No.120952

魏√ 暁の彼は誰時 8

ゆっくりしか書けない自分が歯痒いのですが、それでも読んでくださる方がいらっしゃれば幸いです。
また、コメント等のご返事できなくて申し訳ございません。
なんだか恥ずかしい限りで……

2010-01-28 00:34:13 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:5512   閲覧ユーザー数:4304

普通の感覚では信じられないことだが、一刀はこの場でひとつの覚悟をもっていた。

 

(まかりまちがえば斬られるかもしれない)

 

ということである。

 

しかしそのことはおくびにも出さず、若い女性を見つめている。

 

いかにも高貴な風貌で肌も透き通るように白く、赤い唇が際立っている。

 

女性にとっては生まれてからこのように見つめられたことはない。

 

(おかしい)

 

と女性は目を疑ったほどだった。

 

ふつうならばその無礼を咎める風景である。

 

だが一刀の漆黒の瞳で覗かれると、眩暈を覚えるようなふしぎな感覚にとらわれた。

 

膝から力がぬけ、身体がなんともならない。

 

ほんのわずかの後、じっと見るのは礼儀ではない、一刀はそう思うと自然と右膝をついて会釈をした。

 

やっとその視線から外れることができると、

 

「一とはそなたのことか」

 

と、聞き取り難いほどの声で、しかし食い入るように一刀を見つめながらいった。

 

「えっ」

 

今度は一刀のほうが仰天した。

 

この女性はどうして私のことをしっているんだろう。

 

実は婆ちゃんが女性に伝えていたのだが、この時の一刀にその事を知る由はない。

 

(やはりこの者は見込みがある)

 

と女性は一刀を見たときからそう思っていた。

 

事実、農家の娘らしくない。

 

愚の如く構えているようだが、その居は堂々としており、動きに無駄は感じられない。

 

それにもまして心の闇がわずかに滲み出ているその瞳の美しさと危うさは尋常ではない。

 

洛陽や許都でずいぶん人を見てきたが、これほどの者はみたことがない、と女性は思った。

 

だからこそ、婆ちゃんの言に従い鹿狩りと称しここまでやってきたのである。

 

「一」

 

と一刀の返答もまたず、いった。

 

「あそこのウサギをその矢でうてるか」

 

気付けば向こうの草むらに茶色のウサギがいる。

 

草の芽を食べているようだった。

 

「あのウサギを……」

 

一刀は小声でいった。

 

言った後、観念したようにしずかに動き始める。

 

ウサギが一刀を見た。

 

陽の光のなかで、ウサギの細い瞳が揺れ動いている。

 

すると、驚いたことにぴょこんと一歩、一刀の方に跳ねてきた。

 

一刀はウサギを見つめながら、自らの意識を遥か彼方へと追いやった。

 

空虚な身体となったことにウサギは安堵したのか、一刀に向かって吸い寄せられるように跳ねてきた。

 

そのまま右足の側に寄ってきた。

 

不意に一刀は手に持っていた矢をあげ、足元のウサギの鼻に「ちょん」と触れた。

 

触るかどうかのやわらかい当たりである。

 

だが、その瞬間には空虚だったはずの身体に意識が満ちており、矢にも充分な意思が込められていた。

 

驚愕のあまりウサギの目はあり得ないほど見開き、転ぶかのように草むらの向こうに飛び跳ねていった。

 

「いかがでしょうか」

 

と、一刀はしずかに女性を見上げた。

 

その一部始終を眺めていた女性は血の気を失い、顔が蒼白になっていた。

 

「野に人は残っていたのね……」

 

とつぶやいたのは、それからかなりの時がたってからであった。

 

「いままでさまざまな人物を見てきたけど、ひとかどの者はすべてこの手にできなかった。

 

 野にいる者はみな望みの者ではなかった。

 

 しかし、いま、そなたに会えた」

 

と、一刀の顔をゆっくりと正視した。

 

一刀も女性もただごとではない胸騒ぎがしていた。

 

自分たちのこれからを変えていってしまうような運命的な予感がしたからである。

 

「おそれながら、貴女さまはなんとおおせられます」

 

会ったときと同じ、胸に染みとおるような笑顔で一刀は問いかけた。

 

「劉協伯和」

 

女性は早口でいった。

 

漢王朝の皇帝陛下その人である。

日が暮れてから、一刀が帰ってきた。

 

裏で足を洗ってから土間へあがり、「ただいまもどりました」とあいさつをする。

 

そこで婆ちゃんの他にもう一人の女性を見ると全身で驚きを表した。

 

「今夜は落ち着いてゆっくりと話を聞かせてもらうよ」

 

と、いった。

 

一刀はそういう劉協に接すると心の中を颯々とした風が吹き通るようなふしぎな感触にとらわれた。

 

下座にさがり、

 

「今日はまことに」

 

といって目を閉じ、頭を静かに下げた。

 

一刀にすれば、今日の行いに対して非礼を詫びるつもりである。

 

それを動作と表情だけで示した。

 

劉協は気付かれないように近づいていく。

 

そのまま不意に人差し指で一刀の鼻に「ちょん」と触れる。

 

目がぱっと開き、一気に後ずさる。

 

「きょうのウサギみたい」

 

と、劉協は大笑いした。

 

結局婆ちゃんが鶏をつぶし、酒になった。

 

3人とも行儀よくきちんと膝を折り正座をしている。

 

婆ちゃんが酒をそれぞれの茶碗に注いでいく。

 

注ぎ終わると、「うん」といって、酒のはいった茶碗をあげた。

 

「うん」とはなんとも意味不明だが、この場のあいさつとしては似つかわしい気がした。

 

姿勢を正して一刀は両手で茶碗をあげた。

 

ひと口飲んでから話しをはじめた。

「粗雑だけれど、的を得た人物整理法があります」

 

3人ともだいぶ酔いが回ってきた頃、婆ちゃんがそんな話をした。

 

「少しお待ちください」と、木片と筆を用意してきた。

 

劉協と一刀にそれを渡すと、

 

「お互いにふさわしいと思う一字を書いてくださいませ」

 

といった。

 

それぞれこの文字のような方という印象だけで、あまり深く考えずに思ったとおりにお書きください、と婆ちゃんはいう。

 

一刀も目の前の女性にふさわしい字をいそいで探し、一字をつかまえた。

 

劉協も探し当てたらしい字を木片に書いている。

 

それぞれ書き終えると、同時に差し出した。

 

それは、

 

 

 

……つづく


 
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