい。

 皮肉にもその苦しさが現実である事を告げていた。

 

「申し訳ありません。本当なら、僕はお嬢様の傍にいていいようなモノじゃありません」

 

 ばちばち、と左腕の付け根から火花が散った。

 

「それでも僕は――」

 

 言葉の途中で、檜垣は後ろから襲ってきた敵の腹部に鋭い蹴りを放った。

 それを皮切りに、整然と並んでいた壬生狼士たちが一斉に檜垣へと襲いかかった。

 

 

 

 

 

 いつも食事の支度をしていた優しい手が、敵の胸を簡単に貫いていく。鋭く腹を蹴り込まれた相手は、体をくの字に折って吹き飛ばされていく。

 舞うような動きで次々に襲ってくる敵をいなしていく檜垣は、ほとんど無表情だった。

 巴恵は全く動けなかった。

 檜垣が人型樞(アンドロイド)だというのは、ずいぶん前からうすうす感づいていた気がする。それでも、彼があまりに傍にいすぎて忘れていたんだろう。

 それよりも衝撃だったのは、檜垣が顔色一つ変えずに目の前の敵を次々に嬲っていく姿だった。

 手練は和泉と名乗る青年だけだったのか、それとも檜垣が強すぎるのか。

 ものの数分もしないうちに、足元には壬生狼士の山が転がっていた。

 

 

 巴恵は茫然と座り込んでいた。

 周囲を檜垣の倒した壬生狼士の物言わぬ躯たちが取り囲んでいる。歯車の噛み合う音がどこからともなく響き、辺りには濛々と煙が立ち込めた。

 スーツ姿の檜垣だけが背筋を正して立っていた。

 その姿は全くの人間でありながら、左腕は消失し、コードや鉄でできた中身が露わになっている。

 整った顔の一部も皮膚が落ち、黒々とした中身を曝していた。

 

「申し訳ありません、お嬢様」

 

 ばちばち、と左腕の付け根がスパークした。

 

「本来なら僕には、貴方に触れる資格などなかった。何しろ、貴方を傷つけようとするのは、僕と同じ人型樞(アンドロイド)だ」

 

 左腕だけではない。

 顔も、服が裂けて覗いた足も、どこもかしこも負傷しており、皮膚が逸れていた。

 その奥に覗くのは、生身の人間にはありえない色だった。

 

「先ほど和泉が行ったように、僕は生れついての戦闘型でした。来る日も来る日も人間と人型樞(アンドロイド)を破壊する日々……しかし、貴方が生まれてから、僕の感情はようやく動き出したんです。ただの殺戮人形ではなく、何かを守ろうとするようになった。少しずつ人間を知っていった。教えてくれたのはお嬢様、貴方です」

 

 まるで心の底を吐露するように、檜垣は力強い声で言った。

 

「僕は貴方に近づきたかった。人型樞(アンドロイド)たちが人間と対等の関係を求めて反乱を起こしたのと同じように、僕も自らに人間性を求めた」

 

 まるで硝子玉のように美しい漆黒の瞳が、まっすぐに巴恵を見つめていた。

 紅の瞳と漆黒の視線が交差した。

 

「僕は――人間に、なりたかった」

 

 人間を知った人型樞(アンドロイド)は、人間と対等の関係を求めた。

 檜垣も例外ではなかった。

 心の底から人間性を切望し、不可能である事を知って絶望した。

 素材の違う人型樞(アンドロイド)は決して人間にはなれないから。

 

「さようなら、お嬢様。もう会えないかもしれませんが……僕は、ずっと貴方だけを守り続けます」

 

 檜垣はそれ以上巴恵に近寄ろうとはしなかった。

 にこりと微笑んだ檜垣の表情は、悲しみの中に深い決意を感じさせた。

 

「花菱と雪輪の言う事をちゃんと聞いて、いい子にしているのですよ。決して街には出ないでください。そうすれば僕は、貴方を守る事が出来る」

 

 先ほどと同じ事を繰り返し、檜垣は落ちていた自らの左腕を拾い上げた。

 その様子を見てびくりとした巴恵を見て、檜垣は悲しそうに微笑んだ。

 

「お元気で」

 

 別れの言葉を優しい口調で投げかけて、檜垣は廃墟の向こうへと消えて行った。

 重傷を負った雪輪を庭まで送り届けた花菱がようやく巴恵のもとに駆け付けた時、彼女は声もなく、ただ静かに涙を流していた。

 

 

 

 

 

 祭囃子が止まない。

 布団をかぶって耳をふさいでも、胸の奥まで響く斬撃音と銃声がどうしても止まない。

 巴恵は花菱に引きずられるように庭に戻ってきてから、ずっと布団を被って閉じこもっていた。

 思い出すのは最後の檜垣の笑顔。

 あの時さよならを告げた檜垣の笑顔は、あの言葉が嘘でない事を示していた。

 

「嘘つきや……!」

 

 巴恵にはここで待っていてくれと言ったのに、檜垣はもう二度とここへ戻らない気だった。

 そんなもの、嘘でしかない。

 これまで自分に外の世界を知らせずに守り通したように、今度もきっと巴恵の事をどうにかして守ろうとしているとしか思えなかった。

 布団の外から、時折花菱が呼ぶ声が聞こえたが、すべて無視していた。

 内に籠る嗚咽。

 かれる事のない涙。

 いつの間にか、巴恵は眠りについていた。

 

 

 

 夢の中だけが穏やかな時間だった。

 悲しさも悔しさも虚しさも怒りもすべて忘れ、巴恵は昏々と眠った。

 その中で初めて檜垣と出会った時の事を思い出した気がした。

 あれは大きなお屋敷の庭で、巴恵は歩く事も出来ないくらいの赤ん坊で。

 無表情な檜垣に、巴恵は小さな手を必死で差し伸べていた。

 

 

 

 きっと今回も、巴恵が手を差し伸べなければならないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 はっと目が覚めると、寝室には障子の隙間から朝日が差し込んでいた。

 髪はぼさぼさ、泣きすぎて顔はぼろぼろ、目は腫れて大変な状態だろう。

 それでも、目にしみるような明るい太陽の光は巴恵の心に沁み込んだ。

 書斎の振り子時計がぼーん、ぼんと時を告げる。

 いつもなら、檜垣が朝食を持ってくる時間なのに。

 再び滲みそうになった涙をぬぐい、もぞもぞと布団から抜け出した。

 

「もう、起きな」

 

 檜垣にいい子にしているんですよ、と言われたからには、いつまでも布団にもぐっているわけにはいかない。

 何よりも――

 

「巴恵」

 

 すっと寝室のふすまが開いた。

 その向こうに立っていたのは萌黄色の髪の少女。

 

「雪輪。元気になったんやね」

 

「巴恵こそ、もう大丈夫なの?」

 

「大丈夫やよ。ごめんな、心配掛けてしもて」

 

 雪輪に向かって微笑んでいる自分に気づいた時、巴恵はようやくまた先を見つめる事が出来ると思った。

 

 

 朝食を終え、縁側に雪輪と花菱、そして巴恵が集まった。

 

「お嬢、もう大丈夫なのか? ぱっと見ただけじゃわかんなかったから手当とかできなかったけど、怪我とかしてないよな?」

 

「大丈夫やよ、うちは……檜垣が守ってくれたから」

 

 檜垣の名を出すだけで、胸が裂けるように痛かった。

 それを感じたのか、花菱も雪輪も黙り込んだ。

 

「雪輪、花菱」

 

 巴恵は意思の通った声で二人を呼んだ。

 紺色の着物に身を包み、背筋を伸ばして真剣な眼差しで。

 

「教えてくれる? 檜垣はいったいどこへ行ったん?」

 

 そう言うと、花菱は気まずそうに視線をはずし、雪輪は困ったように首を傾げた。

 

 

 

 


 
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