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No.1166278
新人さん
2024年のハワイへの日本人旅行者数は、前年比増であるものの、コロナ禍前の2019年比では約46%にとどまったようだ。航空座席供給量はコロナ前の66%水準だったが、2025年は85~90万人を見込んでいるらしい。今年のゴールデンウィークの人手はどうなるのだろうか? 僕は知らなかったんだけど、2017年4月27日にホノルル国際空港が改名されて、ダニエル・K・イノウエ国際空港になっていて驚いた。イノウエ氏は日本人の両親から産まれた日系人で、アメリカに忠誠を尽くしたアメリカ軍の本物の ″英雄″ だった。世界大戦中にイタリアでドイツ軍と戦い、千切れかけた右腕をぶら下げたまま、左腕一本で短機関銃を撃ち続けたそうだ。戦後はHawaii選出の議員となり大統領継承3位となり、歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としてはカマラ・ハリス副大統領(大統領継承第1位)に次ぐ高位にまでなった方らしい。亡くなる直前の言葉は、「ハワイと国家のために力の限り誠実に勤めた。まあまあ、できたと思う」と述べ、最後の言葉は「アロハ」だったという。イノウエ氏は軍人に贈られる最高位の勲章・名誉勲章を受章し、その感謝状には下記のように記されているそうだ。『ダニエル・K・イノウエ少尉は1945年4月21日、イタリアのサン・テレンツォ近郊における作戦中の際立って英雄的な行動によって、その名を残すこととなった。重要な交差点を守るべく防御を固めた稜線を攻撃している間、イノウエ少尉は自動火器と小銃から浴びせられる射撃をかいくぐって巧みに自身の小隊を指揮し、素早い包囲攻撃によって大砲と迫撃砲の陣地を占領し、部下達を敵陣から40ヤード以内の場所にまで導いた。掩蔽壕と岩塊からなる陣地にこもる敵は、3丁の機関銃からの十字砲火により友軍の前進を停止させた。イノウエ少尉は自らの身の安全を完全に度外視し、足場の悪い斜面を最も近くにある機関銃から5ヤード以内の位置まで這い上がり、2個の手榴弾を投擲して銃座を破壊した。敵が反撃を仕掛けてくる前に、彼は立ち上がって第2の機関銃座を無力化した。狙撃手の弾丸によって負傷するも、彼は手榴弾の炸裂によって右腕を失うまで、至近距離で他の敵陣地と交戦し続けた。激しい痛みにもかかわらず彼は後退を拒否して、敵の抵抗が破れ、部下達が再び防御体勢に入るまで小隊を指揮し続けた。攻撃の結果、敵兵25名が死亡し、8名が捕虜となった。イノウエ少尉の勇敢かつ積極的な戦術と不屈のリーダーシップによって、彼の小隊は激しい抵抗の中でも前進することができ、稜線の占領に成功した。イノウエ少尉の類まれな英雄的行為と任務への忠誠は、軍の最も崇高な伝統に沿うものであり、また、彼自身やその部隊、ひいてはアメリカ陸軍への大きな栄誉をもたらすものであった。(Wikipediaより)』 フィリピンにも日本人っぽい名の、英雄名を冠した空港がある。世界で最もムカつく空港ワースト5位になったこともあるマニラ国際空港がそうで「ニノイ・アキノ国際空港」と改称されている。この方の本名はベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニアで、フィリピンの政治家だった。通称が「ニノイ」であったのでニノイ・アキノ空港となったそうだ。アキノ氏は独裁者マルコス(現大統領の父)に反対してマニラ国際空港に帰国したところを暗殺されたのだ。やがて独裁者マルコスがハワイへ亡命すると、アキノ氏を称えてニノイ・アキノ空港と改称された。 定かではないが、「アキノ氏は秋野さんだ」という伝承があるようだ。アキノ家の祖先はラ・ウニオン州のアゴオ(Agoo)の辺りに流れ着いた日本人だと言われている。 ハワイのホノルル国際空港が『ダニエル・K・イノウエ国際空港』でマニラ国際空港が『ニノイ・アキノ国際空港』、名前が長くて呼びにくいから、井上空港と秋野空港でいいんじゃない?。検索すると、ハワイとマニラの空港が出てくるよ。君もやってごらん♪
2025-04-27 16:12:51 投稿 / 978×734ピクセル
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2024年のハワイへの日本人旅行者数は、前年比増であるものの、コロナ禍前の2019年比では約46%にとどまったようだ。航空座席供給量はコロナ前の66%水準だったが、2025年は85~90万人を見込んでいるらしい。今年のゴールデンウィークの人手はどうなるのだろうか? 僕は知らなかったんだけど、2017年4月27日にホノルル国際空港が改名されて、ダニエル・K・イノウエ国際空港になっていて驚いた。イノウエ氏は日本人の両親から産まれた日系人で、アメリカに忠誠を尽くしたアメリカ軍の本物の ″英雄″ だった。世界大戦中にイタリアでドイツ軍と戦い、千切れかけた右腕をぶら下げたまま、左腕一本で短機関銃を撃ち続けたそうだ。戦後はHawaii選出の議員となり大統領継承3位となり、歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としてはカマラ・ハリス副大統領(大統領継承第1位)に次ぐ高位にまでなった方らしい。亡くなる直前の言葉は、「ハワイと国家のために力の限り誠実に勤めた。まあまあ、できたと思う」と述べ、最後の言葉は「アロハ」だったという。イノウエ氏は軍人に贈られる最高位の勲章・名誉勲章を受章し、その感謝状には下記のように記されているそうだ。『ダニエル・K・イノウエ少尉は1945年4月21日、イタリアのサン・テレンツォ近郊における作戦中の際立って英雄的な行動によって、その名を残すこととなった。重要な交差点を守るべく防御を固めた稜線を攻撃している間、イノウエ少尉は自動火器と小銃から浴びせられる射撃をかいくぐって巧みに自身の小隊を指揮し、素早い包囲攻撃によって大砲と迫撃砲の陣地を占領し、部下達を敵陣から40ヤード以内の場所にまで導いた。掩蔽壕と岩塊からなる陣地にこもる敵は、3丁の機関銃からの十字砲火により友軍の前進を停止させた。イノウエ少尉は自らの身の安全を完全に度外視し、足場の悪い斜面を最も近くにある機関銃から5ヤード以内の位置まで這い上がり、2個の手榴弾を投擲して銃座を破壊した。敵が反撃を仕掛けてくる前に、彼は立ち上がって第2の機関銃座を無力化した。狙撃手の弾丸によって負傷するも、彼は手榴弾の炸裂によって右腕を失うまで、至近距離で他の敵陣地と交戦し続けた。激しい痛みにもかかわらず彼は後退を拒否して、敵の抵抗が破れ、部下達が再び防御体勢に入るまで小隊を指揮し続けた。攻撃の結果、敵兵25名が死亡し、8名が捕虜となった。イノウエ少尉の勇敢かつ積極的な戦術と不屈のリーダーシップによって、彼の小隊は激しい抵抗の中でも前進することができ、稜線の占領に成功した。イノウエ少尉の類まれな英雄的行為と任務への忠誠は、軍の最も崇高な伝統に沿うものであり、また、彼自身やその部隊、ひいてはアメリカ陸軍への大きな栄誉をもたらすものであった。(Wikipediaより)』 フィリピンにも日本人っぽい名の、英雄名を冠した空港がある。世界で最もムカつく空港ワースト5位になったこともあるマニラ国際空港がそうで「ニノイ・アキノ国際空港」と改称されている。この方の本名はベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニアで、フィリピンの政治家だった。通称が「ニノイ」であったのでニノイ・アキノ空港となったそうだ。アキノ氏は独裁者マルコス(現大統領の父)に反対してマニラ国際空港に帰国したところを暗殺されたのだ。やがて独裁者マルコスがハワイへ亡命すると、アキノ氏を称えてニノイ・アキノ空港と改称された。 定かではないが、「アキノ氏は秋野さんだ」という伝承があるようだ。アキノ家の祖先はラ・ウニオン州のアゴオ(Agoo)の辺りに流れ着いた日本人だと言われている。 ハワイのホノルル国際空港が『ダニエル・K・イノウエ国際空港』でマニラ国際空港が『ニノイ・アキノ国際空港』、名前が長くて呼びにくいから、井上空港と秋野空港でいいんじゃない?。検索すると、ハワイとマニラの空港が出てくるよ。君もやってごらん♪