No.1177497

Dr.BEM~ペドフィリアは狂気なのか(下)

ペドフィリア(思春期前の児童に対して性的に惹かれるセクシュアリティ/小児性愛)へのコントロールを失えばパラフィリア(性的興奮を得るための方法が、他者に苦痛・屈辱を与える)いわゆる狂気へと進化していくのは当然。ペドフィリアの怪物マコトがリエに手綱を取られて怪物退治へ旅立つ。

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2025-11-23 22:14:39 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:56   閲覧ユーザー数:56

 

5.これは喧嘩なのか、新手のイチャイチャなのか

 

 マコトは対面に座る女性へ顔を向けながらも肩越しに後ろの風景を見ていた。対面に座る女性は自分の性格だとか自分の趣味とかを話題に盛んに口をうごかしていたが、その内容はマコトの耳に入ってこないでいた。

 古参の看護師からしつこく勧められていたお見合いの席。彼には結婚する気など毛頭なかったが、リエと一週間の共同作業をすることによって、他人とコミュニケーションをとる自分自身の拒否感が薄らいでいるのではと考えていた。もしかしたら自分にも普通の人生を送るチャンスがあるのかもしれない。そう思えるくらいリエとの共同作業はマコトの心に変化をもたらしたのだ。

 そんな背景もあったのか今回は断り切れず、自分へのテストの意味でこのお見合いを承諾した。古参の看護師は喜んでいたが、マコトはその席へ座った瞬間に後悔した。やはり無理だ。相手が話している内容に興味もないし理解もできない。極端に言えば、相手が同じ種の生物と思えないでいた。リエとはまともに話せたのになぜなのだろうか。

 佐久平から帰京したマコトは東京駅でリエと別れた。彼女は警視庁へと叫びながらタクシーに飛び乗るとマコトを振り返りもせず行ってしまった。その晩彼女から電話があり、彼女の説得で小規模ながら捜査チームが編成され本格的な捜査が始まることを知った。

『でもね……マコト先生。これから正式な本庁の捜査になるから、以後は一般人を捜査に巻き込むことはできないみたいなの……』

 そうなのか……。マコトが熱くなっていた狂気を繰り返す犯人捜しが、いきなり幕を下ろすことになってしまった。普通に考えればもっともな話なのだが、本音のところではリエに突き放されたような気分だった。

 そもそも自分はなんでこんな犯人探しに夢中になっっていたのだろうか。子どもを守る正義感?いやいやそんなはずはない。今まで何のスポーツや芸術、そして趣味に情熱を燃やしても自分の狂気性を決して忘れることはできないでいた人生だった。だがこの犯人探しでは、犯人に近づき彼の狂気の影がリアルになる従い自分の狂気が薄らいでいくような錯覚を覚えることができた。子どもを守りたいという偽りの正義感のマントで自分を覆うことで、彼はしばらくの間は脆弱ながらもちょっとした安心感を抱くことができていた。

 だがリエがマコトの家から捜査資料を引き揚げてから2週間が経った今、マコトはそれ以前となんの変わりもない自分を自覚せざるを得なかった。結局自分の狂気性におびえながら過ごす日々。何も起きないように、無気力にただ自分の性欲と命の時間が尽きるのを待つ人生。

「市原さん……市原さん」

「えっ?」

 彼は目の前に座る女性から問いかけられて今の状況を思い出した。そうだった、古参の看護師のお節介でお見合いをしているのだった。

「嫌ですわ、聞いてらっしゃらなかったんですか?」

「す、すみません」

「市原さんは今の診療所をお継ぎになるのですよねとお聞きしたんです」

「ああ、そういうことですか……ええ、父が引退すればそういうことになるでしょうね」

 相手の女性はマコトと付き合うことより、ゆくゆくは診療所の院長になる医師と付き合うことの方に関心があるようだ。

「もし……市原さんが家庭をお持ちになったら子供は何人くらい欲しいとお考えですか?」

「こどもですか……」

 現実には自分の子供を持つなんて考えたこともない。というか考えるだけで恐ろしい。自分は自分の血を分けたこどもを前にしてどうなってしまうのだろうか。やはり性的興奮を得るのだろうか。そんな鬼畜が父親になって良い訳がない。あらためて自分はペドフィリアという狂気を持つ人間であることを呪った。

 リエは自分が狂気の持ち主であることを知っているのに、なぜ自分との共同作業を平気で進めることができたのだろうか。捜査に必要だったからとはいえ、リエが自分に接するその態度には何の嫌悪や躊躇もなく、時には好意すら感じられる信頼感を自分に示していた。もしかしたら自分が恐れるほど他人は自分を忌み嫌うわけではないのか……。リエの態度はそんな錯覚を起こさせる。

 しかし勘違いしてはいけない。マコトは慌てて自分自身に言い聞かせた。彼女は反社会的な異常者を相手にする仕事柄、犯人を捕まえるためには自分みたいな怪物とも平気で付き合える特別な神経の持ち主なんだ。今ここで目の前の女性にカミングアウトしたらどうなるだろう。彼女はきっと侮蔑と恐怖の視線を自分に向けてこのレストランから逃げ出し、大勢の人々を引き連れて自分を抹殺しにくるにちがいない。

「こどもは……持つ気がないというか……」

「何言ってんの!だったらなぜ私のおなかの中にあなたのこどもがいるのよ」

 マコトの背からいきなり女性の大声が聞こえてきた。驚いて振り返るマコト。

「あっ!リエさん。なんで……おなかのこどもって……」

 マコトのお見合い相手は、見知らぬ女性の突然な登場に驚いたものの、やがておなかをさすりながらマコトの横に仁王立ちする女性が言っている意味を悟る。

「市原さん!そういうことなんですか?」

「えっ?いや、そうじゃなくて……」

「馬鹿にしないでください!」

 怒った見合い相手は、狼狽するマコトの顔にコップの水を見舞うと、席を蹴って出て行ってしまった。慌てながらも彼は、この程度の理由じゃ見合い相手が大勢の人を引き連れて殺しに戻ってくるほどにはならないと、複雑な安心感に浸っていた。

 一方、見合い相手の後ろ姿を見送ったリエは、ニヤニヤしながら空いた席に座る。今更であるが、リエの目の前のテーブルに注文していた料理が運ばれてきたのだ。

「わあ、久ぶりに見るまともな食事。誰も食べないならいただくわよ」

 リエは図々しく食べ始めた。忙しくナイフとフォークを動かす彼女を見つめながら言葉を失うマコト。

「ところでずぶ濡れのお顔、拭いた方がいいわよ」

 料理を頬張りながらおしぼりを渡そうとするリエの手から、乱暴におしぼりを奪うとマコトは彼女に抗議する。

「なんでこんな韓流ドラマみたいな嘘ついて相手を怒らせるんです!」

「だって……話がなかなか終わりそうにないから」

「用があるなら電話すればいいじゃないですか」

「スマホの電源切ってたでしょ」

 そうだ。彼はお見合いの相手に失礼かと電源を切っていたことを思い出した。

「診療所に連絡したらここだって教えてくれたから……まさか、お見合いしてるなんて、びっくりしたわ」

「びっくりはこっちですよ」

「それに……私の知らないところでお見合いするなんて言語道断だわ」

「どうしてです?僕が何しようとリエさんには関係ないでしょ」

「だから……いや、そもそも結婚もする気がないのにお見合いするのは相手に失礼でしょ」

「確かにそうかもしれないけど……」

 痛いところを突かれたマコトは形勢が悪くなる前に話題を変えた。

「最後に東京駅で別れてから捜査は進んでるのですか?」

「進んでいるというか……」

 リエはマコトの質問にまともに答えず欠食児童のように料理を頬ばる。その様子を見ながらマコトは、とにかく今までまともな食事や睡眠がとれていないほど捜査に動いていたのだろうと理解した。

 ようやくリエのナイフとフォークが止まり、彼女の落ち着く頃合いを見計らってマコトは再度問いかけた。

「ところで、いまさら一般人の僕に何の用があるんですか?」

「そうでした!」

 リエはそう言うと強引にマコトの手を取った。暴漢に襲われた傷はすっかり回復しているようだ。

「今は説明をする暇がないの。すぐ本庁に同行して」

「ええっ?本庁?」

 リエに腕をつかまれ店を出たマコト。刑事に逮捕連行されるのはこんな感じなのか。マコトはリエのたくましい腕に身動きが取れないほどがっちり固められてそんなことを思っていた。

 

 マコトがリエに連行?されたのは本庁の会議室で、地味な服装で重い息を吐く男女の一団が彼を待ち構えていた。

「すみません。突然お呼びだてして」

 一団の中で年長と思われる男性が、いかにも人工的な笑顔を浮かべてマコトに挨拶する。その横に座っている女性は見たことがあった。そうだ、以前リエを治療した病院で会ったリエの先輩だ。

「私は今回の捜査チームを束ねているチーム長の高岡です。それに副長の萩原」

 萩原の性格を知るマコトは身を固くして頭をわずかに下げるのみであった。

「他は今回の捜査メンバーです」

 会議室のメンバーはそれぞれマコトへ精一杯の歓迎の微笑みを投げかけるが、どんなに人懐っこい笑顔を作ったとしても、日頃凶悪な事件や悲惨な事件現場に接しているであろうメンバーからは、悪を許さぬ分厚いオーラしか感じられない。そんな中にマコトが投げ込まれたのだ。ここへ到着する前にリエから、彼に関することは整形外科医であること以外は何も知らないと聞かされてはいた。しかしこんな人たちの前では、ペドフィリアとしての自分の狂気がすぐ看破されてしまうのではないかと心底恐ろしかった。

「吉岡もこのチームのメンバーですけど紹介する必要ないですよね。先生とお付き合いしてるとか……」

 高岡の紹介にリエがマコトの腕に自分の腕を通し大げさにマコトに身を寄せる。

「そうなんです!ラブラブなんですよね、マコト先生」

 マコトはリエの奇行に驚いたものの、彼女のその腕から体温や柔らかさを感じると少し落ち着きを取り戻した。リエは彼の恐怖感を察知して緊張を和らげようと少し大げさな行動をとったにちがいない。

「吉岡!ラブラブはわかったけど、ここは職場よ。ちょっとは自重しなさい」

「はーい」

 萩原の注意にリエは頭を掻きながら身を離した。そんなやりとりで会議室のメンバーが爆笑するも、マコトはみんなにわからぬよう机の下でリエの手を握った。これから何が起こるかわからないが、とにかくリエを傍に感じていたかったのだ。

「ところで、自分がこの席に呼ばれてた理由はなんでしょうか?」

 ひと通り笑いが治まるとマコトが恐る恐る高岡に尋ねる。

「ああ、すみません。ご説明が遅れまして。実は私たちは……」

 高岡は黒板の一番上に書かれた捜査チームの名前を指さす。黒板の上部には大きな文字で『女児連続失踪事件』と書かれていた。

「ここにいる吉岡の捜査で判明した連続性のある女児失踪事件を捜査しているチームでして……」

 その初期捜査にマコトがかかわっていることはみんな知らないらしい。リエは彼を申し訳なさそうに見ていたが、実際そのことを主張すれば彼の性癖も世間に曝されてしまう。仕方ないことだ。『いいんだ大丈夫、気にしていないよ』と目でサインを返した。高岡は説明を続ける。

「……で捜査の結果、イオンモールのイベントスペースで実施されていたあるイベントが大きく関わっていることが判明したんです」

 そうか、イオンモールでやっていたイベントが失踪事件を関連付けるカギだったんだ。マコトは改めて、リエの顔を見つめて『よく調べ上げたね!』のサインを送る。リエは嬉しそうだった。

「それで……そのイベントというのは?」

「ロコモ予防推進プロジェクトが主催する『ロコモを知る教室』です」

「それって確か市民向けのロコモティブシンドローム予防啓発イベントじゃないですか?」

 マコトは自分の専門に近しい言葉が出てきて思わず声が出てしまった。

「さすが整形外科の先生ですね。日本整形外科学会もからんでいるのでご存じなのも当然かもしれませんが……」

 ロコモティブシンドロームとは、運動器の障害や、衰えによって、歩行困難など要介護になるリスクが高まる状態のことである。一言で言えば運動器機能不全のことで、日本整形外科学会が2007年に提唱した呼称である。同学会やそれに関連する団体がその名称のもとで予防啓発を行っていたのだった。高岡が言葉を続ける。

「このイベントはロコモに関連する製薬会社や企業をスポーンサーとして、モールへ訪れる一般市民にロコモ度チェックの体験やロコモ予防体操の紹介などを通してロコモの予防啓発をしているみたいですね」

「それなら自分も学会報で知ってます」

「このイベントの開催会場と開催日が、失踪届のあった場所・日程と重なるんですよ。つまりそのイベントがあった時に付近で女児の失踪届が出されているのです」

 マコトはその事実に絶句した。そうか、だからコロナ禍でイベントを休止していた期間である2020年から2022年の3年間、事件は発生せず間があいたのか。マコトは横に居るリエを見た。彼女は軽くうなずいていた。

「では……推進プロジェクトの中に犯人がいると?」

 マコトは意気込んで高岡に問いかける。

「いや、そう考えるのは早計ですよ。市原先生。もちろん我々もその可能性を含みつつ極秘でイベントの裏を取りました」

 高岡が黒板の前に書かれた4名の氏名を指さす。

「イベントには学会の人間は立ち会っておりません。毎回立ち会うのはこの4名です」

 高岡の言葉の後を継いで萩原が資料を読み上げた。

「1人目は三室哲平。男性。45才。プロジェクトの事務局からイベントの運営を委託されている代理店の営業です。2人目は安田俊樹。男性40才。三室からイベントの制作運営の発注を受けているプロダクションのチーフディレクター。3人目は石津泰秀。男性。67才。主にイベントの設営を担当しているアシスタントディレクター。最後のひとりは吉岡政紀。男性。40才。イベントの運営担当のアシスタントディレクターです。いずれの人物も小児性犯罪の犯罪経歴はありません」

 萩原の説明を受けて高岡は彼らの写真が貼られた黒板に仁王立ちして言った。

「イベントは毎回木曜の夜仕込みで、金曜から日曜の3日間開催され、日曜中に撤去します。もし本当に女児の連続失踪事件にこのイベントが関係あるのだとしたら、我々はこの3日間のイベントに立ち会うこの4名の中に犯人がいるのではないかと考えています」

 高岡の言葉に煽られたように、この会議室のすべてメンバーの瞳に邪悪を許さぬ炎が見え隠れしていた。この2週間、彼らは相当な執念を持って調べ続けたに違いない。よく見ればリエの眼の下にもうっすらクマが出ているように見える。マコトは寝食を忘れてここまで調べ上げた吉岡やチームの捜査努力に頭が下がった。だがなぜ自分はこんなジャスティスリーグに呼ばれたのだろうか。

「で……自分がここに呼ばれた理由は?」

 マコトの問いに高岡の声質が若干ソフトに変わった。

「イベント中に来場者の質問に個別に応える『ロコモドクター相談コーナー』が有るそうですね」

「自分はよく知りませんが……」

「調べたところ、毎回そのコーナーにはプロジェクトからロコモドクターが派遣されて、来場された一般市民の相談を受ける企画のようなのです」

「それで?」

「……市原先生もロコモドクターですよね」

 高岡が諮るような眼で誠を見つめた。

「ええ、自分も登録していますが」

「……次回のイベントが2週間後、富山県高岡市にある『イオンモール高岡』で実施する予定なんです」

 そうか高岡市の子どもたちに危険が迫っているんだ。マコトはそんな懸念とともに嫌な予感がした。

「市原先生。そこへロコモドクターとして行ってもらえませんかね」

 高岡の思わぬ依頼に絶句するマコト。無理やり自分を落ち着けて彼は言った。

「行ってどうするんですか?僕に犯人を押さえて、犯行を止めるなんてことできるわけないでしょ!」

「いや、先生にそんなことお願いするつもりはありません。実はこの手の事件は現行犯逮捕でなくてはなかなか立件が難しくてね。先ほどの4名にはしっかりと監視を付けますが、イベントの開催中の動きに関しては監視対象の動きが拠点化しているので、監視が目立って対象に気付かれやすいのです。過去には尾行に気付かれた犯人を半殺しにした黒歴史もありますし……」

 高岡はそれとはなくリエに目をやった。彼女はニヤニヤしながらうつむいていた。

「市原先生にはできる範囲でイベント実施会場内での彼らの動きを見てもらい、イベント会場から抜け出すなど動きがあったら報告してほしいのです」

 整形外科医に潜入捜査をしろだと!マコトの知っている映画の範囲では、潜入捜査員の末路にろくなことはなかった。

「そんな事……急に言われても……自分にできるかどうか……」

 彼は困ったようにリエに助けを求める。

「それに、2週間後なら既に派遣される先生は決まっているだろうし……」

 そんな彼を突き放すようにリエが言った。

「確かプロジェクトの理事にマコト先生の大学の先輩がいるわよね」

「えっ、そんなことまで調べたの?」

「理事に直接電話して頼めば何とかなるわよ」

「……だけど……向こうは覚えているかどうか……それに」

「それに何よ!」

 診療所での診察では、ある程度対面する患者の属性をコントロールすることができていた。しかし、オープンな場所で無差別に訪れる人々と面会して相談に乗るなんて、いつ自分のパンドラの箱が開いてしまうかわからない。いつまでも逡巡するマコトの態度に、ついにリエが切れて佐久平での彼の言葉を持ち出した。

「マコト先生!以前お蕎麦屋さんで『僕は何だってするよ』って私に言ったことば、嘘だったとは言わせないわよ!」

 マコトの手を強く握り返してのリエの一言に、当の本人であるマコトはもう抵抗ができなかった。リエは説得したつもりだったが、周りは強要で相手に承諾させたとしか思えない。ふたりの様子を見ていた周りのメンバーは、仮にこの二人が結婚したとしたなら、きっとそれは彼のプロポーズではなくリエの強要によるものであろうと、目の前の男に多少の哀れを感じていた。

 

 富山県高岡市にある『イオンモール高岡』は2002年9月に開業した北陸最大のショッピングモールである。 北陸新幹線の新高岡駅へ近い場所に位置してるとはいえ、まだまだ住宅の狭間に畑や空き地も垣間見ることができる振興の街である。敷地面積は約20万5千平米、 延床面積約14万平米。その中の専門店街のある1階のフロアに東館 セントラルコートという約百十平米ほどのイベントスペースがある。マコトが向かったイベント『ロコモを知る教室』はここで行われる。

 北陸新幹線で開幕当日に会場入りしたマコトは、スタッフたちに笑顔で迎えられた。

「市原先生、遠いところにおいでいただいてすみません」

 口火を切ったのは三室である。

「学会の事務局からお聞きしたのですが、お住まいが東京なのに、趣旨に賛同して志願していただいたのですね。ありがとうございます」

 三室の口調は親しげでソフトだった。しかし、もしかしたら彼が狂気の持ち主かもしれないと思うと、マコトも身を固くせざるを得なかった。

「うちのスタッフを紹介します。まずチーフディレクターの安田」

 会釈する彼は成人のクラブで草サッカーを現在も続けているらしく長身で体躯のしっかりした男だった。

「そして、アシスタントディレクターの吉岡」

 彼のそっけない挨拶とその風貌で、マコトは彼が秋葉原に徘徊するようなオタク系ニートにちがいないと想像した。

「同じく主に設営を担当するアシスタントディレクターの石津です」

 ひげを蓄えて髪の毛の薄い初老の男が笑顔で挨拶してきた。

「自分は本日のオープンを確認したら本日中に帰京しますがよろしくお願いいたします」

 石津と名乗る男は少し枯れた声で言った。そうか、この男は明日にこのイベントから姿を消すのか……。この得体のしれない笑顔を作る4人の男たちに囲まれながらも、現時点では時間的空白が多く作れるこの石津という男がいちばん怪しいのではとマコトは思った。

「では早速ですが、相談コーナーの段取りを……」

「先にひとつだけお願いがあります」

 マニュアルを基に進行の説明をしようとした安田をマコトが遮る。

「私はどうも子どもの五月蠅いが苦手で……相談の邪魔にもなるのでコーナーにはできるだけ子どもを入れないようにお願いします」

 マコトにとっては切実なお願いなのだが、それを聞いたスタッフたちはよほど子ども嫌いな先生なのだろうと勝手に解釈していた。

 

 イベントがオープンした。金曜の平日だというのにイベントは盛況である。会場がイオンモールということもあるので家族連れが多いのだが、相談希望者となると俄然高齢者が多い。ペドフィリアを持つマコトにはせめてもの救いだった。

 相談コーナーはあくまでも相談であって、診察ではない。医療法では 医行為の行われる場所は病院,診療所などに限られると定めている。だから結局病名や治療方法も言わず最後は『医療施設でしっかり診察してもらってください』で終わる。相談者はちょっとガッカリした顔で相談コーナーの席を立つのだが、実際の医師が来ていると知ると相談希望は後を絶たない。

 多くの相談希望者を捌きながら、かつスタッフの動向を監視するのは結構ハードな仕事だった。一日目が終わり、ぐったり疲れても自分のホテルには戻れない。捜査チームの拠点となっているホテルへと急ぎ、今日の状況の確認ミーテイングをしなければならないのだ。今もイベントスタッフの監視は行われており、高岡、萩原、リエの3人がホテルの一室で待ち構えていた。

「萩原、実際の彼らを見たところで、一度プロフィールを見直しておこうか」

 口火を切ったのは高岡である。

「はい」

 萩原が高岡の指示にプロフィールを読み上げた。

「まず営業の三室。既婚ですが子どもは無し。次にチーフディレクタの安田。、既婚で2男1女の3人のお子さんがいます。ADの石津はバツイチで前の奥さんとは二人の息子がいます。最後に同じADの吉岡。未婚40過ぎまで独身を貫いてます。石津、吉岡ともこの仕事の為に安田から召集された外部スタッフのようです」

「既婚者は容疑者としての可能性は低いのかしら……」

 リエのつぶやきにマコトが反応する。 

「既婚者だからと言ってペドフィリアを持っていないとは言い切れないよ。それに子どもがいたとしても同様だ。ペドフィリアは確かに先天性な要素が強いが、結婚後や出産後などに何かの拍子で覚醒することもあるのだから」

「へぇー、そうなんだ」

「ところで先生はなんでそんなにペドフィリアにお詳しいんですか?」

 マコトの解説を拝聴しながら高岡が彼に尋ねた。

「えっ?それは……」

 高岡の問いにとまどうマコトをリエが救った。

「マコト先生は心療内科も勉強してるから当然ですよね……そんなことより、もし今回も犯人が動くとなると初日にあたる金曜の今日に狩場、いや犯行現場の下見は済ませているはずですよね」

「自分の見る限りイベント開催中にそれぞれ45分程度の昼休みを取る程度で長時間姿を消したスタッフはいませんでしたよ」

 マコトが今日の状況を報告するとリエが早速反応する。

「もしかしたら、下見は夜にしているかも」

「リエさん、狩人は下見の時間を大切にするものだ。狩りをする時間のその現場の獲物の状況を知ることが大切なのでね」

「そうか……」

 考え込んでしまったリエを見ながらマコトが高岡に言った。

「あくまでも推測なんですが……自分としては今日オープンを見届けて帰京した石津という人物が一番時間的余裕があって下見できる可能性が高いのでは……」

「市原先生もそう思われますか……実は石津に着けた監視からの報告によると彼はまだ帰京の電車に乗っていない……」

「えっ?それはいったい……」

「どうも違うホテルにチェックインして、彼はまだこの市内に留まっているようなんですよ」

 それを聞いたマコトの膝が震えだした。

 

 「リエさん。僕を送るなんて口実で、実際はこれを食べたかったんじゃないですか?」

 『ラーメン一心 富山駅前本店』のカウンター席。ブラックラーメンを目の前に、マコトが彼女に言った。状況確認ミーティング終了後、マコトを送っていくと言いながら、リエは遠慮する彼の腕を取って市内の夜街に出ていたのだ。

「一般市民の安全を図るのは警察の使命でしょ。しかも今回の捜査では特別に、拳銃の携帯も許可されてるんだから万全よ」

 リエはそう言いながらもマコトには一瞥もくれず、それこそ一心に麺をすすっていた。

「潜入捜査ってやつはどうしても僕には苦手だなぁ……」

 マコトがそう切り出しても、リエはブラックラーメンを啜るのに忙しく彼の話など聞いていないようだ。マコトは仕方なく黒い汁から麺を箸で持ち上げてボヤキ始めた。

「今日容疑のかかった人たちに直接会ったわけだけど、この中に犯人がいるかと思うと緊張して普段通りに話もできないんだ」

 マコトは箸を置いてリエに正対する。

「ねぇ、リエさん。こんな時はどうしてるの?」

 問うたマコトの耳にはリエが麺を啜る音しか聞こえてこない。しばらくして、リエは器を両手で落ち上げて最後の汁を飲み込み器をカウンターの上に置くと、やっと満足したのか、げっぷともため息ともいえるような息を吐きながら口を開いた。

「捜査でね人と話す時は、この人が犯人である証拠を見つけてやろうと性悪説で相手に対応しがちなのよね。だから緊張するのよ。逆にこの人が犯人でない証拠を見つけてあげよう、つまり性善説で接すれば、案外楽に話せるものなの。その方が情報を得られやすいし、かえって見逃していたことに気づいたできるものなのよ」

「ふーん、そうなんだ……」

 なるほどといった表情を浮かべてラーメンの器に向き直り、マコトはレンゲで麺のスープを啜り始めた。一方、器を空にしたリエは、暇を持て余してあたらめてこの男を見つめていた。

「そんなに見たって、僕のラーメンはあげませんよ!」

 マコトの横顔を眺めながら、リエはこの男の『可愛さ』に思わず頬が緩むのを感じていた。ペドフィリアに悩む男性は彼以外にもいる中で、なぜ事件の相談相手に彼を選んだのか。確かにリエが彼に近づいたのは捜査の為ではあった。だが、本当に理由はそれだけだったかと問われればきっと言葉を濁すに違いないと自覚していたのだ。

 だがこの時、彼に近づいた別の理由をわかった気がした。この男は、理屈抜きで可愛いのだ。たいがい男性が女性を可愛いと愛でるものだが、女性が男性をこれほど可愛いと感じることは奇異なことであろうか。今更、『あなたが可愛いいから、事件の捜査にこつけて診療所の帰り道で待ち伏せしました』などとコクルつもりもないが……。実際のところ、まんまとマコトのマンションへ出入りできる仲になったリエは、彼と過ごした日々が積み重なるにしたがって、この男を可愛く思う気持ちが膨らんでいたのは間違いがなかった。

 リエの思いも知らず、マコトはラーメンの器を抱え込んだ。

「だから、そんなに見たって、僕のラーメンはあげませんよ!」

 マコトの仕草を見て、ついにリエの秘めた感情が爆発した。こんな可愛い男を放ってはおけるわけないじゃない。

「ああ、リエさん。何を?」

 リエはマコトの後ろに回るとバックハグよろしく器と箸を持つ彼の手を握りしめる。

「あなたがあたしを挑発したからいけないのよ!」

 リエがマコトの手を使って彼の麺を自分の口に運ぶ。自分の麺を奪われてなるものかと、マコトは全力で抵抗する。しかし腕力に勝るリエは、無残にも残った麺をすべて平らげてしまったのだ。店内の客をはじめ従業員たちは、これは喧嘩なのか、新手のイチャイチャなのかと、唖然として二人の姿を見つめていた。

 

6.その言葉を聞いて、リエがマコトを思いっ切りぶん殴った

 

「先生。お疲れ様です」

 11:00からの1回目の相談コーナーを終え、バックヤードでコーヒーを飲みながら休憩するマコトに、三室が声を掛けてきた。

 昨夜のリエのアドバイスが効いたのか、今日はバックヤードに居るスタッフたちと性善説で接していたので、リラックスした彼に声を掛けやすい雰囲気になっていたのだろう。

「先生、2回目は13:00からですから、どうです?ここのフードコートでブラックラーメン……ご一緒に昼食でもいきませんか?」

 リエにブラックラーメンを奪われて、枕を涙で濡らした昨夜を思うと魅力的な誘いではあったが、他人と食事をとることが苦手なマコトの口から出る答えはいつも同じだ。

「ええ、ありがとうございます。でも……自分はそんなにお腹すいていないので……」

 そう答えたものの、だったらなぜリエの誘いは断ることができないのか。

「そうですか……」

 一方、誘った三室は接待経費で昼食代が出せる機会を失って残念そうだった。

「市原先生。13:00の回ですが整理券は12:30から配布を始めます。もう配布カウンターで人が並んでますよ」

 安田がバックヤードにやってくるとマコトに次回の段取りを説明する。

「相談コーナーはいつも盛況で、このイベントの鉄板コンテンツだね」

 三室の言葉に安田がうなずきながらがマコトに問いかけた。

「日報に記入するんですが、今日はどんな相談が多いですか?」

「ここが痛い、あそこが痛いって自分の身体のことがほとんどですよ。ロコモ予防の啓発というよりは自分の診療所で診察しているようで思わず看護師を呼びそうになりました」

「次回からは若い女性の看護師さんでもつけましょうかね」

 下ネタに近い三室の返事に安田も笑い出したが、すぐに医療従事者には笑えない冗談だと気ずき、あわてて口を噤んだ。バックヤードに気まずい空気が流れたが、すぐに吉岡がバックヤードに入ってきて彼らを救ってくれた。吉岡は不満顔で安田に報告を始める。

「さっき施設の担当が来て無理難題押しつけ帰っていきましたよ。担当が言うには……」

「ちょっと待て。先生の前で細かい話は失礼だろ。場所を変えて……」

 営業らしい三室の指摘に、マコトが笑顔で答える。

「いやいや、続けてください。モールで買いたいものがあるのでちょっと席を外します……」

「どうもすみません」

 三室達からの言葉を受けながら、マコトは席を立ち財布を探すフリをして彼らの会話に耳をそばだてた。

「で、どうしたの?」

 安田の問いに吉岡が口をへの字にして答える。

「明日の撤収時間ですけど、次の催事の準備があるので、23:00までに終わらせてくれって」

「おいおい、撤収開始できるのが21:00からだから2時間で終わらせろってこと?」

 三室が声を荒げるが、実際のところ三室は営業でイベントが終わり次第帰京するので撤収にはかかわらない。まさに第三者の偽善的な憤慨というやつだが、吉岡と安田に関して言えばそうはいかない。彼らは撤収の最後まで作業をするのだから当事者として困惑するのは当然のことだった。

 バックヤードを出ながら背中越しに聞こえる三人の話しに、マコトは単にイベントの仕事と言っても、いろんなことに対応が必要なんだなぁとこのスタッフたちに同情せざるを得なかった。

「とりあえず、東濃運輸の牧さんに連絡して段取りを考えてもらおうか……」

 ふいにマコトの知らない人物の名前が安田の口から聞こえた。彼の足が思わず止まる。マコトは踵を返すとものすごい形相で安田に詰め寄った。

「ち、ちょっと安田さん!その東濃運輸の牧さんというのは誰?」

「えっ?……」

 安田は何かまずいことを言ってしまったのだろうかと逡巡した。

「だから、東濃運輸の牧さんってのは、このイベントにどうかかわっているのですか?」

 マコトの勢いに戸惑って声が出ない安田に替わって三室が答えた。

「東濃運輸はこのイベントの展示セットや什器、展示コンテツの保管と運送を担当していて……各地では運送とともに設営や撤去を手伝ってもらってるんですよ」

「このイベントを実施する時はいつも東濃運輸が携わっているのですか?」

 続けざまなマコトの問いに安田が落ち着きを取り戻して答える。

「ええ、東濃運輸の牧さんとアシスタントの荒川くんがいつも担当してくれてます」

「設営が終わったら彼らはどうしてるの?一度帰京するの?」

「いやそんな不効率的なことはしませんよ。木曜の夜設営が終わったら、トラックを近くに留めて撤収の日曜の夜までこのあたりに滞在して待機してるんです」

「その人たちの滞在先は?」

 安田が付箋にホテル名を書くと、マコトはそれをひったくるように奪い取った。

「東農運輸に用があるなら今すぐ牧さんに連絡できますよ」

 スマホを取り出す安田を見ながらマコトは考えた。もし彼が犯人だったとしたら、拙速な直接連絡は逮捕の障害になりかねないのでは……。

「ありがとう……結構です!」

 マコトはそう言い残すとバックヤードから飛び出していった。

 バックヤードに残された3人はあきれたように顔を見合わせる。

「あの勢いは、ちょっと買い物して帰ってくるって感じじゃないよな?」

 誰に尋ねるでもなく三室が言った。

「次の回の整理券を配るの……どうしよう……」

 安田のつぶやきを合図に、残された3人はそれぞれの顔を見合わせるしかなかった。

 

 マコトに急にモールのタクシー乗り場に呼び出されたリエ。タクシーに乗り込みながらリエが言った。

「どういうこと、マコト先生?」

「僕たちがマークしていた人物に漏れがあったのです」

 マコトは先ほど知った情報をリエに説明した。

「彼らなら昨日下見をして今日犯行に及び時間的余裕はたっぷりある。もし彼らのどちらかが犯人なら、他の地域での犯行パターンを考えると、時間的に言ってすでに狩りに出ている可能性が高いです」

「つまりそのホテルにいないで所在の不明な人間が犯人ってことなの?」

「断定はできませんが……こちらに監視要員を回せませんか?」

 リエが高岡に連絡をした。電話口で何度か頷くと、いったんスマホを切ってLINEの電話に切りかえてスピーカにした。LINEの画面に高岡の顔が映っていた。

『市原先生、状況はわかりました。しかし現状の少ない情報では他の容疑者の監視を解くわけにはいきません。それに市内へ泊まっていた石津が朝から車を借りて市外へ移動していて、そのマークに人員を使っています。だから今そちらに回せる要員がいないのです。今の状況で他の監視を剥がして、賭けに出るわけにはいかないのです』

「……ってことだから、マコト先生と私で行くしかないわね。チーム長、このLINE回線は切らないのでSNS上で同行してください」

『わかった……しかし同行する市原先生の安全確保は頼むぜ』

「大丈夫ですよ。そのために銃を持たせてくれたんでしょ、チーム長」

 リエが嬉しそうに背中の右側下部あたりをたたく。

 リエたちのタクシーが目的地に到着した。ホテルは古びた旅館風なビジネスホテル。確かに前の広い駐車場に東農運輸の大型トラックが留まっていた。

 リエは早速ホテルのフロントに飛び込むと東農運輸のチェックインを確認した。東農運輸はツインの部屋にチェックインしていて、鍵はフロントに戻っていないという。つまり現在部屋にいるということだ。

『と言うことは……もし二人とも部屋に居たら犯人の可能性は薄いってことになるな』

 LINEの高岡の言葉にマコトが反応する。

「逆に、どちらかが不在だったらそいつが……」

「すぐ確認しましょう!」

 せっかちなリエを制止する高岡。

『待て!二人とも共犯って可能性もある。下手に確認したら、不在の方に連絡が行ってしまい動きが変わってしまう可能性があるぞ』

 高岡の指摘にしばし口を閉ざすふたり。しかし、ここはやはり考えるより行動派のリエ。おもむろにフロントの電話を取るとその部屋に電話を掛ける。

 『はい』

 中年の男性の声が聞こえてきた。

「お休みのところ申し訳ございません。フロントでございます。只今フロントにスマートフォンのお忘れ物が届いておりまして、お客様に確認させていただいております」

『スマホ?……』

 電話口で何かを探す音がしていた。

『ああ、あった……自分のはあります』

「左様ですか、お休みのところ失礼いたしました。ちなみにご同室のお方はいかがでしょうか?」

『今外出しているのでわからないなぁ』

 リエの身体が硬直し、傍で耳を寄せて聞くマコトの膝が震え始めた。

「そうですか……ではあらためてご連絡させていただきます。失礼ですがお電話に出ていただきましたお客様は……」

『牧です』

「ありがとうございました」

 

 電話を切ったリエ。傍で聞いていたマコトがホテルから飛び出ようとするのを、リエが慌てて止めた。

「どこ行くの?マコト先生!」

「どこって、外出してるやつを探しへ行くにきまってるじゃないか!もう狩りは始まってるんだ!」

「でも……探すって言ったって、どうやって?」

 その時、LINEの高岡の声がする。

『今、石津を追っている部下から連絡があった。石津の行き先は郊外のゴルフ場だった。出張の時間を盗んでゴルフを楽しもうって腹のようだ』

「何だよ、間際らしい!」

 マコトの叫び声の傍ら、リエが冷静に応答する。

「高岡さん。こっちの捜索に人員をよこしてもらえますよね」

 冷静なリエに反しマコトの叫びは終わらない。

「だめだよ、応援が来てから探し始めるんじゃ、犯人のお楽しみは終わってしまうじゃないか……」

「そんなこと言っても、行き先がわからないのでは県警からの応援を待って広域捜査するしかないじゃない」

『たしかにな……』

 高岡の返事に、しばらく腕組をしていたマコトだが途方に暮れるリエを見つめて言った。

「リエさん、しばらくLINEの回線切ってもらえます」

 リエはマコトの突然の申し出に驚きながらも、彼の思いつめた様子に押され言うがままに従った。

 『えっ?どうし……』

 驚く高岡の声も半ばで切れた。

 

 マコトは戸惑うリエの腕を取ると、危険なくらい顔を近づける。そしてその口元に薄笑いを浮かべながら彼女に語り掛けた。

「今頃犯人は小さな子供の姿をとらえてよだれを流しているでしょうね。いや、もうすでに新鮮な素肌に触れて悦にいっているかもしれない」

 リエはマコトの瞳を見つめた。彼の突然の変貌。その瞳には狂気のガスが徐々に充満していくようだった。

「今、このあたりで子どもを捉えている犯人が怪物だとしたら、実は僕も怪物であることは、リエさんもご存知ですよね?……」

「なによ、いきなり!」

 マコトから発せられる尋常ならざる闇のオーラから、リエは身をもがいて逃れようとした。しかしこんな力がどこにあったのだろう。マコトはリエを離そうとしなかった。

「そんな怪物、つまり自分の前に突然、リエさん、あなたが現れた……」

「ちょっと待ってよ……マコト先生、どうしちゃったの……」

「あなたは……自分の怪物を覆い隠すことに自分の人生の大半を費やしてきた僕に、自分の怪物性をあらわにしろと迫った。そして僕に……同類を追って狩ることで、自分の人間性を取り戻すことができるのではないかと信じ込ませた」

「そんなこと……してないわよ!」

「正直に言えば……そんな僕にとっては、今犯人が捕らえているこどものことなんか興味はないんです。ただ、自分は少しでも普通の人間に近づきたい。つまり、子どもを捕えている化け物の首を獲ることしか頭にない。それがいまはっきりとわかったんです」

 追い込まれたこの男はついに狂気に溺れたのか。マコトの暴力的なエネルギーを止めなくては……。リエは利き手の拳を固めた。

「リエさん。犯人が子どもを捕えることを楽しんでいるなら、僕は怪物狩りを楽しみたい。応援なんか待ってられませんよ」

 マコトの口角の上がった口元から一滴のよだれが光った。いよいよ狂気にかられたマコトの顎に拳をぶち込もうと腹筋に力を込めたリエ。しかし突然閃いた考えでその拳を解いた。

「わかったわ……あなたは……どうやって犯人を狩るつもり?」

 リエの問いにマコトは瞼を閉じた。そして再びゆっくりと開くと、驚いたことに彼のひとみの色が褐色に変わっていた。マコトは絞り出すように声を出し始めた。それは未だかってリエの聞いたことがないような声色だった。ついにマコトの怪物性が完全解放されたのだ。

「怪物を狩るには、そのルーティーンを推理すれば簡単に追える」

「ルーティーン?」

「ああ、犯人はことを始める前には、まず一番必要なものを手に入れる」

 口角を挙げてゆがんだ笑顔で答えるマコト。リエはその表情に野獣の匂いを感じて眉をしかめる。だがしかし、彼の暴力的な狩りを止めるどころか、けしかけているのは自分だ。自分が彼の狂気を増長させている。マコトが我に返った時、怪物を解放してしまった彼を襲う後悔と苦悩はリエの想像をはるかに越えるものとなるに違いない。その時は彼の傍にいて、自分はどんな罰でも受けると心の中で手を合わせた。

「一番必要なものってなんなの?」

「わからないの?……子どもを求めて走り回り、発見したら捕獲して、いたぶり尽くしたら、足がつかぬようにその残骸を遠くに遺棄する。それには広範囲な機動性が不可欠だ。一番必要なものは……車だよ」

「車?レンタカーで借りるの?」

「ばかな、怪物はね、自分が特定されるようなことは当然避けるでしょう。レンタカーでは借りる時に営業所で自分の顔がわれてしまう」

「だったら……」

「シェアカーだよ。シェアカーなら顔も見られず好きな時間に借りたり返却したりできる」

「そうか……だったら、シェアカー会社に犯人の登録を問い合わせて、借りた車をGPSで追えば居場所が……」

 そのリエの言葉に怪物マコトが高らかに笑い声を立てた。

「怪物が本名で登録すると思うか?シェアカーの利用登録は偽造した免許証と他人名義のクレジットカードで簡単にできるんだよ」

 なるほど……だが、そうすると結局、今すぐに犯人の足取りを追う術はなくなる。リエは絶望の海に沈みそうだった。

「それじゃ結局犯人を追えないじゃない!」

 叫ぶリエを怪物マコトは見下したような目で見ながら言葉を続ける。

「でも……狩は難しいほど楽しさがますってもんだ。せっかくの獲物を僕が逃すわけないだろう」

 怪物マコトはリエの身体を離しながら自慢げに語りはじめた。それが、彼に一瞬のスキを作ることになる。そんなことを忘れるほどマコトは有頂天になっていたのだ。

「いいか。このエリアで今シェアカーを借りている中から、県外の免許で登録している者を調べさせろ。名前は偽造でも犯行に合わせて免許の登録住所を変えるなんて暇な怪物はいない。そいつをGPSで追っかけて、人まばらな郊外にいる車。それがそいつの居場所なんだよ」

 その言葉を聞いて、リエがマコトを思いっ切りぶん殴った。怪物マコトは地面にたたきつけられて気絶する。リエはそんな彼に構わずLINEを復活させて高岡に調査の依頼をした。結果はすぐに帰ってきた。幸いにも該当する車は1台だ。リエはホテルの車を借りると、今だ気絶しているマコトを抱え込んで車に乗り込んだ。

 

7.そして、リエの手にはいまだ白煙を吐く拳銃が握られていた。

 

 その男はぐったりした少女を肩に担ぎ川辺をゆっくりと歩いていた。少女は気づかないうちに首へレイプドラッグを“注射”されていた。いわゆる「ニードル・スパイキング(Needle Spiking)」で体が動かない。しかし、少女にとって最悪なのは、ほどなく意識が回復していくことにある。一時的に意識を失い体が動かなくなるが、30分ほどで意識が徐々に回復してくる。そんな繊細なドラッグを調合するところにこの男の狂気的な几帳面さが現れている。そう……対象に意識が無くては、彼が望む快楽を十分に得ることができないのだ。自分が捕らえた小鳥が現す声も出ない恐怖の表情。そして小刻みに震えるまだ誰にも侵されていない白い肌の感触。そのどれもが想像するだけでも彼の気持ちを高揚させていく。

 その男はマコトと同じペドフェリアではあるが、それが実際の凶悪な犯罪につながる正真正銘のパラフィリア症候群だ。一般的には、環境の影響、社会的孤立、性的教育の欠如や不適切な情報などの要因が複合的に作用し、パラフィリア症候群が発症すると考えられている。例えば、幼少期の性的外傷体験。また、社会的な孤立や性的教育の不足による未熟な性的発達など……。つまり個人の性的発達の過程における様々な要因が複雑に絡み合って発症するのだ。

 だがしかし、この男にとっては自分のこれまでの人生を振り返ってもそんな要因がひとつも見当たらない。きっと生まれた時から生物学的要因(脳の構造や機能の異常)であったに違いない。いつからと思い出せない時から、合意のない対象、特に小児に対して苦痛や恐怖を与えることでより性的興奮を得る。そして対象をいたぶっ無理やり行う性行為は彼を爆発的なエクスタシーに導いていく。彼はこのひと時に自分へ命が吹き込まれた意味を見出す。それは性的嗜好というより、彼しか感じえない神に近づく崇高な儀式。こどもは神へ供える生贄に過ぎないのだ。

 もう間もなく崇高な儀式を執り行うことになる。少女を担いで藪の中に入り込み、彼にとっては祭壇と言える神聖な場所を物色していると、彼の耳に車の急停車する音が届いた。彼は思わず舌打ちをする。彼の崇高な儀式を邪魔するものが現れたのか……。彼は警戒して少女の片方の靴を地面に投げ捨てると、その反対方向の藪に少女をドスンと落とし身を潜めた。

 

 リエがGPSで示された場所へ行くと果たしてシェアカーのステッカーを貼った車両が停車していた。リエは背中のフォルダから銃を取り出し慎重に近づいて車の様子を伺った。中には誰もいない。車のボンネットの暖かさは、犯人が近くにいることを示していた。リエの連絡で応援はこちらに向かっている。本来はその到着を待つべきなのだろうが、こうしている間も捕らわれた子どもが犯されていることを思うと、なんとか早く見つけ出し犯行を止めなければならないと、リエの心がせいた。

 あらためてマコトの様子を見たが彼はまだ目が覚めていないようだ。バックアップに彼を起こしてもいいが、市民を犯人逮捕の現場で危険に巻き込むわけにもいかないし、何と言ってっも目覚めた彼が先ほどの様な暴力的な怪物のままだと困る。リエはマコトの腕とハンドルを手錠で繋いだ。拳銃をフォルダへしまうと単身ガードレールを跨いだ。

 そこは舗装道路から外れた藪が生い茂ったきつい傾斜地で、たとえそこにマツタケが生い茂っていたとしても誰も入る気にはならないだろう。こんなところを犯人は子供を担いで下っていけたのだろうか。リエは半信半疑でその傾斜を注意深く下っていった。ほどなくすると、薄汚れた藪色にそぐわぬ華やかな色が視界に入った。リエは思わずその色に飛びつく。それは赤い女の子の小さな靴だった。

 もしこれが犠牲者の靴だとすれば、当然近くに犯人がいてあたりまえなのだが、リエは子どもの靴への観察に気をとられ背後の注意を怠った。そして、その報いとして首筋に鋭い痛みを感じることになる。振り返ると注射器を持ったにやけた男が立っていた。彼女の意識が徐々に遠のいていく。

 

 リエの意識にうっすら光が漏れてきた時、男の声がした。

「ちぇ、もう目覚めか。やっぱり大人の身体には薬が弱すぎか……」

 リエはもうはっきりと男の姿を認識することができた。その男は30台前後、身長は170くらいか。特に印象的な容姿ではなくごく普通の青年といったところだが、東農運輸ロゴが入った帽子からのぞく瞳は何とも言えない醜悪な光を宿していた。

「あんた警官なんだ」

 声の主は薄笑いを浮かべながらリエの警察手帳と拳銃を弄びながら苔の生えた石に腰かけていた。

「よくここまでたどり着いたな。ついに俺は特定されたわけだ」

 リエはその青年の襟首をつかもうと体を動かそうとした。

「無理だよ。意識は戻っても体はまだ動かない」

 リエは持ち前の強気で言い返そうとするが口さえも思い通りに動かない。

「あんたが何を言いたいかはわかる。特定された以上、これから俺の逃亡生活が始まるんだよね。でも俺は捕まらないよ。日本に名を広めた後はカンボジアにでも行って、俺のファンの期待通りの動画を配信して儲けるつもりなんだ」

 男は口角を上げてリエの身体をなめるように見た。

「せっかく来てもらったんだから、あんたを刻んでスプラッター動画でも撮影しようか……そうだ、配信動画の予告編としては丁度いい……」

 男はスマホを岩の上にセットし、ベルトから大きなサバイバルナイフを取り出した。

「あんたひとりで来たみたいだけど、当然応援は呼んでるよね。あまり時間を掛けて楽しんだら面倒なことになりそうだし……早めに刻んでおいた方がいいな」

 リエに近づく男はこれから人を殺めるにもかかわらず、いたって事務的でまるで魚をさばく調理師かのように無表情だった。

 かつて丸暴だった頃、彼女を襲ってこようとする暴漢からはかならず熱を帯びた凶暴性みたいなものを感じていた。それは言い換えれば、自らを奮い立たせようとする人間らしい熱さとも言える。熱さをたぎらせて自分に向かってくる暴漢に、彼女は不思議と親近感に近いモノを感じていたものだ。しかし、この男からはそんな熱は一切感じなかった。彼女は初めて恐怖を覚えた。やはりマコトの言う通り、この男は人間ではないのだろうか。

 リエは動けぬ自分の首筋にサバイバルナイフの冷たい刃先を感じた。その刃先が水平に滑れば皮膚が切り裂かれ、首は切り離され、血に染まった胴体を眺めながら自分は死ぬ。そんな現実が認められず、これは夢なのだと自分に言い聞かせた。なんだが悲しくなって涙が出てきた。

 

「申し訳ないが君。その女、簡単に刻まれては困るんだ」

 その声で刃先の滑りが止まった。男が視線を上げるとそこにニヤニヤ笑っているマコトがいた。彼の手首にある手錠にはハンドルがぶら下がっていた。瞳の色は褐色のままだ。そう怪物マコトが現れたのだ。

「その女刑事、散々僕を利用したあげく、突然殴りつけてハンドルに縛り付けて……このまま綺麗に殺されたんじゃ腹の虫がおさまらない」

 男がマコトを睨みつけた。しかしナイフを持つ自分を見た時に常人の現す恐怖が彼の姿から感じられない。そのあまりにもの落ち着きに異常性を感じて男は警戒を高めた。

「あんたも俺を捕まえに来たのか?」

 マコトは何も答えずただニヤニヤしながら男を見下ろしていた。返答の無いマコトに焦れて男がいった。

「嫌だと言ったら?」

「まぁそうなったら……手ぶらで帰るわけにもいかないし、その女の代りに君の獲物で楽しむしかないな」

 男が子どもを隠した方向を見ると、生贄であった少女の姿はなくなっていた。

「おっ、お前」

 男はニヤニヤ笑うマコトの瞳をのぞき込み、ついにマコトの瞳の奥にある異常性を感じ取った。そうか、この男も自分と同じ狂気を持っているのだ。男が少し緊張を解いて言葉を続けた。

「だったらさ……あんたも一緒に楽しめばいいじゃないか」

 その男の言葉を聞いてマコトの表情が変わった。

「確かに子どもは好きだがスプラッターは趣味じゃない」

 マコトの全身から野獣のような臭気が漂い始めた。

「……それに君の嗜好は尊重するとしても、子どもに対する君の扱い方はちょっと乱暴すぎないか」

 マコトの臭気を嗅いで、男は再び自身の身が固くなるのを感じた。リエの首に添えたナイフを持つ手に力が入り、リエの首の皮膚から血が滲んだ。

「君が捕らえたこどもだけどさ……手足にすり傷があるし、どこかにあたったのか唇にうっすら血が滲んでたよ。まさか、殴ったりはしてないだろうね」

「そっ、そんなこと……どうでもいいことだろ!」

「さっき君は、僕がなんでここに来たか聞いたよね?」

 マコトがゆっくりと一歩踏み出した。

「それは、君が高崎で僕を呼んだからだよ」

 マコトが近づけば近づくほど、彼の粘っこい臭気に絡まれて、男は体が動きにくくなる。リエはリエで自分の頸動脈にナイフが添えらていることも忘れ、マコトの接近に全身が震えるのを感じていた。

「君は怪物のくせに承認欲求なんて人間的なことをして……」

 マコトはゆっくりと歩みを進める。マコトが発する強烈な臭気……それはきっとけた外れの『狂気』なのだろうが……それがもたらす結果は、彼自身を含む彼のまわりのすべてのものの破壊でしかない。

「ぼくへ殺しに来てくれと哀願したからじゃないか」

 その言葉が終わらぬ内に一閃、素早くナイフを持つ男の手首を掴み、怪物マコトはその手を払った。ナイフはリエの首の皮をさっとなぞりながら、宙へ弾き飛ばされる。同時に彼は片方の手で男の眼球に拳をたたき込む。そのパワーとスピードは普段のマコトからは考えられないものだった。顔面を両手で覆って苦しむ男の背後からマコトは腕を回して首を絞めた。みるみる男の頭そして顔が赤くなる。外科医であるマコトは正確に男の気管を塞いだ。

「さあ、君の思い通り……地獄へ戻ろう……」

 男の生気が潮の引くようにゆっくりと薄れていく。男の意識はもう飛んでいるのに、マコトは一向に腕を解こうとしない。先ほど女の子の安全確保のためにその小さな体を抱き上げて車にかくまった。実はその時の感触が彼を極限なまでに高揚させていた。自分でコントロールできないほどの高まり。そのはけ口を探していたマコトは、彼の腕の中でこと切れていく犯人にそれを見出していた。マコトの口元にうっすらと笑みがこぼれていた。

 その時、銃声がした。怪物マコトは右肩を撃ち抜かれ、その焼けるような熱さと衝撃で気を失い、首を締めていた男とともに崩れ落ちる。その銃声に導かれたように数台の車の停車する音が響いた。そして、ようやく半身が動けるように回復していたリエの手には、いまだ白煙を吐く拳銃が握られていた。

 

 

エピローグ/リエのブラホック

 

 マコトの部屋。肩の傷から回復して帰宅したものの、彼の部屋には明かりが灯らない。そんな日が何日過ぎただろうか。もはや墓の中の様に淀んだ空気が充満した彼の部屋。しかしそんな日の夜、けたたましく錠が明けられる音がして空気をかき乱す人物が現れる。ベッドにうずくまっていたマコトが驚いて飛び起きた。乱暴にともされた室内の電灯に目を瞬きながら相手を見ると、その人物は大きなカバンを持ったリエだった。

「リエさん……」

「マコト先生。肩の怪我も治ったのに、この1か月間休診ってどういうわけ?」

「鍵が閉まってるのに……どうやって?」

「以前、事件の調査でマコト先生の部屋に出入りしている時に念のため合鍵を作っておいたのよ」

「念の為って……」

「とはいっても……」

 リエは大きなカバンを遠慮もなくドカッとフロアに転がした。

「マコト先生に誤射して懲戒処分やマコト先生への接近禁止命令もあって……ようやくそれも解けてドアにカギを差し込めたってわけ」

 リエは胡坐をかいて図々しく荷物を解き始めた。

「リエさん……いったい何してるんです!?」

「ところで、なんでマコト先生は撃たれてから1か月もくすぶってるわけ?子どもを救った英雄なのに……」

 リエはマコトの問いに構わず、荷物を解く手を休めない。仕方なくマコトはため息をつきながら重い口を開いた。

「英雄?そんなもんじゃないのは、リエさんよくご存じでしょう……だけど……あの時の高揚感は半端じゃなかった……気を失った女の子を抱き上げた時の感触……犯人の首を絞め彼の命が徐々に冷えあがっていく手ごたえ……」

 マコトは再びベッドに飛び込むと毛布をかぶった。

「どうしたの?」

「怖いんですよ」

「何が?」

「怪我の治療で入院中でもそうだったんですが、時々あの時の高揚感を渇望する断片が現れて……」

 実はリエは彼がこうなることはわかっていた。わかっていたのにも関わらず、あの時彼の狂気を解放させたのだ。毛布をかぶって震えるマコトを見つめながら、そんな自分の無責任な行為の代償を払う為に今ここに来ているのよと心の中で手を合わせていた。

 やがてマコトが毛布の中でつぶやいた。

「なぜあの時……肩なんかじゃなくて……犯人とともに僕の心臓を撃ち抜いてくれなかったんですか?」

 リエがマコトの被っている毛布をはぎ取って自分に正対させた。

「マコト先生の高揚感なんて知ったこっちゃないわよ。ただあの時は、マコト先生の鋭い推理で犯人を追いつめ、暴れた犯人に向けて撃った球が間違って先生にあたった。これがすべて!」

 目を背けようとするマコトの頬を両手で挟んで、リエは彼の視線を鷲掴みにした。

「ねえ、覚えている?前にマコト先生と喧嘩になったわよね。ペドフィリアは『独特な性癖』なのか狂気なのか」

「確かにそんなことが……」

「あらためてマコト先生に言うわ。ペドフィリアは狂気でもなんでもない!『独特な性癖』よ。そして『独特な性癖』ならコントロールできる」

「またその話か……」

「いいえ聞いて!ペドフィリア(思春期前の児童に対して性的に惹かれるセクシュアリティ/小児性愛)へのコントロールを失えばパラフィリア(性的興奮を得るための方法が、他者に苦痛・屈辱を与える)いわゆる狂気へと進化していくのは当然」

「だから、コントロールできないから苦しんでいるんだろう!」

「だけど、『独特な性癖』を狂気として忌み嫌うことなく、あなたが人間でありたいと思い続けるのであれば、確実にコントロールできるはず。『独特な性癖』に高揚感の渇望なんて偉ぶった表現は似合わない。」

 マコトは、必死に訴えるリエの瞳から逃れることができなかった。もう以前のように喧嘩する気も起きない。犯人捜査を通じてリエと様々ことを経験し共有しあった。性癖であろうが狂気であろうが、リエの語る理屈そのものよりも、自分の本質を知って受け入れてくれている人を今目の前にして、何を抗うことができようか。

「だから、私はここへ来たのよ」

「どういうこと?……」

 リエはマコトの不可解な表情にも無頓着に、今度は部屋着に着替えを始めた。

「あのねリエさん!前にも言おうと思ったんですけどね、僕は確かにペドフィリアだけど、成人女性に性的興奮しないというわけではないんですよ」

「あらそうなの」

 リエは着替えをやめようとしない。

「もし我慢できなくなってリエさんに迫ったらどうするんです?」

「気分が乗ればセックスすればいいじゃない」

「そんな……もし子供ができたらどうするんです」

「結婚して子どもを育てればいいじゃない」

 マコトが到底無理だと思っていた家庭という言葉が瞬間脳裏に浮かんだ。

「でも……もしその子どもに……」

「私たちのこどもに、父親以外の感情で近づいたら……そん時は間違いなく撃ち殺すわ」

 下着姿のリエが振返ってマコトを睨みつける。

 つまりリエは自分に人間として生きる環境を与えながら、自分が人間でありたいと思い続けるように見守る、いや監視するためにここへやってきたのか……。

 リエが下着姿でマコトのベッドに滑り込んだ。驚くマコト。

「ここんとこ満足に寝れていないの……少しここで寝かせて」

 リエは撃ち抜いた肩とは反対の彼の腕を自分の首に巻き付けて、彼の胸に顔をうずめた。マコトはそんな図々しく可愛いリエを受け入れながら彼女の顔を見つめていた。彼女は気持ちよさそうに口をムニュムニュしながら瞳を閉じている。

「ちょっと胸が苦しいわ。ブラのホック外してくれない?」

「えっ!?」

「大丈夫よ。殴らないから……」

 寝言とも独り言とも思えるような彼女のつぶやきを聴きながら、マコトはリエの言葉を信じたいと思った。たとえ殴られたとしても、それが彼の夢にまで見た普通の生活の始まりになるのだと。

 

 
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