No.127054

真・恋姫無双 ~美麗縦横、新説演義~ 蒼華繚乱の章 第七話+次回予告

茶々さん

茶々です。
前回は一週間も間が空いたのに今回はまさかの一日ですどうもです。

いや、実は書いてみたら案外短く済んでしまい、さすがに短すぎると思って加筆していったらどんどん止まらなくなり……まさかの休日まるまる使っての執筆になりましたorz。
特に後悔していませんが。

続きを表示

2010-02-27 19:42:11 投稿 / 全16ページ    総閲覧数:2615   閲覧ユーザー数:2282

新・恋姫無双 ~美麗縦横、新説演義~ 蒼華綾乱の章

 

*この物語は、黄巾の乱終決後から始まります。それまでの話は原作通りです。

*口調や言い回しなどが若干変です(茶々がヘボなのが原因です)。

 

 

第七話 混沌 ―破壊、紅蓮に消えゆく帝都―

 

 

 

袁紹、字を本初は、何も幼少期から今の様な聞き分けのない馬鹿であった訳ではない。

実家は四代に渡って後漢の最高位である三公を輩出した名家、自身はその後継という事で幼い頃から英才教育を受けていた。

 

だが、その頃手に入らなかった華琳の存在を皮切りに、彼女は何よりも『権力』を欲した。

 

何人をもひれ伏せさせる力。

何人をも従える力。

 

後漢きっての名族に生まれ、飽きる程に満ち足りた生活を送っていた彼女にとって、それはどんな高価な甘味よりも、どんな貴金属の輝きよりも魅力的だったに相違ない。

 

そうして彼女は成長し、今では天下に遍く諸侯を束ねた大連合軍の総帥という椅子を得た。

だが、それも華琳の暗躍があってこそだという事に彼女は気づいていた。気づかされていた。

 

名族としての力も、権限も、そんなものに左右されない連中にいいように嬲られ、そして総帥の椅子すら失いかけた。

 

 

 

いつからだったのだろうか。

憧れは嫉妬に、羨みは憎悪に変わっていったのは。

 

分からない。分からない。

ただ一つ、ハッキリしているのは―――

 

「下がれ!袁紹!!」

 

今自分の目の前で怒鳴る彼女が、本気で怒っているという事だけだった。

 

 

 

 

 

袁紹軍が、反抗した民を相手に戦闘を開始した。

その知らせは瞬く間に中軍に届き、血相を変えた華琳は春蘭を筆頭とした近衛兵数百を率いて前線へと急行した。

 

(麗羽……馬鹿な真似だけはよしなさいよ!)

 

嫌な予感がしなかった、といえば嘘になるだろう。

 

だが、認めたくなかった。信じたくなかった。

 

何だかんだ言っても、所詮自分も人の子だ。

教育相当の情も――普段は努めて表に出さないが――持ち合わせている。

 

それは、あの幼馴染だって変わらない。

そう、信じたかった。

 

(アンタは…アンタだって、私と同門なのだから!)

 

嘗ての友が、過ちを犯す筈がない。

きっと誤報だ、そう信じたかった。

 

(この曹孟徳の…華琳の『友』が、情けない事をしてんじゃないわよ!!)

 

彼女の事を――例え心中でも――『友』と呼んだのはいつぶりだろうか。

下唇を強く噛み、祈る様な想いでいた華琳は、そこまで思考が回る事はなかった。

 

「華琳様!アレを……!!」

 

やや後ろを走る春蘭が叫ぶ。

それに従って面を上げ―――そうして、華琳の脳裏で何かが音を立てて壊れた。

 

 

 

翻るのは『袁』の旗。

足元に転がるのは肉塊。

 

夥しい血に赤々と染まった城壁と大地、そして漂う異臭に華琳につき従った近衛兵達は顔をしかめた。

先頭に近い春蘭ですら、思わず目を覆いたくなる様な惨状が広がっていた。

 

だが―――

 

「麗羽…………」

 

ただ一人、華琳は違った。

ゆっくりとではあるが馬を進め、何度もキョロキョロと首を動かしてその惨状を見渡した。

 

「麗、羽……!」

 

分からなかった。

如何に聡明な頭脳を以てしても尚、彼女にはどうして旧友がこんな暴挙に至ったのか、理解出来なかった。

 

どんなに馬鹿と言っても、決して無能という訳ではない。

自分と同じ門を叩き、同じ師に学び、時に語りあい、時に対立し。

 

それでも、彼女にとって袁紹は友『だった』。

 

「…麗羽ァ!!」

 

そう。

同じ様に乱世を憂い、同じ様に平穏を願った友だった、筈だった。

 

      

 

「フ……」

 

大鎌は、舞う。

蝶の様に華やかに、蜂の様に尖鋭に。

 

そうしてただ、群がり来る『雑多なもの』を狩る。

 

彼にとって、それは正しく『作業』だった。

 

「…無様ですねぇ」

 

肉塊の破片とかした、ヒトだったそれを眺めてポツリと呟く。

ゆうに二メートル近い身長から見下ろすそれは、まさに『見下す』といった感じだろう。

 

「一本の華を彩る為に、雑多な草は刈るものですが……」

 

淡々と、誰に聞かせるわけでもなく彼は呟き―――

 

「果たして飛将軍と謳われる貴女を彩るに、彼らは相応しかったのでしょうか?」

 

襲いかかった斬撃を、弾いた。

 

 

 

「恋殿ーっ!ここはねねに任せて、思いっきり暴れちゃっていいですよーっ!」

 

後ろから恋を応援する音々音を一瞥してから、恋は再び眼前の男に向き直る。

 

「…お前、殺す」

 

端的に呟かれたそれは、純なる殺意と相まって殆ど死刑宣告に近かった。

だが、それを真正面に受けながら――いや、むしろそれを受けたからこそか――彼はその異国調の容貌をニヤリと、酷く似合う妖艶な笑みへと変えた。

 

「ああ…!これ程混ざり気のない殺意は、久しぶりに感じますよ」

 

何やら、言葉を発する毎に珍妙な動きをつける眼前の男に、しかし威勢を削がれる事もなく恋は一気に踏み込んだ。

 

武の道に通じる達人であっても防げる事はないであろう、常人なら一撃で沈む様なその斬撃を、しかし彼はそよ風を受ける様にいなした。

 

「ッ!?」

 

これには流石に驚いたのか、恋は後ろに飛びのいて距離をとる。

だが―――

 

「純粋…しかし、故に単調ですね」

 

背に聞こえたそれは、次の瞬間急激に軌道を変えて家屋へと突っ込んだ身体と、痛みと、驚愕と共に襲ってきた。

 

「カ…ハァッ……!」

 

肺腑を抉る様な鋭い一撃は、喉を締める様な痛みと共に恋を苦しめる。

それに対し眼前の男は優雅な歩調で一歩一歩、恋に近寄ってきた。

 

「貴女の戦ぶりは実に華やか。一騎当千、飛将軍、武神……いかな賛辞を以てしても尚賞讃に価します」

 

手には大鎌『華月』を携え、どこまでも汚れを知らない赤子の様にいっそ清々しい程に澄みきった笑みを浮かべながら―――

 

「…ですが、それはあまりにも滑稽。所詮は徒花(あだばな)に過ぎませんよ」

 

満面の笑みと共に、それを振りおろした。

 

 

 

遠雷が、鳴り響く。

 

街は混乱の渦中にあり。

群雄達の兵は互いに斬り合い。

 

その一角では、切り取られた一枚の絵の様に人が動きを止めていた。

 

「…なん、で?」

 

ある者は伏す様にして、それでも得物から手を離さず。

 

「―――誰ですか?貴方は」

 

ある者はその表情に幾ばくかの驚きを交えた笑みを浮かべ。

 

「…………」

 

そしてある者は、振りおろされようとしていた刃を止めていた。

 

        

 

「……元々期待はしていなかったが、袁紹もまた随分と落ちたものだな」

 

低い、しかし決して聞き取りにくいとは感じ難い声音で、漆黒の鎧兜の中からそれは響く。

 

「無辜の民を虐殺し、己が権力を得る為に非道に奔るか……愚か以外の何者でもない」

「ほぅ……」

 

鎌を一振りして、彼――袁紹軍きっての武人張郃、字を儁乂――は後ろへと跳んだ。

 

「仲間の窮地に単身現れるとは。それにその装束……中々良い趣向をお持ちの様ですね」

 

向き直り、再び愛用の鎌の切っ先を青年へと向ける張郃。

対して彼もまた、腰に下げた剣を抜き構える。

 

「しかし…咲き誇るはただ一輪で足ります。無駄な華は、この張儁乂が刈り取って差し上げましょう!」

「…来い」

 

奔る閃光が煌めくと共に、遥か彼方で再び雷が鳴り響く。

戦いは、未だ半ば。

 

 

 

 

 

轟々と降りしきる雨の中、俺達は先行した華琳達を急いで追っていた。

 

「兄ちゃん!下がって!!」

 

途中、誰とも知れない奴らが襲ってきたが、その度に季衣の鉄球が唸り、秋蘭の弓が駆け、桂花の指示が飛び交う。

 

「司馬懿!アンタは部隊連れて華琳様を探してきなさい!ちょっとでも華琳様に傷負わしたらタダじゃおかないわよ!?」

「無茶苦茶な指示だな……が、愚痴を言っている暇もない、か!」

 

言って、司馬懿は襲ってきた相手の攻撃をかわして瓦礫の中に突っ込ませる。

 

「桂花!俺は…」

「アンタはそこらへんにでも隠れてなさいよ役立たず!!」

 

華琳が急にいなくなってしまった為か、切羽詰まった現状にいら立っているのか、いずれにしても普段の比にならないくらいに怒った様子で桂花は怒鳴る。

 

「北郷、それなら僕と一緒に来い」

「へ?」

「君がいれば、多分ではあるが…華琳様を止められる」

 

最後の方は雷鳴にかき消されてしまって聞こえなかったが、兎に角司馬懿はそれだけ言って駆けだす。

俺も慌ててその後を追った。

 

―――が、

 

「…イ、オイ!何だよアレ!?」

 

誰かの叫びを聞いて、俺は――見てはいないが恐らく司馬懿も――その声のする方を向いた。

 

瞬間、言葉を失う。

 

「―――自決か」

 

そう言ったのは、果たして誰か。

 

分からない。分かる筈がない。

 

「逆賊董卓!宮殿に立てこもり、自ら火を放てりーーーっ!!」

 

目の前で赤々とした炎に包まれる、帝都の象徴。

宮廷が、暗い雷雨の中にあっても尚失われない紅蓮の輝きを放っていたのだから。

 

          

 

「何なんですの!?一体!!」

 

麗羽は、何ら好転を見せない現状に苛立ちを隠す事無く怒鳴った。

 

民は逆らい、兵は逃げ、誰も助けに来ず。

最大の目標であった董卓の首も、献帝の行方も分からぬまま宮廷近くにまで来てみれば、突如として火を吹く宮殿。

 

どれもこれも、気に入らなかった。

 

「猪々子さん、斗詩さん!さっさと探しなさい!!」

「無茶だって姫!それよかさっさと逃げないと危ないって!!」

「そうですよぉ!今度ばかりは不味いですって!!」

 

袁家の二枚看板である、大金槌を振り回す斗詩――顔良の真名――と大剣を振う猪々子――文醜の真名――は、迫る民を吹き飛ばしながら諫言する。斗詩に至っては半泣き状態だ。

 

だが、忠臣である二人の諫言にも、麗羽は耳を貸そうとはしなかった。

 

「お黙りなさい!帝さえ…董卓なんていう田舎者の首さえ手に入れば……!!」

「呼んだか!袁紹!!」

 

その怒声に、麗羽は顔を上げた。

民も、斗詩達も動きを止めて、声の主を探す。

 

「この董仲頴、逃げも隠れもせん…さぁ来い!袁本初よ!!」

 

豪奢な装束に身を包み、手には百金は下らないという宝剣を握り、声も高々に叫ぶ男性。

名乗りをあげ堂々とした姿は、正に精強と呼ぶべき軍の総帥に相応しい貫禄を思わせた。

 

 

 

 

 

「華琳様!」

「華琳!!」

 

襲ってくる民を、連合の兵士を退けて、ようやっと華琳の姿を見つけた。

 

「一刀…?」

「北郷!?それに司馬懿も!何をしにきた!?」

 

民を斬り伏せて春蘭が怒鳴る。

だが、俺の五感を支配したのは彼女の怒声ではなかった。

 

「華琳…どうしたんだよ、一体何があったんだよ!?」

 

普段のあの高潔な彼女からは想像も出来ない程に、目の前の少女は違って見えた。

怒りに震え、何人をも寄せ付けない威圧感を全面に押し出し、手に持った鎌に存分に血を吸わせていた。

 

「どうもこうも、聞いたでしょう?麗羽の馬鹿が、暴走したのよ」

 

言っている間にまた一人、兵士を切り捨てる華琳。

必然的に――危ないという事もあるが、周囲の敵が多すぎるというのも原因で――傍に寄る事が出来ず、俺はやや離れた所から叫ぶ格好になっていた。

 

「それと!この人たちを殺すのと!何の関係があるんだよ!?」

「こうでもしなきゃ、あの馬鹿が止まらないからに決まってるでしょう!?」

 

自分に言い聞かせるかの様に、華琳は怒鳴った。

 

「言った所で取り合おうともしないあの馬鹿は…いくら馬鹿でもこの曹孟徳が真名を許すに値すると思った相手!なら、その非道を正さなければ、私自身が納得いかないの!!」

 

その武威に、覇気に圧されてか、襲ってきていた兵士達が足踏みした。

だが俺には、それがどうしようもなく許せない事に思えて他ならなかった。

 

「その為に!この人たちを殺すのか!?そんな事しなくても、止める方法は他にだってある筈だろ!?」

「北郷、伏せろ!」

 

途端、司馬懿が俺の頭を無理やり抑え込み『ナニカ』を投げる。

 

それが手に剣を持った兵士だと気づくのに、数秒を要した。

 

「…近衛、北郷を連れて戦場から離脱しろ」

「司馬懿!?」

「聞け!北郷一刀!!」

 

伏せていた俺の襟首を掴んで、司馬懿は真正面から俺を睨んだ。

 

       

 

「これ以上、君がそうして華琳様を頭ごなしに説得しようとしても無駄だ。こうなってしまったら、もう連合も民も……誰も止まる事はない。なら、現状で僕がすべき事は三つある」

 

言って司馬懿は何時の間にか装着していた手甲の指を三本立てた。

 

「華琳様を無事に本陣まで連れ帰る、献帝を保護する、そして……君を避難させる」

 

その声音が僅かに震えていた事に、俺は漸く気づいた。

 

彼だって辛いんだ。遣る瀬無いんだ。

才があると謳われて、認められても、それでもその頭脳をどれだけ駆使しても、もう止められないこの悲劇に。

 

「……人の心配をする前に、まず自分の安全を確保しろ。僕はあの三羽烏に殺されるのだけは勘弁なのだからな」

 

皮肉った様な事を言い、しかし司馬懿は再び冷徹な表情を浮かべた。

 

「忘れるな、北郷。一つの時代の節目には、必ずこういった戦が起こる。それは決して避けられない宿命だ……だからこそ、僕達は戦わなければならない。『力』を持つものが戦わなければ、誰が皆を守る?」

「…ッけど!」

「―――そうやって誰かを憂う事が出来る君は、紛れもなく『強い』よ」

 

刹那。

首筋に衝撃を感じた俺は、そのまま意識を手放した。

 

 

 

(……済まない、北郷)

 

心の中で詫びを入れた司馬懿は、手近な所にいた兵に一刀を預けた。

そうして幾人かの兵に守られ本陣へと戻っていく姿を見届けて、司馬懿は再び向き直る。

 

「……未だ群がり来るか、下郎」

 

身体のあちこちに鮮血を奔らせる兵士達を眼前に、どこまでも冷え切った声音で司馬懿は告げる。

 

「教えてやろう……貴様らが、誰を怒らせたのかという事を!」

 

そこからは、司馬懿の一人舞台だった。

 

彼は平時文官ではあるが、決して武に対して無能という訳ではない。

少なくとも、一般的な兵卒よりは上に位置するだけの武は持ち合わせている。

 

ただ、司馬懿にとっての最大の武器はやはり『知』であり、武は精々自身の身を守る事が出来ればそれでよい、程度に考えていた。

加えて、華琳の元には春蘭を筆頭に秋蘭や季衣、流琉といった武官が揃っており、態々彼が不慣れな武を発揮し前線に出張る必要がないのである。

 

結論から言えば、強欲に塗れる程に規律のない兵士如きに劣る程、司馬懿は弱くない。

 

「な、何だコイツ…強ぇぞ!?」

「や、やめ…うわあぁぁぁ!!」

 

手甲は剣を防ぎ、鋭い爪は敵の身体を鋭く抉り、突き立つ。

逃げ出す者には、手甲から放たれる鋼鉄糸が背に突き刺さりその命を奪う。

 

武が専門の武人相手ならこう容易くはいかないだろうが、それでも司馬懿の実力は彼らを相手取るに以て余りあるものだった。

 

そうして、華琳達が百を超える敵を切り捨てる頃には、司馬懿は襲ってきた兵士十数名を絶命させるに至っていた。

 

 

 

「司馬懿!」

 

程無く、春蘭達が駆け寄ってきた。

華琳は口を閉じたままではあるが、その所作は彼の言葉を促していた。

 

「袁紹、並びに董卓の所在ですが、先程連絡が入りました」

「おおっ!でかした!!で、どこだ!?」

 

子供の様に喜び、春蘭は「早く話せ」と司馬懿の肩を掴んで、揺さぶり、声を大にする。

かなり鬱陶しそうに司馬懿は顔を歪めながら、それでもどうにか春蘭を宥めて口を開く。

 

「宮殿前広場。袁紹が発見されており、更に先程、呂布が向かったとの報も入っております。ただ…」

「ただ?」

「西側広場、東南の屋敷、北の城門でも『董仲頴』を名乗る者が現れたとの報告があります」

 

雷鳴が再び鳴り響き、豪雨は僅かに弱まる。

帝都洛陽は、未だに血と殺戮の宴が続いていた。

 

       

 

(皆……逝ったか)

 

目の前で奮戦する恋の背を見ながら、董卓――その正体は、董卓を庇い彼女に近かった忠臣、司徒王允――は霞み行く意識の中、それでも脚を奮い立たせた。

 

 

 

「…月を助ける方法が、一つだけあるわ」

 

それは、詠――賈駆の真名――の非情の決断だった。

 

月――無実の罪を着せられた少女、董卓の真名――は表舞台に顔を出しておらず、その実態を知る者はまずいない。

それを利用し、都の各所で月の臣下の将に董卓を名乗らせる事で連合を錯乱させる。

 

正体が分からない以上、誰が本物か分からない。

だからこそ、連合は董卓を名乗る者を全て捕え、殺さなければならない。

 

だがそれは同時に、名乗りを上げた者は命を捨てよという非情の命でもあった。

 

「やっぱり私そんなの嫌だよ。他のみんなを犠牲にしてまで生きたいなんて思わない!」「お願いだからボクの言う事を聞いて。月は生きてもう一度この国の為に起ち上がらないとダメなんだから!」

「嫌!みんなが居なくなるくらいなら私も──―へぅっ!?」

 

心優しいあの少女の首筋に手刀を叩きこんだ青年は、その小さな主君の身体を静かに寝かせ、詠に渡した。

 

「……生きて、生き抜いてくれ」

 

小さく呟いたそれは、彼が久方ぶりに見せた『優しさ』だったのかもしれない。

 

 

 

「王允……」

「フフ…見よ、あれが正義を、大義を掲げた筈の者のなれの果てよ」

 

震え、まるで言う事を聞かない四股を柱に寄りかけ、それでも王允は嘲笑った。

少し遠くを見れば、袁紹は尻もちをついて逃げまどい、顔良、文醜は二人がかりでも尚、恋に一蹴されていた。

 

「見えるか?これが…これこそが、彼奴らの真の姿。私欲に塗れた、脆弱な愚者。フフフ……アッハハハハ!」

 

最早、傍らに膝をつく青年の姿は見えていないのだろう。

王允は高らかに笑い、嗤い、哂った。

 

「……全てが、これで終わりだ」

 

言って、王允は懐から何かを取り出す。

そうしてそれを――周囲の人間の目につく様に――高々と掲げた。

 

「なっ!?そ、それはまさか…!!」

「見よ袁紹!貴様如きに渡すくらいなら、いっそこの董卓がその野望を打ち砕いてくれる!!」

 

そして、王允は高々と掲げたそれを―――権力の象徴、漢王朝の秘宝、玉璽を叩き割った。

 

驚愕に目を見開く袁紹。

絶叫ともとれる叫びは、しかし音を立てて崩れ始めた宮殿の轟音にかき消された。

 

「フハハ…ハハハ、アッハハハハ!!」

 

両手を天に向かって広々と広げ、全てを受け入れる様な体勢を取り―――ただ一言、傍にいた青年だけが漸く聞き取れる程に小さな声音で、呟いた。

 

「漢王朝……万歳!!」

 

瞬間、鮮血を吹いて、どうと王允は倒れた。

 

雷鳴はますます轟き、雨脚は再び強まる。

燃え盛る紅蓮の焔に包まれて、王允、字を子師は、その生涯に幕を閉じた。

 

 

 

あまりの現実に、麗羽は呆然となり立ち尽くした。

周りの喧騒も、火が燃え盛る音も、何も聞こえない。

 

世界が、色彩を失っていく。

何一つ、思考が及ばなくなる。

 

忠臣二人に抱きかかえられるようにしてその場を後にしようとした袁紹は、しかし突如響いた怒声に我に返った。

 

「下がれ!袁紹!!」

 

澄んだ声音が響き、目の前に火花が散る。

 

それが、華琳の『絶』と青年の双剣が激突したのだと知ったのは、全てが終わってからだった。

 

          

 

(チッ…!こんな時まで足手まといになるとはね!!)

 

どうしようもない程に救いようのない旧友に内心舌打ちしつつ、華琳は再び眼前の青年に向き直った。

春蘭は近衛数名と共に呂布に対しており、司馬懿は指揮を執って周囲の雑兵を蹴散らしている。

 

「へぇ…誰かは知らないけれど、随分とやるじゃない」

「…………」

 

目の前の漆黒の男は、何一つ語らない。

代わりとばかりに青年は剣を振い、それに応える様に自分も愛鎌『絶』片手に舞う。

 

「何をしているの!?さっさとそこの馬鹿を連れて逃げなさい!!」

 

数合打ち合って、その力の底が知れぬ相手に舌を巻いた華琳は、自らの後ろで腰を抜かしている斗詩、猪々子に怒鳴る。

 

「この貸しは高くつくわよ…覚悟しておく様に言っておきなさい!!」

「は、はいっ!!」

 

答えを聞く間もなく、乱舞を再開する両者。

 

 

 

「―――ハッ」

 

僅かに、眼前の彼が洩らした笑み。

それに一瞬気を取られた華琳は、次いで襲い来る衝撃に対応しきれなかった。

 

「なッ…!?」

「ッ華琳様ァ!!」

 

宙を飛ぶ自らの身体を、春蘭は武器を捨てて飛び込み拾った。

そのままの勢いで家屋に突っ込んだ二人を一瞥してから、青年は司馬懿に視線を向けた。

 

「……」

「…またお前か」

 

心底呆れた様に呟く司馬懿。

しかし次の瞬間、司馬懿は咄嗟にその場を飛び退いた。

 

「ハハハ…当たったら洒落にならん一撃だな」

 

らしくもなく苦笑いを浮かべる司馬懿。

しかし頬を伝う冷や汗は、紛れもない危機の警鐘を鳴らしていた。

 

「…殺す」

 

端的に言って、青年は――司馬懿が背にしていた――家屋を一刀両断に叩き斬った剣を構える。

 

「お前は予言者のつもりか?」

「…予言ではない」

 

そして、司馬懿は初めてその兜の下に隠れた彼の口元を見た。

 

「―――規定事項だ」

 

妖しく微笑む、悪魔の様に冷ややかな嘲笑を。

 

 

 

 

 

「星、死ぬなよ!」

「無論。要らぬ心配…だっ!」

 

同じ頃、方々で諸侯と民衆の激突は続いていた。

その中でも特に熾烈を極めたのが、中央広場での死闘。

 

「凌統、思春!遅れるな!」

「はっ!!」

「小父貴こそ、無茶すんなよ!」

 

暴走を始めた諸侯の軍と民衆の激突に割って入った劉備軍と孫策軍は、四方から襲い来る暴徒を連携して打ち破っていた。

 

既に宮殿の方へと向かった雪蓮、そしてそれにつき従う祭、太史慈以下数百の精鋭はおらず、本陣を託された冥琳達の代わりとして程普が指揮を執っていた。

 

「しっかし、いくら倒しても湧くわ湧くわ……蛆じゃあるまいし、しつこい連中だな」

「貴様はその小うるさい口を慎め凌統!」

 

暴徒を倒しながら愚痴る凌統に、いきり立っている思春――甘寧、字を興覇――は怒鳴る。

するとその物言いにカチンときたのか、わざとらしく凌統が口答えした。

 

「はぁ?なんでお前の言う事一々聞いてやんなきゃなんないわけ?やーだねっ」

「貴様ァ…先にその口を黙らせてやろうか!?」

「戦場でチャラチャラ鈴鳴らしてる騒がしい奴に言われる筋合いなんてねーな!」

「主らが黙れ!!騒々しい!!」

 

大声一喝。

その剣幕に圧された凌統、思春は元より、不運にも近くに居てしまった者の中には失神する者まで出る始末。

 

そんな事を言っている間にもしっかりと相手を沈めているのだから、大したものではあるのだが。

 

         

 

「ッ……ガァッ…!」

 

痛みに悶え、血を吐く司馬懿。

悠然と立ち誇り、刀身に幾ばくかの血筋を垂らす青年は、その様をただ眺めていた。

 

「ッ……つくづく、いい趣味をしているな…ッ!」

 

皮肉を込めた嘲笑も、痛みに耐えきれず苦痛に歪んだ。

 

「…お前の罪科は、数え切れぬ程多い」

「……?」

 

自己陶酔の様に、淡々と語り出す青年。

不審に思いながらも、痛みに動かない四股ではどうしようもなく、司馬懿は押し黙ってその言葉を聞いていた。

 

「それは因果……お前に与えられた、義務と権利だ」

「…何が、言いたい……?」

 

倒れ伏しながら、それでも司馬懿は問うた。

その反応は予想の範疇だったのか、青年は大して気に留めた様子もなく口を開く。

 

「今のお前には理解出来ない……いや、理解されて貰っても困るがな」

「なら…何故語る?」

「そうしなければ、お前を殺す事に意味がなくなってしまうからだ」

 

言って、青年は司馬懿へと歩み寄った。

震える脚をどうにか立たせようとして―――しかし、痛みに耐えきれないのか、膝が地面につく。

 

「痛み、苦しみ……そうして、ただ負に包まれて、眠れ」

 

大きく振りかぶった剣が、雷鳴を反射して煌めく。

―――瞬間、何かが光った。

 

「―――貴様がな!!」

 

 

 

微かに動いた指に呼応するように、宮殿の柱が青年へと襲い来る。

 

「―――シッ!」

 

咄嗟にそれを真っ二つに切り裂いた青年は、更に目の前に飛び込む多数の瓦礫に思わず飛び退いた。

 

「ハッ、貰った!」

 

更に司馬懿が手を引けば、今度は青年が足をついたその場所に、頭上から巨大な網が迫る。

先に作っておいてそのまま使われなかった、捕獲用に設置していた罠の網である。

 

「…小賢しい!」

「褒め言葉として受け取っておこうか!」

 

司馬懿の指が踊る度に、周囲に転がっている瓦礫が、武器が、全てが青年へと迫り、襲い来る。

 

「この僕が、司馬仲達が何の策もなく単身で戦おうなどと考えるとでも思ったか?笑止!!」

 

言った瞬間、青年は大きく後ろに跳躍する。

地面に足を着いた時、青年が先程まで立っていた場所は、大きく陥没していた。

 

「フーッ!フーッ!」

 

激昂も最高潮と言わんばかりにいきり立つ春蘭の愛剣『七星餓狼』は深々と大地を抉り、更に青年の周囲は華琳が率いる精鋭達に囲まれていた。

 

「時間稼ぎ、御苦労だったわね。仲達」

「…後は、お任せします」

 

言って、疲労に耐えきれなかったのだろう。

司馬懿は膝をつき、手近な所に居た数名の兵に連れられてその場を去ろうとした。

 

「―――忘れるな、『仲達』」

 

言った瞬間、青年は再び跳躍すると今度は家屋の屋根に飛び移った。

 

「俺は、必ずお前を殺す」

 

その言葉を最後に、青年は何処かへと屋根伝いに飛び去っていった。

 

          

 

「待てぇ!ええい、逃がすな!追え、追え!!」

 

駆け足にその後を追う春蘭の背を見届け、華琳は意識を失った司馬懿の元へと歩み寄った。

彼の傍らに控えていた兵士たちに下がる様に命じて、華琳はやや冷たいその頬に手を当てた。

 

「……ハッ。この曹孟徳の前で、私の臣下を奪う事を堂々と言い放つとは。随分と好かれたものね?仲達」

 

返事は勿論ない。

だがその呼吸はやや荒れ、身体の所々に奔る傷痕と血筋が痛々しい。

 

すぐさま衛星兵を呼ぶように、華琳は兵士に告げた。

 

 

 

(……これ程とは、ね)

 

紅蓮に燃え盛り、混乱を極める帝都は、これから始まる乱世の縮図の様に思えた。

 

無辜の者が傷つき、幾つもの血が流れ。

それでも、自分はきっと歩みを止める事はないのだろう。

 

そんな事は、自分自身が一番分かっている。

 

その中で、自分は多くの命を奪い、奪われる。

それが知に秀でた桂花や司馬懿でないと、武に秀でた春蘭や秋蘭でないと、そして―――未来から来たという一刀でないと、誰が言い切れようか?

 

「……けれど」

 

それでも、きっと皆は自分の事を疑う事もなく従うのだろう。

それがどうしようもなく重く、そして誇り高く思えた。

 

(なら、精々応えてあげるとしましょうか…)

 

自分の道の為。

そして―――仲間たちの為。

 

誰に言われる訳でもなく、華琳は胸中に一人、そう思った。

 

 

 

 

 

その頃、中央広場では―――

 

「……何故、そうまでして貴殿は武をふるう?」

 

大勢に囲まれながら、一人の青年の演武が縦横無尽に続いていた。

斬って、突き立てて、時に蹴り、殴り。

 

そうして、迫り来る連合の兵士達を打ち払って、青年は尚も戦う事を止めない。

 

洛陽を囲む反董卓連合の軍勢は、既に――反抗してきた民の多くを虐殺し――洛陽を手中に収め、董卓軍の敗北は目に見えていた。

しかし、董卓軍の最後の柱、呂布は董卓とその側近を連れて洛陽から落ち延びており、戦場から姿を消していた事は誰も知らなかった。

 

―――唯一人、殿として残った彼以外は。

 

「…そんなものを話して、何になる?」

「話さずとも、伝わるさ」

 

鍔迫り合う様にして対する太史慈が、真っ直ぐに青年を見据えて話す。

 

「伝わるからこそ、分からないんだ」

「―――ハッ、知った風な口をきくなよ!」

 

太史慈の脇腹目がけて、青年の足甲に包まれた脚が飛ぶ。

だが、確かに入ったそれを意に介した様子もなく、太史慈は口を開く。

 

「愛した奴の為に命をかける……俺もお前も、似たようなもんだ」

 

それが的を射ていたからか、青年は一旦距離を取った。

そして再び剣を構え、太史慈を睨んだ。

 

「太史子義…成程、噂に違わぬ名将という訳か」

「また…そうやって逃げるつもりか!」

 

一喝。

太史慈の言葉に、青年の肩がビクリと震えた。

 

「知らない様だから教えてやる…俺は頭が悪い!物分かりも悪い!そして皆が思う程強くもない!!」

 

轟、と鳴り響くそれは、遥か天上を轟く雷鳴よりも更に強く青年の耳を打つ。

 

「だが―――だがそれでも!真の意味で『逃げた』事はない!!」

「―――それ以上、口を開くな!!」

 

激昂を露わにし、太史慈に襲いかかる青年。

その閃光は、しかし彼が纏う――青年とはまた違った――漆黒の鎧を食い破るには至らなかった。

 

 

 

「…まだ分からぬか!」

 

瞬間、青年の顔面を太史慈の剛腕が襲った。

 

      

 

純粋な、武と武とのぶつかり合い。

岩をも砕かん威力で振り抜かれた渾身の一撃は、確実に青年を捉えた。

 

「もう一度だけ問う!貴様はその武を、何のためにふるっている!?」

 

達人同士のせめぎ合いにおいて、刃を交えただけで相手の考えている事が分かるという話がある。

元々小難しい事を考える事が嫌いな太史慈にとって、『武』とは純粋に自分を語る事が出来る唯一の方法に近かった。

 

そして、それは相手と分かりあう為にも有効な方法だと彼は思っていた。

事実彼自身も、そうして今の主君である雪蓮を見出す事が出来た程なのだから。

 

だからこそ、青年の一撃一撃が彼には理解出来なかったのだろう。

 

「殿としての務めを果たす訳でも、己が誇りに殉じる訳でも、誰かの為に戦う訳でもなない……なんら目的のないそれを、一体何の為にそれ程極めた武を、貴様は自ら汚す様な真似をする!?」

 

肩で息をしながら、声を大にして太史慈は怒鳴る。

数メートル吹き飛んだ彼は――殴られた際に唇を切ったのだろう――滴る血を拭って、再び剣を手に取る。

 

「…………ハッ」

 

口元に笑みを浮かべ、青年は鼻をならした。

 

「…何が、おかしい?」

「いや……ただ、アンタは何がしたいんだろうなって…思っただけだ」

「言っただろう?俺は頭が悪い。そういった考え事は他の者に任せる…さっ!」

 

甲高い音と共に、再び鍔迫り合う両者。

数合打ち合い、再びかちあった時に、青年が口を開いた。

 

「…なぁ、一ついいか?」

「……何だ?」

「―――出会う場所が違っていれば、俺達は分かりあえたか?」

 

青年の言葉に、太史慈はただ笑みを浮かべた。

 

「……かも、な」

 

膨張する殺気の中、周囲にとっては刹那だったかもしれない。

だが、当人たちにとってこのやり取りは永劫にも思えた。

 

その身に奔る抑えようのない興奮に、昂りに、全身を震わせて彼らはただ吼える。

己が力の、全てを賭して。

 

 

 

目の前で繰り広げられる死闘に、愛紗はただその身が震えるのを覚えた。

 

一瞬にも、永遠にも感じられるその打ち合いは、終わりなき戦いは、しかし刻一刻とその終末へと歩を進めていた。

 

(孫策殿の軍勢も、戻ってきたか……)

 

そう。

既に中央広場はおろか、洛陽市街は完全に封鎖されていた。

 

幾重にも連なる将兵。

四方の門全てを重厚に塞いだ、鉄壁の守り。

 

残すのは、ただ彼一人だった。

 

董卓を名乗る者が各方面に現れた事に当初は混乱した連合軍ではあったが、それらも全て討ち果たした事で何ら懸念事項はない。

 

唯一と言ってよかった残る敵・呂布の消息についてだが、こちらは大軍、向こうは寡兵。後でも充分対応出来ると愛紗は踏んでいた。

 

だからこそ、残るあの青年を討てば全てが終わる―――筈だった。

 

(何なのだ……?この…言い知れぬ感情は)

 

だが胸中の何処かで、愛紗は言い知れぬ遣る瀬無さを感じていた。

 

連合の謳う大義名分は、盟主であり発起人であった袁紹の虚言。

それに反発した民と、私欲に溺れた連合の兵達をどれ程切り捨てた事か。

 

正義を信じて戦ってきた彼女にとって、それが如何ばかりの苦痛だったかは想像に難くない。

だからこそ、だろう。

 

目の前で戦う彼らが、あの二人が、どうしようもなく輝いて見えたのは。

 

「ハアアアァァァ!!」

「オオォォォ!!」

 

誰も手だししないのではない。

出来ないのだ。

 

自分と同じ様に、その戦いに見惚れていたから。

あまりにも純なるその闘志に、自分達が卑しく見えてしまうから。

 

―――いや、正確に云うのなら、そう思ってしまう自分に対して、か。

 

正義。

大義。

 

そんなものに縋らずとも、彼らはただ己が信念を貫き、道を往こうとしている。

そこにどんな決意があり、どんな信念を背負い、どんな覚悟をしているかは彼女の知る所ではないにしろ、自分たちとは天と地ほどの差があった。

 

故に、愛紗は気づくのが遅れてしまった。

大地を踏みならして、迫り来る者がいる事に―――

 

      

 

「―――!」

 

洛陽からやや離れた山林。そこで何かを感じたのか、突如として恋が勢いよく顔を上げ、後方を見やる。

 

望むのは、遥か遠くに見える――赤々とした焔が彩る――洛陽。

だが、視認出来るということは、行けない距離ではない。

 

「ねね…月と詠の事、お願い。……先に行ってて」

「恋殿?ちょ、恋殿!?」

 

それだけを告げて、慌てる音々音を余所に恋は方天画戟を引っ提げて片手で赤兎馬を駆り、行軍の列から離脱してそのまま山を下っていく。

一日で千里を走る名馬と謳われる赤兎馬は、主の焦燥の念を察知し、今までの生の中でも最も速く洛陽へと向かっていった。

 

 

 

『心配するなって。こっちも抜け道を使えば何とか逃げられそうだからな』

 

赤兎馬を貸そうとした恋に対し、彼はいつもの笑顔でそれを断ったのだ。

 

でも、それは何故?

 

洛陽から脱出する際、月達が使用した――意識のなかった月を連れて半ば強引に使った――抜け道を使えば逃げられなくもない。

だが、それでも洛陽の近くから――連合によって完全に封鎖されている――陸路を使わずに逃亡するには、洛陽周辺に流れる洛河を使って東に向かうしかない。

 

恋達も彼の言葉を信じてしまったが、それは決して信じるべきでは―――信じていいものではなかった。

重厚な兜の奥底に隠されていた覚悟に、彼女達は気付くことができなかったのだ。

 

『―――今を生きる人にとって、繋がらない過去は必要ないだろ?』

 

過去に囚われるなと、もしかしたら彼はそう言いたかったのではないか。

自分自身と……そして、これからの恋達に向けて。

 

 

 

恋は赤兎馬の上で、唇の端を噛み切ってしまう程に、あの時あの言葉の真意を理解してやれなかった自分を憎んだ。

その後悔が今に繋がっている事が情けなく、何としてでも彼の傍を離れるのではなかったと、そう思わずにはいられなかった。

 

風を切る音が益々強くなり、蹄が地面を蹴る音も同様に大きくなる。

意図せず恋が握る手綱にかかる力が強くなったのを赤兎馬が感じ取ったのだ。

 

正に紅蓮の火球となり、恋は、赤兎馬は大地を駆ける。

 

刹那、彼女の脳裏にそれまでの記憶が蘇る。

 

初めて彼と会った時。

初めて彼と共に食事をした時。

初めて彼と死合った時。

 

それから、それから―――

 

「―――ッ!?」

 

どうしてなのか。

どうして、今になって過去の記憶が流れるのか。

 

これではまるで―――

 

『―――行け、恋!!』

「…ヤダ」

 

恋の心の叫びは赤兎馬の足となって戦場に舞い戻る。

 

『生きろよ、恋』

「イヤだ……」

 

彼を助けるために、彼との約束を果たすために。

 

『―――愛している、恋』

「――――――!!!」

 

彼女の絶叫は、雷鳴の中に鳴り響く。

最も大切な存在の元へと、飛将軍はただ走った。

 

      

 

「何ですって!?」

「呂布だと……!?」

 

誰も再現など出来ない速度で戦場に戻った恋は、片膝をついたまま俯いている彼の元へ赤兎馬を降りて駆け寄る。

 

最早周囲の状況など――取り囲む連合の兵も、眼前で悦に浸っている張郃も――恋には関係なかった。ただそこに愛しい彼がいるから、恋はそこに来たのだ。

 

「……れ、ん…?」

「……!」

 

声にならぬ悲鳴を上げる恋。

別れる前までは大した怪我などなかったはずなのに、今は身体の至る所から血を流し、満身創痍の状態であった。

 

血を吸って重みに耐えきれなくなり、破れた衣服の一部は地面に落ちてその周囲の地面に黒いシミを作り出していた。

 

青年は肩に触れられ、ようやく顔を上げる。

しかし、そこには皺の刻まれた驚愕だけが存在しており、彼がいつも恋に見せていた穏やかな微笑みはない。

 

「なん、で…戻ってきた!?」

「嫌な予感がしたから…」

「馬鹿……死にたい、のか」

 

恋の寂しさを湛えた言葉に苦笑を深めると、彼はそのまま剣を落とし、正面の恋に向けて倒れこんでしまう。

突き立った剣からは一筋の血が垂れ、降りしきる雨の中にあっても尚失われない刀身の輝きは一層光を強めて輝いていた。

 

恋は青年の体を優しく受け止め、首筋に腕を回して自身の顔に近づける。

すると、彼は空いた右手を恋の頬へ伸ばし、その感触を確かめるように優しく撫で始めた。

 

「悪い…ちょっと、頑張りすぎたな」

「…………」

 

彼が触れた部分が血の赤に染まるが、恋は気にせずその手を握り返す。

 

 

 

「…大丈夫。恋が、頑張る」

 

それは、小さな声音だった。

だがそこに秘められた確たる覚悟は、最早一片の揺るぎも見せない双眸が雄弁に語っていた。

 

「月も、詠も、ねねも…一緒。だから、ね?」

「……参ったな。それじゃあ、俺一人倒れている訳にもいかないだろ?」

 

青年の言葉に、しかし恋はフルフルと首を横に振った。

 

「大丈夫。恋が、全部倒す…」

「ん……じゃ、少しだけ、任せるか…」

 

言って、青年は静かに瞼を閉じる。

それを慈母の表情で見守った恋は、近づいてきた赤兎馬に彼の身体を手綱で巻きつけて顔を数度撫でる。

 

すると赤兎馬はまるで全て承知したと言わんばかりに唸り、再び連合兵の囲いを食い破って駆けていった。

 

 

 

「話は終わりましたか?」

 

一連の二人の行動をただ黙して見守っていた張郃は、言って大鎌を構える。

先に青年の背を襲ったその刃に恋の姿を映し、彼は不敵な笑みを浮かべた。

 

「仲間の危機に単身現れるとは劇的ですね……ですが、舞台に上げる訳にはっ!?」

 

瞬間、鋭い閃光と共に鎌が砕け散る。

何が起きたのか理解出来なかった張郃は、その一瞬の隙で遥か後方の瓦礫の山へと吹き飛ばされた。

 

「…………」

 

その胸中に渦巻くのは、愛しい彼を奪った者への憎しみか、彼の決意を推し量れなかった自分への怒りか。

 

いずれにしても、一度その片鱗を覗かせた武の境地に、彼女は再び立とうとしていた。

 

「…………」

 

殺気が物理的な圧力を伴って、音を立てて空間を軋ませる。

常人は元より、武に通じた者さえも倒れてしまいそうな程に凄まじい闘志は戦場を、洛陽を包みこむ。

 

気がつけば、雨は上がっていた。

ただ雷鳴だけが轟々と響き、一筋の雷光が――恋の背を向けた方に――落ちる。

 

「……行くぞ」

 

 

 

その日、帝都洛陽の戦い。

後世にまで語り継がれるであろう、一人の鬼神の武勇譚が生まれた。

 

      

 

これは事後談になる。

 

俺が目を覚ましたのは翌日の事で、そこから随分と慌ただしかったので簡略な解説と共に端的に話すとしよう。

 

まず最大の懸念事項であった帝の消息は不明。洛陽も、民と連合との戦いですっかり荒れ果ててしまった為に袁紹以下の諸侯はさっさと自国に引き上げてしまい、そのまま放置されるのかと思われていたが、華琳が名目上は「都市復興」としてその統治権をすんなりと得る事に成功した。

 

実はその最中、袁紹の一連の行動を痛烈に非難した後漢王朝の大学者――司馬懿が師事していたらしい――蔡邕が袁紹になぶり殺しにされるという事件があり、その死を知った司馬懿が塞ぎこんでいたのだがそれはまた後日語るとして……。

 

そしてまぁ、俺の知る通りというか何と言うか、ともかく華琳は予想通り献帝を保護していた。そして新たに『許昌』へと遷都し、自らは実質的な権力を一手に握って天下へと名乗りを上げた。

……ああ、帝も『女の子』だった事に今更驚く程、俺もやわじゃないよ?嘆息こそ漏れたけどね…。

 

それで、朝廷は――といっても形だけだが――華琳を大将軍、袁紹を大尉に任じようという命を出したのだが、これが後に禍根となる。

 

両者共に後漢の軍事最高位にあたる称号なのだが、大尉の方が名誉職の意味合いが強いらしく、実権で言えば大将軍より下に見られるというのだ。

それを聞いた袁紹が激怒して、しかも今まで散々な目にあわされてきたからか、ここに至ってとうとう対立が決定的なものになった……と、治療中に俺の部屋で華琳に聞かされた。

 

他にも劉備さんが華琳の領地からほど近い徐州の牧に任ぜられたとか、孫策さんが呉群の太守に任命されたとか、色々な事があったらしいのだが……。

 

 

 

「浮かない顔をしているわね…どうかしたの?」

「いや……ただ、いよいよ始まるのかなって」

 

そう、本当の戦いはここから始まる。

血で血を洗う、群雄割拠の戦国乱世が、始まろうとしていた。

 

 

次回予告

 

 

 

 

 

時代は、遂に群雄割拠の乱世へと移る。

 

 

 

「母様……もう少しだけ、待っててね」

 

決意を秘めた牙は、江東を駆け―――

 

「怯むな!大軍なれど敵は脆弱、押し返せぇ!!」

 

信念の元に集う刃は、偽りの天を穿つ―――

 

 

 

「覚悟はいいか!袁紹!!」

「この三国一の名族たる私を虐げた罪、万死を以て購わせてさしあげますわ!!」

 

北の大地に両雄は激突し―――

 

「どうあっても、戦うというのか……朱里!」

「どうして……どうしてですか!?仲達くん!!」

 

西へと続く坂に想いはすれ違う―――

 

 

 

「この戦いで、天下へと王手をかける」

「我らが結べば、必ずや曹操を打ち破れましょう」

 

―――そして

 

「我らが迎え撃つべきは―――」

「決戦の地は―――」

「「赤壁」」

 

英傑たちは今、赤壁へと集う。

 

 

 

新・恋姫無双 ~美麗縦横、新説演義~ 蒼華繚乱の章

 

激動・群雄割拠編

順次更新!

 

                                  ……出来るかな?

 

 

後記

茶々です。

蛇足気味に第七話投稿しました茶々です。

 

内容を膨らませるというよりもグダグダ続けただけな気がする第七話ですが、これを外すと結構キツイなぁ……と考え投稿しました。

 

月達は劉備軍へと降りませんでしたが、はてさてどこへいくのやら……

 

あ、今回茶々的にはブラック風味だったので一刀はチャキチャキ退場させました。まだ人を斬るには早いでしょ……え?そんなことない?

 

 

 

そんなわけで(どんなわけで?)遂に連合編は終わり官渡やら長坂やらへと話は進みます。

赤壁は……多分長坂終わった辺りで一旦区切ると思うので(以前書いた時にエライ長くなった記憶が……)もうちょい先ですが。

 

あと余談ですが、もしかしたら長坂まではちょいちょい端折っていくかもしれません(官渡は普通にいくと思いますが)。

 

何はともあれ…今後もお付き合いのほど、宜しくお願いします<m(__)m>

 

 

 

更に余談ですが、イメージソングを変えようと思います。

 

OP『Lunatic Tears』(日本語表記だと十一眼の病んがメインヒロインぽいアレのXBOX版OPです)

ED『Agony』(Youtubeで聞いて一発で惚れた曲です。原作知りませんがorz)

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
16
1

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択